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石橋克彦編 「原発を終らせる」

 岩波新書 (2011年7月)

原発安全神話は崩壊した、原発から脱却することは可能だ

2011年3月11日の東日本大震災(マグニチュード9.0)によって発生した東電福島第1原発の事故は、1-4号機が同時に大量の放射性物質を撒き散らすという、世界原発事故史上類を見ない事態となった(INESレベル7)。半径20km以内の住民は避難指示、20-30Kmの住民は避難準備地域、それ以外でも計画的避難対象地域に指定された。人類は1979年のアメリカスリーマイルズ島原発、1986年のソ連チェルノブイリ原発事故を経験してもなお、「日本の原発は安全だ」という政府・電力会社のうたい文句に騙され続け、2011年ついに福島大原発事故を迎え、名実ともに「原子力安全神話」は木っ端微塵に吹き飛んだ。それでもな懲りない経産省や東電は「津波による全電源喪失による想定外事故である」との不可抗力説で免責を企てている。ところが原発は振動による亀裂損傷が冷却水喪失や放射性物質の漏れ事故を起こしていたのだ。地震と火山列島である日本に原発建設が可能であるかどうかという本質的問題は、2007年新潟県中越沖地震で東電柏崎刈羽発原全七基が運転停止した時から現実的課題となった。物理現象は偶然が支配することによって刈羽発原に被害は微少で済んだが、このときに原発を止めるべきであった。経産省・東電とその御用学者や専門家そして原発推進の公報となったマスメディアや国際原子力機関(IREA)の責任は重い。福島第1原発事故を受けて政府の対策が、津波対策で中部電力浜岡原発の運転休止で終っているのは、とんでもない認識不足であろう。地震列島の原発が安全だなどとは誰も保証できない。今こそ日本は原発と訣別しなければならないという信念で石橋克彦氏は本書を編集した。本書は4部からなる。第T部は福祉ナ第1原発事故の真実に迫り、第U部は科学・技術的側面から原発を告発し、第V部は社会的側面から原発問題を考察し、第W部は原発を終らせるスキームを議論する。議論する人々は全部で14名で、各章ごとにその主張を記す。

第T部 「福島第T原発事故」
1) 「原発で何が起きたか」 田中三彦  科学書翻訳家(バブコック日立で原子炉圧力容器設計に従事)

想定外の津波さえ来なかったら福島第1原発事故は起きなかったろうか。この考え方は菅総理の浜岡原発停止要請においても引き継がれ、「津波対策を施せば、2,3年後には原発は再開できる」という含みを残している。しかし本当に津波のせいで原発事故が起きたのだろうか。本章では僅かに公開された事故直後の原発データよりそれを検証する。3月11日午後2時46分地震が発生し運転中の第1号機ー第3号機は自動的に緊急停止したが、2時46分外部電源が喪失した。非常用ディーゼル発電機が起動したが、その50分後大津波により非常用ディーゼル発電機が冠水し午後3時37分「全電源喪失SBO」という危機的状態に陥った。翌日12日午後3時36分、福島第1原発第1号機の原子炉建屋の最上部にあるオペレーションフロワーが水素爆発で吹き飛んだ。14日の昼前には3号機でより大ききな水素爆発が起きた。15日早朝には4号機で火災が起き、同時刻には2号機の圧力抑制室付近でも水素爆発が起こった模様である。

これら一連の爆発において、なぜ地震発生から僅か25時間たらずという早い時期に1号機の爆発が起きたのあろうか。3月20日過ぎごろから原子力災害対策本部が首相官邸サイトにアップした運転パラメータに、異常に早い原子炉水位の下降データがあった。地震発生後12時間(12日深夜2時45分)に,原子炉水位が、核燃料棒最上部(TAF)まで僅か1m30cmのところまで下がっていた。(通常運転ではTAFまで約5mの水位がある) 約20-30トンの水が失われた。2号機、3号機の原子炉水位の下がり方も異常であったが、3号機の水位降下は特別に著しかった。燃料棒むき出し状態に迫っていた。福島第1原発1号機は沸騰水型(BWR)である。冷却材は水で、原子炉で発生した水蒸気がタービンを回転させ発電する仕組みである。原子炉圧力容器内の冷却材は70気圧、温度は285度である。第1号機(電気出力46万kw)の原子炉圧力容器は直径が4.8m、高さ20mである。この圧力容器が格納容器(ドライウエル)の中にすっぽり入っている。格納容器(ドライウエル)の周りには巨大な圧力抑制室(ウエットウエル、サプレッションチャンバー)を付帯する。格納容器と圧力抑制室は蛇腹状のベント管8本で結合されている。原子炉圧力容器を結ぶ配管が破断した場合、圧力抑制室は「冷却材喪失事故(LOCA)」が起きても蒸気を水に変えて吸収できるだけの容量を持っている。格納容器を設計圧力約4気圧で設計温度約140度に保つ仕組みがサプレッションチャンバーである。ところが第1号機の圧力が約7.4気圧に上昇下のはなぜだろう。圧力抑制室が機能しなかったためではないか。格納容器の圧力上昇により国はベント開放を強行し、放射性物質の大気放出となった。

