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中村桂子著 「科学者が人間であること」 
岩波新書 (2013年8月 ) 

デカルト的二元論の科学文明から、人間が自然のなかにある生命論へ

生命誌絵巻
生命誌絵巻(JT生命誌研究館ホームページより)

上の図は扇型色紙に描かれた生命誌絵巻である(円形の生命誌マンダラも考案されている)。 宇宙の誕生が137億年前、太陽の誕生が55億年前、地球の誕生が45億年前、生命の誕生が38億年前、アフリカ中東部で人類〈ヒト)の誕生が20万年前、人類が森から出て農業村落生活を始めた人類史の誕生が1万1000年前、チグリス・ユーフラティス川流域にシュメール文明という都市国家のはじまりが3500年前だと推測されている。ローマ文明が世界帝国となったのは2000年前といわれている。その根拠は他書に譲るとして、生命の誕生からヒトの誕生までに膨大な時間を要している。生命は地球に生まれた(他の惑星に生命があるかどうかは分からない)ことは事実である。丸山茂徳・磯崎行雄 著 「生命と地球の歴史」(岩波新書 1998年1月)は地球の変動の歴史と生命の進化を統一的に解明できる日は近いと述べている。中村桂子氏がイラスト化している「生命誌絵巻」は生物の進化系統図(時間軸と遺伝子系統の遠近関係である生物相互関図)と言ってももいい。単細胞生物(バクテリア)から多細胞生物へ、動物と植物の分離、無脊椎動物と脊椎動物の分離、海から上陸し、さらに陸から空へ鳥類が飛び立ち、哺乳動物が生まれた歴史を相互関係を重視しながら(進化系統を原則として)述べるのが生命誌絵巻のイラストである。そこで中村 桂子氏のプロフィールを述べる。氏(1936年東京生まれ )は、1959年東京大学理学部化学科卒 、渡邊挌教授の指導下で1964年東京大学大学院生物化学を修了 して国立予防衛生研究所に入所(7年間在席)、1971年三菱化成生命科学研究所社会生命科学研究所に移籍(18年間在席)、 1989年早稲田大学人間科学部教授 となる。1991年日本たばこ産業に入社、1993年に設立されたJT生命誌研究館の副館長となる。 それから東京大学先端科学技術研究センター客員教授 や大阪大学連携大学院教授 を経て2002年JT生命誌研究館館長 に就任した。専攻は遺伝学であったが1980年代半頃からしだいに科学史に転向したようだ。生命誌とは生命科学史ともいうべき内容であろう。2013年で御年77歳となる。私は中村桂子氏の著書は、中村桂子著 「自己創出する生命」 (ちくま学芸文庫 2006年7月)を読んだ。DNAや遺伝子ではなく、ゲノムで考える必要があるというのが「生命誌」からの提案である。ゲノムの中に発生分化や進化の仕組みが隠されている。それが普遍性から多様性へアプローチするということだ。「自己創造する生命」という著書において、中心課題である「スーパーコンセプト」とは「時代を支える基本概念」あるいは「次代を貫く知の体系」という意味で用いられている言葉である。中村桂子氏の興味は1980年代中頃から科学研究から生命誌に変わった。時の分子生物学は遺伝子組み換えの時代からゲノム研究に移ってきていた。中村桂子氏は微細にゲノム構造を解析してゆくことが生命の理解に近づくのかどうか疑問に思う頃であったという。遺伝子DNAの示す普遍的構造から直線的に生命の多様性に行くことはできないのではないかという疑問である。「科学」が不変、分析、還元、客観、論理を旨とするなら、それに多様性、全体、主観、直感、関係、歴史性などを付加したものが「生命誌」である。多様性や全体、関係は科学で究明できるとして、主観、直感、歴史性は科学とは異質なものである。中村氏が生命誌家として本書を書くことを導いた人に、1970年度のノーベル賞受賞者J・モノーがいる。1970年に書いたJ・モノーの「偶然と必然」という本が、本書の出発点である。モノーは「生物学研究から生物圏以外に通用する一般法則が見出せることは無いだろうからその意味では生物学は周辺的である。