100723

R.P.ファイマン著 江沢洋訳「物理法則はいかにして発見されたか」 

 岩波現代文庫(2001年3月)

量子電磁力学の祖ファイマン教授の物理法則

本書は1964年ファイマン教授(1918年5月 - 1988年2月)がコーネル大学で行なった「メッセンジャー講演会」と、1965年ノーベル物理学賞受賞記念講演会を基にして、1968年ダイヤモンド社から刊行されたものを、2001年3月に岩波現代文庫に入れたのである。日進月歩の物理学の進歩の時代に50年以上も前の講演会の話が極めて面白く聞こえるのは、私が最近の物理学の動きに全く無智であったことと、ファイマン教授が最近の物理学の進歩を追わずに物理学の法則の性質という抽象性に重点を置いた非専門家向けの講演会であったためである。メッセンジャー講演会とは、コーネル大学に置いて1924年から毎年行なわれた講演会である。コーネル大学の数学の教授であったヒラム・メッセンジャーが、世界的な傑出した人物に講演をお願いすることは、文化の発展に役にたつということで企画したらしい。ファイマン教授は、MITを卒業後、プリンストン大学で学位をとり、1944年よりコーネル大学で助教授になった。1950年にはカルフォニア工科大学に移った。理論物理学者として出発し、戦後の物理学の発展に大きな貢献をし、1954年アインシュタイン賞を受賞した。ファイマン教授は経路積分や、素粒子の反応を図示化したファインマン・ダイアグラムの発案でも知られる。1965年、量子電磁力学の発展に大きく寄与したことにより、ジュリアン・S・シュウィンガー、朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を共同受賞した。カリフォルニア工科大学時代の講義内容をもとにした、物理学の教科書『ファインマン物理学』は世界中で高い評価を受けた。また、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』などユーモラスな逸話集も好評を博している。ファイマン教授の逸話には事欠かない。ユリゲラーらの擬似科学が世の中に広く蔓延っていることに心を痛めていた。例えば心理学上の研究は、彼がカーゴ・カルト・サイエンスと呼ぶ擬似科学の例である言い切って嫌っていた。また、エセ科学ではないにしても、トンチンカンな結論しか出せない哲学も嫌っていた。兵役に就く際に行われた精神鑑定の結果、「精神異常」のため不採用になった。これは精神鑑定の裏をかいたまでのことでったという。戦争中ロス・アラモス研究所に所属中、研究所で行われた機密保持目的の検閲に対して不満を持ち、重要機密書類の入ったキャビネットを趣味の金庫開けの技術で破ってみせた。カリフォルニア工科大学の同僚であったマレー・ゲルマンとは強力なライバル関係にあった。ゲルマンが命名したクォークのことをファインマンは「パートン」(部分子)と呼び、「ファインマン・ダイアグラム」のことをゲルマンは「ステュッケルバーク図」と呼んでいた。 1978年から患ったガンで4度も手術をして1988年になくなった。生涯を通じてユーモア溢れる語り口で有名であったが、それは死に際まで変わらず、最後に口にした言葉は「2度死ぬなんて、まっぴらだよ。全くつまんないからね」だったという。

本書「物理法則はいかにして発見されたか」は大きくは二つの講演会からなる。ひとつは1964年コーネル大学のメッセンジャー講演会「物理法則の性質」、もいひとつは1965年ノーベル賞受賞講演会「量子電磁気学の発展」である。前者の講演会は7回にわけて話された内容で、分量からすると1回がノーベル賞受賞講演会分とほぼ同じであるため、本書をなべて8回分の内容として考える。本書の翻訳者江沢洋氏は学習院大学名誉教授で理論物理学者である。プロフィールを紹介する。1932年、東京に生まれる。1960年 東京大学大学院数物系研究科修了、東京大学理学部助手。1967年 学習院大学助教授、1970年 教授、2003年 名誉教授。専攻は理論物理、確率過程論。著書には 『だれが原子をみたか』(1976、岩波書店)、『波動力学形成史』(1982、みすず書房)、『現代物理学』(1996、朝倉書店)、『量子力学 1・2』(2002、裳華房)。理論物理学者の江沢氏が2001年の岩波現代文庫本のはしがきで書いている。「この本は確かに古い話に違いないが、事実の記録として長い命を持っている。なぜかというと量子電磁力学はある意味では未だファイマン路線の上にあり、基礎物理の全体に影響力を持っている。ファイマン教授の発想や研究法が専門外の人に魅力を持ち続けているに違いない。量子力学となると本当にこれを理解している人はいない。」 しかしながら理論物理学は高エネルギー分野ではクォークを基本粒子として大きな進展を示し、2008年度ノーベル物理学賞に南部洋一郎、小林誠、益川敏英氏が「CP対称性の破れの発見」で受賞した。

