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松本美和夫著 「構造災ー科学技術社会に潜む危機」

  岩波新書 (2012年9月 ) 

為政者の国民に対する無責任体制の構造 

この日本という国の為政者はつくづく無責任だとおもう。無責任つまり無反省である。2011年3月の福島第1原発事故の惨状も見て、遠くはなれたドイツの保守中道政権のメルケル首相はすばやく2022年までに原発を凍結するという工程を示した。メルケル首相の諮問機関「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」委員の社会学者ベック氏は「これは間違いなく世界の模範たらざるを得ない。この出来事の把握に努め、それが思考と行動にどのような変化を及ぼさざるを得ないかについて判断を下すべき時期である」という。ドイツがこれほど鋭く反応するのに、日本は暗愚というべき無反応であった。日本とドイツはファッシズム三国連盟を結んで先の大戦で連合国軍に敗れ無条件降伏した共通点を持つ。ドイツはユダヤ人虐殺を深く反省したが、日本は「南京大虐殺はなかった」とか「太平洋戦争は植民地主義に対するアジア諸国の独立を助けた大東亜共栄圏運動であった」とかいって自身の非を美化する輩がいまなお政治の舞台に存在する。ドイツの政治家が「アウシェビッツはなかった」と言い張るようなものである。これは日本社会の愚ではなく、日本の為政者の愚であるとはっきり区別して、日本に巣食う愚かさをさらけ出す必要がある。それが本書の真の役割ではなかったのだろうか。結論から言えば本書はあまりに知を装うあまり、言葉の先鋭さを失っている。「科学技術社会に潜む危機」とはきれいごと過ぎる、なんてことはない失敗の結果の規模・時間が大きいだけのことである。太平洋戦争では数百万人の日本の人命が失われた。中国の失敗の規模はもっと凄まじいほど大きい。人口に比例するからである。おしいかな本書は日本の愚の根源を突き止めるのを避けているかのようだ。そこで筆者が本当に言いたかったことを替わって述べよう。日本の為政者の無反省・無責任はどこから来たのかというと、それは明治の欽定憲法からきている。明治維新で権力を握った薩長武士は天皇を担いで自身の野望をほしいままにした。政府を担った為政者は法体制では形式上・対外的に天皇を最終責任者としているので、為政者自身は責任を取らない。したがって常に為政者の眼は天皇を向き、国民を見ていない。政府が報告すべきは天皇へ、選挙で選ばれた議会ではない。政府は議会を超越していた。天皇は無力だから、政府と官僚は失敗はすべて隠してきれいごとや勇ましいことばかり報告するのである。こうして約150年かかって為政者の根性が形作られた。

本書がいう構造災の特徴とは、
@秘密主義(限られたセクター内でしか情報は開示されない) 特定セクターの利益最大化のため、被害者である国民を蚊帳の外に置く
Aセクターの利益のための長期かつ構造的な逸脱の常態化(規範の空洞化)
B対症療法の増殖(コスト最小で効果最大を見積もる気休め)
C先例を踏襲して解決の先送り(官僚の自己保身本能)
D問題の複雑性と相互依存性を見抜けない単純線型思考法 
のことである。これは当たっている。本書の題名は「構造災ー科学技術社会に潜む危機」であるが、つまるところ社会学的には日本の病根といってもいいくらいで、著者には失礼かもしれないが、「科学技術社会」という前提はなくてもいいくらいである。そして日本社会というのも責任分担をあいまいにする言い方なのでしっくりこない。そこで日本あるいは日本社会を「為政者」に読み替えて、「日本の為政者の病根」という副題にすればもっと分かりやすい。国民に対して決して責任を取ろうとしない為政者の病根であろう。無論為政者に対して異議を唱えるべき国民の力の弱さは2000年来の病根であり、東洋的専制体制の宿阿ともいうべき愚民策(知らしむるべからず、寄らしむべし)に由来している。中国も同じであろう。中国ではこれを「開発独裁制」と呼んでいる。唐 亮 著 「現代中国の政治ー開発独裁のゆくえ」(岩波新書 2012年)を参照してください。

