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山秋 真著
 「原発をつくらせない人びとー祝島から未来へ」

  岩波新書 (2012年12月20日 ) 

山口県上関町原発計画に30年間抗い続けた人々

山口県上関原発計画がでた1982年以来30年間、地元民の(というより祝島島民)建設阻止の戦いは続いている。2011年3月の福島第1原発事故の惨事も忘れて、2012年12月の総選挙で自民党安倍政権が出来て以来、政権と原子力ムラは原発再稼働を虎視眈々と狙っているようである。これほど反省のない支配者・政治集団には暗然とした気持ちになる。安倍総理の地元山口県(長州)であるだけに上関原発計画再燃と中部電力の工事強行が懸念されている。この50年の間、日本列島の17箇所に原発が建設され、現在では54基が稼働していた(定期点検中も含めて)。現在運転中の原発は実は1970年までに計画されたものに限られ、それ以降の計画はすべて完成・運転には至っていない。あらたな原発立地の困難性のため、新規原発建設は既設原子力発電所内に増設という形で年2基のペースで進められてきた。しかし原発誘致・原発計画のあった30箇所以上の地では原発計画は見送られたか、着工にも至らなかった。日本海側では、北海道・新潟・石川・福井・京都・兵庫・鳥取・山口の道府県に、太平洋側では岩手・三重・和歌山・徳島・高知・宮崎県に、瀬戸内海では愛媛・山口・岡山県に計画があった。逆に原発計画がない地域としては、首都圏東京湾・瀬戸内海・内陸(海岸線がない)である。現在原発が稼働している地域を見て行くと共通点がある。それは絶望的なまでの過疎地域であることだ。山と海に迫られて人の生活が成り立ちがたい地形である。国土総合開発において農業や産業振興地域にならなかった地域である。そういう意味では紀伊半島は関西電力の絶好の原発立地地域であった。実際、和歌山県で5箇所、三重県で4箇所と計画がありながら、紀伊半島では原発は作れなかった。なぜ作れなかったのか関西電力や通産省の事情も聞かないと分からないが、漁民の反対運動が強かったことが原因のひとつだと考えられる。石川県珠洲市も原発を作らせなかった地である。1984年に石川県知事が誘致の意欲を示すと、関電・中部電・北陸電は合同協議会を作って計画が進み、1986年珠洲市市議会が誘致を決議した。1989年高屋町で事前調査に着手した。と同時に反対運動がおこった。地元の協力が得られないとして2003年電力3社は計画の凍結を申し入れた。

本書の著者山秋 真氏は女性運動家で、ノンフィクションライター(フリーランスライター)である。交換留学生として米国に滞在中、スリーマイルズ島を旅して原発事故の町を知るキッカケとなたっという。1993年日大芸術学部を卒業し、石川県珠洲市原発計画に首をつっこみ、裁判の傍聴に通ったという。2003年の珠洲市原発計画の凍結後は、4年間(2005−2009年)山秋氏は東大大学院上野千鶴子ゼミに通い、社会学と女性運動理論を身につけていったようだ。現在は上関町祝島に通って取材を続けている。上野千鶴子氏の女性活動ポータルサイトWANには、本書にもある上関町祝島の女性による原発計画反対運動や写真が記されている。著書には「試された地方自治ー原発の代理戦争に揺れた能登半島・珠洲市民の13年」(桂書房)があり、2007年にジャーナリスト基金荒井なみ子賞を受賞した。山秋氏のブログ「湘南ゆるガシ日和」も同じような上関町原発反対運動が記されています。本書はルポタージュによる原発反対活動を描いたものです。反対活動派の人物の会話が中心となるドキュメンタリー手法で描かれているので、それは本書を読めば伝わってくる。又それでしか伝わらない真実もある。全体の流れや結果としての運動の経過は、素っ気無いものであるが頭の整理として下に記す。

