太平洋戦争が終ってアメリカ占領軍が日本にやってきて、有無を言わせぬ強権によってまがりなりにも日本の西欧型民主政治が開始された。戦後政治史とは日本における民主政治の歴史ということになる。「押し付けの日本国憲法」がどれだけ素晴らしいものであったか、英語のまま「日本国憲法」を教えた教師もいたくらいである。しかし形は歪な点を残しながら、民主政治はようやく幼年期に一人歩きを始めた。戦争責任を不問にした「天皇制」の残影を引き摺り、「官僚性」は戦前の「経済統制」型中央集権制を色濃く残し、刑法は明治時代をそのまま引き継ぎ、民法もいまいちの人権保護であった。しかし本書は日本政治史を論じるものではない。特に政治理念や政策の変遷を追いかけるものでもない。ただ政界の歴史をメモするだけである。これがこの本の限界であり、特徴である。それが不満なら、別の書を見ればいい。例えば、丸山真男著 「日本の思想」(岩波新書)、佐々木毅著 「政治の精神」(岩波新書)、 内山融著 「小泉政権」(中公新書)、山口二郎著 「政権交代論」(岩波新書)、菅直人著 「大臣」増補版(岩波新書)など優れた著作がいっぱいある。さらに政策に関しては分野ごとに山というほどあって、とても読みきれるものではない。ということで、別に本書の位置づけを落としいれるつもりはないが、本書はあくまで政界の構図であって、政策や思想の論議ではない。それはなぜかというと、著者の石川真澄氏(1933−2004年)が1960年から朝日新聞の政治記者としてスタートしたからである。本書の「まえがき」に書いてある通り、1995年に石川真澄著「戦後政治史」(岩波新書)が刊行され、10年が経過した時点で、2004年山口二郎氏が参加してその10年間を加筆した。これが「戦後政治史 改訂版」である。しかし石川氏は改訂版が刊行される直前に逝去された。その後6年が経過し小泉首相が退陣し自民党は混迷し、2009年ついに政権が交代した。民主党鳩山政権が生まれたが、沖縄基地問題で辞任した。2010年6月の菅直人内閣が出来た時点でさらに改訂版を出す運びとなった。それが本書である。
近代国家と民主主義を打ち立てた西欧の政治家達と、現在の欧州統一を成し遂げたEUの政治家達と較べると、日本の政治家は「政治屋」にすぎず、年から年中派閥抗争と政争を仕事とし、蜜(利)に集まる蟻のようである。国会で憂国の士とは「右翼」にすぎず、国家百年の計を論議したためしは無い。そんな政界を眺めても知的に面白いことは何も無いが、ここは心を無にして彼らの離合集散の生態を振返ってみよう。少しで早く手を打たないと、いずれ近いうちに日本は彼らによって食いつぶされるだろう。目鼻の利いた官僚は既に日本脱出を試みていると聞く。なんともやりきれない気持ちで本書を眺めている昨日今日のことである。とはいえ、本書を読んでこの日本の戦後政治の歴史は私自身の60数年の歴史とぴったり重なっているので、なにかしら纏めておくことは意味があると考える。戦後60年の政界史を新書200ページ余りにまとめるには、文章は極めて簡潔にして、あまり理由を問わず深入りせず、小川に流れる落ち葉を追うが如く進めなければならない。本書の内容もあまりに短くトピックスに終始している感を否めない。そこで文章は出来るだけ少なくした形で戦後政治史の表を作ってみよう。そして可能な限り文章を埋めてゆこう。戦前は国が滅ぶまで国家の為政者は己の愚を知らず専制をほしいままにした。戦後の政治屋はあと少しで日本が倒産するまで、恐らく己の愚を悟らず自分の懐を肥やすことしか考えないだろう。日本の政治の愚は戦前は悲劇として、戦後は喜劇として繰り返されるだろう。
本表は戦後の憲法に基づく議院内閣制による歴代首相を追うことにする。従って終戦直後の天皇に命による東久邇稔彦首相(1945.8.17)と幣原喜重郎首相(1945.10.9)はここに記さない。1946年4月10日の戦後最初の総選挙で選ばれた第1次吉田内閣ができた1946年5月22日から始めたい。
首相名 | 就任年月日 | 内閣継続日数 | 衆議院選挙結果と与党議員数 | 参議員選挙結果 | 主な業績 | 退陣理由 |
吉田 茂 (第1次) | 1946.5.29 | 375 | 1946.4.10第22回総選挙(定員464) 自由142+進歩97=239(51%) 保守系336:革新系102 大選挙区・制限連記制 | 1947.4.20第1回(定数250 ) 自由44、民主41、緑風92、社会47、共産4ほか | 新憲法制定 5.19 「食糧メーデ」 2.1ゼネスト回避 | 新憲法による全公職選挙実施 |