福島第1原発事故を「全電源喪失SBO」をスタート点とするか、いやそうではなく地震の振動による原子炉配管の破損による「冷却材喪失事故LOCA」が起きていた可能性が高いとする考えではまったく別の話である。本章はこのLOCA仮設を検証するのである。地震発生後5,6時間の運転のパラメータは全く発表されていないので推測でしかないが、アップされた「原子炉水位」と「格納容器の圧力」の変化を見よう。原子炉水位は地震発生後約7時間(12日午後9時30分)で核燃料棒最上部TAFまで45cmしかなかった。第1に原子炉系配管(例えば非常用復水配管、主蒸気管など)の破損によって急速に冷却材が失われたとみるのが素直ではないか。第2に原子炉圧力容器の「主蒸気逃し弁ARV」が頻繁に開閉したのではないか。それにより大量の冷却材が原子炉から流出し圧力抑制室に流れ込む。しかし東電の5月16日の記録データではSRV自動開閉が起きなかったことを強く示唆している。

東電が発表した重要イベントデータ(11日午後2時46分地震発生ー12日午後20時20分海水注入開始まで)を見ると、東電の運転員は「非常用復水器IC」の弁停止を手動で行なっている。ICは一定量の水で原子炉圧力容器内の蒸気を復水し圧力容器内の蒸気圧力を下げることが目的である。8時間以上作動させることは出来ない。燃料棒から崩壊熱が大量に出ているのに、それほど圧力容器内の圧力が上がらなかったのはなぜか。原子炉の圧力は70気圧から11時間後に8気圧に低下した。格納容器の圧力は4気圧から約7.4気圧まで上昇した。これはこの時刻では原子炉圧力と格納容器圧力が平衡になったという事である。つまり原子炉圧力容器と格納容器は破損によってつながっていることである。そのころには原子炉内の水位は平衡状態となって変化していない。再度水位が急降下するのは16時間後のことである。格納容器の圧力が7.4気圧を超えた状態で、地震後12-15時間後には格納容器の圧力が急低下し6.5気圧ほどに下がっているのは、格納容器上部フランジより漏出したのではないか。 こうして15時間後には原子炉水位はTAFを横切って核燃料棒が水位以上に露出した。ここで燃料棒被覆管のジルコニウム合金が高温になり水蒸気と反応して水素が発生し、破損を起こした箇所から格納容器外へ漏れ出して、25時間後には建屋内で水素爆発を起こした。もちろんその間に燃料棒はメルトダウンとなり圧力容器の下部に溶融状態で存在するか、または底が抜けて圧力抑制室下部に堆積しているかもしれない。ところが原子力災害対策本部では6月はじめIAEA閣僚会議に提出する事故報告書には、原子炉配管破損説は無視し、「超特急メルトダウン」説(MARPコード)でシュミレーションした結果を報告した。原発の耐震脆弱性を認めたくなかったのであろう。

2) 「事故はいつまで続くのか」 後藤政志  芝浦工大講師(東芝で原子炉格納容器設計に従事)

原発事故対策の三原則「止める」、「冷やす」、「封じ込める」のうち、今回の福島第1原発事故では「止める」には成功したが、「冷やす」、「封じ込める」には失敗した。今回の大震災による原発事故の詳細はまだ確定したわけではないが(事故が収束してから事故調査委員会の結論を待つ)、「制御棒を挿入し核反応は止まった後の早い時期に、配管の破断や冷却系統の故障により、原子炉圧力容器内の水位が低下し、数時間以上燃料棒が露出して温度が急上昇して一部メルトダウンが起きた」と推測される。それがために発生した水素ガスが格納容器から漏れて建屋内に充満して水素爆発を引き起こした。炉内と格納容器内は窒素ガスで満ちていたから爆発破損は起きていないと思われる。格納容器内のガス圧は設計の2倍を超えていたから、格納容器上部のフランジシール部分から放射性物質を含むガスが漏れていたと考えられる。そもそも格納容器の役割は配管が損傷した事故時に放射性物質を封じ込めるために、膨大な容量の圧力抑制室を備えている。何らかの圧力抑制室装置の損傷が置き、蒸気圧力の吸収が出来ず,格納容器内の圧力が設計の2倍にまで上昇した。もちろん格納容器ベント操作ミスによる大気放出も「封じ込める」失敗の要因ではある。加うるに事故後2ヶ月も経ってから東電は1号機から3号機の炉心溶融を発表した。また東電と原子力安全保安院のスポークスマンはテレビで、事故後しきりに水位計や温度計の不確かさを強調していた。そんな信用できないもので原子炉をコントロールしていたのかと逆に質問したくなるようなうろたえ方であった。本当は真実を覆い隠すあまりにも事故情報隠蔽体質といわなければならない。メルトダウンした燃料棒や炉内構造物(熔融デブリ)が圧力容器の底にたまっているのか、それとも格納容器まで出ているのか、さらに「チャイナシンドローム」で地殻にまで達しているのか、とにかく炉心が外界とつながっており、いまも放射性物質を出し続けている危険な状態であろう。

