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服部茂幸 著 「新自由主義の帰結」

  岩波新書 (2013年5月 ) 

なぜ世界経済は停滞するのか 新自由主義のもたらす金融危機は実体経済を破壊する

2008年のリーマンショックによる世界金融危機以降、世界経済はいまだ立ち直っていない。政府による外部救済措置(市場の自由を自ら踏みにじる経済行為)を受けた巨大金融機関は淘汰されず、2013年の今日、大幅金融緩和策によってまた策動を開始した。インフレと圧倒的な円貨幣の印刷を呼び水にして、金融を中心とした景気回復を狙っている。しかし枯渇した実体経済に投資対象はなく、目立ったバブルの動機もなく、巨大金融資本の「夢よもう一度」は前の過ちを何回も繰り返そうとしている。新自由主義は1980年代にレーガノミクスに始まり、ブッシュ親子に受け継がれて、企業及び裕福層の減税措置、スーパーリッチへの富の再分配、中間層の破壊、貧困層・労働者の低賃金化、福祉の削減を促進して格差社会を生み出した。日本では2001年小泉政権による構造改革が新自由主義の最悪の結果を招来した。橋本内閣の「金融ビックバン」はまだ日本的な銀行中心主義を残していた。2013年4月「アベノミクス」は日銀が音頭をとってインフレターゲット2%を設定し、国債の大量発行と日銀の買取りによる市場への無制限な円の流通を促進する金融緩和策のことである。これは世界的な金融緩和策を受けてグローバルの動きが背景にあり、世銀では年末にも引き締め策に転じる情報発信をしているし、株高・円安という証券・為替の動向もわずか3か月で急ブレーキがかかり、3月以前と同じ水準に戻った。数百兆円の規模を持つといわれるヘッジファンドや巨大金融資本は投資対象(高利潤市場)を求めて暗躍を始めているが、かってのIT市場・住宅市場・証券市場のバブルはなく、小刻みな動きを繰り返している。2008年の世界経済の危機は1930年代と同じく、自由市場経済の破たんを物語っている。資本主義の危機は反省なしに性懲りもなく繰り返すのである。アメリカの中央銀行にあたるFRBは物価安定と持続可能な雇用の最大化に責任を持つ。その議長バーナンキはアメリカ経済の完全復活(?)にはなお時間がかかることを何度も述べている。欧州の状況はさらに深刻である。GIIPS諸国(ギリシャ・イタリア・アイルランド・ポルトガル・スペイン)の財政危機はユーロ危機を引き起こした。ポストケインズ派の経済学者は21世紀のアメリカが抱える問題に絶えず警告を与えてきたが、新自由主義経済学の主流派経済学者は、自由な金融市場がリスクを適切に管理し、優れたFRBが物価の安定に成功しているとして、日本のような長期経済停滞はあり得ないと主張してきた。ところがその政策が失敗し、史上最大の政府による金融介入を必要とするなど新自由主義経済学の破たんは隠しようがない。証券市場注進の優れた金融システムを持つアメリカでは金融危機は生じないとFRB関係者は本気で信じていたようだ。世界一頭脳明晰な賢人の集団でこの事態を引き起こしたのだ。1980年代以来のアメリカ経済を支えたのはバブルによる見せかけの繁栄と、ドルが基準通貨であったことによる。このドルの特権がなければアメリカは欧州化していたのではないだろうか。基準通貨という神にも似た地位を獲得できたのはなぜか、よく考えてみよう。

