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広河隆一著 「福島 原発と人々」

 岩波新書 (2011年7月)

福島第1原発事故はチェルノブイリ級、日本政府のいう事を信じてはいけない 

この本を手にとってぱらぱら読み始めると、1/3ほどは写真からなることがわかる。著者がフォトジャーナリストであると巻末に書いてあるのでなるほどと了解した。映像の訴える力はすごい。これも両刃の刃で、映像から作為が見られることもあるし、正反対の主張が見えることもある。著者広河隆一氏のプロフィールをみる。1943年天津生まれで、1967年早稲田大学教育学部卒業後、イスラエルにわたり1970年に帰国した。その後フォトジャーナリストとして中東諸国を取材し、パレスチナ難民キャンプ・レバノン戦争の記録で記録で読売写真大賞を受賞した。ホームページは「HIROPRESS.net]にある。講談社「月刊誌DAYS JAPAN」に、イスラエルのビジネスマン・アイゼンバーグに関する記事や、ダイヤモンド取引の裏側の取材、チェルノブイリの現状、731部隊などに関する報道、ルポ写真などを掲載。再創刊した月刊写真誌「デイズ・ジャパン」発行・編集長、「チェルノブイリ子ども基金」代表、パレスチナの子供の里親運動顧問、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会代表。ということで筆者のキーワードは「イスラエル」と「チェルノブイリ」と見られる。この分野の活動に対して2003年土門拳賞を授与された。岩波新書より「パレスチナ 新版」、「チェルノブイリ報告」、岩波ジュニア新書に「チェルノブイリから広島へ」、小学館から「暴走する原発」他多数の著書がある。写真集はいうに及ばず。

筆者の交友関係に作家・社会活動家広瀬隆氏がいる。広瀬隆氏は早稲田大学理工学部応用化学科卒業後、メーカーの技術者を経て、執筆活動を開始、医学文献等の翻訳に携わる。1986年チェルノブイリ原発事故が発生すると、『東京に原発を!』の改訂版や『危険な話』(八月書館、1987年)で、原子力(発電や放射性廃棄物)の危険性を主張する立場を鮮明にする。これらの著作は反響を呼び、広瀬は月刊誌『DAYS JAPAN』(講談社)に原発関係の記事を繰り返し寄稿する他、原子力撤廃運動の論客として広く注目されており、広河氏とは大学も同じで、長く「DAYS JAPAN」での仲間である。広河氏は放射線量計を持っての福島現地取材においても広瀬氏と連絡を取り、線量計が1mSV/hを振り切れた時、広瀬氏より「その場を離れろ」といういわれたという。広瀬氏は「浜岡原発ー爆発は防げるか」の論文で、福島第1原発事故と全く同じシナリオで浜岡原発の地震と津波による原発爆発事故を想定した。浜岡原発よりさきに福島第1原発事故が来たに過ぎない。東日本大震災による行方不明と死者は二万人を超した。阪神淡路大震災の規模を大きく上回り、千年に一度の大震災では無いかといわれている。「想定外」といって電力会社と歴代政府の責任が免除されるわけではない。「安全だから最悪事故は想定しないし対策は採らない」としてきた政府・経産省の責任は無限大に大きい。筆者が代表をしてきた「チェルノブイリ子供基金」は、甲状腺に苦しむ子供達の救済を目的としてきた。甲状腺がんが発生する可能性を生んだのは誰の責任だろうか。先ず経済的利益を優先させて原発を国策として推進した政府と電力会社、事故発生後すぐに妊婦と子どもを避難させず「直ちに人体に影響を及ぼすレベルではない」と嘘を言い続けた東電・保安院・枝野官房長官、ヨウ素剤が自治体に届いても直ちに配布しなかった自治体の長(県知事は殆どが元官僚出身)、危険性を呼びかけヨウ素剤の服用を呼びかけなかった医師や医学者、ことの重大性を報道しなかったメディアではなかったか。

