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佐藤栄佐久著 「福島原発の真実」

 平凡社新書 (2011年6月)

原子力行政と地方自治の相克 福島原発事故は日本統治システムの腐敗構造を曝露

2011年3月11日以降、福島県は東日本大震災と原発事故の2つの大災害に見舞われている。福島県における震災による死者は1557人、行方不明者は471人、避難者は9万8851人(5月29日)を数えた。筆者は震災と津波は天災だが、原発事故は人災だと考えている。この福島第1原発は震災と津波による事故の10ヶ月前に電源喪失事故を経験しているのだ。2010年6月17日福島第1原発第2号機で、作業員が誤ってリレーに触れたことで電源が落ち原子炉を冷却する循環ポンプが止まった。非常用ディーゼル発電機が動作するまで、電源喪失は30分続き原子炉の水位は2メートル下がったという。人的ミスということで対策は取られず3月11日を迎えてしまった。「原子力は絶対必要である。原子力推進政策は正しい。だから絶対に安全だということにしなければ」といった逆立ちした論理が経産省・東電の官僚を支配していた。そこから「安全神話」なるものが捏造された。東電というよりも経産省そして日本の統治機構そのものが抱える問題が今回の事故の縦糸、横糸であったと著者は結論した。著者佐藤栄佐久氏は野党出身者ではなく元自民党参議院議員で、福島県知事を4期と2年の合計16年勤められた人である。

2006年「ダム汚職事件」が知事追い落としの国策捜査(仕組まれた冤罪事件)であったという。その遠因が知事時代の佐藤氏のプルサーマル原発反対にあったそうである。知事の弟を取り調べた東京地検特捜部の森本検事は「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」と言い放ったそうである。ダム汚職事件は言いがかりにすぎず、真の目的は福島県から佐藤知事を追い落とすことにあったようだ。ではなぜ佐藤知事は嫌われたを、その遠因となった福島第1原発プルサーマル導入のいきさつを暴いたのが本書である。日本の原発行政の本質と腐敗構造が示されている。なお2006年「ダム汚職事件」の政治的側面は、佐藤栄佐久著 「知事抹殺」 (平凡社 2008年)に描かれている。あわせて御覧ください。それが証拠に佐藤栄佐久知事が辞任して2006年11月の知事選で当選した民主党推薦の佐藤雄平氏(福島県には佐藤の姓が多いので注意)は2010年8月プルサーマル受け入れを決定した。MOX燃料が福島第一原発に運び込まれて10年以上経過し、やっと福島県が受け入れを決定した直後、青森県六ヵ所再処理工場はトラブル続きで9月2日に18回目の操業延期を繰り返した。そして翌年2011年3月11日福島第1原発がメルトダウンを起こし、福島第1原発第3号炉のプルサーマルは4ヶ月の営業運転で廃炉の運命となった(プルサーマルの営業運転は玄海、伊方、高浜の3箇所のみ)。奇縁は恐ろしいものだ。本書では政治的側面はできるだけ避け、原子力行政と地方自治に限って話を進めよう。そして大震災と津波による福島第1原発事故の技術的経緯は他書でも、明らかにされつつあるし、知事である著者の得意とするところではないので、本書では事故の技術的側面よりはなぜ事故に至ったかという人災的・管理行政のシステム的側面を話題としている。

ここで著者元福島県知事佐藤栄佐久氏のプロフィールを紹介する。氏は1939年福島県郡山市生まれ、福島県立安積高等学校から東京大学法学部卒業。日本青年会議所副会頭(なお副会頭時代の会頭に麻生太郎がいた)等の役職を歴任した後、1983年の第13回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で福島県選挙区から出馬し、初当選を果たした。1987年大蔵省政務次官、1988年、松平勇雄の引退に伴う福島県知事選挙に伊東正義や斎藤邦吉の支援を受け、参議院議員を辞職して出馬し、当選を果たした。以降4回当選するが、2006年9月に実弟が関与した汚職事件の追及を受け、5期目の任期途中での辞職を表明した。次に佐藤栄佐久知事の主張をカ簡単にまとめる。