ケインズは1983年にこういった。「経済学や政治家の思想は、正しくとも間違っているにしても、その指導性は強力である。世界を支配する思想はそれ以外にはないからである。政治家という実践家はかっての経済学者の主張の奴隷である。権力の座にある政治家は数年前の三文経済学者の言うことを後生大事に実践しているのである」 日本の政治家を例にすれば、ある政権が誕生するとそのブレーンとなる経済学派が施政方針を固めるのである。政治家が経済思想を勉強しているとは思えないのでほとんどそのブレーンの言いなりに動いている。こうなるとブレーンというよりは、政権を取ったのは経済学派であって首相はお飾りに過ぎないかもしれない。かくも主流経済学派は政治的である。政権を取らない限り、経済政策は実行できないのである。そういう意味では「良識的・見識ある経済学派」といえど、政権の座に上らないかぎり、犬の遠吠えであって、資本主義国ではマルクス経済学は永遠の外野である(日本共産党が永遠の野党というように)のと同じ位置にある。今の安部政権はインフレ論者が固めている。ポストケインズ派は大学の片隅でぐちを言うに過ぎない。新自由主義によって世界経済危機を何度繰り返そうが、新自由主義の愚かさを学者がいくら指摘しようが、世界経済思想は一向に改まらない。筆者服部茂幸氏は、FRB前議長グリーンスパン氏や現議長バーナンキ氏を三文経済学者またはその隷従者である実践者かもしれないという。誤ったマクロ経済学に取りつかれたFRBが世界経済を崩壊させたのであると彼らを断罪する。権力の座を獲得しない限り経済学派は無意味である。すると経済学が先か政権が先かというジレンマになる。経済学は人間が生きてゆく方策を意味するのであれば、人々を従わせる権力をもつ政権に経済学派が君臨しなければならない。アカデミックは何の価値もない経済学であるかもしれない。良識の府と自称して、現政権の施策の過ちや不備に警鐘を鳴らすより、経済学者は政治家と同じように政権を狙うしかないといえる。また経済学は果たして科学なのだろうかという疑問が生じる。なぜなら、経済学の学説は線形関係しか言わないからである。複雑な関数関係、定量関係に踏み込むにはあまりに曖昧である。要因一つをいじくると、ほかの要因が変化しその主従関係さえ不明である。まして経済効果を要因で計算することは不可能であり、リスクでさえ計算することはできない。すると経済学は科学というより政治である。したがって経済学は権力を握らない限り、実証不能な説教に過ぎない。本書を読んでつくづくそのような考えを抱くに至った。ここまで過激な思想を持つように見える服部茂幸氏とは何者なのだろうか。本書巻末によって紹介すると、服部茂幸は1964年大阪生まれ、1988年京都大学経済学部卒業し、奈良産業大学を経て福井県立大学経済学部教授となる。専攻は理論経済学、マクロ経済学、金融政策である。主な著書には、『所得分配と経済成長 : ポスト=ケインジアンの経済学』(千倉書房 1996年6月 )、『貨幣と銀行−貨幣理論の再検討』(日本経済評論社 2007年10月 )、『金融政策の誤算−日本の経験とサブプライム金融危機』(NTT出版 2008年12月 )、『日本の失敗を後追いするアメリカ―「デフレ不況」の危機』(NTT出版 2011年6月 )、『危機・不安定性・資本主義: ハイマン・ミンスキーの経済学』(ミネルヴァ書房 2012年12月 )などがある。ということで服部茂幸氏はポスト・ケインジアン学派に属し、ハイマン・ミンスキーなどから多くのことを学んだようだ。本書の構成を見ておこう。内容としては5章からなり、第1章は新自由主義とは何かについての総論、第2章はアメリカの経済復活は幻想だった、第3章はカジノ資本主義が起こした金融危機、第4章は全世界の貿易収支の不均衡について、第5章は金融危機から財政危機へ、そして終章である。