しかし科学が人間と宇宙の関係を究極の目標とするなら、生物学は中心的な位置を占める。生物学は人間の本性に迫るものであり、現代思想の形成に寄与するものである。」、「科学者が自分の仕事に哲学(自然哲学)という言葉を使うことは軽率といわれそうだが、自分はこれを正しいと考える。なぜなら科学者は現代文明の中で自分の学問を考え、科学から生まれる思想によって現代文明を豊かにしなければならないからだ。」という。モノーの時代は「大腸菌での真実は、象でも真実だ」という分子生物学の哲学の果たした役割は偉大であった。モノーは普遍性の基盤はDNAのセントラルドグマにあり、合目的性の基礎は蛋白質であると確信した。生命は合目的的であり、よりよいもの、より高次なものに向かって進むという前提がある。本書の題名「自己創出する生命」という言葉は、細胞の中のゲノムの働きを解明するということである。受精卵細胞は進化の名残を持っており、1個の細胞から多細胞となり、DNA発現型の異なる組織細胞を形成しながら、成体にまで創生される。これは人類発生のドラマである。ゲノムにその仕組みが埋め込まれているはずである。「知の体系」として生命を見ると、全体として生命は理性の力で分解され、物質化され還元されて今日の生命科学が出来上がっている。これを再度全体、創出(自己組織化)、多様性で捉えなおそうという。その中心にゲノムがあるというのが本書のミソである。なお自己創出(自己組織化)という言葉は、発生分化という個の創出という意味に限定されている。複雑系の科学から見たスチュアート・カウフマン著「自己組織化と進化の論理」(ちくま学芸文庫 2008年)とは違うのである。

2011年3月11日の東日本大震災と東電福島第1原発事故を機にあらわになった、現代の科学文明が抱える問題は、「人間は生き物であり、自然の中にある」という原点からしか解決できないと中村桂子氏は考えたことが本書執筆の契機となったようだ。そしてまず科学者が日常感覚と思想を持って、一人の自然に住む人間であることを自覚することである。東日本大震災の時、専門家特に科学者のありようが気になったと中村氏は述べる。見えてきたのは全く信頼を失ったみじめな姿であったという。さらに輪をかけて恐ろしいことは、震災と原発事故直後は、科学者・技術者の中にある種の緊張が生まれ反震災に反省の意識がみられたが、今や元通り、いや以前よりも先鋭化して、日常や思想はどこ吹く風というばかりに金に狂奔する姿となっていることだ。根本のところで何一つ変わっていない。震災を経済成長のてこにしようと政府産業界が暗躍するように、震災にかこつけて巨額の研究費にありつく「役に立つ研究計画」の作文に明け暮れているのである。「転んでもただ起きない(禍転じて福となす)」とばかりに、官僚機構と同じくアカデミックが復興予算の分捕り合戦に狂奔している姿は、地震・原発事故を前に茫然自失する哀れな姿よりなお一層救いがたい滑稽さを見るのである。「経済成長が国の政策のすべてであり、それ支える科学技術を振興する」という大義名分に、頭の空っぽな科学者・技術者らが燃えているのである。GDPの増大で誰の暮らしがよくなるのか、どのような生活が豊かなのか幸せになれるのかという問いも答えも考えていません。経営者・科学者・技術者は目隠しをされた競走馬に過ぎません。政治の世界で右も左も「改革」を叫ぶ姿に似ています。問題は中身です、より悪くなる改革もあるのです。3.11大震災は誰も思ってもいなかったことが起きたという事実を前に、科学者はどうあらねばならないかを考えることが本書の出発点です。ホリエモンのみならずすべての科学者にとって「想定外」だったのです。「人間がすべてを制御する」という科学技術・工学の発想は傲慢な態度を生みました。自然を勝手に想定しその中に閉じ込めることは、大規模地震と津波の発生確率はとてつもなく低いので緊急時事故対策は不要という安全神話を生みました。プロメテウスから火(原子の火)を授かった人類は、傲慢にもコントロールできずにその火で身を焼く羽目になったのです。