*自治体合併(市町村合併、県合併)にはかねてから批判的であり、「地方主権」を掲げる姿勢が強い。また分配主義を標榜しており、思想的には国民新党や新党日本に共通する部分が多い。 2001年、「合併しない宣言」を出した福島県矢祭町に感銘を受け、福島県は市町村合併を強制せず、合併する・しないにかかわらず市町村に対しては支援を行っていく考えを表明。なお佐藤栄佐久以外に、「合併しない市町村も支援する」立場を明言した知事には、田中康夫がいる。
*道州制を否定しており、「道州制によって、大都市一極集中を招いてはならない」と主張してきた。なお兵庫県知事の井戸敏三や福井県知事の西川一誠も道州制の導入には反対している。
*原子力発電行政については、首都圏の電力需要を地方が賄うという意味合いの強い県内の原子力発電所(東京電力所管の福島第一原子力発電所(双葉町と大熊町)、福島第二原子力発電所(富岡町と楢葉町))建設に関して、建設当初の透明性の高かった1998年にはプルサーマル計画を了承したが、その後東京電力によるトラブル隠しが発覚した後、了承を撤回し、以降は建設される当の自治体以外に誘致するメリットがほとんどないことなどを理由に、一貫して反対の立場を明らかにしている。2011年3月11日に発生した大地震による原子力事故では、「事故は人災だった」と断定し、日本の政府と原子力安全委員会を批判した。
*木内ダム汚職事件は、2006年7月に、水谷建設・レインボーブリッヂが関与した一連の不正事件で、実弟が営む縫製会社が、不正な土地取引の疑いで検察の取調べを受け、9月25日には実弟が競売入札妨害の疑いで逮捕された。これを動機として、佐藤の辞職を求める動きが、県議会を初めとして内外から高まり、9月27日に道義的責任を取る形で辞職を表明するに至った(9月28日に県議会で了承)。そして10月23日に東京地検により収賄の容疑で逮捕される。検察聴取により全面的に自身の関与を認めたとされるが、本人は後に否認している。2008年(平成20年)8月に一審の東京地裁の判決で懲役3年・執行猶予5年となり、2009年10月に二審の東京高裁の判決では懲役2年・執行猶予4年となった。佐藤は判決後の記者会見で「検察が作り上げた事件で、有罪は納得できない。」と述べた。現在最高裁で上告中である。この高裁の判決は佐藤前知事を有罪とする前提が全て崩れているにも拘わらず、『無形の賄賂』や『換金の利益』など従来の法概念にない不可思議な論理と論法で有罪にしている。不可解極まる判決であり、一体何の罪で有罪になったのかが、全くわからないような内容になっている。検察の面子にかけて「有罪」だが、実質「無罪」とい実に奇妙な判決である。。

1) 幻の「核燃料リサイクル」

福島県は第1次エネルギー転換政策である「石炭から石油へ」により、常磐炭鉱の閉鎖に伴う県内産業振興策として原子力発電の誘致にかかり、1967年に着工し福島第1原発1号機は71年に運転を開始した。時の知事は佐藤善一郎知事で、福島県出身者であった木川田隆東電副社長と組んで誘致活動を推進した。次の木村守江辻の時代に操業が始まった。佐藤栄佐久氏が知事となった1988年には福島第1,第2原発発電所の10基はすべて稼働中であった。1971年より運転が開始され1987まで、福島第1原発よ福島第2原発において合計10機の原子炉が運転されたのである。1−2年に1基操業開始という猛烈な進行ぶりで立地市町村は潤い、浜通りは「原発銀座」と囃されたのである。佐藤栄佐久氏が知事に就任した1988年9月には、常磐炭鉱跡地に産業廃棄物の不法投棄という事件がおき、原発振興を陽とすれば陰の産業構造が存在していることが分かった。地元にとって原発は経済問題なのであるが、自治体は原発政策には関与できない構造がひかれていた。福島第2原発3号炉において、1988年の暮から1989年1月6日まで3回の警報がなり、3回目にしてようやく原子炉を手動で停止した。この事故の報告は福島第2原発から東京の東電本社へ、そこから通産省に、更に資源エネルギー庁に伝えられ、最後に地元の福島県に連絡があった。事故の内容は冷却水循環ポンプの部品が脱落し座金やボルトが原子炉に流入したというものである。問題は県には原発を止めたり、立ち入り検査をしたり、勧告をするような監督権限はないのだ。池亀東電原子力本部長は「座金が発見できなくても運転は再開する」と記者会見した。経済的損失を避けることが第1で、安全は2の次以降らしい。この事故を踏まえて、佐藤栄佐久知事は専門家を集め県の原子力担当部署を強化する決意を固めたという。

福島県内の原子炉建設
原子力発電所名原子炉出力燃料及び消費量着工日運転開始日
第1原子力発電所1号機46.0万kW二酸化ウラン 約 69 t / 年 1967年9月1971年3月
2号機78.4万 kw 二酸化ウラン 約 94 t / 年 1969年5月1974年7月
3号機 78.4万 kw 現在 MOX燃料 約 94 t / 年1970年10月1976年3月
4号機78.4万 kw二酸化ウラン 約 94 t / 年 1972年9月1978年10月
5号機78.4万 kw二酸化ウラン 約 94 t/年 1971年12月1978年4月
6号機110.0万 kw 二酸化ウラン 約 132 t/年 1973年5月1979年3月
第2原子力発電所1号機110.0万 kw 二酸化ウラン 約 132 t/年1975年11月1982年4月
2号機110.0万 kw 二酸化ウラン 約 132 t/年 1979年2月1984年2月
3号機110.0万 kw 二酸化ウラン 約 132 t/年1980年12月1985年6月
4号機110.0万 kw 二酸化ウラン 約 132 t/年1980年12月1987年8月