4号機は定期検査中で停止中であったが、使用済み燃料プールが地震で損傷し水位が下がり、崩壊熱で水素爆発を起こした。冷却用に注水した水は破損した格納容器から建屋の下部に10万トンの高濃度放射性汚染水としてたまっており、年内(2011年)にはさらに10万トンmの汚染水が出るという。事故後少なくとも2回高濃度汚染水が海に流れた。これ以上の海や地下水の汚染を防ぐために、高濃度汚染水の保管・無害処理が急がれる。事故を起こした原発の解体は容易でない。メルトダウンした炉心や格納容器には10年以上近づけないであろう。老朽化した廃炉処理ですら10年近くかかるとされている。福島第1原発の廃炉費用は1兆ー15兆円、所得保障を含め、20km以内の土地買い上げを実施すると総額5兆円ー20兆円かかるという計算が5月31日の毎日新聞に出ていた。原発1基の建設費は約4000億円だとすると、ライフサイクル費用と損害賠償リスクを全く考えていない原発の経済性は果たしてあるのだろうか。民間企業が参加し利潤を考えられる事業なのであろうか。今回の福島第1原発事故は「過酷事故」を全くありえないと棄却してきた原子力政策が破綻した事を物語る。もし格納容器の圧力ベント(逃がし)に失敗していたら、格納容器が圧力で爆発し、200kmはなれた都心でも無傷ではいられない。首都圏が強制退去となると日本は破滅したであろう。核連鎖反応は人間の手では止められない。制御棒と大量の冷却水で押さえ込もうと多重防御システムをとっているが、多重故障もまたありうるのである。大概の安全装置は多重に故障するものである。津波にすべての責任を負わせる「想定外事故」で済まそうと考える通産省と東電のやり方には、「ではどうして想定外の津波対策が出来るのか」と質問したい。想定外であろうとなかろうと現実に原発事故が起きているのだから、原発は危険であるといわざるを得ない。

3) 「福島原発避難民を訪ねて」 鎌田 遵  大学講師 アメリカ先住民研究 都市計画

この章がなぜ第1部に入ったのか編集者に問いたい。福島県人をアメリカ先住民の「エコサイド」(環境破壊)と差別意識にたとえるのは、「当たらずといえど遠からず」程度の類似であって、両者が本質的に同じとは思えない。「アメリカ先住民差別と圧迫」と同じ構図が福島県人に当てはまるとは、時代錯誤感覚ではないか。原発設置場所は過疎村であり、都市と地方格差の問題として論議すべき問題である。すくなくとも原発事故の本質という第1部の主題にはフィットしない。第3部「事故の社会的側面」の1章とすべき内容である。

第U部 「原発の何が問題なのかー科学・技術的側面から」
4) 「原発は不完全な技術」 上澤千尋  市民のための原子力資料情報室

「原子力資料情報室CNIC」とは経産省や資源エネルギー庁の組織ではない。市民のための原子力情報を公開するNGO組織と考えられる。市民による市民のための原子力資料情報を知るための組織であろうか。「学者や専門家」が教えを垂れる場所ではない。市民の知りたい内容を分りやすく解説する。したがって本章は原子力の初歩から理解に必要なレベルまでを解説している。内容は室田 武著 「原発の経済学」ともダブっているので大幅にカットしよう。原子炉には加圧水型PWRと沸騰水型BWRがあり、加圧水型PWRは原子炉の中に燃料棒が密に配置されておりコンパクトなつくりであり出力密度が高い。しかし原子炉内壁と燃料棒の距離が近く、内壁金属の「中性子脆化」が起きやすいと言われる。沸騰水型BWRは制御棒が炉圧力容器の底から挿入されるため、それを支える安全機構が複雑で、これまで制御棒の落下事故がおき臨界となった(1978年福島第1原発3号炉と1999年志賀原発1号炉)。耐震構造上脆弱な装置で地震時には配管の破断事故が起きるのではないかと心配されていた。原発の最も大きな問題は大量の放射性物質を内蔵することであり、核分裂生成物質という「死の灰」としてキセノン、ストロンチウム、クリプトン、バリウム、ヨウ素、セシウムなどが生成される。またウラン238が中性子を吸収して「超ウラン物質」として、プルトニウム、アメリシウム、キュリウムを産出する。また内壁や配管の材料である鉄合金(コバルト、マンガン)が中性子を浴びて放射化する。これらの核廃棄物の半減期は長いもので、ストロンチウム29年、セシウム2年、プルトニウム2万4000年、アメリシウム432年、コバルト60 5年などである。使用済み核燃料は自然崩壊による「崩壊熱」を出し続けるので、水で冷却しなければならない。その期間は廃炉となるまでとされる(30-40年)。原子炉の運転状態は想像を絶する高温高圧下にある。加圧水型PWRでは圧力容器内の蒸気温度320度、圧力150気圧である。燃料棒の温度は2000度である。沸騰水型BWRでは蒸気温度は290度、圧力は70気圧である。国内国外での原発事故は後を絶たない。極く近年の2010年4月から2011年3月までの1年間で大小あわせて307件の事故が発生している。国内原発のいくつかは40年以上経つ老朽化施設がある。敦賀1号、美浜1号、福島第1原発1号機であり、30年以上経過する原発は16基もある。

