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東京電力福島原発事故調査委員会著 「国会事故調 報告書」

  徳間書店 (2012年9月30日 ) 

憲政史上初めての国会事故調査委員会による東電福島第1原発事故報告書

日本の民主化は1945年8月米軍の進駐とともに始まった。日本の政府官僚と政治家に任せていたら何百年経ってもできないような、政治社会と文化の革命が不十分ながら行なわれたのである。2011年3月11日東北をおそったM.9の大震災と津波が原発を破壊し、原発を巡る日本の社会と政治の脆弱性と欺瞞を一気に白日の下に曝した。この福島第1原発事故を「第2の敗戦」と呼ぶ人もいる。第1の敗戦によって天皇制軍事支配体制が滅んだように、「第2の敗戦」によって日本の政府官僚と議院制内閣政治家と産業・学界・メデイァの支配構造の欺瞞が崩壊し、脱原発を願う人が多数派となった。民主党内閣は原子力ムラと国民の板挟みとなって、最近はだんだん財界の言い分に傾いている。支配構造(原子力ムラ)は原発再稼働を着々と準備しており、金力とメディアを使って世論を説き伏せようと策動を行なっている。今まさに岐路に立ったリスクに満ちた日本社会の変革が始まろうとしている。この歴史的な書「国会事故調 報告書」を読む我々は不幸なのか幸いなのかを熟慮してみよう。本書は日本で始めての国会による反省の書である。太平洋戦争の反省は支配者側から出されることはなかっただけでなく、「欲しがりません、勝つまでは」が「過ちは繰り返しません」という恐るべき責任転嫁がなされた。過ちを冒したのは支配者であって国民ではない。「この国は反省のない国」といわれるが、反省しないのは支配者であって、国民ではない。おそら支配者(原子力ムラ)はこの書を葬り去ろうとするだろうし、政府官僚はこの書の提言を都合のいいように骨抜きにかかるだろう。脱原発の論点をそらすため、右翼・自民党は尖閣諸島問題をでっち上げ民族主義を煽っている。歴史にタラレバは禁物だが、もし原発事故のときの内閣が自民党であったならば官僚任せの無能をさらけ出し、首都圏は放射能の灰に追われるという最悪のシナリオになっていたに違いない。原発事故後すでに1年半が経過したが、見直されたのは「原子力規制庁」が骨抜きにされた「規制委員会」に過ぎない。この国は滅んでしまった方がいいのか、はたまた再建に価するのだろうか、それはこの書を読んだ我々の働き如何にかかっている。

本書の概要は、「はじめに」から「調査の概要」、「結論と提言」、「要旨」にいたる45ページを読めば分かる。本文は600ページほどの大部な本であるが、2週間ほどかかって全文を読んだ。2011年10月30日に施行された「東京電力福島電子力発電所事故調査委員会法」に基づき、衆参両議長が任命した10名の委員長と委員が国会の同意を得て発足した。委員会の構成を下に示す。
委員長    黒川 清 (政策研究大学院アカデミックフェロー 元東京大学医学部教授)
委員     石橋克彦 (神戸大学名誉教授 地震学者) 大島賢三(国際協力機構顧問 元国連大使 外務省出身) 崎山比早子(元放射線医学総合研究所主任研究官) 桜井正史(弁護士 元名古屋高等検察庁検事長) 田中耕一(島津製作所フェロー 2002年ノーベル化学賞受賞) 田中三彦(科学ジャーナリスト 元バブコック日立原子炉設計技術者) 野村 修(中央大学法科大学院教授 弁護士) 蜂須賀礼子(福島県大熊町商工会会長) 横山禎徳(社会システムデザイナー 都市計画専攻)
委員の選考は官僚が一番頭を使うところで、その顔ぶれを見ただけで結論が決まってくる。つまり結論にそって人選をするのである。今回の人選の過程は明らかにされていないが、恐らく民主党官邸が世論におされてOKを出したのであろう。ただノーベル化学賞受賞の田中耕一氏には気の毒なことに専門が違いすぎ、普通こういう人物は大勢には反論しないだろうからお飾りにために使われるのである。むしろ原子核物理学者の方が良かった。専門性からして地震学者がいて原子核物理学者や電気・機械工学者がいないのは頂けない。事故の根本原因が「人災」ということから物理学や工学者は採用しなかったようである。またこれらの委員が本書を企画し執筆したわけではない。議論に参加し内容にコメントはしたであろうが、膨大な仕事をこなしたワーキンググループの構成が本書から見えない。恐らく数十人から百人はいたであろうワーキンググループの人物を明らかにすることが公開の原則から重要である。それは官僚なのか、民間技術者や法学者、大学関係者なのか、すべてのワーキンググループ構成員の名前と調査・執筆分担を知りたいところである。

