120504

田中伸尚著 「ルポ 良心と義務ー日の丸・君が代に抗う人々」

  岩波新書 (2012年4月)

「日の丸・君が代」強制に踏みつぶされた教育

本書を手にして読み出すと、なんとも言えない重い鉛のような嫌悪感を次第に感じてきて、途中で投げ出したくなってきた。しかし読まなければならないと気を取り直しこの薄い新書を読了した。やはり行き場の無いような敗北感が漂う本である。こんな希望の持てない敗北感のかたまりのような本は本当に気が重い。戦車で掃蕩する権力の反動の歩みがひたひたと迫ってくる。抵抗するすべのない人々は無関心を装って、穴に頭を突っ込んで知らぬ振りをする。反動と右傾化指導者のヒステリックな叫び声が錆び付いたサーベルの音と重なる。天皇制の亡霊が折口信夫の「死者の書」のように低い重いうなり声を上げる。まるで丸山真男氏が天皇制ファッシズムの嵐の前に聞いた「執拗低音」の再来のようである。1999年という年は記憶しておかなければならない。国旗・国歌法、通信傍受法、周辺事態法などが矢継ぎ早に制定され、そして2001年の9.11同時テロ事件以降のアメリカの戦争政策に便乗して、小泉元首相は数々の戦争支援のための特別措置法を具体化し、日本は戦争国家化に向かってひた走りだした年として記憶しなければならない。21世紀は9.11からアフガニスタンそしてイラク戦争で幕開けした。アメリカはブッシュU大統領によるいわば戦争の時代に突入し、数々の自由を奪う法律が制定された。自民党の森元首相の「日本は天皇を主とする神の国」発言に唖然としている隙もなく、阿部元首相は憲法改正も視野に入れだした。そして対テロ戦争が終結すると、経済は金融危機による世界不況に突入し失業者は町に溢れた。この10年余りの年月はトクヴィルのいう「平等主義は多数の専制を生む」という懸念のとおり、民主主義は多数派の横暴を極めている。企業の専横と政府権力のまえに個人の無力ばかりが目立つのである。その権力は選挙による洗礼を受けていると称して憚らない。ヒットラーの「全権委任法」のように、選挙による多数派は選挙公約以外のことも承認されていると自負するのだ。選挙が権力の横暴を生むという機構なら、1件1件ごとに国民投票をしなければ権力者に縛りを加えることは出来ないかのようだ。「作られた民意」によって民主主義が墓穴を掘っている。この21世紀初頭の10年あまりは、個人の無力と政府の専制ばかりが目立ち、戦後得た諸権利は大きく後退した時代であった。こういった文脈の中で国旗・国歌法制定と学校での「日の丸・君が代」指導の徹底、そしてそれに果敢に立ち向かった人々の姿をを見ていかなければならない。

いきなり結論じみた論を展開してしまったが、教育現場は国旗・国歌法制定以来10年間ですっかり骨を抜かれた。すでに1995年日教組は定期大会で「日の丸・君が代」反対の旗を降ろし、組織として抵抗しない方針となった。それゆえ「日の丸・君が代」問題は教師・生徒の個人的良心の問題となったのである。いまや抵抗の意思さえ聞かれない状態になった。国旗・国歌法によって日教組つぶしが完成した。日本の支配者にとって「日の丸・君が代」は教育現場を意のままに支配する「踏み絵」として有効に使われた。国旗・国歌法制定は「強制するものではない」という煙幕を張りながら、地方の教育界の「日の丸・君が代」指導要綱は東京都石原都知事からはじまり、近年では大阪府橋下知事の指導下、抗う教師をしらみつぶしに窒息させた。まるで権力がブルドーザーで踏み潰してゆくが如く全国の学校を管理下に置いた。憲法第19条「思想・良心の自由」、同第20条「信教の自由。政教分離の原則」が踏みにじられたのである。この憲法の悲劇は裁判所の憲法判断の回避、国民の無関心を背景として、教員の職務命令違反という事務的な範疇におしこめられたまま強行されたのである。教育委員会という権力側は憲法や教育の自由という本質をベールで隠したまま論点としないように細心の注意をはらった。学校という狭い空間に閉じ込めて管理者の邪魔になる教員を排除するという「踏み絵」をおこなった。「日の丸・君が代」という問題は、歴史的に植民地政策に活用され、朝鮮台湾での支配の象徴として用いられた事実を重視する人、在日外国人のなかには日の丸に不快感を持つ人が多いという実態、「君が代」にみる天皇制讃美に反発する人、あまりのかび臭さに嫌悪感を持つリベラリストなどいわゆる「少数派」(権力側でない)の意見もあるなかで、個人の心のなかでの選択の自由や葛藤を無視し、反対意見の存在を許さない寛容のなさを露骨に強行するから問題なのである。

