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ウイルリッヒ・ベック 鈴木宗徳 伊藤美登里編
 「リスク化する日本社会ーウイルリッヒ・ベックとの対話」 

 岩波書店 (2011年7月)

グローバル化社会で生きる道  理論社会学の視点

リスクは「トレードオフ」(取引き)していいものと、絶対取引してはいけないものとがある。前者の代表は新薬であり、後者の代表は原発である。トレードオフの例は中西準子著 「環境リスク論」(岩波書店 1995年)に述べられている。原発のリスクは致命的であり、悪魔との取引といわれている。本書を読んで標題と内容に齟齬が見られる。ひとつは本書はかならずしも「日本社会のリスク」という具体例を論じる本では無いということである。本書は理論社会学の分野の専門書で、かなり抽象的で一般的な社会学理論を提案することが目的で、日本の事を論じることは主題では無い。ふたつは本書でいう「リスク社会」とは環境や技術上の事ではなく、今世界を覆っているグローバル資本主義(ネオリベラリズム)が社会や個人に強制する変容のリスクの事である。ある意味では文明論であり、政治権力論、国際政治論の枠組みの事である。なぜそのような誤解が生じたかというと、ウイルリッヒ・ベック氏が1986年チェルノブイリ原発事故が起きた年に著わした「危険社会−新しい近代への道」という本に引き摺られてテクノ文明のリスクの事を連想しがちなためであり、さらに2011年3月11日に起きた東日本大震災と福島第1原発事故と本書が同じ年に出版されたからである。実は本書は、1980年代に始まったレーガン・サッチャリズムという新自由主義の世界的潮流を受けて、1990年代からはグローバル資本主義が世界を席巻し、数々の金融恐慌を引き起こし、ブッシュジュニアー米国大統領の戦争政策に引き継がれて同時にネオリベラリズムという格差拡大が社会システムを引き裂いていった過程を問題としているのである。そして雑学書読みの私にとって初めての体験というべきは、本書が専門家(しかも理論社会学)向けの本であることだ。具体的な社会の諸様相を記述するのではなく、最初から抽象度の高い論理が展開される。具体的様相(事実)からその原因の追究といった読み物になれた人にとっては、理論先行で事実は理解の助け程度に語られるので一読して難解である。常識的では無い用語が創作され、それに基づいて理論が構成されるので慣れるまでに時間が必要である。それはそれとして「何回でも読み下してゆこう。そのうち分かるさ」という気持ちで詠んでみた。

本書は、2010年10月末ー11月初めに来日されたドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック教授と妻エリザベート・ベック=ゲルンスハイム教授を招いて開催された連続シンポジウム「個人化する日本社会のゆくえーベック理論の可能性」の記録である。1986年ベックの著わした「危険社会」は「環境リスクは遍く平等に世界を襲う」という問題と並んで、グローバル資本の前で武装解除された「個人化」という主題であった。グリーバル資本主義は国家や社会の役割を縮小またはなくし(しかしグローバル資本は利益の最大化のためには国家を利用し尽くすのであるが)、自己責任というかたちで個人に責任を押し付けるため、個人の人生上のリスクがいままでにはない以上に増大する。「引き剥がされた個人」、「無縁社会」、「むき出しの格差資本主義」と並んで「個人化」はグローバル社会を象徴する用語となった。連続シンポジウムは東京シンポ(10月31日)、京都シンポ(11月3日)、名古屋シンポ(11月6日)の3回からなる。日本の社会学会でもドイツより20年遅れて2004年ごろから「個人化」が議論され、個人の生活・人生がリスク化しているのは単に景気循環の問題ではなく、構造変動を伴った問題であると云う認識が出来てきた。1990年代以降、経済的には「失われた20年」時代に、為替差益により企業の海外逃亡が進行し、国内労働環境は激変し若者の就職難、非正規化労働が増大した。これらの個人を取り巻く社会現象の変化は、圧倒的なグルーバル金融資本の勝利によってもたらされた。ものづくりから財テクへの移行にとまどっていた日本産業社会の手痛い敗退である。