国会事故調・東京電力福島原発事故調査委員会の特徴は、つよい調査権限を有し協力しない人には「国勢調査権行使」が出来ることであるとされる。ヒアリング対象者は延べ1167人、9回に及ぶ現地視察、3回の被災地でのタウンミーティング、被災住民アンケートでは1万633人の回答を得たという。また東電従業員・原発作業員アンケートで2415人の回答を得て、計3回の海外調査を行ない、そして東電ならびに政府官庁への資料請求回数は2000件に及んだという。また情報公開を徹底するため19回の委員会はすべて世界に対して公開とし、38人に参考人を招致した。委員会の模様は世界に動画配信されている。本書の「はじめに」に黒川委員長の格調高い言葉がある。「福島原子力発電所の事故対応の模様は、日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった」と始める。問題の根源は1960年代の高度経済成長期と1970年のオイルショック後の政界、財界、官界が一体となった国策として原発が推進されたことである。これを「国策民営」というらしい。後進国の後追い技術開発の典型である。原発事故は大小併せて数百件にのぼるが、多くの場合対応は不明瞭であり、組織的な隠蔽も行なわれた。新聞沙汰となったのは氷山の一角に過ぎない。それでも日本では事故など起らないという欺瞞のもと原発が推進されてきた。「安全神話」を信じ込む規制官庁が事業者の虜になって、安全対策は先送りされてきた。2011年3月11日の東日本大震災と津波は日本のおごりと慢心を一気に打ち砕いた感がある。原発事故が政権交代後の1年半で起きたことに歴史の暗喩を感じる。歴史的な意味を感じるのは私一人ではないようだ。原発事故を「想定外」といって危機管理をサボってきた事業者と監督規制官庁の「人災」が本事故の本質である。黒川氏は100年前の朝河貫一氏の書「日本の災禍」の「日露戦争以降に変われなかった日本が進んでゆくであろう道(日露戦争から軍国主義への道)」を正確に予測した言葉を引用して「はじめに」を締めくくった。今回の原発事故で変われなかったら日本は世界の笑いものである。なお調査委員会では事故の検証が最優先であるので、次の将来の選択問題は扱わなかったという。それは納得できる。つまり検証する目的が再稼働のためか、脱原発のためかという設問は将来の国民の選択に任せるということである。それは、@日本のエネルギー政策全般 A使用済み核燃料処理処分 B原子炉の実地検証(当面不可能) C賠償・除染などの事故処理費用 D事業者の賠償支払い能力を超える場合の責任の所在 E原発事業への投資家、株式市場の問題 F原発再稼働 G制度設計(歴代自民党政府の政治政策) H廃炉プロセスなどである。

