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アーサー・ケスラー著 村上陽一郎訳 「偶然の本質」

  ちくま学芸文庫(2006年7月)

超心理学(超感覚知覚)をニューエイジサイエンスと見るか 知の冒険とみるか

本書はずばり「超心理学(パラサイコロジー) 超感覚知覚(ESP)」入門である。「オカルトにも一分の真がある」と感じる人は読めばいい。日本の心理学者・心理療法家・元文化庁長官・京都大学名誉教授であった故河合隼雄氏は日本におけるユング心理学の第一人者とされるが、ユングの心理療法を学ぶ時にいつも「治療者と患者の特殊な関係、これはオカルトにつながるのではないか」という危険性を感じていたという。本書の訳者村上陽一郎氏は押しも押されもしない科学史家と知られているが、本書の訳本の出版を蒼樹書房から持ち込まれた時、一寸危ない書と感じたが、これを1970年代に流行したカウンターカルチャとかニューエイジサイエンスとみなせば、それはそれで意義のある仕事と理解したという。ただし出版社にはESPを前面に出さず、客観的に、冷静に取り扱うような宣伝をお願いしたという。西洋近代科学を二元論的、還元主義、決定主義、因果論的に見る見方は文科系の評論家に多い特徴があるが、それも量子論を学んだひとには滑稽に映るようだ。科学は永久にわからないことだらけだと思っている人のほうが自然科学者には多いのではないか。たとえばニュートン力学で2体問題以上は解けないし、非線形問題は初期値でどうでもなるので解があるようでないようだし、空白のゲノムの謎は深まり、脳科学も緒についたところで、生物の生態・進化は雲をつかむようらしい。だから科学は面白いというのが本根ではないか。本書のテーマであるESPなどは全く分らない事項に相当し、「時間と空間問題」と同じように、まともな並みの科学者は立ち入らないほうが無難と思われている。本書の原書は1972年に刊行され、1974年蒼樹書房から村上陽一郎訳で刊行された。2006年にちくま学芸文庫版として刊行された。著者アーサー・ケスラー氏(1905−1983年)は、近・現代科学の啓蒙化として幅広く国際的に知られた著者であり、敢えてこのESPという領域に踏み込んだ意図と勇気に共感を覚えると同業者の科学史家村上陽一郎はいう。

そこでまずアーサー・ケスラー氏のプロフィールを紹介する。アーサー・ケスラー氏は1905年ブタペストにユダヤ人を父として生まれた。その後一家はウイーンに移住したが、生活は苦しく自活しながらウイーン大学に学んだ。中東問題やユダヤ人問題に関心を持って、トルコなどに滞在しドイツの新聞社の中東通信印として活躍した。1930年初めドイツ共産党に入党して失職した。フリーの通信員として活動しソ連に入ったが、スターリン独裁体制に失望して、1936年反フランコ・スペイン市民戦争に参加した。フランコ軍に捕らえられ死刑の判決を受けるが、英国の尽力で釈放された。1938年共産党と訣別し、スターリンの暴虐を描いた「真昼の暗黒」「ヨギと人民委員」など小説を書く。1948年英国国籍を得て移住し政治的活動からの離脱を宣言し、科学啓蒙的執筆に専念するようになった。1959年「夢遊病者」を著わし、夢にとりつかれたケプラーやコペルニクスの斬新な考えを伝記として紹介した。1964年「創造活動の理論」、1967年「機械の中の幽霊」は科学哲学に大きな足跡を残したといわれる。「心身問題」を扱い、科学主義を越えた次元で「ホロン革命」を展開した。晩年パーキンス病を患い、さらに白血病に冒され、78歳で妻と心中した。訳者村上 陽一郎氏(1936年ー )は、1962年東京大学教養学部(科学史科学哲学分科)を卒業し、科学史家・科学哲学者として自立、東京大学教授、国際基督教大学教授、東京理科大学教授、東洋英和女学院大学学長を勤めた。科学史研究者としての専門は物理学史である。著書・訳書の数は多い。