政府と企業・官僚の責任者は、甲状腺がんやその他の確率的身体影響(ガンのこと)が大量に発生するのは数年後から10年後のことだし、「心配は無い、安全だ」と嘘を言い続けてて、自分の任期中は「事なかれ主義」に徹しているのである。やがて多くの人がガンに苦しみ、国や東電を相手どって裁判が行われるであろう。もともと原発事故では企業は賠償を免責されているので、賠償金を払うのは国(ではなく自分達の税金、国債という借金)とされているので、超独占「半民間企業」である電力会社は倒産の危機から免れて涼しい顔をし、ほとぼりが醒めたら電力不足を脅迫材料として原発再開に持ち込めるだろうと高をくくっている。この無責任体制がわが国の国策「原子力産業」であった。今後市民が行政の嘘に対抗するには市民による「市民放射能測定所」を発足させなければならない。放射能漏れで線量が極度に高かった数日間のデーターは「停電」を理由に隠蔽し真実を明らかにしなかった。もう国や県の行政のいうことは信じられない。著者らは「DAYS放射能測定器支援募金」、「未来の福島のこども基金」、「市民放射能測定所」、「子どもを放射能から守る福島ネットワーク」を立ち上げ活動中である。行政は恐らく「市民が放射能を正確に測定はできない。国や県のデーターこそが信頼できる情報である」という常套句を使って、圧力を加えてくるだろう。そのときは「放射線管理センター」などに第3者の市民代表を加えるように要求し、御用学者や専門家の情報独占と嘘を阻止しなければならない。もう政府と電力会社のいうことを信じてはいけない。それが今回の原発事故の教訓であり、自分達の安全を守ることになる。為政者は自分の身の事しか考えていない。この国は病んでいる。

1) 福島第1原発事故発生、避難

3月11日午後2時46分地震発生から時系列に原発事故の経緯を述べた記述は省略する。ただ原発炉心メルトダウンの原因が、津波によりすべての電源喪失が起きたので原子炉が冷却不能となったためであるという因果関係が政府・東電筋のスポークスマンから発表されている。原子炉の構造的な問題ではなく想定外の力による不可抗力というイメージが流され、それに考古学者が便乗して千年に一度だから仕方ないということにしておこうという意図がありありと見える。しかしこの公式見解に対して、一部(?)の原子炉専門家からはこれだけ早時期に大量の放射能が漏れたこととメルトダウンが起きたのは、地震による配管損傷や弁や蓋のパッキングの緩みによって、冷却水が炉心から失われたのではないかという疑問が呈せられている。つまりもともと設置後40年を経過する老朽化した福島第1原発の構造欠陥による事故と理解すべきで、千載一遇の想定外事故では済まされないという見解である。それによって今後の原発の安全対策方針はぜんぜん違ったものとなる。菅首相は事故後静岡県の「浜岡原発」の停止を求めたが、真意は別にしても津波対策をすれば再開可能という含みを残している。高い防波堤を作り、非常電源を丘の上におけばすむ問題になるのだろうか。原発は通常30-40年の運転寿命といわれてきたが、電力会社の経済的利益追求のため運転年数はどんどん延ばされている。国内原発のいくつかは40年以上経つ老朽化施設がある。敦賀1号、美浜1号、福島第1原発1号機であり、30年以上経過する原発は16基もある。このままで行くと定期点検中の原発停止を含め来年春には日本中の原発は停止に追い込まれる。「日本のエネルギー政策は原発依存から脱却する」と菅首相は公言したが、その首相が今年8月末に辞任した。 本書はそのような原発の専門的論議をする本ではない。このような状況におかれた住民の視線で現地をルポすることである。