では本書に移ろう。2011年9月あるところで、「人の不幸をネタにして、学者は業績作りにいそしむものですね」といった歴史学者がいたそうだ。2011年3月11日の東日本大震災をネタにして、声も出なくなって売れない年老いたタレントが大挙して東北へ「慰問行脚」に出かけ、テレビに露出しようとする根性、特に地震災害予想と称して数十万人という死亡者予測をして自治体を脅かし、仕事を得ようとする地震学者。原発再開を目指して世論の沈静化を図る経産官僚とメディア。これがいまなお大震災と福島第1原発事故にくるしむ日本社会の病根なのだろうか。復旧だ復興だとか数十兆円の特需が沸いたように狂喜する土建・建設業界と焼け太りを狙う官僚組織の醜態を見るにつけ、救い難い日本社会の腐敗を感じる。「破壊と建設」は資本主義の景気循環の鉄則であると云う人もいる。人の不幸を経済成長の踏み台にするという非情さは政治家に必要な資質なのだろうか。この国には同じ事を繰り返すまいとまごころから反省する人がいないのだろうか。本書は福島原発事故が深く社会の構造に関ることを指摘する。ドイツのリスク社会学者ウルリッヒ・ベック氏は2000年ごろから警鐘を鳴らしてきたが、日本の社会学者がこの原発のリスクについて発言することは皆無であった。「構造災」という言葉は筆者の松本美和夫著「知の失敗と社会」(岩波新書 2002年)に提示された概念であるという。構造災とは簡単に言えば、科学・技術と社会のインターフェイスで起きる災害をさす。福島第1原発の炉心融解の可能性を予測できなかったのであれば「科学の失敗」であるが、しかし炉心融解はすでに公知の事象であって予測できなかったわけではない。福島第1原発の第1号機から4号機はおなじGE製のマーク1型炉であり、1979年のスリーマイル島原発事故よりも前に設置されているので技術の失敗ではない。宮城県女川原発1号基も同じマーク1型で福島第1原発のような事故を免れている。偶然の差というには東北電力と東京電力の体質の違いも問題となる。使用者責任の問題かもしれない。科学と技術の問題(倫理)と単純にいえない構造的な制度の欠陥が見逃されているのではないかという点から本書は始まる。

私は福山哲郎著 「原発危機ー官邸からの証言」(ちくま新書 2012年8月 )を読んで疑問に思った 「SPEEDI」の謎を次のように書いた。「SPEEDIとモニターシステムとは無関係である。両者の結果を照合する必要は有るが、SPEEDIは環境モニターシステムのデータと連動するのではなく、ベントを開けた時に想定される放出量を入力し、当日の気象条件を連動させれば放射性物質の拡散の予測はできる。SPEEDIデーターが遅れた理由と事故時の停電とは全く無関係である。SPEEDIは施設ではなく拡散予測プログラムである。私見では有るが、事前のシュミレーションでかなりの事は計算上予知されていた。ただあまりの恐ろしい結果が予測されるので、官僚が公表を躊躇ったに過ぎないと思われるがいかがであろうか。この程度の指摘を官邸に行なわなかった科学者・官僚の無責任・無作為は厳しく問われなければならない。政治家は同心円で汚染を考えざるを得ないが、緊急時の汚染は風向きで支配されるのでその方向への避難を避けるなどの配慮が必要となる。今回のSPEEDI騒ぎにはどこか腑に落ちないというか、間違った事を議論しているように思える。枝野長官も福山副長官もこの時点ではSPEEDIの存在に気がついていなかったという。当然であろう政治家が一つのコンピュータープログラム(ソフト)の事を知らなかったとしても何ら不思議は無い。」 本書の序章で松本美和夫氏は「SPEEDI」の4つの矛盾を指摘している。
@ 放射線汚染の予測はなされていたのに、いざ事故を眼のあたりにすると当の予測から避難へという目的をあっさり放棄したこと。どこからか力が働いたとしかおもえないが。
A 防災基本計画において「SPEEDI」の予測伝達範囲が原子力防災関係者と自治体に限られ、避難当事者の住民に伝達することは全く考えられていなかった。そもそも誰のための制度設計なのかが問われる。
B 「SPEEDI」の目的に関する国会事故調審議で、斑目原子力委員長は「建前上目的はそうなっているが、不可能だと思っている」と答えた。建前と現実の乖離、規範の空洞化が平気で行われていた。国民を騙すための規範であったに過ぎないと自白したようなことである。
C 「SPEEDI」は2009年に日本原子力学会の第1回原子力歴史構築賞を受賞している。役に立てなかったシステムに賞を与えた学会からは自己批判、弁解の弁もない。研究倫理、学術団体の存在意義にかかわることである。

