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内橋克人編 「大震災のなかで」

 岩波新書 (2011年6月)

「私達は何をなすべきか」−各界33名の発言

2011年3月11日の大震災は何を問いかけているのか。自然災害である震災と津波、福島第1原発の炉心溶融を招いたのは電力政策の人災とは言えないだろうか。被災者は大きな悲しみと喪失感の中で生きてゆかなければならないとして、私達はどう向き合えばいいのだろうか。現地で活動を続けてきた医師・ボランティアをはじめ、作家・学者ら33名が震災の意味と復興の形について発言する。緊急出版の呼びかけに応じた33名の人々はいわば「岩波文化人」で、岩波新書などを執筆したことのあるひとである。

0) 「序にかえて」 内橋克人 経済評論家・作家

災害に打たれた被災者への救済のあり方、人権意識、復興の進め方、すべてが私達が生きている国と社会に対する問いかけである。巨大地震・津波災害は「突然の死」をもたらすが、原発事故災害の放射能は「遅れてくる死」をもたらす。福島第1原発20Km以内の行方不明者を探しに行くことも出来ず、見出された遺骸はDNA鑑定で身元を確認するしない。このような無残を、私達と後に続く世代は許すことがあるだろうか。放射能に追い立てられた「計画的避難区域」のひとつの村である飯館村1700世帯、6200人は「土を返せ」と叫ぶ。2010年6月に成立した民主党政権は官僚の作った「エネルギー基本計画」を了承した。石油高騰を受けて2030年までに電力の原発依存率を50%とするため、現在ある54基に加えさらに68基を新・増設し「合計122基構想」が立てられた。震災後5月中ごろになって菅政権はこの基本計画を見直すと発表した。ところがこの原子力政策を戦後一貫して推し進めてきた自民党は、今政権の座にいない事を幸いにだんまりを決め込み、自分の責任を民主党に押し付けて政権つぶしに躍起となっている。これではこの国は救いがたい。

私たちの国と社会が特定の意図を持つ政治権力によって、常にねじ伏せられて異議を申し立てることも出来なかった。石油のない国が電力を原発に全面的に依存する政策がはたして正しかったのだろうか。島国日本の哀れというか、欧州では地続きであるので原発反対のドイツや北欧諸国がフランスの原発電力を購入することが出来る。しかし原子力は人間の手に負えるのだろうか。チェルノブイイ、スリーマイルズ島の事故、そして今回の原発事故は「ノー」を突きつけた。国連人権規約第11条は「一定の環境条件を満たした住居に住む権利は,人間として最も基本的な生存権」と定めている。日本国憲法も第25条に「健康で文化的な生存権」を定めている。原発事故は福島第1原発30Km以内の住民から土地を奪い、生存権を取り上げた。日本の革新政治勢力にとっていつも不幸なのは、阪神淡路大震災のときは社会党の村山富市首相であったし、今回の東日本大震災のときは民主党の菅直人首相であった。本当の責任政党である自民党はにんまりと責任を回避できた。もう長い間、弱者切り捨ての政治と経済の原理が闊歩した。「格差」、「貧困」、「社会的孤立」というバブル崩壊後の社会構造はこのときとばかりと被災者に襲いかかる。私達は巨大複合災害から人々の命を救う国、政府の意思と行動をこそ、厳しく見つめ、促し続けなければならない。そして被災者には何にもまして一人ひとりが生き抜くとこころに叫び続け、気力を取り戻して欲しい。

1) 「私らは犠牲者に見つめられている」 大江健三郎 作家

本稿は3月17日フランスの「ルモンド」紙記事に加筆したものである。大江健三郎は、1954年水爆実験被爆漁師(大石又七氏)の核抑止力神話の欺瞞を暴くことに半生を捧げてきたこと思い出すという。この漁師は原子力発電をも告発してきた。なお「あいまいな日本」であり続けるこの国の現代史を、広島・長崎の原爆で亡くなった人、ビキニ環礁で被災した漁師から今回の原発事故を結ぶと、そこに現れてくる悲劇は決して曖昧ではない。事実は曖昧ではありえないのに、支配者はあいまいにして自分らの責任から国民の目をそらそうと躍起になる。パニックになっているのは国民だけでなくそれ以上に支配者のほうである。戦後の政権は、平和、軍備放棄、非核三原則さえ曖昧にして、アメリカの核抑止力への理由のない信頼、それと原発の安全性への理由のない信仰に埋没した。世界の核兵器への信頼を告発し、その明確な危険性を訴えることは、自らを広島・長崎の犠牲者と同じ場所に立つことです。今回の原発事故の恐ろしさは破綻している「あいまいな日本」の逃れがたき現状である。「あいまいな沖縄」も破綻している。沖縄ももはや持続不可能である。過去についての国の過ちをはっきりさせないでいる。その国の人間に対して責任を取らずにいる。このような国と政府にはっきりとノーを突きつけなければならない時が来ている。