1) 重力の法則

ファイマン教授によると物理法則とは、自然の営みのリズムやパターンのことである。そしてこの法則の持つ一般的な性格について考察するという。まず第1に「人間精神が成し遂げた最も偉大な一般化」といわれた「重力の法則」(ニュートンの「万有引力の法則」)を取り上げる。重力の法則とは「2つの物体がお互いに引き合う力は物体間の距離の2乗に反比例し、2物体の質量の積に比例する」ということである。F=G(mm'/r 2)という数式に表すことが出来る。力は物体に加速度を与え、その加速度(速度の変化量)はその物体の質量に反比例する。古代人は惑星が天空を動く事を観察して、地球(惑星のひとつ)とともに太陽の周りを回っていることを承知していたが、中世キリスト教世界ではこれらのことはすべて忘れられ、コペルニクスが再発見したわけです。次は惑星の動く軌道、速度に関心が集まり、テイコ・ブラーエ(1546−1601年)の綿密な天体観測結果が集積すると、ケプラー(1571−1630年)がこれを解析し、円運動だとすると火星の位置が8分ほど食い違っている事に気がついた。そしてケプラーの3法則の発見に至った。@惑星は太陽の周りに楕円軌道を描く。A太陽を中心(ひとつの焦点)とする動径の掃引する面積はどこでも等しい。B惑星が太陽の周りを1周する時間は軌道の大きさ(楕円の長径)の2/3乗に比例するということである。私は若かった頃ケプラーの本(岩波文庫だったと思うが)を読んで、この三法則がどうして導びくことが出来たのか結局分らずじまいであった。とにかくニュートン力学からは容易に導けるのだが、これを機会にもう一度考え直してみたいと思う。それはそうとして、惑星が太陽の周りを回らせているのは何かということである。ガリレオ・ガリレイ(1564−1742年)は「慣性の法則」という大発見をした。物が直進する理由は分からない。慣性の法則のメカニズムは誰も知らないが、等速運動の方向や速度を変えるには力が必要であるとニュートン(1642−1727年)は考えた。加速度に質量(慣性係数ともいう)をかけたものが力である。F=m(dv/dt)という数式で表すと、慣性(遠心力)に抗して2物体の内側に向って働く力がなければ物体は飛び出してしまう(ハンマー投げのように)。そしてその力が重力(引力)であるということも含めてニュートンはケプラーの法則を再確認した。ニュートンの卓見は、月を地球に引き止めておく力もその重力と同じものであると考えたことです。万物には引力があると一般化したことです。こう考えると天文学上の誤差や潮の満ち引きのような自然現象も氷解していったことです。そしてこの法則からレーマー(1644−1710年)は木星の衛星を観測して光の到達時間差から来る誤差から光の速度を決定した。いったん正しい法則が得られると、それを用いて新しい法則が次々と発見されるものだ。

惑星は圧倒的に大きな質量の太陽に引っ張られるだけでなく、惑星同士が引き合う力は微弱ながらも存在する。天文学者は惑星の運行を計算して木星と土星の動きは計算どおりなのだが、天王星の動きがおかしいことに気がついた。アダムスとルヴリエは独立に計算して天王星に影響を与える惑星の存在を計算して天文台に観測を依頼した。そして海王星(ネプチューン)を発見した。20世紀になって水星の動きに異常が見つかり、アインシュタインが相対性理論によってニュートンの法則に修正を加えた。重力の法則がどこまで遠くまで支配するのか、太陽系を超えて伝わることが分っているが、球状星雲、渦上星雲という5万年光年から10万年光年をこえて(太陽と地球の距離は8分)重力が及んでいることが分っている。ところでキャベンディッシュ(1731−1810年)は「地球の重さはかり」という巧妙な糸のねじれ計で重力定数(G = 9.80665m/s2) を決定した。そして地球の質量も決定された。ガリレオがピサの斜塔で行なった落下実験では、空気の抵抗がなければ2つの物体は質量に関係なく同じように落下する事を示した。引力は質量に正確に比例し、重力から得られる加速度は質量に反比例するので相殺するからである。アインシュタイン(1879 - 1955年)は相対性理論によって重力の法則に修正を加えた。光はエネルギーを持っており質量と互換性がある。質量を持つ光は重力に引かれて落下する。従って太陽の近くを光が通過すると屈曲を受けるのである。これによって水星の動きを説明したのである。距離の逆2乗則は電気の法則でもある。しかしその力は重力に較べて4.17×10 の42乗倍大きいのである。電磁気の場と重力の場のメカニズムの解明は難しい。極微の世界(核内)で重力はどうなるかは、重力の量子化は今後の課題であるとファイマン教授は言っているが、最近の進歩は著しいようだ。それにしても重力の法則の数式は単純で美しいとファイマン教授はいう。

