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スチュアート・カウフマン著 米沢芙美子監訳
 「自己組織化と進化の論理」

  ちくま学芸文庫(2008年2月)

「複雑系の科学」が導く生物進化の理論、「自然淘汰」だけでは進化は語れない

「複雑系の科学」とは、アメリカニューメキシコ州サンタフェ研究所の天才達が躍起になって追いかけているテーマである。読んで字の如く「複雑」という言葉は自分の「おつむ」の粗雑さの裏返しという意味かもしれない。かならずしも「難しいことは分らない」という意味ではない。それは「分る」という思考過程にも問題があって、これまで科学的思考法といわれてきた要素分解法とかニュートン力学的決定論、ユークリッド幾何学的普遍性、因果論という意味を判るというふうに理解してきた。ところが20世紀になって科学的思考法も変わってきて、統計力学・熱力学・量子力学的偶然、相対性理論、非線形数学などが出てからがぜん科学は難しくなった。恐らく偶然の本質は私も理解できていないだろうと思う。「殴られたら痛い」という1対1の因果論、決定論、環境論から一歩進んで、「風が吹いたら桶屋が儲かる」式の初期条件次第でどうにでもなるような話は「狐につままれた」様な気がする。多くの段階で無数の分岐があるにもかかわらず、1本の糸で強引に結んだ話の類である。昨年秋、原子核物理の「粒子の狩人」の日本人3人がノーベル賞を受賞した。素粒子の底が見えないし、どこまで行けば物質の起源が理解できるのかよく分からないが、素粒子論はれっきとした正統派の科学である。本書の「複雑系」法則の探求はつい最近まで(いや今でも)怪しげな科学とみられ、アカデミーに籍を置きたい「まともな」科学者のやることではないと、少なくとも日本では怪訝な眼で見られてきた。そういうへそ曲がりの科学が好きなのは京都大学理学部の科学者で、湯川秀樹のあとを継ぐ「基礎物理研究所」では細々とした研究が進められてきた。本書の基礎をなす「複雑系の物理学」は別名「非線形科学」という人もいるが、その面白い解説書として蔵本由紀著「非線形科学」(集英社新書)を紹介したので、参考にして欲しい。

蔵本由紀著「非線形科学」(集英社新書)を簡単に振り返っておこう。大げさに言えば複雑系の科学の目的は宇宙の秩序の法則・構造に逼ることである。「非線形科学」は数理的な科学である。数理的な法則がなければそれは自立できる科学ではなく「オカルト」とみなされる。ダイナミックに変化する世界において普遍な構造を見出す事が必要である。古典力学のような巨大な建造物の法則と同様に、素粒子論においてもミクロな世界の法則は普遍であるという考えに基づいている。素粒子から原子、分子、物質、地球、宇宙までの一列の知的構造が普遍である。この両端の素粒子と宇宙のビックバンの理論が合致するとは、まさに驚嘆である。ところが非線形科学はミクロな要素的実体にまで遡る事はしないで、複雑な現象世界に踏みとどまってその構造性に不変原則を見ようとする科学である。不変原理は普遍原理である。現象を「何が何する」というとき、主語は何であれ述語の不変性によって異質な主語が急接近するのである。本書はこう結んでいる。「複雑な現象世界には、多くの不変構造がまだ潜んでいる。その発掘は21世紀の科学の主要な課題の一つである」 著者が「自然のダイナミクスの根源」の研究に入るきっかけを与えた本が、パウル・グランドルフ、イリア・プリゴジン著「構造・安定性・揺らぎーその熱力学的理論」(1971 Wiley出版)だったそうだ。自然のダイナミックスの骨格とは「崩壊」(エネルギーの散逸)と創造(自己組織化)が中心の話題となる。1967年イリア・プリゴジンがはじめて「散逸構造」という概念を打ち出し、マクロな世界が「エネルギー保存の法則」(熱力学第1法則)と「エントロピー増大の法則」(熱力学第2法則)という二つの普遍的な法則に支配されて、熱平衡を目指している事を述べた。すなわち熱力学第2法則はエントロピーが増大する(散逸する)不可逆的過程であるということだ。ボルツマンはこれを宇宙の「熱的死」と呼んだ。しかしエントロピーが外部世界に放出され続ける限り、物質の運動や構造が維持され、システムはバラバラの平衡から離れた状態を保つことが出来る。物質的多様性は超高温でバラバラにならない限りこの地上では維持されるのである。太陽では核融合が起きているが100億年の間はその輝きを失わない。振り子時計は巻かれた板ばねのエネルギーを変換しながら生成するエントロピーを放散している安定な状態にある。このようなシステムを「非平衡開放系」と呼ぶ。地球という開放系は、ビックバンで与えられた内部エネルギーをゆっくり放出しながら冷えつつある。