1991年9月福島第1原発が立地する双葉町議会が第7号機,第8号機の増設要望を議決した。固定資産税と電源三法交付金という補助金頼みの自治体は、固定資産税の収入が減ると(30年で償却するので)、次の原発の増設を要望するという「麻薬患者のようなシャブ漬け」になるようだ。「原発の後は原発で」という発想が自治体を支配し、原発は全く地域振興の役に立っていなかった。それは交付金の用途が公共事業に限定されており、けっきょく「ハコモノ」を作るしかできないで、あとでその維持運営費が自治体を苦しめることになっていた。夕張の破産と類似している。原発で出る使用済み核燃料の処分をどうするかという絶対命題を後送りして、未完の技術である原発行政は進められてきた。またウラン核分裂の結果使用済み核燃料にはプルトニウムが1%ほど含まれている。プルトニウムは原爆の材料となるので、国際社会から日本のプルトニウム保有が懸念され、プルトニウムを消費する事を国際公約としている日本のエネルギー安全保障戦略上、高速増殖炉(二酸化ウランと二酸化プルトニウムをまぜてMOX燃料をつくり、炉の中で高速中性子を使ってプルトニウムの核分裂を促し、そのままでは核分裂しないウラン238の核分裂を起こして高出力を得る。)が切り札となった。核廃棄物の体積を縮小し(放射能は物質保存則より減少しないが)、かつ10%ほど燃料が節約できるという1石2鳥の技術といわれた。動燃は高速増殖炉実証炉「もんじゅ」を1985年福井県敦賀発電所で建設し、1994年に実証研究がスタートさせた。ところが熱媒体が沸騰水型BWRが水であるにに対して、高速増殖炉では金属ナトリウム(人類は水に触れて爆発するナトリウムを熱媒体に使ったことはないので懸念されていた)を使うことであるが、1995年12月8日「もんじゅ」は配管から漏れたナトリウムにより爆発火災事故を起こした。それ以来今日(2011年9月)にいたるまで「もんじゅ」の試験運転は停止されたままである。「もんじゅ」の挫折を受けて、1996年1月23日原発設置三県である、福井、新潟、福島の知事が当時の橋本龍三郎首相に面会し、原発行政が適正に行なわれるよう提言書を手渡した。その要点は以下の3点である。
@ 原子力陰回に国民や地域の意見を十分反映させる体制の整備
A 検討段階から十分な情報公開をおこなう。
B 原子力長期計画の見直し。

日本の原子力政策は95年当時は、内閣府にある原子力委員会と原子力安全委員会がそれぞれ、「原子力長期計画」と「原子力政策大綱」を立案する建前になっていたが、実際案を作るのは通産省資源エネルギー庁の作文を委員会が追認のお墨付きを与えるだけであった。原子力政策は国会の審議を必要とせず、閣議決定で「原子力長期計画」が承認された。政治家が官僚をコントロールすることが民主主義の原則であるが、原子力政策においては完全に官僚の独壇場であった。総理府ー経産省ー電力会社が、「鉄のトライアングル」という利害共同体(原子力ム)を構成していた。原発では縦割りの情報の流れしかない。原発発電所ー電力会社本社ー通産省ー資源エネルギー庁ー福島県ー設置市町村という流れである。国民や地元住民は「よらしむべし、知らしむべからず」が地で行なわれている。技術官僚(技官)の閉鎖性と独善性・自己完結性は国交省だけではなかった。「東電は官僚以上に官僚的である」とはよくいわれることであるが、これでは安全安心は実現できないと佐藤氏は思ったという。原発を信用するには、原発運用プロセスと原発政策の決定と評価プロセスに国民が参加すべきではないか。1997年2月通産相と科学技術庁長官に三県知事が呼ばれ、原子力政策の見直しを告げられた。それは現在の軽水炉でプルトニウム燃料を燃やす「プルサーマル計画」の積極的推進を閣議決定したという申し渡しである。なんてことはない、「もんじゅ」時事故で行き場を失ったプルトニウムを混ぜた燃料(MOX)を各地の軽水炉で使うということである。そしてプルサーマルを3箇所(福井県、新潟県、福島県)で行ないたい、東電は福島第1原発3号炉を考えているということであった。三県知事の申し入れはこんな形で三県に投げ返された。原発政策の見直しや情報開示はそのままにして、三県知事は原発政策の実施の受け皿に利用された。この要請を受けて佐藤知事は県庁内の勉強会「核燃料サイクル懇談会」を立ち上げた。県庁の部課長の水平展開を図る勉強会で、賛成反対の意見を持つ学識経験者や資源エネルギー庁の責任者や立地自治体首長を呼んで意見交換を行い、1年間で7回の懇談会を実施した。そして1998年11月東電の荒木社長に全国初のプルサーマルの事前了解の文書を手渡した。そのときの4つの条件とは、@MOX燃料の品質管理 A作業員の被爆低減 B使用済みMOX燃料の長期展望の明確化 C核燃料サイクルの国民理解であった。この時点では1999年12月から発電開始の予定であった。