2) 「私達が知る日本の終わりなのか?」 テッサ・モーリス・スズキ オーストラリア国立大学教授 日本経済史

近代日本はこれまで幾多の悲惨な破壊の経験を積み重ねてきた。1923年の関東大震災、1945年の空襲と原爆投下、1995年の阪神淡路大震災、そして2011年3月11日の東日本大震災と福島第1原発事故である。関東大震災は火災と治安不安によるデマ、1945年には空襲は火災、原爆は今回と同じように放射能被害、阪神淡路大震災は地震倒壊と火災という特徴は異なるがいずれも大きな災害をもたらした。今回の東日本大震災は地震と津波、原発炉心メルトダウンによる放射能被爆であった。1923年の関東大震災の教訓により、日本政府は都会の近くには原発を置く事を避け、中央集権制の都心が麻痺する事を恐れ、原発はもともと危険であると云う認識で原発を過疎地へ持っていった。したがって原発にはもともと都会と地方の格差問題も絡んでいる。もし原発安全神話を本当に信じている人が政府にいるならば、「東京に原発を」ということも可能だった。権力者も安全とは信じられない事を、地方の人々の貧困に乗じて持参金付きで地方に原発を設置したのだ。原発事故によって露呈した、これほど著しく腐敗し破綻したシステムを生み出した責任は、現在の野党である自民党の戦後60年間の治政にある事は間違いない。この国の抱える問題に対応してこなかった、硬直した官僚制や政党政治・メディアの仕組みに、抜本的な再考を促す好機でもあるはずだ。特に国民の目をくらまし騙し続けた第3の権力メディアの責任は重大である。

3) 「原発震災と日本」 柄谷行人 評論家 哲学者

武田泰淳や坂口安吾らの戦後文学はいまや誰も読まなくなっている。しかし彼らは権力が崩壊した廃墟で問うているのだ。人は廃墟の上でしか、新たな道に踏み込む有機を得られないのである。坂口安吾は「もっと堕ちよ」と言ったが、その言葉の意味がいまリアリティをもって聞こえてくる。1980年代に反原発闘争があったが、いつの間にか無関心無力になってしまった。これは原発推進側がメディア、大学、地方自治体、労働組合などを押さえ込んでいったからである。日本での中間勢力である、労働組合、大学、差別反対勢力などは、バブル景気のなかで「総中流化」が実現したかのような幻想に取り込まれた。1990年代より新自由主義の風潮のなか、大学の民営化により大学を競争原理のもと文部省の支配下に置いたのである。大学は資本=国家に従属した。こうして政府、官僚、電力会社、メディアは今回の震災と原発事故に対して、日本人が立ち上がることは無いだろうと最初高をくくっていた。既に骨抜きにしてあると思っていたからだ。「脱原発」とは権力者の再構成を意味する。資本国家の専制体制が解体されないかぎり、日本の新生はありえない。それらの権力機構が生き残ると「あいまいな日本」が残留するのである。戦後天皇が生き残ったように、資本=国家の専制が生き残ってはいけない。

4) 「東北関東大震災に際しての考えと行い」 中井久夫 精神科医 

今度の大震災では東京が周辺地帯にあって無傷でいたことが最大の問題ではないだろうか。机上の空論家の官僚機構が元気なままでいたことで、震災後の施策をやたら官僚統制化に置こうと張り切り、阪神神戸大震災でかつやくした救援隊NGOを拒否したり、個人の医師でさえ統制団体以外の立ち入りを邪魔者扱いにした。官僚は統制していないととても不安症候群になる生き物のようです。

5) 「想定外の大震災とは」 竹内 啓 経済学 統計・科学技術論

「マグニチュード9.0に達する巨大地震が発生し、高さ20メートルを超える津波が引き起こされた」様な可能性はもともと小さいもの(千年に一度)であったので、「想定外」という言い方は責任を逃れるための言い分に過ぎない。もともと洪水などに対処する堤防や治水工事などは、水文学で予想される水量から設計するものであり、千年に一度のようなことはコスト高となって採用し得ないのである。だから「想定外」という言い方は嘘である。自然現象は確率は小さくても遁れ得ないものであり、結局避難方法を考えていなかったのである。つまり対策は2段構えになっていなければならない。第1段は防ぐこと、第2段は防禦が破られたとき、津波から逃げて生命を救うことである。原子力発電所についていえば、防災の第1段階は発電所が損傷を受けない設計にする、第2段階は損傷を受けてもフォローする手立てを二重に用意しておくことであった。第1段階はやむをえない天災であって、第2段階を対処していなければ人災である。フォールセーフが出来なければそのシステムは運転してはいけない。福島第1原発の場合(どこの原発でも同じなのかどうかは分らないが)4つの非常用電源が同時に破壊されたことに問題があった。炉心メルトダウンに対してどこまで対処しえたのか。東電の見方の甘さと秘密主義は告発されてしかるべきである。