つまり自然に対して「想定」はあり得ないのです。建築家の伊藤豊雄氏は「あの日からの建築」において「私が固執してきた東京の建築は、見えない巨大資本の流れを可視化する装置に過ぎない。そこに夢もロマンも感じることはできない」と言っている。事故について語る科学者や技術者に対して多くの人が露に不信感を示した。科学技術によって「進歩」を続けてきた都市文明を問い直さなければならに。つまり本書は科学技術文明批判という切り口で読むことができます。一極集中と均質化を特徴とする都市文明は、科学技術の大規模化を要求し、地方を犠牲にし(地方に原発を設置)収奪する(電力を都市に送る)体制を作った。科学者・アカデミックに対しても「選択と集中」原理を振りかざして細々とした独創研究を奪い、戦略研究という大規模な金で研究者を奴隷にし、ハメルンの笛吹きよろしく研究者を操って地獄へ猪突猛進させたのである。ではこの仕組みから離脱するには、国家における科学・技術政策の改革はもちろん、一人一人の科学者が「自分は決して専門家エリートではなく、自分は生き物の一人であること」を自覚することからはじめますと著者はまず提案する。その視点から近代文明を転換する切り口を見つけ、少しづつ生き方を変え、社会を変えてゆこうということだ。このアプリオリな提題は私には、社会の問題を急に個人の問題にすり替えるように思える。はたしてこの提案が、文明批判であるならばそれでもいいとしても(哲学者・知識人の独り言として、しょせん力にはならないと感じるからである)、科学者・専門家を取り巻く閉塞的環境を打破することにはならないと思えるからである。そして社会一般の人々は今回の事故を教訓にして、科学の専門家にお任せではなく、「科学への盲信」を捨てることから始めなければならない。そうしないと原発の再稼働はすぐにでもやってくることになる。なぜなら原発推進によって科学者・技術者は利益を得る構造の中にいるからである。宇宙が最初にもっとも単純な水素原子からヘリウムに始まって、核融合によって次々と重い元素を作り星を形成した。もちろん融合を起こしたのは強い重力と超高温のせいである。まず素粒子がありきから宇宙の進化は開始された。生命は水の存在下に起こるべくして発生したと思われる。統計的分子衝突だけからでは生命の誕生は説明しきれない。それを補うのが複雑系の科学である。ヒトの誕生までに約38億年かかった。ヒトと近縁関係にある霊長類のチンパンジーの遺伝子配列(DNA)は32億対とほほ同じであり、ゲノム解析によると配列の違いは1.2%(意味のある変異かどうかは別として)に過ぎなかったそうです。ヒトの特徴は2足歩行、手によって道具を作ること、大きな大脳皮質、言語を持つ、想像力を持つことといわれるが、霊長類の中で比較するとこの特徴は必ずしもクリアーではない。大きな大脳皮質、言語を持つ、想像力という特徴は実は根源は同じであり、脳の発展過程を表現しただけのことだ。2足歩行が根源的差異かというと、それはサルを2足歩行させたら、大脳皮質が大きくなり知性が生まれることを実証しなければならない。こういったヒトの特徴づけは後付けのお喋りにすぎないのであって、結果だけが進化ということになる。進化とは無数の分岐点での選択からできており、いろいろ言い出せばきりがないのである。

1) 近代文明を問う

16世紀から始まった西欧の科学文明、それから300年後の日本の明治維新後の近代国家建設と西欧文明の移入によって、人々が求めてきた文明とは何より「便利さ」と「豊かさ」だったといえます。アダムスミスの「国富論」(諸国民の富の源泉についての考察)でも豊かさを求めて、分業によって生産性を向上させ、商業によって市場を拡大し、そこで得た利潤を再投資してさらに事業と利潤を拡大することでした。そこで果たす貨幣の役割の重要性は言うまでもありません。豊かさを進歩と呼び、その様な社会を文明社会つまり先進国の象徴としました。ところが人が生きるということは、時間とともにあることでその中で思い出を紡ぐことです。