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鈴木宗男著 「闇権力の執行人」

  講談社+α文庫 (2007年9月 ) 

政治家・官僚・検察・メディアの闇権力とは

「政治家・官僚・検察・メディアの暗闇力とは」という副題をつけたが、第1の権力とは政府でありこれは政治家と官僚が握っている。といっても実質は官僚の支配するところである。第2の権力とは国会であり政治家の独断場である。日本は本来イギリス風の議院内閣制を取っているのが、議会と政府の権力は一致しない。政府権力の中枢は明治政府以来国家官僚が牛耳ったままである。内閣や大臣は「1日署長さん」のようにお飾りに過ぎない。そして第3の権力は「検察」(特に特捜部)である。総理大臣を逮捕できるということは内閣を潰すということであり、こんなことができるのは後進国の軍部くらいなものである。そうだ「昔軍隊、今検察」といってもいい。第4の権力はメディアである。法律で処理できないことでも、噂を流すだけでいち早く「社会的制裁」を加え葬り去ることが出来る。最近は選挙前に勝つ政党を決める力(世論誘導)を併せ持ち、次期政権の枠組みを指定する恐ろしい力である。真実と現実の区別をなくし、メディアの流布する事柄だけが世界であると云う国民を封じ込める力である。マックス・ウエーバー著/脇 圭平訳 「職業としての政治」(岩波文庫)にウエーバーはこういう。「政治の本質的属性は権力であると理解している。政治とは国家相互の関係であれ国家内部においてであれ、権力に参加し、権力の配分関係に影響を与えようとする努力の事であるという。政治を行う人は、権力のためであれ他の目的の手段であれ、権力を追及せざるを得ない。政治はどこまでも政治であって倫理ではない。政治一般に対する倫理的批判は意味を持たない。政治が権力という暴力機構を備えた手段を用いる限り、政治の実践者に対して特殊な倫理的要求を課さなければならない。」 つまり政治の本質は権力であり、権力は暴力機構である。したがって政治家は高い倫理を持たなければならない。本書はこのウエーバーの結論を反復する。しかしこの「倫理」が鈴木宗男氏によると「国益に奉仕する」ということに集約されているのは、ちょっと日本的である。国益の呪文で戦争に突っ込んだ過去の経験から拒否反応が起きる人も多いのである。

本書の題名である「闇権力の執行人」とはどういう意味なのであろうか。権力者という個人性を特定するという意味なのだろうか。誰が日本の支配者なのかということは尽きぬ興味を誘うが、誰一人それに肉薄できた人(公表できた人)はいない。そもそも講談社+α文庫の書名には曝露趣味が多いと感じるが、「闇権力の執行人」という題名の割には、本書を通読してみてべつに権力の実態を特定できたとは思えない。では本書の書名の意味するところの重点は後半の「執行人」にあるとするならば、これは明白に権力の代理人である官僚のことである。官僚は内閣・政府、政治家・国会、司法・検察、学界・メディアにくもの巣を張り巡らせて、実際連絡を取り合っているかのような運命共同体的行動をとる。合言葉は「国益」である。そして多少矮小化されたのが「省益」である。ということで本書は官僚機構に対する鈴木宗男氏の闘いぶりを描いた政治小説と理解しておこう。結論からいうと、「宗男疑惑」とは小泉首相の新自由主義政策の延長線上で考えなければならないと理解しているが、政治的には「抵抗勢力打破」という劇場型政治手法の犠牲者(国策捜査)であったに違いない。小泉首相は9.11同時テロ後アフガン侵攻とイラク戦争に邁進する日米関係しか念頭にはなく、日ソ、日中、日韓の近隣外交を破壊し、右翼ナショナリズムの緊張挑発政策にとって替えた。当時(2001年から2006年)には近隣外交路線は存在しなかった。外務省は必要なかった。外務官僚は本来の情報収集・外交を展開するのではなく、裏金や腐敗の限りを尽くしていたようだ。このような状況では鈴木宗男氏という珍しい外務族議員や佐藤優氏という北方量返還のロシア通外務ノンキャリアーは、目障りな存在であったに違いない。伊達男(大判役者)小泉首相にとって面白いのは髪を振り乱しての派手な立ち回りである。鈴木宗男氏は当時自民党に属しており、本書執筆時は自民党政権であったためか、自分を直接いじめた外務官僚への恨みつらみが非常に激しいが、それを支持した小泉首相の新自由主義政策に対する批判が意外に少ないことは私にとって読後一抹の物足りなさを感じる。