6) 「文明の転換期」 池内 了 総合研究大学院教授 宇宙物理学

寺田寅彦の「災難雑考」には、科学の力で災難は人為的にいくらでも軽減できるものであるが、それを逆に考えると人間というものを支配する不可抗力的な力が働くと人災は避けられないというパラドックスに陥る」とかなりシニカルに述べている。わかりやすくいうといくらか学者が防止法を考えても、政府がそれを採用しないこともあり、誰もが軽く考えているような社会の風潮下では、何を言ってもだめだという絶望感を言っているのだ。今日では「専門家の社会的責任・倫理観」が強く要請されている。原発事故が人災であるなら専門家の責任は重い。天皇と軍部の戦争責任を問い詰めることがなかった日本では、無責任体制が骨肉化している。誰も愧じるものがない。「原発稼動差し止め請求」が起こされて当然である。これまで裁判では「安全」という判決が出ているが、今回の事故を受けて裁判官という専門家の社会的責任を問うべきである。日本社会に巣食う無責任のまま事をあいまいにしておく体質は変えなければならない。さらに被害を壊滅的としないために、現代の大型化・集中化・一様化の技術体系を見直すことである。

7) 「未来への約束」 山本太郎  長崎大学熱帯医学研究所教授 国際保健学

震災直後、緊急支援NPO法人ADAMSの一員として、東京から岩手県大槌町に向かい、約400人が避難している寺野弓道場で支援活動を行なった。未曾有の津波で景色は一変していた。いくらかの医薬品と食糧、水、オムツや簡易トイレを積み込み私達を被災地に向かわしめたのは、「共感」という連帯ではなかったか。ユーモアと明るさを持って重荷を背負ってゆく覚悟があるとき、始めて私達は「復興」や「地球との共生」という言葉を口にすることができるのだと思う。

8) 「市民や企業の力、生かす仕組みを」 大西健丞 NPOピースウインズ・ジャパン代表 公益法人シヴィル・フォース代表理事

スイスで大震災の報を聞き急遽帰国し、3月13日ヘリで宮城県上空から被害状況を見た。NPOピースウインズ・ジャパンと公益法人シヴィル・フォースは救援物質の調達と輸送を開始し、震災後1ヶ月で200トン以上の物資を運んだ。阪神大震災や中越地震と較べて、被災者支援の遅れや地域格差のあまりに大きいことに気がついた。宮城県沖の諸島は完全の孤立していた。瀬戸内海の退役フェリーを回してもらって連絡がついたのはなんと震災後47日もたってからであった。政府担当者は阪神淡路大震災の経験から計画を立てたようだが、福島第1原発事故が起きたため、支援計画は全く通用しなかった。10万人の自衛隊の活動が無かったら、第2次災害はもっと大きくなっていただろう。米国には災害時の対応の司令塔であるFEMA(連邦緊急事態管理庁)という専門組織があるのだが、阪神淡路大震災後自民党政府は何の手も打たずに放置し今回の災害を迎えた。震災の規模を大きくしたのは我々が自民党政府という「人災」を抱えていたからである。菅民主党政権は「復興構想会議」を立ち上げたが、13万人にのぼる被災者の生活環境改善が喫緊の課題である。復興計画を担う人々は、現地に赴いて住民にとって何が幸せか丁寧に聞き取ることが先決である。強制移住、ニュータウン建設が従来の土建行政で行なわれたら、住民のコミュニティはブルドーザーでズタズタに切り裂かれ、ぺんぺん草もはえないこころの砂漠地帯を招くであろう。

9) 「フードバンクにできること」 NPOセカンド・ハーベスト・ジャパン

セカンド・ハーベスト・ジャパンは2000年山谷の炊き出し食材の調達活動で生まれた。食品メーカー、小売業、農業法人などから余剰食品を引き取り、施設や救援所に無償で届けることが仕事である。つまり社会のセーフティネットから漏れる人々(全国で75万人以上と推定される)への緊急支援を使命とする。関東地区で現在674社がパートナーとなって頂いている。3月11日夜、東京の帰宅困難者へのスープ無料配布を行なった。震災直後に東北入りをして、仙台のNPOフードバンク東北AGAINと連携した。通常の炊き出し活動を停止紙、緊急支援に集中した。200名以上のボランティアが東京から物資の輸送に協力してくれた。自衛隊や行政にしか出来ない仕事、民間にしか出来ない仕事が補完し合いながら緊急支援は成り立つものと思う。

10) 「障害者救援本部から」 中西正司 DPI(障害者インターナショナル)日本委員 全国自立生活センター協議会

介助者が障害者の家にガソリンが無くて行けない、オムツがないなどの訴えに、物資をあるところからかき集めて輸送した。国や公共機関の被災者支援は一律の支援を目指すが、NGOは障害者や高齢者などの目の前にいる相手のニーズにあう支援を行なう。全国自立生活センター協議会が目指したのは個別の被災障害者の支援である。障害者は避難所では生きてゆけない。施設居住の障害者は施設ごと別の施設に避難し、もとの場所には誰もいなかった。障害者支援のため緊急に必要な人材の確保と、ボランティア募集を始めた。もともと被災地は介助サービス過疎地であり、地元の介助者養成が必要であると感じられそこから雇用も生まれるのではないか。緊急避難的に厚労省と連絡を取り宿泊施設つき障害者総合福祉センターに34名の障害者を送った。政府や県の復興構想会議のメンバーには現時点で障害者は1人もいない。多様な当事者がいてしかるべきであろう。復興と福祉は矛盾してはいけない。復興のためと称して福祉を切り捨てては、障害者はさらに窮地に追い込まれる。

