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日本科学技術ジャーナリスト会議 著
 「4つの原発事故調を比較・検証する」

  水曜社 (2013年1月6日 ) 

四つの事故調でもなお見えてこない無責任大国・日本の宿根
ー権力の過ちは忘れさせ・繰り返されるー

福島第1原発事故の調査検証報告書という体裁の書物は公的に四つ出ている。各々の報告書にはそれぞれ特徴があるが、むしろ書いてあることよりも、書いてない(本音・触れたくない・自分の能力外)ことの方から真実を見ることが出来ることもある。例えば「国会事故調」では扱わなかった事項として次の10点を挙げておる。
@ 日本の今後のエネルギー政策(原発の推進・廃止を含めて)
A 使用済み核燃料処理・処分
B 原子炉の実地検証
C 賠償・除染処理などの費用
D 事業者の支払い能力を超える場合の責任の所在
E 投資家・株式市場のガバナンス機能と責任
F 原子力発電所の再稼働
G 行政府の政策・制度設計一般
H 事故後の原子炉の状況及び廃炉プロセスと周辺地域の再生に関すること
I その他委員会で決めたこと
国会事故調のヒアリングはすべて公開されたことは評価できるとしても、最初から原発事故だけに特化して(自分の視野を狭めて)、事故を生み出した日本の原発政策全体(行政府の政策・制度設計一般、日本のエネルギー政策、使用済み核燃料処理・処分、プルトニウム再利用問題、原子力災害補償法、電源三法、原発裁判など)を不問にしたことは、事故→対策→再稼働というルートを引いたことになる。つまり再稼働ありき(原発再稼働を前提とした)の報告書とみられても仕方ない。つまり権力は痛くもかゆくもない4つの報告書を出すことによって原発事故騒動にピリオドを打って、早々に禊を済ませて再稼働を準備しているのである(大飯原発はすでに再稼働した)。それが証拠に誰も原発事故の刑事的責任を取っていないのである。検察庁は原発事故の刑事訴訟の立件は難しいといって最初から事故責任者の免罪を企てているし、裁判所は過去40年間、数々の原発訴訟を判で押したかのように玄関払いしてきた。司法は当てにならない権力の僕(権力の最後の砦)であり続けた。このことは海渡雄一著 「原発訴訟」(岩波新書)でも明らかである。

おおよそ日本は倫理のない国である事を世界に曝露した。ドイツは日本の福島原発事故を見て「倫理委員会」を立ち上げ、原発は人類にとってよくないと判断して、即座に原発廃止のスケジュールを決めた。これには第2次世界大戦のユダヤ人虐殺の倫理経験が大きいと思われる。日本政府は南京虐殺はなかったとか、朝鮮人慰安婦はいなかったとか一向に反省しない。同じように日本政府は原発事故をテクニカルな面だけに押し込め、堤防の高さを嵩上げしたり、機器・施設の水密性を増すことで事故対応ができたと称したいのである。天災は経験するたび大きくなるもので、対策と事故は「いたちごっこ」の関係にある。15mの津波対策をしたら20mの津波が来る事を想定外といって逃げられるのだろうか。事故のリスクとはリスク・ベネフィット説によると損害額(人命も金に換算して)×発生確率であるそうだ。確率は数千年に一度とか、機器損傷確率は1/100とか掛け算を繰り返して、天文学的な10〜20乗分の一とかいってよって対策する必要は無いという。これを「科学的根拠」と称している馬鹿な御用学者がいるのである。3.11大震災と原発事故はこの確率に関する屁理屈を一瞬にして打ち砕いた。そして損害額こそ天文学的数値が見込まれている。東電の支払いの支払い能力がなければ、普通の企業なら倒産し、その業種はリスクが高すぎるので誰も手を出さないのが市場の原理である。東電の責任と支払い能力は関係ないのであって、国民の税金(国の責任)に頼るならそれは民間企業ではない。まして国営にしてはいけない、日本国の倒産になるからだ。同じことは電力コスト算定についても言える。電力業界は絶対に原発発電コストは明確にしてこなかった。いわゆる「原価の秘密」は最初から政府負担分は除去されているので、5円/KWHという都合のいいコストが通産省から流れている。しかも原発は100%稼働を前提とするコントロール不能の暴走列車で(これをコントロールしようとする原発運転絞り実験でチェルノブイリ原発事故が発生した)、他の発電方式の稼働率は極めて低く抑えられている。原発を停止しても他の発電方式(火力・水力・自然)を拡大運転すれば、電力不足は官僚と電力会社が書いたデマに過ぎないことがわかる。石油購入費が高いとかいうのは、原発にかけている不明瞭なコスト(立地対策、廃棄物処理、損害賠償、除染費など)を勘案すると問題にするのもおこがましい。そこから原発事業国営化が言われるのだが、官僚のやる事業は高コスト体質で国家には耐えられない。国策としての過去60年の原発推進体制を改めないかぎり(市場原理に任せるなら原発事業は間違いなく赤字であり企業は撤退する)、原発事故は起き続けるだろうし、災害復興費用でいくら安倍内閣のいう国債印刷機をフル回転させても、日本の破産は避けられるどころか加速されるだろう。