本書スチュアート・カウフマン著「自己組織化と進化の論理」はその題名にいうように、生命は自己組織化の物質化学反応の法則に基づいて「生まれるべくして生まれた」のである。そして適応進化によって一気に今日の生物が多様化し種が進化したのであるという。ダーウインが想定したような偶然の突然変異による適応が自然淘汰によって拾い上げられ優勢となったと考えると地球50億年の歴史でも短すぎるという。よく言われる例であるが、チンパンジーが26文字のタイプライターを叩いてシュークスピアーの5000文字の名文を生み出す確率とそれに要する時間は天文学的数値になる。組み合わせの数は26の5000乗で、1秒間に1文字を打つとしてもスケール則からそれが容易でないことが直ぐ分る。ダーウインの思想「種の起源」は19世紀の中頃に出されてはや150年くらい経過するが、生物学の基本として見られてきた。ダーウインの「種の起源」という書は、はたして科学なのだろうか。数十万年を単位とする実験が出来るわけでもなく、化石を傍証とする仮説の積み重ねがダーウインの自然淘汰という理論である。現在の生物生態学の手法でもそれは実験ではなく観察、そして推察である。一つの結論には十の反論が出るし、数百の異論が出る。そして再現実験は出来ないし、再度観察すると無数の別の解がでるだろう。要するにダーウインの理論とは「物の見方」である。しかしダーウインの最大の功績は人間を神の手から奪い取り動物園に投げ出したことである。ダーウインの思想については内井惣七著 「ダーウィンの思想」(岩波新書)に詳しいので参照してほしい。進化論とは、生物の進化に関する科学的理論の体系のこと。生物が不変のものではなく長期間かけて次第に変化してきたという考えに基づいて、現在見られる様々な生物は全てその過程のなかで生まれてきたことを説明する。進化が起こっているということを認める判断と、進化のメカニズムを説明する理論という2つの意味がある。現代的な進化論は単一の理論ではない。それは適応、種分化、遺伝的浮動など進化の様々な現象を説明し予測する多くの理論の総称である。生物で言う進化には、進歩する、前進する、より良くなるなどの意味はない。現代の進化理論では、「生物の遺伝的形質が世代を経る中で変化していく現象」だと考えられている。進化は実証の難しい現象であるが、生物学のあらゆる分野から進化を裏付ける証拠が提出されている。人文社会学や宗教の分野においては議論があるが、自然科学の内部では進化が事実であるかどうかの議論はない。