11) 「災害時にこそ日頃の介護が露呈する」 三好春樹 生活とリハビリ研究所代表

被災時に要介護高齢者が「物のように一度に大量に運搬される」ことが多く見られたが、それまでの日常生活でも同じようなやり方を繰り返していた介護事業所ではなかったか。すぐにで避難しなければならない人、もう少し後でいい人、高齢者同士で仲のいいグループは、どのスタッフが誰に付き添うべきかなど個別性を非常時だからこそ考慮すべきではないだろうか。「認知症介護7原則」には3つの変えないことがある。環境、生活習慣、人間関係は変えてはいけない。変えると高齢者は混乱して、生活意欲がなくなり、免疫力や抵抗力が減退する。肺炎、心不全、脳梗塞で死に至るのである。震災や津波の場合にはこの7原則を破ることばかりが起きる。高齢者には死ねといわんばかりである。実際多くの高齢者が避難や移住のために亡くなっている。昨今介護は「施設から生活の場」へという合言葉によって、家庭や町の中に高齢者の生活基盤を置くようになり、それが今回の災害では海岸に近い施設や家は津波の直撃を受けた。国策に協力してきたのにという悔やみが聞かれる。国策だからこそ信用してはいけない。本当に必要なことは民間でやる。必要がない国策を権力を使って強制するのが官僚の施策である。原発安全神話によって、事故が起きたときの対策はタブー視されてきた。今回の原発事故では、30Km以内の施設は予め圏外の施設と契約を結んでおいて、職員同士と入所者同志が交流して顔見知りになっておくことが必要であるということが教訓として残った。もし今回の事故で原発廃止国民投票という意見が多数を占めると、恐らく権力はこれまで原発反対者を脅すために使っていた暴力団や暴力装置、村組織を使って鎮圧にかかるだろう。原発周辺の高齢者施設は自衛策を講じておく必要がある。

12) 「生きていることと生きてゆくことー高齢者へのまなざしから」 川島みどり 日本赤十字看護大学客員教授 

避難所生活のストレスから、一度は助かった命が寒さや慢性病の悪化により断たれる事を「震災関連死」という。飲む、食べる、息をするという「生きている」ことが日々順調に行なわれために、水道、照明、住宅、トイレなどの生活手段を用いながら、その充足を目指してゆくことを「生きてゆく」という。高齢者はハード面での生活手段環境が整っても、自ら再起不能と決めてしまう傾向にあります。それはこれまでの生活習慣が避難所生活のためにほとんど崩れてしまっていることが原因である。トイレひとつが不完全な避難所生活は高齢者にとって、非常な苦痛となります。高齢者に寄り添って時間をかけて話を聞くことがまさに看護の原点であろうと思います。ケアーという生活支援では介護と看護の協動が必要で、そのためにもリタイヤーナースによる被災地支援プロジェクトを立ち上げるべく準備しているところです。

13) 「地域密着型テレビの役割ー全画文字放送の試み」 若林宗男 (株)ジュピターテレコム制作部長

J:COM仙台メディアセンターを運営をするために震災直後から仙台に入った。ケーブルテレビ局は、地方の地上波テレビの再送信とそのエリアの自主放送(コミュニティチャンネル)を提供している。この大震災をうけて、J:COMは「被災地の外にいる人々に見せる衝撃的な映像を集めることはしない。被災者が生きてゆく上で必要な情報を届けよう」と決めた。そこで市役所の情報を読むテレビとして「全画面文字放送」を開始した。これを5月連休まで取り組んで、仙台市民への情報提供に徹した。これが市民の情報源として重宝がられた。今は特別番組「仙台大震災から3ヶ月」に取り組んでいる。

14) 「大津波がのみ込んだものー震災と伝統仏教」 高橋卓志 神宮寺住職

震災後、福島県、宮城県で医療支援に取り組んできた。僧侶として南太平洋の戦没者遺骨収集、チェルノブイイでは子供の死を悼み、タイのエイズホスピスでは現地の僧らと見送りの儀式を行なうなど、いつも人の死の周辺を歩いてきた。今回の大震災と津波の遺体安置所での読経が日課となった。ヨーロッパのペスト疫病の流行は大量の死者を出し、大量の死は社会構造や宗教のあり方を変えた。宗教改革やルネッサンスとなって社会を変えたのである。死者を丁寧に葬ることさえ出来ない被災地に寄り添うことが私の務めである。