結 論
1) 事故の根源的原因: 事故の根源的原因は歴代の規制当局と東電との関係において、規制する側と規制される事業者の力関係の立場が逆転することによって原子力安全についての監視・監督機能が崩壊したことに求められる。何度も事前の安全対策を立てるチャンスがあったことを考えれば、本事故は自然災害ではなくあきらかに「人災」である。
2) 事故の直接的原因: 事故の直接的原因について、安全上重要な機器の地震による損傷がなかったとは言えない。むしろ1号機については放射性物質の漏れ状況からして小規模損傷LOCAが起きた可能性を否定できない。しかし未解明な部分が残っており引き続いて第3者による検証が望まれる。
3) 運転上の問題の評価: シビアアクシデント対策がないまま全電源喪失に陥った場合打てる手は限定される。過酷事故SAに対する十分な準備と訓練、機材の点検がなされ、SA緊急時の運転手順があれば、より効果的な事故対応が出来た可能性は否定できない。即ち東電に組織的問題であると認識される。
4) 緊急時対応の問題: 事故の進展を止められなかったこと、あるいは被害を最少化出来なかった最大の原因は、官邸および規制当局を含めた危機管理体制が機能しなかったこと、および緊急時において事業者の責任、政府の責任の境界が曖昧であったことにある。
5) 被害拡大の原因: 避難指示が住民に的確に伝わらなかった点について、これまでの規制当局の原子力防災対策への怠慢と、官邸・規制当局の危機管理意識の低さが今回の住民避難の混乱の根底にある。
6) 住民の被害状況: 被災地の住民にとって事故の状況は続いている。放射線被曝の健康問題と生活破壊、環境汚染状況は深刻である。いまなお15万人が避難生活を余儀なくされている状況の最大の原因は、政府・規制当局の住民の健康と安全を守る意志の欠如と対策の遅れ、被災住民の生活基盤回復の遅れ、さらに被災者の視点を考えない情報公表にあった。
7) 問題解決に向けて: 本事故の根本的原因であった人災を特定の人間のせいと帰結しないで、組織の利益を最優先する組織依存マインドを改め、組織的・制度的問題を解決することなくして再発防止は不可能である。
8) 事業者の組織的問題: 東電のガバナンスは自律性と責任感に欠け、規制を骨抜きにする態度に終始してきた。住民の健康被害と安全をリスクとしないで、既設炉の運転効率低下と訴訟問題を経営リスクと考えていた。法規制された以上の進んだ安全対策を採用せず、つねにより安全な運転を志す姿勢に欠け、緊急時に発電現場の事故対応支援ができない東電経営陣は、原子力事業者として適格性に疑問が持たれる。
9) 規制当局の組織的問題: 規制当局は組織の形態や位置づけを手直しするだけの従前の官僚的対応では国民の安全は守れない。官僚組織の利益(国営益より省益重視)だけを行動指針とする内向きの態度を改め、実態の抜本的転換を行い、国際社会から信頼される規制機関への脱皮が必要である。
10) 法規制: 原子力法規制はその目的、体系を含めた抜本的な改正が必要である。その見直しに当たっては世界の最新の技術的知見を反映し、反映してゆく仕組みを構築すべきである。

提 言
1) 規制当局に対する国会の監視: 規制当局を監視する目的で、国会に原子力に係る常設の委員会を設置する。この委員会は規制当局、利害関係者、学識経験者から意見を聴取・調査を恒常的に行なう。この委員会は最新の知見をもって安全問題に対処するため専門家からなる諮問機関を設ける。この委員会は今回の事故検証で発見された多くの問題について恒常的な監視を行なう。この委員会は事故調査報告について今後の政府の履行状況を監視し定期的に報告を求める。
2) 政府の危機管理体制の見直し: 政府の危機管理体制の抜本的な見直しを行なう。指揮命令関係の一本化を制度的に確立する。放射能の放出にともなうオフサイトの対応は、政府と自治体が中心となって、役割分担を行なう。事故時における発電所内(オンサイト)での対応は、第一義的に事業者の責任とし、政治家の支持介入を防ぐ仕組みとする。
3) 被災住民に対する政府の対応: 被災地の環境を長期的にモニターし住民の健康と安全を守る。長期にわたる健康被害に対応するため、国の負担による継続的検査と健康診断、医療提供の制度を設ける。環境に広く分布する放射性物質は長期的にモニター監視し、汚染拡大防止策を講じる。国は汚染場所の基準と作業スケジュールを明らかにする。
4) 電気事業者の監視: 事業者が規制当局に不当な圧力をかけないよう、事業者と規制当局の接触にルールを設ける。電気事業者間において安全に向けた先進事例紹介と、達成に向けた相互監視体制を構築する。東電に対しては経営管理体制、危機管理体制、情報開示体制を再構築し、高い安全性目標に向かって継続的な自己改革を促す。電力事業者を監視するために立ち入り調査権を伴う監査体制を国会主導で構築する。
5) 新しい規制組織の要件: 規制組織を抜本的に改革する。高い独立性、透明性、専門能力と責任感、一元化、自律性を持った組織を作るものとする。 
6) 電子力法規制の見直し: 世界の最新の技術的知見を踏まえ、国民の健康と安全を第1目的とする一元的な法体系を再構築する。安全確保のため第一義的な責任を負う事業者、そして事故の時この事業者を支援する各当事者の責任分担を明確化する。規制当局は世界水準に向けた努力を継続するため、不断の見直しをおこなうことを義務づける。新しいルールは既成の原子炉にも遡及適用(バックフィット)することを原則とし、廃炉または対応が出来る場合の線引きを明確にする。
7) 独立調査委員会の活用: 未解明部分の事故原因の究明、事故収束に向けたプロセス、被害拡大防止策、廃炉の道筋など国民生活に重大な影響を与える問題を調査審議するため、第3者機関として「原子力臨時著プ差委員会(仮称)」を設置する。