片山 哲 | 1947.6.1 | 283 | 1947.4.25第23回総選挙(466) 社会144+民主132+国協31=307(66%) 保守系300:革新系148 中選挙区・単記制 | - | 我国初めての社会党内閣成立 炭鉱国家管理法により石炭へ傾斜生産 | GHQ指令による平野農相罷免と左派との党内抗争により9ヶ月で辞職 |
芦田 均 | 1948..3.10 | 223 | - | - | 第1次保守合同「民主自由党」を結党し、選挙なしで「政権たらいまわし」で成立した内閣 | 「昭電疑獄」により 7ヶ月あまりで総辞職 |
吉田 茂 (第2次-第5次) | 1948.10.19 | 2243(@) | 1949.1.23第24回総選挙(466)「馴れ合い解散」 民自269+民主犬養33=302(65%) 1952.10.1第25回総選挙(466) 自由単独242(52%) 1953.4.19第26回総選挙(466)「バカヤロー解散」 吉田自由単独202(43%) | 1950.6.4第2回(定数250) 自由77、民主30、緑風57、社会62、労農5、共産4ほか 1953第3回(250) 吉田自94、改進15、緑風47、社会43、共産1ほか | 民自党の地すべり的勝利、社会・民主・国協の激減 49年総選挙から大量の官僚議員誕生 朝鮮戦争による特需景気 レッドパージ、「血のメーデー事件」 51年サンフランシスコ講和条約、日米安保条約締結 民自党は自由党に改名 経済安定9原則「ドッジライン」冷戦政策での復興 | 自民党分裂(吉田自と鳩山自)鳩山民主党を結成して倒閣へ 造船疑獄 |
鳩山一郎 | 1954.12.10 | 744 | 1955.2.27第27回総選挙(467) 民主単独185(40%) 保守系299:革新系162 | 1956.7.8第4回(248) 自民124、緑風29、社会81、共産2ほか | 55.11月保守合同「自民党」55体制始まる 56日ソ国交回復 国連加盟 | 小選挙区法廃案 国連加盟を持って総辞職 |
石橋湛山 | 1956.12.23 | 64 | - | - | 自民党内に派閥が出来、総裁選に巨額の金が動く 参議院から大臣3人が慣例 | 組閣1ヶ月で発病、2ヶ月で総辞職 |
岸 信介 | 1957.2.25 | 1240(E) | 1958.5.22第28回総選挙(467) 「話し合い解散」 自民単独298(64%) 保守合同300:統一社会党168の55体制を象徴 自民党官僚派が党人派を上回る | 1959.6.2第5回(249) 自民135、緑風11、公明9、社会84、共産3ほか | 教職員勤務評定・警察職務法 新安保条約批准 三池闘争で総資本対決 | 安保反対ハガティー事件・国会デモ |
池田勇人 | 1960.7.19 | 1574(D) | 1960.11.20第29回総選挙(467) 自民単独300(64%) 1963.11.21第30回総選挙(467) 自民単独294(63%) 官僚3派内閣(池田・岸・佐藤) 社会党構造改革の変容挫折・長期低落傾向へ | 1962第6回(250) 自民143、公明15、社会66、民社11、共産4ほか | 高度経済成長期・所得倍増政策 公共事業費増加・新産業都市建設 韓国・ビルマ・タイ経済協力で賠償問題決着 IMF・OECD加盟 新幹線・オリンピック開催 | 喉頭がんで入院し辞職 |
佐藤栄作 | 1964.11.9 | 2797(@) | 1967.1.29第31回総選挙(486定数増加)) 自民単独280(57%) 1969.12.27第32回総選挙(486)「沖縄返還選挙」 自民単独300(62%) 大野・河野死亡し党人派消滅 多党化の始まり 保守系52%:野党系45%と保革伯仲時代 | 1965.7.4第7回(249) 自民140、社会73、公明20、民社7、共産4ほか 1968.7.7第8回(250) 自民137、社会65、公明24、民社10、共産7、二院4ほか 1971.6.27第9回(252) 自民137、社会65、公明23、民社13、共産10ほか | 日韓条約・ILO条約批准 GNP2倍、平均成長率11%達成 69沖縄返還・核抜き本土並み合意 70年安保改定批准・万国博覧会 70年公害国会 日米繊維協定 | ニクソン訪中・ドル変動相場制ショック・狂乱物価 72・6沖縄復帰で佐藤は花道引退 |
田中角栄 | 1972.7.7 | 885 | 1972.12.10第33回総選挙(491) 自民単独284(58%) 自民振るわず、社会119・共産党40躍進 | 1974.7.7第10回(252) 自民127、社会62、公明24、民社10、共産20ほか | 72・9日中国交回復 列島大改造 | 73石油ショック・74物価上昇25% 「金権選挙」企業ぐるみ 76・7ロッキード事件汚職逮捕 |
