111219

海渡雄一著 「原発訴訟」 

 岩波新書 (2011年11月)

原発建設・運転を阻止するため、国・電力会社を擁護する裁判所との闘い

本書を読んでまず注目すべきは、岩波新書という啓蒙書にしては技術的内容に深く立ち入っていることである。技術を取り上げた啓蒙書より遥かに詳細に技術的問題をえぐっている。これは長年科学・技術訴訟に関与してしてきた弁護士という職業柄、専門知識を理解しようという意欲を持って当たってきた成果であろうか。2、3の技術的問題、例えば沸騰水型炉の再循環ポンプのケーシング損傷事故やMOX燃料ペレットの外形寸法の捏造問題、プルトニウムを含むMOX燃料の燃焼特異性と毒性などの諸問題については、本書から新しく学ぶところが多かった。著者海渡雄一氏は1955年〈昭和30年〉生まれ、1979年(昭和54年) 東京大学法学部を卒業し、1981年弁護士となる。第二東京弁護士会所属。2010年4月より日本弁護士連合会事務総長、監獄人権センター事務局長。非政府組織 グリーンピースの元理事長である。過去に係わった訴訟としては、国労弁護団、監獄内の人権に関する訴訟、原子力発電所の危険性を主張する訴訟、航空機事故遺族代理人、横浜市保育所民営化反対裁判などに弁護士として携わった。主な著作には、「刑務所改革」(日本評論社) 、「刑事司法改革ヨーロッパと日本」(岩波ブックレット269、岩波書店) 、「共謀罪とは何か」(岩波ブックレット686) 、「監獄と人権」(明石書店) などがあり、原発訴訟関係の司法論文としては「もんじゅ訴訟」(青林書院 2006)、「原子力問題と環境」(法律文化社 2007)、「原子力発電所を巡る訴訟」(法律文化社 2010)などがある。妻は弁護士で参議院議員(現社民党党首)の福島瑞穂氏(事実婚)である。

2011年3月11日東日本地震が発生し福島第1原発において非常用ディーゼルエンジンの故障により、第1号機から3号機の炉心のメルトダウンという最悪の事態となった。筆者らは担当した原発訴訟の法廷で、このような危機が具体的に起りうる事を主張し未然に防ぐための司法の判断を求め続ける活動を30年以上行なってきたが、日本の司法はこの危険性を「抽象的危険性で原発を止める合理的理由は無い」として、原発の安全性という課題に真正面から向き合ってこなかった。原発事故の恐ろしさはたとえ発生確率は低くとも事故は起りうるのであり、起った際の被害は限りなく悲惨であることだ。国の安全神話を無批判に受け入れ無作為のままに原発を放置した司法の罪は大きい。事故の発生確率の周辺には無数の「ヒヤリハット」事故があり、氷山の一角として大事故は突然に襲ってくるのである。資料としては古いが室田武著「原発の経済学」(朝日文庫 1993)の終章「亡国に至る道」と巻末に100件の世界原子炉関連事故年譜を掲げている。
海渡氏らはもんじゅ訴訟、青森県6ヶ所村核燃料サイクル施設の許可取消訴訟、静岡県浜岡原発と青森県大間原発の運転差止訴訟、福島第2原発彩循環ポンプ事故後の再運転差止株主訴訟、福島第1原発3号機MOX燃料装荷差止訴訟、シュラウド(炉心隔壁損傷の刑事告発などにおいて、本質的な原子炉の問題点として以下の点を指摘し続けた。
@ 潜在的な原発事故の危険性があまりにも大きい。事故は取り返しのつかない被害をもたらす。
A 被爆労働という下請け労働者にとって差別的な労働となっている。
B 平常時でも環境汚染と健康被害を引き起こす可能性があるが、これを規制する環境保護法が欠如している。
C 放射性廃棄物の処分の見通しがない。
D 核燃料リサイクルのプルトニウムはあまりに毒性が強く、各兵器利用への道を開くものである。
E 原発関連情報の秘匿、統制が進み、社会が正しく原発を理解できない。