ここからは住民の安全に関係する事項を整理する。3月11日午後3時14分政府に緊急災害対策本部は設置され、菅首相が「原子力緊急事態宣言」を出したのが午後7時3分であった。この時点で枝野官房長官は「放射能が現に漏れているとか漏れ湯ような状況にはなっていない」といった。午後8時50分福島県は第1原発から2Km以内の住民に避難指示を出した。午後9時23分政府は原発から3Km以内に避難指示を出し、10Km以内に屋内退避指示をだした。この時点及び午後10時50分で枝野官房長官は「念のための避難指示です。放射能は炉の外には漏れていません」といった。3月12日午前4時原発から放射能が漏れ出した。原発正門前で4.9マイクロシーベルトになった。政府派午前5時44分避難指示を10Km件に拡大した。午前10時17分格納器の圧力を逃がすため放射性蒸気のベント(放出)が行なわれた。午後3時36分1号機が水素爆発を起こして建屋が吹き飛んだ。午後6時25分避難区域は20Kmに拡大された。避難指示を受けた人は午後10時前には避難を終了した。放射線量計を持った取材班三人は郡山には入り宿泊所がないので隣の須賀川市のホテルに入った。3月13日午前5時10分3号機の冷却機能が停止しベントが放出された。取材班は双葉町の常磐線近くで6マイクロシーベルト/hを計測し、県立双葉高校で60マイクロシーベルト/hに跳ね上がった。通常の1000倍である。そしてこの事を連絡しなければと思い双葉町役場についたが無人であった。そこでは最大の計測幅1000マイクロシーベルト/hを振り切ってしまった。この1mSv/年の値は一般の人の年間許容量を1時間で超す値である。双葉構成病院にも誰もいなかった。川内村の避難所について副村長に会い測定結果を告げて、妊婦と子供をさらに遠くまで避難するようにと伝えた。川内村1200人は16日に郡山へ向けて避難したという。3月14日に南相馬市に向かった。午前11時3号機が水素爆破をした。午後1時25分には2号機の冷却機能が停止した。午後9時枝野官房長官は「炉心溶融は1,2,3号機との可能性は高い」と発言、原発正門前で3.13ミリシーベルト/hを観測し、プルームにのって放射性物質は北西へ拡散した。ここで東電は「全員退去したい」と告げたが、枝野長官と海江田経産相は認めず対応に当たるように指示した。3月15日午前0時2号機のベントを実施した。午前4時、40Km離れたいわき市でも23.7マイクロシーベルト/hを示した。事故対策本部を東電内に設け,菅首相は清水社長に「東電撤退は認めない」と申し入れた。午前6時4号機の使用済み核燃料プールで爆発が起り、屋根が吹き飛んだ。そして2号機のサプレッサープール付近で爆発が起きた。午前9時の正門付近では11930マイクロ(11.93ミリ)シーベルト/hが測定された。午後9時40分4号機で再び火災が発生した。枝野長官は「10時22分3号機周辺で400ミリシーベルト/h、4号機周辺で100ミリシーベルト/hが測定された」と発表した。

原発作業員に現場にもどれという赤紙が来たのは3月14日のことであった。つまり特攻隊になって原子炉に突っ込めという命令である。作業員は防護服と全面マスクで放射線が防げるとは最初から思っていなかったが、原子炉近くで注水が始まった。自衛隊は東電から「絶対に爆発しない」といわれて原子炉に近ずいたら、3号機が目の前で爆発して車は吹き飛ばされた。その日のうちに自衛隊は郡山駐屯地へ撤退し、自衛隊の東電不信が強まったという。さらに作業員の被爆上限がこれまでの100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げられた。基準自体がなくなったようで何が安全なのか作業員には分らなくなったという。福島県浜通りの双葉、大熊、富岡、楢葉の町は「原発銀座」と呼ばれたのは、常磐炭鉱が閉鎖に追い込まれ、国のエネルギー転換政策に県の原子力産業誘致策が乗っかったためである。先ず第1原発が誕生し、アメリカのGE社設計による沸騰水型軽水炉BWRが設置された。1号機から5号機かでをマークT型、6号機がマークU型である。マークT型は設計者自身が危険性を指摘しており、工事中に自重で圧力容器が歪む事故が発生していた。1号機は1971年に、2号機は1974年に、3号機は1976年に、4号機は1978年に、5号機は1978年に、6号機は1979年に運転を開始した。これまでの事故は1976年火災事故、1978年の燃料棒が落下し臨界事故が発生したが30年近く隠蔽した。1988年にも燃料棒の落下、1990年には蒸気隔離弁破損した。アメリカのGE設計になるので、ハリケーン対策のため非常用電源を地下に設置したことも津波による浸水の影響を受けやすかった。2010年10月から3号機ではプルサーマル計画によるMOX燃料(ウランとプルトニウム混合燃料)が導入された。これには前知事佐藤栄佐久氏が導入反対だったためダム収賄という冤罪で辞任させ、新知事佐藤雄平氏が認可したといういきさつがあると云う。大熊町では原発関連で働く親戚を持たない人を探すほうが難しいという。東電関係企業に職を求める人が多かった。

