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山口二郎著 「政権交代とは何だったのか」 

 岩波新書 (2012年1月)

生活第一のマニフェストを実行できない民主党の問題と民主政治への展望

2009年9月民主党へ政権交代が実現した。政権交代への大きな期待観は交代直後の政治主導への変革の嵐が、閉塞した55体制の自民党利権政治をかえてくれる期待に共鳴したことは確かであった。しかし2年以上経過した今日、その期待観は幻滅に変わりつつある。「生活第一」、「コンクリートから命へ」というスローガンは色あせ、約束したマニフェストは鳩山政権の普天間基地問題でつまずき、次々とマニフェストはオセロゲームのように白から黒へと裏返しにされた。そして3.11東日本大震災と福島第1原発事故によって民主党政権自体の存在意味が消えてしまったようである。政治主導どころか、旧態依然の官僚主導内閣へ逆戻りしたかの感がする。というようなムードがメディアの報じるところである。そこでほんとうにそうなのか、民主党政権の知恵袋であった北海道大学教授の山口二郎氏が猛省をこめて、この2年間の民主党政権の功罪を検証する。期待の反動としての失望は世の常である。ここはじっくり政権交代の意義を噛みしめ、なぜ政策の実行が齟齬をきたしたのか検証することによって、民主主義政治への展望を開こうとする著者のしたたか振りを拝聴してみようではないか。2011年は東日本大震災と福島第1原発事故で日本社会と政治の病根の深さが露呈し、欧州の財政赤字が金融危機を再燃させた。はたして政治は経済を救えるのか、政権担当者を入れ替えることで危機は解決するのか、かなり難しい問いであるが、人間がこうした危機に立ち向かう時には、政治の力を使い政策を考え実行することしかない。ルーズベルト大統領やケインズが世界大恐慌から立ち直らせたように知恵を出すことで、市場と貪欲金融資本の方向を変えることは可能であろう。人間の意志と選択による現状改革こそが人間の知恵ではないだろうか。市場経済と金融資本が国家を食いつぶし、企業が日本を捨てている今日には経済成長と国民福祉はもはや連動しなくなっている。国民の生活をよくするために経済成長は欠かせないというのはもはや成り立たない。順序が逆で日本の経済成長を望むなら、労働と内需喚起のために国民の生活を潤おさなければならないということであろうか。まだ民主主義への絶望や冷笑はいただけない。強烈な指導者期待論はもっと恐ろしい格差と生活破壊、そしてファッシズムを招くだけである。民主主義は試行錯誤だ、すこしでもましな政治を選択しよう。

著者が本書のあとがきで述べているように、この本は2009年3月の「政権交代論」(岩波新書)の後編である。実際に政権交代をはたして後、何を変えることが出来て何がかえられなかったのか、2年間の民主党政権の実績の検証である。そして山口氏の好感の持てるところは、自身の政治的立場を明確にして、中道左派政党による政権交代の実現を目指してきたという。これが政治学という学問の範疇なのかどうかは別にして(無力な政治学よりは実践の場としての政治学の方がリアルであろう)、山口教授は民主党政権のご意見役として、政権の功罪については責任を取ると明言されている。それはいいところと限界をしっかり見定め、政治の前向きな変化を適格に評価し、政権交代の失敗を厳しく分析し今後の政治のための素材を提供することであると云う。政治学という実践の学は政治制度の議論ばかりして、政策の内容の議論についてはおろそかになっているそうだ。仕組みとか統治機構(内閣・国会)・選挙制度の議論は盛んだが、主役である国民の価値観とそれにもとづく政策の内容・配分については「政策学」(財政、金融、社会保障、労働など)には専門家がいるとしてあまり近づかなかった。ここが政治学の限界で、民主党の失敗も政権交代を最大の争点としてあつまった便宜政党で、政策については議論すると分裂するというような雑多な立場の人間の集まりであったことが最大の要因であった。