原発建設反対住民運動は、土地と漁業権という抵抗手法があったが、金と権力で買収が進められ住民の分裂を招いた。こうして住民運動が行き詰って1970年代より原発建設が怒涛のように進み、労組の座り込みなどの実力行使などが行なわれたが、原発訴訟という抵抗闘争が行なわれるようになった。伊方原発提訴1973、東海第2原発提訴1973、福島第2原発提訴1975、柏崎原発提訴1979の4つの提訴が日本におけるパイオニア的な原発訴訟であった。訴訟には行政訴訟と民事訴訟がある。原発の設置許可を与えた国に対して許可取り消しを求めるのが行政訴訟で、電力会社などの設置者に対して環境権・人格権に基づいて原発の建設・運転の差し止めを求めるのが民事訴訟である。最初の4訴訟は行政訴訟であった。1984年の高速増殖炉「もんじゅ」の建設運転には、無効確認請求という行政訴訟と民事差止請求を起こした。約20件の原発訴訟の一覧を示す。地裁での原告勝利判決は2件のみ(上級裁ではいずれも敗訴)で、ことごとく原告敗訴となっている。いかに日本の裁判所の壁は厚かったかは、欧米の判決を見ると隔世の感がするのである。司法に原発の危険性を訴えることは無力感しか残さない。司法が変わる可能性は全く無いのだろうか。東洋型国家主義の番人である裁判官が官僚である限り国の意向に沿って行動するのだろうが、国民の世論を汲んでどうバランスを取るのかが欧米型司法の独立への変化の決め手になるだろう。

主な原発訴訟
訴訟名(提訴年)地裁判決高裁判決最高裁判決
行政訴訟
伊方原発1号炉(1973)松山地裁1978 棄却高松高裁1984 棄却1992 棄却
福島第2原発1号炉1975)福島地裁1984 棄却仙台高裁1990 棄却1992 棄却
東海第2原発(1973)水戸地裁1985 棄却東京高裁2001 棄却2004 棄却
もんじゅ(1985)
原告適格に関する判断
実質部分の訴訟

福井地裁1987 却下
福井地裁2000 棄却

名古屋高裁金澤1989 却下
名古屋高裁金澤2003 棄却

1992 地裁際戻し 棄却
2005 棄却
柏崎刈羽原発1号炉(1979)新潟地裁1994 棄却東京高裁2005 棄却2009 棄却
伊方原発2号炉1978)松山地裁2000 棄却
ウラン濃縮施設(1989)青森地裁2003 棄却仙台高裁2006 棄却2007 棄却
低レベル放射性廃棄物施設(1991)青森地裁2006 棄却仙台高裁2008 棄却2009 棄却
再処理施設(1993)青森地裁係争中
民事訴訟
女川原発1、2号炉(1981)仙台地裁1994 棄却仙台高裁1999 棄却2000 棄却
志賀原発1号炉(1988)金澤地裁1994 棄却名古屋高裁金澤1998 棄却2000 棄却
泊原発1、2号炉(1988)札幌地裁1999 棄却
志賀原発2号炉(1999)金澤地裁2006 運転差止原告勝利名古屋高裁金澤2009 棄却2009 棄却
浜岡原発1−4号炉(2003)静岡地裁2007 棄却東京高裁係争中
島根原発1、2号炉(1999)松江地裁2010 棄却広島高裁係争中
大間原発(2010)函館地裁係争中

日本の政治経済システムには強固な原子力推進システムが埋め込まれているようである。司法の独立とは裏腹に国家行政の圧力統制が裁判所にも及んでいるらしい。これを破るのはまさに実力革命というべき手法によるしかないようである。菅総理大臣が事故後に「原発に頼らない社会」をという見解を出したが、個人的見解に過ぎなかったのだろうか、原発の海外受注に経産大臣が動くという有様はどうも説明が付かない。首相以外に絶対権力者が日本の奥の院から動かしているようだ。「変な天の声もあるようだ」とは福田元首相の言であった。原発の前には首相の首をすげ替えるような権力者の存在をひしひしと感じる。しかし3.11以降日本の世論は大きく転換した。いま国民投票を法で決めて実施したら間違いなく原発撤退という国民の総意が出るだろう。そうはさせじと国民投票に持ち込まれないように日本の権力筋は必死に動いている。ところが朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、中日新聞などマスコミ報道も脱原発政策を打ち出してきている。1979年の米国スリーマイルズ島原発事故を契機に米国世論は脱原発に変わり、1970年代後半から新規原発の建設は1基も無くなった。米国では実に35年以上原発を建設していないのだ。1986年チェルノブイリ原発事故後欧州の意識の変化は急速に起った。スウェーデン、スイス、イタリア、オーストリアのように国民投票によって脱原発の1歩を踏み出した。2011年3月11日の福島第1原発事故によりドイツは原発廃止に向っている。日本では1999年のJOC臨界事故の後に市民意識は目覚め、2011年3月福島原発事故で世論は脱原発へ向かっている。なのに裁判所はシーラカンスにように世論に背を向け、経産省資源エネルギー庁の望む判決を出し続けている。