本書の巻末に佐藤優氏が「私達を罠に嵌めた人々」という解説を書いている。そこで佐藤氏は鈴木氏との共著「北方領土特命交渉」(講談社 2006年)について述べているが、第31吉進丸が銃撃拿捕され乗組員が1人殺害された事件を日ソ外交の不在のためであったと述べている。少なくとも1956年の日ソ共同宣言以来銃撃殺害といった事件は皆無であった。かつ右翼が北方領土奪回を叫ぶ隙を与えなかった。それは日ソ外交の賜物であったという。ところが2006年にこのような事件が起きたのは、2001年以来小泉首相の近隣外交破懐と右翼ナショナリズム政策のせいで政府間の意思疎通が続いたためであった。小泉首相は2001年9.11同時テロ以降アフガン侵攻・イラン戦争へ邁進する米国外交しか念頭にはなかった。地道な外交交渉がなければ右翼国粋主義者の暗躍が始まり、石原慎太郎氏などのように小泉流の挑発行為を繰り返し戦争を煽るのである。佐藤優氏は「ナショナリズムとポピュリズムが結びつくと排外主義ショービズムが生まれる」と警告する。鈴木宗男氏と佐藤優氏の疑惑事件は、袴田茂樹青山学院大学教授と吹浦忠正安保研究所事務局長らの「二島返還+アルファー論」という段階的返還論を「国賊キャンペーン」に仕立て上げ、外務省官僚の鈴木宗男排斥路線に便乗したことに始まる。彼らはその前は「北方領土ビジネスパーソン」として鈴木氏に群がってきたハイエナであったにもかかわらず、外務官僚の撒いた餌に乗ってきたのである。正論をいう鈴木氏の情熱に嫌気がさしてもっと分け前を要求してきたということであろうか。鈴木宗男氏と佐藤優氏は2002年に起訴後2003年に保釈され、佐藤優氏は「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社 2005年)を著わし、鈴木宗男氏は本書を著わした。外務省の鈴木宗男排斥は、外務省機密費流用事件で信用を失墜させた外務省を破壊しようとした田中真紀子外務大臣に対する官僚らの組織防衛運動に始まる。外務省を守ろうとする鈴木宗男は田中真紀子追放運動に組し、田中真紀子を失脚させたことで、外務官僚幹部は取って返した刀で今度は知りすぎた鈴木宗男氏を整理しようとした。それが本書の事件の背景である。

鈴木宗男氏をめぐる疑惑の前哨戦は田中真紀子外相と外務省との鞘当から始まった。2001年4月小泉政権が成立して田中真紀子氏を外務大臣として送り込んできた時、既に伏線が引かれていたのである。佐藤氏はこの疑惑に宗男側近として巻き込まれたが、大物政治家の巻き添えを食ったに過ぎない。しかし外務省本流派としては東郷和彦元欧州局長らのロシアチーム(ロシアスクール)を一掃する機会として佐藤氏を血祭りに上げたということである。外務省機密費流用を知りすぎた自民党政治家鈴木宗男氏もやはりこのロシアチームとの関わりが深かったので、1石2鳥をねらって鈴木宗男氏排斥に動いた。外務官僚だけでは失脚と影響力排除までであって、鈴木宗男氏を犯罪事件で引っ張ることは出来ない。ここに政治権力と検察権力が動いたこと国策捜査が開始された。今度は鈴木宗男氏を犯罪人として抹殺することが目的となった。外交政策のパラダイムシフトを計る新政権の見せしめの「国家の罠」が用意されていたのである。リクルート疑惑がその典型だ。未公開株を贈るリクルートの社長の利益はさっぱり分らなかった。そして最近では橋本龍三郎元首相に歯科医師会からの1億円献金問題である。あの事件は最初から小泉首相が最大派閥で郵政族を束ねる橋本派閥を壊滅させるための作戦だということは素人の私でもわかった。日本では後進国と違って前首相自体をターゲットにすることはない。周辺の物分りの悪い人間をターゲットにするのである。小泉首相の登場前から外務省は前代未聞の混乱のきわみにあった。2001年初め松尾要人外国訪問支援室長が機密費5400万円を横領したり、沖縄サミットの公金詐欺事件、デンバー総領事の公金不正流用、APECホテル代水増し請求問題、外務省公金裏金つくり調査結果発表など不祥事があいついだ。2名が懲戒解雇、328名の処分、1億6000万円の幹部による返済などが決定された。田中外務大臣は、外務官僚と族議員鈴木宗男を不快として、北方四島問題スキャンダルを企て国会を空転させたが、小泉首相は喧嘩両成敗で田中氏と野上事務次官を更迭した。

