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佐藤幹夫著 「ルポ-認知症ケア最前線」 

 岩波新書 (2011年4月)

認知症ケアを担う人が地域と連帯し切り開く先進的取り組み 

私も3年前に京都東山サナトリウムで母を見送った。93歳であった。90歳を過ぎる頃から認知症の症状が出始めたので、定年退職を期に姉らと母の長距離介護に出向いた。そのことは本HPのコーナーで「母の介護日記1−10」として紹介した。かかりつけの京都壬生回正病院のデイケアと自宅介護の組み合わせで、2年ほど通所したが、いよいよ認知症にあわせて身の回りの周辺状況もひどくなってきたので、かねてより申し込んでおいた介護施設京都東山サナトリウムに入ることにした。すると環境激変の性だろうか僅か2ヶ月で家庭裁判所で後見人認定をしてもらい介護病棟から医療病棟に移された。そしてその1ヵ月後に脳梗塞をおこして寝たきりとなり、2ヵ月後に再度脳梗塞の発作で亡くなった。京都東山サナトリウムに入れてゆっくりできるかと思っていたのだが、親不孝が禍して施設に入ってから僅か半年で葬儀を出す始末だった。今でもこの施設に入れたことが死期を早めたのではないか、自宅にいたらもう少し長生きできたのか悔悟の念は尽きない。介護開始から3年の経過であったが、これが短かったのか長かったのかそれは今でも分らない。本書にも書かれている介護者ケアラーの経験を3年間あっという間に味わったのだ。私自身もメンタルクリニックに通いながらの介護生活であったので限界だったのかもしれない。「母の介護日記3」より認知症もかなり進んだ時期の「トイレ糞戦記」を掲載して、母の冥福を祈りたい。
「介護で特徴的なことは、やはり生きることは食べることで食べれば排泄はつきもので、大変ストレスのかかる介護作業だということを実感した。当然私の母は紙おむつを使用しているのだが、家にいる時は便所を利用しているので、寝たきり病人や老人のようなベットでの排便はなく、トイレやおまるで用をたしている。しかしそれが問題なのである。週に1回くらいの頻度でトイレを便で汚すのである。衣服の脱着に手間がかかるので、ゆるい便のときは便器や衣類を汚すのである。私は耳を澄まして、母がトイレに入って5分経っても水を流す音がしない時は、まず事態を想定してトイレに飛んでゆく。すると母は下は何も着ないで、汚したパンツや衣類を手洗いをしていた。風を引かれては困るので急いで新しい下着を着けさせズボンをはかせて座らせる。それから便器だけでなくトイレ全体を水洗いする。悪臭にめげずトイレの洗浄に10分は必要である。一段落したら衣類の洗濯にはいる。紙おむつはビニールにくるんでゴミ袋へ、あまりに汚れのひどい下着類は洗濯せず紙おむつと一緒にゴミ袋へいれる。その間30分はかかる。このことがデイケアーに出かける直前に起きたらパニックになる。しかしそこでも、言葉を荒げずに「お母さんは向こうで座ってゆっくりしていてね、わたしがやっておくから」と母のプライドを傷つけずにやることがコツである。一番辛いのは母である。これだけのことに介護する人間が参っていたら共倒れだ。何回か経験すれば人間は驚かないもので、最近はストレスを感じないで鼻歌交じりに立ち向かうことが出来るようなった。糞にまみれても人間の価値には関係ないし、母親のありがたさに変化はない。母の悔しい恥ずかしい気持ちをどうにか笑って対処しなければならない。」