ベック社会学理論で分かりにくい造語(術語)のなかで、「再帰的」と「コスモポリタン化」と「第2の近代化」の3つのキーワードがある。これを誤って理解すると後が分からなくなる。「再帰的」とは次のような文脈で使われる。「一切の安定性と無縁な生活・人生のなかで、人々はアイデンティティをみずから再帰的に構成しなければならない。これらの現象の原因のひとつは、従来リスクを軽減する役割を担っていた制度や中間集団が機能不全ないし崩壊に瀕しているからである」というふうである。再帰的とは英語で書くと"Reflexive"という言葉で、訳すれば「再構成、再定義、再配置」という意味であろうか。「コスモポリタン化」とは哲学的国際主義ではなく、ボーダーレスとか、無境界という意味で、「個人化」の結果生じた行動主義・政治的文脈で用いられる。「第2の近代化」とは産業資本主義社会が成熟した後に現れた、グローバル資本主義下の社会・文明のことで、現代のことである。この第2の近代が欧米中心の概念ではなく、全世界的に同時・非同時的に起ることが本書の主題のひとつである。この連続シンポジウムを企画運営したのは、法政大学の鈴木宗徳准教授、大妻女子大学の伊藤美登里教授、神戸大学の油井清光教授(名古屋シンポ運営)、一橋大学の大河内教授(東京シンポ運営)、立命館大学の景井充教授(京都シンポ運営)の5人を実行委員会とした。本書はプロローグ(はじめに)とエピローグ(おわりに)をベック教授が担当し、3つの主題「個人化」、「家族と社会保障」、「コスモポリタン化と東アジア」に沿って専門家的議論が展開される。各部においてまずベック教授が理論の枠組みを示し、2,3人の論者が各自の研究成果をもってベック理論を討議し批判する形で進行する。これらの批判に対するベック教授の簡単なコメントがエピローグに示される。

ところで社会学って何だろう。卑近な例ではアンケートによる意識調査から始まって、幸福の哲学に及ぶ学問体系かもしれない。学術的な結論は人と人の関係を学問することだろうと思う。アトミックな人ではなく、あくまで組織と人の関係を巡る理論である。数学的には人を変数とする多変数関数論といってもいいかもしれない。本書はさかんに「個人化」というけれど、第2の近代化で個人は恐ろしく搾取され、管理され、誘導され、統制を受ける存在である。第2の近代でなぜ「個人化」がクローズアップされるのか。それはこの世を動かす行為者が近代のテクノジーを駆使して、個人を直接支配する術を身につけたからである。古代では伝統的な氏族代表が個人を支配しており、皇帝や大王は氏族代表の王を介して人民を支配したに過ぎない。中世の封建社会では将軍や皇帝は藩主や侯を支配するのみであった。第1の近代でも政府や財界は、企業や地域社会や労働組合を介して勤労人民を動かした。ところが第2の近代化というグローバル時代になると、国家組織や専門家集団・官僚組織やメデァの力学を身につけた行為者(それは誰か? グローバル金融資本か)が直接大衆をコントロールする技術を獲得するほど知恵を持ったのである。すると中間に存在する組織やシステムが恐ろしく非効率に見え規制緩和・市場自由化を叫んだのである。「小さな政府」とは政府をなくすることではなく、福祉予算を切るに過ぎない。日本では第1の近代化時代の政権を担当した自由民主党さえ恐ろしく無能で頽廃しており、とりあえず民主党に政権を渡した。この民主党に能力があるからではなく自民党よりましに見えたからである。さてこのような「個人化」を歓迎すべきなのか、当然の成り行きと受け入れてそのなかで権力の再配置を志すべきというのがベックの社会学理論である。社会学とは昔から民衆のものであったためしは無い。権力の管理手法を提供する学問であった。

1) プロローグ 「この機会に、福島、あるいは世界リスク社会における日本の未来」

そして本書が2011年7月に発行されるという時間経過の中で、ベック教授の原稿が4月に日本に寄せられ、プロローグが3月11日の福島第1原発事故を見たベック教授の貴重な論考となったのは記念すべきことであろう。長谷川公一著 「脱原子力社会へー電力をグリーン化する」(岩波新書 2011年9月)において述べられているように、ドイツは福島第1原発事故以来、大きく原発の廃炉に向けて舵を切った。2011年3月14日福島第1原発事故を受けてメルケル首相は8基の原発の運転を停止し、脱原子力政策へ軌道修正を行なった。3月22日に「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」設置が決められ、ベック教授はその委員に任命された。ベック教授は原発事故に関心が深く、本書の発刊前に急遽「この機会に、福島、あるいは世界リスク社会における日本の未来」と題する論考を寄稿した。「危険社会ー新しい近代への道」が発刊される直前に、1986年4月26日チェルノブイリ原発事故が起きた。それから25年後、奇しくも2011年3月11日本書が発刊される前に福島第1原発事故が起った。「これは間違いなく世界の模範たらざるを得ない。この出来事の把握に努め、それが思考と行動にどのような変化を及ぼさざるを得ないかについて判断を下すべき時期である」という。原子力という危険と危機はリスク概念に照らし合わせて考えると、次のような問題が指摘できる。