2) 数学と物理学の関係

物理学は最初からすでに数学が必要なように出来ているところが面白い。化学や生物・医学などでは特にそういうことはない。だから数学に弱い人は化学や生物・医学へ流れる。これは公然たる事実である。とかくいう私は数学についてゆけなかったので、昔、理学部内での学科選択で化学へ進路変更したのである。言葉だけで語る科学もないわけではないが、数学の記号と推論法を使えば、手っ取り早く情報を伝えるばかりでなく、展開も速い。高いところに立ったように急に見通しがよくなるのだ。重力理論のモデルは数学的形式以外には存在しない。数学の記号化というものは単に言葉の言いかえではなく、数学は言葉プラス推論である。ファインマンは「"本当にわかった"と思うのは、物事に二通り以上の説明が出来た時だ」と語っている。力が常に太陽の方に向いていることから、一定時間のうちに太陽と惑星の動径ベクトルが掃過する面積は一定である事を2通りの方法で解説している。ひとつの方法はニュートン自身が「プリンキピア」でやったように幾何学の3角形の求積法から説明する方法、もうひとつの方法はベクトル解析の微分において、動径成分の描く面積変化の微分がゼロとなる(面積は変化しない)というものである。幾何学の作図というのは、解説されるとそうかで納得できる明快なものであるが、自身が考えるのはなかなかセンスが必要である。解析法は論理の導くまま筋を追ってゆくのだが、計算能力と根気が必要である。数学はひとつの命題から別の命題を導く方法であり物理学にはなくてはならない相棒である。しかし数学にはギリシャ数学(幾何学)の限られた公理から展開する方法と、バビロニア数学(代数)はまず計算ありきで始まり公式を数多く生み出す方法の2つの流れがある。定理を見つけるには公理に戻って考えるのではなく、数多くの公式の勝手なところから出発する法がはるかに能率的である。物理学はバビロニア式にするべきであるとファイマン教授の実利主義的な面目躍如たるものが見える。

重力の法則には力は太陽に向かって働くという命題と、等しい時間には等しい面積が掃過されという命題の2つがある。惑星同志の引き合いで軌道が修正される問題には力の方向を考えればいい、多くの惑星を一度に射影して運動を見る場合には、等しい面積が掃過されという命題から見れば角運動量保存の法則が発見できた。星雲が中心に向かって激しく渦巻く様子はこの角運動量保存則から説明される。こうして次から次に新しい命題が導かれるので、いちいち基本公理にまで戻る必要はない。等価でありながら異なった形の命題というのが全く別のものに見えるのが自然の姿である。ニュートンの重力法則は、見方によって、非局所性(遠隔作用)、局所性ポテンシャル(引力式を距離無限大から球表面までに距離を積分したもの)、最少原理(運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの差を最少にする道筋)という命題も等価なのである。自然を解釈するのに様々な体系が可能であると云う事実、これは自然の驚異的特徴のひとつである。「盲目のひとが象をなぜる」式のことは、ようするに物理が自然をよく分っていないのである。数学と物理の関係については、数学者はもっぱら推論の仕組みを議論するものであってその実体については無関心である。しかしその推論法は大変強力で物理学を導いてくれる。数学を知らないと本当の自然の姿は感じ取ることは出来ないであろうとファイマン教授はいう。