三木武夫 | 1974.12.9 | 746 | - | - | 自民党金権体質批判 | 三木おろし 76・12総選挙で自民党大敗・三木辞職 |
福田赳夫 | 1976.12.24 | 713 | 1976.12.5第34回総選挙(511) 自民単独260(51%) 自民離脱組「新自ク」誕生(河野ら6人) | 1977.7.10第11回(249) 自民125、新自ク5、社会56、公明28、共産16、民社11ほか | 77自民党総裁公選に予備選を導入 物価安定(78には3.8%に) 78日中平和友好条約締結 | )総裁選予備選で闇将軍(田中)派の大平に敗れる、辞任 |
大平正芳 | 1978.12.7 | 588 | 1979.10.7第35回総選挙(511) 自民単独258(51%) 消費税で自民党大敗、保守革新伯仲へ 1980.6.22第36回総選挙(511) 自民単独287(56%) 衆参同一日選挙・自民勝利「弔い選挙」 | 1980.6.22第12回(251) 自民137、自ク2、社会47、公明27、民社12ほか | 78有事立法見送り 79第2次石油ショックを乗り切る 東京サミット開催 | 闇将軍の自民党40日抗争 選挙中に心筋梗塞で倒れ、死亡 |
鈴木善幸 | 1980.7.17 | 865 | - | - | 派閥抗争疲れによる党内融和内閣「なりたくてなった首相ではない」 行政改革「臨調」 | 派閥抗争再燃 日米外交失敗により伊東外相辞任 |
中曽根康弘 | 1982.11.27 | 1803(C) | 1983.12.18第37回総選挙(511) 自民259+新自ク8=267(52%) 自民単独過半数割れ 1986.7.6第38回総選挙(512)衆参同一日選挙 自民304+新自ク6=310(60%) 自民党大勝、社会党惨敗・社民的路線宣言できず | 1983.6.26第13回(249) 自民137、社会44、公明27、共産14、民社13、自ク4ほか 1986.7.6第14回(252) 自民145、社会42、公明25、共産16、民社12ほか | 闇将軍派支配(田中有罪実刑判決も) 85竹下派「創生会」田中派支配の終焉 新保守主義路線・民活 官僚主導審議会立法手法 韓国大統領来日・天皇お詫 国鉄清算JR,NTT,JT民営化 衆議員定数是正「8増7減」 | 87売上税導入法案廃案 日米経済摩擦「対日制裁」 竹下「経世会」を立ち上げ田中派を継承 任期満了により、竹下を総裁に指名して辞任 |
竹下 登 | 1987.11.6 | 574 | - | - | 自民党総主流派体制と竹下支配「二重権力構造」 「消費税」税制改革6法案成立 | リクルート疑惑で退陣 |
宇野宗佑 | 1989.6.2 | 68 | - | 1989.7.23第15回(252) 自民111、社会74、公明21、共産14、連合12、民社9ほか 自民党大敗・社会党マドンナ旋風 | 竹下支配 | 女性スキャンダルと参議院選大敗の責任を取って2ヶ月で辞任 |
海部俊樹 | 1989.8.9 | 818 | 1990.2.18第39回総選挙(512) 自民単独286(56%) 自民党は過半数を獲得したが、大きく後退 社会党139と一人勝ち | - | 竹下支配だが三木派の「クリーンイメージ」 湾岸戦争でPKO協力法提出(継続審議) | 小選挙区比例代表制廃案で辞任 |
宮沢喜一 | 1991.11.5 | 640 | - | 1992.7.26第16回(252) 自民109、社会73、公明24、連合12、共産11、民社10ほか 投票率史上最低50.7% | 竹下支配(小沢総裁候補者面接) PKO可決・自衛隊カンボジア派遣 バブル崩壊で10兆円の景気対策 | 92竹下派分裂・竹下支配の終焉 東京佐川急便事件 金丸信脱税容疑逮捕 自民党改革派は内閣不信任案に同調し、解散総選挙 |
細川護煕 | 1993.8.6 | 262 | 1993.7.18第40回総選挙(511) 社会77+新生60+公明52+日新・さ52+民社19=260(51%) 自民党野党へ、55体制の崩壊・非自民政権の誕生 | - | 政治改革4法案(94修正成立)・小選挙区300+比例代表200 93ウルグアイラウンド米の部分開放 | 国民福祉税7%構想 東京佐川急便融資事件で辞任 |
羽田 孜 | 1994.4.25 | 65 | - | - | 非自民連立政権の継続 | 連立からさきがけ社会党が抜ける 小沢・市川ラインの策動により2ヶ月で政権崩壊 |