認知症の高齢者がどのような気持ちでいるのかという観点から、医学的に認知症を描いた小澤勲著 「認知症とは何か」 (岩波新書 2005)で、「認知症患者は自分の崩壊の不安から自己の同一性を信じて、周囲とぶつかり迷惑をかけ、自信を失ってゆく。不自由に怯え、何とか不自由を乗越えようと抗い挫折して諦め、あるいは無視して日々を生きている。この無理な生き方が知的な私をさらに破壊しているのかもしれない。従って虚構の世界でもいいからすばらしい介護を受けて揺れの少ない生活を送っておれば、ゆったりと自分の気持ちに従って安定した生活が出来るのではないだろうか」と認知症の捉え方、接し方を結論付けられた。小宮英美著 「痴呆性高齢者ケアー」(中公新書 1999)は、「認知症のお年寄りが混乱する原因はお年寄りが置かれている環境や人間関係にあると考えられ、何故異常な行動に陥るのかをお年寄りの立場から考え混乱の原因を取り除こうとする方向で対処しなければならない。認知症患者は精神的には波があって、いい時とそうでない時がある。いいときは本当にかわいいお年寄りになるのだが、不安定なときは錯乱して鬼のように凶暴になることもある。グループホームで本当にいい人間関係に包まれているときは確かにいい老人になるのである。」という。佐藤幹夫著 「ルポ 高齢者医療」(岩波新書 2009年)は小泉内閣で医療費削減のための診療病床再編問題にみる高齢者医療制度改革を「2006年6月に成立した医療制度改革関連法案の狙いは、@患者を施設から居住へ誘導する、A保険給付の削減、B医師・看護婦の配置転換にあったと言われる。しかし新聞で公表されてから半年で法案が国会を通過するというこの急ぎ方は尋常ではない。よほど議員全員が居眠りしていたのだろう。この病床再編問題には問題点が大きい。@病床から追われた患者の受け皿がないことで、居住へ送り返すことは不可能である。A保険給付の2割減という状況で医療と介護現場の質の低下が必至である。B高齢者人口の急増という現実からしてこれは高齢者切り捨て政策である。そして厚労省と医療側の攻防が続く中で、国から削減計画を求められた都道府県ではとても削減は出来ないという悲鳴に近い声が出た」と断罪する。介護保険の問題は沖藤典子著 「介護保険は老いを守るか」(岩波新書 2010年) 「飢餓と排泄の心配は介護の社会化として社会保険サービスの対象としたことは、どれほどの安心を高齢化社会に与えたことだろう。都市では朝9時ごろからディサービスのマイクロバスが走りまわっている。自転車でホームヘルパーさんがやってくる。夕方にはスクールバスならぬサービス事業所のバスが、風呂に入って上機嫌のお年寄りを家に送りとどける。介護保険は年寄りの表情や生活を変え、町の風景も変わった。それでも介護認定を受けたのにサービス未利用の方が100万人近く居られる。介護保険は10歳のまだ少年である。これからが制度の検証と理想的な姿を追求するべきときである。」と総括した。

高齢者比率が30%を超えたということが話題になるが、これは都市現象ではなくグローバルには地方過疎問題と本質を同じくしている。人口問題としての若年層減少ばかりが問題とされ、やれ小子化対策(インフレ的生めよ増やせよ式)と政府は音頭を取るが、これは本質的に都市と地方の問題である。地方において若年層に仕事がないから都市に出るkら相対的に高齢者比率がたかまるのである。年寄りが長生きするのが諸悪の根元という風にメデァは取り上げるが、とんでもない勘違いで、比率計算の分母が減ったから(人口減少・過疎)である。それが証拠に都市の高齢者比率はそれほど上昇してにない。地方の高齢者比率の上昇が著しい。地方の高齢者が長寿ではない。都市の高齢者の方が医療・介護機関の発展の恩恵を享受して長寿である。そういう意味で高齢者比率とは都市と地方の経済格差、労働問題、貧困問題を如実に反映しているとみるべきではないか。