東電によると3月と4月にかけて緊急作業に従事した作業員は8338人、100ミリシーベルト以上の被爆者は111人、250ミリシーべルトを超える被爆者は6人であった。過去にガンを発生し労災認定された原発作業者10人のうち、9人(白血病、骨髄腫、悪性リンパ腫)の被爆量は100ミリシーベルト以下で、最も少ない人で5ミリシーベルトであった。これでも原発作業者は被爆量を管理されているから因果関係が分りやすいが、一般住民の被爆量は推測に過ぎないので、今後因果関係を巡って国と被害者の間で何十年も争われることになるだろう。東電の体質は定期検査の工期短縮が至上命令であった。通常の定検工期は80日であるが、40日でやると殆ど簡易検査程度のお粗末さである。ひび割れは隠蔽され「異常なし」にチェックマークを入れてゆく。「京都議定書」締結後、実質炭酸ガス発生量は1997年以降10年間で8%増加していたが、原発は隠された炭酸ガス削減策となり「原子力ルネッサンス」と世間では宣伝された。

浪江町、大熊町、双葉町は福島第1原発10Km内なので廃墟となったままである。浪江町両竹は原発から北へ4Kmほどの集落である。ここでも津波で多くの方がなくなった。12日午前8時ごろ小学校の体育館に避難した大勢の人のなかに「何か原発で大変なことになったみたい」という話が出てとにかく山のほうへ逃げる人もいれば、隣の川俣町に小学校へ避難した人がいる。12日夕方原発から20Km以内の住民に避難指示が出た。対象は2市5町2村17万人を超えた。とにかく1円も持たずに身一つで逃げた。東電社員の土下座なんて誰でもできるが、何を聞いても答えは「わかりません」という紋きり型で、恐らく東電社員でさせ何も知らされていないのだろう。15日にはいわき市でも24マイクロシーベルト/hと非常に高い線量が啓作去れ、いわき市議会議員は「15日にはいわき市の34万人の人口の半分は避難した。事実は何も市民には知らされなかった。市長でさえテレビから知る以外に方法はなかった」という。避難できない市民には18日にヨウ素剤が配布された。20日にいわき市の避難所であった平体育館で山下俊一長崎大学教授の講演会があった。山下氏は福島県放射線健康リスク管理アドヴァイザーという肩書きで「大丈夫です」としかいわなかった。誰が質問しても答えは「大丈夫です。問題ないです」との鸚鵡返しであったという。冥土へ旅立つ人に引導を渡す坊主さながらの文句に聞こえた。そして学者とも思えないこんな暴言をいった。「マスクなんかしなくて空気をいっぱい吸って、明るい気持ちをもてば放射線の被害はありません」と。5月6日文部科学省は米国エンルギー省と共同で、原発から80km県内の汚染マップを作って公表した。セシウム137による汚染が300万ベクレル/m2を超える地域は、原発から30Km以上の飯館村まで広がっている。いわき市北部や福島市で60-100万ベクレル/m2であった。

2) 事故の隠蔽と拡がる放射能被害

福島第1原発事故の情報は徹底的に隠蔽された。最初は東電が政府に情報を出し渋っているという印象であったが、重大な情報が加工され保安院や官邸(枝野官房長官)から出されたり隠されたり、とんでもない被曝事故が発生してからも「想定外の事故」、「原子炉は管理下にある」、「ベントで出る放射線は微量である」、「直ちに健康に影響が出るレベルではない」、「万全を尽くしている」という誰が聞いても嘘とわかる言葉を流し続けた。この事故は戦争の情報管理に似ているという人がいる。都合のいいことしか言わない。都合の悪いことは隠し続けるという大本営発表である。「壊滅的敗北」を「戦略的転進」というたぐいである。この人たちは「言霊信仰」を持ち続けているらしい。言葉の言い換えで事態が好転する事を願っているかのようである。その間に何万人の人が死んでも意に介さないらしい。「この人たち」とは為政者とメディア関係である。巨大な記者クラブは一切現場で取材していない。東電本社と霞が関以外の情報を自分で取材することはなかった。いわゆる「記者クラブ」という大政翼賛会倶楽部である。「いたずらに不安を煽る」とか「不正確な情報に惑わされないように」とかいう禁句集も用意した。これで福島原発のメルトダウンの時期や影響も「不安をあおる」という情報管理が行なわれ、国民と福島の住民には知らされなかった。「権力の不合理を知らずに、安心して死ね」ということである。一体何を隠したのだろうか。@境界地モニタリングデータ(5月28日に公開した)を秘匿した。ベントの影響や放射能漏れを知られたくなかったようだ。 A事故当日の気候から北西に流れた放射性プルームの汚染計算結果を秘匿した。これによって20Km圏外の浪江町、葛尾村、南相馬市、飯館村、川俣町、伊達市、福島市の住民の多くが大量の被爆をしているはずである。福島市で病院のレントゲンフィルムが真っ白に感光していたといわれるほどの被爆である。どの程度の被爆かの予測は国のみが握っている。将来の裁判に備えて。B原子炉の水位や温度,圧力データを秘匿した。計測器が故障したとしょうして公表していない。配管の損傷、圧力容器の破損、メルトダウンの原因と影響を原子炉の構造的欠陥として知られたくないのだろう。なんせ原子炉は安全設計といい続けてきたから、いまさら原子炉は地震に弱い構造でしたとは死んでも言えないのだろう。