本書は「複雑系の法則」を生物進化に応用した画期的な本といえる。ダーウインの始めた進化論はいまや袋小路に入っている。怪しげな社会的ダーウイニズムは優生学となってユダヤ人排撃に利用されたし、いまでも「勝ち組」の新自由主義的市場経済学で脈々と生きている。もちろんこれはダーウインの知るところではない。そもそもダーウインの時代には遺伝子という概念はなかったので、何が変異しているのか分らなかった。いまや変異している実体は遺伝子である事は確実である。しかし遺伝子の変異が病気の原因であると云うマイナスイメージはあっても、優秀な個体を生む要因であると云うことを遺伝的に実証することは、優秀という定義が不能であるため不可能である。我々は様々な要素が驚くほど複雑に絡み合った生物学的複雑系の世界で生きている。とはいえダーウインがいうような突然変異の積み重ねでは、あまりに出発点がお粗末なもので、今のような人類に到達するには気が遠くなるような時間を要しても可能という実感をもてない。ダーウインのいう「種の分岐」という概念では不完全である。もっとダイナミックな「自己組織化」という基本原理によって秩序が自己発生的に生まれたと著者はいうのである。過去3世紀にわたって科学を支配してきた基本的思想は「還元主義」であり、複雑なシステムはより単純なシステムへ、要素へ分解できるという信念で進められ驚くような科学・技術の発展をもたらした。この論理には部分の情報をどのように組み合わせれば全体の理論が生まれるのかという問いには解がない。複雑系の理論は、分子のスープから生命が生まれ、今日のような生物圏へ進化してきたかを辿る。分子の共同作業により細胞が出来、生物間での物質のやり取りのために生態系が作られた。この過程を支配する法則が複雑系の法則であると云う。