4つの事故調とは次のことである。
@「民間事故調」 正式名:福島原発事故独立検証委員会 「調査・検証報告書」 (委員長 北澤宏一) 2012年2月
A「東電事故調」 正式名:福島原発事故調査委員会 「福島原子力事故調査報告書」 (責任者 山崎雅男副社長) 2012年6月
B「国会事故調」 正式名:東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 「国会事故調 報告書」 (委員長 黒川清) 2012年7月
C「政府事故調」 正式名:東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 「政府事故調 報告書」 (委員長 畑村洋一郎) 2012年7月
以上の4つの事故調が2012年7月末に出揃った時点で、日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTIJ)の有志で「再検証委員会」が立ち上げられ、実質3ヶ月で本書が書き上げられた。本書の前書きに柴田鉄治氏(朝日新聞社)が「4つの報告書には原因の究明がはっきりしえいないことと、誰が責任を取るのか、責任の追及が一切なされていない。企業の事故においてはけが人が出れば刑事責任が問われるのに、原発事故では大変な被害が出ているのに誰一人責任を問われないというようなことがあっていいのだろうか」と指摘し、あとがきに小出五郎氏(NHK出身、元JASTIJ会長)が代表して「4つの事故調が出て一件落着ではない。第2第3の調査報告書を作ることは事故の損害を償う責任の一部である。一件落着すれば、後は忘れることしか残らない。原爆被害者の声が永久に語り継がなければならなかったように、原発事故の責任追及は終らせてはいけない。原発安全神話が虚構であること、魔法使いの弟子が魔法の解き方を教わらなかったような人類の浅はかさで核を扱っていいのだろうか。原子力という選択を改めて基本から問い直さなければならない」と結論している。そして4つの事故調の背景と実質的執筆者を考えておこう。「民間事故調」はシンクタンク「日本再生イニシャティブ」の編集になるもので、調査費用をどうして捻出したのかが明らかにされていない。霞ヶ関あたりのシンクタンクであるなら官僚の要望を汲み入れた報告書を作るのは最も得意とするところであり、数億円以上かかる調査費のスポンサーを公表しない限り透明性がない。ほんとうに「独立」なのか証明が必要である。「東電事故調」は事故を起こした当事者の弁であるので巧妙に責任逃れをしており、政府の責任に持ってゆこうとする姿勢が明白である。「国会事故調」は調査費に15億円という国税を使って、野党自民党の意向がかなり滲み出ており、政局がらみで官邸の無策と失敗を強調することにいやに熱心である。「政府事故調」は調査費に4億円を使って、従来の審議会のやり方に似て事務局の書いた資料を先生方がコメントする形である。おそらく経産省の官僚の手になる報告書であろう。

本書の執筆陣を記録しておこう。
柴田鉄治(朝日新聞社) 担当:まえがき、4 、5章
横山裕道(朝日新聞、淑徳大学教授) 担当:0、1、8章
堤佳辰(日本経済新聞社 電力中研 担当:2、3章)
高木靱生(日本経済新聞社 日経サイエンス) 担当:6、11章
荒川文生(地球環境技術研究所) 担当:7章
桶田 敦(TBSテレビ 環境防災総合政策研究機構) 担当:9章
林 衛 (岩波出版科学編集者 富山大学人間発達科学部) 担当:9章
林勝彦(NHK 東京工科大学教授) 担当:10章
小出五郎(NHK 獨協医科大特任教授) 担当:12、13章、あとがき 
本書は事故調報告書の検証に次の13の課題(疑問点 QuestionNo1-13)を設定した。科学技術ジャーナリストならではの設定もあるが、問題点を網羅したわけではない。象徴的な問題点の一部をピックアップしたというべきかも知れない。莫大な調査費もかかっていない純粋の出版物なので、この書物の背景には特別怪しい点は無いだろう。原発推進派らしき人(堤佳辰氏)も入っている。あえていうなら東大出が多いのが気に障るくらいである。特に東大→NHK→大学教授というキャリアーがいやに官僚臭いのである。それはさて置き、何を言っているかが大切である。

Q1) 事故の原因は地震か津波か

以降の説明では原発技術用語はいちいち解説しないことにする。理解に必要な言葉は、淵上正朗ほか著「政府事故調技術解説」(日刊工業新聞)を参照してほしい。検証報告書で一番大事なことは「原発事故の発生と拡大の真相にどこまで迫ったか」という観点で4つの報告書を検証する。4つの報告書のうち「国会事故調」だけが地震による配管損傷による冷却水漏れを示唆している点である。小破口冷却材損失LOCAやSR弁が作動しなかった理由を説明できるとしている。そして「3.11時点で福島第1原発は、地震にも津波にも耐えられる保証はなかった」と記述している。「政府事故調」は冷却機能の喪失に結びつくような配管破断の可能性は低いと(小さな破断はあったかもしれないが、冷却水漏れには繋がった形跡は無い)とこの地震の影響を否定している。また福島第1原発の事故処理に問題があったということを指摘している。要するに原発は地震では壊れなかったとして、やりようによっては事故は小さく出来たかもしれないというタラレバを滲ませ、既設原発の耐震性見直しに結びつかないような配慮が滲み出ている。福島第1原発1−3号機のうち一番早くメルトダウン・メルトスルーした1号機の最初のつまずきは運転員がICを手動停止したことにあるが、政府事故調や民間事故調は停電本社、発電所幹部がこれに気がつかなかった事をあげている。東電事調は操作手順により冷却温度変化速度が速かったためにICを手動停止したという。国会事故調は東電の説明はあまりに不自然であるとして、複数の運転員の証言で「原子炉圧力の降下が早いのでIC配管などから冷却材が漏れていないかどうか確かめるため」であったと記述している。配管の破損や冷却材の漏洩という地震の影響を認めたくない東電の言い訳であろう。本書は東電の見解を斥け、国会事故調の見解を合理的であると判定した。