1) 原発の安全性を問う

全訴訟が敗訴という現状で原発裁判の無力さを嘆くよりは、一つ一つの判決を読み込んでゆくと、自立性のない裁判官の判決に裁判官の保身術と、時代と世論の影響から世論を汲み取ろうとする(良心)心情が垣間見られれて、それはそれで意味のある事である。(とはいえ空しいことであるが) 日本の原発訴訟の原形とも言われる伊方原発訴訟(1973年)は原子炉設置許可処分取り消しを求める訴訟であった。訴訟の論点に入る前に、日本の原子力気生の法体系は「原子力基本法」(1955)、原子炉の許認可を規定した「原子炉等規制法」、「原子力委員会及び原子力安全委員会設置法」(1955)の法律と規則、指針からなる。2001年の省庁再編で原子力安全行政の大半の許認可権限は経済産業省の原子力安全・保安院に集中された。原子力安全委員会は実務部隊を持たない内閣府の審議機関であり、第1次安全審査は保安院が行い原子力安全委員会で第2次審査を行なう「ダブルチェック」(追認、お墨付き)を行なうとされている。原子力施設の「安全審査指針」には約60の指針類があり、代表的なものに「原子炉立地審査指針」、「安全設計審査指針」、「安全評価に関する審査指針」、「施設周辺の線量目標値に関する指針」、「耐震設計審査指針」、「炉心熱設計評価指針」、「非常時炉心冷却系の性能評価指針」などの重要事項の指針類がある。伊方原発訴訟は1978年4月に松山地裁で判決が出された。原告らの原告適格を認めたが(1987年の福井地裁のもんじゅ訴訟より、原告適格を否定し原子力安全論争を拒否する門前払い方式となったが、1992年もんじゅ最高裁判決より原告適格が認められることが通例となった)、原告らが指摘した原発の技術的危険性は悉く否定した。1984年高松高裁判決、1992年最高裁判決も原告の請求は棄却された。伊方原発最高裁判決の主な論点は、@安全審査の目的、A科学的・専門的意見の尊重、B違法性の判断基準、C立証責任についてであった。判決は行政の裁量権を広く認め、審査の対象を基本設計に限定するなど批判があるが、原発はかなり高い安全性確保が求められ、最新の技術的知見に基づいて違法性を判断すること、立証責任は国側にある事を言明した点は評価される。

北陸電力志賀原発1号炉訴訟で名古屋高裁金沢支部判決で「原発は人類の負の遺産」と言いながら原発の運転は認めてしまった。北海道泊原発1,2号炉訴訟は1988年に提訴され、1999年2月札幌地裁で棄却の判決が出された。傍論で「事故の可能性は完全には否定できない」といった。1999年3月の東北電力女川原発1号炉訴訟の仙台高裁判決では「原発事故の深刻さ」を認め、「経済的理由で稼働率を重視することは問題である」といった。2001年7月の東海第2原発の東京高裁判決では圧力容器の脆性予測に不合理性を認めながら「安全尤度」があるとした。青森県低レベル放射性廃棄物処分施設許可取り消し訴訟の青森地裁判決では日本原燃のボーリングデータ隠しには不合理性があると判断した。そして2003年1月動燃のもんじゅ高速増殖炉「原型炉」訴訟で名古屋高裁金沢支部は許可処分が無効であると住民全面勝訴を下した。高速増殖炉とはウランとプルトニウムの混合燃料MOXを使用し、核分裂によって生じた高速中性子を核分裂能力のないウラン238にあててプルトニウム239に変換させるものである。高速増殖炉では高いエネルギーの中性子を必要とするため減速効果のある水を冷却材として用いることはせず、かつ熱伝導率のよい金属ナトリウムを冷却材に用いるのだ。このナトリウムは水と接すると爆発(ナトリウム−水反応)し、またコンクリート中の水分とも反応(ナトリウム−コンクリート)しコンクリートの強度が失われる。したがってナトリウムの漏洩防止対策が重要となる。そしてプルトニウムの放出する放射線はα線(粒子性)で損傷力が強い。呼吸器系の年間内部被爆量は0.05マイクロg、経口摂取量は40マイクロgと定められている。1995年12月もんじゅでナトリウム漏れ火災事故が発生した。判決は「安全審査が十分な検討を経た結果なのか疑問を起こさせる。誠に無責任である」とした。