本書でいう「認知症ケア」とは介護という意味である。認知症というとアルツハイマー型認知症が半数以上を占めているが、10年ほど前からアルツハイマーと生活習慣病との関連が指摘された。糖尿病患者のリスクは高く2、3倍の割合でアルツハイマーになりやすい。高血圧患者で降圧剤を飲み続けている人の方がリスクは低いそうだ。まだ認知症を治せる、治療できるという段階ではないそうだ。多少進行を遅らせる治療薬も開発されているが、認知症予防研究は基本的に観察研究であり、有効そうな治療法を試せる介入研究の段階ではない。現在ではある治療をすればアルツハイマー型認知症が治るというようなガイドラインは作れないが、様々な認知症の診療において共通に利用できる最低限のコンセンサスを厚生労働省は作ろうとしている。それは認知症治療の標準化につなげてゆこうとする取り組みである。「脳の病気があって認知機能が障害され,生活が障害される。それとともに様々な身体の障害があらわれ、精神症状や行動症状があらわれ、生活そのものが困難な状況に直面してゆく。それが認知症の全体像であり、全体を把握してからケアの構造を考えましょう、総合評価は最低限行ないましょう」ということが、認知症ケア最前線にいる医師の言葉である。

認知症高齢者のための総合機能評価GGA-D
領域
キーワード
認知症疾患アルツハイマー型認知症、脳血管症、レビー小体型認知症、前頭側頭葉変性症、正常圧水頭症、アルコール性認知症、パーキンソン病、進行性核上麻痺、皮質基底核変性症など
認知機能障害近時記憶障害、時間失見当識、場所失見当識、視空間認知障害、注意障害、遂行機能障害、言語理解障害、発語障害、意味記憶障害
生活機能障害基本的ADL障害(排泄、食事、着替え、見繕い、移動、入浴)、手段的ADL障害(電話使用、買い物、食事のしたく、家事、洗濯、交通手段の利用、服薬管理、金銭管理)
身体機能障害高血圧症、慢性心不全、虚血性心疾患、心房細動、糖尿病、慢性肺疾患、誤嚥性肺炎、慢性腎不全、ガン、貧血症、脱水症、白内障、難聴、変形性関節炎、骨折、前立腺肥大、歯周病、口腔乾燥症、パーキング症候群、脳梗塞
周辺症状妄想、幻覚、誤認、抑うつ状態、アパシー、不安、徘徊、焦燥、破局反応、不平、脱抑制、イケズ、拒絶症、譫妄
社会的問題介護負担、介護者の健康問題、経済的困窮、家庭崩壊、虐待、介護心中、交通事故の危険性、労労介護、認認介護、独居、身寄りなし、路上生活、近隣トラブル、悪徳商法による経済被害、医療機関での対応困難、介護施設での対応困難
出典:「地域リハビリテーション」5(10)号(三輪書店 2010)

激しい精神状況や行動障害があるとき、医者は身体状態を善く整えてから薬を使わないと、かえって譫妄が激しくなるとか、誤嚥性肺炎を起こすとか、転倒して骨折するとかということを予め評価しておく必要がある。そしてアルツハイマー病という病名は若年性を除いて高齢者には不適切な使用かもしれない。年齢が5歳増えると有病率が指数関数的に増えるもので、95歳を過ぎれば100%近い人がアルツハイマーになるとしたら、わざわざアルツハイマーといっても特別な病気と考える必要は無いかもしれない。「老年症候群」という理解でいいのだろう。財政上の問題もあるので、認知症対策という政策の方向性は、公助や経助だけでなく、互助の仕組みも取り入れなくてはならない。地域の中で包括的・継続的にケアできる体制を作り出すことが求められている。したがって認知症ケアに関する取り組みは次の4つの課題があるようだ。
@認知症の治療とケアに関する問題。治療とケアの比重はどちらかというと、ケアの方が重要である。
Aケアを地域社会全体で支えるには、どんな体制がいいかという議論。
B「支える人を支える」仕組みつくり。介護する家族を守る・支えるという課題。
C単身で独居の認知症高齢者をどうサポートするかという難題。
この問題は医療費や介護保険費用の大幅な縮減を最大の政策課題とする政治の結果であり、とにかく「在宅」に戻すということであるが、医療や介護のサービスの質を低下させることは相対的に高齢者への負担を増やすことである。そのことが医療と介護の格差を生み、高齢者の生活の貧困化は日に目立ってきている。こうした社会背景の中で、家族地域に守られていい死に方をするにはどういう仕組みにすればいいのか。全くの未知数であるが、いま日々奮闘している人々もいる。政策は国が具体化するのではなく現場で創造されるのであろう。あるべき形の萌芽を見るため各地の現場をルポしたのが本書となった。