ここで「SPEEDI」というプルーム拡散モデルについて考えよう。科学技術セクターにとんでもないウソが隠されてそるからだ。「SPEEDI」はスーパーコンピューターの時代でなければ計算できなかった新理論ではない。日本で公害問題がクローズアップされて防止対策が講じられていた1960年代末に「大気公害防止技術」なる教科書が通産省から発行されている。そのなかで大気汚染物質の拡散モデルとしてプルームモデルが採用され、我々もよく勉強したものである。大気汚染物質の拡散は全方向へ均一拡散するものではなく、そのときの大気の流れ(風)に乗ってある程度高濃度のまま流れてゆくものである。流体力学と気象条件と地理・障害物条件を加味して予測制度をあげる実験とモデル開発が行われ、化学物質公開制度PRTRに備えた化学物質リスク評価システムについては2000年までにシュミレーションは完成していた。放射線物質も大気汚染化学物質の拡散モデルは同じであるので、「SPEEDI」についても同じ頃開発されたに違いない。このモデルは現実の事故時に連動して動くものではなく、入力条件をいろいろ変えてあらかじめシュミレーションすることで、事故に備えるリスク評価手法である。事故があろうとなかろうと条件設定をして事故の影響を予測しておくものだ。もちろん事故時の放射線物質排出量(これまた予測値であるが)が分かれば入力し、事故時の気象条件を気象庁システムから入手して、あらかじめ福島第1原発の土地条件と建物条件(固定条件)はわかっているので入力すれば、時々刻々の汚染濃度地図や、一定時間後の平均的濃度地図が容易に作成できる。したがって原子力事故対策技術セクターはやる気があれば瞬時に汚染地図は描けるはずで、高濃度煙流が飯館村方向へ流れ飯館村での放射線濃度は予測できたはずである。それをなぜ遅滞なく政府に報告しなかったのかが疑問である。やはり政府への報告を止める何らかの力が働いたとしか思えない。これが日本の社会ではなくはっきりというと為政者の病根である。

著者松本三和夫氏のプロフィールを紹介する。1981年東京大学大学院社会学研究科博士課程を終え、1982年城西大学専任講師、1985年助教授、1995年、城西大学教授、1996年東京大学大学院人文社会系研究科助教授(社会学)、2003年に教授となる。専攻は科学社会学、リスク社会学、技術の社会史である。主な著書には、「船の科学技術革命と産業社会 イギリスと日本の比較社会学」( 同文館出版, 1995)、「科学技術社会学の理論 」(木鐸社, 1998)、「知の失敗と社会 」(岩波書店, 2002)、「テクノサイエンス・リスクと社会学」( 東京大学出版会, 2009)などがある。本書は第1章で構造災の5つの特徴を明らかにし、第2章で構造災が繰り返されるメカニズムを3つに分類し、第3章で戦前から繰り返される構造災の歴史を振り返り、第4章で福島第1原発事故がもたらしている放射線被曝問題は長期の構造災の様相を呈している事を警告するのである。同一の事態の資料やデータをみても、公表主体によって内容に矛盾があり、出来事の意味を理解できない状態がごく普通に存在する場合、その観察対象は秩序を著しく書くと見なされる。構造災とは、そういう秩序を著しく欠く状態が共通の原因によって起きている可能性を主張するものである。この日本の世は病んでいる。病根は一つである。それは為政者の国民に対する無責任であると。