宇宙のビックバンによって、太陽系が生まれ、そして45.5億年前に塵の衝突で地球が生まれた。地球地球と生命の歴史については、丸山茂徳・磯崎行雄 著 「生命と地球の歴史」 (岩波新書)で一望できる。150億年前に「ビッグバン」によって膨張を開始した宇宙は、小宇宙を単位として宇宙のかなたへ高速で移動中である。その小宇宙の一つに銀河系があり、銀河系の中心には「ブラックホール」が、銀河系の渦巻きの縁に太陽系が存在する。銀河系は2-3億年周期で回転している。太陽系の始まりは、水素とヘリウムからなる暗黒星雲、中でも「巨大分子雲」にはダストやガスが存在し星形成材料となる。しだいに収縮して「T−タウリ星」と呼ばれる段階を経て、恒星ができる「微惑星」となる。微惑星が衝突と合体を繰り返して太陽系の惑星が出来上がった。水星から火星、小惑星帯までの惑星は「地球型惑星」と呼ばれ、中心は金属、外側は岩石で出来ている。一方木星から冥王星、カイバーベルトはいずれも中心が小さな岩石でまわりを水素が取り囲んでいて「木星型惑星」と呼ばれる。地球が出来るころには水素やヘリウムのガスはなくなり、大気は二酸化炭素、水、窒素のガス成分が「原始大気」を構成していた。 地球史45.5億年は大まかに4つの時代に区分される。45.5−40億年を「冥王代」、40-25億年を「太古代」、25-6億年を「原生代」、6億年から現代を「顕生代」となずけている。生命は地球が生まれて冷えてから直ぐに誕生した。これは偶然では説明できない。水素が融合してヘリウムになるように当然のように「生まれるべくして生まれた」としかいいようがない。生命とは何かと云う定義は、物体として「独立空間」を保有し、外界と物質やエネルギーを交換する「代謝」をおこない、「自己複製」を行う事である。研究者によってはこの3条件以外に「進化」を特質として加える。バクテリアから人類にいたるまで全く同じ遺伝情報を持っていることは真に驚くべき事であろう。約40億年の地球上の生物の歴史を見ると次の七つ著しい革新が起きた。
@ 原始生命の誕生(約40億年前)
宇宙の元素は赤色巨星内で起きた核融合反応によって合成され、超新星爆発を通して星間空間に放出されたと考えられている。宇宙から飛来する隕石や彗星には多様なアミノ酸が含まれているから、生命体の一部は宇宙から地球に搬入されたのかもしれない。地球生命が誕生した時期は実は直接的な証拠はない。38億年前の堆積変性岩中の化学化石が唯一の情報である。岩石中の炭素元素の同位体組成が生物起源だと、天然にくらべて偏っているのである。何度も生まれては隕石などの破壊によって抹殺されたかもしれない。どのような微生物であったかは全く分らない。ただ生物起源と見なされる炭素組成が38億年前の変成岩中にあったというだけである。
A 原核細胞(バクテリア)の出現(38-35億年前)
オーストラリアのノースポールで35億年前の「フィラメント状のバクテリア」化石が発見された。深海堆積物のT型チャートといわれる石英からなる岩石(枕状溶岩)であった。岩石の生成の特徴から、深海の熱水噴出孔(ブラックスモーカ)付近で棲息していた独立栄養嫌気性耐熱細菌と見られる。現在の遺伝子系統図からいえば原核細菌(遺伝子の核はあるが核膜はない)の元祖に当るのであろう。当時はまだ海洋表面や地表部分は紫外線に曝されるので危険だった。深海で化学栄養からエネルギーを得て生きていたのであろう。
B 光合成の開始(27億年前) 
西オーストラリアのピルバラから27億年前の柱状「ストロマトライト」化石が発見された。酸素発生型光合成細菌シアノバクター(藍色細菌)であった。細菌のコロニーが石灰岩と層状構造を有する。捕食者が現れる前の先カンブリア紀の浅い海底にストロマトライトが林立していたと想像される。シアノバクターは水と炭酸ガスからエネルギーを得る光化学系U型で酸素を放出する。これは植物の先祖である。海底でストロマトライトが発生した酸素ガスは鉄を酸化して酸化鉄が沈殿し、今日の縞状鉄鉱層BIFを作った。
C 真核細胞の出現(21億年前)
20億年前には海水中の溶存酸素量が増え、大気中の酸素分圧は飛躍的に増加した。電子伝達系という膜たんぱく質系で、生物は水素を電子供与体、酸素を電子受容体とするシステムを作って効率のよいエネルギー生産が出来るようになった。それを集中して行う器官としてミトコンドリア、葉緑体を持つ生物へ移った。このミトコンドリアという小器官はたんぱく質製造工場であるリボゾームと同様に親細胞とは違う独自の遺伝子情報を持つ。すなわち生物は共生菌からこのように特化した器官を導入したのである。21億年前に誕生した我々の先祖である真核性細菌の進化系統図を描くのは現在ではまだ難しい。おおまかにいえば、光合成細菌から分岐した真正細菌系と、古細菌系の二つの輪があるとされている。27億年前に生まれたシアノバクテリアから葉緑体が発生し、ミトコンドリアや葉緑体というエネルギー代謝に重要な細胞内小器官はいずれも光合成細菌に由来する。生物は酸素利用型の効率的エネルギー獲得システムへ進化した。細胞の大型化と細胞内小器官によって、細胞は飛躍的に進化し性分化もできた。
D 多細胞生物の出現(10億年前)
カナダの藻類化石(紅藻に似た)が最古の真核多細胞生物の記録である。シベリアには9億年前の細胞壁を持つ植物化石も発見された。化石の中で生物由来の化石(バイオマーカー)が著しく多くなるのも10億年以降のことである。大型化・多様化・植物と後生動物が特徴である。そして生物は従属栄養(捕食関係)が主体となる。生物の形態はフィラメント状からシート状に変化し、体に中心が見られるようになる。これは外骨格の形成につながるのである。又中枢神経系の発生ももうすぐである。
E 硬い骨格生物の出現(5.5億年前)
初期後生動物から柔らかい体を持つ「エディアカラ生物群」を捕食するハンターである「カンブリア紀動物群」が5.5億年前から隆盛を向かえた。海老や蟹のような硬い殻を持つ生物化石がでてくるのである。捕食上位の動物には俊敏な運動能力、アゴのような機械的破細器官、溶解液分泌器官が必要である。カンブリア紀初めには後世動物の多様化は目覚しく、節足動物、鰓動物、海綿動物などが出現した。これを「カンブリア紀の大爆発」と呼ぶ。
F 人類の出現(500万年前)
生物の陸上進出はシルル紀(約4億5000万年前)に始まった。陸上の景観が変わるのも4億年前からである。シダ植物が広く繁殖し、デボン紀から石炭紀(4億年前ー3億年前)には森林という景観が地球上に現れた。脊椎動物の中から両生類・爬虫類・哺乳類、節足動物の中から昆虫類が現れて多様化した。恐竜の絶滅が6500万年前にあって哺乳類に代わったが、ついに500万年前に人類が誕生した。