岩波新書は世間でよく言われるように、「こんな見方や選択肢もある」ということを提案することにある。だからこそ私は岩波新書の愛読者を長年続けている。私が岩波新書で学んだ政治学を本書の趣旨にそって年代順にまとめておこう。
@ 飯尾潤 「日本の統治機構」ー官僚内閣制から議院内閣制へ (岩波新書 2007): 日本を支配しているのは官僚か、はたまた政治家かという単純な政権担当2元論が横行していた。たしかに戦前から議会政治を敵視した超然内閣というわけのわかない制度を元老西園寺公望が作ってきた。それが戦後にも後を引いて独特の官僚内閣制になって、政治家が民主憲法で保障された大胆な政治力を発揮できない。議院内閣制を存分に機能させるにはどうしたらいいのだろうか。衆議院選挙における政権選択選挙の実現と内閣総理大臣の強化である。有権者が選挙で政権政党と首相候補と政権公約の3つを同時に選ぶことが必要だ。
A 山口二郎著 「政権交代論」 (岩波新書 2009): なぜ政権交代が必要なのかということを、政治権力の暴走を防ぐためと、国民が必要とする政策選択のための2点から説き進める。健全な一元的民主主義が育つためには、第1に強力な野党が存在し常に政権交代の可能性が存在することである。イギリス・アメリカがこれに相当する。第2に野党にも行政府に対するアクセス権を与えて次の政策を効果的に出せないハンディギャップをなくすることである。第3に与野党間で政治的競争のルールを共有することである。第4に検察や裁判所は権力の犬になるのではなく、民主主義を学ばなくてはいけない。メデァも与野党に公正な批判を加え、国民のために判断材料を提供しなければならない。
B 佐々木毅著 「政治の精神」(岩波新書 2009): 高踏的・哲学的で、思想史として歴史的に記述されており、政治家の精神とは何かを哲学的に述べた書である。第1章が丸山真男氏の「軍国支配者の精神構造」という論文の提起にはじまり、政治の精神「政治的統合」を原点に戻って問いただす事から始まる。第2章では政治家の精神、第3章では政治に関与する国民側の精神、第4章では政党政治の精神を取り上げている。
C 菅直人著 「大臣」増補版 (岩波新書 2009): 第1部 大臣とは何か (旧自民党政権における考察、旧著「大臣」に同じ)、第2部 政治主導への転換(民主党政権の課題)からなり、イギリス政治制度視察報告と鳩山新政権の目標を明らかにした。目標とする制度はイギリスのウエストミンスターモデルである。
D 大山礼子著 「日本の国会」 (岩波新書 2011): 議院内閣制では選挙で選ばれ国会議員が民意に沿った政策を行う内閣を構成し、必要な立法を行なう場であった。国会はなぜ実質的な審議を行ない得ないのか。国会がここまで無力なのは立法府として恥ずべき事である。国会改革とは議員数の削減や政治と金の問題だけではないはずである。今最も緊急を要する課題は、国会審議を通じて政策決定への民意の反映を実現することであろう。今日のねじれ国会審議の空洞化をもたらした最大の原因は、国会の制度にあると考えられる。議院内閣制の下での議会では、内閣提出法案を審議の中心としてどれだけ実質的な審議を行い必要な修正を施せるかが議会側の実効性となり、現行の国会関連法規と各議員規則を視野に入れた議論が必要である。