原発現場の人々を英雄視する見方が世の中で受け入れられているようだが、3つの原発事故処理を同時に進めざるを得ない発電所所長さえ現場を把握していたかどうか心もとない。3号機のHPICを所長の判断を仰がずに、代替注水の確認もせずに運転員が独断で止めたことがメルトダウンの直接的原因となった。政府事故調では福島第2原発に比べて「不手際が目立った」という指摘をしている。今回の事故で消防ポンプによる代替注水を行なう前に必要な格納容器のベントに非常に手間取り、その間に炉心は溶融メルトダウンしたことが挙げられる。なぜスムーズにベントが実施できなかったのか悔やまれると「民間事故調」はいう。「政府事故調」は発電所にはベントの実施経験はなく、かつ図面も完備していなかった暗闇での手探りの作業となったことを理由にあげている。政府事故調や東電事故調はベント実施遅れの原因の一つに官邸の過剰介入を挙げているが、国会事故調は「官邸の過剰介入を責めることは東電には許されない、東電こそそういう混乱を招いた張本人」であると東電の当事者責任のなさを糾弾する。民間事故調は官邸の決断(菅首相の現場入りや政府・東電統合対策本部の立ち上げ)を高く評価す、むしろ問題は原子力安全委員会・原子力保安院らの官僚機構が事故を前にして自失・沈黙して機能を放棄したことが最大の問題で、官邸が先頭を切らざるを得なかったのだという。

Q2) ベントはなぜ遅れたか 

この章では特に4つの事故調の差異を云々することはなく、ベント作業の遅れの原因を探っている。圧力容器(原子炉)が冷却できなくなると、容器内の圧力と温度が上がり、主蒸気逃がし安全弁(ラプチャデスク)による圧力容器のベントを行い原子炉の蒸気をサプレッションチャンバーSCに逃がす。これで格納容器の圧力と温度が上がる。この蒸気はSCの水で洗われるので放射線濃度は高くはない。そしてベント弁を開くと排気塔から外気に放出される。これをウエットウエルベントという。さらに格納容器内の圧力を下げるには格納容器上部にあるベントを開いて排気塔から排出する。これをドライウエルベントという。この場合、圧力容器の損傷で格納容器に漏れた放射性物質はそのまま外気に排出される。第2号機のベントをこれによるもので、大量の(ヨード換算約90万テラベクレルTBq チェルノブイリ事故の1/7-1/10)の放射線物質が排出された。弁の駆動はモーターによるので電源喪失のため弁駆動は出来ず、直流電源バッテリー不足、空気作動のコンプレッサー圧力不足などさまざまな障害がある事が分かり、さらに格納容器近くに接近して作業することは放射線濃度が高いために何度もギブアップし、高温の格納容器に近づく危険もあり、それらへの対応に時間を空費しまさに暗闇の中での手探りの作業であった。ところがベント成功の前に原子炉はメルトダウン、メルトスルーしていた。第1号機のベントが行なわれたのは12日午後2時30分で(燃料棒のメルトダウン、圧力容器のメルトスルーはすでに12日午前2−3時に起きていた)、午後3時30分建屋の水素爆発が起きた。2号機のベント実施は15日午前6時大きな衝撃音を伴ってベントが成功したと思われる。3号機では14日午前6時ベントに成功するが同日午前11時建屋の水素爆発が起きた。水素爆発が起きるということは格納容器の損傷が起きていることであり、その場所は未だ特定できていない(配管、蓋のシール、格納容器の亀裂など)。2号機建屋で水素爆発が起きなかった理由は、1号機の水素爆発による2号機建屋の破損で爆発限界まで水素濃度が高まらなかったという怪我の功名に過ぎない。

環境へ放射線を放出するベント処置は所長判断では実施できず、東電本社や監督官庁の承認が必要となる。12日未明の午前3時に官邸が実施方針を決め、午前9時に第1号機のベント作業に着手した。ベントと注水作業は表裏一体で行なう必要があるので、取水源(淡水か海水かの問題もあり)からホースで消防車に導き格納容器の注水口に配管するライン構成がまた難航した。所長が注水を実施したのが午後3時で直後に1号機の建屋の水素爆発が起き、注水ラインは破壊された。海水注入問題と再臨界への懸念を菅首相に吹き込んだのは誰だろう。恐らく官邸に入っていた東電のフェローが海水注入は廃炉に直結するので避けたいがためのデマを吹き込んだのであろう。塩分などの違いで、海水が真水に比べて、再臨界を起こしやすくするようなことはないと藤家洋一・東京工業大名誉教授(原子力工学)はいう。デマというべき言説に一時的に迷わされた菅首相を責めるべきではなく、横にいた斑目原子力安全委員会委員長が即時に否定すべきであった。しかし斑目委員長は水素爆発はないと断言して世界で始めて原子炉建屋の水素爆発が起きたのだから、よほど自信をなくしていたのだろう。「再臨界の可能性はゼロではない」といったのだから、政治家はよけいに心配になった。結果的にいえば1号機、2号機、3号機の注水を始める前にすでに炉心はメルトダウンし、格納容器までメルトスルーしていたのだから(東電の解析による)、注水がうまくいっても炉心損傷から水素爆発までは防げなかった。注水目的は核燃料の崩壊熱の除去という安定的冷却段階の事後的処置であった。福島原発事故対応は、あたかも日航機の御巣鷹山墜落事故において、制御不能に陥ったジャンボ機の運転操作に似ている。冷却不能に陥った原子炉は数時間ー10時間以内に炉心はメルトダウンする。非常用復水器ICにせよ原子炉隔離時冷却系RCICにせよ緊急時炉心冷却設備ECCSは数時間しか持たない。まさに電源がなくては手の施しようがなかったというべきか。悪戦苦闘も空しくついにダウンしたのである。電気を作る発電施設は電気で動いているのである。