1) 構造災とは何か

本書は安全性工学や信頼性工学、多重防御設計関係の本ではない。科学・技術側から事故を管理することが目的ではない。むしろそれがある見方によれば無力である事が今回の福島第1原発事故で立証されたようなものである。本書は社会学的に事故のヒューマンファクターあるいはソーシャルファクターを考察するリスク社会学(科学社会学)に属する。事故原因が科学・技術と社会の境界(インターフェイス)に存在する社会構造的欠陥(構造災)を問題とする。なぜ最近になって急に話題となるかといえば、科学技術の進展により、装置や構造が複雑で問題の相互依存性が単純でないため、なかなか科学・技術的に事故の本質がつかめないのである。事故の影響が広い範囲と時間にひろがり、規模が大きいため、巨大なシステムほど制御できないことがある事がわかってきたからである。その典型が核兵器競争・原子力発電、ゲノム治療・遺伝子操作、オゾン層破壊・地球環境問題がクローズアップされたことが「構造災」提起の背景にある。1975年に原発の事故確率を計算した「ラスムッセン報告」があるが、きわめてありえない事象として報告された。多重防御の考えは多くのバリアーの事故確率を掛け算して総合リスクを評価するもので、計算上はごく低い値で考慮に価しないし、まして対策をとる必要は無いという安全神話を生んだ。しかしのその4年後の1979年スリーマイル島原発2号炉で事故が発生した。日本では1970年代に始まった原発稼働以来、大事に至らなかった事故は数え切れず発生したし、数多くの事故は隠蔽されてきた。そして初期の原発が寿命を迎える前の2011年3月に、制御不能となった炉心のメルトダウンによる水素爆発というシビアアクシデント(深刻な事故)が発生した。水素爆発の可能性が予知されていなかったとすればそれは「知の失敗」であるが、すでにガルブランセンが1975年"bulletin of atomic sciense"誌に「原子炉材料としてジルコニウムは重大な欠点を有する。摂氏1100度で水と反応を起こすと炉と配管の損傷は食止められない」と発表していた。原子炉工学者らは使用実績からして問題とならないと一蹴したというが、それは通常運転の場合であって、事故の条件を無視するものであった。推進者側からして都合の悪い指摘は無視するという宿根が発揮されている。可能性が指摘されると有り得ないといって事故の根をないことにする。しかし事故は何重ものバリアーをかいくぐって起きるのである。工場での事故例では、事故は安全装置がすべて死んでいたから起きるのであって、安全装置が同じ質のものであれば時期が来れば安全装置は一斉にシャットダウンしているのである。