15) 「家族を亡くした遺族のために」 清水康之 NPO法人自殺対策支援センター代表

大震災後「死別・離別の悲しみ相談ダイアル」を立ち上げ、遺族の話を聞いている。人間は人と人の関係性の中で、自己の存在意義を見出すものだ。生き残った人は「サバイバ-ズギルト」という罪の意識に苛まれている。その「人間的な痛み」は復興のビルが立ち並ぼうとも癒えはしない。人間性を犠牲にした利便性や効率性は結果的には酬いられないということを、社会全体で自覚するが必要である。「人間的痛みからの回復」とは「大切な人が亡くなった喪失感の現実を受け入れ、そして故人との新たな関係性の中でその人らしい人生を歩んでいける」ことではないでしょうか。人生で最大のできごとは「大切な人との死別体験」であり、人間的痛みからの回復は他者への思いやりに変わる。

16) 「福島からーふるさとへ帰る希望をもって」 丹波史紀 福島大学行政政策学類准教授 社会福祉論

今回の原発事故では、「避難指示」、「屋内退避」、「計画的避難」、「緊急退避準備」地区など様々な区域が設定され、被災民は翻弄された。「緊急退避準備」地域では入院受け入れは制限されている。4月19日現在で県民の5万6000人が避難し、このうち3万人が県外に流出、うち生徒・学生は8000人を超えている。福島県は旅館やホテルを二次避難所に指定し、東山温泉は大熊町の2600人を受け入れた。被災者はいずれ応急仮設住宅に入居するだろう。これも2年以内という制約がある。中越地震の際、山古志村は「コミュニティの維持」を貫いて、4年ほどで村民の7割が村に戻った。福島県の課題は、ひとつに避難所、仮設住宅の孤立化を防止しコミュニティ単位の生活を心がけることである。2つ目に県外に避難した被災者の故郷へ帰りたいという気持ちを尊重して政策を打ってほしい。三つ目に原発事故収束後の復興計画に、被災者の気持ちを入れてゆくことである。

17) 「女性の震災経験を伝え続けたい」 二瓶由美子 桜の聖母短期大学准教授 女性学

福島市内にある桜の聖母短期大学の卒業式リハーサル中に大震災が起きた。学生を励まし市役所に避難し、家族の迎えも来て無事避難生活は終ったが、原発周辺からの避難者が福島市に移動してきた。4月に入って二次避難所として温泉や旅館が指示された。トイレ、洗面、睡眠、プライバシーなど避難所における女性の不安は「災害と女性」ネットで指摘された通りであるが、それを県の対策本部に提出した。今回の経験から次の3つのことを強調したい。ひとつはあらゆる場における男女共同参画の推進であり、第2にメディアの地方への視線である。中央メディアは東京の事しか伝えない。地方ラジオ局だけが地元の事を伝えてくれる。第3に公務員を初め被災者でありながら被災支援で働く人への特別措置である。

18) 「試練が希望にかわるときー釜石にて」 玄田有史  東京大学社会科学研究所教授 希望学

岩手県釜石市は近代製鉄発祥の地で、戦後新日鉄釜石ラグビー部が日本選手権を7年連覇するなど地方の希望の星であった。同時に戦前には2度の津波経験を持ち、終戦時は艦砲射撃で壊滅し、高度経済成長後に産業合理化で釜石製鉄所が整理統合され多くの雇用を失った。しかし釜石は希望を失っていなかった。新技術と企業誘致により、高い収益性を有する基盤を作ってきた。1990年に716億円まで落ち込んだ製造業出荷額も2008年には1367億円までに回復した。その中での大震災であった。市民が立ち上がるには住宅や医療と並んで雇用の確保が必要である。建設関連だけでは釜石は復興しない。歴史には常に理由がある、地方の実情を知らないと無駄な投資と計画ばかりとなる。

19) 「これからの住まいをどうするか」 塩崎賢明 神戸大学教授 都市計画・住宅政策

住宅復興の目的は、被災者が安定した生活を営むための住まいと住環境を取り戻すことであるが、単にハコモノを作ることではなく人間関係を回復するものでなくてはならない。つまり暮らしの再建である。復興諮問会議が基本方針に掲げる「創造的復興」には「住宅・学校・病院を高台に、港や漁業拠点は5階以上の強固なビルに」という変に具体的な姿を描いている。被災者を飛び越してハードな目標には違和感を覚える。阪神淡路大震災の「創造的復興」とは当時の兵庫県知事が21世紀にふさわしい復興をと言い出したものである。そしてそれに16兆円の金がつぎ込まれ、インフラはいち早く回復し、神戸空港や新長田再開発などの巨大プロジェクトが展開された。結果的には立ち上がれない被災者を生みだし「光と影」をもたらした。仮設住宅や公営住宅で孤独死した人は914人に達した。新長田再開発できた商業ビル群はいまや空き室だらけである。公営住宅は20年の契約期間が着たら転居せよという。これでは「復興災害」ではないか。儲けたのは建設関係者ばかりといういかにも自民党のやることである。今回の東北地方の大震災は阪神大震災と違って、都会を再建するのではない。地方を再建するのである。仙台市を除いてもともと過疎地であった地域に商業ビルは需要がないし、地方の生活基盤を復興することは官僚の手に負えるものではない。資本を持たない人に対して、自立支援という言葉も空虚に聞こえる。

