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枝野幸男著 「事業仕分けの力」

 集英社新書(2010年4月)

事業仕分け総括者枝野行政刷新大臣が巻き起こした政治文化刷新の新風

2009年11月、鳩山新政権が設置した行政刷新会議による「事業仕分け」は、世論調査では国民の8割が支持した。徹底した情報公開、裏取引に無い透明性、国民を納得させる説明責任、取材・傍聴の自由化など日本における政治文化のターニングポイントとなった。この仕分けの総括として、作業をリードした枝野幸男氏は、事業仕分けでの功績を買われ、2010年2月、藤井財務大臣の突然の辞任による内閣人事により、仙石氏の後をついで行政刷新担当大臣に任命された。事業仕分けと行政刷新は政治の動きとしては方向が一致するからであろう。この仕分け人総括者自らが、昨年11月の第1次「事業仕分け」の総括を行なったのが本書である。もちろん行政刷新会議にも報告書が出ているが、第1次「事業仕分け」の目的、方法、成果を1冊の本にまとめられたのは、2010年4.5月から始まった独立行政法人と公益法人を対象とする第2次「事業仕分け」を前に、実にタイムリーな本となっている。一読しておいて損は無い。新聞紙上では毀誉褒貶が激しく、揶揄する論調が多い中で、事業仕分けの実相を知っておくことは重要であろう。国の債務残高は2010年末に973兆円になるという。この巨額な債務残高はもはや待ったなしの対策を要求している。意義の不明な事業や、事業の重複、ピンはね、中抜き構造など、行政機構の無駄をあぶりだして国民の税金の使われ方を透明に議論することはまさに時代の喫緊課題である。仕事の専門家といわれ、優秀といわれる官僚たちが、いかに国民の税金を無駄使いしてきたかを白日のもとにさらすことが「事業仕分け」の役割であろう。仕分けのテレビ報道で、しどろもどろの回答しかできない官僚の姿を見ると、官僚無誤謬神話は完膚無きまでに打ち砕かれた。原子力安全神話より脆かった。この国を官僚特権階級によって食いつぶされないように、私たちはしっかりこの事業仕分けと行政刷新会議を見つめてゆかなければならないだろう。

著者枝野幸男氏については、いうまでもなく現在鳩山内閣の行政刷新担当大臣である。本書ならびに「枝野幸男オフィシャルサイト」から、プロフィールを紹介する。1964年栃木県宇都宮生まれ。1987年(昭和62年) 東北大学法学部卒業。 1988年(昭和63年) 司法試験合格(24歳)。 1991年(平成3年) 弁護士登録。1993年(平成5年) 日本新党の候補者公募に合格し、旧埼玉5区から衆議院議員初当選(29歳)。 1994年(平成6年) 日本新党を離党し新党さきがけ入党 。1996年(平成8年) 菅厚相を支えて薬害エイズの謝罪・和解を実現した。民主党結党に参画し、1997年(平成9年) (旧)民主党政策調査会長。1998年(平成10年) 4党合併で新「民主党」発足 政策調査会筆頭副会長。2005年(平成17年)民主党幹事長代理。2009年(平成21年) 衆議院予算委員会・理。小選挙区埼玉5区から衆議院議員六選。鳩山内閣で行政刷新会議・事業仕分け統括役 。現在 衆議院議員(当選6回、1993年〜)行政刷新担当大臣。人物像は政策通として数多くの議員立法を提出しているし、民主党内では前原誠司、岡田克也、菅直人、長妻昭らと近い関係にある一方で、小沢一郎とは一定の距離を置いている。 格差社会を推し進めたとして経団連を民主党の中で最も強く批判している。

2009年10月鳩山内閣の仙谷大臣は行政刷新会議の事務局長に、政策シンクタンク「構想日本」の代表である加藤秀樹氏を任命した時から、事業仕分けの実施が大臣の視野に入っていた。枝野幸男議員が仙谷大臣から呼ばれ、事業仕分けの総括者に打診された時には、二人の頭には次の7人の侍(WG評価者 仕分け人)の名前がすぐに浮かんだという。2009年11月の行政刷新会議ワーキンググループ評価者名簿(国会議員)は以下である。(2010年4月任命の第2次WG評価者には、枝野氏は抜け、中島 隆利 衆議院議員が加わる)