構造災とは次の5つの特徴を持つ状況が複合的に関与する、科学技術と社会の境界で発生する複合境界災害であると著者は断定する。この5つで必要十分かといえば、まだまだ事故因子はありそうであるが、とりあえず初めに書いたこの5つの要因で話をまとめよう。少し敷衍してまとめると
@ 先例が間違っているときに先例を踏襲して問題を温存してしまう:   
A 系の複雑性と相互依存性が問題を増幅する: ペローは1984年に、巨大科学技術システムは複雑性と相互依存性のための男重大な事故を起こすリスクを抱えていると警鐘をならした。問題が複雑で単純でないということは、因子が非線形で絡んでいるということである。相互依存性とはシステムの要素が多くて、不幸にも要素間の相互作用が事故発生となることが予測できないことである。複雑性と相互作用性は科学技術システムのみならず、人の振る舞いと社会の仕組みとの間にも存在する。
B 小セクターの非公式の規範が公式の規範を長期にわたり逸脱し空洞化する: 1986年のスペース・シャトル・チャレンジャー号の爆発事故 はシール用Oリングの低温脆化性原因であるとノーベル物理学者リチャード・ファイマンが結論付けたが、ダイヤン・ボーンが1996年にNASA宇宙開発関係者集団の構造、特に部品開発の基準の逸脱が長期にわたって存在した事を指摘した。振動による接合部の隙間が生じることが分かっていたにもかかわらず許容差として受け入れる習慣であったという。小集団の非公式な規範が部品検査の公式の品質保証を空洞化するといった現象は構造災をかたちづくる重要な要素であると言える。
C 問題への対応においてその場限りの想定による対処療法が増幅する:  1986年4月旧ソ連のチェルノブイリ原発事故後の放射線影響がイギリスのカンブリア地方の羊遊牧地に騒動をもたらした。放牧地の土壌が酸性泥炭質でセシウム137を吸収しないだけでなく、土壌から植物へそして羊へという植物連鎖を考慮しない1964年の論文を参考にしたモデルを採用したため、セシウムの影響を過少評価し、羊の移動や処分禁止という指示を出さなかった。その後政府は谷間への羊の移動を奨励したり、最後には全面的に羊の移動と処分を禁じた。その場限りの想定に基づく対応が限りなく連鎖しするという対症療法の増殖を、1996年ブライアアン・ウィンは「カンブリアの羊」と呼んだ。日本では福島第1原発事故の時政府は、一番放射線放出の高いときは秘密主義で隠し、その後次々と避難区域を拡大してゆき、あまつさえ放射性物質の拡散を全方向均一拡散と考えてコンパス避難行政しかおこなわず、煙流(プルーム)に乗った拡散である「SPEEDI」予測を公表しなかったために飯館村をはじめ北西方向への高濃度拡散を見逃した。これを「飯館村の悲劇」と呼ぼう。
D 責任の所在を不明瞭にする秘密主義が、セクターを問わず連鎖する:   2012年1月福島原発事故を検証する国会事故調査委員会の大島委員は政府の事故調査・検証委員会の畑村委員長にこう質問した。「国会の事故調は必要があれば国政調査権を使い強力に証言を求め、活原則公開で行なわれる。政府調査委員会はそういう権限は無いし原則非公開でなされている。限界はないのですか」と、これに対して畑村氏は「とても答え難いのです。その証言が果たして協力的なのか、証拠品を出せともいえないし」とまことに情けない答えをしている。内容の妥当性を確認する道が他者に対して開かれていない状況では、政府事故調報告内容は正しかったかどうか信用したくとも出来ない相談なのである。誰に何をどのような仕方で聞いた結果、どのような情報が得られたかが一体として明示(開示)されないかぎり、発信者をとにかく信用しろという言い方は調査倫理の基本前提に反している。政府事故調の報告内容には、学術的な妥当性、信頼性を担保するため不可欠な条件を阻害する非密主義が作用しているのである。しかも委員会では生の証言が聞かれるのではなく、内閣官房の事務局官僚の手によって摘要された聞き取り結果を元に議論される制度自体に問題があり、かつ聞取書については必要な範囲で開示するということだから、委員でさえ1次資料へのアクセスが制限されているのである。事故原因の究明は必ず利害関係者の責任追及に繋がらざるを得ない。その結果関係者の発言は非公開とするという調査原則の変形が秘密主義となる。そして原子力対策本部の初期対応を事務局が議事録に残していなかったことは信疑は別にして結果的には責任の所在を示す証拠の隠滅である。こうして2011年7月8日政府事故調委員会で「責任追及のためには使用しない」旨の申し合わせがなされた。こうして秘密主義は責任の所在を公共的争点としないためであった。秘密主義の連鎖は責任の分配を巡って、構造災の重要な要因である。官僚の「無過失神話」が秘密主義によって醸成されてきたのである。

