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羽田 正著 「新しい世界史へ」 

 岩波新書 (2011年11月)

「ヨーロッパ中心主義」による世界史から脱却し、地球市民のための世界史の構想を

本書の著者羽田正という名をみて、どこかで聞いたことがあるなと思って調べたら、やはり東洋学西域史の泰斗羽田亨の孫であり、アジア史オリエント学者羽田明の息子であった。羽田正氏はイスラム学を専門とする。祖父・父・本人三代にわたって西ユーラシア史研究者という「名門」の一家である。彼ら三代について知ることは日本のそして京大の東洋史学の歴史を知ることであるので、簡単に三代のプルフィールを見て行きたい。
羽田亨: 1882年(明治15年) - 1955年(昭和30年) 京都生まれ、京都帝大を卒業、元京都大学総長・京都大学名誉教授、文化勲章受章者、内藤湖南・桑原隲藏らと共に京大東洋史学の黄金期を築き、「塞外史」の「西域史」の研究においてユーラシア大陸各地の遺文を解明するなど、日本の西域史学の確立に貢献した。内藤・桑原の亡き後は、宮崎市定や田村實造らを率い、世界的な東洋史研究の拠点としての京大の立場を確固たるものとした。
羽田明: 1910年-1989年、歴史学者。研究分野はアジア史。京都大学名誉教授、京都帝国大学卒、62年「中央アジア史研究(近世篇)」で文学博士、京大人文科学研究所助教授、教授、70年文学部西南アジア史講座初代主任教授。
羽田正: 1953年大阪生まれ、1976年京都大学文学部史学科卒業。78年同大学院修士課程進学、80年パリ第3大学に留学し、83年博士号取得。1986年京都橘女子大学文学部助教授、89年東京大学東洋文化研究所助教授を経て教授。現東洋文化研究所所長、専門は、イスラーム建築史、近世イスラーム史。主な著書には、『モスクが語るイスラム史―建築と政治権力』(中央公論社[中公新書] 1994年) 、『勲爵士シャルダンの生涯―十七世紀のヨーロッパとイスラーム世界』(中央公論新社 1999年) 、『イスラーム世界の創造』(東京大学出版会〈東洋叢書〉 2005年) などがある。

著者は「最近、歴史学と歴史研究者に元気がない」とつぶやく。しかしテレビでは大河物語として歴史物は相変わらず人気がある。昨年は日露戦争を描いた「坂の上の雲」、徳川秀忠の妻「お江」の物語が人気を博し、そして今年は「平清盛」が始まる。ものすごく現代的でとても歴史とはいえないセリフが出てきて違和感を覚えるが、所詮歴史とは今を生きる人間の過去を見る目であるからこそ力があるのだ。今や歴史学は現代人の興味をなくしているかずれている。「靖国神社参拝問題」に端を発する日韓中の歴史共同研究などには誰も興味は持てない。まして安倍元首相のいう「美しき日本」は教育勅語や皇国史観の亡霊が出てきそうで危なくて近寄れない。私たちが学び、知っている世界史は、もう時代に合わなくなってきている。現代の人が興味を持てる世界史を必要としている。戦後、復興を願い時代を先導する歴史学の時代があった。それは近代主義とマルクス主義の歴史学であった。ライバル同士が欧米に追いつく事を至上命題とする戦後の日本社会の骨格と方向性を議論したからである。日本の高度経済成長期に歴史が人を動かす力を示したのだ。これらはランケ、ミシュレといった19世紀の国民国家の歴史が勃興した時期もそうであった。時代にふさわしい歴史の話題が提供されると、人々の間に活発な議論が起り、時にはそれが社会全体を動かすエネルギーとなる。ではなぜ歴史学研究者のセンスが社会とずれてしまったのだろうか。時代がエゴ丸出しか覇権主義の国民国家の時代から、すでに地球全体で考えないといけない時代になっているのに、なぜか2.30年前で歴史研究が止まっている。研究テーマは細分化され、時代遅れのテーマで誰も読まない論文が拡大生産されているのだ。なぜそのような研究をするのかという自覚が明確ではない。現代には現代が必要とする歴史認識があるはずだ。現代世界が一体の構造で連結しながら働いていることは明白である。つまり「地球社会の世界史」が求められている。著者は「現在私たちが学び,知っている世界史は、時代に合わなくなっている。現代にふさわしい新しい世界史を構想しなければならない」とと本書で提案する。