要旨から
本書「国会事故調」の本文は5部構成で約500頁からなる大部な報告書である。全文を読んで新聞で見るだけでは分からなかった新事実があった。「真実は細部に宿る」という言葉があるが、数分の時間の差で原因と結果が逆転するのである。図や表で整理して詳細を追うと見えてくる事実がある。まさに犯人を追い詰める論理ゲームが展開されるが、この読書ノートでは膨大になって態をなさない。そこで要旨だけを紹介する。本文は本書を買って1-2週間じっくり読み込んでほしい。そうすればこれほど知的興奮を覚える書は無いと断言できる。

1) 事故の概要
2011年3月11日に発生した地震と津波を端緒として東電福島第原発は、国際原子力事象評価尺度INESで「レベル7」という極めて深刻な事故を引き起こした。14時46分の地震発生時、1号機ー3号機は運転中で、第4号機−第6号機は定期検査中(運転停止中)であった。運転中の第1号機−3号機は地震発生後に自動停止(スクラム)した。この地震で東電福島変電所から福島第1原発への送配電設備がすべて損傷し送電は停止した。東北電力からの送電線は1号機配電盤のケーブル不具合が発生し、福島第1原発は外部電源をすべて失った。そして15時37分頃津波が第1発電所を襲った。非常用ディーゼル発電機(D/G)や冷却用海水ポンプ、配電系統設備、1号機・2号機・4号機の直流電源などが水没して機能不全となり、6号機の空冷式非常用ディーゼル発電機1台を除いてすべての電力供給設備が失われた。こうして1号機・2号機・4号機の全電源喪失、3号機・5号機の全交流電源喪失(SBO)がおきた。3号機の直流電源(バッテリー)のみは残ったものの、3月13日未明には放電しつくして全電源喪失となった。津波は全エリアに海水を流し込み、電源だけでなく建屋や機器・設備、道路を破壊した。電源喪失によって、中央制御湿での計装や監視パラメータ、制御、照明、通信手段を一挙に失った。こうして現場運転員は有効なツールや手順書もなく、暗闇のなか手探りで事故対応にあたった。電源がないと通常の高圧注水、原子炉減圧、低圧注水、格納容器冷却と減圧、最終ヒートシンクへの崩壊熱除去といった事故回避へのステップができない。各機の事故進展の様子を記す。
1号機については11日18時より炉心が露出し、18時50分には炉心損傷が始まったと見られる。3月12日朝5時46分1号機に海水が注入が開始され、14時30分ベントが行なわれたが、15時36分1号機建屋が水素爆発をした。
2号機だけは非常用冷却装置RCICが働いたが、3月14日13時25分RCICが停止し、17時から炉心露出が始まり19時20分ごろ炉心損傷が始まった。2号機への海水注水は19時54分から開始された。3月15日朝6時に原子炉底が破損し(?)大量の放射性物質が放出された。
3号機は3月12日11時にはRCICが停止し、HPICが働いたが翌13日2時42分にはそのHPICも停止した。9時10分には炉心が露出し10時42分には炉心損傷が始まった。3号機への海水注入は13時12分に開始された。14日11時に3号機建屋が水素爆発をした。
4号機は運転中止していたが建屋内の使用済み燃料プールへの注水が出来ず水位が低下し続けた。3月15日朝6時ごろ4号機建屋が水素爆発した。水素爆発をしなかった原子炉建屋は、1号機の爆発で建屋の壁が壊されたため爆発限界に達しなかった2号機と、非常用ディーゼル発電機が動いて冷温停止に成功した5号機と6号機であった。