2) 「安全神話」の失墜

1999年9月関西電力高浜原発で使用するイギリスBNFL社製MOX燃料の寸法データ改ざんが発覚した。東電は福島で使うMOX燃料はベルギー製で安心であるといったので、佐藤知事は国が安全であると宣言した時点で使用するだろうと答えた。それから半月後の9月30日茨城県東海村のJCO核燃料加工施設で日本で最初の臨海事故が発生した。さらに1999年12月再び高浜原発用MOX燃料のデータ改ざんがある事が明らかになった。燃料ペレットの検査データに不正が見つけられた。9月の時点で寸法データ改ざん問題で通産省と関電がイギリスに行き調査の結果安全だという見解を言明したが、すぐその後別の捏造が発覚するようでは、国の見解も信用できないことになった。東電は福島県に12月から開始するはずだったプルサーマルを延期すると連絡してきた。東電は新潟県刈羽原発のプルサーマルも1年間延期と表明した。翌2000年1月7日東電の南社長は福島県を訪問し正式にプルサーマル延期を表明した。

プルサーマル延期から1年たった2001年1月5日、新潟県刈羽村議会でプルサーマルの是非を問う住民投票条例案が否決された。これを好機と見た国はプルサーマル実施に向けた動きを再開させた。先ず1月8日NHKニュースで「東京電力は福島県と新潟県でプルサーマルを実施する予定です。国は2010年までに全国16−18箇所の原発で実施したいとしている」というリーク記事を流した。2月6日佐藤知事は「信頼回復がまだ行なわれていないので、プルサーマル強行に反対する」というと、2月8日東電尾種市副社長が記者会見を開いて景気回復が遅いため「現在の新規電源開発を見直し原則3年から5年、地方によってはそれ以上凍結する」という変な信号を送ってきた。福島県でも広野火力発電所で使う冷却水用の木戸川ダム建設を行なう事を決め工事発注も終えていた。佐藤知事はこの東電の政策発表はどうもおかしいと睨み「これは東電の脅しではないか。こんな姑息な事をするのは政治家ではなく官僚だ」と直感したという。翌日又事態は一変した。平沼経産相は「東電から原発は凍結から除外すると聞いている」といい、南社長は「国策として進める原子力発電は計画通りに進める」と副社長発言を否定した。東電においても、経産省においても電力政策を転換しようとするグループと抵抗するグループのせめぎ合いがあって、このような不細工な格好になったのだろうか。2000年に電力自由化により大口電力の規制緩和が行なわれ東電独占の一角が破れた。経産省内部で「いま核燃料リサイクルをやめなければ、失敗したときにつけが19兆円となる」という怪文書が出回る事件があったという。2001年4月の県税制検討会で、立地県自治体が徴収している核燃料税率6%を16.5%に引き上げる案が審議され、7月には税率の劇変緩和策として13.5%とする条例が県議会で可決された。これは東京都の銀行に対する「外形標準課税」と同様に「地方分権一括法」に定められた地方自治体の課税自主権の強化策によるものであった。これらによって佐藤知事は中央において「物分りの悪い田舎知事」、「福島県はとんでもない県」という悪評が立った。

3) 「プルサーマル」計画との全面対決

2002年3月、資源エネルギー庁のチラシ「プルサーマルと原子力安全」が、双葉町の2万2000戸全戸に投函されていた。内容は2001年1月の省庁再編で生まれた原子力安全・保安院の宣伝である。何よりもこのチラシは地方自治への挑戦であると佐藤知事は感じた。福島県がこれからプルサーマルについて議論をしようとする矢先に中央官庁がこんなチラシを撒く事は許されないと。そこで5月22日、エネルギー世策全般を見直すための全12部局長からなる県庁内組織「エネルギー政策検討会」を設置した。もう一度原発政策を民主主義のプロセスの中において検討しようとするものである。5月28日新潟県刈羽村でプルサーマル計画の是非を問う住民投票が実施され、導入反対が53.4%を占めた。ところが福島県双葉町の町長は福島第1第2原発立地4町村を中心とするプルサーマル推進組織を立ち上げ、知事に対して公開討論を申し込んだ。「知事は何を考えているのか分からない」という声が聞かれたので、「県民の意見を聞く会」を開催した。賛成反対の12人の人の意見を聴き、福島電源地域と首都圏電力消費地の住民の大きな分断を知らされた。6月4日経産省原子力部会において、河野資源エネルギー庁長官は「プルサーマル計画は原子力長期計画で着実な実施がうたわれており、力ずくでも進めて行く課題である」と挨拶した。「県民の意見を聞く会」での意見を整理して、県庁の「エネルギー政策検討会」は次の4つのテーマを設定した。@21世紀の科学技術と人間社会のあり方 Aエネルギー政策 B原子力政策 C地域振興政策である。検討会では国の官僚と学識経験者を呼び、質疑応答という自由な討論を行なった。審議の内容については「中間取りまとめ」として福島県ホームページに掲載されている。福島県が選んで話を聞いた専門家は、普通は経産省の審議会などでは玄関払いの原発反対論者の人たちもいたので、経産省の官僚は「何であんな連中を呼ぶんだ」とご不満であったそうだ。