1) 認知症ケアとアクティビティケア

認知症ケアにおいてレクレーションとかアクティビティケアは基本ではあるが、すべてではない。もっと人間的な暮らしを支えることが基本ではなかろうかという趣旨で、滋賀県守山市「藤本クリニック」の「物忘れカフェ」(デイサービス)の取り組みをルポした。小澤勲著 「認知症とは何か」においても、認知症を持つ高齢者にとって、認知症を生きるということその物がどのような体験として受け止められているか、どのような世界に生きているのかが問われるのである。医師たちは患者や家族に向かって話しかけるように易しい言葉で臨床を語るようになった。藤本医師は1990年より滋賀県立成人病センターの「物忘れチェック外来」に勤務した。このとき医師・看護師・ソーシャルワーカー・心理士・作業療法士・栄養士といった異職種メンバーによる「チームケア」を経験した。そして1999年に独立して藤本クリニックに「物忘れクリニック」を開設した。認知症専門のディサービスを立ち上げ、1日のプログラムを取り払い「その日1日何をするか、自分で決める」というコンセプトを打ち出した。生きる力が殺がれてゆくことへの対応である。「認知症になったことは諦めるが、これからの人生は諦めない」という利用者の言葉が印象的である。

京都市「本能ディサービス」は「京都市えらべるディサービス」に取り組んでいる。運動、物つくり、音楽など数種類の活動を用意し、高齢者たちの希望を聞きながら小グループに編成する。一定期間にわたって計画的におこなうレクレーション活動である。実施マニュアルは存在するがその通りにやる必要は無い。「高齢者が楽しみ、やりがいを感じながら、意欲を持って個別ケアを実施することによって、生活機能を向上させ、介護予防となる事を目的としたディサービス」とマニュアルには書いてある。2009年には京都府だけでも40施設が実施している。通所型サービスの役割は家族の負担軽減だけではなく、利用高齢認知症者の社会体験や社会的役割確認でもある。具体的には「俳句班」、「物つくり班」、「運動班」、「音楽班」などがさらに細分されるのであるが、自主運営に出来るかぎり近づけている。スタッフの積極的な働きかけが必要なことはいうまでもない。「忘れた、できないといわせる問いかけではなく、答えることが出来る問いを発することである。これは認知症ケアの基本である」 宮津市「天橋の郷」ディサービスでは午前は「さくら工房」(編み物、縫い物の創作活動)、「遊々くらぶ」(園芸、運動、カラオケ、テレビゲーム)の小グループ活動、午後は介護枠を離れた小グループ活動で、外出活動(お寺参りなど)に取り組んでいたが、目的を持ってある場所へ外出するという活動は認知症予防にとって重要なポイントである。

2) 共生型介護の可能性

高齢者、障害者、子供の福祉サービス一緒にするディサービスの取り組み「共生型スタイル」(混合型介護、幼老統合ケアとか呼ばれる)は13年を経て「富山型ディサービス」と呼ばれ全国の注目を集めている。最初は素人の考えることと相手にされなかったが、県内の富山型スタイルの施設は52箇所となった。2010年には100箇所を越えるといわれている。1996年障害を持つ子供の一時預かり事業として県の補助金事業となったのが始まりである。2003年「富山型ディサービス推進特区」という認定を国より受け、支援費支給が知的障害を持つディサービス利用者にも支給された。さらに2006年規制緩和により、通常の通所型介護事業所の介護保険の枠内で、障害児・者を受け入れることが出来る仕組みとなった。こうして富山型ディサービスは国に認めるところとなった。富山方スタイルは地域の中にあって、障害者も高齢者も児童もそして乳幼児の一時預かりも行なえるという、既存の福祉システムの隙間を縫ったニッチビジネスとなった。そして福祉や引きこもり児童の相談を受ける「地域福祉創だ」という役割を果たす事業所も増えた。その富山型のひとつデイケアハウス「にぎやか」が紹介されている。民家を改造した施設である。自閉症の若者も有償ボランティアとして「就職」し、認知利用者が一時預かりの赤ん坊(1日3000円)をダッコするする姿が決まっている。「にぎやか」は2007年重い認知症を抱える高齢者の終の棲家として「かっぱ庵」を立ち上げた。グループホームではない。グループホームでは共生型が取れないからである。宿泊も出来る認知症ディサービスとして届け出たのである。富山県では住宅改造費用に援助を出し(600万円)、無利子融資(7年間)を行い、ディ企業化育成講座や講習会を実施している。