1) 超感覚知覚(ESP)とは

超心理学を超自然現象を扱うと見る人は、非合理的、非科学的と非難する。今の理性では理解不能であるからだ。今の物理学や数学でも普通の頭では理解不可能なことは山とある。虚数iもそうだし、反陽子(クオーク)も何のことかわからない。アインシュタインの特殊相対性理論も何人の人が理解できているのだろうか。私にもちんぷんかんぷんである。光の速さにおいては質量とエネルギーは同一であると云うE=mc2のアインシュタインの式から原子爆弾が生まれた。曲がった空間、逆行する時間など定義した後から覆すような定義を持ってくる学問には腹が立つ人と面白がる人がいる。天才は面白がる。ESPを非合理だと生理的嫌悪感を示す人は前者であり、一寸考えてみようという許容的態度を示す人は後者である。ESPは単なる詐術、誤解、精神的混乱に過ぎないかも知れないが、この本は一応考えてみようというのである。1932年デューク大学のライン心理学科助教授は超心理学研究所の設立を許可された。テレパシーや透視に関する研究が学問として始めて認められたので、ライン氏は超心理学の祖と呼ばれる。ライン氏と協力者はこの怪しげな現象の研究に厳密な科学的方法を導入した。統計的方法、数学的分析、コントロール実験を使って研究した。今日の超心理学に関する術語、ESP、プサイ効果、下降効果、補強、BM、BT、SO、STMなどはライン氏らが導入した言葉である。心理学者ユングも「共時性」という言葉を生んだ。ESPは1960年ごろ意外にもソ連で熱心に研究されたようだ。これには宇宙技術開発競争が絡んでいたようで、テレパシー研究の隆盛と同期している。ベクテレフ、ヴァッシリエフは遠隔催眠の研究を発表した。1971年、実はアメリカの宇宙船飛行士ミッチェルが月面着陸の際に、地球の被験者と連絡を取ろうとした。結果は報告されていない。これらテレパシーに関しては少数の関係者がぐるになればいつでも出来る詐術だとして強硬に反対する学者もいる。

ESPは職業的霊媒者たちの心霊主義的詐術では無い。超心理学はあの世のことには関係しない。ラインと彼らの学派が行った「トランプ当て実験」は統計的にみてしっかりした実験である。5種類のカードを当てる実験を適当な回数行うと、カードを当てる確率は次第に1/5=0.2 に近づいてゆく。たとえば1000回行うと、正解回答数は200になるはずだ。これを「大数の法則」という。もし220回正解が出ると、これは有意な偏差といい、偶然以外の何らかの要素が働いているのではないかと考えられる。英国で行われた100万回の実験では明らかに有意な偏差が見られ、ESPは存在するといえる。もちろん実験回数が多くなる(数週間、数ヶ月続く)と単調な為被験者の意欲は衰え被験者のそうした能力は急速に低下する。これを「下降効果」といい、統計的に偏差はなくなる。これが究極の「出たら目」さである。つまりESPに意欲を持った人々が必要なので、信じない人には何も起きないのである。このあたりの事が「いわくいいがたし」なのだ。仮説検定はt判定、F判定などの信頼性を添えて表現する。「こう判定するとき、リスクはP<10-7乗)である」という。確率論は一つ一つの出来事がどうなるかは全く予言できないが、そうした出来事が非常にたくさん集まって出来た一つのプロセスが全体としてどうなっているかについては極めて正確に予言できるのである。非常に稀にしか起きない事象は、2項分布、ポアソン分布、t分布などに従う。たとえば軍隊で馬にけられて死ぬ人の確率はポアソン分布で非常に正確に予言できる。たとえEPSが起きるとしても正解率は数%上がるに過ぎないので、競馬で勝ち続けるというような実利はないのだ。競馬ではJHAが3割の場代を取るので、数%の確率であったとしてもとても儲かるような事態にはならない。それほどESPはいい加減な能力であるともいえる。そしてさらにその人のESP能力が以前と同じように働くという保証はどこにも無い。つまり再現不可能で予測可能は形で起ることもない。心理学者が自由にESP能力を興させるような技術開発を行わない限り、それはいかさまといわれてもどうしょうも無いのだ。