日露関係では重要な三つの文書がある。一つは1956年鳩山一郎・フルシチョフの「日ソ共同宣言」、二つは1993年橋本龍三郎・エリツィンロシア大統領の「東京宣言」、三つは2001年森首相・プーチン大統領の「イルクーツク声明」である。橋本龍三郎・小渕恵三・森喜朗首相の三つの政権の日露戦略は地政学論に基づく日露改善が目的であった。宗男疑惑は「ロシアスクール」に属する。「ロシアスクール」の親分は丹波實氏と東郷和彦氏であった。外務省本流幹部は田中・宗男抗争では外務省は危機の原因となった田中真紀子を放遂するため宗男の政治力を利用し、小泉の外交パラダイムシフトに従って用済みとなった宗男グループのロシアスクールを検察の手に売った。この過程で佐藤氏も粛清された。そのために「国家の罠」が用意されたのである。とはいうものの、日露外交の概略を前提として知っておくことは決して遠周りではない。 東郷氏は日露外交交渉の現実的方策として、歯舞・色丹二島は既にロシアから返還に合意しているのだから、国後・択捉については帰属を交渉するという「二+二」方式を提案していた。東郷氏は森・プーチン会談後「ロシア情報収集・分析チーム」を設けて特命事項の処理を命じた。田中真紀子氏の基本的スタンスは「父田中角栄の日露外交である田中ブレジネフ会談をスタート点とすること、父田中角栄を裏切った経世会の流れ橋本派は許さない」ということであった。そこで鈴木宗男氏は橋本派で、日露外交で変な動きをしているので潰してやろうという気持ちになったようだ。ここから田中真紀子氏と鈴木宗男氏のバトルが始まった。そこへ外務省の内部権力闘争と知りすぎた族議員宗男氏を排除する外務官僚の動きと、世論支持率を最優先する官邸の思惑が絡んで、前代未聞の異様な外務省スキャンダルが展開された。ここで国家の罠つまり政治裁判「国策捜査」について驚くべき運命が述べられる。今まで政敵を罠にかけて葬り去ることは政治の常として行われてきた。そして反対者の影響力を断ち切って新政権は自分の思うような政治を行うのである。時代のパラダイムがシフトするのである。それが政治であり、罪を犯したかどうかではない。罪状はキッカケにすぎない、相手を社会的に葬ることが目的である。いまではなお悪いことにメディアの力で疑惑だけで国民感情を煽り立てあたかも極悪人であるかのように仕立てあげる。国策捜査では正義を闘うことではない。闘っても無駄である。国家は起訴有罪を初めから決めて、あとからストーリーを作ってゆくのである。「国策捜査は時代のけじめをつけるために必要なのだ」と西村検事が言ったという。特に最近は政治家への国民の目が厳しくなっているので、昔は見逃されてきたこともハードルが低くなっている。

では鈴木宗男氏の場合の時代のけじめとは何なのだろうか。それは小泉内閣が内政においてはケインズ型公平分配路線(公共工事と福祉)からハイエク型傾斜分配型路線(新自由主義モデル、格差拡大)に転じたことである。族議員として鈴木宗男はもう古い議員なのだ。鈴木宗男氏は「政治権力を金に替える腐敗政治家」として断罪された。国民的人気(ポピュリズム)を権力基盤とする小泉政権では「地方を大切にすると経済が弱体化する」とか「公平分配をやめて格差をつける傾斜分配に転換することが国策だ」とは公言できない。そこで「鈴木宗男型腐敗汚職政治と断絶する」というスローガンなら国民全体の喝采を受けるとみたようだ。橋本龍三郎氏への日本歯科医師会の政治献金事件も格好の腐敗政治として宣伝され橋本氏と野中氏の政治的生命を絶った。外交的にも橋本・小渕・森と続いた国際協調的外交路線を、靖国神社参拝と北朝鮮の脅威と拉致問題の利用で排外主義的ナショナリズム路線へ一気に変換した。今回の国策捜査を命令したところ(小泉政権)が捜査が森元首相に及びそうになったところで突然捜査打ち切りを宣言した。そして2002年9月17日第1回公判がはじまり、鈴木宗男氏は2003年8月釈放、佐藤氏は10月に釈放された。2004年10月検察側求刑、11月弁護側最終弁論をへて翌2005年2月第1審判決となった。佐藤氏は懲役2年6ヶ月、執行猶予4年であった。
本書は分厚い割りに事実関係ばかり(といっても私には事実であるかどうか知りようもないが)で結構読みやすいので一日で読めた。鈴木氏は各所に反省の弁を入れている。箇条書きにまとめると
@ 外務省をかばうあまり、官僚の不正や国民感覚のなさを知っていながら、これを正そうとしなかった点を深く反省する。
A 鈴木氏自体、国益が第1と国民的視線を忘れていた。外務省の特異性と思われることも国民の目には不正・腐敗である。
B 個人情報保護法の対象として、政治家や高級官僚は対象から除外すべきである。彼らに私的活動は無いからである。
C 政党資金規制法の政党助成金は官僚による政党活動管理に道を開き、政治資金報告書の記入ミスだけで政治家を逮捕起訴できる検察の介入を導いた。氏的組織である政党が国家から金を貰うのは邪道である。政党助成金制度は廃止すべきである。 


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