Q3) メルトダウンの発表が迷走したのはなぜか

この章でも特に4つの事故調の差異を云々することはない。原子力安全・保安院のメルトダウンを巡る発表の仕方を問題とする。原子炉の通常温度は302度(圧力8.62MPa)、炉心の燃料棒は400本で2.5%二酸化ウラン78トンが詰まっている。燃料棒の管の材質はジルコニウム合金で融点は1800度以下である。圧力容器の鋼の融点は1515度である。今回の事故で炉心温度は2000度を超えたとみられ、炉心溶融メルトダウン、炉心貫通メルトスルーが起きた模様である。格納容器の底も抜けた可能性が示唆されている。燃料棒外皮のジルコニウムは高温で水と反応し酸化されて水素を発生し、水も加水分解されて水素を発生する。東電の解析によると1号機で発生した水素量は最大750Kg、2号機で800Kg、3号機で700Kgと見られる。12日午後2時過ぎ、原子力安全・保安院の広報担当の中村氏が「1号機は炉心溶融の可能性がある」と発表した。これは保安院のプラント解析予測システムERSSも11日午後10時ごろ炉心溶融を予測していた。結果的には中村審議官の発表が正しかったわけであるが、政府保安院の発表がその後トーンダウンする方向で迷走を始めた。官邸に連絡なしで行なわれた発表だったようで、その後広報担当者が交代し、「炉心溶融は未確認」、「燃料棒外側の被覆管の損傷」という風に後退して行った。事故を出来るだけ小さく見せようという姑息な官僚筋の配慮が働いたものである。メルトダウンと損傷では受ける印象が異なる。傷・ひび程度の損傷というイメージで受け取られるように仕向けていったようだ。水素爆発が起きたからにはメルトダウンは起きていた。格納容器へメルトスルーしていたかどうかは今後の実態調査(何年先の事かわからないが)を待たなければならない。

Q4) なぜ事故処理の総括責任者を決めなかったのか

原子力災害特別措置法によれば、重大事故が起きた場合の全権限は首相にあるとされるが、実質専門外の首相が指揮権を発揮するとは思えない。誰かを司令塔に任命するのが順当な線であるが、菅首相は総括責任者を任命しなかった。官邸全体特に福山哲郎官房副長官が原発担当責任者となった。このことは福山哲郎著 「原発危機ー官邸からの証言」(ちくま新書)に詳しい。その理由は福山氏によると官僚機構が完全に茫然自失で沈黙したからである(得意の不作為を決め込んだというか、後の責任追及が怖くて火中の栗を拾う勇気のある官僚は誰もいなかった)という。総括責任者不在の状態を4つの事故調は誰も切り込んでいない。共通していうことは「官邸の過剰介入が事態を悪化させた」ということである。官邸が何もせずに通産省に任せていたら事態が好転したといえるかというタラレバ問題は、もし自民党政権であったら恐らく官僚機構に丸投げをするだろうが、そうすると首都圏全体の避難に繋がるような最悪事態にならなかったかというタラレバ問題に帰結する。それは東電についてもいえることで、吉田福島発電所所長は総指揮官ではなく現場の連隊長に過ぎなかった。総指揮官は社長であるはずだが、伝統的に総務・企画畑から文系の社長がでる東電社長に総指揮官が務まるかという問題でもある。形式的には斑目原子力安全委員会委員長か、あるいは近藤駿介原子力委員長が適任のように思える。保安院長は伝統的に文系であるため、今回の事故でも寺坂院長は右往左往しただけで何の役にも立たなかった。首相の質問に硬直して何一つ答えていない。

Q5) 東電の全員撤退問題はあったのか、なぜはっきりしないのか

3月14日深夜から15日未明にかけて東電の清水副社長から官邸の海江田経産相や枝野官房長官に度々電話があり、官邸はこれを「全員撤退・現場放棄」と受け取って大騒ぎとなった。菅首相は未明東電本社に乗り込み「撤退はありえない」と叱責したという。ところが後日になって東電は「全員撤退とはいっていない。必要な人員を残して一部退去させると伝えただけである」と主張し、官邸とは真っ向から対決する姿勢を示した。この問題は1対1の関係者がいるのだから藪の中のことではなく、陰謀か、どちらかの誤解か、嘘がある。東電事故調は一部撤退打診と主張し、国会事故調と政府事故調は「全員撤退」ととった官邸の誤解であるとする。民間事故調は清水社長が深夜に何回も官邸に電話すること事態異例であり、菅首相が東電本社に乗り込んで叱責した事を高く評価している。あるいは誤解を導き政府の責任に転嫁する東電のいつものやり方だ云う説もある。もし官邸の誤解ならば菅首相が東電に乗り込んだ際に、東電から誤解を解く弁明がなされれて当然なのだが、撤退はありえないとする菅首相の檄に対して東電清水社長は素直に「分かりました」と答えている。もうひとつのなぞは菅首相が東電本社に乗り込んだ場面の、東電のテレビ映像記録から音声が消えていることである。本書は一部撤退なら、それ以降の福島原発事故処理で水素爆発や2号機の危機的状況において、現場の判断で何度も福島第2原発への避難は行なってきたことで、官邸の了解は必要とはしない。朝日新聞の記事「プロメテウスの罠」において、伊藤哲郎内閣危機管理監と東電のやりとりが記録されている。伊藤氏の「第1原発から撤退するとしたら、原発はどうなるのか」という質問に足して、「1号機から6号機すべては放棄することになります」という東電の返答が記録されている。ということで本書は民間事故調の主張を是とし、他の事故調は官邸の誤解にする論調である。