第1章 「新自由主義とは何か」

1930年代、ケインズは世界恐慌は自由放任経済の帰結であるとして、政府による総需要管理の必要性を訴えた。ルーズベルト大統領のニューディール政策、財務長官メロンの金融機関の破たん放置策は必ずしもケインズ理論に依拠したわけではないが、雇用や金融安定化の面でも成果を上げた。ケインズやニューディール政策の考えを受け継いだ戦後資本主義を形成したのは、冷戦下における福祉国家論であり、大きな企業・大きな政府・大きな労働組合の資本主義であった。日本はその優等生になったのであるが、それは良き日本の伝統とまで言われたのである。(政治的には自民党の55体制をさす) しかしハイエク、フリードマンなどの新自由主義経済学者たちは、大きな政府は市場の効率を妨げ自由を奪うとして、ケインズ主義と福祉国家に反対した。1970年代の石油ショックに始まるスタグフレーション(不況とインフレが共存)は、戦後資本主義とケインズ経済学の見直しを迫った。フリードマンはスタグフレーションは不況下でも賃金が上昇するケインズ経済政策の失敗であると攻撃し、1980年代よりサッチャー・レーガンの新自由主義にもとずく政権が誕生した。アメリカはIMFと世銀の人事スタッフを独占し新自由主義政策は全世界に広まった。そして1990年東欧とソ連邦の社会主義政権の崩壊によって、冷戦の桎梏から解放された資本主義は金融資本主義へと大きく変質した。新自由主義とは政治面を別にすればミクロ経済学のことである。需要と供給の一致するところで、価格と労働が決まるとする市場主義のことである。労働市場では賃金を下げれば失業はないとする(生存権を切るまで賃金を安くすることができるのか?)。金融面では、政府は効率的な金融市場には介入してはならないということになる。フリードマンは投機は市場を安定化させると述べたことは有名である。金融緩和をすれば総需要は増加し、インフレが起き生産量は増加する(好況とインフレが共存する本来の関係になる)という。レーガノミクス、アベノミクスとはまさにフリードマンの新自由主義経済学派の忠実な追従者である。政府による需要管理に必要性を論じるケインズ経済学に基づくマクロ経済学(著者の立場)と、市場メカニズムによる需要供給均衡論からなるミクロ経済学で戦後資本主義は動いてきた。しかしマクロ経済学とミクロ経済学には本来整合性はない。市場での選択という自由と、福祉における社会権の自由は違う概念であるのに、新自由主義者は後者の価値を無視し、前者の自由を唯一の自由の定義とした。極論すると新自由主義者の言う自由とは、政府の課税は個人の財産権を略奪する行為であり個人の自由を奪うとまで言う。だから減税を主張するのである。福祉国家は個人の財産を奪うので小さな政府を主張する。福祉国家を否定し、貧困者は国家が救うのではなく、個人の憐れみである慈善事業で救うということがアメリカの文化だという。新自由主義は戦後資本主義を批判して、次の4つの政策を主張する。
@供給サイドの重視:戦後資本主義の総需要管理政策を批判して、供給サイドの改善を主張する。しかし産業政策ではなく、市場の規制を緩和し減税をすることである。
A金融の自由化:戦後資本主義の金融システム規制政策を批判して、金融市場の自由化を主張する。バブルと投機資本による金融危機を招いた。
B富の創出(トリクル・ダウン):戦後資本主義の福祉国家政策を批判して、富の分配よりは富のトリクルダウンを期待した。スーパーリッチへの富の集中となった。  
C市場の自由:戦後資本主義の福祉国家による経済活動への介入政策を批判して、市場の自由を主張した。小泉政権の構造改革は民営化路線と格差拡大であった。 

1990年代から「失われた20年」の日本経済の停滞時期に、アメリカの経済は新自由主義政策によって本当に復興したのだろうか。比較的景気の良かった2002年ー2007年(日本ではいざなみ景気の時期、アメリカはj住宅バブルの時期)のIMFの先進20か国の一人当たりGDPの伸びでは、アメリカと日本はほぼ同じでとくにアメリカがよいわけではなかった。そして政府支出のGDP比は最低で、日米は公的支出の少ない小さな政府を実現していた。この時期のアメリカの経済の特筆すべき事項は、スーパーリッチ層(上位1%)の家計総所得の割合が1980年代の10%から、2000年代は20%を超えたことである。戦後資本主義時代に形成された富の平等化(分厚い中間層の形成)は破壊され、貧困化と格差拡大が進行した時代であった。9.11からアフガン戦争・イラン戦争へ戦争需要政策(軍事ケインズ主義)を推進したブッシュジュニアー時代は、政治が特定のビジネスと癒着した時代といわれる。小さな政府の資源を特定の利益共同体(コネクション)が欲しい儘にしたといえる。これは別名「縁故資本主義」ともいう。ワシントンだけが繁栄する(日本では東京だけが繁栄する)一極化であった。政治はいつも特定の利益集団のための体制である(コーポラティズム)が、新自由主義レジームは国家の力を金持ちと企業の利益のため最大限使ったのである。「小さな政府」というスローガンは、金持ちと企業減税分による収入減を福祉関係を削って政府支出減で帳尻を合わせることであった。ミクロ経済学の教科書は、市場の取引が最適配分をもたらすのは外部性がない完全競争市場であると述べる。この合理的期待仮説と効率的市場仮説は、現在の主流派マクロ経済学と金融理論の基本的テーゼである。2008年のリーマンショックと世界金融危機を引き起こしたのは、住宅バブルと証券市場の崩壊であった。こうして市場の失敗は常に発生するのである。サブプライムローン証券市場の失敗のメカニズムは春山昇華著 「サブプライム問題とは何か」 (宝島社新書 2007年11月)春山昇華著 「サブプライム後に何が起きているのか」(宝島新書2008年4月) などで論じ尽されているので省略するが、資産市場はバブルを無視し古典的な市場の規律が失われてしまったのである。これを後押ししたのがIMFグリーンスパン議長の金融緩和であった。生産量拡大の景気は需要があってのことである。需要がなければ雇用も生じない。ところが新自由主義経済学では、貨幣数量説をとる。経済の名目購買力は貨幣量によって決まると考えるのだ。財が弾力的であれば市場メカニズムによって財は調整される。そこで中央銀行が貨幣供給量を増加させれば名目購買力が増加し、金融政策によって雇用問題も解決すると主張するのである。2013年4月以来の日銀の金融緩和策はまさにその典型である。市場に流通する貨幣量を増やせば、景気が良くなるという筋書きである。ところが現在金利はほぼゼロに近いので、金融政策によって日銀ができることは何もないはずなのだが、インフレ気分を煽ることぐらいであろうか。ドルを買って為替相場に介入し、国債を大量に印刷して日銀が買い取るという政策(たこの自分の足食い)はもはや正気の沙汰ではない。国民に膨大な借金を残して間もなく破綻するだろう。大恐慌以来の経済危機は新自由主義経済学の失敗である。