5) 「原発は先の見えない技術」 井野博満  東京大学名誉教授 金属材料学

金属材料学の立場から原子炉圧力容器の「中性子照射脆化」について述べる。放射性廃棄物の処理は全く考えないで原発事業を開発してきた。1000年以上かかるかもしれない、先の読めない原発は「技術といえない技術」かもしれない。「中性子照射脆化」もそのひとつである。金属結晶中の原子は格子状に並んでいる。これに中性子という重い高エネルギー粒子が衝突すると、原子が弾き飛ばされて「空孔」が開く。弾き飛ばされた原子は「格子間原子」として存在する。これらが「空孔クラスター」を作り、また勤続中の微量不純物も「不純物クラスター」を作る。これらは欠陥であるので、金属の柔らかさを損ない材料を脆化させる。脆性転移温度(もろくて割れる限界温度)以下では「脆性破壊」を起こす。脆性転移温度が履歴によって上昇することが使用上心配なのである。照射脆性は中性子照射量だけでなく、照射速度によっても大きく変わることが分ってきた。照射脆性予測式の監視諫止試験方法(JEAC4201-2007)が作られた。試験片を炉心に入れて脆性転移温度の経時変化を測定し予測式とのずれを監視している。すると玄海1号炉(35年)の試験片の脆性転移温度が98度を記録した。中性子照射量だけからは予測できない外れ方であり、予測式からはせいぜい75度くらいである。筆者らは「原子炉老朽化問題研究会」で、予測式では説明できないような高い脆性転移温度が観測された原子炉はその時点で廃炉にするという事を主張した。しかし保安院は安全代(マージン)でカバーするという人を食ったような態度であった。玄海1号機を初め1970年代に建設された古い原発は中性子照射脆化が進んでいると思われる。原発は地震や津波で壊れるだけでなく、自身の寿命によって壊れる。建設後30-40年経った原発は早期に廃炉にすべきである(福島第1原発1号機は40年、2号機は36年、3号機は35年、4、5号機は32年、6号機は31年、よって福島第1原発はすべて廃炉になって当然という代物であった)。

核燃料の数%のウラン235の半減期は7億年、97.5%を占めるウラン238の半減期は45億年といわれる。ウラン鉱山の労働者が被害を受けるが、使用済み核燃料は元の5万倍の放射能を持ち、半減期は数万年を要する。高レベル核廃棄物の地層処分における材料問題も未解決の技術である。青森県六ヶ所村に核燃料サイクル再処理工場が建設されており、使用済み核燃料からプルトニウムとウランを分離抽出し、残りの核廃棄物をホウ珪酸ガラスとまぜてガラス固化体にする。ガラス固化体は肉厚19cmの円筒形の炭素鋼オーバーパックにいれて地下300-500mに埋設することになっている。オーバーパック19cmのうち15cmは放射線の遮蔽用で、残り4cmは腐食代と説明されている。しかも1000年間密閉して腐食されるのはたかが1年の実験を外挿して32mmとされた。たかが1年の腐食実験から1000年を外挿すること自体が非常識なのに、さらに考古学的知見を援用しているのがお笑い物である。どのような精製法で作ったのか、どのような状況に置かれていたのか全く分らないのに、稀有というか偶然というべき幸運さで残った考古学的遺物で、すべてを予見することは出来ないのは当たり前である。もしそうならこの世は考古学的資料で埋もれているはずである。考古学研究を金属材料の寿命算定に話題として持ってきて、実験のない憶測を語るのはまさに「語るに堕ちる」というべきであろう。大学研究者の役割は価値中立的であるといって免責されるわけではない。ものづくりにおいて何を重視し、どういう製品にするかは、技術者を含む事業自体が判断する。技術は価値観に基づいて選択されるのであり、価値中立的ではありえない。我々が公害の歴史から学んだものがあるとしたら、それはライフサイクル評価LCAであろうか。製品が生まれてから死ぬまでのすべての過程を評価しなければならないのである。原発は廃棄物処理を考えていない未完の技術であり、最初からスタートすべきではなかった。

6) 「原発事故の災害規模」 今中哲二  京都大学原子炉実験所助教授 原子力工学

ブルックヘブン研究所はアメリカの原子力委員会の委託を受けて、1957年に原発事故の災害規模を推定する研究報告(WASH740)を出した。計算結果から先にいうと、急性死亡者3400人、急性障害者4万3000人、要観察者380万人、永久立ち退き面積2000平方キロ、農業制限面積39万平方キロという。アメリカ政府はこの結果に基づいて、電気事業者のリスクを軽減するため事業者の賠償責任を一定額で打ち切り国家賠償とするプライス・アンダーソン法を制定したのだ。日本でもWASH740を手本に日本原子力産業会議が原発事故の損害を試算した。1960年に「原産報告」が出来たが、試算結果の全体は丸秘扱いで、原子力損害賠償法が制定された。その全容が明らかになったのは1973年のことである。本章はその「原産報告」の概要を紹介する。対象原発は熱出力50万kWhで、設置場所の人口密度は平方キロあたり300人、20km離れて人口10万人の中都市があり、120km離れて人口600万人の大都市があるという想定であった。事故時の放出量は炉心内の0.02%(3700テラベクレル)と2%(37万テラベクレル)が放出されたケースに分けた。放出される放射性物質組成は核燃料全組成分と揮発性成分のみの場合とした。福島第1原発事故では揮発性成分放出のケースに近く、放出量はヨウ素が15万テラベクレル、セシウムが1万2000テラベクレルであった。放出温度は高温(1650度)と低温(常温)の場合に分けた。福島第1原発事故は低温放出に近い。放出粒子径は1μと7μの場合を計算した。福島第1原発事故は1μの場合に近い。そうして大気中のプルーム拡散計算を行なうのである。計算では地形や気象パラメータの重要性も大きいが詳細は省く。被爆量の計算は外部被爆(ガンマー線)と内部被爆(呼吸による肺)にわけて計算し、急性被爆のみを評価した。ガン発生など慢性障害は評価されていない。死亡者に83万円を賠償するとした。37万テラベクレル放出のケース結果を示すと、死亡者720人、人的被害が要観察者3100人、6ヶ月退避移住が360万人、農業制限が3万7500平方キロ、農業損害額は5650億円であった。全損害額は3兆7300億円となった。当時の国家予算は1兆7000億円であったので、国家経済は破綻する事を示している。