@ 世界リスク社会において人間が生み出した危険は、空間・時間・社会・国家・階級の区別を超えて浸透し、これをコントロールするには全く新しい諸制度が要求される。
A 因果性・帰責についての規則は無力である。裁判においてもその原因を特定することは出来ない。
B 原子力の危険性は技術によって抑えることは出来るがゼロにはならない。世界中の原発が443基を越えた今日、どこで事故が起きても不思議ではない。そしてその結果は確実に悲惨である。
C 原子力関係者は「安全性のパラドックス」に陥っていた。安全を宣伝するだけ人々は敏感になる。徴候があっただけで専門家・国家・電力会社の正当性及び信頼の没落が始まる。(MOXデーター偽造事件でプルサーマルが停止する事態となる)
D 技術的安全性と安全性に関する社会的な理解との間に深いギャップが存在する。社会的に限定し得ない惨事の可能性が問題となるとき、もはや可能性の大小(リスクの大きさ)の議論は誰も信用しない。(安全と安心の問題)
E 想定しうる最悪のケースは事前の対策をしていると称していつも棚上げにされてきた。恐ろしい最悪のケースには目をつぶってきた。原発のシヴィア事故は統計的に低いとしても、起った場合その結果は火を見るより確実である。
F 安価なエネルギー源を得るためには一定のリスクを負うのは当然という議論があるが、これは欺瞞である。原発の電力コストは極めて高い。リスクの一定以上を経済外行為として国に負担(国民の税金)させる仕組みである。これはまさしく「原発は国家社会主義的」といわれる。投資対利益という自由市場経済の枠外におかれている。
G 今ドイツでは脱原発を急いでいる。脱原発によって責任負担がずっと軽くなるのである。そして再生可能エネルギーに向かっている。
H 広島・長崎の悲劇を受けた日本人は、世界の良心・世界の声として核兵器の非人道性を倦むことなく告発し続けてきたが、その国で核兵器と同じ破壊力を持つ事を知りつつ他ならぬ原子力開発を躊躇うことなく決断しえたのかは理解できない。兵器ではなく生産部門で恐怖が生まれるとき、国民に危害を加えるのが、法、秩序、合理性、民主主義を保証している者である。このことが東京で起ったなら日本にどんな危機が訪れるだろうか。
I 原発の安全神話は失われた。国民を放射線のリスクに曝して常態化させておくと、官僚制によって安全性を保証してきた公共的環境は崩壊する。
J 原子力産業の検査官(日本では原子力安全・保安院や安全委員会)を誰がチェックするのだろう。リスク産業に対する民主的に正当化された政策が求められる。
K 原発事故は地震と津波という自然災害によったと云う詭弁は通らない。福島原発事故は自然災害ではない。地震が頻発する地域(日本全体)に原発を建設するのは政治的決断であって人的行為の結果である。経営者と政府が決めたことであり、そこに事故の責任が存在する。
L 人間社会にもはや「純粋な自然」は存在しない。問題は津波対策だけでいいはずは無い。どんな可能性の低い出来事であっても起ることがある事を教訓としなければならない。最悪の「炉心メルトダウン」(暴走した核反応)を人類は制御できないことあらためて認識した。
M 原発事故の帰結が潜在的に国境を越えるとなると、建設を決定する際国民国家の主権は制約されるべきかもしれない。隣国にも甚大な影響を持つ施設の建設は国際的な取り決めが必要であろう。(北朝鮮核開発に対する6ヶ国協議と同じように)
N 放射線被爆制限値を高く引き上げて危険を常態化することは、長期影響を棚上げにする極めて危険なやり方である。
O 住民の生活安全性を侵す放射線後遺症は、放射線が知覚不能・回避不能であるがために極めて残酷なギロチン刑を住民に施すようなものである。これを許す政府関係者は死刑執行者の共犯である。
P 放射線汚染レベルのお座なりの設定により、住民の生活条件の危険性に関する市民の判断力が失われる。それが「放射線恐怖症」、「非知のパラドックス恐怖」となる。
Q 福島原発事故は「可能性が低いことは可能性が無いことではない」ことを教訓として教えてくれた。想定外の事故も起ってはならないのである。地震が頻発し津波の襲う海岸には原発を建設してはならない。想定外と言うことは「人間の頭が時代遅れ」ということだ。頭を下げて運転を再開できることではない。
R 例外状態の常態化を「カールシュミット・シナリオ」という。それは戦争状態とおなじく犠牲者を英雄として讃美して国家主義的共同体を維持することである。それに対して「ヘーゲル的シナリオ」では国家・ネオリベラル資本は、国家と世界的な規模において市民社会から責任を問われるのである。
S 日本を世界に対して開くこと(日本のコスモポリタン化)が被災し危機に陥った日本を救うことになる。日本の社会・経済・政治を根底から揺るがす大事故も、日本が世界に開かれるチャンスに変わるかもしれない。