全WG(総括者) 枝野幸男衆議院議員
第1WG
   津川 祥吾 衆議院議員
   寺田 学 衆議院議員
    亀井 亜紀子 参議院議員
第2WG
   菊田 真紀子 衆議院議員
   尾立 源幸 参議院議員
第3WG
   田嶋 要 衆議院議員
   蓮舫 参議院議員

1) 政治文化の革命としての事業仕分け

事業仕分け対象の候補は主として次の4つのカテゴリーに分類される。
@会計検査院などが過去に税金の使い道に問題ありと指摘した事業
A仕分けを担当する議員が取り上げたいとする事業
B2009年4-6月に民主党が仕分けを行なった際に対象となった事業
C財務省が仕分け対象とすべきだと推薦した事業
新聞紙上では財務省主導だとか、財務省の手の内で踊らされているといった批判がなされていたが、これは全くお門違いの報道であった。財務省を対象とした仕分け事業には国立印刷局がある。財務省が仕分け対象としたい執拗に求めてきた事案には地方交付税交付金の総額の審議があるが、これは総額の水準は政治が決めることでWGの仕分けにはなじまないということで退けたという。仕分けのやり方は、各事業で予算を要求する側の省庁の担当者と、査定する側の財務省主計局の担当者を呼んで、まず資料を要求して双方の説明を聴取する。これまで秘密裏で行なわれていた予算のやり取りを公開したことは画期的なことである。裏取引も政治家の圧力も無い状況で予算の説明を聴くことが出来た。仕分け人は事前に現場に出向いて調査を行い、連日深夜まで資料を読み込んでいた。仕分け本番は1時間であるが決して短時間のやっつけ仕事ではない。財務省などの官僚が仕分け人のところへ出向く「ご説明」は受け付けなかった。どういう事業を選ぶかは、国会議員仕分け人の意見を枝野氏が取りまとめ、官民混合の行政刷新会議事務局と相談した決めた。会場は独法国立印刷局の市谷にある体育館で行なわれた。2009年11月の民間仕分け人は、第1WGで16人、第2WGで22人、第3WGで22名(総計60名)であった。鳩山首相が委嘱状を渡して参加を要請した方々であるが、大学教授が20名ほど、地方自治体職員と議員が10名ほど、民間シンクタンクや経済研究所から10名ほど、監査法人・弁護士から5名ほど、金融会社・証券会社・民間企業から15名ほどである。新聞などがいう「素人が専門家を裁く」人民裁判だという批判は当たらない。政策的な方向性は問わず、会計的視点、合理的思考力、適切な質問と判断が出来る明晰な能力こそが重要である。利害関係者どうしの馴れ合い質問ではこの国は改まらない。事業仕分けは個々の事業の政策目r的について妥当性や優先順序を判断するところではない。それは国会や内閣が政治プロセスで決めることである。事業仕分けはその事業がその政策実施の手段が合理的で有効かどうかを判断するものであった。仕分け人が自身の良識と良心にのみ従って行なうところである。事業仕分けは次の3点で日本の政治文化を換えるキッカケになったという。
@議会の役目は予算を増やすことではなく、減らすことであり監視することである。
A事業の目的と手段は区別して議論すべきである。趣旨がよければでたらめをやっても許されるのでは決して無い。
B事業は必要だという方に立証責任がある。無駄だという人の疑問に答える説明責任がある。