1) 世界史の歴史

世界史とは大学の文学部にはない学科であり、本書では高校で定番の世界史を指すものとする。高校では世界史をどう教えるかは2009年度版「学習指導要綱」にこう書かれている。「世界史の大きな枠組みと展開を、日本の歴史と関連付けて理解させ、・・・国際社会を主体的に生きる日本の国民としての自覚と資質を養う」つまり世界史を学ぶに当たって日本の歴史の存在が前提となる。「世界史の大きな枠組み」とは指導要綱の内容から見ると、地域世界の形成(古代文明)、地域世界の交流と再編(中世、近世)、地域世界の結合と変容(19世紀産業革命)、地球世界の到来(20世紀現代)というように、形成ー交流ー結合ー一体化の過程として捉えることである。世界は異なった複数の部分から形成され、それぞれ異なった歴史を持っており、それらの部分のうちヨーロッパ文明世界と国家が他より優位にあり実質的に世界を動かしてきたとみるのである。日本で歴史が教えられるようになったのは、無論明治維新後の事である。1887年東京帝大に「史学」科が設置され、ランケ・リースらの国民国家の歴史学が招聘された。当時日本には国史はなかったが、水戸学の「大日本史」があるのみであった。そこで近代歴史学の実証的手法を用いて天皇制国家日本の歴史を描こうとした。これが国史であった。すこし遅れて東洋史がうまれたのは、1907年京都大学に東洋史講座が設けられてからの事である。那珂通世、桑原隲蔵の先駆者によって東洋史が開かれた。時は日露戦争開始後の国民の目がアジアに向けられた時期である。宮崎市定は東洋史誕生の背景を「日本が先頭に立って西洋のアジア侵略を防衛するという理想を実現する使命を負って誕生した」という。当時の国策であった。第2次世界大戦終戦の前までは、「日本史」、「東洋史」、「西洋史」の3区分で歴史学が構成された。

世界史なる分野が生まれたのは戦後のことである。占領政策下、1951年の学習指導要綱で「東洋史」、「西洋史」という科目が消え世界史となり、日本史は社会科の中に消えた。大学では戦前と同様に「国史」、「東洋史」、「西洋史」の研究と教育が続けられた。1951年の学習指導要綱の世界史は近代以前の社会、近代社会、現代の社会の3部構成となった。今日では近代以前を古代、中世、近世と細分することが多いが当時はそうではなかった。ヨーロッパとアジアという2項対立的な枠組みが意識的に用いられ、しかし内容的・分量的には圧倒的にヨーロッパに重点が置かれていた。つまり西洋の歴史が軸となる世界史であった。その後10年間に1回の割合で指導要綱の改定がなされ、世界史の捉え方が「東洋と西洋」から「文化圏」そして「地域世界」という風に変化し、露骨な西洋優位主義は影を潜め、ヨーロッパもそのひとつである地域世界が並立する世界史へ変っていった。家永三郎氏の教科書検定訴訟とともに有名な、上原専禄氏の「日本国民の世界史」という隠れたベストセラーがある。1953年上原専禄氏を始めとする7人の歴史研究者で執筆されたが教科書検定で不合格となったため、1960年上原専禄・江口朴郎共著「日本国民の世界史」(岩波新書)として出版された。 国民の生活意識を確立するために世界史像の形成を試みたという「国民的歴史学運動」のひとつの墓銘碑となった。ここまで志の高い世界史はこれが最後であろうか。ちなみに上原氏は本書出版後一切の公職を引退し京都で隠遁生活に入った。この書は第1部に東洋文明の形成と発展を設けて、中国文明、インド文明、西アジア文明を記述し、西欧文明とあわせて4つの独立性の高い文明圏を展開した。日本人のための世界史は東アジアから始めて西欧にいたる歴史を説くべきだと主張した点が画期的である。