大阪府堺市の福祉法人・医療法人悠人会が運営する「ベルタウン」は幼老複合型の施設である。生活保護の母子家庭は貧困の象徴であり、生活保護受給家庭の3割は母子家庭である。母親が働ける環境作りにはまず保育園の待機児童を解決しなければならない。「ベルタウン」は医療、保健、福祉、介護、保育を含めた統合的なヘルスケアのサービスを立ち上げた。悠人会はそれをバラバラの離れた場所の事業所で行なうのではなく、7階建ビル自体をひとつのタウンと捉え、施設から街へという概念で進めている。1階は通所リハビリと通所介護サービス、訪問介護ステーション、ヘルパーステーション、ケアサポートセンター、2階を保育園、3−4階を介護保険施設、5−7階を特別養護老人ホームとしている。普段ははかばかしい反応が見られない認知症のお年寄りたちにあっても、子供達の顔を見ると表情が一変する。子供の介護力は素晴らしい。葉並み、夏祭り、運動会、クリスマス、演芸会の合同イベントも計画されている。子供にとっては他人への思いやりや世代間連帯の実地教育である。

3) 地域連帯の作り方

戦前海軍司令部があり海軍病院などのインフラが充実し、戦後原爆病対策の中核となった広島県は医療の充実と先進性で全国に知られている。その広島県が認知症高齢者の総合的ケアを進める地域づくりに取り組んでいる。「療養病棟削減政策」に伴い、2007年にまとめられた報告書「広島県地域ケア体制整備構想」は高齢者が地域で暮らしていく基盤作り事業を計画した。広島県の高齢者率は21%(2005)で20年後(2025)に30%になると予測し、高齢者のうち認知症高齢者比率は6.6%で20年後は8.8%に増えると予測した。そこで自治体のフットワークである地域コミュニティを基本とし、そこを県がバックアップするというボトムアップのスタンスを取った。動いたのは各市町村の自治体と介護現場に人々である。尾道、御調、因島、呉の先進地域で呉市はモデル事業で次の4つを重点化した。@地域資源地図作成 A認知症ケア・高齢者虐待防止サポート B徘徊SOSネットワーク C地域認知症介護支援体制である。広島県廿日市市の「高齢者ケアセンター」(社会福祉法人西日本キリスト教社会事業団)を中心とした地域連帯の取り組みを見よう。1997年「認知症高齢者ミニディサービス」から始まり、1998年認知症専門ボランティアによる訪問活動も始まった。ボランティア研修講座を開催しボランティアが増えたところで市民による運営を前面に出すため、1999年には「市民の会」へ変身した。徘徊高齢者家族支援サービス事業として「徘徊SOSネットワーク」を、市福祉課、警察、消防署、民生委員、家族の会を構成メンバーとして、ファックスネットワークと防災無線で幅広い地域をカバーした。徘徊探知機を業者からレンタルして探し出すシステムも採用した。地域の集会場を利用して軽度の認知症の方が集まるサロン「さろん塾」を開設した。尾道市の因島医師会病院で始まった「医療と介護の連携」は、因島の医師らが1982年にスタートしたオープンシステム「因島医師会病院」はかかりつけ医師と病院の連携(米国でよくある連携)という意味で革新的であったが、その因島医師会病院が1995年訪問介護ステーションを併設したことから始まる。「因島医師会ケアマネステーション」は医師会小規模多機能型居宅介護支援事業を持つ形である。