7) 「地震列島の原発」 石橋克彦  神戸大学名誉教授 神戸大学都市安全研究センター 地震工学

地震発生頻度地図上に日本列島はすっぽり黒く囲まれている。ところがアメリカでは地震地帯は西海岸に限られており、原発設置は中東部に集中している。欧州には(トルコは入れないとすると)地震発生地域は無い。ということで「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査基準」(1981年制定、2006年改定)は「極めて稀であっても原発に大きな影響をあ与える恐れがある地振動にたいして、核分裂反応を止め、冷やし、閉じ込めるという3つの安全機能を保持できるように耐震設計をすること」を求めている。新指針に基づき古い原発の耐震安全性評価を行なうよう2006年に電力会社に指示した。ところが不思議なことに古い原発の安全性はすべてクリアーできた。なぜなら既存原発が不適合にならないように振動を過小評価し、Ssを柏崎原発が2300ガルなのに較べてすべて600ガル以下で評価するように仕組まれていた。小さな地振動しか考慮しなくていい事になっていたのだ。これが嘘であったことを、今回の東北地震は如実に証明した。だから「想定外」といって電力会社と経産省は責任逃れをするのである。そのため福島県は「原発震災」となった。本震の地振動によって配管破損などによる冷却材喪失事故が1号機で起き、圧力制御室の破損によって放射性物質の漏出が2号機で起きたと思われる。つまり「冷やす」と「閉じ込める」機能が震災によって失われたのである。耐震設計になっていなかったのだ。地振動の過小評価で、保安院・安全委員会の審査が不備であった事を意味する。地震動の継続時間が2分を超えていたことも構造物への作用を強くした。保安院は福島第1原発事故津波原因説に依拠して、3月末に電力会社に津波で全電源喪失を想定して対策を立てるよう指示した。これは完全に自己矛盾である。日本列島の地震の強さでは原発の立地条件を満たさないことは今回の事故で明らかななのだから、原発を廃止することを方針にしなければならない。柏崎刈羽原発が2007年に経験した1699ガルの振動を全国の原発が想定しなければウソである。地震列島に54基の原発をならべることは気違い沙汰である。私達は、「原発は安全」と裁定した裁判所に日本の原発の全廃と運転差し止めを求めなければならない。そして国民投票制度をもって「原発の是非」を問わなければならない。

第V部 「原発の何が問題かー社会的側面から」 
8) 「原子力安全規制を麻痺させた安全神話」 吉岡 斉  九州大学副学長 比較社会文化研究院教授 科学技術史

筆者は今回の福島第1原発事故は基本的に人災であると考える。その理由として、@圧力容器破損にたいする準備とシュミレーションがなされておらず、安全審査をパスするための建前が支配して、対策がすべて泥縄式であった。A1999年にJOC臨界事故を教訓にして原子力災害特別措置法を制定して、原子力災害現地対策本部がオフサイトセンターに設けられるはずであったにもかかわらず、原子力災害現地対策本部は機能せず現場指揮はもっぱら首相官邸と経産省原子力安全保安院と東電の三者が進めた。中でも東電が主導権を握って東電の現地本部が司令部となっていた。操作ミス、情報隠しといった東電に都合のいい対策が先行して事故の規模を広げた。B今回の事故に対応するような原子力防災計画が立てられていなかった。半径30km以上の対策を実施すべき地域EPZ指定など全く一考だにされた形跡は無い。広域の住民避難・屋内退避・退去などの指示が遅れたばかりでなく、2転3転して住民は困惑した。想定外の事故ですべての責任が免罪されるなら、原子力防災計画は存在しないのも同然である。その根本原因は何かという反省に立つと、「原子炉などの施設が重大な損傷を受けて大量の放射性物質が外部へ漏れる事故が現実的に起こる確率は無限小でる」という思い込みを生んだのが、「原子力安全神話」であった。原発を推進するために「原子力安全神話」を流布させた当局にとって、原発に追加的安全審査や対策を求めることはもともとタブーであった。原子炉の安全性に不備があるというメッセージを社会に対して発信することはできないという「自縄自縛」のなせる技であった。これを可能にしたのが、経産省への原子力安全規制行政の集中独占体制の成立である。「国策民営」を原則とする原子力事業の安全規制行政は、1956年総理府に原子力委員会と科学技術庁が設置されたときに始まる。科学技術庁が原子力発電政策全体を総括し、通産省が商用原子力発電政策を担うという「二元体制」がスタートした。まがりなりにもチェックバランス体制が守られていたが、2001年の中央省庁再編により誕生した経産省は強い原子力行政の権限を獲得した。原子力委員会と原子力安全委員会は実働部隊を持たない内閣直属の審議会になり、経産省の外局に原子力安全・保安院が発足し、経産省が商用原子力の推進と規制の双方の実権を握ったのである。さらに原子力安全・保安院の下に原子力安全基盤機構JNESが2003年に設置された。