名古屋地裁金沢支部判決は、高速増殖炉の安全審査の違法性を次の3点で判断した。
@ナトリウムによる鋼材腐食を考慮していない
A高温ラプチャーによる蒸気発生器(伝熱菅)損傷の可能性
B炉心崩壊事故の可能性は沸騰水型と比較できないほど高い
高速中性子の制御はナトリウム冷却材では難しく核分裂反応制御は不可能であると云う。このような高速増殖炉の危険性を認識したアメリカ,ドイツ、フランス、イギリスなどにおいては開発を断念し、日本だけがどのようなイノーベーションで開発を継続しているのか世界のなぞと言われた。ところが2005年最高裁は安全審査に違法性がないという驚くべき判決を下した。2010年5月もんじゅは改修工事を終え14年ぶりに運転を再開したが、燃料交換時に装置が炉内に落下する事故を起こして再び運転を停止し、3.11原発震災を迎えた。もうひとつの原告勝利判決は、志賀原発訴訟は原発の耐震設計が重要な争点となったが、2006年3月金沢地裁で旧耐震指針の無効を言い渡した。しかし2009年3月名古屋高裁金沢支部は新指針(2006年9月)に基づく耐震安全再評価(地震規模を低く見積もり、すべての原発がクリアーできるようにした改悪指針であった)が実施され安全は確保されたという理由で訴えを棄却した。最高裁は2009年10月国の安全指針に追随して棄却した。

2) 原発は大地震に耐えられるのか

志賀原発2号炉訴訟で耐震設計指針が争点であったが、敦賀海岸の活断層が問題となった。近年の地震学の進展により複数の活断層を「活断層帯」として一括して地震規模を想定すべきであるにもかかわらず、敦賀原発訴訟判決では裁判所はこれを認めなかった。以降、浜岡原発訴訟静岡地裁判決、島根原発1,2号炉訴訟松江地裁判決、柏崎原発1号炉訴訟最高裁判決では原告敗訴の判決が続いた。石橋克彦編 「原発を終らせる」 (岩波新書 2011年7月)で地震学者石橋氏は「地震列島の原発」と題して、「新指針に基づき古い原発の耐震安全性評価を行なうよう2006年に電力会社に指示した。ところが不思議なことに古い原発の安全性はすべてクリアーできた。なぜなら既存原発が不適合にならないように振動を過小評価し、Ssを柏崎原発が2300ガルなのに、すべて600ガル以下で評価するように仕組まれていた。小さな地振動しか考慮しなくていい事になっていたのだ。これが嘘であったことを、今回の東北地震は如実に証明した。だから想定外といって電力会社と経産省は責任逃れをするのである。そのため福島県は原発震災となった。本震の地振動によって配管破損などによる冷却材喪失事故が1号機で起き、圧力制御室の破損によって放射性物質の漏出が2号機で起きたと思われる。つまり冷やすと閉じ込める機能が震災によって失われたのである。耐震設計になっていなかったのだ。地振動の過小評価で、保安院・安全委員会の審査が不備であった事を意味する。地震動の継続時間が2分を超えていたことも構造物への作用を強くした。保安院は福島第1原発事故津波原因説に依拠して、3月末に電力会社に津波で全電源喪失を想定して対策を立てるよう指示した。これは完全に自己矛盾である。日本列島の地震の強さでは原発の立地条件を満たさないことは今回の事故で明らかななのだから、原発を廃止することを方針にしなければならない。」と言っている。

2003年7月浜岡原発の運転差止訴訟が提起された。原告側から石橋氏、井野氏、田中氏、国側から斑目氏、溝上氏、伯野氏らという科学者・技術者が立って科学論争が闘われた。ところが判決直前2007年7月中越地震が発生し柏崎刈羽原発が自動停止となり全七基に損傷がもたらされた。震度6、規模M6.8、数十秒程度の地震で原発は損傷を受けたのである。燃料棒支持体脱落、ジェットポンプ取付金具のずれ、制御棒の引き抜き不能、建屋陥没による火災発生などであった。これは福島第1原発の「原発震災」の前触れであった。しかし国は中越震災で反省することなく目をつぶったまま、2007年10月静岡地裁は訴えを棄却した。ではどの規模の地震を想定すべきであろうか。500年間隔の北海道東部巨大地震、500−800年間隔の東北巨大地震、約1000年に一度のM9クラスの巨大地震(3.11東北地震がそれであった)などの超巨大地震である。2005年9月に裁判所に提出した検証指示証明書では、非常用電源が津波で冠水する危険性が指摘していたのである。福島原発事故は想定内の事故であった。「安全評価に関する審査指針」では事故評価において「単一故障」を仮定して解析を行なうようにしている。しかるに一般に事故とは「共通原因故障」(ひとつの事故原因で多数の事象が発生する)に対応することが求められる。原因がひとつでも、3つの並列装置が同時に故障するものなのである。故障確率は積算で無限小になるのではなく逆に加算されるのだ。それに対して斑目原子力安全委員長は「非常に確率の低い2,3の事象の発生を考えていたら設計できなくなる。割り切りが必要だ」と嘯くのである。現在東京高裁で審理中であるが、2008年2月突如浜岡原発1,2号炉が廃炉となった。2011年5月福島原発事故のあと菅首相の強い要請で浜岡原発の4,5号炉が運転を停止した。