地球上の生物の進化の七大変革期を上に示したが、「自己組織化と進化の論理」はべつにそんな詳細の進化過程を追いかけるわけではない。もっと原則的な進化の法則つまり、スープのような分子の濃厚溶液から生命が誕生する段階(オパーリンのコアセルベート小胞体)を「集団的自己触媒系」から考える理論と、より高い生物の適応進化を「NK適応進化モデル」から考える理論と、生態系の共進化を「結合したNK適応進化」モデルで考える三段階の理論のが本書の中心をなしている。技術や経済や文明の進化はアナロジーで物を言っているだけなので、「推して知るべし論」なので私の書評からは省略する。複雑系の科学は物質として宇宙の中で我々の居場所をもう一度見つける旅になるだろう。複雑系の科学は、還元主義の「究極理論」が生まれたら「多様性の探求」が始められるのを待ってはいられないのだ。究極理論は恐らく多様性を説明できても予測は出来ないであろう。非決定論である量子力学では予測は出来ないし、カオス理論という数学の分野では初期条件に鋭敏に依存する事象の予測は不可能である。今できることは、「それはその手の話だ」という、詳細は分らないが典型的な系の性質を分類して特徴づけることである。統計力学はランダムな個々の分子の動きは予測できなくても系の平均的な集団運動が理解できる。もし生物が気まぐれなガラクタの進化であったなら、とても生物圏を理解できるとは思えない。そうではなく、最も普遍的なレベルから眺めた時、生きている系「創発系」−細胞、生物、生態、社会、経済ーが悉く法則的な性質を示すかもしれないという期待が生まれるのである。アダムスミスの「神の見えざる手」を探求することである。系が熱的死である平衡状態を迎えるのではなく、堪えず物質とネルギーを供給されて秩序を保つ構造を非平衡「散逸系」という。生物はまさに物質代謝をおこなう非平衡「散逸系」である。生物圏も太陽のエネルギーを得て駆動される非平衡状態である。もし非平衡状態の振る舞いを記述できる法則はまだ確立されていないが、生命の起源と進化が、計算理論からアルゴリズムの法則を見つける試みだとしたら、圧縮不可能なアルゴリズムになるという。著者はこれを「創発理論の探求」という。私は計算機のことはよく分らないし、本書もアルゴリズムの詳細は述べていないので到底計算過程を素人が理解できないのは当然である。計算方法は抜きにして議論を進めざるを得ない。1個の生殖細胞から50回の分裂を繰り返して1000兆個の細胞となる「個体発生」の過程では、約260種類の細胞の種類が時系列に生まれ、そのプログラムは遺伝子の中に最初から埋め込まれている。驚くべき自己組織化の自然な表現である。進化と発生はよく似た過程をたどる。発生は進化の記憶と調節であるといえる。このゲノムの創発的秩序を見ていると、生物における秩序の多くは自然淘汰の結果などではなく、自己組織化された自発的秩序であると思われる。我々はジャコブがいうような「ガラクタの寄せ集め」ではなく、モノーがいうような「翼を得た偶然」でもない。著者は「生命は多くの場合、カオスと秩序の間で平衡を保たれた状態に向かって進化する」という「カオスの縁」仮説を提案する。ゲノムには膨大な遊びがあり、ヒト構造遺伝子は全ゲノムの20%以下である。この一見意味のない遺伝子配列が変異のプールとして働き、環境変化に臨機応変に働く(抗体の多様性となる)ことができるといわれる。進化は生物が遺伝的変化によって適応し、適応度を上げる過程である。我々は宇宙にしかるべき居場所をもち(at home in the universe)、そしてほんの束の間、最善を尽くしつつたった1回だけそこに滞在するのである。