2) 事業仕分けのやり方

事業仕分けは非営利団体の政策シンクタンク「構想日本」によって生み出された行政改革の手法である。2002年岐阜県で実施され、2010年までに6つの省庁、46の自治体で63回実施されている。@予算項目ごとに、A必要かどうか、やるならどこがやるべきか、B外部の視点で、C公開の場で、D担当職員と議論して仕分けてゆくという特徴を持っています。特に外部の視点が必要です。内輪の議論ではなく市民へ外部に説明が必要なのです。第2に公開の場が重要である。特に官僚は公開を非常に嫌う。個別に裁量制でやってきた官僚の仕事には、他人の目は困るようだ。事業仕分けの過程は、次の順序でおこなう。@必要性、A担い手は国かどうか、B緊急性、来年度本当に必要か、C事業の内容組織制度に改革の余地はあるか、D改革の内容についてヒアリングと討論が行なわれる。第1次事業仕分けは11月に行ったため、予算について審議した。本来事業仕分けは、4月以降に決算について行い、その結果を予算作成に生かすというのが筋である。第2次事業仕分けを2010年4月5月の行なうのはその意味で決算について行なうのである。事業仕分けは事業をゼロベースで見直すこと、政策の効果を絶えず検証するサイクルを確立することである。これは企業でやっているPDCA(plan-do-check-review-action)のサイクルを廻すことである。そして公開の場で透明性の確保ができ、政治主導を実現することである。最後に官僚の改革への当事者意識を持たせることである。具体的には事業仕分けは474件の事業について3つのWGで9日間で行なう。ひとつの事業案件の持ち時間は1時間である。事業説明5分、説明者は局長、審議官クラス、財務省査定説明5分、取りまとめ役から論点説明2分、質疑応答40分、仕分け人が評価シートへ記入3分、副大臣・政務官はこの評決には参加しない。評決結果発表2分という具合であるが、大幅に時間を延長する場合もあったようだ。そして事業仕分けは最終決定ではない。あくまで参考意見であり、どう反映されるかは予算編成権を持つ財務省と内閣の判断による。個々の事業仕分けのやり取りと結果は本書でも一番ページ数を充てておりそれなりに興味あるが、個々の事業内容は本書のマトメには本質的で無いので割愛する。

3) 事業仕分けに対する批判に答える

この事業仕分け出した評価、結論に対して、事業の当事者(利害関係者)から猛然と反対の声が出た。たとえば文部科学省関係では、ノーベル賞受賞者らが異議申し立てといえる緊急声明を発表した。特に次世代スーパーコンピュータについては批判が多かった。また立花隆氏は「野蛮人が日本を潰しにかかっている」と口穢く批判した。予算を削る人は野蛮人と云うわけである。文明人には無制限に税金を使う権利があるかのようである。昔の日本の学問は紙と鉛筆でやってノーベル賞を貰ってきたが、最近ではやたら巨大な施設で巨額の金を使う研究になっている。こうした批判や異議について、多くの場合「勘違い」、「事実誤認」を特徴とする新聞文面や、裏で官僚にたきつけられた形跡が見えることである。「なぜスパコン開発で日本は1位でなければならないの」という蓮舫仕分け人の質問が新聞紙上で話題となった。文部科学省は1位で鳴ければならない理由を説明していない。これだけは1位を目指すという背景、体制、人材などをきちんと国民に分るように説明するのが事業仕分けである。開発に参加した民間企業3社のうち2社が撤退した事業をだらだらやっていても成果は見えない。結果は「見送りに限りなく近い縮減」でした。これを仕分けた人々はけっして素人の野蛮人ではありません。科学技術関係の仕分けには大学教授らもたくさん入っている。この事業にけちをつける人は野蛮人か無知だと思い込ませる報道がやたらと多かった。もし大学教授がでたらめな事業に乗っかって、湯水のような金を使っていたら、これに待ったをかけるのは国民として当然なことで、その人がノーベル賞を貰っているとかどうかは別問題である。手段と目的は別である。事業推進団体例えば理化学研究所に多くの天下りがいて、その団体(独法)の経営を仕切っていることが問題なのである。事業仕分けでは科学技術予算のトータルが適当かどうかは議論していない。予算の使われ方を議論しているのである。そこの論点をすり替えて事業仕分けの批難報道に乗っかる科学者も案外馬鹿なのだということである。「研究目的そのものを理解していない」といって批難するのはお門違いで、予算の使い方が合理的でないといっているのだ。また法学者はこの事業仕分けが法に基づく資格や権限を有しないといって疑問視する人もいる。これは当然なことで、事業仕分けは政治主導であるし、決定には拘束力は無いと最初から言っている。資格や権限よりも、国民にどう伝わるかという視点で行なうこと、説明責任(立証責任)は政策提案側にあると云う政治文化の改革にある。予算折衝を国民が直接見聞きできる環境で行うということは日本の憲政始まって以来の出来事であった。それが小泉流の劇場型政治といわれる向きもあったが、決してポピュリズムではなく、国民の知る権利と義務の意識革命であった。最後に全く事実誤認に基づく報道で世の中に大きな誤解を広めたのが「市販品類似薬の保険適用除外」という項目である。議論されたのはうがい薬と湿布薬についてだけであって、「漢方薬を保険適用除外にする」という報道は全くの誤報であった。その原因は財務省の提出したペーパーに「湿布薬、うがい薬、漢方薬」となっていたことである。事業仕分けでは漢方薬などの医薬品は議論しないことにした。財務省のペーパーを鵜呑みにしてそのとおりに議論されるだろうと早合点した新聞のデスクの間違いであり、現場の記者らは一言の確認もなかったと残念がっていたという。それとも、官のリーク情報に頼ってきたデスクの古い体質が露呈されたのではないか。