第2章 「経済復興という幻想」

アメリカは1980年代以降、新自由主義経済学理論で経済復興を遂げたのであろうか。それとも産業資本主義(実経済)から金融資本主義(カジノ経済)に鞍替えしたに過ぎないのだろうか。資本主義の動因は利潤にあることは言うまでもない。しかしその利潤を得る方法は戦後資本主義と新自由主義レジームでは正反対である。競争戦略にはハイロードとローロードに大別される。ハイロードとは戦後資本主義が歩んだ道で、技術革新によって高い品質の製品を低価格で生産することで競争に勝とうとするが、ローロードとは新自由主義レジームが追及するもので、低賃金により競争に勝とうとすることである。戦後の日本が歩んできた道はハイロード戦略である。それがいまの新自由主義では工場を賃金の安い東南アジアに移し、為替レートによって超低価格製品を作ることである。そこには技術革新や造りこみや研究開発投資はなくなり、従業員の努力や能力開発という人的資源を長期的に放棄した経営に移っている。新自由主義時代では先進国は後進国の追い上げによって国内産業は衰微し、賃金停滞の圧力が強くなり、それが国内消費需要の減退となっている。そこで打たれる戦術はバブルによる消費と投資の拡大に期待することである。バブルがはじけると残るのは負債ばかりである。消費不況による停滞からアメリカの経済を救ったのは、金融の力でありバブルであった。あめりかでな1990年代後半からITバブルが生じた。IT関連株は急上昇し、マイクロソフトやアップル創業者の億万長者が生まれた。ITバブルは2000年には終了し、グリーンスパン議長は金利を歴史的水準まで低下させ、この金利低下が住宅バブルに火をつけたのである。2008年の金融崩壊の原因となったのはサブプライム住宅ローンであったことは記憶に新しい。戦後資本主義は経営者資本主義(別名では法人資本主義ともいう)といわれた。株主が会社を支配するのではなく、会社が会社を守るため株の相互持ち合いが慣習化し日本独特の法人資本主義が発展した。企業の資本蓄積が進み、資金集めに銀行依存度が低下した。これに対して1980年以降資本主義は機関投資家資本主義へと変貌した。機関投資家とは生命保険、年金基金、投資信託、ファンドなどを指す。機関投資家資本主義は金融工学といった技術革新をバックとして急成長し、金融市場の自由化(ビックバン)によって証券市場が躍り出てきた。アメリカは証券市場中心の金融システムで、日本の橋本内閣によるビックバンは伝統的な銀行中心主義を残した。1980年代は個人株主のシェアーは66%以上あったが、いまでは40%を切り、逆に機関投資家のシェアーは半分近くなった。このため企業経営者は乗っ取りを避けるため、株価上昇を目指し短期評価型経営となった。ファンドマネージャーの短期的な運用利潤の追求が企業の長期的な成長を損なうことになった。機関投資家資本主義は供給サイドではアメリカの企業と産業を破壊するとともに、需要面ではバブルを引き起こすことによってアメリカ経済を支えたという二面性を持った。