2) 構造災のメカニズム

第1章で構造災を特徴付ける5つの要因を挙げた。いかにも日本的(東洋的)なと思われる秘密主義、対症療法主義、規範の空洞化(骨抜き)が主要な3つの要因であり、先例踏襲主義は対症療法主義や官僚主義に通じるものであえて一項をもうけるまでもない、系の複雑性と相互依存性は境界で起きる事象ではなく対象に直属する事象でありかつ時代に相対的なもので、対症療法主義に陥る原因とも考えられる。先例踏襲主義と系の複雑性と相互依存性は従属的な要因である。第2章では構造災につながる3つのメカニズムを提唱する。@ロック・インのメカニズム A自己否定のメカニズム B自己運動する制度のメカニズムである。構造災が誤った道に堕ちてゆくスパイラル運動(軌跡)の特徴を挙げたものである。なるほどこういう風に表現できるかと思わせるが、3つとも同じ様相を描いたものである。石油ショックを受けて通産省が1974年にスタートさせた「サンシャイン計画」(新エネ)と「ムーンライト計画」(省エネ)のなかで、新エネ(今は再生可能エネルギーという)の風力発電開発の顛末を具体例として、構造災のメカニズムを分析する。松本三和夫氏は「テクノサイエンス・リスクと社会学」(東京大学出版会, 2009)において「経路依存性理論」を、偶然の出来事によって一つの技術が普及し、技術の性能と独立に支配的な技術が決まる過程であると定義した。予測できない不確実性の介在が経路依存性理論の特徴である。一つの技術にロックインする状態をいう。このことはダーウインの「選択的進化論」と似ている。偶然の遺伝子変化によって環境にマッチした「進化」のみが選択され優勢となるという仮設で、最近はコンピュータの力を借りて様々な定量的進化理論が提唱されている(木村資生氏の中立的進化説など)。引き金は偶然である。経路依存性理論社会学では、合理的な行為者が状況の外乱を受けて、ある状態にロックインすると表現する。経路依存性理論をブラッシュアップした組み替え理論では、合理的行為者は状況の外乱とネットワークや信念に導かれて、ある状態を選択しロックインすると微調整が行なわれる。

サンシャイン計画では、1981年に100Kw、1984年に1000Kw、1987年から1万Kwクラスのパイロットプラントを作り、1992年から10万Kw級の実用化プラントの建設にいたるという計画をたてた。だが、発電用風車の実用化はなく立ち消えになった。日本は国家プロジェクトによって風力発電の実用化を志し、欧州は小規模分散式の風力発電を市場原理で実行する経路を辿った。その結果2012年における風力発電量は中国、アメリカ、ドイツで上位三位を占め、以下スペイン、インド、欧州諸国が並んでいる。日本の風力発電量は総供給量の1―2%に過ぎない。どうしてこうも差がついたのだろうか。その原因を検証すると、開発初期の風況調査が一つのヒントになる、日本では風力発電が困難であるという神話(作為的デマ)が流されたことにある。海洋国であるのもかかわらず日本の風力が少ないことが、開発の失敗の原因であったという直接のデータは実はないのである。むしろ開発当初によくトラブルがあったことは記録にあるが、それは機械的な強度の問題で解決可能な事故である。何時しか日本の風力が過少に見積もられ、風力発電の可能性について否定的なミ見通しが一貫して続いた。1998年の総合エネルギー調査需給部会の中間報告では「立地可能地域が限定されるため、大きなエネルギー供給量を求めることは困難」と否定的な判定が出されている。このような過少な政策目標と控えめな推進策は、世界に眼を向けると極めて日本的な例外現象であった。国産発電用風車メーカであった三菱重工は逆風にもめげず開発を続け2004年の売上で世界の10位にランクしている。これも政府の援助なしで民間ががんばった例外的な事象である。

ここまで書いてくると、日本では風力発電が困難であるという神話は通産官僚(原発支持派で主流派)の流した作為的デマで、その後も政策的に風力発電を推進する方策を採らなかった理由は自明である。公式プロセスでは風力発電を推進せず、非公式プロセスではつじつま合わせのために否定的なデマを流すのは官僚のお家芸である。これを著者は「自己否定メカニズム」と呼び、これが原発導入を巡る社会的意思決定において構造災を作った一つのメカニズムであると云う。通産省内では原発推進派が勝利し主流派となり、再生可能エネルギー派を追い払った。同様なことは2000年代前半の電力自由化の動きを封じ込めた電力会社と経産省原発派の構図にも見られる。技術の開発・普及過程において、特定の利害関係者への利益誘導をあたかも正統性があるかのように繰り返すことを「自己否定メカニズム」(政策争いの主流派が反対派を封じ込めること)と筆者は呼ぶのであるが、こうして一つの片寄ったそしてリスクの大きい技術体制が生まれるのである。主流となった原発推進体制は官界、業界、学界、政界も業界団体と化して自己増殖運動を行うのである。ブレーキのないブルドーザーと化す。それほど専門家の知は劣化・腐敗している。専門知も信頼を失った。