20) 「広域液状化と闘う人々の力」 平 朝彦 独行法人海洋研究開発機構理事 地質学

千葉県浦安市舞浜に住んでいる著者は、震災時の液状化による地盤沈下によって甚大な被害を受けた地域の自治会の対策本部で活動した。付近を調査して回ったところ昭和40年代に始まった埋め立て地に被害が集中していた。自治会は4月初めに住民説明会を開催し、1000名以上の住民が集まり、広域液状化の実態、インフラと町並み復旧へのロードマップなどが説明された。今回の地震・津波は、地球科学を研究するものにとって、学問の常識を破壊するに十分であった。正確な津波警報システムの設置が必要であり、海洋ブイ式津波計の設置を実現したい。

21) 「ふるさと再生有縁コミュニティ住宅つくりへ」 延藤安弘 建築家・都市計画家

東北各地の被災地は迫り来る過疎化や高齢化を克服して住まいコミュニティ作りの道を探り当てることが出来るだろうか。今日本は「無縁社会」とか「絶縁体」となる可能性がある。これまでの価値観が経済至上主義や効率最優先、技術偏重にあった事を反省し、住まいコミュニティが環境、福祉、エネルギー、職業、食文化、住まい、教育などの素材の中で創造してゆくべきものである。復興住宅つくりはどうあるべきかは住民参加の上で、居住地の新しい場所への移転か、現地での再建かなどの意思決定が必要とされる。著者はこれを「ふるさと再生有縁コミュニティ住宅」と呼んで、「記憶と希望」を合言葉に考えてゆきたいという。

22) 「労働者のライフラインを再構築する」 中野麻美 NPO派遣労働ネットワーク理事長 日本労働弁護団常任幹事

野村総合研究所は震災の経済への影響を次のように予測している。震災1年後に東北3県で職を維持できる者は71万人に止まり、職を失い県外で職を求める者は4.5万人に上がり、震災6年後には前者は67万人に縮小し,後者は8.2万人に増加するであろうという。日本経済全体では電力不足から12万人の雇用減少、月額14000円の所得減をもたらす。震災は雇用を直撃する。すでに震災直後から非正規雇用を削減する動きは早い。被災地に特区を設けて大規模な規制緩和を図り、投資を呼び込むkとによって新たな雇用を生み出し、第1次産業を再編して競争力を強化する構想も飛び交っている。日本経団連は政府に対して事業主の雇用維持に対する支援とともに、弾力的な労務管理の容認を求めている。時間外労働に規制緩和、有給休暇の時節変更権の行使などである。労働者のインフラである雇用を確保し、医療・介護・福祉などのセーフティネットや自治体の機能強化などが急がれる。被災者失業者を雇用し、地域経済の早期復興をはかる労働対価による支援プログラムがもっと強力に実施されるべきである。労働法規制を取り払った「特区構想」は事業主重視の政策であり、さらに労働者の配分の前提を欠いている。震災を契機に都市と農村の格差は、被災者雇用の確保が実現できなければ、一層亀裂が深まるだろう。自立できないほどの低賃金や労働の買い叩きは、労働市場の再生不能な砂漠化をもたらす。いわば貧困ビジネスである。それはいずれ国内市場の減退となり日本産業と企業の衰退をもたらすことは必至であるのだが、短期的には経営者はこの誘惑に抵抗しえないだろう。

23) 「漁業の復興に必要なこと」 加藤和俊 東京大学社会科学研究所教授 近代日本経済史、水産経済

東日本大震災の被災者は津波の被害が大きかったことから、沿岸地域に集中しており産業としては漁業とその関連産業が打撃を受けた。漁業者に係る物的被害の第1は、漁業関係の共用施設であり、漁港、魚市場、漁協施設、冷蔵庫などである。漁業者の出資金で成り立っているものが多い。ついで漁業者個人の所有物である、漁船、漁具、網、養殖施設であった。そして第3に住宅である。津波の後にはやる言葉は「住まいは高台に、作業所は漁港付近に」であるが、移住後ほどなくして人々は元に戻ってくる。それでは生き残った漁業者は生活を再開できるのだろうか。被災者生活再建法によって、住宅には最高300万円が支給される。しかし漁業用設備には給付金は下りない。保険で船を買うことは、古い船は船齢20年で簿価はゼロであるので、現状では殆ど保険は期待できない。家族経営の沿岸漁業もかなりコストを要する。夫婦で働いている沿岸漁師の年間収入は水揚げ400万円くらいで、経費を差し引いて250万円くらいが収入となる。5トン程度の兄弟船では水揚げは1000万円程度で所得は500万円ぐらいであろう。漁船を買うとなると経費は2000万円を超える。高齢漁業者では新たな投資は出来ないので実質的に廃業せざるを得ない。第1の方向は、当面は個別経営的な対応であって、漁業規模を小さくして、生活水準を落としコストの安い漁業に移行することであろう。第2の方向は集団的、共同的対応であって、漁協が漁船を保有し、これをギュ業者が共同使用する方式であろう。いずれにせよ、漁業の再建において個人責任制の原則を廃止することである。施設の拡充と協同使用及び漁協の再建を国の手で支援することである。これを機に漁業権の解体をはかり、家族経営の漁業を企業的経営に置き換えようとする議論は危険である。漁業法の緩和を求める動きは原発や埋め立て業者の好都合な海面利用に道を開き、被災漁民が立ち直ろうとする足場を奪おうとする策謀はこれを監視しなければいけない。