3) 保存則ー保存される自然量

物理学は数多くの法則から成り立っているが、これらの法則を貫く「大法則」というものがある。それは保存則、対称性、そして数学的であるという性質である。この章で扱う保存則は以下の6つである
@ 電気量(電荷)の保存則
これにはファラデーの面白い実験がある。大きな金属球に電量計をつけ、球の中で起電機を回しても球の表面には電荷を発生させることが出来なかった。電気とは電子の数であるとして陽子とつりあっている限り、プラスとマイナスの電荷は不変である事から当然の事です。素粒子論では電子の反粒子に陽電子があり、2つが合体して光を出して消滅すること明らかにしたが、電気量は変化していない。これらは別に数学を使うほどのことではない。どのような核反応が起きようともその前後の総電気量はおなじである。相対論において局所的に保存されるのである。電荷は単位数の整数倍になっており、電荷は電場や磁場を作り出す源になるという著しい特徴を持つ。
A 重粒子数の保存則 B 超核子数(ストレンジネス)の保存則
ファイマン教授は1960年代の素粒子論であるが、現在は核物理学は著しく進展し、複雑な様相を示している。バリオン(重粒子):陽子p、中性子n、ラムダ粒Λ、・・・・・・・・ メソン(中間子):π中間子、K中間子、η中間子、・・・・・・・・・というように、陽子や中性子の仲間が数百種あっては基本的な要素とは言いがたい。そこでもっと基本的な構成要素として、「クオーク」粒子が陽子や中性子などを構成することが明らかにされた。バリオン(重粒子)族のハドロンは三つのクオークから作られ、メソン(中間子)族は二つのクオーツから構成される。クオーク、レプトンは各6種類ある。世代の数が大きくなるほど質量が大きくなる。我々のまわりの物質は結局第1世代に属するuクオークとdクオークと電子から出来ている。ただニュートリノだけは例外的な存在で、電荷も持たず質量も持たず、物質との相互作用は極めて弱い。 ファイマン教授の時代の単純な核物理学では重粒子数・超核子数は保存されると考えられた。今ではこういう捉え方でどうこういっても意味を持たないのでこの2つの保存則は省略する。
C エネルギーの保存則
エネルギー保存則の中には質量保存則も含まれている。電荷や粒子数の保存則は粒子に基づく単位量をもつという特徴があったが、エネルギーには単位量はない。何しろ目に見えない量を扱うだけに抽象的でああり、様々な形をとる。運動エネルギー、重力のポテンシャルエネルギー、熱エネルギー、電気エネルギー、弾性エネルギー、光エネルギー、化学ネルギー、核エネルギー、アインシュタインの質量のエネルギーE=mc2などで、それぞれは関係があって他から説明することが可能である。アインシュタインは、質量が重力を作るというニュートンの考えから、エネルギーが重力を作るという考えに発展させた。
D 角運動量(運動量)の保存則
エネルギーと運動量(角運動量)は親戚関係にあり保存則が成り立つ。エネルギーE=mv2、運動量P=mv、角運動量S=m(rv)は数式としても殆ど同じである。電磁誘導の法則も磁場と電場の角運動量の変換に過ぎない。
E 対称性の保存則
この対称性の保存については次の項目で述べることになるが、古典力学では対称性は問題にならなかった。量子力学になってその内部構造はしばしば対称性を持つので、量子力学では対称性の保存は重要となった。

4) 対称性ー物理法則の保存性

ここで述べることは物体の形状の対称性ということではなく、物理法則それ自体の対称性である。正方形を中心を軸に90度回転しても同じであるように、ワイル教授の定義によると「ある対象に何かの働きかけをすることが出来て、それをした後でも対象が以前と同じように見えるなら、その対象は対称である」というのと同じ意味である。空間における平行移動の対称性、時間における対称性、空間における中心をきめた回転の対称性、直線状の等速運動の対称性は相対性原理を生み出した。アインシュタインとポアンカレは物理法則の対称性に注目しました。量子力学は原子の置き換えができるということから、原子の周期律表が生まれた。ところが対称性を欠く変換もある。長さ、面積、体積の尺度の関係は、元の長さを2倍にすると面積は4倍、体積は8倍となって対称性はなくなる。等速平行移動と違って、自転運動は対称性が無い。空間反転にも対称性はない。左右の鏡像関係は対称性がない典型である。溶質の旋光性(D体、L体)、生体高分子のラセン形は右回りか左回りかを厳密に区別する。物理法則も合成化学反応も左右の区別はつけないが生体は左右を区別するのだ。20世紀後半には素粒子像の謎は深まるばかりでしたが、リーとヤンは「物理学の対称性が正しくないのかもしれない」と言い出して、中性子が陽子と電子、反ニュートリノに壊れるとき、飛び出した電子の自転(スピン)は左回りだという実験結果を示した。平行移動の対称性を持っていれば、運動量は保存されるという関係は最少原理を仮定していることに由来する。このへんは非常に抽象的な議論になるので省略したい。