戦後資本主義を支えたのはケインズ経済学であった。巨大な政府は有効需要を管理し巨大企業の利益を守ってきた。福祉国家論は、富裕層は事故所得を貯蓄し、貧困層は所得のほとんどを消費するに基づいていた。したがって貧困層への所得移転は消費を増大させるというケインズ経済学の論理で福祉国家の所得再配分は正当化された。他方、新自由主義は第1にやったことは労働市場の自由化(多様化という美名のもとでの非正規化)と労働組合の弱体化であった。第2に金融に自由化という美名のもと、機関投資家の投機にかかわる規制を撤廃した。第3に金持ち減税、法人減税やストックオプションなど富者に有利な経済システムを擁護してきた。富者を勝ち組、貧困者を負け組として固定化し、この差別を当然視した格差社会をもたらした。この自由化政策の恩恵を被ったのは金融業であった。1980年代絶好調の日本社会と対照的に、アメリカの経済は、産業の衰退、停滞する賃金、財政赤字と政府負債、経常収支赤字と対外債務に悩んでいた。アメリカの賃金生活者の実質賃金は1970年代後半より実に40年間にわたって停滞したままである。堤未果 著 「貧困大国アメリカ」(岩波新書 2008年1月)はアメリカ社会の貧困層の実態を描いている。ところが1990年代になると日本社会の土地バブルが破たんして日米の評価は逆転した。ところが2000年代初期の日米の一人当たりの経済成長率GDPはほとんど変わらないのである。違うのはキャピタルゲインが国民所得に計上されないことで、アメリカの富裕層に莫大なキャピタルゲインが蓄積された。アメリカでは1990年代にバブルによる資産増加、負債の増加に支えられ、消費が所得以上に増加したことである。要するに貧困層は金がなくても土地価格が増大する限り借金をして住宅を買ったのである。また負債を借り換えたのである。これを旺盛な消費意欲というか、貧困ビジネスというかこれがアメリカの住宅バブルと証券バブルの実態であった。バブル崩壊はスーパーリッチ層の繁栄も終わった。アメリカの経済成長が比較的高かった1990年代後半はITバブルによって支えられた。このITバブルを引き継いだのが2000年代前半の住宅バブルであった。この2つのバブルによるアメリカ経済の復活という現象は幻想だった。幻想という意味はバブルによる需要創出は一部のスーパーリッチに富が集中したことであった。「実感なき好景気」とは2000年代の日本だけのことではなかった。富の増加を実感できたのはスーパーリッチと巨大金融機関のみであった。2000年代に日本は「いざなみ景気」が続いた。これは中国特需に代表される輸出とそれに伴う海外工場移転の設備投資だけであった。輸出産業の好況は円高となって国際競争力を喪失した。同時期に日本社会の労働市場は非正規化と賃金抑圧という新自由主義政策の猛攻撃を受けて、格差社会という歪んだ社会となった。若者を取り巻く労働市場については、朝日新聞特別報道チーム著 「偽装請負ー格差社会の労働現場」(朝日新書 2007年5月)に詳しい。