青森県六ヵ所村には、動燃の「ウラン濃縮向上」、「低レベル放射性廃棄物埋設センター」、「再処理工場」、「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」、の4つの施設が集中し、今後「MOX燃料加工工場」や「使用済燃料の貯蔵施設」も計画されている。なかでも再処理とは使用済み核燃料を硝酸に溶かしてプルトニウムとウランに化学的に分離し、プルトニウムを取り出すための技術である。爆発性の高い物質を取り扱うため火災事故が絶えない。現在再処理工場と高レベル放射性廃棄物貯蔵施設に対する訴訟が継続中である。再処理工場は2兆円を超える費用が投じられたがトラブル続きで、19997年竣工の予定が15年遅れてまだメドも立たない状態である。再処理工場は高速増殖炉とセットで考えられた施設である。高速増殖炉がストップしている現在、再処理で作られたプルトニウムの行き場がない。そこでMOX燃料を沸騰水型原発で消費するという「プルサーマル」計画が福島第1原発3号炉(3.11事故で廃炉確定)と刈羽原発と玄海原発で実施された。イギリスのセラフィールド再処理工場とMOX燃料製造工場は日本のためだけに稼働している。この六ヵ所村には大陸棚外縁断層が迫り、核燃料サイクル工場は出戸西方断層の上に立っている。再処理工場の安全審査に重大な欠陥があったことは明らかである。同様な活断層の存在は、各地の原発に共通している。日本列島は地震列島といわれ大陸棚外縁断層の上に日本が存在しているといっても過言では無い。北海道泊原発の未知の活断層を東洋大学の渡邉教授が2009年に発表した。青森県下北半島の大間原発(建設中)は活火山に極めて近接している。女川原発訴訟の仙台高裁で、原告は津波の高さが14メートルになる事を主張したが、9.1メートルの予想で安全審査に違法性は無いという判決が出された。今回の3.11地震で見事に裁判所の甘い見方は覆された。福井敦賀湾は活断層の巣であるが、そこに大飯、高浜、美浜、敦賀、もんじゅ、ふげんの原発銀座が乱立しているのである。島根原発、山口上関(計画中)原発、愛媛伊方原発、佐賀玄海原発(福島原発事故で停止中、再開を巡って九電やらせメール事件が起きた)、鹿児島川内原発など、日本国内で設置された原発の中で地震や断層の影響を受けないと言い切れる原発はない。欧州には地震は殆どないが、世界の地震の20%は日本列島に集中している。