1) 民主党政権の2年間の軌跡

2009年9月16日に鳩山内閣は国民の大きな期待の中で発足した。10月の臨時国会の所信表明演説の中で、鳩山は「いのちを守る政治」を訴え、西欧の社会民主主義の理念を「出番と居場所のある社会」と表現して競争原理と効率優先の自民党政治の変更を宣言した。その具体化として10月23日生活保護の母子加算復活が決定された。「弱者のための政治」を掲げた民主党政権はまず小泉自民党内閣が切り捨てた福祉政策を復活したのである。年越し派遣村の湯浅を内閣参与に迎え貧困対策の立案に参加することになったことは、民主党新政権の新鮮なイメージアップに貢献した。市民活動家が政策論議に参加できる「新しい公共円卓会議」が設けられた。民主党はマニフェストにおいて積極的な社会政策の財源は無駄を排することによって捻出できると信じていた。そこで自民党政権下で執行されていた2009年度予算を凍結し、次年度予算編成のやり直しを宣言したところまでは斬新な手法と映ったのだが、官僚と政務三役の連絡がうまく機能せず2009年度予算の凍結は難航し不発に終っている。そして勝算がないまま外交・安全保障政策に着手した。沖縄の普天間基地の国外移転もしくは県外移転を約束し、2010年5月までという期限を設け自縛状態となりそれが鳩山政権の命取りとなった。2010年1月政治資金収支報告書問題で小沢を巡る政治と金の問題が国民の信頼を損なった。

2010年6月普天間基地問題で鳩山が退陣し、菅直人政権が誕生した。小沢とは距離を置くスタンスで「強い経済、強い財政、強い社会保障」というスローガンをかかげ、経済成長路線が復活した。その柱として消費税率引き上げによる財政再建を訴えて7月の参議議員選挙を闘ったが破れ、参議議院では自民党時代の攻守変更した「ねじれ国会」が再現した。9月の民主党代表選挙では小沢を斥けて民主党の統一と首相の座は守ったが、党内のグループの対立はかえって鮮明となった。菅政権は「生活第一」路線を「経済成長」路線に修正し、TPP参加と法人税減税、アジアへの原発技術輸出支援というマニフェストにない政策を突然前面に打ち出した。その中で3月11日東日本大震災が発生し、原発事故という未曾有の困難に直面した。この緊急事態で政府は単純な政治指導を改め具体的に問題について官僚機構との協力関係を再構築することになった。政府内に復興構想会議が設けられ地元自治体との調整に直面した。原発事故の対処には政府は東電や経産省の手の内に落ちた感が強かったが、官首相は5月静岡県にある中部電力浜岡原発を停止させ、脱原発路線を表明し、再生可能エネルギーの開発促進のため固定価格買取制度の導入法を成立させた点はさすが民主党政権でなければと納得させた。6月野党の首相不信任案を提出に小沢グループが同調するような構えを見せたことで、菅首相は退陣を条件に第2次補正予算、再生エネルギー法案を可決して、8月末に退陣した。ついで民主党から党内融和を掲げて野田首相が選出され、政策的にはTPP参加・普天間基地から名護への移転・消費税率の引き上げなど自民党政治の継承発展に傾いた。ここにいたって2009年の政権交代への期待は雲散霧消した。アンチ自民党というテーゼで政治を行なうことはもはや限界に達したようだ。

政権交代には統治形式のレベルで政権の担い手が変わるということと、実体政策のレベルで配分の仕方が変わるという二つの期待があった。アメリカ大統領選で共和党と民主党の振り子のバランスがどちらに傾くか(修正)が2大政党論の期待である。戦後の55体制で自民党政治は自由主義と福祉政策を経済成長で実現してきた。その結果利益誘導政治となった。2000年になって小泉政権は規制緩和市場原理主義でこの利益誘導政策を破壊し、福祉政策を切り捨て新自由主義政策で資本側へ振り子は大きく傾いた。2009年民主党政権は内需主導経済再建と福祉政策優先(生活第一)を掲げて登場した。たしかに政権が変われる政策も変わることは実感したが、いまだに政策転換は不十分どころか政権が約束したマニフェストの実行は困難である。マニフェストは「嘘も方便」であったのだろうか。自民党利益誘導政策からの離脱は小沢という自民党体質を抱える以上難しいといわざるを得ない。小沢のいう「生活第一」と「議会民主主義」が方便なのか信念なのかまだ判断はつかない。他方菅や前原などは財政再建・成長戦略・普天間基地問題などについては自民党政権と変わるところはない。財界に対する媚びは自民党以上である。日本の民主主義の発展のためには政権交代の経験は必要である。政権交代以降の混迷と自壊の動きは、方便政党としての限界が実際に政権を取ってみて顕在化したというべきであろう。