Q6) なぜテレビ会議の映像に音声がないのか

4つの事故調報告書が全く気がついていないのか、東電で記録された映像に音声が入っていない(消えている)時期がある事に関する記述がない。危機管理において情報共有が第1歩である。東電の現地対策本部と本店、官邸や原子力安全・保安院などの関係機関をテレビ会議で結ぶことがマニュアルでは想定されいたが、オフサイトセンターが機能せず、電話通信が不通となって、政府と現場との間の情報共有が疎外されそれが相互不信に繋がったと考えられる。ただ東電本店と事故現場はテレビ会議でつながれていた。この記録映像は2012年8月6日に約150時間分が公開された。そしてそれは11日午後6時27分から始まって翌12日の午後11時まで28時間30分の映像から音声が消えていた。そして前章でいったように菅首相が東電に乗り込んだ15日未明分の映像にも音声はなかった。東電の言い訳は「録音スイッチの入れ忘れ」というが、誰が信用できるだろうか。敦賀の増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故の映像隠しは国民の不信感を一気に高めたが、同じようなことが福島第1原発事故でもあったと見るべきではないか。「意図的に音声記録が消されたのではないか」という疑念は払拭できない。東電はプルトニウムMOX燃料のデーター捏造、原発事故隠しなどを繰り返してきた常習犯ではないか。あまりになまなましく、後手後手の泥縄式の対応をせざるを得なかった事故対応が後日の調査で破綻をきたさないように証拠隠滅を図ったというべきであろう。

Q7) なぜ原子力ムラの追求がないのか 

原子力ムラに触れたのは「民間事故調」のみで、他の三つの事故調は原子力ムラの存在と影響について触れようとはしなかった。原発推進体制の事は一切ふれていないのは、いわゆる「憚れる事項」で権力の逆鱗に触れると恐怖したのだろうか。原子力発電推進体制「原子力ムラ」については、権力の歴史を解説した山岡淳一郎著 「原発と権力」(ちくま新書)に詳しいので本章の重複部分は省く。日本の村構造とは丸山真男が「日本の思想」で分析したように「日本の精神的風土には規範という文字は無い」というが、制度と精神の構造関係が微妙なバランスの上に成り立つ不文律の世界を構成した。空気を読む、暗黙の了解、長いものにはまかれろということで、よそ者にはさっぱり分からない排他的世界(村)を構成し、政・官・財・学・メディア(ペンタゴン)からなるが、誰が村人かも分からないようにしてある。その世界はタブーに満ちており、甘い汁を吸うには無口でなければならない。村は排他性と閉鎖性を最大の組織的特徴とする。政界の「総与党体制」と同じである。異論を述べると直ちに排斥され、二度とお声は掛からないし、研究費などで嫌がらせを受ける。政府審議会などの委員と同じである。民間事故調は「安全神話」の章を設けて、「組織災」の修復と復元力に期待する。政府事故調は「安全文化」が歪んでいたと指摘するが、そのひずみを企てたものへの追求がない。いわば一億総懺悔みたいなもので、「過ちは繰り返しません」と誓わせたように、一般市民にも責任を被せかねないのである。国会事故調は原子力ムラを「一蓮托生」の構造で既設原子炉への影響を遮断する電力業界と規制官庁の馴れ合い構造を指摘し、法規制の見直し、国会による規制当局の監視などの提言をしている。既得権で守られた国会議員の追及は村の解体まで叫ぶことは無い。

Q8) なぜ個人の責任を追及しないのか 

事故責任と個人の責任追及は別という見方があるが、航空機事故や医療事故など高度の技術的問題による事故では最初から個人の責任を追及しない約束で、調査を行なう司法取引がアメリカにはある。しかし日航御巣鷹山事故では日航の責任(操縦士は亡くなっているので)は厳しく追求された。今回の事故では調査に応じる代わりに責任は追及しないという約束はなされていない。国会事故調では調査に応じない場合「調査権」を発動する権限を与えられていた。国会事故調は規制当局が東電の虜(奴隷)になっていると指摘し、「東電に事業者としても資格があるのか」と東電を糾弾している。また官邸を鋭く追及したが、原子力ムラと政治家の金の関係には沈黙した。民間事故調は事故は「人災」と定義しながら東電に「第一義的責任がある」と断定したが、東電と政府の誰に責任があったかは言及しなかった。政府事故は関係者の責任追及を目的とせず、関係者の聞き取り調査も非公開とした。東電事故調は責任を国に転嫁する姿勢に終始し、自己弁護と責任回避の官僚根性が丸出しとなっている。東電事故調は言わずもがなであるが、民間事故調が中央・地方の原子力ムラの実態を明らかにしたが、国会事故調と政府事故調は原子力ムラには殆ど触れていないし、政治家献金にも目をつぶっている。原発を国策として推進してきた歴代自民党政府の責任を問うこともなかった。2012年8月初め、東京・名古屋・福島・金沢の各地検は業務上過失致死傷と原子力規制法違反容疑の告発状を受理した。検察庁はこの4つの報告書について、「もっと内容が絞り込まれると思っていたが」と落胆の色が隠せない、このような状況では起訴は難しいと早々矛を収めにかかっている。国会事故調査委員会の黒川委員長は英語版の報告書に「事故の根本原因は日本の文化習慣である。誰が責任者でも同じことになっただろう」という記述をして、欧米のメディアから「文化のせいにするな、事故の本質に目を向けろ」と批判を浴びた。スリーマイルズ島原発事故の大統領報告(ケメニー報告)は「人為的な操作ミスが決定的要因」として運転員の不適切な操作を浮き彫りにした。今回の福島原発事故でも数多くの現場のミスが重なって過酷事故につながった。現場は良くやったとか英雄視するような情緒的な論もあるが、タラレバではあるが現実はお粗末な(未経験なゆえ)事故処理が影響を拡大したと見るべきであろう。権力は責任追及を逃れたいと願うが、そうはさせてはいけない。