2) 今の世界史の問題点

現行の世界史理解がなぜ時代と会わなくなってきているかという問題点は、そもそも出発点である19世紀の近代歴史学から引き継いでいるからである。その問題点を3つにまとめると
@ 現行の世界史は、日本人の世界史である: 先ず日本で教えている世界史の見方は、世界のどこでも通じるほど一般的でも普遍的でもない。例えばフランスの高校の教科書はギリシャから始まってキリスト教とイスラム文化を比較し、ルネッサンスで人文主義を再発見したことから宗教改革が始まり、フランス革命・産業革命で19世紀の民主主義と国民主義の成立を述べ、現代史に入るという流れで、日本については20世紀初めの日露戦争に言及するだけである。欧州では「非ヨーロッパ:のことは自国と関係したところだけを述べるに止まり系統的な非ヨーロッパ文明は無視されている。日本歴史教科書と決定的に違うところは、因果応報的に時系列に歴史を述べるわけではないことである。又中国の世界史の教科書ははっきりと中国史と区別され、中国史と世界史との関係は何も述べられない。次代は前工業時代と地域の歴史、工業文明の勃興、現代文明の発展と20世紀という三区分で記述される。ようするに世界の異なった国々は互いに異なった世界史認識を持っていると見るべきである。
A 現行の世界史は、自と他を区別や違いを強調する。: 世界史はある人間集団と他の人間集団の違いを強調する性格を持っている。世界には現実に数多くの主権国家があるのだから、各国の世界史とは世界の現状をそのまま追認していることになる。マルクス主義の歴史学はもうすこし一般理論に基づいた理解を示したが、国民国家の世界史は現状を固定し、違いを荒立て格差を助長するような側面があった。「文明の衝突」以来、イスラーム文明がことさら違うかのように著述されるが、イスラム経典がすべての基本ではなく、そしてイスラーム文明圏の国々が一色にイスラームで統一されてはいない。19世紀にイギリスが作ったアラブの秩序に基づいた、欧米の虚像である。
B 現行の世界史はヨーロッパ中心史観から脱却できていない。: ヨーロッパの近代知が世界をリードしてきたというヨーロッパ中心史観の問題がある。ヨーロッパの優位性を明らかにするために、ルネッサンス以来の「勝者の歴史」が書かれた。ところが地域としてのヨーロッパといっても、北欧、中欧、南欧、東欧、さらにウラル以西のロシアなどあって、どこのヨーロッパをいうのだろう。この問題はEUのように統一ヨーロッパの内部問題と重なる。現在EUの信用を落としているのは南欧であり、牽引しているの中欧である。ぶら下がっているのが東欧、そ知らぬ顔をしているのが北欧で、イギリスはヨーロッパではないアングルサクソン国だという。したがってヨーロッパの近代知とは概念に過ぎないとか、狭く言えばフランスの啓蒙思想の事ではなかろうか。ここに地位としてのヨーロッパと概念としてのヨーロッパがあり、世界史でいうヨーロッパとは19世紀半ばにようやく固まって、進歩、民主主義、自由、平等、科学、世俗、普遍などの正の価値が与えられた。