隠すことによって被爆者は増加するのである。避難を早期に実行すべき地方自治体の動きに決定的に影響した。国・東電の為政者は住民に「安心して死ね」といっている。自分達の支配の不合理と破綻を知られるよりは、将来に被爆で何万人が死んでも税金で賠償金を払えばいいと踏んでいるからである。財政破綻はとっくに知られているが、支配の破綻も自民党政権の終焉をみて、うすうす感じている人も入る。今回の地震で白日の下に決定的に明らかになったのは、戦後60年余の自民党と財界の国運営の崩壊である。隠蔽することの利点というと、政府や財界はその場を切り抜けることが当面の最大の課題である。そのためには隠し嘘をついて、国民には安心して眠ってもらうことである。こうした嘘は、原子力産業が「絶対に安全である」という神話に成り立つことに起因している。チェルノブイリ事故では、ドイツでは放射能の雨が降ったことを政府は秘匿した。フランスでは放射能は届いていないとさえ言った。このチェルノブイリ事故以来、原発産業とは嘘をいうものだという認識が世界中に広まった。チェルノブイリ事故では事故の原因は原発の構造の本質から出てくるのではなく、運転員の人為ミスから起きるという「ヒューマンエラー説」を学者は広めた。日本のように地震大国に原発を建てること事自体が事故の原因であると考えられる。そして最後に核廃棄物の最終処分をどうするかは解決不可能な問題である事に国民が気がついてはいけないことである。断層のあるところに建築物を建てないことは鉄則であるとするなら、地震大国津波大国の日本列島には原発を建造してはいけない。まして廃棄物処理を欠いた完結性のない技術である原発は持続的社会の反対物である。事故で放出された放射性物質の量が国際評価で最も高い「レベル7」に相当する事を保安院が発表したのが4月12日である。そして恐るべき炉心のメルトダウンが起きていたのを東電が認めたのは5月12日であった。遅すぎるというより、やはり悪質な意図が働いていたと理解すべきである。3月12日事故直後に炉心メルトダウンの可能性を予見した保安院の中村幸一郎審議官はすぐに解任された。