何も先を急いだり手を抜いたり、お金を積み上げることではありません。日本の近代化とは結局「東京一極集中」の中央集権制のことでした。大阪市の橋本市長は東京都の分け前がほしくて、大阪「都構想」という中央集権支配体制(ガバナンスという)をもくろんでいますが、地方分権と真っ向から矛盾します。収奪体制の頂点が2つあることも矛盾です。1990年以降アメリカ式金融資本全盛時代となって以来、経済は実体を離れカジノ投機資本により翻弄されています。それが何回も金融危機をもたらし、世界経済を混乱させました。大阪大学の堂本卓生氏は堂目卓生著 「アダム・スミス」(中公新書 2008年3月)においてアダムスミスの「道徳感情論」に注目して、「道徳感情論」から「国富論」が生まれたという。アダムスミスには他人の不幸を思いやる倫理(道徳)がありました。アダム・スミス著 「道徳感情論」(岩波文庫 2003年)では「秩序を導く人間本性 」として、「道徳感情論の主な目的は、社会秩序を導く人間本性は何かを明らかにすることである。私達は、自分の感情や行為が他人の目に晒される事を意識し、他人から是認されたい、或いは他人から否認されたくないと願うようになる。この願望は人類共通のものであり、しかも最大級の重要性を持つものだと考える。経験によってすべての感情、行為が、すべての同朋の同意・是認を得られるものではないことを知る。そこで経験的に自分の中に公平な観察者を形成し、その是認・否定にしたがって自分の感情や行為を判断するようになる。同時に他人の感情・行為も判断する。基本的に胸中の公平な観察者の判断に従う人を賢人といい、常に世間の評価を気にする人を弱い人という。」という。 また「繁栄を導く人間本性」として「私たちは他人といっしょに悲しむ事より、他人といっしょに喜ぶ事を好む。富は人間を喜ばせ、貧困は人間を悲しませる。我々は自分の境遇を改善したいと望むのは、同感と好意と明確な是認とをもって注目されることが全目的である。経済の発展は最低水準以下の生活(貧困)にいる人の数を減らす事である。しかし弱い人の心情は自己欺瞞ではあるが、経済を発展させ社会を文明化させ、他人をも豊かにさせるのである。自分の生活必需品以上の富を生産する事で幸福が平等に分配され、社会は繁栄する。富と地位に対する野心は,社会の繁栄を押し進める一方、社会の秩序を乱す危険性がある。下流と中流の人々は財産への道を進む事によって、徳への道も身につけることができる。」という。経済学の祖スミス、ハイエク、ケインズにはどのような社会がいいかという道徳や思想があった。決してお金の額GDPを暮らしやすい社会づくりの基本とはしなかった。

自然(生活)から離れてしまった現代社会を見直すには、まず科学文明が作ってきた世界観を問い直すことから始めなければならないと著者は力説する。ではその近代的世界観とは何かを、大森荘蔵著「知の構築とその呪縛」(ちくま学芸文庫 1994年)の定義に依ります。大森氏は「世界観とは、学問的認識を含んでの全生活的なものである。自然をどう見るか、人間生活をどう見るか、どう生活し行動するかを含んでワンセットである」という。この全生活的世界観に根本的な変革をもたらしたのが近代科学であったと思われるので、原発事故という近代科学の失敗をまえに、科学の全否定に走るのか、それを正当に乗り越えるのかで岐路に立つが、これほどの文明を否定しては原始生活に戻ることになるので、科学文明を問い直すことで再構築が可能かどうかという検討が正当な対応ということになる。開けたパンドラの箱を閉めることも選択肢に入る。プロメテウスに火を返すこともありうる覚悟で検討しなければならない。近代社会の特徴を「科学技術社会」と捉えると、科学技術者つまり専門家のありようが重要になってきます。今回の原発事故で官僚や科学技術者(医者も含めて)の考え方が偏狭で一部の利害からしか発言しないものだということがよくわかり、社会からかけ離れた考えや行動パターンに国民は嫌気がさし、専門家に言うことは信じないという風潮が広がりました。