24) 「教育にできること、教育ですべきこと」 佐藤 学 東京大学教授 教育方法学

4月末文部省は被災地4県の学校へ383人の加配教員を決定した。この数は決定的に不足しており、現実は全国からのボランティア教員で対応している。さらに学生への奨学金なども検討しなければならない。防災教育、放射線教育、そして10年以上の放射線健康診断予算も計上しなければならない。文部科学省は早急に放射線障害に関する研修を全国の教員に実施しなければならない。大震災と原発事故を教訓とした教育の基本は「持続可能性の教育」にもとめるべきであろう。

25) 「災害と文化ーこころ揺らぐ人々」 野田文隆 大正大学教授 精神科医

心身のケアが求められるが、こころのケアは個々人の親文化的な取り組みである。個々人の体験は内面化する認知、事件によって刻まれた感情によって固有の「物語」化がなされてゆく。東北の人は感情を表に出さず、我慢強いとされる。しかしそれはそれでいいのだろうか。こころのケアを担当する精神科医として、災害と文化という軸で考えてみたい。「東北の人は弱音をはかない」というような地方特有の「苦悩の慣用表現」を感得しないと、心の深い傷までたどり着けないかもしれない。表現にいたるまではその文化なりの「孵化時間」が必要だ。癒しの時間であったり、支援者が寄り添う姿勢であったり、回復への決意の時間であったりする。被災者を支援したい人はその時間を共有するしかない。こういう態度を精神医学の分野ではカルチュラル・コンピテンス(文化を理解し対処する能力)と呼ぶ。「がんばれ日本」、「がんばれ東北」の掛け声を負担に感じる人もいる。それは「不安」を抱えたこころ病む人々である。在日外国人であったり、マイノリティである。支援という気持ちは「助けたい」という自分のナルシズムを押し付けることにもなり兼ねない。「がんばろう」という大合唱のなかに、「がんばれない」というささやきが消し去られている。

26) 「東北の記憶の蔵を」 森まゆみ 作家・編集者 27年間地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を発行

季刊地域雑誌「谷中・根津・千駄木」は、歴史の文脈を踏まえた町つくりをするため、あえて古い記憶を掘り起こし維持し遺して、楽しく暮らすことが目的であった。筆者の治t肩は宮城県丸森町、母方は山形県鶴岡市であったので、震災地に入っても出来ることは少ないので後方支援で、物資輸送とお寺の境内で「おにぎり握り隊」の活動を始めた。友達を訪ねて4月16日宮城県の避難所にたどり着いた。しかしどうして避難民を体育館に集めるのだろう、。天井は高いしプライバシーは無いし、まして壇上から自治体の職員がアナウンスをするのはいただけない。上から目線で指示をするような構造はおかしい。別の中学校の避難所では教室ごとにコミュニティを作り、これからの町つくりを話し合う自主運営がよかった。石巻市ではプレハブ仮設住宅ではなく、木造本格住宅を建設する復興村の事業が始まった。この計画は地元産業と雇用につながるので望ましい方向ではないだろうか。国の金だから終戦後の急造バラックでいいわけではなく、丁寧な町つくりが求められる。27年間私は町の人3000人の自分史を聞き取って雑誌に掲載してきた。震災前と震災時の町・村の記憶を風化させないために、「地域の肖像画」をつくろうではないか。それを「東北の記憶の蔵」といおう。

27) 「被災地には生活が続いているー復興への視点」 湯浅 誠 反貧困ネットワーク事務局長 元日比谷公園年越村村長

今回の大震災を、明治・敗戦につぐ第3の価値転換期と呼ぶ人もいる。あたりまえのことだが被災地の人々の生活があり、それは今回の大震災にもかかわらず連綿と流れている。メディアは事故・事件を大々的に取り上げそして風化させるが、事故では生活が見えなくなってしまう。事件事故で日常性を断ち切り、リセットしてやりなおそうとする「復興プログラム」に被災地の人の生活が振り回される。これは「便乗開発」にすぎないのではないか。沿岸漁村に大きな商用ビルを建てて、地元に雇用が生まれるのか。必要なのは生活の呼応した復興ではないか。小泉改革によって経費節減から役所の人材はぎりぎりまで少なくなっていた。そこへ大震災の業務が殺到し役所は一時的な機能停止状態に追い込まれた。阪神淡路大震災時に較べて、ボランティアの役割に否定的な報道が多かった。その原因のひとつは社会福祉協議会の予算が削減の一途にあって人材は払底していたのである。この国のあり方が震災で露呈したのである。小泉改革とはグローバル経済のために、福祉と社会インフラ(セイフティネット)を大幅に切り捨てる政策であった。そして東京ではなく東北地方に地震が起きたため、都市・地域格差という構造もまた拡大して露呈した。経産省地域経済報告書「人口減少下における地域経営」(2005年)では、宮子市、釜石市の人口は2030年には25-30%減少し、総生産は15-25%縮小すると推計し、「定住自立圏構想」を謳っている。震災の3日後に出された総務省の「定住自立圏の取り組み状況」は作文倒れである事を認めた。私達は相変わらず震災前から続く問いの前に佇んでいる。どこにも便乗しない、私たち自身の生活の復興を求めて。