2) 統治システム(政治主導)の試行錯誤

自民党の統治システムや民主党が採用しようとするウェストミンスター型統治システムについては飯尾潤 「日本の統治機構」ー官僚内閣制から議院内閣制へ (岩波新書 2007)や菅直人著 「大臣」増補版 (岩波新書 2009)に詳しく書かれているのでここでは繰り返さない。そして蛇足ながら私は著者がいう「統治モデル」という言葉が嫌いだ。君主論やエリート主義のいう「支配」に近い響きを持つからだ。庶民に過ぎない私は間違いなく「被統治者」に属するので、被統治者が統治モデル(どのような支配のされ方がいいですか)を選ぶことは拒否したい。パワーエリートより迷える子羊(むしろ老子ふうの自由かな)が好きな永久の非統治階級者の夢も希望もないからだ。こんな愚痴はさておき、政治主導がもたらした混迷を検証しておこう。しかし実力も経験もない人間が頭でっかちに制度改革から入る政治主導は最初から空転した。第1に政務三役の指導体制が官僚機構(事務方)と隔離し回転が伝わらなかった。事務次官会議の廃止、官僚が対外的に意見を公表する事を禁止、政治家との接近を禁止された官僚はサボタージュか無視(もしくは反対の意見のリーク)の態度に出た。第2に内閣主導を実行するにも人材がいないことであった。法案が作れるわけでもなく、財務が出来るわけでもない民主党政務官の政治主導の実体は著しく齟齬をきたすか官僚に丸め込まれるだけであった。政務官は財務や通産省の手の内で踊らされているようだ。第3の問題は政府与党一元化の失敗である。党の政調会と事前審査制を廃止し政府に一元化したことで、地方のニーズの汲み上げと実質審議は旧態依然たる小沢の陳情機構の再現となった。日本の国会は残念ながら法案の実質審議をしたことがない。法案は多数決によって無修正で通過するだけであったので、法案は党でも国会でも審議されないという事態となった。結局野田首相は法案の事前審査制を再開したことは、民主党内で族議員が生まれるのではないかという懸念が広がっている。そして最大の失敗は鳴り物入りで発足した国家戦略会議が実積が生まれる前に空洞化したことである。そして混迷の極致というべきねじれ国会のもとで国会運営は対立ばかりが目立ち、法案の修正協議は望むべくもない。

3) 政策転換の失敗

民主党政権で政策転換の進展を、税制、社会保障、沖縄基地問題について検証し、民主党マニフェスト政治の中間総括を行なう。
@ 税制: 民主党は租税政策の形成システムを政府一元化において検討し、@納税促進税制(納税者権利憲章)、A雇用促進税制(福祉から雇用促進へ)、B租税特別措置(業界特別優遇を洗いだし)、C市民公益税制(NPO寄付金)の4つのテーマについて専門委員会が政府税調に報告した。政権交代により実現した変革はNPOに対する寄付に税制の優遇を与えたことである。ただし税制優遇を受けるNPOの認定が非常に厳しく8700のNPOのうち僅か9件にすぎず、財務省の抵抗がここにも現れていた。地球温暖化対策は鳩山政権が成立直後に国際的に公約し称賛を受けた政策であるが、環境税の設定については財界および経産省の猛反対のまえに民主党政権でも乗越えることは出来なかった。納税者権利憲章などは一定の進展があった。
A 社会保障: 社会保障の基本を雇用を促進することにおくという西欧社会民主主義政策が提示された。まず自民党政権で切り捨てられた母子加算復活を行ったことは大きな成果であった。小泉政権で定められた障害者自立支援法という受益者負担原則を廃止し、2011年7月障害者基本法改正が図られたことも大きな成果であった。長妻厚労大臣が取り組んだ、消えた年金の全件照合は2013年までに完了するという方針は大幅に後退し半数の照合がやっとだということになった。消えた年金の全件解明は挫折し、自分でやってみると予想外に困難だったことがわかったようだ。そして新たな年金問題(第3号被保険者問題)が発生し、2年間納入すれば未納分は問わないとする官僚の策は世論の猛反対を受け、2011年3月で「運用3号」の扱いを停止し、法律改正で対応することになった。
B 沖縄基地問題: 鳩山首相は普天間基地の国外移転、最低でも県外移転を2010年5月までに行なうと約束した。首相が考えていた徳之島移転、および辺野古基地移転は猛反対を受け、社民党の政権からの離脱を招いて鳩山首相は退陣した。米国との交渉において最大の障害は、日米安保を国体と考える外務省と防衛省の官僚の抵抗であった。菅首相はこの問題に全く触れようともしなかったので、沖縄基地問題は最初の日米案に戻りそれも進展していない。