3) 新しい世界史の試みと問題点

時代はヨーロッパ中心史観に愛想がつき始めている。進歩は必ずしも社会の幸福とは連動しなくなったからだ。共産主義のソ連と東欧が崩壊して資本主義が新自由主義を唱えだした頃から、健全野党を失った与党の腐敗のように我が物顔で我利私欲に走ったからである。時代は第3の道を求めだしている。グローバル資本主義とグローバル環境破壊が進行し、地球環境と地球市民を守る思想が求められている。人間は地球上で生きているということが理解できる世界史、世界中の人々がつながりあって生きてゆくことが分かる世界史が必要とされているのだ。国民国家の戦争に嫌気がさし地球市民像を求めた書として、柄谷行人著 「世界共和国へ」(岩波新書)がある。また遅塚忠躬「史学概論」(東京大学出版会)は別の国の歴史を鏡として日本の歴史を見直そうという。諸国民国家の歴史の狭間で、良識ある外国史研究科はアイデンティティを失いかねないのだ。これまでの世界史を乗越える試みは中心主義(ヨーロッパ、アメリカ、中華思想など)を排除する方向と関係性の発見という2つの方向で行なわれている。しかし地球社会の世界史を構想する試みはまだ形を取っていない。これまでの試みの中から有望そうな活動を取り上げ、展望と問題点を明らかにする。
@ グリーバル・ヒストリー: イギリス、アメリカやオーストラリアのいわゆるアングロサクソン英語圏でグローバル・ヒストリー研究が急速に力を持ってきた。扱う時間軸、テーマの広さ、空間の広さ、欧州の相対化、地域の相互連関の重視、扱うテーマや対象の新鮮さで他を圧倒する。ヨーロッパ中心主義を相対化する点で参考になるが、欧州の変わりにアングロサクソンを置いたような歴史感覚で、世界が経済的に一体化してゆく過程を描いている。
A イスラーム中心史観: 現代日本における「イスラーム世界」とは、そこで生じたあらゆる出来事をイスラーム教の特質によって説明できるとするものである。そもそもアラブ、イラン、北アフリカなどがひとつの見方で理解できるとは思えないし、「イスラーム世界」と「非イスラーム世界」を峻別するやり方では、ヨーロッパ中心史観と同じで世界全体を叙述する世界史を描くことは出来ない。著者は「イスラーム世界の創造」(東京大学出版会 2005)のなかで、欧米が作った「イスラーム世界」という空間的な縛りを取り去って、共通性や関連性からユーラシアの中央に位置する西アジアの歴史を再構成することが必要だと説く。
B 中国中心史観: 広大な中国大陸は政治的に統一される歴史的運命にあると考える。統一王朝と分裂期という捉え方は諸民族が抗争し協力する歴史を無視し漢民族中心主義や「中華と蛮夷」という中心と周辺の概念に捉われてきた。むしろ東方ユーラシア(漢)と中央ユーラシア(遊牧民)の交流という見方をすべきではないだろうか。
C 日本中心史観: 南塚信吾著「世界史なんていらない?」(岩波書店 2007)は日本が世界的に活躍する現在、歴史も世界史的規模で考えなければならいとして、世界史の中に日本史を組み込むとか日本史と世界史の融合を主張する。日本史を完全に喪失してもいいかというと、暫くは日本国が存在するかぎり日本史があってもいいし、世界史の中の日本史が両立していればいいのである。
D 世界システム論: これはグローバルヒストリーの史観に基づいて、ヨーロッパの一部で生まれた「近代世界システム」が地球上のその他の部分を次々と飲み込んでルイに世界全体を覆うようになる。このシステムは内部における資本主義的分業体制と政治的文化的な不統一を重要な特徴とする。アメリカ覇権主義を絵に書いたような史観である。世界システム論の世界史観は現代のグローバルな世界システムが16世紀にヨーロッパに形成されたシステムの拡大延長であるとする。中心は周辺国家を略奪し経済的分業体制を築くのであるが、実は政治的文化的に大きな矛盾を抱えている。現在地球上の多くの地域で資本主義的な考え方が人々の経済行為の基本となっていることは事実である。これを強いられた制度と理解するか、実は各地でそれに学んでいろいろな資本主義が関係していると考えるか、中心は必要ないとするほうがシステムの安定性に貢献するのである。
E 周縁史観: 中国が中心である史観からはなれて、周縁から中国を見る試みがある。アジアからヨーロッパを見るには一種の「アジア中心主義」になりかねず、中心主義へのアンチテーゼで終る可能性がある。
F サバルタン: イギリスの植民地の下層民の目からインド史を書き直す試みがある。西欧近代知がほんとうに正の価値観だったのだろうかという問いである。反権力史といってよく、歴史全体の否定につながる可能性がある。
G 環境史: 人類史、資源を巡る争い、病気や気候変動(乾期・氷河期など)、土地利用や人口動態、開発などの環境テーマから歴史を見る見方である。アメリカ先住民が滅んだのは欧州から持ち込んだ疫病かポルトガル・スペイン人の鉄砲による殺戮か議論の絶えないことである。しかし環境だけで歴史が決定されるわけではない。面白い視点を供給するが、全体像ではなかろう。
H ものの世界史: よく言われるが大航海時代はアジアの香辛料が人々を駆り立てた。東インド会社は茶とアヘンと銀の交易だったとか、アフリカ奴隷と西インド諸島の砂糖プランテーションは「白と黒の三角貿易」といわれる。物の生産・流通・消費を従来からの世界史解釈の上に重ね合わせると、現実的な話題性が生まれることは確かである。しかしそれはヨーロッパとアジアの経済活動を対立的に描くことである。モノとカネと人の相互の流れは経済そのものであって、人間の歴史全体を記述するわけではない。
I 海域世界史: 文化圏という言葉の代わりとなる「海域世界」がよく話題となる。経済的仕組みである「ASEAN」、「APEC]はその流れにあるといえるが、船舶より飛行機の進歩した今、経済圏を正当に表しているかどうか、或いは政治圏(アメリカ太平洋艦隊派遣海域)なのかいまいちあいまいである。「地中海世界」、「太平洋世界」、「インド洋世界」、「東アジア海域」とか「七つの海を支配したイギリス無敵艦隊」などの言葉は相当市民権を得ている。しかしこの研究手法はあらたに閉じた枠組みないしは空間を歴史研究に持ち込む危険性がある。関係こそが問題なのに、そこに特別の意味を固定し特徴付けることは可能なのだろうか。海域世界に中心は無いが周辺境界が極めてあいまいである。複数の海域世界が互いに重なり合って影響し世界を構成しているので独立した存在ではない。時系列の国民国家の歴史からは自由になれるが捕らえ難い。玄界灘を舞台にした韓国南部と日本の西南部の同一民族説もこれに当たる。魅力的だが実在の確かめようがなく、それは関係史に過ぎないのでは無いか。