では強制はどのようなものかというと、たとえば1990年1月の北九州市教育委員会の「通知」である卒業式「日の丸・君が代」の実施に関する「4点指導」とは次のような内容であった。
@国旗掲揚はステージ中央とする。生徒は国旗に正対する。
A式次第に「国歌斉唱」を入れる。
B「国歌斉唱」はピアノ伴奏で行い、生徒・教師の全員が起立して、ただしく心をこめて歌う。
C教師は卒業式に原則として全員参列する。
この内容は当時の学習指導要綱をも超えており、Bの「ただしく心をこめて歌う」にいたっては、心の中を支配しようとする意図がみえみえで恐ろしい。「日の丸・君が代」問題は、実は権力者にとって戦後以来の長い懸案事項であった。戦後民主主義の一時期はほとんど忘れられていた感があり、表立って誰も強制はしなかった。教職員組合(日教組に集約される)が障壁となり強制を防いできた歴史がある。日教組に対する右翼勢力の嫌がらせも長く続いた。文部省と教育委員会の日教組つぶしが顕著化したのは、やはりレーガン・サッチャーの新自由主義政策の浸透と、ソ連・東欧の社会主義国崩壊による冷戦の終焉が直接の要因である。資本側は安心して労働者権利の無視と福祉の削減に踏みきり、その風潮の中で教育界の管理支配を強化してきた。その踏み絵として利用されたのが「日の丸・君が代」である。90年代はまだ両勢力の模索が続いたが、労働側の劣勢が決定的になり21世紀になって勢力均衡は一気に資本側に傾いた。

本書の著者田中伸尚氏は2000年に岩波新書で「日の丸・君が代の戦後史」を著わした。その後の12年は「日の丸・君が代」の強制は一層過酷になり、それに必死になって裁判で闘う教師、子ども、市民がいた。そこへ憲法第19条を踏みにじるあらたな勢力が現れた。それは橋下大阪市長と「大阪維新の会」である。本書のあとがきには、その勢力の反動性と改憲への危惧から改めてこの問題を取り上げたという。裁判所の判決は悉く「日の丸・君が代強制」合憲である。原発差し止め裁判とおなじ権力機構の総力をあげた回答であった。裁判所も全く当てにはならない。著者田中伸尚氏のプロフィールを紹介する。田中 伸尚(1941年東京生まれ)は、日本のノンフィクション作家である。1967年、慶応義塾大学法学部卒業、朝日新聞記者を経て独立した。取り上げてきたテーマは多岐にわたるが、代表的な著書は、年代順に『大阪国際空港対市民』(1977年、たいまつ新書)、『自衛隊よ、夫を返せ! 合祀拒否訴訟』(1988年、現代教養文庫)、『なぜ医療が信用できないか』(1994年、社会思想社)、『政教分離 地鎮祭から玉串料まで』(1997年、岩波ブックレット)、『天皇をめぐる物語 歴史の視座の中で』(1999年、一葉社)、『日の丸・君が代の戦後史』(2000年、岩波新書)、『靖国の戦後史』(2002年、岩波新書)、『憲法を獲得する人びと』(2002年、岩波書店)、『憲法を奪回する人びと』(2004年、岩波書店)、『ドキュメント 靖国訴訟 戦死者の記憶は誰のものか』(2007年、岩波書店)、『大逆事件 死と生の群像』(2010年、岩波書店)などがある。