3) 福島原発事故と東京電力の体質

海渡氏が係った東電原発関係訴訟に、@福島第2原発3号機再循環ポンプ損傷事故後の運転再開差止株主訴訟、A福島第1原発3号機MOX燃料装荷差止仮処分申し立て、Bシュラウド損傷隠し事件刑事訴訟であった。これらの訴訟において東電という会社の経営重視、安全軽視、不都合な情報隠蔽体質が明らかになった。
@ 福島第2原発3号機再循環ポンプ損傷事故後の運転再開差止株主訴訟: 炉心で発生した熱を除去することで熱出力を制御する重要な機能をもつ炉心冷却水再循環ポンプ(重量57トン)は床に固定されておらず圧力容器配管に宙吊りに設定される。バネ付きのコンスタントハンガーと各所の配管に設置されたメカニカル防振機で再循環ポンプの機械振動を吸収する設計である。福島第2原発3号機の再循環器事故は1989年1月1日から始まった。流量が変動し振動が増加して警報が鳴ったのである。ポンプ流量を降下させ様子を見て1月4日に事故調査会議が開かれた朝、運転責任者が自殺した。強い振動が続いたので6日原子炉を停止した。1月23日ポンプを解体検査したところ水中軸受けリングが脱落し、羽車の破損、炉内への破片流入が認められた。事故原因は運転による共振現象のためとされた。東京電力はポンプの中身を取り替えたが、ケーシング内部の破損部分を削ってそのまま利用する再開計画を立てた。作家の広瀬隆氏らは株主による取締役の違法行為差し止めを提訴した。1990年12月東京電力は3号機の運転を再開し、東京地裁は仮処分決定を行い申し立てを却下した。地裁は行政の判断に依拠しているかぎり電力会社の役員の責任は免責されるとしたのである。
A 福島第1原発3号機MOX燃料装荷差止仮処分申し立て訴訟: 福島第1原発3号機でMOX燃料を使用する「プルサーマル」計画が1999年に持ち上がった。1995年の高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故で行き場を失ったMOX燃料を強引に軽水炉で使用しようとする計画を「プルサーマル」(ビジネスガールとおなじ和製英語、外人の前で使ってはいけない)という。特性の異なるウランとプルトニウムの燃料を混ぜると、ウラン単独の燃料棒とは質的に異なった危険性が横たわっていたのだ。ひとつはプルトニウムがは熱中性子の吸収がウランより2倍高いため、フランスではMOX燃料の場合制御棒の本数を追加している。もうひとつは燃料棒につくボイドという気泡が圧力によって潰れたり発生すると熱伝達率が変化し制御がウランより難しくなる。さらに燃料棒集合体の位置によりプルトニウム含有量の偏在(プルトポットニウムス)があるため局所出力が異なるという。局所的に高温となって燃料棒の破損を生ずるのである。燃料棒の破損は大事故につながりやすい。したがってMOX燃料の品質管理は極度に困難で、東京電力がMOXペレットを購入するベルギーのベルゴ社(関西電力はイギリスBNFL社より購入)の品質管理のレベルが問題となった。ベルゴ社のプルトポットニウムス検査サンプル数は32個/43万個ペレットに過ぎなかったという。また燃料ペレットと燃料被覆管との隙間(0.2mmと設定)は、ガス発生による熱膨張と70Kgの水圧により被覆管の破壊につながる重要な設計因子(隙間が大きいと燃料の燃焼熱が伝熱されず高温になり破裂する危険もある)であるため、円筒状ぺレットの外径は10.33-10.37と許容範囲が決められている。こうした製造と検査の困難さが1999年関西電力高浜原発3号機用MOX燃料ペレット(BNFL社製)の検査データ−捏造事件(内部告発で明るみに)となった。11月に高浜原発MOX燃料使用差止め仮処分申請をおこなった。通産省は12月イギリスのNIIに問い合わせた返事の手紙には「疑わしいデータの燃料が日本にある」との事実を知りながら、通産省と関西電力は捏造データはないとシラを切り続けたため、この手紙が公開された翌日12月16日関西電力はMOX燃料の装填を断念した。このことは「プルサーマル」計画を推進する福島第1原発3号機にも飛び火した。ベルゴ・東芝・東京電力はデータ捏造は無いとデーター提出を拒否したので、福島でもMOX燃料使用差止め仮処分申請をおこなった。2001年3月福島地裁は不正の疑いは無いと請求を却下した。この頃から福島県知事佐藤栄佐久氏はプルサーマル受け入れ拒否に動き始めた。2002年8月には受け入れ白紙撤回となった。このことの詳細は佐藤栄佐久著 「福島原発の真実」(新潮社新書 2011年)に書かれている。
B 自主点検シュラウド損傷隠し事件刑事訴訟: 2007年7月、福島第1、第2、刈羽原発13基の自主点検を実施したGE技術者による点検結果虚偽記載という内部告発が通産省になされていた。少なくとも2002年2月には原子力安全保安院も把握していた。2002年5月にはGE社からさらに20件の損傷情報隠匿改竄の事実を知らされていながら、公表せず東電の内部調査に委ねていた。シュラウド(炉心燃料棒隔壁)やジェットポンプの応力腐食割れの約29件を国に報告せず、或いは虚偽記載をした疑惑である。福島第1原発では1994年にこのシュラウド応力腐食割れが古いステンレス(SUS304)隔壁で発見され、東電は2001年までに第1、2、3、5号機のシュラウドを新しいタイプのステンレス(SUS316L)に交換したいきさつがあった。ところが2001年7月には福島第2原発3号機定期点検中ににもシュラウド全周にひび割れを発見したと発表した。2002年12月怒った市民らは、偽装工作を行なったとして東京電力・日立製作所の刑事告発を行なった。しかし東京地裁は2003年10月犯罪の嫌疑はないとして不起訴処分とした。