第3章 「カジノ資本主義と頻発する金融危機」

格差拡大と並び、金融危機もまた新自由主義レジームがもたらした2大帰結のひとつである。本章は著者が一番力点をおいたところである。金融危機は資本主義の宿命というべき古い歴史を持つが、戦後資本主義の時代の半世紀は世界は金融危機を経験しなかった。戦後資本主義の優れた制度が金融危機を封じ込めていた。ところが新自由主義が我が世を謳歌する時代となって金融危機も復活した。1994年のメキシコ通貨危機、1997年東アジア通貨・金融危機と日本の銀行不良債権処理、2007年欧米証券市場のサブプライムローン金融危機がそれである。アメリカでも繰り返し金融危機は生じていた。1984年コンチネンタル・イリノイ銀行の破たん、1987年ブラックマンデー、1990年代初めS&L危機、1998年LTCM危機、2000年ITバブル崩壊、2007年サブプライム金融危機である。政府が介入したことで危機にならなかった事例も多い。アメリカ金融界には1980年以降機関資本家資本主義の時代が到来し、「産業に必要な資金を供給する」という金融の役割から逸脱して、「機関資本主義の金融ルールは利益を上げることが第1である」という風に変質した。これにはアメリカ産業が日本・ドイツをふくむ産業立国の追撃を受けて衰退し、投機的金融に活路を見出そうとしたからである。1980年代後半、日本でも製造企業は自前の資金を蓄積し、資金の貸出先がなくなった銀行はバブル関連融資に走った。これが土地バブルを引き起こし1990年以降日本経済は20年間の停滞の時代に入った。金融がカジノ場に変貌すると、それが産業と経済を蝕んでいった。大恐慌が2度と起きないように、経済界は金融を規制した(江戸時代先物取引は死刑であったように)が、新自由主義の機関投資家資本主義は規制緩和と称して、金融のフリーハンドを獲得した。フリードマンは投機は市場を安定化させるとして擁護し、合理的期待仮説と効率的市場仮説は金融市場の自由化を推し進めた。その代表がアメリカのFRB前議長のグリーンスパンである。投機はしばしば失敗し、その時は市場の自由を標榜していた当人(政策当局)が市場に介入した。市場の自由とは金融資本が儲けるため(本音)の建前(手段)であって理論ではない。アメリカが経験した金融危機には証券市場の大暴落と、金融機関の不良債権による破たんの2つのパターンがあった。ブラックマンデーとITバブル崩壊は証券市場の大暴落型であり、イリノイ銀行破たん・S&L危機・LTCM危機は不良債権型であり、サブプライム金融危機は両方の型を含む。いずれの型の危機においても政策当局は公的資金投入と金融緩和(流動性供給)をいう介入を行った。機関投資家資本主義は政府の介入がなければ維持不可能であると、ポスト・ケインズ派のミンスキーは看破した。投機は外れる宿命(リスク)を持つので、たびたび破綻することは避けられないので、そのたびに公的資金で救済する必要があるという。そこには金融機関の淘汰はない。淘汰圧力下でのモラルは存在しない(モラルハザード)。機関投資家資本主義は強奪資本主義に変じたのである。

リスクを分散させる金融工学の発展が証券市場を安定化させると金融関係者は信じていたが、それは幻想にすぎなかった。基礎となる住宅市場、それに資金をあたえる住宅金融市場、住宅ローンを証券化する市場が加わり、さらに証券に保険を掛けるCDS(クレジットデフォルトスワップ)の4層構造が負債を拡大し世界的な金融崩壊を引き起こした。本来住宅を購入できないような貧困層にもローンを組ませてリスクを分散させる金融工学は素晴らしいというのか、略奪的貸し付けというのか、リスク管理を統計的手法で行ってきた保険業界に比べると、複雑で未経験なリスク管理における金融工学の失敗は歴然としている。その理由のひとつに、確率が低くても起きた場合の損害は莫大な原発事故と同じように、金融危機が起きれば損失は膨大になる。金融危機には保険はかけられないのである。第2にサブプライムローンの破たん確率を過去数年のデータを用いたところにある。経験が浅いといえばそれまでであるが、1998年から2005年までの住宅価格の高騰(バブル)が続いた。その間はローンの借り換えで変動金利型のローンは破たんを防げたが、バブルが急降下した2006年から住宅ローンの破たん率は1%から5%に上昇し、そのうちサブプライムローンの破たん率は2010年には25%を超えたにである。第3に金融機関は分散投資を行いリスクを減らした。住宅バブル崩壊のような場合はおおくの人が同時に破綻し、住宅金融制度が崩壊すると他の証券市場に危機が伝搬した。こういう場合は分散投資は機能しない。第4に証券市場のリスク分散の安全神話がある。第5にローン関連商品の証券化によって、住宅ローンの状況を知らない人にリスクが転嫁された。証券化が進めば進むほど、金融システムは不安定になる。当時FRBはどんな手を打ったかというと、よく言えば何もしなかったし、悪く言えば金融規制緩和と金融緩和によってバブルをあおっていたのである。2000年代前半のアメリカ経済を支えたのはITバブルに次ぐ住宅バブルであった。2001年より金利を6%から2%以下に下げることで住宅投資と設備投資が急速に増え、2004年よりFRBが金利引き締めに転じた。そして2006年より住宅バブルは崩壊に向かった。このバブルと金利のバランスは持続可能な発展を約束するにはあまりにリスキーであった。コントロール不能状態となった。リーマンショック後のアメリカ経済の成長率は、FMOC(連邦公開市場委員会)の予想を大幅に下回っている。2009年FMOCは−1%程度を予測したが、実現値は−3%、2010年はFMOCは3%程度を予測したが実現値は2.4%、2011年FMOCは4−5%を予測したが実現値は1.8%であった。2008年投資会社ベアースターンの破たんと続くリーマンブラザーズの破たん後、財務長官ポールソンは金融機関の救済に乗り出した。金融機関が破たんしても政府は公的資金を注入して救済するということが知れ渡ると、金融機関は安心してもっとリスクの高い投資を大々的に行うようになる(モラルハザード)。一方莫大な役員報酬を削減するような経営改革は行われなかった。金融当局は「大きすぎてつぶせない」巨大銀行をさらに統合して、将来の危機の規模を高めている。日本でも財閥系の銀行が統合しマンモス金融グループを作った。リスク分散とは逆にリスクの集中拡大(リスクのレバレッジ)の方向に向かった。市場が健全であれば長期的にはバブルという不均衡を市場メカニズムは調整するかもしれないが、それが世界的な金融危機と経済崩壊を引き起こすなら、政策当局はバブルという短期的な不均衡を軽視してはならない。現在行われている歴史的な金融緩和の評価は、金融システムの安定化に役立つというものであろう大量の流動性供給は証券市場を買い支え、金融機関の資金繰りを助けた。しかし今のアメリカの金融危機の根本問題はかっての日本と同じく不良債権問題であり、流動性供給だけでは改善しないことは明らかである。現FRB議長であるバーナンキ氏はインフレターゲット論者である。バーナンキ氏はすばやく金融緩和を行うことで十分だと考えている。まだ金融危機の責任を反省していない。同じことは日本のアベノミクス(日銀政策当局)が行おうとしている。公的資金投入によって温存された投機マネーは、のど元過ぎればまた投機を再開しているのが2013年の今日の状況である。