3) 構造災の系譜

本書は、日本の構造災の系譜を見るに、1937年の海軍最新駆逐艦の主機タービン翼折損事故を取り上げている。最大の問題はやはり秘密主義である。アメリカには知られたくはないし、日米開戦はせまっているので早急に秘密裏にタービンを改良しなければならないと焦った艦政本部は最初は事故原因を先例を踏襲して翼根元の振動に求めて対症療法で何とかなると想定したが日米開戦に間に合わず、結局1943年に事故の本質は翼の2節振動という複雑な振動によるものであったことがわかった。戦争中の子尾tであり世の中には一切公表されていないし、報告も議事録も残さなかった。一切が秘密の中で右往左往していたのである。閉鎖集団のコップの中の出来ごとと笑って済まされることではない。高度国防国家の弊害は訂正されることなく、軍事技術は民需に転用されている。高度経済成長の間にこの弊害は増幅され今日の原発事故という構造災に繋がった。次に本書は原発推進体制の形成について歴史的な経過を見て行くが、山岡淳一郎著 「原発と権力」(ちくま新書 2012年)のその経過をまとめたので割愛する。

4) 今生まれつつある構造災

福島第1原発事故は四国・九州の人にとって他人事かといえば、原発周辺の人にとっては同じリスクを背負っているという点では他人事ではなく、原発の使用済み核燃料廃棄物処分問題では日本中の人は無関心ではいられない。原発の運転が開始されてから40年が経過したが、いまだに使用済み核燃料廃棄物処分問題は解決の糸口さえつかめないでいる。原発は頭と尻のない動物だといわれる。頭は国任せ技術輸入任せ、尻は事故賠償責任なし・核廃棄物処理問題未解決という図式である。おいしい商業発電事業だけを電力会社が独占し利益を得てきたのである。高レベル放射性廃棄物は核種によっては数千年から数十万年の時間の経過含む超長期にわたる問題である。人類が発生して10万年、有史いらい5000年の人類の知恵で、数十万年の長期スパンの問題を扱えるかどうか多いに疑問である。それは人類が原子核を分裂させる技術を開発した20世紀中頃よりまだ70年ほどしか経過していない。目前の原発事故対策問題さえクリアーしていないのに、超長期の高レベル放射性廃棄物の問題を考えるのは、まさにこの問題が構造災の典型的な問題であるからだ。関連する構造災の要素は、ひとつは間違った先例の踏襲によって問題の先送りという要素、そして相互依存性と複雑性の問題が増幅されかねない要素である。そこで第4章では第1に間違った社会観の踏襲として原子力発電環境整備機構の安心宣伝隊をとりあげ、社会的受忍を金で買うという日本的体制の踏襲の問題を考える。第2に高レベル放射性廃棄物処理処分方針は一度決定したら逆戻りできない社会的意思決定の問題「ポイント・オブ・ノーリターン」を取り上げ、第3に無限責任とその有限化(社会的な責任配分)、最後に構造災を乗る越えるための提言(立場明示型討論)を行なうということである。

原子力発電環境整備機構(NUMO)は、2000年に成立した「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法」を根拠として、核廃棄物最終処分場建設のための露払いを目的にして設けられた、いわば学セクターの権威を利用した啓蒙宣伝部隊である。彼らの共通認識は次の4ステップ(起承転結)から成り立っている。@前提として、科学技術は問題解決するに足る資格と信頼性を備えている。Aところがその科学技術が社会に需要されていないため、事業促進に支障が出来ている。Bその理由は科学技術が社会に十分理解されていないためである。 C結論として、専門家が科学技術がに寄せる信頼を、素人にも分かりやすく説けば問題は解決するだろう。というもくろみで設けられた素人啓蒙機関であるらしい。核廃棄物最終処分の技術は安全であるという前提で安心感につなげる努力をする。問題は安全ではなく安心感であると云う絞込みを行なうのである。安全性の問題から当事者の目をそらすために安全神話を作った原発と同じ型の誤りを踏襲し、核廃棄物処分問題のリスクを安心という心理問題にすり替えようとしている。そして核廃棄物最終処分場建設に関して、原発立地自治体への「電源三法交付金」と同じ手法を用いるやり方である。立地を受け入れる代わりに金を出すというやり方を「社会的受忍を金で買う」ともいう。地獄の沙汰も金次第というわけである。2007年高知県東洋町が処分地文献調査に応じただけで、NUMOは最大20億円の電源三法立地地域交付金を東洋町に支払う約束をした。橋本高知県知事の反対で没となったが、20億円という額は東洋町の1年間の歳費である。これは科学でも技術でもなく、まして倫理でもない、魂を売れという悪魔の甘いささやきである。最終処分地問題は欧米でも難解も挫折をしてきた問題である。フランスは2006年地層処分の方向を法に定めたが、4つの候補地はいずれも反対運動により拒否されている。スウェーデンは1992年に地層処分地が建設され初期操業の幅が決定された。カナダでは政府が処分地の選定に待ったをかけ、2005年から60年−300年をかけて慎重に地層処分のモニターを行なうことになった。アメリカでは2002年ネバダ核実験場跡を地層処分場とする決定がなされたが、雨水浸透速度のウソが発覚し、2009年オバマ政権は処分地をキャンセルした。地層処分は、高レベル放射性核廃棄物を超長期にわたって隔離するやり方を決めるための社会的な意思決定の手法である。政策は一度やったらやり直しがきかない(変更可能性)「ポイント・オブ・ノーリターン」の問題である。

