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ニコラ・ブルバキ著 「数学史」 

 村田全・清水達雄・杉山光夫訳 ちくま学芸文庫 上・下 (2006年3月)

ユウクリッド「原論」からブルバキ「数学原論」にいたる数学史の構造主義的アプローチ

「ブルバキの数学史」は私の学生時代には出版されていなかったため、私が数学から遠ざかるにつれ、全くその存在にも気がつかなかった。ところが定年後数年経って、京大教養部時代に教わった森毅先生の数学の読み物を読むようになって、森先生がブルバキ「数学原論」の翻訳グループに属していたことからブルバキの数学史に関する記述が散見され、にわかに興味がわいて本書ちくま学芸文庫版「ブルバキ数学史」を手にすることになった次第である。この「ブルバキ数学史」を読んでみて、まず現代数学なんて切り口を自分は何も知らなかった事を思い知らされた。白状しておくが最初から最後までチンプンカンプンで、一切理解できなかった。何度もギブアップしようかと思ったが、「門前の小僧・・・何とやら」で、本書を眼で追うだけでも縁があったのだからと気を持ち直して、10日間かかって上下二冊を分らないなりに読了した。ああこういう世界もあったのか感慨無量の気持ちである。吉田 武著 「オイラーの贈り物」を読みつつ、昔を思い出して数式の展開と演算を楽しんでいた時には多少はわかったような気になっていた数学も、ブルバキの数学史を読んで見事に粉砕された。ようするに18世紀までの近代数学は理解できていても19世紀中頃からの現代数学は全く別の世界である事が分った。したがってここにまとめる読書ノートも残念ながら内容に立ち入ることは出来ないが、周辺だけを「盲象をなでる」(差別用語ですが諺なのでそのまま利用します)式に感じた事をまとめておきたい。近代数学と現代数学の折り合いをどうつけたらいいものか、私には全く分からない。日本の明治の数学界もギリシャから近代数学の2000年を欠いたまま、現代数学の海に投げ出されてどのように苦しんだのか、私個人の中におけるように想像を絶するものがある。

よく言いふらされているように、ニコラ・ブルバキは個人ではない。1934年12月に結集したフランスの少数気鋭の数学者の集団の名前である。10名ほどが定連メンバーと成り、50歳定年制で毎年適格審査をおこない、進取性が失われたと評価されると首になるらしい。結成以来メンバーを更新しながら続いているので、ブルバキは永遠に若々しい数学者である。それでいて方針や性格はひとつにまとまっているという稀有な集団であるという。ブルバキの「数学史」を語る前に「数学原論」を語らないと始まらない。構造主義を標榜して、ユークリッドの「原論」を真似て、ブルバキは「数学原論」を著わしてきた。大作「数学原論」は20年間に40冊ほどが出版されいまも企画は続いているようだ。内容的には以下の項目である。
1) 集合論       3巻と要約
2) 代数        3巻
3) 位相        5巻と要約
4) 実1関数論    2卷
5) 位相線型空間  2卷と要約
6) 積分        5巻
7) リー群とリー環  3巻
8) 可換代数     4巻
9) スペクトル論   1巻
10) 多様体要約   2卷
数学原論の著述の様式は一貫しており、「読者への注意」に「この言論は数学をその第1歩から取り扱い、完全な証明をつける。したがってこれを読むには原則的には数学的予備知識はいらない」というが、数学的推論と抽象能力になれていなければ理解できるものではない。著述の第2の特徴は公理的、抽象的で、原則的には一般から特殊へ進むという。第3の特徴は著述は原論独自の理論体系として展開されるので、文献については本文中では引用しない。文献は「歴史的覚書」の中にまとめて記す。この歴史的覚書が本書の「数学史」のことである。数学原論のあちこちに散在していた歴史覚書を合本して「数学史」として1960年に刊行された。ブルバキ「数学原論」の邦訳事業の話は、1966年11月東京図書で企画され、翻訳担当者12名が集まった。前原昭二、銀林浩、森毅、小島順、小針?宏、柴岡泰光、杉浦光夫、木下素夫、倉田令次郎、斉藤正彦、そして数学史担当は村田全、清水達雄であった。訳出は1974年9月「数学史」でもって終った。東京図書の訳本は「数学史」第二版(1969年)を底本として、1993年7月に刊行された。このちくま学芸文庫本は原初の第3版(1984年)を底本とし、「局所コンパクト積分」、「リー群とリー環」、「鏡映群」3篇を増補・改定したものである。なおこの増補3編の訳者は杉浦光夫である。