東電と政府官僚の事故隠しにより放射性物質排出レベルについては官邸の意思があって公表を伸ばされたという。7月7日になって保安院が、ヨウ素換算で放出された放射性物質量を77万ベクレルと上方修正値を発表した。チェルノブイリ事故では520万ベクレルであったので福島では1/7の放出量であった。国債評価が下がるとでも思ったのだろうか。原発を規制する「原子力安全員会」は保安院に責任を押し付けて全く機能しなかった。眠れる獅子を演じたのである。このような政府の情報隠匿状況を見て、保安院や官邸の「直ちに安全に係るレベルではありません」という発表を、メディアはコメントなしに垂れ流しするだけでは共犯関係にあるといわれても反論できないであろう。「ただちに」という言葉は、放射線障害のリスク論からいうと「急性障害が起きないという意味で、原爆の直接影響で死亡、火傷、下痢、嘔吐の起きるレベルではない」であり、住民の避難のためには「晩発性障害という意味で、ガン発生という確率的発症の可能性」で行動しなければならない。「ただちに健康に影響は無い」という言葉で住民は安心できるのではなく、「数年後にはガンになるかもしれないから避難しましょう」と理解すべきなのである。だから保安院や官邸が「ただちに」という言葉には陰険な嘘が込められている。言外に安心しろといいながら、数年後の発症には言い訳の意図を込めている。「今は死なない、後は知りません」といっているのである。何と無責任な言葉であろうか。メデイアは自社の記者の安全を考えて、50km以内には近づかないようにという指示を出していた。政府と東電の資料だけに頼った取材である。むしろ20Km以内の住民避難指示は記者の立ち入り禁止と、取材拒否につながっている。これも情報遮断の一手法かもしれないので、ジャーナリスト有志は「福島第1原発敷地内と警戒区域内での定期的取材機会の要請」という共同アピールを出したという。原発作業員や東電社員も働いている区域内に記者が管理された被爆を承知で入ることは原理的に可能である。NHKは3月21日の内部基準で「取材は政府の指示に従うことが原則」とした。

原発事故は基本的に見えにくい被害である。林業は50-100年で考える産業で、福島第1原発から20km以内では人が立ち入れないために、森林の手入れが出来ない。山の表土が荒れると保水能力が失われ洪水の因となる。山林は日常的にメンテナンスしないとすぐに荒れるのである。ただ田畑と違って土を入れ替えることは出来ない。また新たに林業に従事する後継者もいないので、今回の原発事故で山林がどうなるか心配だという。福島の漁業は当面は操業自粛を決めた。急遽、魚介類に対する暫定基準値(放射性セシウム500ベクレル/Kg)と定められた。福島第1原発は事故直後汚染水を海洋に捨てた。恐ろしい東電の神経である。漁業者の漁業権を買い取ったつもりでいるのか、火事場泥棒式の捨て逃げは許されるものではない。公害法では操業停止になる行為である。それを平気でやってのけるというのは、国民として理解できない。20Km以内には立ち入り禁止なので、畜産農家は死活問題となり、国は5月家畜の殺処分を決めた。牛3500頭、豚3万頭が殺された。7月には肉牛の暫定基準(セシウム500ベクレル/Kg)を超える値が検出された。汚染を心配される牛の出荷数は2000頭を超えた。須賀川市で3月有機栽培農家の男性が自殺した。出荷制限を受けた翌日であっという。原発から30Km離れた飯館村のでは4月から計画的避難区域に指定され、1ヶ月以内に立ち退く事を要求された。飯館村の放射線量が高い事を知ったのはテレビを通じてである。それまではどのくらいか全く情報はなかった。3月25日には福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの高村昇長崎大学教授が村で講演会を開き、「マスクや手洗いの注意事項を守れば健康に害なく村で生活できます」といっていたが、急に計画的避難地域に指定され住んではいけないと言われた。3月28日ごろ京都大学の今中哲治助教授が飯館村の放射線量を測定し、「この線量はありえないほど高い」といわれた。「いったい高村先生とは何物なのか」という声が聞かれた。飯館村の水道から暫定基準の3倍にあたる965ベクレル/kgという値が検出された。さらに6月30日になって伊達市の4地区を「特定避難勘奨地区」に指定し、7月21日には南相馬市4地区を指定した。地域を分断する指定でコミュニティはバラバラに引き裂かれた。コンパス指定から、点指定に変わって住民はいいようのない不安に怯えている。それも情報を与えることなく突然指定してくるから住民は振り回されるのである。