つぎに介護する家族も支援する地域連携の活動を「名古屋市千種区認知症地域連携の会」に見よう。認知症高齢者を在宅介護する家族の過酷さはよく語られるが、共倒れになる先に介護家族の支援を地域で行なう取り組みを名古屋市千種区医師会で始めた。区と医師会と介護保険運営委員会で認知症対策が協議されて「千種区認知症地域連携の会」の発足につながった。「地域連携の会」では認知症への理解を進めるため、市民シンポジウムや講座、家族の会などを開催している。認知症の早期発見するため、認知症治療医院をリストアップし、かかりつけ医に認知症対応力向上研修を受けた医師には「物忘れ相談医」として登録し、600数十名の医師をインターネットで公開している。地域連携の一例として、マンションの一室を改造したミニディサービス「ほっとポケット」は一日の予約定員10名でスタッフは10名、調理員が手作りの食事を提供している。マッサージ師と契約し利用者も多いらしい。「在宅看護センター愛」は訪問看護(利用者40人)、居宅介護支援(利用者143人)、訪問介護サービス(利用者99人)、グループハウス(利用者18人)の4つの事業を運営する。職員24人。介護度平均3.3だそうだ。グループハウスでは看取りも行なっており、5年間で5名の方が亡くなった。「地域連携の会」は自前の施設を持たない。それは会の中立性を守るためである。千種区だけでなく名古屋市全16区に同様な地域連携の会を組織するため、2006年名古屋医師会に「認知症ケアシステム委員会」が設けられた。

4) 在宅での看取りを支えるために

2007年厚労省は「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を示したが、認知症高齢者の終末期医療に関しては、日本医師会、日本救急医学会、そして日本老年医学会今の合意形成には至っていない。高齢者の疾患の特徴は、@複数の疾患を抱えていること A非定型的な症状で一筋縄には処置できないこと B治療を拒否して障害が残り、死に至りやすいことである。高齢者の終末期を「積極的な医療行為がないと生命の維持が不可能であり、医療行為を必要としなくなるような回復は見込めない状態」と見る医師がいる。すると生命活動の基本である、食べる、飲む、呼吸するという行為が出来なくなる事を終末期ではないかということだ。日本老年医学会は「病状が不可逆的かつ進行的で、最善の治療で進行の阻止が期待できなくなり、近い将来の死が不可避となった状態」とする。認知症患者の終末期を狭義に定義すると、@認知症である A意思疎通が困難か不可能である B嚥下が困難か不可能である C前期の症状が不可逆的であるとする。患者本人の意思が確認できなくなると、家族か代理人が意志を表明し医師はそれにしたがって治療行為を行なう。すると意志を代表できる家族とは誰であるかという問題が起きる。またそれを法制度としてどうするかはまだ議論も始まっていない。

東京都の高齢者率は2015年に24%となると予想されている。65歳以上の高齢者の12%が認知症で、認知症高齢者の66%は居宅である。認知症高齢者を誰が看ているかというと、子供が50%、配偶者が35%、孫が15%であり、一緒に住む家族がいない認知症高齢単身者は24%となっている。訪問看護・介護、居宅介護支援事業を展開している(株)ケアーヅは2007年よりNPO法人「白十字在宅ボランティアの会」を立ち上げた。認知症高齢者の終末期には何らかの身体的疾患で死に至るが、その4割は肺炎と気管支炎であるという。特に寝たきりになると、思いがけないほど早く顛末を迎えるという。認知症の進行は医療依存度(抑うつ、記憶障害などの治療)は中期から下降線を辿り、代わりに肺炎や呼吸不全、嚥下障害など身体疾患の医療依存度が大きくなるそうだ。認知症の方の環境を変えることは大きなダメージを与える。環境が変わることで、あっという間に亡くなる方が多い。家族にとって医療的観点が入ることで介護がスムーズになることが多い。自宅で看取るにはディサービスに支えられて、訪問看護による看取りができる。しかし訪問看護師は就業している看護師全体の2%しかいないし、訪問看護に医師は同行しない。したがってどこまでやれるかはわからないが、訪問看護の実績を積みながらネットワークを作る取り組みが続く。