政治的に動く官僚と組織の利益を大事にする科学技術者が作り上げた原発「安全神話」は、もともとコミュニケーション不能な状況で国民がギブアップして原発の安全性を考えなくなったときに、便利な錦の御旗として原発推進役を果たしました。アカデミズムは「役に立つ科学」を標榜して、政治的経済的な利益に結び付きました。研究の意義と効果を作文して巨額の予算を獲得すること自体が専門家の至上命題になったのです。研究結果も作文でだれも責任を追及する人はいません。独法機関の評価委員会審議を見れば、いかに形式的に終始しているかが分かります。誰も評価できる人が居ないか、へたに評価すると逆襲されることを恐れているからです。こうして戦略研究やプロジェクトは自己肥大してゆくのです。これはまた官僚の予算獲得と連動しています。その悪しき例を日本のポストゲノムにみることができます。2003年にヒトゲノムプロジェクトを終えたアメリカは次のターゲットをガン遺伝子にあてました。現在一筋縄にはゆかないがん関連遺伝子研究に悪戦苦闘していますが、その複雑な関連について解き明かす日が来るでしょう。ところが日本の大型プロジェクトでは、「ゲノムの後はタンパク」という単純な発想で3000個以上の蛋白質構造を決めるという質より量の大型研究に巨額の資金を投入しました。そこには医療や生命科学への明確な戦略は全く感じられません。もっとも忌むべきは、復興資金を利用して東北大学が始めた「東北メディカルメガバンク機構」です。被災地の現状を考えると、東北人の遺伝子情報をむやみに集めて何の役に立っつのでしょうか。国民総背番号制で社会福祉・納税・収入などの情報を集約することさえ国民的合意が得られない現状で、東北人の遺伝子情報を集めるのは「ナチスの優性人種主義」につながる恐れや、個人情報を集めたがる中央集権官僚臭がぷんぷんします。ここまでアカデミズムが普通の人の生活感情から離れてしまって、まるで神のような立場にいることに恐怖を覚えるのは私一人ではないでしょう。原発事故後に政府がリスクコミュニケーションのために言い出した「安全と安心」というキャッチフレーズは、言い換えると「絶対に安全とは神のみぞ知るので、人は安心感を持って行動ほしい」ということに尽きる新手の安全神話構想である。日本の社会は事故に向かい合う姿勢を欠いてきた。西欧では危険はいつも背中合わせにいることを子供に教えますが、日本では「鉄腕アトム」の歌のように未来技術に無条件にバラ色の夢を吹き込みます。科学技術者に対する世間の信頼が崩壊した今、必要なのは科学技術者の反省の姿勢です。それも「のど元過ぎれば熱さ忘れて」、また無節操に研究資金獲得に血眼になる姿を見せつければ、日本の再生の姿は出てこないでしょう。大都市に集約する電力需要にこたえるため作られた大規模集中型9電力会社体制にお願いしても「自然・再生エネルギー」には見向きもしません。多様な電力需要と多様な発電・送電体制が地方の生活に密着して構成されなければ現実味を帯びません。

2) 機械論から生命論へ

このあたりから、中村桂子氏の著述はほとんど大森荘蔵著「知の構築とその呪縛」に則った展開となる。そういう意味で本書を理解するには大森氏の書を読む必要があるので次に紹介する予定である。ひとまずここは中村氏の口を借りた大森氏の哲学・文明批評を述べる。近代的世界観とは16世紀から17世紀に起きた科学革命に端を発する。近代科学とともに生まれた近代的世界観は「機械的世界観」と呼ばれます。近代科学を準備し構築したのは、ガリレオ、デカルト、ニュートンでした。近代科学の父といわれるガリレオは「自然という書物は数学で書かれている」といいます。つまり科学は自然を数量化して関係を表現できると考えました。デカルトの自然観は自然を徹底的分析して、幾何学と代数的ですべての運動を表現する機械論そのものでしたベーコンは「知は力なり」という言葉で知られており、自然の操作的支配ゐ唱えました。実験による帰納的方法の必要性を説きました。ニュートンは古典力学と微分法を開始し、光学〈光の粒子性)と力学で多くの業績を残しました。