2) 第1部 「再帰的近代化の中の個人と社会」

第1部は東京シンポのレジメである。ウルベックは再帰的近代化を、「自立的かつ自律的に見える産業主義のシステムが、この21世紀初頭、自らの論理と境界を討つ破ることで事故を解消する過程に入った。今や産業主義的国民国家の社会的、政治的、文化的な基本原理と基本制度を捉え、これらを破壊することによって、産業主義的近代と対立する新しい潜在的可能性を拓く」と肯定的に最近の社会変化を迎えている。この定義は社会学的定義であって、経済的には産業資本主義からグローバル金融資本主義の段階になった事を言っている。1980年代に日本に追い上げられ、2000年代には中国に抜かれたアメリカの生き残り戦略として、金融工学を使った金融資本主義への転換については、中尾武彦著 「アメリカの経済政策」(中公新書 2008年2月)に述べられている。1980年代アメリカの電機会社GEが金融会社に転身したのがその典型であった。産業資本主義を「第1の近代化」とし、グローバル金融資本主義を「第2の近代化」とすれば、近代化の基本原理の進行が第1の近代化社会の基本諸制度を破壊するということである。例えば規制緩和、福祉制度縮減、労働の非正規化という政治・社会の変化の事をいう。日本ではこれらの変化は2000年初頭の小泉内閣において顕著になった。「小泉改革」の歴史的意義は内山融著 「小泉政権」(中公新書2007年4月)に述べられている。欧米での第2の近代化は東アジアでは20−30年遅れで進行し、当然その近代化過程は様々なヴァリエーションを生んだ。これをウルベックは「コスモポリタン的複数の近代化」と命名する。とかくウルベック社会学は抽象論議と新言語創造を得意とする。具体的に論議すると事実が錯綜し議論が進まないので、一挙に抽象化して新概念で 「理論化」するのである。これが理論社会学のやり方である。金融資本は、社会制度を破壊し様々な集団から引き剥がされた個人を圧倒的力量でねじ伏せる(利益の最大化)のである。第1の近代化では家族・中間組織が個人を守っていたが、第2の近代化では家庭に食えない個人を押し付けるため、家庭を持つことが負担・リスクとなった。むき出しの資本は国家の法支配体系を利用し、福祉国家という制度を破壊する。これだけの事をウルベック社会学は実に分かりにくい抽象的表現しているだけである。かって国民国家的民主主義と産業資本主義は自由な個人という「制度化された個人主義」を作ったが、第2の近代化では市民的基本権の諸制度を破壊する。侵すことの出来ない「聖域」としての人権は一種宗教まで高められた。以上がベックの定義する「第2の近代化の中の個人と社会」というテーゼである。