生命の誕生ー「集団的自己触媒系モデル」

地球が冷えてから生命活動の兆候が現れるのに3億年はかからなかったようだ。生命の歴史40億年に較べるとなんと短時間で生命が誕生したことになる。気の遠くなるような偶然の積み重ねにしては速すぎる。何か別の原理が働いたに違いないというのが著者の着眼点であった。生命が複雑な化学系の本来の到着点であるに違いない。化学物質の濃厚なスープの中で分子の種類がある閾値をこえると、自己を維持する反応のネットワーク「自己触媒的な物質代謝」が突然生じたのであろう。生命は単純な形ではなく最初から複雑で全体的な形を持ったのだという概念を理解しなければならない。たとえば空気中の炭酸ガスとアンモニアから稲妻のようなエネルギーをかりてアミノ酸が合成されることは実験的に確かめられた。アミノ酸同士が衝突すると次々と多量体ペプチドが合成され、次第にペプチド鎖が長くなると蛋白質となり、いつか触媒作用という機能をもつ酵素となる。著者らはこの一連の蛋白質ワールドをモデル化した。 (断っておくが私は計算科学は不得意なので、著者が説明するプログラム計算の結果については実証できない。著者らの言い分だけを聞いて論を進めたい。)  分子のネットワークは結合点が一定の数をこえると塊クラスターを形成する。一連の自立性を持った反応系である。この点を相転移点と呼ぶ。そういった反応クラスターがいくつか集まって物質代謝を行い現在の代謝物質地図に到る事は時間の問題である。そこで重要な仕事をするのがアミノ酸から進化した自己触媒系の酵素であろうことは容易に理解できる。生命の兆候とはこの物質代謝のことである。物体として「独立空間」を保有し、外界と物質やエネルギーを交換する「代謝」をおこない、「自己複製」を行う事である。研究者によってはこの3条件以外に「進化」を特質として加える。ここに生命が蠢いたのだ。

個体発生の神秘ー「ブール式ネットワークのアトラクターモデル」

「集団的自己触媒系モデル」ではまだ膜に包まれたコアセルベート小胞体であったかもしれない。生命は自発的秩序「無償の秩序」(自然に生じた自己組織化)によって発生したが、今の段階ではゲノムと関係する複雑な自己複製系はなくともいい。小胞体は密度が限界になると二つに分裂して自己複製を行えるのである。或いは小胞体同士の融合や寄生関係も生じたであろう。これはもはや細胞といえるものになった。自己触媒作用を営む物質代謝では1000種類の分子が存在する。これらの分子の存在状態によって無数の「状態空間」の可能性がある。そこでブール式ネットワークによって状態空間が秩序を得る可能性を探っ手見たことが著者らの最大の貢献である。ランダムな状態を「カオス」と呼ぶと、自己触媒系が規則的に振舞うためには恒常性ホメオスタシスを示さなければならない。ランダムな状態と秩序の状態の中間点に「アトラクター」という「引き込み領域」が条件的に存在することが重要である。その状態空間が秩序を取るために必要な条件を求める数学的アルゴリズムを「ブール式ネットワーク」という。構成要素の数をNとしてひとつの状態は他のK個の状態によって決定されるとする。決定するアルゴリズムが、AND,OR,IFNOTなどの関数である。詳細は省くがN=K(構成員全体から拘束を受ける状態)ではこの集団に対しては秩序は存在しない。完全にカオス的である。K=2のネットワークにおいて秩序は突然に生じ、状態数が平方根となる。例えば10万個の状態が√100000=317個に激減するのである。この点をアトラクターという。系は同じアトラクターに落ち込み、初期状態には鋭敏性を示さない。すなわち恒常性が生まれたのである。さらに偏りのパラメータPを導入すると、系のカオス状態と秩序状態を調節することが出来る。完全に秩序状態では系は眠ってしまうので、「複雑な系がカオスの縁、あるいはカオスの縁の近傍の秩序状態に存在する理由は、進化が系をその状態に置いた方がベターだったからだ」