4) 有権者の意識改革としての事業仕分け

政治家の役割は、経済成長の時代は予算を増やす、獲得する、選挙地元民に予算を回すことだと考えられていたようだ。ところが17世紀の市民革命のころは、議会の役割は、王様が自分の宮殿やぜいたくそして戦争のために税金を使わないように監視することであった。今日未曾有の財政赤字の時代には政治家は政策の優先順序のみならず、予算の使われかたを監視し、非合理、無駄を排することも重要な課題である。仙谷国家戦略担当大臣は政治文化を改めるには、国民が政治の中味を透明な環境できちんと見聞きできる過程があること、そして予算は増やすのではなく削るという態勢を作ることであると云う。事業仕分けで出た議論は直ちに予算を廃止するということではなく、3年以内、5年以内にこう改革しましょうということである。事業仕分けでは削る予算を合計したり、それが成果であるかの考え方は意味が無い。3年後に又チェックされる場合に、それなりの改革がなされたのかが問われる、第1次事業仕分けは11月にスタートしたため、来年度はこんな事業は予算を請求するなというという位置づけであたが、本来は4月5月に行なって、決算に基づいてこの事業はまずかったとか効果がなかったとかいう、レビューとアクションにしてゆきたいという。又事業仕分けで財務省の査定理由を文章で提出させたことは、画期的なことである。財務省の出したペーパーによって事業仕分けが誘導されたという財務省主導論は全く見識を欠いた意見である。財務省が査定を文章で書いたということは、財務省の判断基準を公開することであり、今後いい加減な査定は出来なくなる。これまでの政治権力の源泉のひとつは、人が知らないことを自分だけが知っているということに基づいてきた。政策の手の内を見せないで「私が決めました」と、いかにも有能な策であるかのように見せるマジックにあった。この十年ほどで情報公開の構造も変わった。枝野氏はこの事業仕分けをやるまえには、その事業に一番詳しい官僚に太刀打ちできるのだろうかと心配したそうであるが、結果は各省庁はたいした反論は出来ず右往左往しているだけであった。それは官僚自体が政治家していたことによる。事実と論理で反論するのではなく、政治的圧力に頼り、新聞などを使って反論する体質になりきっていた。建設省、厚生労働省、農水省の技術官僚と同じで、最初から専門家ではなかったのである。専門家を使っていただけで、底が割れていたのだ。今後の事業仕分けは独立行政法人、公益法人、特別会計などをやなければならない。大体3年ほどやれば、それからは本格的仕分けは少なくなり、仕分け結果のフォローが中心となろう。将来仕分け人は裁判員制度のように国民の幅広い参加が求められる。これも情報公開の新しい形である。官僚の中には専門家はいない。みんなで口を出していいのである。やりたい放題の官僚政治を改めようではないか。


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