第2の論者である神戸大学国際文化学教授の三上剛史氏が、ベック理論の解題と問題提起を行なった。個人とはグローバルスタンダードやネオリベラリズムの浸透によって見え難くなり、均質化(等質化)され徹底した管理と誘導が進行したという。個人と社会は自明な存在であったが、第2の近代化過程で社会とはなんだったのかという問いがなされる。ここで三上氏はベック氏はギデンズと同じ「グローバル化に新たなチャンスを見出そうとする理論である」と規定した。産業社会学から新たな社会学を創造する意図であろう。ベック氏は第1の近代化を「方法論的ナショナリズム」と批判し、「コスモポリタン化」で場所に限定されない社会理論を再編成したいようだ。「境界線」の引きなおしに対応した理論である。これはEUを指導するドイツの立場を反映し、国家再編成の「脱埋め込み」と「再埋め込み」のプロセスをいっているようだ。ベックは社会と「個人」とは自立した閉じた存在と見ているが、個人は閉じているのか再編成可能で液状態な存在なのかを巡って、現在の個人概念は展開されている。ベックは個人は分割不能なIndividuumではなく、分割可能で多元的存在とみる「擬似主体」の立場をとる。三上氏はベックの個人と社会の関係論をデュルケーム・パーソンズの流れで捉える。ベックは「歴史上初めて個人が社会的生産の基本的単位になった。単に社会的構成要素ではない個人が生み出された」と讃美するが、三上氏は疑問を呈している。社会が個人を「包摂・内在化型」するというデュルケームに対して、ルーマンは「分離・接続型」の理論構成をとる。ベックは個人と社会の接着剤である「コスモポリタン」により「人間性の宗教」で架橋する「参加・編集型」と呼べるのかもしれないという。

第3の論者である愛知大学文学部教授の樫村愛子氏は「ラカン派精神分析学」の立場より、ベックの理論を近代社会の困難性を指摘するものとして批判評価し、そして日本社会の個人化の現状を分析した。樫村氏は最初からベックの個人化の条件が成り立たないとする。ベックは個人化が自律した個人を出発点とするが、現実には個人は脆弱で他者依存的であることを、「新心理学経済」から説き起こす。第2にベックはリスクを政治課題としテクノクラートの専有から市民の手に取り戻す事を提案するが、産業における精神衛生管理が問題解決の社会関係を抜きにして個人を病人にするやり方は、リスクを増加させる悪循環であり、権力と監視社会は個人と社会を破壊しておりよりリスクは高まっているのである。流動化する現代社会において「社会的なもの」の構造分析が必要であるのも係らず、ベック理論は社会的なものへの追求が不十分であると樫村氏は批判する。グロバーリゼーション・ネオリベラリズムを絶対的な歴史状況として歓迎していることがベックの立場である。そして日本の個人化の特殊性を、戦後一定の民主主義のもとでスタートしたが、開発主義・企業主義・家族主義的社会体制のもとで個人化が抑制されてきたと樫村氏は断定する。そういう意味で個人化は限定的である。90年代以降ネオリベラリズムによる規制緩和・福祉行政放棄によって企業の利益最大化が進行し、個人は社会に放り出される状況を「個人化」と定義すると、樫村氏は個人化の否定的側面の逆定義を行なっている。日本の民主化の不十分な国では、グローバル資本のむき出しの意図を国家が代行し市場主義の管理国家となっている。リスクが政治的契機となるとベック理論は期待するが、民主化の弱い日本では管理社会でリスクは社会分断と差別の温床となっている。それは今回の福島原発事故の風評被害をみれば、東北被災県を差別化してさらに過疎に追いやる契機となる。又日本において個人化の背景にある文化・社会的特性としての象徴性の不在(宗教など共有価値観)は、サブカルチャーの全盛を生み出した。これを退行性、病的化、ガラパゴス化と呼ぶ人もいる。個人特に若者にたいする労働環境の悪化は、引きこもり、鬱の増加、社会拒否、自閉症化、オタク文化という矮小な文化を生んだ。日本文化の特徴といえるかどうか別にして、脱力性、コミカル漫画志向、パフォーマンス表出性社会運動、炎上型ネットワークコミュニティなどである。こんなところから批判精神が育つのだろうか。

3) 第2部 「リスクの時代の家族と社会保障」

第2部の京都シンポでは、ジェンダー論と社会の中の家族の位置そして社会保障の問題を取り上げる。まずベックの問題提起をみる。主婦というものが「自らの運命を夫の賃金に依存している派生的な非自立者」であるという概念は、第2の近代化時代には死んだ「ゾンビ・カテゴリー」になったという。世帯も社会も社会学では定義できないような状況になった。結婚・家庭・愛・子孫・母性などの第1次近代化時代の伝統的概念は激しい変更を迫られている。ベックは第2の近代化において、「個人化は運命であり,選択できるものではない」と述べる。社会システムの矛盾を個人がすべてを引き受けるべく運命付けられているということだ。個人はグローバル資本主義の要求をその生活史の中で解決するように強制されるのである。社会のリスク補償は欧州では国家が備える国家統制モデルに近かった。日本では多様な社会・企業がリスクを負う社会モデルに近かった。そしてアメリカでは個人が自らリスクを処理する新自由主義モデルに近かった。国家統制モデルも社会モデルも右上がりの経済成長に支えられた時期にしか通用しなかった。アメリカでは健康保険から福祉まで私企業のビジネスが支配している。こうして経済と国家による保護を失った個人はグローバルリスク社会にむき出しで投げ出されたのである。