5) ケアする人をケアする仕組み

2010年6月日本女子大学で「ケアラー連盟」の発足集会(世話人堀越英子教授)が開かれた。ケアラーとは「身体的・精神的な疾患、ないし高齢に由来する問題を抱えた家族らに対して、職業としてではなく無報酬で介護をする人々である。ここにいう介護とは看病や身体介護、家事や身の周りの世話、お金の管理とか定期的に様子を見るなどを含む」とされている。OECDでも「New Social Policy Agenda」(1999)をまとめ、「ケアーは経済市場主義の社会を、人と人との関係から見直す新しい価値である」と注目している。「介護者支援の推進に関する法立案」の論点整理の段階で、@破綻しつつある社会保障のもと、 A個人連帯・生活保障の視点で、 B社会保障構築には介護と介護支援の必要性があり、C介護者支援の理念と均等支援の原則で、D介護者支援の推進のための法律整備をという論点がまとめられた。厚労省では2010年8月社会保障審議会で「家族介護者支援のあり方」が議論された。そこでの資料に家族の意識アンケート調査(いつもいかにも作られた役所式誘導アンケートが多いが)があり、自宅介護を望むが74%(外部サービスも含んで)、高齢者住宅12%、施設医療機関9%であったという。すると自宅介護を支援する介護者支援が重要になってくる。

日本には自宅介護を当たり前として、介護者を守る視点が欠けている。家族依存が強すぎることが、家族(特に嫁)を一番苦しめてきた。核家族が進み、地域や血縁によるつながりの衰退を含めて介護力全体が弱体化してきたのではないだろうか。介護が何十年の親子関係の葛藤になってしまうこともあり、介護にも限界がきたら施設へというパターンはそう簡単ではない。現在支援者やボランティアによる「家族の会」があちこちに設立されてきた。阪神淡路大震災のときに発足した「託児所付き母親サロン」の経験を元に、2001年「介護者サポートネットワークセンター アラジン」ができた。2002年から人材養成講座を開き、2003年にネットワーク化し、2004年にNPO法人認可を受け、2005年に杉並区で「介護者の会」が発足し、いまでは東京・神奈川・千葉・埼玉で30以上の団体が登録されている。現在アラジンが取り組んでいる事業は。@家族介護者支援事業 A人材養成事業 B地域支援事業 Cネットワーク推進事業 D研修講習会・調査事業である。

6) つながる仕組みを作るために

認知症になっても最後まで在宅生活を維持する仕組みをどう作るかは、認知症高齢者と介護する人を支える仕組みをどう作るかにかかっている。小樽市の高齢者懇談会「杜のつどい」が進めている「市民後見人養成制度」は地域の人がつながる仕組みを模索するものである。成人後見制度は2000年の介護保険制度のスタートとともに始まった。高齢者が判断力がある時点であらかじめ受任者と契約を交わす制度を「任意後見、本人の判断力が不十分な場合家庭裁判所が後見人を選任する場合を「法定後見」という。独居で親族がないとか、親族がいても財産を使いこむ恐れがあり信用置けない場合に、第3者による後見人を選ぶケースが増えている。「杜のつどい」が「市民後見人活動センター」から「小樽・北しりべし成人後見センター」となった。「杜のつどい」がは2007年「市民後見人養成講座」を開催し、2008年「市民後見人活動センター」事業を開始した。これは後見人養成講座を引き継ぎ発展させるものである。しかし後見人制度はあくまで公的機関が行なうべきで、第3者相続人は親族とのトラブルに巻き込まれる可能性があり、費用と報酬の計算が不透明であるため、2010年この公的機関として「小樽・北しりべし成人後見センター」が設立されたのである。「杜のつどい」が養成した人材が中心となり「小樽市民後見人の会」を結成し、悩み事の相談員を置いた。医療同意に近い形の医療契約がどこまで可能か、重要な個人情報である医療内容の説明、終末期の援助のあり方、死後の財産管理など課題は多い。


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