上関原発反対運動の歴史
国・県原発推進の動き原発反対の動き原発関係事件
1979--3月米国スリーマイルズ島原発事故
1982上関原発計画が浮上
議員・漁業組合工作始まる
11月祝島に愛郷一心会が誕生 
高木仁三郎氏を講師に原発の勉強を始める
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19836月上関町の18団体が推進請願を採択4月賛成派の組合長をリコールし、
祝島漁協は原発に反対決議
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198410月上関町長が中電に事前調査を要請8月島民が分裂し、伝統行事「神舞」中止-
19853月中電の事前調査終了
5月中電副社長ら上関町長を訪問し事前調査結果を報告
9月上関町議会原発誘致を決議
4月祝島漁協は環境影響調査を拒否
祝島漁協は原発に反対決議
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19862月上関町議会選挙
原発派11、反対派7
4月町長選挙で推進派現職が再選
-旧ソ連のチェルノブイリ原発事故
1987-原発なしで祝島の活性化策模索-
19889月上関町長が中電に原発の誘致を申し入れる
10月中電は申し入れを受諾
8月再度「神舞」中止
12月一心会原発誘致と中電の環境影響調査反対を決議
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19898 漁協共同管理委員会に中電が環境影響調査を申し入れる--
19902月町議会選挙 推進派13、反対派5
「光・熊毛地区栽培漁業センター」建設計画の運営費を8漁協負担となる
4月祝島漁協は環境影響調査反対決議-
1991---
19927月「光・熊毛地区栽培漁業センター」の運営費7億円を管理委員会は協力金として中電に要請、これを中電は受諾、中電はこれを環境影響調査への漁協の同意ととる
10月漁業権切り替え協議開始
分割派は共同漁業権から原発予定地の独自漁業権(結局は放棄による賠償金)をねらう
2月祝島の愛郷一心会は「島民の会」へ-
19936月地先漁業権(300m)を分割し、沖の共同漁業権は8漁協の共有原発予定地田ノ浦の一部を反対派5人が共同購入
4月祝島漁協は分割に反対、祝島漁協切り離し策に抵抗
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19941月原発予定地海域の地先漁業権は四代と上関漁協の単独漁業権となる
2月上関町議会選挙 推進派12、反対派6
中電が上関原発を94年度施設計画にいれる
9月国は上関原発を要対策重要電源に指定、交付金9億円
12月中電が環境影響調査を開始(1996/2まで)、調査範囲をせばめ祝島漁協海域を避けて占用許可申請
6月田ノ浦共有地に団結小屋をつくる、立木トラスト運動を始める-
1995--1月阪神淡路大震災 
12月高速増殖炉もんじゅナトリウム漏れ事故
199611月環境影響調査終了として中電は山口県、上関町に原発建設を申し入れる
漁協管理委員会の5漁協のうち上関漁協と四代漁協は受け入れに同意
祝島漁協は環境影響調査拒否を決議-
1997---
19981月8漁協のうち祝島をのぞく7漁協が漁業補償金交渉開始
12月中電は予定地内の四代地区の共有地を代替地と交換
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19992月上関町町長選挙推進派5選をはたす
4月中電は経産省に環境影響調査を提出、立地手続き始まる
県知事は環境影響調査追加調査をもとめる
2月四代の住民が中電を被告として共有地交換無効訴訟を起こす9月東海村ウラン加工施設JOCで臨界事故
20004月漁業管理委員会と上関漁協と四代漁協は中電と漁業補償契約を締結、7漁協も補償条件に同意 総額125億円6月祝島漁協は漁業補償金の受け取りを拒否 漁業補償契約は無効として提訴-
20014月山口県知事は上関原発計画に同意
6月経産大臣電源開発基本計画に組み入れる
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2002---
20033月四代地区にある正八幡宮の土地売却に反対する宮司を神社本庁が解任-12月珠洲原発と巻原原発計画凍結
200410月中電は正八幡宮の土地八幡山を買収11月四代八幡宮の氏子が売却無効として提訴-
20054月中電は原子炉設置許可申請のため詳細調査を開始(2009/1まで)1月祝島漁協は山口県漁業共同組合との合併を拒否する決議
3月四代の住民が八幡山の入会権の確認提訴
11月祝島漁協 来年4月に合併に合意(3月地裁の判決を待って)
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20064月中電は詳細調査用のボーリング船を投入4月祝島漁協は山口県漁協と合併した
祝島島民は仮桟橋建設抵抗運動をおこなう
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2007---
2008 4月共有地裁判最高裁で棄却
10月中電は海の埋め立てのための公有水面埋立免許を申請 山口県知事免許を交付
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20099月詳細調査終了し、中電は海の埋め立て工事を開始する
10月中電はブイの設置を強行する(埋立工事免許は一年以内に着工しないと失効するので)
12月中電は原子設置許可申請を原子力安全・保安院に提出
12月中電は埋立工事妨害で住民2名に損害賠償訴訟をおこす
祝島島民は田名と田ノ浦に舟を通わせ中電と抗争する
「紅のカヤック隊」誕生 田名埠頭に反対派の船常駐化 島民は埋め立てに身を張って抵抗し工事は度々中断
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20109月工事再開のため台船派遣2月3学会が生物多様性保全のための調査を中電に申し入れ
9月四代八幡宮入会地訴訟が高裁で棄却判決
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20112月中電は上関原発を社長直轄プロジェクトとして、埋立工事の強行を図る オイルフェンスを設置し砂利投下を開始
2月地裁は島民らに妨害禁止を命じる仮処分を申請
3月中電は福島原発事故を受け、埋め立て工事を中断
2月海上保安庁の排除・中電の台舟の強行にもめげず、祝島島民は頑強に抵抗し埋立を阻止 海上保安庁の反対派全船立ち入り検査で中電の護衛となるも、反対派の舟は抗議をおこなう まるで海戦の模様 2月12日が最大の攻防戦3月東日本大震災 東電福島第2原発事故
201210月中電は失効を前に埋め立て工事の延長を申し入れ 申請審査中--