第2の論者はウイルリッヒ・ベックの妻で、元ニュルンベルグ大学教授のエリザベート・ベック・ゲルンスハイムが家族社会学を展開する。1960年ごろの標準家族は半世紀後には消滅したというよりは、妥当性を失ってそれ以外の多様な形式が正常化され受容されていった過程を見ることが出来る。民法でも様々な改革が進み、多様な形式(離婚、婚外子、財産、年金受給、男女共同参加社会、労働基準法など)を法の枠組みで捉えることが進行している。家族の解体と個人化は同時に進み、個人は諸制度(労働、国家、教育など)にこれ以上に濃密な規制のなかで絡め取られている。個人化の過程は個人の選択する生活史つまり「組み立てる生活史」となり、それはリスクに満ちたものである。労働の世界がグローバル化すると、生活の資を得るため、資本の要求による移住等の移動性が激増している。フレキシブル化と規制緩和が労働市場にますます浸透し、中間層の解体とあいまって若者の人生設計の不確実性が高まっている。未婚や出産率の低下という少子高齢化社会の傾向が定着した。この傾向は短期(1世代30年以下)の政策では変えようもない現実である。

第3の論者の京都大学文学教授の落合恵美子氏は、日本のジェンダー論と家族主義的個人化論を議論する。家族社会学が共通の言葉として選んだのが、「個人化」と「多様化」であった。標準集団としての家族は存在しないので、さまざまな個人のライフコースとして捉えなおそうとしている。しかし日本の出産退職という慣行は依然として残っており、日本の女性労働力の特殊性は「ガラパゴス化日本」とさえ言われている。第1の近代化と第2の近代化は人口論的には第1次人口転換とだ2次人口転換に関係付けられる。第1の人口転換とは高出生率・高死亡率の社会から医療の進歩による低死亡率と結果としての低出産率への不可逆的転換であった。暫くは二人出産の人口置換水準程度に保たれていたが、第2次人口転換期に再び出生率低下となり合計特殊出産率が2.0を切る超低出産率時代が出現し、女性の脱主婦化、結婚の晩婚化、単身者の増加、離婚率の増加、婚外子の上昇となった。結婚自体が相対化され、社会の単位がもはや家族ではなく個人となったといわざるを得ない。欧米ではこの人口置換水準が1930−1975年の45年間続いたが、日本では1955−1975年の20年ほどに短縮し、中国や韓国では低出産傾向は1970年から始まり中休み無しで1985年には超低出産率に一気に低下した。東アジアの急激な変化は「圧縮された近代化}といわれる。これらは家族をリスクとみなして家族を持たない傾向を示し「リスク回避型個人化」という。それでも東アジアの人は個人主義よりも家族主義の考えが残っている。「男性は外で働き,女性は家を守る」という意識は、もはや日本や韓国には少ないが、中国,フィリッピンといった東アジアには強く残っている。ところが「日本型福祉社会」では「自助と家族と共同体の中における相互扶助」を謳っているのである。政府の本音は福祉予算の削減である。

第4の論者の東京大学人文社会系教授の武川正吾氏は、個人化と福祉国家の変化を議論する。グローバル化と個人化が最も直接的な影響を及ぼしているのは、家族再生産の場と労働の領域である。この間を保証する「福祉国家」の変容も著しい。日本の労働市場は非正規化だけが問題となるが、正規労働は欧米ほどには柔軟化は進んでいない。まず新卒採用慣行は頑固に続いており企業忠誠心も強く求められている。グローバル化が進展した1998年頃、戦後日本の特徴であった「家族の標準モデル」は解体した。しかし2004年から「介護保険」がスタートし、2009年には「子供手当て」が突然導入された。何時も日本の政策転換は継ぎ接ぎ式である。1985年には年金が個人単位に変わり、1999年には男女共同参画社会基本法が制定された。2001年小泉内閣は「税や社会保障制度は個人単位を進める」とし、民主党も「配偶者控除の廃止」を約束した。こうして個人化は進んでいるようだが、後期高齢者医療保険では世帯単位の原則が一部復活した。社会のセーフティネットは放棄されたわけではなく機能しているが、日本の福祉行政はちぐはぐで暫定的である。