福島第1原発のメルトダウン事故の原因はほんとうに地震ではなく、津波による全電源喪失であったのだろうか。減員調査は本書の目的ではないが、急激な水位低下には地震による配管などの破損が起きたのではないかという指摘を、田中三彦氏が石橋克彦編 「原発を終らせる」のなかで述べている。また津波が到達する以前に放射能漏れが始まっていた事を示すデータが5月16日東京電力から保安院に提出された。5月25日には東電は第3号機の炉心冷却j配管の破断事実を認めた。水素爆発による破壊が著しいため原発内部調査は殆ど出来ていない。事故原因調査員会が活動を開始しても最後まで事故の機序は分からないとする危険性が高い。また今回の事故は「想定外の事故」として関係者の免罪をはかる世論誘導がなされているが、2007年経産省の外郭団体「原子力安全基盤機構(JNES)」が出した報告書には大津波による炉心損傷を想定し公表していた。防波堤がある場合でも15メータを超える津波がくると「電源喪失から炉心損傷にいたる可能性がある」と指摘している。当然福島第1原発の震災事故は想定内のことであったのだ。手を打たなかった関係者の無作為過失は免れないだろう。

4) 被爆労働者と住民の健康を守るために

原発は被爆労働無しには運転できないらしい。そして総被爆量の96%は電力会社社員を除く下請け労働者が被爆している差別的労働現場である。これまで被爆の労災認定は1976年より10人が報告されている。病名は白血病、多発性骨肉腫、悪性リンパ腫である。被爆量は5.2ミリシーベルトから129ミリシーベルトであり、大半は40−80ミリシーベルトで発病している。1993年浜岡原発労働者の両親が労災申請をした。1981年より原発の保守点検作業に8年10ヶ月従事し、被爆量は50.6ミリシーベルトであった(年間10ミリシーベルト以下であった)。ちなみに法令で定める放射線従事者年間被爆量限度は50ミリシーベルトとされている。1989年に慢性骨髄性白血病発症を発症し1991年11月に亡くなった。労災認定基準は1976年に出された労働基準局長通達で、@相当量の被爆(年5ミリシーベルト×年数)、A被爆後1年を越えてからの発症、B骨髄性白血病またはリンパ性白血病の3つの要件を定めている。1994年7月磐田労基署は労災認定をした。この要件には内部被爆を含んでいない点が問題であり、わずかな回数の炉内作業で粉塵を吸い込んで肺ガンとなった2000年の福島第1原発技術者の労災申請は認定されなかった。ウラン鉱山労働者の肺ガン多発事例を考慮しなかったようだ。福島第1原発労働者が1977年から4年間配管工として放射線業務に従事し70ミリシーベルトの被爆を受け、1998年に多発性骨肉腫を発症して事例では、2004年に労災認定を受けた。2004年東京電力に損害賠償請求訴訟を提起したが、東電は因果関係を否定し2010年の最高裁判決で申請は棄却された。

1999年の茨城県東海村JCO臨界事故では事業所長ら3名に対し、2003年水戸地裁は有罪判決を出しJCOに罰金を課した。しかし付近住民の健康被害については「健康被害は無い」としてJCOは被害者との交渉に応じなかった。そこでJCOと親会社の住友金属鉱山に対し損害賠償請求訴訟が起こされた。2008年水戸地裁の判決は被害を認めず請求は棄却された。2009年3月東京高裁控訴判決も棄却であった。2010年最高裁でも上告棄却の判決となった。原爆病認定では因果関係を認めてきたのに、あらためて放射線被爆と健康被害の因果関係立証は極めて困難である。まして精神的後遺症PTSDは裁判所では全く理解されていない。おなじ放射線被爆について原爆病と原発被害には裁判所はダブルスタンダードを容認しているようである。2011年8月原子力安全・保安院は福島第1原発事故により放出された放射性物質の試算値を広島原発と比較対照したデータを公表した。セシウム137で広島の168倍、ストロンチウム90で広島の2.4倍、ヨウ素131で広島の2.5倍となっている。このデータだけから見れば福島原発事故は広島原爆の数倍の放射性物質を大気に放出したことになるが、海に放出した放射性物質は1.5京ベクレルといわれ素人には想像を絶する。政府は学童の年間被爆量限界を4月19日つけで根拠もなく20ミリシーベルトに引き上げ、識者らの猛反発を受け小佐古東大教授内閣参与の辞任を招いた。文科省は5月末には児童については1ミリシーベルト以下になるように努力するとして、校庭等の除染措置を求める方針を出した。保安院は原発収束作業員の被爆上限を250ミリシーベルトに上げた(通常は50ミシシーベルト)。作業者確保のための便宜的なやり方で今後10年間に渡って多数の労災被害が発生することが予想され、収束作業にあっては作業記録と被爆量測定が厳格に行なわれることが大前提となる。福島県は全県民200万人を対象とした健康管理調査をする方針で、先ず外部被爆量推定のための問診票を送付した。今後無料で医療措置が受けられる「福島原発被爆者援護法」の制定が求められる。