村山富一 | 1994.6.29 | 561 | - | 1995.7.23第17回(252) 自民111、新進57、社会37、共産14、さ3ほか | 自民・社会・さきがけ連立政権、戦後2回目の社会党首相誕生 戦後総括「村山談話」 消費税5%へ | 94新進党結党(海部・小沢) 参議院選挙で社会党大敗、96・1退陣 95阪神大震災・地下鉄サリン事件 |
橋本龍三郎 | 1996.1.11 | 931 | 1996.10.20第41回総選挙(500) 自民239+社民15+さ2=256 自民党過半数を割る、自・公連立政権 | 1998.7.12第18回(252) 自民103、民主47、共産23、公明22、自由12、社民13、さ3ほか | 住専処理6850億円投入・不良債権問題未解決 薬害エイズ問題(菅大臣謝罪) 行政改革会議(脱官僚政治を目指す) 地方分権、97財政構造改革法、医療費本人負担増 | 97三洋証券・山一證券、拓殖銀行倒産 98新・民主党結党 参議院選挙敗北、辞職 |
小渕恵三 | 1998.7.30 | 615 | (政策理念のない「真空宰相」、99自自公連立政権・数合わせ) | - | 金融危機対策・景気対策「地域振興券」 周辺事態法成立・住民基本台帳・盗聴法・国歌法の重要な法が数の原理によって成立、国会議論の喪失 | 自民党支持基盤の崩壊・公明党選挙協力依存体質 小渕急死(密室の総裁選び) |
森 喜朗 | 2000.4.5 | 387 | 2000.6.25第42回総選挙(480) 自民233+公明31+保守7+自由22=293 自民単独過半数を割る、公明党らと連立政権 | - | 特になし | 失言により支持率低下9% 加藤の乱 |
小泉純一郎 | 2001.4.26 | 1981(B) | 2003.11.9第43回総選挙(480) 自民237+公明34+保守4=275 民主党177最大野党へ、自民は公明依存へ 2005.911第44回総選挙(480) 自民296+公明31=327 「郵政民政化選挙」でメディア協賛の「小泉劇場」により小泉圧勝 | 2001.7.29第19回(247) 自民111、民主59、公明23、共産20、自由8、社民8ほか 自民大勝利 2004.7.11第20回(242) 自民115、民主82、公明24、共産24、社民5ほか 民主党50が参院第1党へ | 不良債権問題解決、長期の好景気となる 利権の枠を超えて構造改革 新自由主義政策「規制緩和と小さな政府」 小泉人気上昇支持率80%、自民内の抵抗勢力攻撃 9.11事件でテロ防止法・イラク戦争でイラク措置法・03有事法成立など日本の平和路線は大きく変更された 経済財政諮問会議で竹中氏の構造改革「骨太の方針」 道路公団・郵政改革 | 不景気拡大・失業率は5%以上 社会保障費の継続的削減 企業は儲かり国民は貧乏という格差社会の到来 年金改革で国民の支持を次第に失う 靖国参拝で中国韓国関係悪化 06小泉勇退 |
安倍晋三 | 2006.9.26 | 366 | - | 2007.7.29第21回(242) 自民83、民主109、公明20、共産7、社民5、国民4ほか 自民党大敗、史上初のねじれ国会 | 国家主義イデオロギー「戦後レジームからの脱却」 国民投票法・教育基本法改正 | 消えた年金問題 政治資金収支報告書虚偽記載で松岡農相辞任 参議院選挙敗北、衆参ねじれ国会での政権運営に不安を感じ、1年で政権を投げ出す |
福田康夫 | 2007.9.26 | 365 | - | - | 大連立構想、民主小沢を捲きこむ | 自衛隊インド洋給油法・揮発油税暫定税率法期限切れ 政権運営に行き詰り、1年で政権を投げ出す |
麻生太郎 | 2008.9.24 | 358 | - | - | 金融危機の補正予算対応 | 総選挙の時期を見失い、任期切れで辞任 |
鳩山由紀夫 | 2009.9.16 | 266 | 2009.8.30第45回総選挙(480) 民主308+国新3+社民7=318 「政権交代選挙」民主主導連立内閣誕生 「マニフェスト選挙」 | - | 官僚支配脱却・族議員慣例排除のため党の政策調査会廃止 情報公開 事業仕分け | 鳩山・小沢政治資金疑惑 普天間基地移転問題迷走・社民党連立離脱で鳩山8ヶ月で辞任 |
管 直人 | 2010.6.8 | - | - | 2010.7.11第22回(242) 自民84、民主106、公明19、共産6、国民3、みんな11、社民4ほか 管首相の消費税率発言で参議院選敗北、民主党政権下でねじれ国会へ | 脱小沢路線で代表選を乗り切る | - |