2) 事故は防げなかったのか?
2011年3月11日時点で、東電福島第1原発が地震に耐えられる保証は何もなかったこと、又シビアアクシデントに対応できる準備は何もなされていなかったこと、その理由として東電あるいは規制当局が何度もリスクを認識する機会があったにもかかわらず、既設炉の稼働と訴訟問題を恐れて対応を拒み続けてきたことが事故の根源的な原因であった。2006年中越地震による刈羽原発事故を受けて、原子炉の耐震設計審査基準が大幅に改定された。基準振動を600Galとした既設原子炉のバックチェックの実施が求められたが、東電は2009年に最終報告を求められていたが、限定された設備のみを対象とした中間報告を提出でお茶を濁し、それ以降全体的な耐震バックチェックを怠り、最終報告提出をかってに2016年まで延期し、かつ1−3号機の耐震補強工事は全く実施していなかった。保安院は東電の対応の遅れを黙認してきた。したがって古い設計基準で作られた1―3号機が地振動による損傷がなかったかどうか保証の限りでは無い。2006年の段階で、土木学界手法による予測を上回る津波が来たとき、海水ポンプが損傷し炉心損傷に繋がる危険は、保安院と東電は認識していた。そして何も手を打たなかった理由の背景には、保安院の審査や指示が伝統的に非公開で行なわれ状況が外部には分からなかったこと、また土木学界手法による津波高さ予測が正しかったかどうか疑問が残ることである。電力業界は多大の研究費を土木学界に援助し津波評価に深く関与した。そして津波確率を恣意的に「ありえないほど低い確率」とみて対応を実施しなかったことである。これは長時間の全電源喪失を「あり得ないほど低い確率」として考慮しなくていていいとした原子力安全委員会の指針と同根のリスクマネジメントであり、原子力安全神話で自分を騙し続けた自己撞着の結果である。日本のシビアアクシデントSA対策は実効性に乏しかった。それは運転と設計上の内部事象のみしか想定しなかったことによる。1991年原子力安全委員会は、「SA対策は技術的、知識ベースによるもので、安全規制はそぐわない」として自主対応でよいとしてきた。それでも2010年より海外の動向を受けた保安院のSA規制化の流れに対して、東電は電事連を通じて執拗な働きかけを行い、バックフィット(遡及的対応)が既設路炉の稼働率の低下や原発訴訟の口実にならないように、「バックチェック」という言葉に変えて見直しの骨抜きをおこなった。まさに東電の官僚的手法といえようか。こうして確率は低いが破滅的な事象を引き起こす事故シナリオに頬かむりをしてきたことが事故の根源的原因である。