1) いま、大阪で 2011年「君が代」強制条例

2011年春の大阪府議会選挙で橋下府知事が率いる「大阪維新の会」が第一党に躍り出た。5月「府施設での国旗常時掲揚と君が代斉唱において起立を義務付ける条例」を提出した。日本弁護士会連合会の声明にもかかわらず、府議会は6月に条例を可決した。「日の丸・君が代強制条例」とセットになる「府教育基本条例」と「府職員基本条例」の改正案は政治の教育支配を目指し、教員服従を強めるもので、起立斉唱に従わなかった者には2回職務命令に違反すると停職、3回違反すると免職できるというものであった。これには教育委員会も驚愕し白紙撤回を求め、文部科学省も「法に抵触」との見解を示し、最高裁判所は12年1月「減給・停職など重い処分は違法」との見解を示した。にもかかわらず12年3月府議会は若干の手直しののち可決した。これで知事が教育目標を定めるなど教育の政治的中立に変更を加えた。重い処分は残ったままである。小泉流の新自由主義的ポピュリズムと橋下流の強権独善的ファッシズム的な政治手法は早くも危険な様相を示した。袈裟の下に鎧が見え隠れする危険な政治家である。この手法は別に新規な方法ではなく、すでに石原都知事の使い古した手法である。石原氏は古い右翼的政治家であるが、橋下氏は独裁的な政治家である点がよけいに危険なのである。大阪でも1987年ごろから「日の丸・君が代」を巡って管理職と教員との対立が起っている。「日の丸・君が代」法制化後、2000年4月教育委員会は入学式の望ましい形として国旗掲揚・国歌斉唱・全員起立の「3点指示」を出した。さらに式には教委から監視員を派遣するという。しかし大阪では不起立による処分は出なかったが、橋本府知事の登場した2008年以降処分が始まった。2012年3月府教育委員会は小中学校教員の32名の不起立者全員を戒告処分とした。被処分者は今後、人事委員会への訴えと裁判闘争に入るであろう。

2) 東京都 法制化13年の攻防

法制化から4年後、2003年10月東京都教育委員会が学校に国家の斉唱義務を求めた通達「10・23通達」を出して以来、処分者がゼロだった年は一度も無い。2012年の東京都立学校の卒業式の不起立者は3人であった。学校の管理職は坐ったままの人がいても見て見ぬふりをしたり、あるいは起立しそうにもない人はあらかじめ放送室や受け付けや別室に「軟禁」して式に出さないという措置をしているので、それでも不意を突かれて起立しなかった人を「現認」すると、校長は教育委員会に届け出ることになる。すると起立しなかった本人と校長ら管理者は「服務事故研修」を受けなければならないという連帯責任を負うので、管理者は起立しない人が出ても見なかったことにして届けない場合が多い。また体調不良を理由に卒業式や入学式に欠席する(年休を取る)教師もいるので起立しない教師の数の実数は教育委員会の把握数とは違う。2003年の10・23通達(横山洋吉教委委員長)「入学式・卒業式などにおける国旗掲揚・国歌斉唱の実施について」の記述を見ると、@学習指導要綱に基づく、A「国旗掲揚及び国歌斉唱の実施指針」に基づいて行なう、B教職員が職務命令に従わない場合は。含む城の責任を問われるというものであり、別紙実施指針には@国旗は式会場正面の左、都旗は右に掲揚する。屋外の国旗掲揚は終業時刻までとする、A国歌斉唱は起立を促しピアノ伴奏などにより行なう、B会場設営法、卒業証書授与法などが記述されている。この通達は校長から全職員に写しを配布し説明を行なうとされた。そして国旗掲揚と国歌斉唱については職務命令を出すという。