Q9) 住民への情報伝達はなぜ遅れたのか

住民への情報伝達がなぜ遅れ、住民の不信の源がどこにあったのか、その大きな原因は過酷事故シビアアクシデントSAを全く想定していない政府の情報管理法と住民への情報伝達を自治体任せにした、お粗末な対応があった。この章では緊急事態宣言がなぜ遅れたか、避難情報の出し方に問題はなかったか、SPEEDIがなぜ避難に活用できなかったのかという3つの疑問を検証する。まず緊急事態宣言は11日午後5次42分に海江田経済産業相が菅首相に要請したが、菅首相が野党会談が予定されて5分ほど中座して、原災法についての手続き仕組みを菅首相が知識を持っておらず、直ちに答えられる官僚がいなかったため、午後7時になって緊急事態宣言が出された。1時間40分の遅れがあった。それがどういう影響や対策の遅れに繋がったのかは、なんともいえない。しかし原発のSAにどういう手順で対処するかということは官邸は知らなかったのであり、菅首相1人を責める問題ではないが、こういう官邸や官僚に国を任せていることは国民の不幸である。慙愧に耐えない。東電事故調をのぞいて3つの報告書は口をそろえて官邸を糾弾している。政府事故調まで官邸を責めるは官僚の責任に目をつぶることになって奇異な感がする。どうも政府とは官僚集団のことで、官邸という政治集団とは別のものらしい。こんなことは学校では習わなかった。次に住民避難指示の情報伝達はなぜ小刻みに迷走したのかという問題について、民間事故調はあらかじめ予防的防護措置区域PAZを採用していなかったためであるとしている。国会事故調は20Km-30Km範囲の「自主避難」をとらえて、住民に情報を提供せず住民個人に丸無げをしたと指摘している。そして国会事故調は住民アンケートで原発近隣の住民は避難情報をテレビから得ていたという事を明らかにした。自治体崩壊のためである。政府事故は安全神話によりかかり避難訓練も形式化していた原災訓練を指摘している。そして最後にSPEEDIがなぜ住民の避難に活用できなかったのだろうか。保安院は原発事業所のERSSからの放出原情報が得られない場合にはSPEEDIの予測は正確ではないと判断したという。国会事故調はすくなくとも放射性物質の拡散方向(風向きによって決まる)はわかるので、逃げてはいけない方向(3月15日は北西方向であった)に住民が避難のため移動する事を阻止できたはずだという。シュミレーションシステムSPEEDIにインプットデータがなければ、たしかに放射線濃度は予測できないが、風向きはわかっていたはずである。それぐらいの知恵が働かない官僚や自治体職員はやはり無能というか給料泥棒というべきであろう。余談であるが、原発の水素爆発があった12日以降メディアの取材の安全管理から、記者らは40Km以内の立ち入りは禁止された。(米軍では80Kmに近づくなという勧告が出た) なのに住民には20Km以内を警戒地域としたのは、住民無視の姿勢ではなかろうか。

放射線被曝情報はなぜ混乱し、意見が異なるのかという問題がある。民間事故調と国会事故調は国際放射線防護委員会ICRPや国連、アメリカ科学アカデミーが重視する「閾値なし」モデルを紹介するに留まっている。政府事故調・東電事故調には殆ど記述がない。行政側の放射線リスク評価はいつも安全側に片寄る。4月11日原子力安全委員会は100mSv/年以下では健康への影響は無いと発表。19日文部科学省は児童は20mSvまでとした。29日内閣参与の小佐古氏は20mSv/年は放射線業務従事者の基準でこれを児童に当て嵌めるのは受け入れられないと反論。5月16日安全委員会は4月11日の発表を撤回した。27日文部科学省は児童には1mSvを目指すと発表。という風に低線量放射線リスク評価の見解が迷走した。はたして国民にたいしてリスクメッセージが低迷したのにリスクコミュニケーションが出来たとはいえない。1990年国際放射線防護委員会ICRP勧告を出したクラーク博士ら良識派は次のような原則を主張する。疫学的研究による発ガンレベルは50-100mSvまでであり、これ以下では「わからない」であり「リスクがない」ではない。エヴィデンスの重みは直線的閾値なしLNTモデルに傾いているとICRPは判断した。またガン以外の他の病気については全くデーターがない。@費用対便益論という功利主義的倫理観からの脱却、A個人の権利を重視した義務的倫理観の重視、B一般公衆の最大線量として0.3mSv、Cバックグラウンドとして年間10-20μSvを勧告するものである。