5) 脱原発のための法的課題

福島原発事故後の5月3日の憲法の日に竹崎最高裁長官は原発訴訟について「科学の成果を総合し、原子力安全委員会などの意見に沿った合理的な判断で司法審査する」といった。しかし実態は行政の主張に沿った判決が出されたにすぎず、司法が行政をチェックする機能は見られなかった。ほとんど地震のない国であるドイツで、1998年運転開始寸前の原発に対して地震のリスクを十分考慮していない理由で設置許可を無効とする下級審判決が出た。ドイツでは裁判官の自由の回復によって市民的な判断が出来る裁判官が育っているのだ。最高裁事務総局が1979年11月にまとめた「環境行政訴訟事件関係執務資料」で、最高裁の行政トップが自らの見解を示し、下級審の判決を誘導する姿勢が明確にされた。そこでは「被害が起きなければ救済を受けられない危惧が現実となる可能性は非常に少ない。消極的に立っても実際上の不都合は生じない」と回りくどい表現で、官僚行政特有の「人が死なないかぎり動くな」という鉄則が述べられている。この消極性と司法の失敗は裁判官の自己保身性によって裏打ちされ、裁判所の抜きがたい本性となっている。真藤宗幸著 「司法官僚ー裁判所の権力者たち」 (岩波新書 2009年)には司法官僚の支配の実態 が詳細に述べられている。「最高裁事務総局は1983年12月全国の地裁高裁の水害訴訟担当裁判官を集めて裁判官協議会を開催した。これは水害訴訟最高裁判決の直前であったために判決内容の統一であったのではないかと見られる。その内容は「堤には安全上改善の余地はあったが、直ちに工事を行わないと災害が具体的に予測される状況にはなかった。従って建設大臣による河川管理に瑕疵はなく国家賠償責任はない」というものだ。最高裁事務総局は人事だけでなく、法律の解釈や判決内容についてコントロールしているのではないかという心配が生じた。裁判官会同や協議会は法令解釈や訴訟制度運用について裁判官が協議する場であくまで裁判官の研鑽の場なのか、裁判官統制の場であるのか懸念がもたれる。」と言っている。

2011年7月「脱原発弁護団全国連絡会」が弁護士約100名で結成された。2011年4月「原子力損害紛争審査会」ができ損害賠償の紛争の指針を出してゆく予定である。2011年8月には「原子力損害賠償支援機構法」が国会で成立した。東電の損害賠償支払いを保証するシステムが出来た。東電の資産売却による賠償と機構による公債発行が議論されている。10月には東電に対する「経営・財務調査委員会」ができ地域独占体制・総括原価方式・発送電分離方式が議論される予定である。原子力安全行政をどう改革するかについては、政府は8月環境省の外局に「原子力安全庁」を設ける方向であると発表した。日本の原子力規制は環境問題から超越した存在であったが、8月「放射性物質汚染対処特別措置法」が制定された。環境省が原子力安全行政を所管することには合理性があるように思える。今の保安院には電力会社のデータをクロスチェックする能力は無く、また対策工事や定期検査を実地でチェックする能力もない。まして溶接などが適切になされているか実地に指導できる職能集団もいない。書類に不備がなければ電力会社の言い分を追認するだけの機関であった。そして脱原子力へ持ってゆくにはまず、1974年以来の「電源立地三法」を廃止し、原子力予算4300億円を見直さなければならない。政府も見直しを約束している「エネルギー基本法2002年」を見直し、持続可能エネルギーの実現政策に努めなければならない。持続可能エネルギー政策については、長谷川公一著 「脱原子力社会へ」(岩波新書 2011年9月)が参考になる。原発建設をコントロールするには住民投票条例や国民投票法などの制定が必要である。これによって住民の意思が原子力政策を動かすことが可能となる。そして放射性廃棄物処分をどうするか国民的な合意形成が必要である。


随筆・雑感・書評に戻る  ホームに戻る
inserted by FC2 system