少なくとも7億年前多細胞生物は「個体発生」という仕組みを手に入れた。単細胞生物は「分裂」という仕組みで自己再生を行っていた。個体発生は「細胞の分化」と「形態発生」を特徴とする。例えば人の受精卵は50回の分裂を経て256種の細胞種を生み組織特有の細胞となり形態を形成する。ひとつの細胞はすべての遺伝子を含み万能であるが、これを秩序だった仕組みで分化発現させるのが個体発生である。蛋白質の発現には遺伝子の巧妙な制御が必要である。遺伝子部位にはプロモーターP、オペレーターと構造遺伝子配列が存在し、オペレータ部位にリプレッサーRが結合すると翻訳が出来なくなる(発現しない)。またプロモータPには4つの因子cAMP、RNAポリメラーゼ、シグマ因子、活性化CAPが結合する。プロモータが翻訳を開始するには4つの因子がANDでネットワークを組み、オペレータはリプレッサーと誘導物質のNOT IF関数で制御される。このNOT IFとかORとかEXCLUSIVE ORのブール関数は「方向つけ関数」といわれ、調節される遺伝子はブール関数による理想化において、方向づけブール関数で支配されていることが分る。発生学の中心的原理は、同じゲノム系の活性パターンの違いが細胞の種類を生むのである。この細胞の種類はゲノムネットワークのアトラクターだといえる。ヒト遺伝子10万の場合細胞種は256種あり、哺乳動物では70%の遺伝子は同時に活性化されている。これを「凍結したクラスター」という。植物の場合2万の遺伝子のうち発現の違いは1000の遺伝子すなわち5%に過ぎない。