28) 「後戻りする復旧ではなく新しい復興計画を」 金子 勝 慶應義塾大学経済学部教授 財政学

5月中の時点で、2000以上に避難所になお11万人を超える被災者がいる。多くの人が避難所生活から脱して生活再建を目指すとき、格差も表面化するだろう。震災前の資産や震災前後の家族状況の変化によって格差は急激に拡大するだろう。資産を持たない人には自立する気がないと自己責任論で棄却され、自立しうる資産を持つ人には補助金が回るという悪循環が繰り返される。弱い立場に置かれた人々が取り残されてゆくのである。こうした事態を防ぐにはコミュニティをベースにした復興方式を考える必要がある。借金をして舟を買う人には低利融資をしたり補助金をだすという支援だけではなく、漁業権を持つものが集まって法人ないしは共同事業体を作り、国がそこへ出資資、大規模な船舶や漁業施設に投資できるような方式を認めてゆくことである。アメリカ式に活動できるものが儲けて、働けない人にはお情けで福祉の面倒を見るという方式では弱者は固定され差別される。こうして貧困層が拡大する。原発水素爆発事故と炉心溶融事故の処理は、東電を始め通産省と国の無責任体質を一気に噴出させた。「官僚は「想定外」を繰り返して免責を妥当とする。そして国は東電への融資を保証する。これはかっての「不良債権処理」とそっくりの構図である。今回の事故が収束した時点で事故調査委員会を立ち上げ、東電と国の責任を明らかにした上でないと国税を使うわけには行かない。地球温暖化防止を錦の御旗にして、石油依存発電方式を原発に誘導してきた経産省と財界の責任は重大である。

29) 「大震災と生活保障ーいかなる転換点とするか」 宮本太郎 北海道大学法学部教授 社会福祉論

社会の持続可能性に係る困難に直面していた最中に、震災という深い外傷を負った。震災を機にもはや雇用や社会保障への財源は確保できないとする主張が勢いを増し、市場原理主義の復活に道を開きつつある。阪神淡路大震災は、日本型生活保障を根本から揺るがせた。非正規労働者は1000万人を超え、15歳から65歳までの生産年齢人口は減少傾向となった。橋本龍三郎内閣は日本型生活保障の解体をめざす構造改革路線を実行し、2001年より小泉内閣は派手な市場原理主義と福祉予算の切り捨てに邁進した。今回の東北三県の沿岸部はこの格差の弱い側を代表するところで、矛盾は一気に露呈した。ある人々はこの震災復興をてこに、被災地をグローバル化に即応できる地域へ再編するという。その復興ビジョンがどれだけ雇用を生み出せるかによって、今自動車とIT産業関連を東北に移植し、他を切り捨てると被災地が抱える経済的困難は深まる。被災地復旧基金事業は短期の雇用しか生まない。生産性は高くなくとも地域社会のニーズに根付いた事業が雇用を生みだしながら、職業訓練や就労支援、子育て支援をそこへ結び付けてゆくのが、新しい生活保障の考え方である。被災地復興と生活保障の再構築は一体の課題である。

30) 「法は人を救うためにある」 津久井進 弁護士 日弁連災害復興支援委員会

阪神淡路大震災後に、「被災者生活再建支援法」、「マンション建替え円滑法」、「NPO活動促進法」、「耐震改修促進法」などが生まれたが、積み残された課題も多かった。しかし法は人を救うためにある。何でもご相談を。そこから新法が生まれる。

31) 「危険社会から安全・安心社会をめざして」 河田恵昭 関西大学社会安全学部長 東日本大震災復興構想会議委員

この章は官僚の作文のように復興構想会議の試案の項目の羅列に終始し、何が重要と考えるかというポイントが示されていないので省略する。

32) 「廃墟からの新生」 長谷川公一 東北大学教授 環境社会学

宮城県の被災地はまるで戦場だった。復興に当たってのポジティヴな要素の乏しさは隠しようもなく、東北地域だけでなく国全体の状況も瀕死寸前である。では希望はあるのだろうか。財団法人「宮城環境と暮らしネットワーク」(生協・JA・漁連・消費者・研究者)理事長である私は、無力であった事を反省し、今後は災害に強い安心安全な地域づくりのために活動したい。


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