検討会では論点ごとに国の見解と専門家の意見という形で議論された。国の杓子定規な見解に対する反論は以下であった。
@ 政策決定プロセスにおける情報公開:国民が判断を全うするだけの情報はあたえられていない。原発は輸入技術であり国民は理解していない。国民は理解できないという専門家だけの論理では、巨大化する影響を国民が合意しながら進めてゆかないととんでもないことになる。(今回の福島原発事故がその証拠となった)
A 国民の声は反映されているか:市民参加のタウンミーティングなどを進めているという国の回党は、今回のやらせ意見会などで全く信用はなくなった。原子力委員会の人選が事務局が行なう以上最初から賛成派多数で進められ、国民の意見反映になっていない。(政府各省の審議会は官僚主導の大政翼賛会である事と同じ) 国策のすべては国に任せろ式の構造化されたパターナリズムは歴史的伝統となっている。
B 原子力政策の問題:アセスメントがなされていないのが日本の原発政策の最大の問題である。場当たり的で対症療法に終始。原発は国策と称して官僚立案の政策以外には一切耳を貸さないのが原発政策。
C 原子力委員会の役目:原子力委員会は実行部隊を持たず、孤立化しており、法的権威(お墨付きを与える)はあるが、実質的な権限は何一つない。実権は経産省にある。
D 原発推進は国民の理解を得ているか:地球温暖化対策で原発に期待するのは国際的合意から外れている。(国際的には原発による炭酸ガス削減は考慮しない) E 原発はコストが一番安いというのは本当か:廃棄物処理やリスクという見えない費用を国策と称して全部国が負担しているので原価計算は信用できない。又データも公表されていない。普通の民間企業なら原発事業は絶対に手を出さないだろう。
F 電力自由化のなかで原発は成り立つか:原発推進と電力自由化は両立しない政策である。原価計算には数多くのいい加減さが入っているので議論にならない。
G 原発老朽化対策:圧力容器壁や溶接部分の中性子脆化が進行する。日本の原子力発電所は,特定の設計寿命は設定しておらず、法律的に決められた寿命はなく、定期検査でOKなら何時までも使うという姿勢は危険である。
H プルトニウムバランスはとれているか:使用済み核燃料中のプルトニウムの処分のためにプルサーマルで消費することが目的である。六ヵ所再処理工場がもし運転となれば、プルトニウム再生は大過剰となる。高速増殖炉が完全にストップし、数カ所のプルサーマル利用だけでは核燃料サイクルはもはや絵に書いた餅である。
I 原発は地域振興になっているか:原発廃炉が起ると依存体質の地域自治体は瀕死状態となる。交付金がハコモノ建設に走り、減価償却が16年という制約で地域は先細りとなっている。補助金が自力で産業振興する際の元手にならず、輸血で栄養を取っている(いわゆる公共事業が真水でしかない)状態で、原発がなくなれば立地自治体は破産となり、使用済み核廃棄物だけが残る負の遺産が子孫に受け渡される。

2002年8月第20回目の「エネルギー政策検討会」は「原子力委員会との意見交換会」をおこなった。富家洋一東大名誉教授が委員長は席上「核燃料サイクルの確立がすべてに優先する第1順位である。いろいろ問題はあるでしょうが実績を積み上げる中で解決してゆきたい」といって、理屈抜きでプルサーマルを推進すると宣言した。原発発電コストが5.9円/Kwの根拠は特になく、電力会社ごとにコストが異なり、その根拠となるデータはすべて黒塗りで潰してあった。これはいわゆる「納得できない情報公開」で政府官僚の常套手段である。これで官僚は情報公開したという。表の枠だけがあるが内容となるデータ−はないのである。公表すべき内容は官僚の自由裁量というわけである。検討会で提出した「14の疑問点」に対する原子力委員会の解答文章は郵送で送られてきたが、いずれも杓子定規な木で鼻をくくったようなものであったという。そして最後に「プルサーマルを凍結した場合、原発立地他県において使用済み核燃料対策問題を惹起し、原発の運用に支障をきたす恐れがあります」と結んでいた。つまり「プルサーマルを凍結すると立地県の原発内に使用済み核燃料が溜まり続けるよ」という恫喝に近い内容であった。この文章を書いたのは当然資源エネルギー庁の官僚である。