5) 過去と未来ー可逆と不可逆過程

物理法則は時間の平行移動でも成り立つかというと、これまでのところ過去と未来の区別は見当たらない。重力、電磁気、粒子崩壊などは可逆的である。非可逆の現象を見ると、摩擦による運動量の減少、偶然が引き起こす拡散現象を元に戻す手は無い。分子の衝突のような自然界の不規則な作用は、非可逆現象である。秩序から無秩序への移行も非可逆である。エネルギーの総量が一定としても、温度差はエネルギーを取り出ししやすいバロメーターのようなもので、時間が経つと温度が均一化しエンルギーの有用度は不断に減少する。これが非可逆性の原理であり、「エントロピー増大の法則」と呼ばれる。

6) 確率と不確実性ー量子力学の誕生

科学の歴史とは、単純な経験に基づく直感が自然現象を解き明かしてきた。ところが物理法則は最近直感から遠ざかってきた。相対性理論も狐につまされた類の人を食った話である。自然界の理解では直感に頼る部分が少なくなり、原子のような目に見えない世界にはまさしく存在する物を理解するために想像の翼を伸ばさなければならない。光は光学(レンズ)の世界では光線というように粒子の動きのように理解されていた。しかし光は電磁波であり波の性格を持っている。回折や回り込みもするのであるが、光電効果に見るようにその粒子数(塊)としてカウントすることも出来る。電子も最初粒子の運動と理解された。電子線回折現象を起こすことから波の性質も現れた。いったい電子は波なのか粒子なのかに決着をつけるべく、1925年ハイゼンベルグが行列力学を、1926年にシュレージンガーが波動方程式を提出したことで量子力学が誕生した。ここで目を通じて見て来た世界が全く通用しない事を思い知らされたのである。これを理解するには想像力が必要だ。相対性理論を理解した人は1ダースはいたが、量子力学を本当に理解できた人はいなかった。アインシュタインも生涯理解できなかったらしい。喩話として有名な「2つ孔の実験」がある。私は若い頃朝永振一郎の本で読んだ。同じ話をファイマン教授がしているところを見ると、1960年代の量子力学の理解が推し量られて面白い。ここでは繰り返さないが2つの孔を潜り抜けた、粒子、波、電子の様子を示したものである。粒子では確率分布の和として、波では干渉縞として、電子ではひとつの孔では確率分布として、2つの孔では干渉縞が現れるという話である。電子は粒子の様でもあり、波の様でもあり同時に二つの顔を持つことを「ハイゼンブルグの不確定性原理」という。要は決められないということだ。化学を発展させようとすると、実験をするには能力が、結果を報告するには正確さが要求され、結果を解釈するには知力が必要なわけである。

7) 新しい法則とはー高エネルギー物理学の混沌

1970年以降の高エネルギー物理学(昔でいうと素粒子論)が著しく進展し、素粒子が数百個も現れて「素」という言葉が意味を成さなくなった。今ではクォークという言葉で整理されている。それについては南部洋一郎著 「クォーク」(講談社ブルーバックス)が整理して書いてある。原子を形づくっている材料としては電子、中性子、陽子、光子、クラヴィトン、ニュートリノ、ミュー粒子、ミューニュートリノ、反粒子、中間子、ラムダ粒子、シグマ粒子・・・など4ダースの種類がある。数百個の日進月歩の高エネルギー粒子を分類をしても切りが無い。これだけの粒子があり、幾つかの物理法則をすべて取り入れて計算すると物理諸量が無限大になるという矛盾が生じるようになった。そこで編み出されたのが「くりこみ理論」(朝永振一郎、ファイマン教授らがノーベル賞を受賞)である。これはファイマン教授によると「手品」であり、矛盾を内緒にして進もうということであったようだ。高エネルギー物理分野は実験屋の独壇場で、理論屋の立てた仮説は簡単に覆される。仮説が無くても実験は進むのだ。すごいエネルギーで粒子を衝突させると、世界中で新粒子の誕生である。今日新しい法則を見つけるために実験は高エネルギーに向かっている。今までたくさんの粒子が見つかったが何が分ったわけでもない。むしろ何も分らないことを露呈したに過ぎない。ハイゼンベルグは「測定できないことは問題にすべきではない」という考えであるが、理論を組み上げるときには、計算の結果が実験と比較できるようなものでなくてはならいという意味である。信じ込まれている原理を捨てることが必要であるが、近似的に成り立っている原則を破る事象は掃いて捨てるほどある。要は何を残して何を捨てるかのセンスである。物質の概念、哲学のような法則の理解より、方程式を探せというという考えもある。真理は予想より単純な形を取って現れるだろうというのがファイマン教授の最後の言葉でした。