第4章 「グローバル・インバランス」

国際収支の不均衡(グローバルインバランス)が顕在化したのも2000年代の特徴である。貿易などの経常的な取引関係のお金のやり取りを経常収支という。全世界的に経常収支黒字額と赤字額は等しいはずである。ただアメリカ1国を見ると1990年代後半から2009年の金融危機までの間一方的な経常収支の赤字(それも世界のGDPの1%を超える)が続いた。その要因はITバブルと住宅バブルの中で、全世界の需要を一手に引き受けて、世界経済の成長を支えてきたことによる。別にこれを「グローバルケインズ主義」ともいう。20世紀末まで多額の貿易黒字を計上してきたのは日本とドイツであったが、それに中国、ロシアが加わった。2008年の金融危機は欧米の赤字を急減させ、その分中国、日本、ドイツの黒字は急減した。赤字を継続することは経済成長が持続不可能であることを示す。80年代のレーガノ政権から始まり、アメリカの経常収支赤字と財政赤字は双子の赤字といわれ持続不可能とまで言われた。アメリカの経常収支赤字の大半が中国と日本に対する赤字である。2000年以降東アジアの各国政府はアメリカへの貸付を急増した。中国は膨大な経常収支黒字でアメリカ国債を買っているという構図である。中国や日本は持続不可能なアメリカの財政赤字をも支えてきたのである。東アジアの輸出依存型成長を維持するためには、自国通貨の為替レートの上昇を抑えなければならない。そこで東アジア諸国は為替市場に介入してきた(為替介入とはアメリカ国債を買うことで、アベノミクスの円安政策もその一つ)。この構図はEU内でのインバランスにも当てはまる。一人黒字のドイツに対して、GIIPS諸国とフランスは対照的に赤字である。この構図がEU財政危機の要因である。2001年ー2006年のOECDの統計によると、輸出と輸入の差額の増加率は、単位労働コストの増加率に強いマイナスの相関があるという。労働コストが減少する国輸出競争力が増し、労働コストが増加する国は輸出よりは輸入が増えるということである。労働コスト増加が30%程度までが輸出競争力があるという。ところがアメリカと日本はともに労働コスト減少した国であるが、日本は輸出過剰国でアメリカは輸入過剰国という対照的である。アメリカという国の異常さが反映している。FRBのグリーンスパンやバーナンキ議長は日・独・中国の国際収支黒字国での貯蓄過剰傾向が金余りを生じて、米国に金が流れ込み住宅バブルを引き起こしたと、バブルの責任を転嫁するがはたしてそうであろうか。結果論として半分は当たっているが、「大いなる金融緩和」が金の流入の原因だということへの責任を隠す発言である。そして金融の流れの実情を無視した発言でもある。なぜならアメリカの金融をつかさどっているのは欧州(特にロンドン市場)の金融機関であった。サブプライムローンという証券を買いまくったのは欧州のオフショア市場の金融機関であった。さらに日本の貯蓄が急増したのは事実であるが、これは非金融法人(製造関連企業)の貯蓄のことである。一人輸出関連企業の内部留保だけが急上昇し、2000年以降の日本の景気は「実感の伴わない好況」といわれた。