3) 事故の進展と未解明問題の検証
東電の耐震工事は進んでおらず津波による溢水対策もなされてこなかった状況は事前の過酷事故SA対策を怠ってきたため、そもそも事故の進展に対して有効な運転手段は限定されていたといえる。電源系統の多重性・多様性・独立性はすべて破壊された。そして問題は電源系統の重要機器が浸水を受けやすい1階の同じ場所に設置され、非常用ディーゼル発電機は建屋地下にあった(これはGEの設計による)。3系統の外部送電ルートが全て地震で破壊されたことも決定的であった。非常用復水器ICを含めてマニュアルも訓練もなく、かつベントの操作も図面が不十分で、運転作業員は未経験の手探りの対応を迫られた。1号機、2号機、4号機建屋で水素爆発が起り、2号機では炉心溶融から格納容器破損まで進行したと思われる。他方5,6号機では炉心損傷は回避されたのは非常用ディーゼル発電機1台が生き残ったという僥倖によるもので5号機ではいま少しの暗転で過酷事故に進展したかもしれないし、4号機の使用済み核燃料プールの冷却が失敗したなら被害はさらに拡大したかもしれない。アメリカは特にこの使用済み核燃料プールの損傷を心配した。今なお事故は収束していないので、炉心・格納容器内を検証することはこの先何年も不可能である。それをいいことにしてIAEAへの政府報告書や東電の事故報告書は「地震によって損傷を受けた機器は認められない」といっている。損傷を受けていないかのような表現であるが、損傷を受けていたかどうか当面確認のしようがないだけの事である。特に冷却材喪失事故LOCAでは、津波直後まで炉心の水位と圧力は正常であったが、配管の微少な損傷では数十トンの冷却水が喪失するまで10時間ほどかかるのである。それをもって配管が損傷を受けていない証明にはならない。非常用交流電源の喪失は津波による浸水が原因とする見解が政府事故調や保安院の「技術的知見」によってなされているが、津波が襲った時刻と非常用交流電源喪失の時刻の微妙な差は少なくとも1号機A系列の非常用電源喪失は津波によるものではないという見解が本書で述べられている。1号機の緊急時冷却装置ICは14時52分に自動起動したが11分後作業員が手動で停止した。作業員の証言では原子炉圧力の降下が早いのでIC配管から冷却材が漏れていないかどうか確認するためであったという。1号機の逃がし弁SRが地震後作動した形跡がない。地震ですでに開閉不能になっていたのではないか。ようするに本事故調は津波の浸水前にすでに地震による小規模機器配管の損傷LOCAが起きていた可能性を主張する。東電や政府事故調はすべて想定外の津波を原因とし、地震による原子炉と機器配管の損傷はなかったことにしたいのである。既設炉や他の原発の耐震設計の見直しに関係するから、今後の再稼働条件を津波対策(堤防嵩上げ)だけで済ませたいという意図のもとに事故報告書が書かれているのである。事故原因を闇の中へ葬ってはいけない。LOCAの可能性は未解明問題として今後の検証を待つ見解を堅持してゆきたいという。