4月16日文部科学省は福島県の学校の校庭・校舎を使用する際の暫定基準を「年間20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト)」とする通達を出した。これまでの基準は年間1ミリシーベルトであったのだから、根拠もなしにいきなり20倍にするにするのは恣意的(現状追認)といわれてもしかなない。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一長崎大学教授は講演会で「年間100ミリシーベルトでも大丈夫、私は国の決定に従うだけです」と発言して問題となり、しだいに「大丈夫」から「わからない」に変わったという。4月29日内閣参与の小佐古敏荘東大教授はこの基準を上げることに抗議して参与を辞任した。校庭での部活活動には親の同意を求めている。障害が出たときに親の責任にするためである。福島市では学校の放射線量が3マイクロシーベルト/hを超えたという。4月末までに福島氏の小中高校生の内約1万人が圏外に転校した。教育委員会に20ミリシーベルト/年について何度問い合わせても「分らない」の返事であった。校長は「国の方針は守らなくてはいけない」といい、子供は守らなくても国の方針は守るという官僚根性むき出しに態度を示す人もいた。「子どもを放射能から守る福島県ネットワーク」は自主的に県内の学校の放射線測定を行い、文部科学省と保安院にゆき測定値を示したらびっくりしたという。そして5月27日保護者の声に押されるようにして「基準値は変えないが、1ミリシーベルト以下に抑える事を目指す」と発表した。根拠もなしに出した暫定基準なのだから撤回すればいいものを、一度出したら変えられないという官僚根性で実質変更を約束したのは保護者の運動の成果といえる。子供達は部活などで仲間はずれにならないように無理をしてでも校庭に出ている。そして避難すると「裏切り者」という非難を受けるという。原発が子供達を「差別」の罠に嵌めているようだ。

3) チェルノブイリから学ぶこと、そしてこれから

福島第1原発事故が、1986年4月26日1時23分にソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故に規模が比定されるようになった。チェルノブイリ原発事故の規模は後に決められた国際原子力事象評価尺度 (INES) において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類される事故である。福島第1原発事故も4月15日にレベル7の事故とされた。放出された放射線量は福島原発の場合、チェルノブイリ事故の1/7程度であったとされている。しかし御用学者がいうようにだから大丈夫なのではなく、どちらもすごい事故だったというべきである。京大原子炉実験室の小出裕章氏によると、チェルノブイリ事故はセシウム換算で広島型原爆800個分、福島第1原発事故で100個分以上という計算になるのだから、被害規模は似たりよったりと理解すべきである。4月15日に、原発御用学者の1人である長瀧重信長崎大学教授(元放射線健康影響研究所理事長)と佐々木康人アイソトープ協会常務理事(前放射線医学総合研究所理事長)の二人が「首相ホームページ」に、チェルノブイリ事故と比較して福島第1原発事故は心配するほどではないという見解を発表した。「チェルノブイリ事故に関するWHO、IAEAなどの国際機関のまとめによると、@死亡者は47名、放射線被爆と死亡の因果関係は無い、急性放射線障害者は134名で福島原発事故では急性放射線障害はない。Aチェルノブイリ事故では24万人の被爆量は平均100ミリシーベルト、27万人は50ミリシーベルト以上、500万人は10-20ミリシーベルトで健康被害はなかった。福島原発事故では該当する被爆者は無い。B子供の甲状腺がんは無制限に牛乳を飲んだせいで、6000人が手術を受け17人が死亡した。福島原発事故では牛乳の暫定基準を300ベクレル/kgを守っているので問題ない。」という恐ろしいまでの事実歪曲と無責任な放言に満ちている。2005年WHOは死者数は約4000人としたが、抗議を受け死亡者数は約9000人と修正した。これでも最小限の算定であり、別の研究者らはこの10倍以上の死亡者数だという。長瀧重信長崎大学教授は3週間以内に亡くなった人しかカウントしていないが、東海村JOC事故での犠牲者は83日、211日後に亡くなっている。長瀧教授らは死亡や健康被害に放射線との因果関係がないと断定しているが、ガンと放射線との因果関係を立証することは本来困難である事を逆手に取って因果関係を認めないという態度を固持したまでの事である。これまでの地域のガン死亡率が事故後に有意に上昇すれば、疫学的には因果関係ありとされる。細胞分裂の異状がガンを誘発するのだから、一般のガンで証拠となるウイルスや細菌は認められないのは当然である。被爆量については福島原発事故では該当者がいないのではなく、調べられていないのである。