万有引力の法則は20世紀はじめアインシュタインの相対性理論でさらに重要性をまし、素粒子論や宇宙の起源論で飛躍的な進歩を見ました。すべてのものを還元可能な粒子に分解し、あらゆる現象に普遍的な性質を探究する科学への道を開きました。ここから事柄は一意的に動くという考えが出てきました。もちろん統計力学(熱力学)や量子力学(波動と量子)で修正を受けますが、決定論的に動くという考え方は普及しました。つまり「還元性、普遍性、、決定論」というのが科学の特徴となりました。大森氏は生命や自然を機械としてみることの問題の核心は、数値化にあるといいます。そしてさらに数値化する際に、対象たる自然を死物化しているといいます。数値化(抽象化)はいいとしても、死物化を回避することで新しい知が開けるというのが大森氏の論点です。大森氏が呼ぶ「死物化」という言葉は実がガリレオから引用している。「私が物体を考えるとき、形態とか数とか運動をイメージとして描くのであり、その物質に対して主体がもつ感覚は遠ざけられ、物質の感覚的性質はすべて消え失せる」という。数字で表現できない感覚的性質は無視されるのである。生きた自然も観察的主体にとっては「死物」であるとみるところから科学文明は始まった。これを主客二元論という。大森氏は「活きた自然との一体感は現代科学でも可能である」と書き、20世紀の思想を変えるカギとなると考えました。「日常描写と科学描写の重ね描き」がそのポイントになると大森氏はいう。日常的にみる外界と接しているとき、大森氏は我々が描く世界像は「略画的」(全体のスケッチ)と呼び、近代科学によって可能になった世界像の描き方を「密画的」(細部分析的)と呼びます。天文学のケプラー、血管循環論のハーベイをはじめ、近代科学を切り開いた巨人たちは自然・人体の密画化を極めてゆきました。等身大で考えることができない天文学や細菌学などの分野で対象の「死物化」(抽象化)が行われました。人間も死物化されたのです。「医者は患者の生活(年齢も含めて)を見ないで、臓器を見る」という言葉も、患者の死物化です。重ね描きとは、人間の生活と臓器の両方を見ることです。そうすれば医者は外科的切除に走らずに、QOL(生活の質)の向上が図れることと同質です。他人の心の細部はよくわからないが、すっきりわかるのは自分の心の動きです。自分の心から他人の心を察するのを「私に擬した理解」と大森は言います。では分子生物学を略画で描くとはどういうことでしょうか。ここから中村氏は「生命誌」の世界へ導く。原始の細胞から同じ仕組みで遺伝子を進化させてきた「生き物は、生きる基本を同じくする仲間」と理解するのです。個人的主観的といって排除した心に不安を覚えているのが現代人です。大森氏は「むしろ、科学こそすべてという見方こそ現代人の迷信である」という。そこで大森氏は心の働きすべては自然の働きだという「物活論」(ギリシャイオニア学派の反機械論)を復活させます。ちょっと違うけれども、唯物論か唯心論かということになります。物すべてに魂があるという「アニミズム」にも通じる考え方で、いかにも東洋的で自然一体化論ですが、ちょっと飛躍していて私は賛同しかねます。大森は「心ある自然が立ち現れる。それが私がここに生きていることに他ならない」という。主観と客観の分別もない一心同体の世界である。科学は知ることつまり知識を軸に営まれてきた。しかし肝心なのは事実を知ることから何が分かったのかということです。つまりわかるということは部分を知ることではなく全体が見えてくることです。この辺の論は武谷光男氏の弁証法的3段階認識論(現象ー実体把握―法則化)に近いと思われる。ここで中村氏は大森氏の密画と略画の重ね合わせで見えてくる全体像を、「生命論的世界観」に我田引水します。本書の流れは言うまでもなく、原発事故という近代科学文明の失敗が引き起こした文明の危機、そして大森荘蔵哲学を下敷きとした近代科学文明の2元論の誤謬と重ね描きの方法論的展開、最後に中村氏が関わってきた生命科学研究「生命誌」という知の構築へ流れ着くという構成です。

3) 日本人の自然観