なぜかくもマニフェストの実現が難しかったのだろうか。高速道路無料化、八場ダム建設中止、揮発油暫定税率廃止、子供手当てなどなど、オセロの白を黒に裏返しするようにマニフェストを撤回した。そしてマニフェストになかった消費税率引き上げに菅・野田首相は情熱を燃やしている。金がなければ何も出来ないことを表明したようだ。民主党の場合マニフェストの検討不十分という問題と、民主党員がマニフェストの理念や方向性を共有していないという問題が、政策転換のエネルギーも戦略も生まれなかった原因であろう。実は民主党とはアンチ自民党で結成された党であって、中味は雑居政党で政策を議論すると分解することは眼に見えていたので回避してきた経緯がある。最大の問題は財源問題の詰めの甘さであり、予算の無駄の見直しで財源を確保するという目論見のはずれにあった。民主党の政策転換を総括すると、納税者権利の擁護、障害者対策の拡充などの成功事例では、主体と環境の両面での条件が整っていた。それに対して環境税や地球温暖化対策には多くの利害関係者と官僚組織が反対に回り、逆に原発推進という方向へ持っていかれた。その結果が福島第1原発事故であったとすれば民主党内閣の責任は極めて大きい。関係者の利害調整には小泉内閣は「経済財政諮問会議」を持っていた。民主党内閣では国家戦略室が殆ど機能しないままに形骸化したので、調整機能は無いに等しく反対勢力の声の前に潰されたのである。官僚や利害関係者の既得権を超えて政策を実現するという意味での政治主導を支えるのは、社会運動の力である。

4) 政党政治と国会

欧米では政党間の政策的差異がなくなったといわれており、フランスや北欧では政権交代が政策転換をもたらさないということがある。日本では1990年代に小選挙区制度に移行したことにより、政党の公約より人物の力に期待する傾向が強まった。中選挙区で制度では複数の候補が受かることで政党の政策に投票者の関心が向いた。したがって正統は選挙での勝利を目指す便宜的連合体(選挙互助会)の性格が強まり、政局の動きに合わせて政党の組み換えが日常的となった。政策毎に政党内で意見が事なる事は民主党では当たり前で、しかも政党に調整力がないことが大問題である。目指すべき日本社会のイメージについて、リスクの個人化=自己責任を基調とするアメリカ型か、リスクの社会化=相互扶助を基調とする欧州型かという対立軸は今でも意味を持つ。マニフェスト選挙は事前選択型選挙の実現であるが、民主党の例を見るとマニフェストの政策が必ずしも実現できるわけでないことは投票者は覚悟しなければならない。民主党は実現の道筋を詳細に検討することなく(スローガンの実現確率を明らかにせず),高い目標を掲げて自縄自縛のに陥った。民主党の最大の失敗は財源の確保どころか税収入の減少という情勢を予測しなかったことであろう。だからといって野党自民党に期待が持てるわけでもない。最近自民党は早期の政権復帰を焦るあまり単なる批判勢力となっている。なんでも政局へ持ち込みたいのである。世論がいつも正しいかというと、アンケート結果では実に矛盾した事を言っている。アンケートでメディアは世論のステレオタイプをお手軽に作ることが商売らしい。W・リップマン著 「世 論」(岩波文庫)では、世論の陥りやすいパターンを見事に描いている。民主政治を支えるのは市民側の熟慮(認識)と政治家を見る眼である。メデァアが作った虚像・世論に追従した結果の政治は混乱をもたらすだけである。ねじれ国会においては、日本の二院性が民主制度の機能障害をもたらす要因となった。参議院の改革については大山礼子著 「日本の国会」 (岩波新書 2011)を参照されたい。赤字国債を発行するには毎年その根拠となる特例法を成立させなければならない。自民党が野党に徹して参議院が拒否権を使えば赤字国債予算は通らず、国は麻痺するのである。