不起立者は校長と教育委員会の指導主事などの「臨席者」が確認する。この場面は戦前の軍人臨席に似ていないだろうか。次に不起立者を待っているのは、まず校長による確認と教育委員会への報告で、ついで戒告、停職、配置転換(移動)、定年後の再雇用拒否などである。連帯責任のある校長には降格(平教員へ)がある。校長の8割は仕方なく上意下達で受け流している。2割は悩むタイプであると云う。現職教員は発言する気力も無くなって物言わぬ「冬の時代」が来た。教員を黙らせ、校長を支配下におくために「日の丸・君が代」は最も有効な道具(踏み絵)であった。いつもの事ながら、新自由主義者と権威主義的な強権管理者と右翼的国家主義者の三位一体化である。いまでは学校で「日の丸・君が代」を議論することはなく、学校運営についても職員会議は議決機関ではなく、上意を聴くだけの機関であると云う。企業でいえば平取締役会に実権は無く、重要事項は会長・社長・専務と経理担当重役だけで決められているようなものである。2004年1月、「国歌斉唱義務存在確認等請求訴訟」(予防訴訟)が東京地裁に起こされた。原告教師は第4次訴訟で403人である。教師に国歌斉唱義務があるかどうかを確認するための訴訟であり、2006年9月の東京地裁の判決は、「国歌斉唱義務は憲法19条と教育基本法10条に違反する」という違憲判決を出した(数ヵ月後東京高裁で逆転敗訴するが)。1994年、式典で日の丸を引き摺り下ろして以来抵抗し続け、不起立で3度も停職6ヶ月処分を受けている猛者もいる。

3) 法廷で良心の自由を問う

不起立で処分された北九州市の公立学校の教職員16人が、憲法19条の思想と良心の自由を根拠に1996年訴訟を起こした。原告らは弁護士をつけず本人訴訟でこの「こころ裁判」に臨んだ。1990年1月の北九州市教育委員会の「通知」である卒業式「日の丸・君が代」の実施に関する「4点指導」の憲法判断を問うたのである。2005年4月福岡地裁判決は、行き過ぎた減給処分だとして3人の処分を取り消したが、教育委員会の指示、校長の職務命令も合憲適法であると判断した。2008年12がつ福岡高裁は全面的に適法であると判決した。2011年最高裁は第1小法廷は原告上告を棄却した。以降、処分の過剰を訂正することはあっても、教育委員会の指示、校長の職務命令は合憲適法であるという判決が通例となった。つまり教育現場での裁量の範囲は、憲法・教育基本法、そして教育指導要綱を超えていないという判例がまかりとおるのである。判決の少数意見として憲法問題について述べることはあったが、裁判所多数意見は憲法判断を避け教育現場の裁量を是とした。
法制化後、全国で憲法訴訟が起こされている。東京都だけでも原告数は約680人、係属中の事件は2012年現在で12件である。最高裁ではすでに15件の判決が出ている。東京都の被処分教職員数は2003年度から2011年度までに総計427人、ほかに嘱託再雇用拒否などで83人である。全国では延べ800人近くになるという。処分を受けた教職員が不当処分を回復する手立ては、人事委員会へ不服申し立てをし、その裁決に不服なら裁判にという道しかない。
職務命令差し止め裁判は原則不可能だが、上に述べたように2004年予防裁判「国歌斉唱義務存在確認等請求訴訟」が提起された。2006年9月の東京地裁判決(難波判決)は「国歌斉唱義務は憲法19条と教育基本法10条に違反する」という違憲判決を出した。同年11月東京高裁は通達は合憲とし、原告逆転敗訴となった。2012年2月やはり合憲とする最高裁判決が出た。
2004年日野市の小学校のピアノ講師が君が代演奏を拒否し、CDを流した事件で指揮者とともに業務妨害で戒告処分を受けた。君が代斉唱で指揮者を立てることさえ異様な式典であった。二人は人事委員会へ訴えて東京地裁に提訴した。2009年東京地裁は職務命令は合憲であるという判決を出した。2011年3月東京高裁(大橋裁判長)は「戒告処分を取り消す」という逆転判決を出した。