「数学原論」は素人が読める本でないことは想像がつくが、この「数学史」もさらに始末が悪い。それは著述の詳細が原論に頼っており、証明も何のあったものではなく素人にはおかまいなしに、ドンドン話題が進められるのである。これでは最初からお手上げである。この「数学史」がいわゆる読み物的な歴史ではなく、又個人の伝記や年代記のたぐいでもない、むしろ内容をある程度わきまえ、かつその背後や周りの状況を理解できており、できれば哲学や歴史的文明の考え方を分っていないと、太刀打ちできないだろう。専門的な思考を持つ学問の徒のための歴史書である。ここでブルバキという数学者集団のことについては森毅著「現代数学とブルバキ」(東京図書1967)が面白いそうだと紹介されているので、次の機会に読んでみたいと思う。さてブルバキは1930年にフランスで、ヴェイユ、シュヴァレー、エルブラン、カンタンら全英的数学者が集まって作ったグループである。ブルバキは1939年ごろから「数学原論」の刊行を始め、1984年には40冊を書き続けている。「数学原論」はいうまでもなくユークリッドの「原論」を意識しており、本書の内容はいつも「ユークリッドからブルバキへ」の視点で数学史を総括するのである。この2000年以上の西洋の学問の歴史を念頭に置かないと彼らの志の高さは分らない。ブルバキは集団であり歴史的にも多人数の入れ替わりであるにもかかわらず、視点は統一されている。多種多様な数学の歴史の関係を読み解く視点は「哲学的」でもある。ブルバキの旗印は「構造」であり、「形式論的経験主義」だといわれている。そしてこの「構造主義」は、当時の哲学と密接に関係し、その影響下にあったといわれる。

「構造主義」とは、狭義には1960年代に登場して発展していった20世紀の現代思想のひとつであり、広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。構造とはその要素間の関係性を示すものである。今日では、方法論として普及・定着し、数学、言語学、精神分析学、文芸批評、生物学、文化人類学などの分野で構造主義が応用されている。数学において、ブルバキというグループが公理主義的な数学の体系化を進めているが、その中心人物であるアンドレ・ヴェイユは言語学者エミール・バンヴェニストからの影響を認めている。文化人類学において婚姻体系の「構造」を数学の群論で説明した。群論は代数学(抽象代数学)の一分野で、クロード・レヴィ=ストロースによるムルンギン族の婚姻体系の研究を聞いたアンドレ・ヴェイユが群論を活用して体系を解明した話は有名である。現代思想としての構造主義は原則として要素還元主義を批判し、関係論的構造理解が特徴である。ロラン・バルト(文芸批評)、ジュリア・クリステヴァ(文芸批評、言語学)、ジャック・ラカン(精神分析)、ミシェル・フーコー(哲学)、ルイ・アルチュセール(構造主義的マルクス主義社会学)など人文系の諸分野でその発想を受け継ぐ者が多い。ユングのアーキタイバル・イメージ(元型)を手がかりとしたアプローチも構造主義といえる。

本書の訳者である村田全氏は数学史には3つのアプローチがあると云う。ひとつは本書のような数学の中における自律の発展史という見方である。第二に人類文化史や社会経済史、哲学史、自然科学史など全体の歴史の中のひとつの要素として数学の歴史を捉える見方である。第三に数学の中へ持ち込まれた他の影響を調べるアプローチもあるという。いずれにせよ文化科学や社会科学においてそれぞれの歴史学が存在する(政治史、経済史、哲学史などなど)が、数学や自然科学には歴史という見方が稀薄である。これには自然科学は実学で現在でも立派に通用しているから、歴史的にしか存在しないものは乗越えられたという見方からきているようだ。古代ギリシャの論証体系の確立に始まり、近代には記号論的演算力の切れ味が応用され、17世紀には科学革命の推進力となった。今日では圧倒的な数理科学にまで成長した。この数学の驚異的発展の恩恵は測り知れない。ところが数学の発展はいつも実学の要求に応じて開発されたものかというと、全くそうではない。20世紀においても数学は理論数理物理学の欠かせない手段となったが、それが物理学が利用したまでの事であって、数学は自律的抽象化の道を歩んだにすぎない。数学者の関心の的が「時代の子」として物理学に注がれることは事実だが、別にその請負仕事ではなかった。数学の歴史には20世紀を分かれ目として、19世紀的な輝かしい具体的数学と、20世紀的現代抽象数学がある。ブルバキは当然現代抽象数学の先端を行くものであろう。