日本の原子力体制の主要メンバー(ステークホルダー)には、@原子力委員会、A原子力安全委員会、B経産省、C資源エネルギー庁、D原子力安全・保安院、E電力10社、F電力業界関係の会社・法人(日本原燃、日本原発、電源開発、電気事業連合会など)、G文部科学省(日本原子力開発機構など)、H原子力産業(三菱、東芝、日立の御三家)、I政治家(殆どが原発賛成)、J地方行政関係者、K大学関係者 という「原子力村」を構成するメンバーがいる。別に経産省、電力業界、政治家、地方行政、原子力産業、大学をくくって「核の六面体構造」という人も居る。原子力の国家政策は、原子力委員会が法律上の最高意思決定機関といわれ首相に勧告する権限を持つ。原子力政策に関して実権をもつのが経産大臣の諮問機関である「資源エネルギー調査会」である。「資源エネルギー調査会」の定めるエネルギー基本計画が閣議決定される。民間企業が国策協力で進める原子力事業には、見返りとして国より手厚い支援政策がある。立地支援、研究開発支援、安全・保安規制コスト支援、損害賠償支援などである。立地支援の中核は電源三法による支援である。こういった支援策が企業の経営責任をあいまいにし、損失やリスクを国が肩代わりすべきであると云う無責任経営体質が事故を生む温床になった。企業はリスクを最少とする企業努力を払い事故を無くそうと努めるものであるが、リスクが民間企業の手の負えないなら企業はその事業には乗り出さない。ところが原子力事業だけはリスクを感じなくてもいい体制であるなら、事故を少なくしようというインセンティヴは働かない。恐ろしい体制である。例えは悪いが、軍人に殺人罪を適用しないという保証を与えることに似ている。するとこれは民間企業が担う事業ではなく原発は国営事業とすべきかもしれない。民間事業に拘るなら国家計画を廃止し、原子力事業に関するあらゆる優遇政策を廃止し、「国策民営」体制を可能としてきた十電力会社の発電送電一体事業の超独占体制を解体する必要がある。

9) 「原発依存の地域社会」 伊藤久雄  東京自治研究センター 明星大学非常勤講師

「原発依存の地域社会」というと、ちょっと微妙な問題に触れることになる。そこで「原発依存の地域社会」とは単に原発が立地する市町村だけをさすのではなく、原発の電力の恩恵を受けて豊かな生活を送ってきた大都市も含める。しかし原発は「過疎地域」に立地されてきた。東京のお台場あたりの臨海埋立地には決して原発は誘致されなかった。それはなぜか。首都東京には為政者(支配者)がいて、自分達は原発の事故の恐ろしさを十分知っていたからである。だから言葉を替え、手を替え、莫大な現金という麻薬を与えて、原発や核施設を過疎地に誘導したのである。送電ロスという代償を払ってまで、東電は遠い新潟や東北の地に原発を置いた。それを可能にしたのは地方の疲弊であり財政難であり、都市と地方の格差であった。過疎の定義はご丁寧に、人口減少率と財政力指数(収入と借金の比率)から「過疎地域自立促進特別措置法」に定められている。多くの原発立地市町村は原発のおかげで過疎地化を免れた。放っておけば間違いなく過疎地になっていた市町村が、辛うじて人口を支え雇用を守ることが出来たには、原発のおかげであるといわんばかりのやり方である。同じ福島県海岸通りの川俣町と原発のある大熊町の人口を較べると、1970年から2010年までの40年間に川俣町は22000人から15000人に減少し、大熊町は8000人から12000人に増加した。原発近くの飯館村や双葉町の人口は変化していない。町の総生産の内訳を見ると、原発のある双葉町と大熊町の電気事業収入は全収入の70%から80%を占め、第1次・第2次産業の比率は極めて小さい。産業構造がすっかり電力依存になってしまった。それに対して川俣町や飯館村の産業構造は第1次(農業漁業)・第2次産業(土木)の比率が40%ほどである。一人当たりの所得上位を見ると大熊町、双葉町、広野町、楢葉町、富岡町などの原発立地地域の所得が上位を占めている。市町村の歳入構成を見ると、原発のある双葉町や大熊町は国庫支出金と地方税収入が中心で、原発の恩恵を受けていない川俣町や飯館村は普通地方交付税中心となっている。財政力指数を見ると大熊町は1.5で歳入が歳出を大きく上回っている。川俣町や飯館村の指数は0.2-0.4であり歳入が極めて少ない。

全国の原発立地市町村の財政状況を見ると、財政指数が1を上回り、歳入オーバーで繰越しが可能で、公債比率が10%以下の市町村は、東海村、刈羽村、大熊町、玄海町、御前崎市、女川町、泊村、東通村、楢葉町、敦賀市、おおい町、高浜町である。ところが原発所在地でも財政が苦しいのは、柏崎市、双葉町、美浜町,松江市、伊方町、石巻市、川内市などである。なぜかというと、原発関連交付金(電源三法による)と固定資産税収入による財政効果が違うからである。出力135万kwの原発立地の試算では原発関連交付金(電源三法による)により、10年の建設期間に481億円、運転開始から毎年約20数億円が市町村にはいり、そのほか国交付金が様々な名目で数億円づつが交付される仕組みである。ところが固定資産税は耐用年数16年で計算され、運転開始から5年で半額査定となり、20年経つと簿価1億円程度に減額される。だから古い原発を持っている市町村に入る固定資産税はと減価償却で激減してゆくのである。原発関連交付金(電源三法による)の財源は電力料金である。電気料金は1000kwあたり375円が電源開発促進税(年3100億円)として電力会社よりエネルギー特別会計にはいり、原発関連交付金(1638億円の7割 2010年)となる。原発マネーによって豊かな地域社会を築いてきた双葉町や大熊町は第1原発の廃炉によってその「豊かさの基盤」を失うのである。第2原発のある富岡、楢葉町は今避難を余儀なくされているが、今後の復興の道のりは険しい。