沖縄県は「日の丸・君が代」に対する抵抗が圧倒的に強く、1987年の沖縄国体において日の丸を引き摺り下ろして焼き捨てる事件が起きた。江戸時代は清国と日本に朝貢はしていた独立国であった琉球王国が明治維新後日本に併合され、第2次世界大戦後は本土に見捨てられてアメリカに引き渡された苦い琉球民族の経験がそうさせたものであろう。その沖縄でも今日「日の丸・君が代」で闘う人はいなくなった。抵抗の主体であった県教組が崩壊寸前であるからだ。
1999年広島県世羅高校の石川校長は「日の丸・君が代」の実施を命令する職務命令に悩み自殺した事件を覚えている人もいるだろう。この事件が直接の引き金となって法制化が一気に進められた重大な事件である。2001年広島県教職員組合は組織防衛のためか「職務命令が出れば従う」という戦術転換を行なっている。その後「日の丸・君が代」が職場で話題になったり議論されることは殆どないという。2010年広島県安芸高田氏教育長が出した「通知」には国歌の歌い方三段階評価、児童の整列・起立状況、起立の号令などについて実に細かいチェックを入れるように要求している。子どもの歌い方、起立状況まで及んでいることに恐怖を覚える。さらに体育祭での「日の丸」行進や、卒業式での「仰げば尊し」復活など復古調が目立っている。

全国最強といわれた北海道教職員組合も法制化以降無気力が支配し、2009年総選挙で当選した民主党の小林千代子議員(辞職)の政治資金問題で組合幹部が逮捕され、一気に教育委員会の締め付けが強化され、密告を奨励する雰囲気ができた。その中で「日の丸・君が代」不起立で戒告・減給1ヶ月処分撤回を1人で闘っている日高の小学校教員がいる。2011年2月人事委員会への不服申し立てと札幌地裁への処分取り消しと損害賠償請求を求める訴訟が提起された。北海道ではじめての裁判となった。職務命令が憲法19条違反であることと、「子どもの権利条約」(94年締結)違反である事を理由にしている。
最高裁小法廷は2011年5月から11件の「日の丸・君が代」強制訴訟に対する判決を立て続けに出した。すべて原告側の敗訴で、起立斉唱の職務命令は憲法違反ではないとする判決であった。最高裁判所は「起立斉唱」は「慣例上の儀礼的所作」に過ぎないと軽く流している。君が代を歌う事は思想の自由に反すると堅く信じる人にとって、不起立は全人生を架けた重い決意である。それを「慣例上の儀礼」とは、裁判官は少数派の人への思い入れのないことが甚だしいといわざるをえない。そして日の丸の歴史的認識については一切言及しなかった。憲法の思想・信条の自由や歴史認識は注意して避けて論点とせず、教育委員会と教職員の事務的職務命令違反問題に矮小化しようとした最高裁の意図は明白である。

4) 不服従の様々なスタイル

あらかじめ不起立の意思が明確な教職員に対して、放送係りや受け付けなどを担当させて式典に参加させない「配慮」が全国各地で見られる。校長ら管理職の苦肉の策といえる。教職員にとって式典から外されるということは、出席する権利と意思表明の自由を奪う人権問題では無いかという疑問がわいてくる。教職員の方も摩擦を避けて、個室に待機するとか、年休をとって休むなどの手段を採用する人もある。これか本人にとって「逃げている」という念を催す屈辱的な策かもしれない。自殺した校長のように、精神的に参って鬱病となり長期の休職を願い出る教職員もいると聞く。でも授業で「日の丸・君が代」の意味を伝えるほうを選択する教職員もいる。ところが東京都教育委員会は2004年3月に「事前説明」の「通知」を出し、ホームルーム活動や予行において生徒への不起立などの指導を行なわないようにクギを刺してきた。教職員の思想信条の自由の観点から生徒に事前説明することは非常に困難になった。大阪高槻市の中学校の教員二人が大阪弁護士会人権擁護委員会に「事前説明」を求める「人権救済申し立て」を2003年9月に提出した。弁護士会は校長に勧告書を出し「起立しない自由、歌わない自由について事前説明すること」を勧告した。公長は勧告を無視し、事前説明は行なわれなかった。北海道のある定時制高校では2004年校長と教員の間に事前説明を行なう申し合わせが実施された。憲法上の問題から次の4点を説明するとなっている。
@ 憲法19条の基づき、特定の行為を押し付ける踏み絵のようなことは行なわない。
A 国旗・国歌を快く思わない人にも配慮すえること。
B 国旗・国歌を実施する責任者は憲法問題について説明する義務がある。
C 憲法20条の信教の自由から、起立斉唱を拒否する権利がある事、差別や偏見に対して責任を取る用意がある。(キリスト教徒など他宗教の信条上)
北海道で、国歌斉唱に「賛同される方は起立下さい」という言葉が添えられるのは、2校のみである。