4) 事故対応の問題点
東電の事故対応の問題点は次の5点にまとめられる。@事故時に社長と会長の二人が本社不在で迅速な連絡に支障をきたした。Aシビアアクシデント対策が機能せず、緊急時マニュアルも役に立たなかった。B東電(現場ー本店)ー保安院ERCー官邸の指揮命令系統の混乱である。特に本社が十分に現場の状況を把握し、情報を官庁へ報告するという基本が取れなかった。C本社が技術的援助ができなかったことである。原発事業の最高責任者である武藤副社長がオフサイトセンターに行き、官邸の技術的質問に黒岩フェローが答えられず、斑目安全委員長のトンチンカンな指示を社長が是認するなど、現場の第1線を支援する意識も体制も整っていなかった。D官邸の意向を探るような清水社長の「全員撤退問題」に端的に現れている東電の経営体質がある。民間企業でありながら自律性と責任感に乏しい特異な経営体質が、本事故において政府を事故当事者に巻き込み東電の責任を曖昧にしようとしたのだ。東電は今になって官邸の誤解や過剰介入を責められる立場にはなく、むしろそういう事態を招いた張本人である。撤退問題は官邸の意向を探り、事故処理において政府官邸を共犯にする為に仕組まれた罠であった。次に規制官庁(政府組織)事故対応の問題点は、整備してきた災害対策のツールを地震津波のために失い原子力対策本部と事務局、現地対策本部は情報の機能不全に陥り全く官僚機構は事故対応のイニシャティブを取れなかった。官僚の無能及び機能不全に対して、官邸対策室だけが総合調整や意思決定(避難指示を含めて)を迅速に進めた。東電のテレビ会議システムを利用した官邸・東電統合事故対策本部がすべての情報と指揮を執り官僚機構は蚊帳の外に置かれた。ただ官邸にはベントや海水注入の遅れの現場の理由がつかめず、焦りと東電への不信から、無用な指示を出し続けた点は反省しなければならない。災害に混乱した対応は付き物で後からいくらでも指摘できるが、訓練のような整然とした対応は理想である。これをあまり責めることはできない。要は国民を守る視点で行なったかどうかによる。官邸政治家や官僚機構に真の危機管理意識がが不足していた。状況によっては国民を守ると同じように作業者の命を守るため全員撤退もありうることが危機管理の基本である。玉砕を叫んで戦地に突入するだけが将の器では無い。本当に原発が破滅的でこれ以上打つ手はなく撤退しか道が残されていない場合の判断は現場に任せ、速やかに住民を避難させることが政府の役割ではなかったのだろうか。福島県の事故対応の問題点は、オフサイトセンターの立ち上げに失敗し、オフサイトセンターも避難地域に入った。通信手段を失って関連市町村への連絡指示は困難を極めたことである。放射線緊急時モニタリングが実施できず、住民を一時高濃度域に避難させたことは政府と地方自治体の失敗である。また住民への避難情報もなぜ避難が必要かを説明できていない。何もいわずとにかく着の身着たままで追い立てるように3km、10Km、20Kmと避難させた。たとえ不確実な情報でも政府の判断基準となった情報は住民に説明しなければならない。「無用の混乱を恐れて」という官僚用語は実は「愚民政策」の裏返しにすぎない。

5) 被害状況と被害拡大の要因
本事故は結果的に、チェルノブイリ原発事故の約1/6にあたる放射性物質900Bqを大気に放出した。福島県内1800キロ平方の広大な面積が年間5mSv以上の線量で汚染された。住民1万4000人の外部被曝線量推計によると、1mSv以下が57%、1ー10mSvが42.3%、それ以上が0.3%であったという。政府の指示によって避難した住民は約15万人に達した。半径20km以内の警戒区域該当者は約7万8000人、20Kmを越えて20mSvの汚染地域である計画的避難区域該当者は約1万人、20−30Km内で計画的避難区域を除く緊急時避難区域の該当者は約5万人となる。安全委員会は2006年国際基準となっている防御措置を導入すべく防災指針の見直しを検討したが、防災指針を強化することが住民の不安を募りひいてはプルサーマル導入期にあったためそれへの影響を恐れた保安院(もう保安院は規制官庁ではなく原発推進官庁に成り下がっていた)の懸念によって見直しは見送られた。2007年複合災害を想定した原発防災対策を保安院は進めようとしたが、推進官庁や一部立地自治体の反対にあって頓挫したままであった。住民保護のために政府は緊急時対策支援システムERSSとSPEEDIを整備してきた。ERSSによって放射性物質の放出量を予測し、SPEEDIによって放射性物質の拡散状況を予測するものである。逆に言えば事故時ERSSの放出量データが得られない場合は、SPEEDIの予測は活用できないことであり、原子力災害関係者には予測システムの限界を認識していた者もいた。それでも安全委員会が計算した逆推定値はたとえ不確かであったとしても、避難指示に役に立ったはずだが顧みられることなく防災本部の官僚によって無視された。緊急被曝医療体制の今回のような広域被曝を想定していなかったので、指定病院が避難地域となって機能しなかった。こうして検証してゆくと、すべての防災計画は絵に書いた餅みたいな官僚作文に終って何一つ機能しなかった。また東電の原発作業員には事故当初線量計を全員に持たしていなかったことで被爆量は推定によるしかない。本事故によって防災指針は無能である事が曝露されたようで、日本の国の危さが思いやられる。せめて今後住民と原発作業員の長期健康モニターを実施し、汚染地域のモニタリングと除染を実行し(莫大な費用がかかるが)、汚染土壌の仮置場の確保することである。(私論:それを東電の費用でやらせることだ。そうすれば原発は割に合わないことが見にしみて分かるはずである。被害を受けた国民の税金でやって東電は生き返ろうとするがそれは許してはいけない。)