5) 民主主義への冷笑を克服して

3.11が日本の政治に突きつけた問題は、日本が地震国であると云うあたりまえのリスクを認識し、それに対する幅広い防災対策をたてることであると同時に、人間の生活を支えてきたソフトな社会基盤(資源)つまり医療、教育、年金、雇用システムなどを強化しないと被災地は復興できないことである。もちろん日本全体が復興できないことでもある。そういう課題に答えるのが政府であり、「小さな政府論」では格差拡大になるだけで政府には存在意味が無い。世界ではこれだけの大規模災害と原発事故を抱えて、日本社会が冷静に動いている事を不思議に眺めているようだが、日本にはこれまで培ってきた社会連帯に基づくコミュニティを形成する能力があり、我欲を抑えて隣人を助ける十問い精神があった。アメリカなどでは間違いなく暴動に発展するだろうが、日本では地元の人間が必死に歯を食いしばり、他の自治体やボランティアも助けている。地元自治体、警察、消防、自衛隊の方々の職務意識は高く志は高い。3.11で大きな問題となったのは人災といわれる福島第1原発事故とその処理であった。原発事故と原子力行政の歴史を見ると、一業界と官僚の結託による利益共同体のごり押しと見るのではなく、国家権力の所在にも係る重大問題であった。アメリカの軍産複合体を例に引くまでもなく、日本版軍産官学複合体の暴走の結果であった。異なった意見・政策を持つ者を徹底的に排除した「原子力村」による民主政治に対する蹂躙であった。原発のみならず現代において専門的科学技術が急速に発達し、市民が判断がつかない状態で市民に替わって官僚と専門家の都合だけで政策が決められていることを「民主主義の欠乏」という。それが結果的にすべて正しい政策なら結構なのだが、官僚が学者の権威を利用して、専門的知見の裏付けのない政策を正当化し、そこに資源をつぎ込むということが原子力行政では常態化した。官僚が国民に代わって政策を立案・実行するという体制が数々の過ちを生んだ。民意の偽装が日常化し官僚と専門家が民主主義の仕組みを無視していることの反映であった。そこにメディアの癒着が加わって、原発による電力供給を至上命令(国体)とする大本営体質が形成されたのである。ここで官僚主義の悪弊をまとめると、@設定された目的に対する献身と無誤謬神話、A外部からのフィードバックの遮断、B多様性の否定、異論の排除である。3.11も8.15も同じ体質で過ちが繰り返されてきた。原発事故の本質をついたひとつの書として石橋克彦編 「原発を終らせる」(岩波新書 2011年)を参照してほしい。