10) 「原子力発電と兵器転用」 田窪雅文  ウエブサイト「核情報」主宰

本章は原発使用済み核燃料の再利用と兵器転用の危険性を、核セキュリティの観点から米国公電を漏出させたウィキリークスの資料をもとに警告を発するものである。原発安全神話と米国核傘論に冬眠する日本の為政者には耳の痛い論議である。使用済み核燃料の再利用のためプルトニウムを抽出する核燃料サイクル事業が原爆の原料と化す可能性と、日本がプルトニウム大国である現実が即ち核ハイジャックの対象と考えるのは、それは国際政治の世界であり、本書の喫緊の議論では無いので省略したい。

第W部 「原発をどう終らせるか」
11) 「エネルギーシフトの戦略」 飯田哲也  環境エネルギー政策研究所所長

日本のエネルギー・原子力政策はエネルギー安全保障でも、地球温暖化対策でも、原発安全性においても手ひどい失敗を重ねながら、政官財の古い構造に支えられて存続してきた。根強い「20世紀型パラダイム」に留まって居る深因には三つある。@日本的に特異化した「知のガラパゴス」という状況、A各省庁が独立王国のように政治的決定を繰返す「仕切られた多元主義」、B電力体制が江戸幕府の藩のように「地域独占性」と生産から流通までの「垂直統合」という、企業にとってきわめて合理的で効率的な体制が自由な進歩を阻んでいる。今回の巨大地震と原発事故は日本のエネルギー政策を根本からなりなおす機会を与えているのではないだろうか。世界の自然エネルギーへの投資額は2010年には20兆円規模と拡大している。しかしその市場はほとんどが日本の外にある。地球温暖化の実施により国内経済GDPがどれだけ低下するかという経済モデルでは国民一世帯当たり36万円の負担増となるといった、分りやすい誤りに陥ったままである。過去の公害規制が産業界にイノベーションを引き起こし、経済成長をもたらしたという「ポーター仮説」が重要である。大規模企業やエネルギー多消費産業が蒙る損害ばかりを計算し、省エネ家電・電気自動車・太陽光発電といった「エコロジー近代化」側面を見ていないのである。欧州では2000年以降、風力・太陽光・天然ガスといった「クリーン御三家」へのシフトが加速した。1990年から2007年のGDPの増加と炭酸ガスの増減を見ると、日本は炭酸ガスは10%増加してGDPの増加が20%に留まっている。それに対して欧州各国の炭酸ガス減少率は10%-20%で、GDPは30%ー50%も増加している。欧州の電力構成は天然ガス・風力・太陽光の順であり、日本は石炭・石油・原子力・天然ガスという順である。「エコロジー近代化」とは「環境政策に経済原理を活用し、経済政策に環境要素をとりいれる」ということである。日米では1980年代ー1990年代の新自由主義(新保守主義)で環境政策が著しく弱体化した。地球温暖化対策COPにおいて、学会と環境省は「エコロジー近代化」思想を学習してきたが、環境問題への経済的手法の導入に経産省などの旧世界は頑固にこれに反対してきた。1990年より欧州はエネルギーシフトを成し遂げたが、日本は短期的に低コストであった石炭発電を復活させ、石油から石炭にシフトしただけであった。ドイツでは自然エネルギー発電を6%から17%に増やし、今後の10年で25%を目指している。日本でも自然エネルギーの「固定価格買取制度」による需要喚起型の普及政策に改めなければならない。

12) 「原発立地自治体の自立と再生」 清水修二  福島大学経済経営学類教授 地方財政学

本章は、伊藤久雄氏の「原発依存の地域社会」と重なる部分が多いが、原発が消えた後自治体はどう再生できるのかに重点を置いている。大震災の後停止した原発た定期点検中の原発の立地する自治体の対応を新聞記事は、各道府県知事は原発の危険性への懸念を表明しているが、原発の地元市町村長は原発運転再開を求める声が大きいと伝えている。地元にとっては「迷惑施設」を受け入れた見返りの電源三法による振興策は手っ取り早い地域振興策である。問題は今回の福島第1原発事故で「原発は危険である事が分ったが、いまさら手を切るわけにもゆかない」という悩みであろう。「電源立地効果の一過性問題」で地元には一時的に金が入り、一躍トップクラスの所得水準になるが、原発の建設が行なわれると大きな産業構造変化を伴う。電力業界が第3次産業である事から第3時産業比率が一挙に高まり、一時的に建設業という第2次産業が栄えるのである。だから地元は「原発の増設」を願い、夢よもう一度と地元政治家を動かす。「原発は麻薬だ」といわれる所以である。市町村は挙げて城下町になり地域経済の自律性は喪失される。首都は膨大なエネルギーによって動く魔物であるから、富が集中し人を吸収する。富(権力)が集中するところはリスクも高いのであるが、リスクを富の配分において不遇な地域に転嫁させる。都市と過疎地はとても平等な関係ではなく、むしろ一種の支配隷従関係、あるいは「差別の構造」である。福島第1原発のお膝元双葉町は間違いなく廃炉の運命を迎えるだろう。麻薬が切れて「無原発状態」になると、「復興から再生へ」というビジョンをどう描けばいいのだろうか。その際参考になるのは、新日鉄の城下町であった釜石市の再興事例である。1万人近い雇用が事業撤退の危機に瀕せられた。釜石市は毎年1000人の人口減少となったが、見事に復興した。地域内部の資源と人材による「内発的発展」の戦略を追及しなければならない。地元自治体に原子力専門家が1人もいない東電に「オンブにダッコ」の行政から、、別の麻薬(巨大企業誘致)を探すだけの行政では自立と再生は覚束ない。