8) ノーベル物理学賞受賞講演「量子電磁力学の発展」

やはり、ノーベル賞受賞講演だけのことはあって、内容はかなり高いものになっている。この分野の研究者でないと機微は理解できないだろう。従って私にも理解できない。最終的な形の理論を矛盾無く教科書風に解説するということではなく、ファイマン教授の研究者生活の開始からノーベル賞受賞にいたるアイデアの経過を述べるということである。そしてそのアイデアは殆ど最初のもくろみは失敗したというから理解できないのは当然である。ノーベル賞受賞理由のひとつである「繰りこみ理論」とは、数学的手品で難点を隠すだけのことで物理的にはいまだに分らないとファイマン教授に白状されてまたびっくりするだけである。ファイマン教授はいかにもアメリカ流の実用主義で、役に立たない哲学(物理像、モデル)よりは直感的(証明はあとまわし)数学方程式の提案に終始してきた。うまく難点をクリアーできる方程式が見つかれば、そして色々検証して矛盾が少なければそれで大成功という。天才的数学能力を縦横無尽に使って、うまい数学的形式を編み出すことの繰り返しである。古典電磁気学はマックスウエルの波動方程式で完成している。電磁気学の量子論には2つの難題があったという。ひとつは電子が自分自身と相互作用(電磁場作用)するとするとネルギーが発散すること。2つには場は無限の自由度を持つという理論上の問題であった。そこで学生のファイマン君は電子は自分自身には作用しない、他の電子にみ作用するという大それた電磁気学を構築しようとした。そこで彼がやった数学テクニックとは、作用積分Aの第1項は自由粒子の作用積分とし、第2項を電荷の電気的相互作用とした。この相互作用項にクロネッカーデルタ関数δij(i≠j)を持ってきた。量子論への移行において作用積分Sをラグランジアンの積分の蚊帳地であればハミルトニアンを組み立てて量子力学を作ることが出来るだろうという企てである。数学的ひらめきはディラックの数式の援用でAexp[iε/h L]を用いることでシュレージンガー方程式が出てきた。ラグランジアンと量子力学の橋渡しができた。作用積分を解して量子力学とつながったのである。これが量子電磁気学への貢献というノーベル賞受賞理由である。ここでファイマン君は学位論文を印刷してPh.Dを取った。戦後は縦波・横波の電磁場を相対論的にするために座標軸の回転という難題に苦しんだが解決は無かった。有名なラムの水素原子の電子エネルギー準位実験結果を説明するため、δ関数の代わりにあるひろがりaを持つ関数fを導入し、電子の自己エネルギー計算してa→0とおくとエネルギーが有限になったという。ディラックの負エネルギー電子の海という難題に摂動計算にチャレンジしたが、殆どが「半経験のいかさま」の数式で解決をし、たくさんのチェックにも耐えたという。同じことは中間子論の摂動計算でも発揮され、ファイマン教授の計算能力と技術は世界最高といわれた(ただし証明はない)。ファイマン教授の問題はひとつひとつの命題に数学的証明を与えることであった。しかし彼は直感による方法によって、悪魔に魅せられたように多くの真理(有用性)を発見したことであろう。数学的テクニックがうまく難題を解決するように見えて、また別の問題を抱え込んだ。そのひとつはエネルギーに複素数が出てきて、確率の和が1にならないことであった。これをユニタリー性の破れという。そしてファイマン教授の反省は、この研究の途上で発展させた考え方が全部、最後の結果には使われなかったということである。大がかりな物理的推論を行い、数学的形式を書き改めて、結論は以前から分っていることを言い換えたに過ぎなかった。そこでファイマン教授は居直って、「最良の方法とは方程式を推論で探すことで、物理モデルなんか糞食らえ」と極言する。


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