福島第1原発事故が起きる前に、東北地方で行なわれた「サイエンス・カフェ」の開催回数は253回あったが、原発に関するコミュニケーションは1度しかなかったという。それの原発の安全性に関する事ではなったという。事故の直接の当事者となる住民に対して事前に原発の安全について何も語られなかった。問題が安全性に触れる事を原発村の推進者らは慎重に避けていたということであろう。超長期の高レベル放射性廃棄物の問題は無限の時間を必要とするという意味で「無限責任」と呼ぶ。数万年以上もかかる問題は誰も責任をもたない。赤字国債でさえ現政治家は誰も責任を感じていないのだから、高レベル放射性廃棄物の問題は原子力村の人々にとってまさに「ケセラセラ」と笑って済ませる問題なのかもしれない。とはいえ具体的には廃棄物保管場所が満杯になって、まさに尻に火が付き始めている。最終処分場と一時保管所とは違う問題であるが、青森県はその核廃棄物一時保管所にされているのである。核廃棄物の処分に関して、現世代と将来世代の責任範囲を分けるやり方をスウェーデンが考えている。これを「無辺責任の有限化」と呼ぶが、フランスやカナダでもさまざまな世代間の意思決定の仕方を提案している。「無限責任」は事故の損害賠償とは違う責任の取り方である。ところが日本では有効性と公益性の乏しい社会観が、高レベル放射性廃棄物処分問題においても踏襲されようとしているのは悲しいことである。それは官、産、学セクターの原発電力供給システムを設計した当事者は受益者であり、社会的受忍を強いられるのが住民という民セクターという対立構図が歴然としている。官、産、学セクターの原発電力供給システム当事者が結果に対して責任を取ることがないと、世の中の人々の信頼を得ることは不可能である。著者はそのための提案をする。福島第1原発事故後に原発推進者(東電だけでなく)に社会的責任が問われていたかというと、甚だ怪しい限りである。社会的責任を適正に配分することが社会的公正の原点である。そうでないと社会は腐敗する。著者は「大ききな不確実性を伴う問題が、異質なセクターから為る社会に投げ込まれると、問題への対応が収束するとは考えられない」となかば絶望気味であるが、そこで気を取り直して「立場明示型のインタープリター」を提案するのである。インタープリター(伝達者)がどのセクターの誰が何を言ったかを明示した上で情報公開の原則で討論する事を勧める。そしてプラン(計画)、実行、成果を検証、評価し改善という、P-D-C-Rという回路に則って政策を常に改善してゆくのである。もっともなご意見ではあるが、私見だが為政者がそんな公正で素直な態度に出るとは思えない。金と権力で各セクターの利害関係者をまとめて原発政策を実行してきた為政者が、時期を待って同じ手で原発運転を再開するだろうことは容易に推測される。しかし事故を起こした当事国が不適切な先例のままのやり方を変えないとき、この国の制度は自国民のみならず、他国の人びとからも信頼されることは無い。


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