13) 「経済産業構造をどう変えるか」 諸富 徹  京都大学経済学研究科教授 財政学・環境経済

短期的には電力不足から様々な経済産業構造の萌芽的変化がうかがえる。長期的には経済産業構造の根本的変化を「第3次産業革命」に求めることになろう。30%の原発依存電力から脱するために短期的な要点は次の三点である。@省エネ・効率向上で電力需要を大幅に節減する。A自家発電や蓄電池を整備して、既存電力会社によらない電力供給システムを構築する。B再生可能自然エネルギーを飛躍的に拡大する。まとめると「集中電源・中央制御」を特徴とする電力供給システムから、省エネと自然エネルギーに支えられた」分散型ネットワーク社会」への移行である。電力不足と安定供給は電力会社のプロパガンダであろう。つまり「原発か停電か」という2者択一をせまるのである。このような脅迫に乗せられてはならない。別の選択肢を考えなければならない。「分散型電力供給」については、電力料金上乗せとか引き取り拒否とかで電力会社は抵抗してくるだろうが、「固定料金制度」によって法でもって強制しなければ、電力会社は各個撃破してくるだろう。原発事故による電力不足から遁れるための緊急対策が、意図しない形での新しいビジネスと産業発展を作り出し、長期的には電力多消費型の経済・産業構造を変革するに違いない。中央集中と制御(規制)を特徴とする官僚システムが今回の事故で破綻したのである。危機の前では硬直したシステムは張力にたえない、ネットワークの柔構造がよく張力を吸収する「柔よく剛を制す」のである。旧産業を代表する日本経団連会長の電力会社と原発擁護論にはそろそろ退場願わなくてはならない。

14) 「原発のない新しい時代に踏みだそう」 山口幸夫 市民のための原子力資料情報室 物性物理学

フィンランドに作ろうとしている地下岩盤特性調査施設「オンカロ」とは、世界でただひとつの「放射性廃棄物処分場」の予定地のことである。放射性物質の半減期の20倍の期間を一応の放射線影響がなくなる目安に考えられている。それは(1/2)^20でつまり100万分の1の強さに減衰する。たとえば短いものでヨウ素は半年であり、セシウムは600年、長いものでプルトニウムは50万年である。欧州では放射性物質の保管期間を10万年とみなした。原発の使用済み核燃料の後始末は厄介なものである。まして原発事故後の核燃料はどろどろに溶けたスラグ状の鉱滓であろう。スリーマイルズ島原発の核燃料を取り出せたのは10年後であり、チェルノブイリ原発事故では核燃料は爆発したのだから全体をコンクリートの厚い壁で「石棺」で覆い隠すしか手はなかった。コンクリーとの寿命は100年とされるがそこまで持つかどうか確証はない。1998年に運転を終了した東海原発の廃炉撤去には、2020年までかかるとされている。福島第1原発の事故炉の撤去の経験は無いのだが、恐らくその場における密閉管理(チェルノブイリに同じ)とならざるを得ないだろうと見られる。白日の墓場となるであろう。福島第1原発事故後4月1日に、これまで原発を推進してきた中心的な学者たち16名が連名で国民に謝罪するという、異例の記者会見があった。それに対抗するかのように4月27日、34学会の会長声明が出され「日本は科学の歩みを止めない」とした。この声明には科学者としての事故を起こした反省も謝罪もなかった。専門家とか学会とは一体なんだろうか。数々の公害、事故を引き起こしてなお「科学」の御旗のもとで反省がない。科学とは日本では「天皇制」と同意味でこれに異議をとなえると「非国民」、「非文明人}と非難される。2007年の新潟中越地震で柏崎刈羽原発はすべて運転中止に追い込まれた。新潟県は技術委員会に原発賛成派と反対派の学者2名づつを加えた。ところが従来の官製審議会の委員はすべて結論賛成派だけで構成され、たまにタレントなど毒にもならない委員を加えることがあっても、結論反対派の学者は「小骨を抜くよう」に丁寧に排除されている。これらの結論賛成派を称して「御用学者」という「曲学阿世の輩」という。御用学者は「戦略的研究資金」というニンジンで常に養成されているのである。34学会の数だけ集めた学会長は恐らく学会には諮っていないであろう。学会といっても学会を代表していない権威だけを利用したいかにも官僚御用達の「重鎮」なのだろう。


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