Q10) なぜ燃料サイクル問題の追及がないのか

今回の事故を将来二度と起こさないためにも、長期的視点で原発が抱える本質的問題を考える必要があるのに、4つの報告書はすべて触れていない問題がある。それはプルトニウム核燃料サイクル問題と、高レベル放射性廃棄物の処分問題である。更に権力の核兵器ポテンシャル論である。高速増殖炉FBR、核燃料再処理工場、ウラン濃縮工場の3点を「核の3点セット」とよび、原発施設の軍事転用技術(機微技術)である。福島第1原発3号機はMOX燃料(プルトニウム239と235の混合燃料)を使っている。MOX燃料を使っているのは日本では新潟県仮羽原発と福島第1原発の2ヶ所(いずれも東電)である。日本はプルトニウム239をすでに45tも保有している。原爆の原料である高純度Pu239を36kg(長崎原発15発分)を持つのである。FBRは福井県敦賀の「もんじゅ」(1995年ナトリウム漏れ事故で停止中)青森県六ヵ所村の大規模再処理工場が建設中である(ただし事故続きで一度も動いたことはない)。高速増殖炉はイギリス、アメリカ、ロシアで1970年代に実験炉を作って開発してきたが、事故が頻発し先進国ではギブアップしたと見られる。事故の歴史を見ると、1955年アイホダ州EBR-1でメルトダウン事故が起き、1966年デトロイト州のエンリコフェルミ炉でメルトダウン事故を起こし開発を断念した。1960年イギリス、ロシアでナトリウム細管破損事故が起き、ドイツでは住民の反対で炉は廃棄された。1976年フランスのフェニックス炉でナトリウム漏れ火災事故、1987年スーパーフェニックス炉でナトリウム漏れ事故、1990年にはナトリウム漏れ火災事故を起こした。日本では欧米に遅れること20年以上していまだにMade in Japanの高速増殖炉を開発中である。そして1977年「新日米原子力協定」においてプルトニウムの長期にわたる利用権を獲得した。潜在的な核抑止力としてプルトニウムが機能しているのである。高速増殖炉FBR、核燃料再処理工場、ウラン濃縮工場も国策として遂行されている。国家権力は安全保障としての抑止力を期待しているのである。ある意味では青森県は核兵器生産基地である。しかも北朝鮮の貧弱な核兵器生産に比べて圧倒的な生産性を誇る。

福島第1原発建屋水素爆発
福島第一原発建屋水素爆発の模様 第1号機(左)、第3号機(右)

3号機の水素爆発について淵上・笠原・畑村著「政府事故調技術解説」(日刊工業新聞社)が述べているが、上の図に見るように、1号機建屋の水素爆発は横方向へ煙が噴出し、3号機建屋の水素爆発は垂直(上)方向へ煙が噴出した理由として、建屋構造の違いを挙げる。第1号機はパネルはめ込み壁で構造的に弱かったとし、第3号機は壁はコンクリート製で一番弱い天井を打ち破ったとされる。煙の噴出状況が水平か垂直かはその理由によるのであろうが、物理学者の槌田敦氏はむしろ煙の色に注目している。政府事故調では爆発物質は水素以外は考えられないとしている。槌田敦氏は煙が黒色で、オレンジ色の閃光があったということからこれを核爆発だという。水素爆発では煙が白色で黒にはならない。核燃料の粉塵が飛んだと見るべきであろうとしている。中性子の線量を見なければならないが、正門付近の中性子計測記録が3月14日6時から8時まで空白となっている。原発最大のアキレス腱「トイレなきマンション」問題である高レベル核廃棄物処理問題は、いまだに解決されずに先送りされている。軽水炉を運転すると1日あたり広島原発3個分の放射能を生む。現在日本には広島原発の120万個分の核廃棄物を保有している。核再処理をするとますます核廃棄物は厄介であるので、欧米の主流では「ワンスルー」(1回使用限り)核廃棄物処理のほうを選択した。再処理を行なっているのはフランスとロシアだけである。六ヵ所村再処理工場もまた事故の連続である。現在建設中ということだが実用化のめどは立たない。フランスの再処理工場も1997年、1989年事故起こしている。もし再処理工場で同様の事故を起こしたら。福島第1原発事故の何十倍の規模になると見られる。米国が第4号機に貯えられた使用済み核燃料事故の影響に恐怖し、再三日本政府に警告し指示したことは事実である。1台の規模の事故ではなく、操業以来の核燃料が溜まっているからである。日本では核廃棄物処分地の調査候補もなく(文献調査するだけで町には最大90億円のお金が入るので、高知県東洋町長が名乗り出ようとしたが、住民リコールで退任させられた)、まさに最終処分なしに原発事業所での地上保管のも限りがある。