著者が代表であった「チェルノブイリ子供基金」活動から分ったことは、事故後5年ほどしてから1990年代になって小児性甲状腺がんが多発し始めたことだ。ベラルーシでは4倍に増加した。圧倒的に女の子が多かった。ベラルーシとウクライナでサナトリウムやリハビリテーションセンターの建設運営に乗り出し、日本、ドイツ、ウクライナの三者で運営されている。なぜ小児にガン発生が早く起るかというと、幼児期は細胞分裂が盛んで(成長のため)放射線の影響が大きいのである。だから先ず妊婦と子供を避難させるべきというあたりまえのことが日本では行政指導で行なわれなかった。御用学者は「安全です」を繰り返しているうちに、多くの子供が被爆した。あと5年もすると福島原発事故による甲状腺がんの発生が多発すること、そして東電と国の不作為の責任を問う裁判が起こされることは必至である。チェルノブイリ事故から日本は「秘密主義」だけを学んだのではないだろうか。それから最後に「放射線防護服」というものは無い事は承知しておかなければならない。放射性物質が付着した場合脱いで捨てるための衣類である。原発作業員、自衛隊、自治体、警察、住民の被爆は確実に累積しているのである。住民が線量測定機を常備するだけでなく、本来フィルムバッジを胸につけ累積被爆量を測定しなければ正確な被爆量は分らない。すると行政は勝手な被爆推定をして「大丈夫です」というに違いない。それは今大丈夫な人は大丈夫で、先のことは分らないということである。放射能から自分を守るということは、すなわち放射線医学の権威者から身を守ること、原子力産業を推進するIAEA(この国際機関は原発推進のための存在する。断じて第三者的な規制機関では無い)から身を守ること、原子力を推進する官僚と族議員から身を守るということ、原発推進の財界と絶えず妥協を繰り返す政治家から身を守ること、放射能は安全だと繰り返す学者から自分の身を守ることである。事実とデータへのアクセスの権利を確保することが求められる。「風評、デマに惑わされるな、安全だ、直ちに健康影響は無い」の大合唱のメディアから身を守ることである。

日本学術会議の金澤一郎会長は6月17日に妙なリスク論を述べた。「基準によって防止できる被害と、他方で防止策をとることによる不利益を勘案してリスクが最も小さくなる防御の基準を立てること」だという。つまり職業のために避難したくない人は被爆を甘受すべきだという。そして「年間1ミリシーベルトの基準を守ると、住民は全員避難しなければならない。避難生活による心身の健康被害が発生する危険性がある」という。これもおかしな論議だ。生活の不便とガン発症を天秤にかけるようなリスク論は聞いたことがない。「安全だ」といってきた人らは、その結果でた被害については眼をつぶるっものである。また住民の健康調査の結果は個個の人には公表しないのである。日本の医学者達は今一度基本に戻る必要がある。福島県は5月「県民健康管理調査」を継続的に実施する事を決めた。この調査の中心が長崎大学の山下教授である。「安全です、心配ありません」としかいわない教授の調査では結果は知れたものである。「放射線による健康被害はなかった」、「ガンや遺伝的影響の発生率が上昇するとは考えられない」、「このデーターからは子供の白血病、甲状腺がんの顕著な増加は証明されない」、「食料品の規制は過剰であった」と書くに違いない。実はこの記述は1991年のIAEA国際諮問委員会調査報告書である。このときの日本代表は広島の放射線影響研究所理事長の重松逸郎氏であった。この調査報告はチェルノブイリ原発事故の健康被害を完全に否定しており、国際的な研究者から激しい非難を受けた。日本の放射線影響分野研究を牛耳っているのは、広島の放射線影響研究所理事長の重松逸郎氏とその後任となった長瀧重信長崎大学教授であり、長瀧教授の弟子筋に当たるのが山下俊一長崎大学教授であり、高村昇長崎大学教授は山下氏と同僚である。重松逸郎氏や長瀧教授が理事長を務めた放射線影響研究所とは、占領時に米軍が広島・長崎原爆の効果と影響を調べるために作ったABCC機関が前身となっている。もともと核兵器推進派の作った悪魔の研究所というべきで、原爆症患者をモルモット扱いにすると非難された研究所である。東大医学部と広島放影研と長崎大学の学派は、核兵器・原発推進派と考えられ、核を規制するのではなく推進する立場から国民を「指導」するらしい。だから彼らは「安全だ」としか言わない。原発事故は想定外の不可抗力による事故であり、原発の構造的欠陥(宿命的欠陥)によるものではないという結論を導き、「想定外は次々と永遠に繰り返す」という前提でひとつづつ対策を行なえば原発の延命が出来ると考えているようだ。


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