4) 新しい世界史の構想

本書は2009年より日本学術振興会からの科学研究費を受託して行なわれている共同研究「ユーラシアの近代化と新しい世界史叙述」の中間報告的色彩がある。構築途上で公には出来ない部分もあり、私案という形で出版された。著者は使用言語は日本語とする理由を長々と述べているが割愛する。本書のこの章で述べる「新しい世界史の構想」には、立脚すべきポイントを明らかにするものであって、具体的な内容をまとめる段階には無いという。対象は人間の歴史である。地球の歴史については自然科学者に任せる。新しい世界史の構想の趣旨は、「ヨーロッパ」と「非ヨーロッパ」を区分して世界史を理解しようとする態度を改め、一体として世界史の把握方法と叙述の仕方を開発することである。そして著者は兼原信克著「戦後外交論」から、現代地球社会において人々が持つべき重要な価値として、@法の支配、A人間の尊厳、B民主主義、C戦争の否定、D勤労と自由市場の尊重 を参考にすべきだという。叙述の仕方として次の3つの方法を考える。
@ 世界の見取り図を描く: 主権国家やその集合体からなる現代世界の構造の歴史性を浮かび上がらせるよう、国や民族、国家という形態もまた歴史的存在だと考え、特に19世紀以前の世界では人間集団のあり方が実に多様であって、社会秩序と政治体制に強く縛られていたわけではない事を明らかにする。そして政治権力と社会秩序が形成され@法の支配、A人間の尊厳、B民主主義の価値が確立していった過程に留意する。その中からC戦争の否定(平和)の価値を明らかになってくるだろう。
A 時系列史に拘らない: 国民国家時代に固有な時系列史(通史、日本では皇国史観)は廃止する。たいした理由もないのに因果律ばかりを追い求めるより、はっきりした時代の変化に重点を置くのである。過去の歴史は現代を理解するためにある。歴史の効用は優れて現代を理解するためである。不変に実在するものは少なく、国家領域は変幻極まりないものと理解する。そんな事を議論しても仕方ない。大きな特徴を有する時代(19世紀以前が100年間隔で、現代は30年くらい)をレイアー(相)とみて、その間の人間集団の関係を見るのである。日本という国家は見ない。(日本国が出来たのは19世紀後半、それまでは小国の集合にすぎなかった) 敢えて時系列にみると、世界1、世界2、世界3、・・・世界nを叙述し、その世界の内部関係を明らかにして、その時代の変化の原動力を見るのである。
B 横につなぐ歴史を意識する: ヨーロッパ中心史観から脱却するには、世界中の人々の生産、流通、消費活動の総合としてヨーロッパの生産力を見る見方である。D勤労と自由市場の尊重という価値が主役を占める。世界各地の人々が交易と流通の分野で関係を持って、生活をしているわけを明らかにしたい。商品を軸としてこれに係る人々が作り出すネットワークやシステムには中心はない。基軸通貨は必要かもしれないが覇権は必要ない。産業革命と経済発展はイギリスとフランス・ドイツのみが生み出したものではない。世界中の人々の活動の結果である事を示したい。


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