以上で山口県上関原発の計画から埋め立て工事着工までの経過を30年に渉ってみてきた。日本の原発建設ラッシュは、実は火力発電の効率によってアメリカが原発への意欲を無くした1970年代から始まっている。そして1979年にアメリカのスリーマイルズ島原発事故が発生してその傾向は一層顕著となり、1970年半ばより約40年間アメリカは1基も原発を建設していない。これにはアメリカの原発が政府の全面的な資金援助と保護政策を受けていないため、企業の経済原則が反映し、リスク負担もさることながら、経済的に企業では釣りあわないことが分かったからである。ところが日本では資源を持たない国として、経済成長のためのエネルギー確保のため国策として推し進められた。開発から事故時の補償まで(揺り籠から墓場まで)、政府の絶大な資金援助を受けて、かつ電力会社の独占市場支配権から電気代計算の利潤まで政府の援助を受けている。これでは電力会社にとって原発はおいしい商売である。本書で見てきたように中国電力(株)は法律で決められた原発建設手順を踏んできた。まず候補地が長期的な電力供給源として適地である事を政府が認めなければならない。その上で陸地と海で環境の調査を行い、安全審査を受けて認可を得ることが事業者に義務付けられている。また、立地の地元となる市町村と都道府県に対しても、立地の同意を得る、土地を取得する、漁協の同意を得る(漁業補償をする)という3点をクリアーしなければならない。具体的には立地予定地の自治体の首長と議会の同意を得る、建設予定地の地権者から土地を買い、周辺の海の漁業権を持つ漁協に補償金をしはらい、漁協の同意を得るということである。上関原発の場合、県知事、上原長町と議会は安定した推進派であった。問題は具体的な地主と漁協の同意である。8漁協で漁業管理組合を作っていたが、原発予定地である四代田ノ浦漁協ら7漁協は漁業補償に応じたが、立地予定地の沖にある祝島漁港のみが猛反対という態度を示した。したがって上関原発の地元は上関町と7漁協が賛成なので圧倒的多数は賛成であった。

ここから30年にわたって祝島島民による上関原発反対闘争が始まった。推進派が打ってきた手は、まず田ノ浦山林共有地の土地交換と正八幡宮の山の買収である。原発反対の宮司を神社庁が罷免する手があったとは始めて知った。次に反対する祝島漁協の漁業権対象からの締め出しである。それには共同漁業権から地先漁業権の分割というてを使った。祝島漁協は共同漁業権を楯に反対できなくなった。こうして24年かかって外堀を埋め尽くすと2006年より原発建設のための詳細調査に入った。2009年より埋め立て工事が開始され、祝島島民は身を呈しての阻止運動を展開した。まさの平家以来の海賊の伝統をひく、船による工事妨害作戦である。2011年2月に闘争は一つのクライマックスを迎え、3月11日の東関東大震災と福島第1原発事故が水を入れた。それ以来工事は止まっているが、中電は諦めたわけではない。原発に依存しない世論が高まったが、2012年12月の総選挙、2013年安倍自民党内閣の復活によって、事態はどう動くか予断を許さない。福島原発事故後の進捗を次に記す。
2011年
3月13日 上関町長は工事を慎重に対応するよう中電に要請した。
3月14日 山口県知事は中電の工事は極めて慎重に対応するよう実質工事中断要請を中電副社長に伝えた。
3月15日 中電は工事の一時中断を発表した。
3月22日 祝島島民の会は中電本社に向かい、発破工事などすべての工事の中断を求めた。
3月28日 中電社長は「上関原発計画を据え置く」と発表。
5月19日 山口県知事は「予定地の公有水面埋め立て免許を失効させることも検討中」と発表。
5月27日 周南市は原発中止を中電にもとめる意見書を決議
6月22日 上関町議会は原発の白紙撤回を求める提案を否決。
6月27日 山口県知事は県議会で、2012年10月に切れる予定の海の埋め立て免許の延長を認めない方針を表明した。
6月30日 光市は上関原発の凍結を求める意見書を全会一致で決議。
7月8日 山口県議会は上関原発の一時凍結を求める意見書を全会一致で決議。
7月16日 上関原発に反対する全国署名が目標の100万人を突破 8月1日島民の会が経産省に提出
2012年
2月    山口県漁業組合が保管する祝島漁協の分の漁業補償金10億8000万円の受け取りを、祝島漁協は4回目の拒否決議をする。
9月25日 上関町長選挙で、推進派現町長が三選した。

上関原発計画が一時中断となったのは、福島第1原発事故という外因のなせるところである。事故後、立地町である上関町長も議会も原発反対とは言わなかった。反対の中心である祝島民は1982年の1000人以上いたのが、いまでは500人を切っている。まさに「過疎と高齢化と少子化」の中にある。島民と町民の間の亀裂は深刻で、世代が変わらなければ修復不能状態である。原発事故のほとぼりが冷めたころ、自民党内閣は必ず 上関原発計画の再開を求めてくるだろう。その頃には、反対勢力が健在である保証は無い。2012年10月7日、田ノ浦の海を埋め立てる免許は4年間の期限を迎えた。ところが中電は10月5日免許の延長を申請し、県で審査中である。原発の新設は認めないとする民主党内閣の方針や、中電の免許延長申請があっても現状では認めないという山口県の方針は堅持されるということは保証の限りではない。上関町民は原発なしで生きてゆく決意は出来ないものであろうか。


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