4) 検査記録改竄の「内部告発」

2002年8月29日、「原発事業者の自主点検記録に係る不正調査について」というファックスが原子力安全・保安院からファックスで送られてきた。福島第1,第2原発で1980年代と1990年代にかけて東電が実施した点検作業で不正な記述があるということだった。不正の箇所は刈羽原発を含め29件に及ぶという。内容は「炉心隔壁、シュラウドボルト、蒸気乾燥機など七つの機器にひび割れ、磨耗などが交換修理されていない」、「ジェットポンプ固定部品、配管に磨耗、ひび割れがある」という。シュラウドとは沸騰水型原子炉BWRの特徴で燃料棒・制御棒を支える構造物のことである。この件はGEの技術者が2000年7月に経産省に内部告発したことに始まる。なんと2年間も経産省・東電は福島原発に関する内部告発を隠し続け、一方では福島原発にプルサーマル推進を強行していたのである。これは経産省というひとつの組織が同時にやっていたことである。佐藤知事は県副知事に「国との全面対決の決意」を伝えたという。1999年のJCO臨界事故を教訓に、内部告発を奨励する「内部申告奨励制度」が導入された。内部告発については、桜井稔著 「内部告発と公益通報ー会社のためか、社会のためか」(中公新書 2006年)に詳しい。「内部申告奨励制度」は2006年施行の「公益通報者保護法」に先立つ制度である。本件がその第1号として2000年7月に通産省に届いた。2001年に発足した原子力安全・保安院がそれを引き継いだ。恐るべきことに保安院はその申告書類を告発者氏名も含めて2002年8月の公開前に東電に手渡していた。これでは警察と暴力団の関係に似ていて、腐敗した刑事が捜査前に情報を流すのと同じである。これでは危なくて告発は出来ない。「国も東電も同じ穴のムジナ」とはよく言ったものだ。福島第1・第2の原子炉点検は製造メーカーの米国GE社の子会社であるGEIIが請け負っていた。点検記録の改竄は東電側の指示による。内部告発を行なったのはGEIIの日系アメリカ人スガオカ・ケイ氏である。

平沼経産相は「事実なら東電は責任を取るのが当然だ」と東電首脳の首を要求した。ところが保安院は内部告発文書を2000年から知っていたのもかかわらず、10年ごとに行なう福島第2原発第3,4号機の定期安全レビュー報告書を「妥当である」と2002年8月8日に評価承認している。そして内部告発が明るみに出て、9月2日に福島第1.第2原発を立ち入り調査すると表明した。これは保安院の茶番以外の何物でもない。政府は東電の首脳を首にし、福島原発を厳しく指導して一件落着をねらったようだ。プルサーマル推進を願って知事に圧力をかけていた、自民党県議会連や立地市町村も保安院と東電に不信感を露にした。9月2日東電は首脳部五名の幹部の辞任を発表した。内部告発隠蔽の事実は平沼大臣や資源エネルギー庁長官につたえられたにのは公表前の8月28日であったという。経産官僚は政治家まで蚊帳の外においている。有名な言葉に「大臣は1日署長さん」といって、政治家をバカにしているそうである。日本の原発政策は官僚のものであり,政治家のコントロールは拒否するというつもりでやっているようだ。原発立地4町長は9月10日に、「プルサーマル計画実施と原発増設の凍結」を申し合わせた。9月13日保安院は「すでに機器が交換補修されているので、明確に違法性は問えない。よって刑事告発や行政処分を行なわない」と早々に法的免罪をやっている。東電の最終報告も社内調査も終らないうちになぜ免罪するのだろうか。これこそ同じ穴のムジナによる田舎芝居ではないだろうか。9月17日東電は内部調査報告書を県に提出した。18日に東電南社長が県庁に来て謝罪した。ところが9月20日には、日立製作所が行った点検作業においても改竄が発覚し、再循環系配管などに8箇所の不具合の隠蔽が新たに明らかになった。2に日前の南社長はこれに関して何もいっていないので、社長にも隠していた東電の病根の深さに驚く。