人間と自然の関わり合いでいつも話題となるのは和辻哲郎の「風土」であり、オギュスタン・ベルクがその解説をしている。「自然が人間生活を規定しているのではなく、人間存在の構造契機として風土が意味を持つ」という。ユクスキュルの「環世界」にもつながる。先の大森氏の言葉「心ある自然が立ち現れる。それが私がここに生きていることに他ならない」の「立ち現れ」にリンクする。中村氏の「生命誌」ではあらゆる生物にとっての「環世界」と人間にとっての「風土」を意識してゆきたいという。日本人にとって風土とは、「里山」、「棚田」はその象徴です。日本人が生きる風土を略画的世界観としたときに、どんな重ね描きができるかを、宮沢賢治と南方熊楠を例にして考えようと中村氏はいう。「無為自然」を説く老荘の教えでは近代科学文明を批評することはできても、それに代わるものを構築することはしょせん不可能である。東洋的専制君主支配を安泰にする民力不活性化理論(民の反抗力を鎮静化する君主論の一種)であるからだ。自然一体化論(アニミズム)ではやさしくはなれるが、呪術では世界観変革のエネルギーにはなりえない。中村氏の期待に背くことになるが、色ごとにしか興味がなかった日本的自然観が近代科学思想を変革するとはとても考えられない。原発事故で反省をすべきは日本人であって、原発事故を起こしたのは西洋の科学崇拝思想で悪いのは日本的思想ではないと考え、その日本人の伝統的思考法に変革の期待をむける中村氏の論はいただけない。同義矛盾か論理が相反している。ここでも反省しない日本人の心が如実である。理科教育で日本人は「自然を大事にしてきた」と中村氏はいうが、日本人だけが特別に自然を大事にしてきたとも思われない。そうすれば「環境問題」は起きなかったはずだ。また一時期の農業に親しむ教育が「自然の中にある人間」形成に役立つとも思えない。英会話や株投資教育よりは自然に近いといっても、自然破壊は個人のことではなく経済界・産業界の大きな枠組みで行われている点を見逃している。宮沢賢治の童話の数々から、谷川徹三編 宮沢賢治童話集 「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」 (岩波文庫)より賢治の人々の生活を思う心は十分にわかるが、吉本隆明氏は「宮沢賢治の世界」で「自然は変えられるというのが、宮沢賢治の重要な思想だ」と述べている。中村氏は賢治の童話作品群より「グスコープドリの伝記」、「土神と狐」、「虔十公園林」を取り上げ、「本当の賢さ」、「本当の幸せ」が賢治のテーマだという。そして賢治の世界に生命誌のテーマを見るという。「当たらずといえども遠からず」式の両者の間にそれほどの連関を私には発見できない。東北の貧困の中で生きた明治の人のひたむきな真面目さは理解できても、科学というものが希薄だった頃の素朴さが略画的世界だとか自然観だということにはならない。南方熊楠という人は、全くアカデミズムに近づかなかった人として有名である。学校も出ず、留学しても学校に行かず、帰国してアカデミズムに属さず、野外で粘菌の研究と民俗学にいそしんだ人であった。したがって天才か狂人かその評価は難しい。常人の域を脱した博学であることは確かである。熊楠の言葉に「心界が物界と交わって生じる事柄の重要性」とある。接点を「縁という。」中村氏はこのことは生命誌のなかで同感するという。熊楠の思想のるつぼは「南方曼荼羅」と呼ばれているが、神羅万象の複雑な関連図をさし、その形式の複雑さは生物学でいう代謝経路図にも通じるという。それが曼荼羅の様相をさす。21世紀の科学はまだ複雑系を理解する手法を開発していない。熊楠は「今日の科学、因果(決定論)は分かるが縁(生命論)が分からぬ」というが、21世紀の科学は、決定論から生命論へ変わる生命誌の出番だと中村氏は我田引水している。科学計測の分野では観測者は観測系に影響を与えてはいけないことが原則である。ところがポランニーは対象に住み込む(コミットメント)ことでわかる「暗黙知」があるという。知もしくは認識は必ず言語化されなけばならない。ポランニーは言語化できない知、それが暗黙知だという。