ブルバキの数学史の各論には立ち入る能力は私には無いのでオミットさせていただくが、「数学史」の目次を記す。とはいえ多少は馴染がある数学基礎論と微積分については簡単に見ておきたい。
(上巻)
数学の基礎、論理、集合論(論理の形式化、数学における真理の概念、対象、モデル・構造、集合論、集合論の逆理と基礎の危機、超数学)
記数法・組み合わせ論
代数学の進展
線型および複線型代数学
多項式と可換体
整除性・順序体
可換代数学・代数的整数論
非可換代数学
二次形式・初等幾何学
位相空間
一様空間
(下巻)
実数
指数と対数
n次元空間
複素数・角
距離空間
微分積分学
漸近展開
ガンマ関数
関数空間
位相線型空間
局所コンパクト空間上の積分
ハール測度・畳み込み積
非局所コンパクト空間上の積分
リー群とリー環
鏡映群・ルート系

数学基礎論

ブルバキは論理の形式化、数学における真理の概念、対象、モデル・構造、集合論、集合論の逆理と基礎の危機、超数学と論を進める。ギリシャの論証法から、ルネッサンスから近世を経て、非ユークリッド幾何学、ヒルベルトの「幾何学基礎論」に到流れのなかで、数学的真理が経験の即しつつ形式化されてゆく過程を示している。数学構造論としては一番集合論が似合う。ブルバキは論理の無矛盾性よりは、より構造的な決定(選択)のほうに重点が置かれている。ブルバキはユークリッドの数学の特質を次の3つに整理している。@論理学の形式化を導いたのはいつも数学であった。Aギリシャ公理論は経験的起源を持つ。Bギリシャ数学の数学的存在の特質を作図可能性であると云う。この見解に対して訳者の村田全氏はサボーの見解を引いて、エレア学派の哲学が上位に立つと反論しているが、ここにはその詳細は議論できない。ユウクリッドの原論以来、自然数(正の整数)という段階的な対象に関する理論が論理と一番なじむが、連続的数は対象として論理となじまないようである。ブルバキは連続を避けているように思われる。数学の真理性とは何だろう。記号論ー形式論理なのだろうか。そしてそれは純粋に思惟的自律的なものだろうか。ブルバキはその形式的理論なるものをあくまで現実的実在に対する1個の理論モデルと考え、その理論モデルを全体として理解し、統一的な数学の存在を認めているようだ。訳者の村田全氏はこれを「形式論的経験主義」と呼んでいる。数学の真理性が認識の原理の中にあるのか、それとも自然の中に存在するのか、これは永遠の問いである。

微積分学

実学として極めて応用価値が高く、今も尚その切れ味は衰えていない微積分学は、抽象代数学とは違って構造数学にはなじまないようだ。代数学がバビロニア数学の伝統の上にたつ形式論理だとすると、微積分学は欧州文明の伝統である記号操作法の典型である。微積分学のテーマたるやどうにもならないほど多方面で絡み合っており、テーマの整理で精一杯の模様である。@数学的厳密性、A運動学、B代数的幾何学、C問題の分類、D補完法と差分の計算、E無限小解析の代数化、F関数の概念などである。一般に近世的な微分積分学の形成史において、ニュートン流の幾何学的ー運動学的ー自然学的伝統の流れと、ライプニッツ流の代数学的ー原子論的ー形而上学的伝統の流れが存在する。ブルバキの見解には力学や運動学との関係が薄いことは明白である。そしてブルバキは「位相論」も取り扱いが少ない。


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