9月26日の定例県議会冒頭で佐藤知事は「プルサーマル計画については前提となる条件が消滅しており、白紙撤回されたものと認識している」と述べた。県議会も「国と東電の責任の明確化と再発防止策を求める決議」を採択した。佐藤知事は10月7日に東京へ行き、原子力委員会の藤家委員長と会談し、結局どうあれ国策は遂行するという繰り返しの返答しかえられなかった。その足で経産省へ行き平沼大臣、細田科学技術相、松浦原子力安全委員長と会談した。保安院は電力会社に検査記録の総点検を指示した。他の原発でもトラブル隠しが発覚した。なかでも福島第1原発1号機の点検記録改竄は悪質だとして、2003年10月25日東電に対して1号機の1年間営業運転停止を命令した。2003年4月東電の定期点検のため原発17基すべての運転が停止した。東電の原発の出力は1730万8000Kwで、発電電力量では東電の約4割にあたる。(原発の稼働率は日本が世界最高だという割には、通常の稼働率は63%程度だ) 真夏の需要期を控え平沼経産相は「首都圏大停電」に言及した。これは2011年大震災による原発運転停止の影響による夏の30%節電運動に似ている。結局国は首都圏しか考えていないのである。大新聞は「大停電」の恐怖をあおり、原発再開を求めた。日本経済新聞は6月5日の社説で「首都圏の大停電を回避できるかどうかは,福島県佐藤栄佐久知事の動きいかんだ」と個人攻撃にでてきた。又資源エネルギー庁は「アメ」を用意してきた。プルサーマルMOX燃料には3倍の交付金を出すというものだ。まさに官僚による「アメとムチ」攻撃である。「週刊東洋経済」は7月12日に「佐藤知事は首都圏大停電を楯にとって、国のエネルギー政策の中核に注文を突きつけている」と書いた。佐藤知事によると前半はデマだが、後半は正しい評価だという。佐藤知事の願いは福島県民の命をまもるため、「事故情報を含む透明性の確保」と「安全に直結する原子力政策に対するつ法の権限確保」の2点である。7月10日東電の勝又社長に面会し、再発防止の決意を了とする」と返答し、第1原発6号機も運転再開を認めた。10月7日に「エネルギー基本計画」が閣議決定された。「原子力を基幹電源と位置づける」、「プルサーマルを中軸とする」と明記し、電力自由化を排除した。経産省内で原発派が自由化派を打ち破ったのである。

5) 原発政策と「日本病」

2004年夏には、全基が停止していた原発が次第に運転を再開し、電力危機は嘘のように無くなった。国民・メディアを巻き込んだ官僚の恐怖政治が成功したのである。戦争中の官僚独裁政治(歴史教本では軍部独裁と書かれているが、実際は議会政治を解体した軍部という官僚と内務官僚による独裁政治であった。明治維新直後の専制政治形態に復帰したというべきか)に近くなってきた。8月9日福井県の関西電力美浜原発で配管蒸気漏れ事故がおこり4名が死亡、7名が負傷したという報が入った。本来は点検作業は原発を止めてから行なうべきところ、点検基幹短縮のため運転しながら点検するというときに起きたものである。しかもこの配管は1970年操業以来一度も点検した記録がなかった。12月22日原子力委員会の「新しい原子力大綱の策定委員会」に出席し、「福島県知事のご意見を聞く会」で発言した。「原子力政策は民主主義の熟度を測るバロメータであると考えます。わが国の場合これまで原子力長期計画は原子力委員会の決定後、閣議報告のみで決められており、国会の議論も無い。わが国においては専門家の議論に加え、国民的な議論を政策決定プロセスに組み込むべきだと思う。また事故を起こした関電の藤陽社長が原子力委員会で発言されているのは理解に苦しむ」と批判した。私は前半に部分は正論だが、後半の個人攻撃は控えるべきだと思う。しかしこれも佐藤知事の個性なのだからとやかくはいえない。これに対して「もんじゅ安定性調査委員会委員長」の児島真平福井大学学長は関電社長の擁護に回った。住田委員は「あまり時間をかけないで、政策は決めなければならない」といい、木本委員は「重く受け止める」といった。原子力委員会には電力事業連合会や電力事業関係者が9名以上を占め、それに原子力推進派の学者知識人が多数を占めるなかで、原子力ムラとしてこれまで経産省の官僚の計画作文に粛々と承認を与えてきた。一度だって修正案を出す委員はいないという、実質審議が行なわれたためしはなかった。

2005年6月、東京電力勝又社長、7月1日経産相中川昭一氏に福島県がまとめた調査結果報告書を手渡し善処を求めた。しかし福島県の安全確保の要望は何一つ入れられずに、2005年7月「原子力政策大綱」が発表され、10月11日原子力委員会で「原子力政策大綱」は了承された。六ヵ所村の再処理工場は操業延期を続け、福井県敦賀原発の高速増殖炉「もんじゅ」は1995年の事故以来止まったままである。誰一人プルサーマルで溜まったままのプルトニウムを消費できるとは思っていない。おそらく国際社会に対してのゼスチャー程度にしか考えていないというのが実態だろう。日本では使用済み核廃棄物の対策に答えられる具体案を持っている人はいない。責任者の顔が見えず(担当官僚でさえ3年限りで代わってゆく、いわんや大臣は1年以内で代わる)、誰も責任を取らない日本型社会は場当たりの政策のつなぎ合わせと、先輩の作った政策の見直しは許されない官僚制度の枠のなかで、破局に向かって一目散に全力疾走しているのである。日中太平洋戦争で敗戦に向かってひた走りした教訓を忘れたかのようである。ドイツと違って敗戦をしっかり反省しないだらしない国になった。2006年1月24日原子力委員会は、各電力会社のプルトニウム利用計画を承認した。入りと出をあわせただけのお粗末な計画書である。これは計画だけで実現しないことは書いた電力会社一番良く知っている。しかし2月7日佐賀県知事は玄海原発3号機でプルサーマル計画を容認した。3月31日青森県六ヵ所村の動燃再処理工場が計画から6年遅れ建設費2兆1900億円をかけて、使う充てもないのに見切り発車的に試運転を開始した。同年5月、原子力委員会の耐震指針検討分科会は25年ぶりに指針を見直し、改定指針案を取りまとめた。パブリックコメントにおいて、改定案に対する大幅修正を求める神戸大学名誉教授の地震学者石橋氏は抗議の辞任をした。2006年8月28日、何一つ修正案意見を取り入れず、原案通りに可決する委員会第48回分科会に対して石橋氏は「意見を寄せてくださった方々への背信行為である。私はこの分科会の正体、本性がよく分かった。そして原子力安全行政がいかなるものかも改めて分かった」という。石橋氏の辞任後2007年7月新潟県中越地震が柏崎原発を直撃し、7基の原発は自動停止し、1台から火災が発生し放射能漏れをが起きた。2008年12月中部電力浜岡原発1,2号機が耐震性不足で廃炉を検討していることが明らかになった。そして六ヵ所村の再処理工場もふたたび試運転を延期した。