5) 市民と生徒の抵抗

これまで「国旗掲揚・国歌斉唱」問題は教育委員会と教職員だけの問題としてとられられて来たが、この問題の本質は生徒に「国旗掲揚・国歌斉唱」を強いることである。市民、保護者、元教員らを中心とするネットワークが卒業式や入学式の当日校門の前でパンフを配布する運動がある。弁護士らの相談ホットラインも活動している。2003年大阪府枚方市の教育委員会が不起立教職員の情報を集めていることを、市民が情報公開制度を使って資料を要求したところ、真っ黒にすみ塗りされた紙が出てきただけであった。それでも41人の資料である事は分かった。そこで枚方市個人情報保護条例に基づいて住民監査請求をしたところ監査しなかったので、調査に使った費用の返還を求める住民訴訟を大阪地裁に起こした。2005年9月に地裁は請求を棄却した。2006年11月大阪高裁も棄却し、2007年4月最高裁も請求を棄却した。2005年2月大阪市に対して、名簿の名前と理由の削除、慰謝料の請求を行なう訴訟を起こした。2007年4月大阪地裁は名簿から削除を求め、慰謝料1万円支払いを命じた。2007年11月大阪高裁は調査自体が個人情報保護条例に違法であるとして、慰謝料10万円支払いを命じた。大阪市は提訴せず高裁判決で確定した。2006年に神奈川県教育委員会が不起立者名簿を作成していることに対して、教職員が収集中止の異議申し立てを行い、個人情報保護審査会は2007年県教委にたして情報収集の停止を求める決定をした。

大阪府東豊中高校では、2001年12月職員会議で校長が卒業式において「日の丸・君が代」を実施したいと言い出した。そこで卒業式実行委員の生徒らは校長に再考を願う署名活動を行い校長に迫ったが平行線で終わった。卒業式では退場を決意した生徒ら対して、教員に1人が「皆さんの良心に従って判断してください」とテープを流したので、保護者を含めて殆どが着席し歌わなかった。卒業生の答辞に校長に抗議する内容が入った。この結果教員の1人は戒告処分となり、2009年9月大阪高裁は処分取り消し請求を棄却した。もっとも「日の丸・君が代」不服従運動が強力であった道立札幌南高校には、法制化後教育委員会から「君が代斉唱」実施のため3人の校長が送り込まれてきた。ところが南校では伝統的に入学式や卒業式は生徒のものという意識が強い高校であった。教職員も生徒の意向を尊重する姿勢であった。2002年9月二人目の校長は卒業式で「君が代斉唱」をやるといってきたため、生徒と校長の話し合いを持ったが、生徒側のアンケートでは84%が実施反対であった。生徒は反対書名を563人集めて12月に生徒大会を実施しようとしたが定足数747人に届かず、「強制反対」決議のみに終った。生徒らは札幌弁護士会に人権救済を申し立て、2002年2月札幌弁護士会は校長に十分な生徒への説明と協議を勧告した。それでも校長は卒業式を強行し、国歌斉唱では起立斉唱の指示はなくむなしくCDが流れるだけであった。たしかに豊中高校や札幌南高校のように生徒が懸命に訴え果敢に行動したのは2002年度限りであった。それから教育現場では強制に無気力で流されていったのは、日本にとって深刻な事態である。「いやだけど仕方ない」という姿勢が、「日の丸・君が代」の強制はもちろん、イラク戦争も、原発も、沖縄米軍基地にも支配している。「日の丸・君が代」がいい悪いという問題にしてはいけない。それは問題の本質ではない。思想・信条の自由をまもる民主主義の問題である。平準化された個人の力は権力の前には小さいが、だから「寄らば大樹の陰」では権力の思う壺に入る。そのうちすべての自由を失う。これは2世紀前にフランスの思想家トクヴィルが心配した民主主義の憂鬱である。


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