民主主義を巡る危険性として、官僚主義への憎悪というベクトルを悪用してヒットラーが生まれる可能性が指摘される。小泉首相のポピュリズム手法(劇場型政治)に味を占めて、いま地方においてローカルポピュリズムが拡がろうとしている。役所と議会の民主主義の過程の非効率性を攻撃して、市民に迎合したパフォーマンスと個人的知名度で選挙に当選した首長が一挙に民主主義を無視した一方的政策を実行するやり方を「ローカルポピュリズム」という。橋本徹大阪市長(大阪維新の会)や河村たかし名古屋市長(減税日本)らがそうである。ある意味では石原慎太郎東京都知事の手法にも似ている。彼らの手法には次のような特長がある。
@既成政党に対する不信とメディアを媒介とした直接性への欲求である。特にテレビのワイドショーを利用した大衆への直接的訴えかけである。
A政府機能と役人への不信と公共負担に対する忌避を訴えることである。大鉈を振るうというかっこよさを売り物にしたリストラとコストカットは間違いなく市民へのサービス低下に帰結することは隠しているし、セーフティネットが破壊されることに市民は気がつかなくてはいけない。
B見えやすい敵の設定と被害者意識をくすぐることによる大衆動員である。市民は不当に高い税金を払わされていると主張し、公務員は税金で養われている敵だと決め付けるのである。ところが住民税や固定資産税は自治体収入の半分もなく、住民税の減税分は国庫補助金を持ってくるという欺瞞を行なうのである。
C問題の単純化と議論の省略である。市民の鬱憤を晴らす効果的な手段を用意するのはこの種のリーダーは得意である。悪の根源という標的を設け市民の攻撃感情を煽るのである。小泉首相がいった「抵抗勢力・反動勢力」である。減税も大阪都構想も、社会の疲弊や生活の困窮の解消には何の関係もない。河村市長の10%減税はナンセンスである。橋本市長の大阪都構想は大阪府=大阪市とするだけで、抽象的でその効果は判定しえない。内容はぼちぼち考えてゆくようで、最近は道州制に結びつける発言があったが、道州制自体は政府官僚が地方分権で失った権限を再度中央集権支配するための道具である事は自明である。

ローカルポピュリズムに共通するものは民主主義にたいするシニズム(冷笑)と否定である。彼らは異なった意見を持つもの(役所・議会・官僚)を敵としてさらし者にし排除する。そして選挙で支持が得られれば、憲法違反でも何でもやれると考えているようだ。大阪条例案の教育基本条例や職員基本条例がそれである。そしてポピュリズムは反官僚という姿勢だけは示すが、実は官僚の宿業を一層野放しにし悪化させている。石原都知事みればよく分かる。トップダウンの官僚型統制と市場原理の競争主義が待っている。これによって首長の鼻息を窺う官僚の質の低下が待っている。そして彼らをもてはやすメディアの底の浅さも問題である。ミニヒットラーをワイドショーのヒット商品にするべく肯定的にしか伝えていない。その害悪を正確に指摘していない。このような投票の振り込め詐欺みたいな連中を乗越えなければならない。それには市民社会の政治的成熟が必要である。成熟した市民は現実的でなければならない。一度の政権交代で世の中がガラッと変わるほど簡単ではないし、そう期待する方がかえって非現実的である。民主主義には幻滅がつきものである。点ではなく長い線として経過を追わなければならない。そして一歩一歩何が変化したかをしっかり見届けることが大事である。自民党の体制よりよい政府を選ぶ環境が出来たことが画期的である。言葉を変えると「悪さ加減の選択」ともいえる。今の衆議院は450の議席があり、自民党勢力が1/3、民主党勢力が1/3とすると、あと1/3がどちらに流れるかで自民党議席が300となったり、民主党議席が300となったりする状況ではないだろうか。この1/3を政権の評価票と見れば世の中は変えられるのである。むかし社会主義国があったとき、資本主義国は革命が起きないように社会福祉に力を入れてきた。日本はその優等生であった。ところが1991年にソ連・東欧が崩壊したため資本主義国の歯止めが無くなって、配分は大きく資本側に傾き労働側の生活は苦しくなった。2009年の国民所得に対する税および社会保険の負担率は日本は39%でアメリカは35%、イギリス49%、ドイツ52%、フランス63%、スウェーデン67%である。まさに日本はアメリカ並みの新自由主義となっている。人々に富を配分しない経済は社会保障と財政を弱める結果になっている。強い社会保障によって人々は仕事と家庭を維持できる環境を整え、それによって購買力が発生し(内需)経済は強くなり、最終的に財政も強くなるのである。民主主義とは多数の意見が並び立つことで社会の復元力が働くバランスの取れた世の中こそが理想である。


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