福島県に設置した生活環境部原子力安全グループには、その後も続々内部告発が寄せられている。原発作業関係者にとって信頼できるのは東電ではなく、まして保安院ではなく、福島県であるという認識が広まった。告発者には県庁では面会せず、東電・保安院には氏名は秘匿して通報した。結果は通報者に報告した。こうして県の調査能力も次第に信頼されてきた。このなかで分かったことは、東電社員は実質、作業者を監督していないことである。東電社員は管理業務(書類書き)に終始し現場を知らないのである。下請け・孫請け会社で東電の現場が動いている。運転休止はコストに跳ね返るので、定期検査日程短縮が使命とされ、1日車検ならずともそれに近いろくに見ずにOKをだす体質となっている。2006年9月25日知事の弟である三東スーツの佐藤祐二氏が土地売買にからむ談合罪で東京地検に逮捕され、佐藤知事は辞任した。この嫌悪いきさつについては「知事抹殺」(平凡社 2008年)に詳しく書かれているので省略する。ただそれと匂わせる記事が「週間フィーサイト」05年6月号に出た。「福島県のトゲを抜け」という官僚の言葉で始まり、「原子力ムラにとって福島のおかげで国と地方の地位が逆転したという厄介な存在であった。佐藤知事が沈黙を余儀なくされるとき、必ず原発建設再開が浮上する」と結んでいる。それを裏付けるために、佐藤栄佐久氏が知事を辞任し、2006年11月の知事選で民主党推薦の佐藤雄平氏が自民党推薦の森氏を破って当選した後の福島原発の動きをまとめておこう。

2006年12月福島第1原発1号機で復水器の出口温度を誤魔化すデーター改竄が行なわれたkとが発覚した。いまだに原発のいい加減さは続いていたのだ。2009年2月立地町長らはプルサーマル実施の要請を佐藤雄平知事に行なった。県議会も7月にプルサーマル受け入れを求めた。2010年8月佐藤雄平知事は「県が求めて条件が満たされた」としてプルサーマルに同意した。県議会は8月29日にプルサーマル計画往け入れを決議した。ところが2010年9月2日動燃六ヵ所村債処理工場は18回目の2年間の操業延期を発表した。トラブル続きで本格運転は全く見通しがつかないのだ。2011年5月(福島原発事故のあと)、2002年の内部告発発表まで2年間保安院と経産省は福島原発データ改ざん告発内容を隠し続けたが、それにもかかわらず経産省内部の電力自由化派官僚が内部告発事実をリークしたという朝日新聞の記事が出た。官僚の内部抗争が無かったらこの事実も闇に葬られていたのだろうか。福島県にファックスを送ったのは原発推進主流派官僚ではなく、反対派官僚だったと言うことは福島県も官僚抗争に利用されたということになる。原子力政策もそうだが、日本の統治機構の最大の問題は、官に都合のいい組織ばかりが作られら結果、チェック機能が働かなくなったことだ。無論外部からのチェックは絶対に拒否する。5月衆議院復興委員会での、「原子炉のメルトダウンの原因は首相が海水注入を止めたせいである」とする自民党谷垣総裁の質問は、結局吉田所長が海水注入を継続していたという事実判明でけりがついたが、こんな機密情報に相当する込み入った嘘を誰が流したのかというと、やっぱり経産官僚であろうか。では目的は「原発に依存しないエネルギー政策を、津波対策ができるまで浜岡原発停止を」という菅内閣打倒のために、手の込んだ姑息なデマを流す根性は官僚以外には考えられない。政治家はもっとストレートに攻撃する。官僚の手に踊った谷垣氏だけがバカを見た。私達は嘘を乗越えて真実を掴まなければならない。


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