イギリスには1882年より心霊研究学会SPRがあり、著名な心理学者、哲学者、政治家、科学者、ノーベル賞受賞学者などが会長を引き受けてきた伝統がある。ノーベル賞受賞者には、シャルル・リッシュ(血清療法)、アンリ・ベルクソン(哲学)、レイリー(原子物理学)がいる。ESP研究の伝統は長い。1960年代ニューヨーク・マイニダス医学センターのクリップナーとウルマンは「夢用実験室」を作り、被験者の脳波計で睡眠を確認して数10メートル離れた別室の人がテレパシー的な夢を送った。夢のストーリの類似性を統計的に判定したが、そもそも不満足な結果しか得られなかった。1934年よりラインと協力者は念動PKがさいころの目を替えさせる実験を行ったが、1944年にその結果を発表した。50万回の結果は有意であったという。PKという概念はべつに念力で物を持ち上げるとかいうのではなく、さいころの目を換えるという表現はおかしいので、これは予知能力というべきであろう。PKもESPも「プサイψ」という名でくくられている。1970年超心理研究所長のシュミットは電気的な「乱数発生装置RNG」を用いたランプ点灯実験で予知能力を試験しP<0.001で有意であったという。1970年ハワイ大学のマクベイン教授らは、送り手は25秒間ひとつの絵に注意を集中させ、受け手が答える形で実験した。すると偶然によるアテ推量では説明できない高いレベルで予知能が得られたという。これをマクべインは「擬似感覚的意思伝達QSC」と名づけた。

2) 量子物理学の展開

量子力学に関する問題提起である。たしかに19世紀末から始まった量子力学の進展は、空間、時間、物質、因果関係など物理学に関する考え方をすっかり変えてしまった。今日の物理学の世界は相対性理論と量子論とに基づいたものであるが、それは古典的ニュートン力学からは想像もつかない世界であった。ハイゼンベルグは不確定性原理で1932年ノーベル賞を受賞したが、20世紀初めのラザフォードとボーアの古典的原子模型を棄て去り、「原子はものではない。古典物理学的なものではない。時間と空間との中で客観的な世界はもはや存在しない」といった。シュレージンガーとディラックは、量子力学の教科書の第1ページ目に出てくる有名な、波と粒子の両性をあわせたシュレージンガー方程式を作った。これをコペンハーゲン学派は「相補性」と呼ぶ。電子は波動であって、粒子であるという二つの性質は位置も質量もエネルギーも否定するもので、量子力学を学習された経験のある人々はこれをどのようなイメージで納得されているのだろう。それを「場」という言葉で繋ぎとめているのだろうか。物質とは中程度の大きさの世界で存在しているもので、宇宙とか原子核という両極端の世界では物質の関係事項はもはや幻想なのか。最初3つ(電子、陽子、中性子)で始まった素粒子が、いまや実験室や宇宙で増え続けて、約100種の「素粒子」だらけとなってしまった。素粒子の素を「クオーク」という。2008年日本の3名の物理学者がクオークの理論的予見でノーベル賞を受賞した。南部陽一郎著 「クオーク」、小林誠著 「消えた反物質」 にクオーク狩の模様と増え続けるクオークの分類を示した。泡箱のなかでのみ生じ瞬間に消え去る「泡」のようなクオークばかりである。1930年パウリにより予測された「ニュートリノ」は1956年にラインズとコーワンによって初めて発見された素粒子である。ニュートリノは実際上全く物理的属性を欠いた粒子で、質量もなく、電荷もなく。磁場も無い。幽霊のようなニュートリノが停止するのは他の粒子と正面衝突するときだけでこのニュートリノを捉えるため、カミオカンデが建設され、大マゼラン星雲でおきた超新星爆発 (SN 1987A) で生じたニュートリノを偶発的に世界初めて検出した。この功績により、2002年小柴昌俊東大特別栄誉教授は、ノーベル物理学賞を受賞した。カミオカンデは3000トンの超純水を蓄えたタンクと、その壁面に設置した1000本の光電子増倍管からなる。