4) 第3部 「日本と東アジアにおける多元的近代」

現在の普遍的社会理論の主流は、気候変動、金融危機、国民国家の変容、そして原子力問題などであるが、これらは既に時代遅れであるとベック教授は切り出して、21世紀の政治社会理論は資本やリスクのグローバル化が規定しており、コスモポリタン的転向が必要であると問題提起をおこなう。第3部の名古屋シンポではベック教授は次の5つの課題を設定して議論を誘う。
@ 「方法論的ナショナリズム」
 「方法論的ナショナリズム」とは、国民国家と社会が自然な社会的政治的形態であると想定するものである。これは行為者の視点ではなく社会科学者(観察者)の展望である。この歴史的結合は力を失っていないが、現在の社会問題を見え難くしている。
A 「コスモポリタン化」
 「グローバル化」とはナショナリズムを超えた相互連動性であり、グローバルな他者の終焉であり現在がそのようにになっている。「コスモポリタン化」はカントの「コスモポリタニズム」とは異なる。外部化された国際金融資本は国家の文脈を超えて、労働・企業・資本・資源・情報などの競争を激化させている。ここでは孤立主義(モンロー主義)は国家内部の諸制度のみではグローバル資本への規制やグローバルリスクに対応することは不可能となっている。ここでは国家国民に集中するだけでなく、リスク管理体制(国際的リスク管理体制)に焦点をおき、国境を越えて受容可能な解決法を見出す必要が生まれる。例えばEUがその経験である。
B 「社会的不平等の再配置」
 国家国民を超えた社会的不平等の枠組みの書き直しが必要とされる。第2の近代化は「社会階級」の概念を破棄した。国家内の不平等とは、グローバルな不平等の正当化とは別次元である。圧倒的に優勢なグローバル金融資本は新興国を格差化しその経済を破壊することも可能である。国家間の不平等は政治的に比較不可能(戦争のみが解決する)と見なされる。
C 「グローバルなリスク社会とその政治的なダイナミックス」
 21世紀の社会的政治的力学を見るに、リスクが蓄積し遍在しているため、その変容の道を探らざるを得ない。「リスク」とはカタストロフィー(破綻)の予想から成り立っており、我々に世界を変える行動力を与えるものである。保険会社のリスクとはつくられた不確実性(計算できる)で、社会的リスクは「脅威」を感じて意思決定と結合する。
D 「コスモポリタン的構想」
 国民国家は消滅するのではないが、グローバルな政治力学の中では行為者のひとつに過ぎなくなっている。コスモポリタン的ヨーロッパ(EU)にたいしてコスモポリタン的アジアは可能なのか。いまASEAN、TPP、汎太平洋構想などの枠組みつくりが行なわれている(大東亜共栄圏の道はないが)。