Q11) 原子力規制への提言が報告書によって違うのはなぜか

民間事故調には提言はなく「事故の教訓」において、規制当局の独立性や危機管理の一元性、トップダウンを指摘している。東電事故調は「国への提言」というお願い事を述べるに過ぎない。国会事故調は規制組織の「ノーリターンルール」など7項目の具体的な提案がある。政府事故調は「総括と提言」で23項目の提言を行なっているが、具体性に乏しく精神論に留まっている。官僚は自らを縛りたくないので、保安院の言い訳を聞いているようである。東電事故調をのぞく3つの報告書は規制当局の独立性では一致している。ところが2012年9月19日に発足した新しい原子力規制委員会は通産省という推進元を脱し、環境省の外局として出発したが、構成する職員は旧保安院を引き継いでおり、かつ「ノーリターンルール」は附則において骨抜きになっている。原子力推進側へは移動しない原則は、5年以内やむをえない場合はこの限りではないという官僚機構伝統の骨抜きがなされている。さらに推進に係らない行政組織を経た異動は可能である。政府事故調は「ノーリターンルール」には一言も触れていないばかりか、「人事交流の実施」を謳って旧態依然の有様である。規制当局の透明確保のため国会事故調が「規制当局に対する国会の監視」を主張するのが注目される。政府事故調には規制当局が電力会社・東電をどのように監視するか具体的な記述はない。国会事故調は「電気事業者の監視」を主張し、電気事業者の相互監視、立ち入り調査権を含む監査体制を国会主導で作る事を提言している。民間事故調は東電の電気事業者としての資格を疑っているが、具体的な事業者への規制については提言がない。今回の事故で政府の危機管理が全くなかったことが曝露されたわけであるが、政府事故調はげんしりょく災害対応の中心は「原子力規制機関」であると明示している。しかし具体的な担保となると精神論で終っている。国会事故調「指揮命令系統の一本化」を主張し、官邸の過剰介入を強く警戒している。国会事故調は「提言の実現に向けて」を設けて、国会が胡の提言の実施計画を速やかに策定すべきであると述べているが、いまや国会にそのような動きは全く感じられない。政府事故調は「事故原因の解明継続に関する提言」をあげているが、はたして3報告書が挙げる提言が今後、無視されるのか、実行されるのかそれが問題である。

Q12) なぜ報告書が忘れ去られようとしているのか

野田民主党内閣において調査が行なわれている間に、生活優先を口実にして大飯原発再稼働の決定が行なわれた。調査は調査、現実は現実という日本得意の「二枚舌」がまたもや横行し始めた。都合の悪いことは棚上げにするというmade in japanの悪癖が再開された。事故調側も「調査は仕事であるが、その後の事は政治家の判断」と一向に自分の考えを押し進める気配が感じられない。「棚上げ防止策」を講じておかなかったことは事故調の失敗であり、メディアにも責任がある。東電事故調は教訓を再発防止に結びつける反省はなく、経費最小の対症療法で切り抜けたいという意図が露骨である。国会事故調こそ国会を通じて提言を実行させるかどうかが最大の懸案事項である。政府事故調は官僚の言い訳に過ぎず、自分の身を縛る約束は巧妙にも避けている。2012年8月超党派で「提言実現・法制化議員連盟」を作ったものの、年末の総選挙を目指して政局に集中し、その後活動している気配は全くない。憲政史上初の国会事故調も裏を返してみると、国会が力を持ったことが一度もないことである。行政政府と議会の力関係は絶望的な情報格差が横たわっており、原発行政の情報格差の深淵を乗越えられなかった規制当局の弱みと同類のギャプを感じる。日本の政治は明治欽定憲法以来、超越政府が議会を無視し国策を実行してきた歴史である。「憲政史上初」は喜ぶべきか、悲しむべきか。時の内閣と「政府」がイコールであれば、イギリス風の議院内閣制であるが、官邸が「政府」に取り込まれれば明治以来の「国体」である。とはいえ、国会事故調が原発事故を人災と明確に指摘した意義は大きい。国会事故調が原子力ムラの存在を指摘したが、「文化的、伝統的、習慣的背景を事故原因(遠因)」と言ってしまっては、教訓は空に消えてしまう。日本の敗戦に責任者は無く、3・11に責任者はいないという結論になりそうである。2012年10月静岡県議会は浜岡原発凍結の是非を問う住民投票条例案を全会一致で否決した。16万人の署名者の希望を数十名の議員(電気事業者のロビー活動により)が踏みにじった。民主党には電気会社の労組から圧力がかかり、自民党には中電と経済界の圧力がかかったという。

Q13) なぜ報告書には倫理の視点がかけているのか

野田政権は2012年夏に原発パブリックコメント、アンケート調査を実施し、原発維持世論を作ろうとしたが、政府の思惑に反して圧倒的に多くの国民は「2030年に原発ゼロ」を選択した。これに基づいて9月6日民主党の「エネルギー・環境調査会」は2030年までの原発ゼロの努力目標を政府提言とした。12月に政権に返り咲いた自民党は、炭酸ガス削減目標とともに、脱原発依存目標の見直しを企んでいる。維新の会の橋下大阪市長は最初原発ゼロをいっていたが、総選挙を前に石原氏から迫られ態度を豹変させ再稼働容認に転換した。しかし2012年夏の電力需給は原発稼動ゼロ状態でクリアーすることが出来た。すると今度は石油ガス燃料購入費の高騰を理由に電気代値上げの圧力が高まった。電力会社は原発に依存しないと赤字になるらしい。軒並みに各電力会社は2012年度営業利益は赤字に転落するという。経済の減速状態が20年以上続く中で、右上がりの電力需要で予算を組めば赤字になる事は必至である。電力業界も経済と同じように縮小体制に移らなければならない。家庭や企業の節電も進んだ。再生エネルギーへの転換、初送電分離体制への移行、電力自由化による電力選択の可能性が広がった。原発麻薬切れに苦しむ地域経済の建て直しは、東京との地域格差を解決しなければならない。原発輸出というような矛盾した政策も改めなければならない。いまこそドイツのように、「負の遺産」を遺さない倫理の確立(宗教心のない日本には難しい考えであるが)が求められる。


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