1932年、ディラックはアインシュタインの相対性理論とシュレージンガー方程式の相克に悩んで、場は負の質量(負のエネルギー)を持つ電子の海によって満たされているというとんでもない仮説を立てた。その粒子を「反電子」と呼ぶ。その1年後カルテックのアンダーソンが泡箱の中で正の電荷を持った電子の軌跡を発見し、これを「陽電子」といったがこれが「反電子」の正体であった。その後粒子には一つ一つ「反粒子」が対応することが分った。影法師のように物性が全て反対である。粒子と反粒子がぶつかると、相互に消え去り後には電磁波だけが残るのである。1949年ファイマンは「陽電子は暫くの間時間を逆行する電子にほかならない」といった。天体物理学に関してファイマンの「時間反転」という考えは魅力的であった。ドップスは時間に二つの次元(プラス、マイナス)を設けようとした。このように、量子力学や素粒子論の世界は「何でもあり」の世界で、ヴァ−チュアル仮想的なプロセスを考える必要がある。古典的な力学像、物質は成立しないと考えるべきであろう。そこでESPは量子力学とアナロジーな仮説となるのだろうか。量子力学の展開が即ESPの世界であるという証拠はどこにも無い。それらは別問題であるか、関連を全く証拠だてて議論されたことはない。

3) ユングとパウリの同期性

ユングにかなりの影響を与えたオーストリアの生物学者パウル・カメラの「みかけの暗合」とは、1919年「連繁の法則」という著書のなかで数多くの事例を挙げて、次々起る事象の連関性を述べた「法則的な反復」、「連続性の法則」と名づけられたことである。彼はそれらの事例を、連続して何回起きたかという「次数、並行して起きる事象の数「ベキ数」、共有している属性「パラメータ」で分類している。そして因果律と共存して宇宙を支配し、絶えず統一へ導こうとする非因果性原理が存在すると彼は宣言するが、根拠は何も無い。禁制原理の創始者であるパウリは「この原理は力学ではなく、数学である」という。つまり物質は脳の中の世界像である。心理学者ユングは若いときからESPと心霊の実験を行ってきたが、それが師フロイトの怒りを招いて二人は袂を別った。ユングは霊媒と亡霊を分けて考え亡霊は無意識の投影「表出現象」と考え、心理学の付録といった。1947年ごろにユングとパウリは共同研究で「共時性:非因果的連関の原理」を発表した。非常に世の中を驚かしたが、論文は面白い推理はあったが曖昧な結果に終り失敗であったといわれる。ユングは物理的な因果関係で説明できない現象は、すべて無意識の精神の現れであると説明しようとした。深層は「集合的無意識」で潜在的に所有する人類の記憶のようなもので、困難な事には人間の行動パターンを決定するという。非因果的原理を提唱しながら、二人は擬似的因果律で説明しようとした。西洋人が2000年以上も強い影響を受けているギリシャ哲学の論理的範疇は、アリストテレスが提出した範疇表がギリシャ語文法である事からから抜け出ることはなかった。文法脳という最近の脳科学が主張するように、民族の脳機能に堅く結びついているらしい。

4) 統一体(非因果律の世界)を目指して

著者はESPを、統計的に有意といっても当りもしない惨めな予知、透視だとか、幽霊のようにちょろちょろ出てくるような皮相なことではなく、非因果律の世界が何をもたらすのかを考えようと提案する。ギリシャのヒポクラテスが「すべてのもの同士の共感」という、目に見えない秩序の中に偶然の一致というようなものが入り込む余地はなかった。神秘主義者ケプラーは世界精神と人間の魂の調和を考えたし、ライプニッツはモナド論のなかで、予定調和した全宇宙を反映するミクロコスモスを想定したのである。19世紀ショーペンハウエルは因果律は世界の支配法則のひとつであって、形而上学的な普遍的な意識もあるといった。因果律と非因果律の2元論であろうか。縦線と横線の関係であるという。そこで著者は共時性と連繁はあらゆる事物の基本的統一に対する本質的な信仰の現れであるという。波動と粒子、質量とエネルギーなど対立する概念同士の「基本的統一性」は物理学でも訴求されているのである。はたして科学がそのような統一性に達するかどうかは保証できない。著者は多様と統一に位相的に構成される全体子というアナロジーを導入しようとするが、これらは説明することも出来ない代物なので無視しておこう。これ以上突っ込んだ議論は実証不能なので空論であろうか。人間の脳構造と機能の研究は始まったばかりであり、それらの成果を待たないと哲学的妄想か宗教に堕する恐れがある。この辺でお開きとしておこう。


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