4) 生命科学の道

この章は中村氏が館長を務めるJT生命誌研究館の歴史と目標及び中村氏の生命科学研究について概説する。生命誌研究館についてはJT生命誌研究館ホームページを参照してください。生命誌研究館とは、京都大学人文科学研究所に似た、多面的な研究討論で切磋琢磨する生物学サロンともいえる。だから研究所ではなく研究館なのだ。研究者の梁山泊的な存在でしかも民間企業JTがスポンサーである。企業の意志が前面に出ないことで知られる三菱生命科学研究所よりはもっとサロン的で、社会に対して開かれたパフォーマンスを心がけている。子供でも行ける科学博物館的な性格も備えている。設立は1988年なので25年ほど経過した。中村氏は東大理学部化学科生物化学専攻で、江上不二夫氏の薫陶を受け、渡邊格氏の指導を得た。1970年代江上不二夫氏は生物学を人間を対象とするものに変えようという「生命科学」を提唱し、「生命とは何か」という問いから始まった。つまりDNA研究を基礎として生物学の総合化を企てたのだ。当時生物学は分子生物学というファイン領域と生態学というグロス領域に分裂していた。1970年代は世の中では環境問題、エネルギ―問題(石油ショックから)が顕在化した。その時通産省は「サンシャイン計画」、「ムーンライト計画」、「ニューサンシャイン計画」を推進したが結局ものにならず、政府は別の道である原発一本やりの政策を推進したのである。1970年代アメリカではがんとの闘いというライフサイエンスプロジェクトが始まっていた。その実態は生物医学であり、医療の科学技術化だった。臓器移植ではバイオエシックスという分野ができたが、倫理問題というより経済的問題からの線引きに過ぎなかった。そしていま日本で生命科学と呼ばれているものはじつはこの「アメリカ式ライフサイエンス」のことである。日本の科学技術予算で生命科学研究に投資されるのは、役に立つ、具体的には医学につながる(病気治療)、経済効果のあることに集中しています。「生命を見つめて新しい生き方を探る」のではなく、「人間を機械とみてその故障を直して技術開発」にお金をつけるのです。2003年いゲノムプロジェクトは終わりましたが、遺伝子治療は期待通りには進んでいません。そして日本ではゲノムは終わったと称して、ゲノム研究には予算がつかなくなりました。なんとアカデミックの浅はかな流行現象でしょうか。脳研究は一時21世紀の初めに流行しましたが、脳やガン研究は今や流行から外れています。「集中と選択」という官僚好みのスローガンで、継続した研究は不可能となりました。現在のアカデミックな研究課題は大型プロジェクトに集中します。研究費のばらまきはよくないという理由で、研究者の発想で生まれた新しい研究の芽は大事にされません。機械論的世界観に基づいたライフサイエンスはアメリカのまねをして競争原理に染まっています。研究課題は中央集権化し均質化し大型化が求められます。質より量の動機で支配されています。こうなったのも近代科学文明のなせる業です。異質な研究課題を認めないという偏狭な科学政策になっています。グローバル金融資本と手をつないだ科学技術文明は、一律化を求めて突進するのです。これではいけないと、多様性を求めてより自然に近づくため、生命誌研究館は研究課題を設定します。少ない予算で動いている生命誌研究館には研究員は少なく、5つの少ない研究テーマで動いています。内容は多様ですのでちょっと紹介しますと、@石川良輔研究グループの「オサムシ研究」は、DNA配列の系統分析から、日本列島の形成過程を追っています。A蘇智慧研究グループの「イチジクコバチの共生研究」、B小田、秋山康子研究グループの「オオヒメクモの体節研究」、D尾崎克久研究グループの「チョウ研究」で人口産卵です。膨大なデータは出ませんが、なんか昔風ののどかな研究体制です。しかし独創的です。


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