第2の論者であるソウル大学名誉教授(北京大学客員教授)の韓相震(ハン・サンジン)氏が、欧州中心主義の普遍理論からの脱却と調和(ベック理論の検証と積極的アプローチ)を目指して東アジアからの論点を提供した。本編はそれだけでひとつの論文を構成している力作である。ベック氏は東アジアの経路を「開発国家によって主導された、積極的で圧縮された近代」と見た。そしてアジアの目からヨーロッパ近代の自己理解を矯正し再規定することをアジアの学者に求めた。それに答えたのが韓相震氏の本論である。本論は次の6つの論点からなる。
@ 「歴史的考察と規範的志向」
 東アジアの歴史的考察は、典型的には官僚的で権威主義的国家(BA国家)による「開発国家」である。19世紀末の日本の明治維新政府の成功は、韓国では1960年朴軍事政権以来の近代化がそれで、中国では1980年以降のケ小平の改革解放路線がそれである。
A 「第2の近代化と伝統との関係性」
 ベックの第2の近代化理論はヨーロッパ的コスモポリタニズムの規範的伝統無しでは無いし得ないと思われる。近代と伝統の関係性である。ではアジアの近代化において欧州と違って個人化という概念には大きな隔たりがある。欧州では近代化は啓蒙思想と進化思想の伝統のもとで開花した。ところが東アジアでは儒教的価値観の伝統が支配し、それと協力に結びついたコミュニティが個人を抑圧するという図式が支配的であった。この相克は「グローバル+ローカル」(グローカリゼーション)という言葉に現される独特の形態を生んでいる。
B 「アジアのリスク認知」
 グローバルリスク予防に関するコスモポリタン的な枠組みはアジアにおいては通用せず、遍在するリスクはローカルな国家的な形態をとる。公衆のリスク意識は経済や生活のグローバルなリスクよりは、事故や倫理、暴力といった日常生活的なものに拘っている。足元を見ているともいえそうだ。
C 「第2の近代化における社会変容のプッシュとプル要因」
 社会変動は客観的−構造的次元(下部構造、環境論)のプッシュ要因と、文化的−言語的次元における(上部構造、行為・意識)プル要因との間の相互関係であると韓相震氏は見る。構造的な圧力は国境を越えて働くが、ベック氏のいう「より適応できるものが生き残る。それ以外には選択の道は無い。」という新自由主義的分脈で自律した個人を想定するが、東アジアでは自律した個人主義の政治的法的制度、文化的条件が揃わないため、第2の近代化の欠陥に戸惑っているのである。
D 「リスク予防ガバナンス」
 グローバルリスクをいかに軟着陸させるということは、ベック氏のいうリスク予防のパラダイムがケインズ的福祉国家による危機管理のパラダイムにどれだけ近づくのだろうかということだ。福祉国家はもともとリスクの吸収役(セーフティネットワーク)であったが、市場の新自由主義的風潮が国家のコントロール能力を削いだ。ガバナンス(政府管理)の認識論的パラダイムの変更が求められている。市民は国家と専門家(テクノクラート)による決定に従うべきだという主張がある事は確かだが、もはや市民は原発事故などで政府のガバナンスを疑っており、市民参加への道が模索されている。
E 「韓国BSEリスク市民参加型活動の経験」
 政治的行為への展望は相変わらず足踏みをしているが、ベック氏は多様な行為理論は未開発のままであるといっている。そこで2008年アメリカの牛肉輸入を巡って、韓国はBSE狂牛病へのリスクから議員連合と市民連合が激しく対立し、市民によるキャンドルライト行進という直接行動によって食品安全性を定義した経験を紹介する。誰がどのような目的でリスクを定義すべきなのかを巡って、政府と専門家が公的権威と科学の名においてリスクを定義するのが正しいのかが争われた。韓国では市民の意見が平和的で合法的であるという意識が勝り、市民がリスクを定義することになった。これは日本の福島原発事故処理において、政府と専門家の意見が欺瞞的・リスク軽視に終始している事を見抜いたことにつながる。市民の安全意識は政府とは別のところにある。

第3の論者である神戸大学人文科学科教授の油井清光氏が日本の第2の近代化に関する社会学理論を展開した。油井氏の言葉使いは大変面白い。センセーショナルな言葉ではなく、肩のこらない洒脱な喩言葉で難しい社会学理論を楽しませてくれる。「生きること自体がリスク以外の何者でもない、関節の外れた世界は制度疲労を起こしている。」とは、なんと分かり易い表現ではないか。油井氏はベックの「コスモポリタン化」ほど毀誉褒貶の激しい概念は無いと疑問を呈している。韓相震は、ベック氏を迎えた日本での連続シンポの反応は、総じて「冷淡」、または「二律背反的」であったといっている。日本ではどうもベック氏の説は受け入れら得なかったようだ。グローバル新自由主義容認派(現実は現実として認めるべきで、議論すべきはその社会をどう変えるかということだ)に対する拒否反応が強いのも東アジア的現象なのだろう。コスモポリタンという表現はグローバル化に対応する人間の側の心構えを要求しているように聞こえるという。社会・文化制度から引き剥がされた個人はマイナーな立場に転落している。グローカルにしか展開せざるを得ない社会理論にアジアはどのように普遍化できるのだろうか。アジアの近代化をチャンは「圧縮された近代化」と呼び、ハンは「性急な近代化」と呼んだが, これはグローカルな理論を指している。そしてアジアのなかでも日本と韓国,中国との差異は大きい。日本は封建制から近代化し,韓国と中国は古代官僚制から近代化したからだ。したがって前近代から第2の近代化にいたる社会パターンは時間軸と空間軸の座標で様々なループを描く関数である。油井清光氏は社会内の4つの諸セクター(国家、市民、経済、政治)間の力学と埋め込み、そして個人からグルーバルな文脈にいたるさまざまな組織を構造的なモデル化を提案しているが、それはここでは省略する。


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