第5章 「金融危機から財政危機へ」

1990年以降日本経済が停滞する中、日本は巨額の財政赤字を累積した。IMFのデータによると2010年で財政赤字のGDP比が9%を超える国は、アイルランド、ギリシャ、アメリカ、スペイン、イギリス、ポルトガル、日本である。5%近い苦国にはフランス、オランダ、カナダ、イタリア、ベルギー、オーストラリア、オーストリアなどがいる。財政黒字国はスウェーデン、スイス、ノルウェーだけである。財政赤字の原因が放漫財政にあるとよく言われるが、深刻な金融危機が財政赤字をもたらすことはよく知られた事実である。公的資金の投入という歳費増加、ケインズ的景気刺激策(公共工事など)の増加、減税という収入減などが原因で赤字幅が急増するのである。現在の世界的な財政危機は、バブル崩壊と経済停滞の結果なのである。アメリカの財政赤字は1980年代のレーガン政権(共和党政権)に始まる。レーガン政権の金持ち減税と軍事拡張政策、ブッシュ父政権でも財政赤字と政府負債の拡大は続いた。1990年代のクリントン民主党政権はITバブルと冷戦終結による軍事費縮小によって財政を黒字に転換した。ところが2000年代のブッシュジュニアー共和党政権の戦争政策で財政は急速に悪化した。その主因は金持ち減税と軍事費拡張政策である。こうして共和党保守政権の伝統的政策は金持ち減税と軍事費拡大という保守層への人気取り政策によって財政は常に悪化してきた。共和党保守政権の金持ち減税政策の裏付け理論が、減税だけが経済を成長させるということを信じているからである。税率と政府税収の関係は単純に言えば比例関係にあるが、税率があまりに高くなると金持ち層の逃避などがあって税収は減少に転じるという、おかしな「ラッファー曲線」が信じられている。しかし共和党政権は金持ち層の圧力を受けて減税政策を継続的に実施し、税収は減少を続け、戦争の経済学(戦争ケインズ主義)も働かなくなったので、軍事費拡大がそのまま巨額の財政赤字を生みだした。政府の放漫財政が原因といわれるが、実体としてアメリカと日本の公的支出のGDP比を見れば十分小さな政府を実現している。アメリカの政府支出はリーマンショック以来増加していない。減税による景気刺激策は効果が薄い、単に収入源を招くだけの結果となった。日本の財政危機の原因は税収の減少であり、人口高齢化による社会保障費の拡大であり、アメリカと同じような様相である。地方自治体の公共工事は90年代半ば以降急減した。2000年以降は替わって団塊世代の社会保障問題が急増したのである。そして2008年の金融危機と2011年の東関東大震災が、さらに日本の財政事情を悪化させた。1980年代に始まったレーガン・サッチャー政権の新自由主義政策によって、99%の国民の賃金と所得が停滞し、1%の富裕層へ富が集中し、国民が背負いきれない負債と借金が残った。ITバブルと住宅バブルによってアメリカ経済は日本を尻目にして回復したかのように見えたのは幻想だった。金融危機後に何をもって経済成長をするか何も見えてこない。景気対策としての減税の効果は極めて弱い。もっとも端的な効果は政府の支出拡大である。そこで、金持ち減税と支出削減の組み合わせは不況を悪化させる政策(フーバーの失敗)といえる。アメリカ人はワシントン、リンカーン、ルーズベルトを偉人として尊敬している。ルーズベルトは銀行休業を実施して銀行危機を一掃したといわれる。救済主義のアメリカの金融当局はウヲール街の特殊利益を守ることで、金融システムをいっそう不安定にしてきた。金融当局の実体経済に対する無為無策を正当化するのが新自由主義経済学である。


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