6) 事故当事者の組織的問題
事故当事者である東電、規制当局の組織統治能力(ガバナンス)を問題とする。事故の根源的原因は何度も地震・津波のリスクに警鐘が鳴らされたにもかかわらず、東電がシビアアクシデントの原因としての外部事象の発生確率が低いとして地震・津波対策をなおざりにし先送りをしてきた点にある。またそれを許してきた規制当局の責任も重い。やるべきことをやらない、これを行政の不作為という。海外での規制実施を受けて、全電源喪失対策の指針への反映、直流電源の信頼性見直しを検討してきたが、それを考慮する必要は無いと規制を見送った。東電・保安院にとって今回の事故は決して「想定外」ではなく、認識していたのも係らず対策を怠った責任は免れない。電気事業者は耐震安全性見直しのバックフィット、SA対策などの規制強化を拒み続け、電事連を通じて学界や規制当局に規制回避を働きかけた。こうした事業者のロビー活動に規制当局は妥協し、事業者の都合にあわせた指導でお茶を濁してきた。これを「虜の構造」という。東電の経営伝統は自律性と事業の責任感が稀薄で、お国の依頼で原発をやっているから規制を弱めてこちらのわがままを聞いてくれという関係を続けてきた。まさに東電は経産省の一部組織に近い感覚で運営され、お互いに深く依存しあっていた。原子力技術に関する情報格差を武器に、電事連を通じて規制を骨抜きにする試みを続けた。シビアアクシデントの経営のリスクとは、周辺住民の健康や生活に与える影響ではなく、対策を講じる費用や既設炉を停止したり、訴訟上不利となる事をリスクと捉えてきたことである。原子力部門の経営は決して楽ではなく、最近はコストカットや原発稼働率の向上ばかりが重要な経営課題として認識されてきた。「安全第一」は掛け声だけで、利益率最優先の姿勢はどこの企業体とも変わらなかった。扱っている商品事業が極めて危険であることを東電本社は忘れていたのでは無いだろうか。規制当局との伝統的な癒着体質は非公開を原則としてきたため、情報とくに不都合な情報の隠匿は日常茶飯事であった。今回の事故での放射線漏出情報公開は不十分で結果として被害拡大の遠因となった。最後にわが国の規制当局には、国民の健康と安全を最優先と考え、原子力の安全に対する管理監督を確固たるものにする組織的な風土も文化も欠落していた。失われた国民の信頼を取り戻すには、新規制組織は国民の安全を最優先する前提に立たなければならない。そして組織の独立性、透明性を高め、専門能力を持った人材を育成し、国際安全基準に沿ってわが国の規制体制を向上させてゆく「開かれた体質」が必要である。さらに緊急時の迅速な情報共有、意思決定、指令の一元化を図る必要がある。

7) 法整備の必要性
これまで原子力防災体制は事故があるたびに、改定などのパッチワーク的対応がなされ、予測可能なリスクでも顕在化しなければ対策が講じられることはなかった。日本の原子力法規は原子力の推進を第一義的に設定したもので、規制という側面は「日蔭の身」的に捉えられてきた。そのため日本の原子力法規制は、安全を志向する諸外国の原則に遅れたフェイズの浅い規制しか行なってこなかった。規制当局は最新の技術的知見を反映する法体系に迅速に切り替え、今回の事故を踏まえて新しいルールで見直すバックフィットを実施し、新ルールに合致しない旧型炉を廃炉とする決断が必要である。原子力法体系において、原子炉施設の安全性確保の第一義的責任は事業者にある事を明確にし、原災法は事故対応においては事業者とそれ以外の当事者との役割分担を明確にすることが重要である。


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