より高い適応への進化ー「NK適応地形モデル」

「自然の経済におけるくさび」とダーウインが称した自然淘汰の概念は秩序をもたらす最大の力とみなされてきた。高度に適応した形態を「適応地形」といい、その高いピークに向かって上る生物の個体群が行う闘争を進化であると云うのだ。突然変異と自然淘汰による漸進主義的進化がすべてだろうかと著者は疑問を投げかける。平衡からづれた生命の秩序にむかう傾向を進化と考えよう。別の秩序の源「自発的自己組織化」が必要なのだという。計算アルゴリズムで「最も短いプログラム」は崩壊しやすく、ある種の冗長性を持った系が冗長性のない系よりはるかに進化しやすいことは確実である。2003年にヒト全遺伝子コードが解明されたが、10万の遺伝子をコードしている領域は20%以下に過ぎず、あとの意味のない繰り返しや冗長部分の持つ遺伝子的意味が問題視された。これこそがヒトの進化を保障して来たのである。大腸菌の遺伝子型空間には3000個の遺伝子を持ち、可能な遺伝子型は2の3000乗=10の900乗である。植物は10の12000乗である。このように遺伝子型空間は広大である。種の個体はいつも可能な遺伝子型空間のごく小さな部分しか発現していない。ここでN個の遺伝子からなる遺伝子型を状態関数とみて隣り合った状態K個の頂点にしか移動できないとするブールハイパーキューブ(超立方体)の頂点に置く。そして各々の頂点には適応度値をランダムに振り分けるのである。そしてN次元の適応地図のうえをより高い適応度をめざして「適応歩行」をする。これを計算機上で行わしめる。すると適応歩行は局所的なピークに達して歩行をやめる。局所的なピークの数は遺伝子型数/(N+1)である。ピークへの歩行の距離期待値は非常に短い(LnN)である。高くなればなるほど上に続く道を見つけることが困難となる。ランダムな適応地形は非常に多くの局所的ピークを持っており、その個体は可能性の空間の微少な領域に閉じ込められたままである。ランダムな適応地形では生物は進化できない。進化できる適応地形とはでこぼこの相関を持つ地形である。著者は物理学の「スピングラス」に啓発されて、遺伝子型空間に「NK適応地形モデル」を考えた。N個の遺伝子型にK個の結合を導入した。他の遺伝子型からの入力があって遺伝子型の状態が決まる関連付けが行われた。K=0ならば遺伝子は他の遺伝子とは無関係で優劣関係はないので拮抗する制約要素はない。単一ピークの適応地形が得られ、ダーウインの理想的な漸進主義的ピークとなる。K=N-1の場合はランダムで局所ピークの数は天文学的である。カオス的であると云う。K=2の場合高いピークは互いに集まって現れる。K値が大きくなると歩く距離が多くなり、より適した近隣のピークの数は減少する。高く上れば上るほどさらに上の方向を見つける事は指数関数的に難しくなる。生物の進化も拮抗する条件で一杯になった系を最適化する過程であるかだ。ダーウインは「種の起源」で性の進化を述べなかったが、局所的な遺伝子の突然変異よりも、性による遺伝子組み換えにより一挙にジャンプすることが出来る。これにより個体は大きなスケールで適応することが出来る。ダーウインの自然淘汰説は@途轍もないほどの時間を要する。Aランダムウヲークではジャンプは期待できない。局所的ピークに埋没する危険性が大きい。Bエラーによる崩壊現象で種は拡散して消滅する危険性がある。などの本質的困難を持っている。「七転び八起き」ではなく「七転八倒」になりかねない。

生態系の共進化ー「結合したNK適応進化モデル」

今日の地球には1000万種から1億種の種が存在するが、古生物学がいうにはかって存在したであろう1000億種のうち99.9%の種は亡んだという。爆発的に進化した種の輝かしい進化の歴史ではあるが、反面種の滅亡の歴史でもあったのだ。一時存在した種はあるいはランダム地形の1局所ピークに過ぎず、適応進化の山の殆どは海に沈み、今残っているのは非常に高い山の一角であるといえる。生物は物質循環を行うのであるから、ひとつの生物の進化は他の生物の進化を促すはずである。これを共進化という。自然淘汰の及ばない共進化のプロセス自体が更に進化する。生態学でいつも話題となる「生物群集」(草食動物と肉食動物)の平衡と振動関係は限られた閉鎖空間では食物連鎖で説明がつく。しかし他の生物が出入りする開放系では初期条件次第(種の入ってくる順番)で全く予測がつかない。生態系は簡単ではない、複雑系である。絶滅の雪崩現象も頻繁に起きる。生物群はカオスに投げ込まれたようだ。「生物群集地形」なるものを想定し、生態系をひとつの状態として、これらの結合関係で安定した種の組み合わせが存在するか、ランダム変動となるかを考えようという。この共進化する相利共生関係は社会学・心理学においても興味の尽きない問題である。「赤の女王効果」でしられる軍拡競争、ノイマンの「ゲームの理論」、「ナッシュ平衡状態」、「囚人のジレンマ」などを進化論に応用するためスミスは「進化する上で安定な戦略ESS](ウイン・ウインの関係)を提起した。みんなが小さな幸せ戦略を取っているなら戦略は変えないほうがいいというものだ。共進化している生物集団がある安定な割合で分布して遺伝子型を進化させない状態をESSという(ポテンシャルの低い状態)。赤の女王の行動は一種のカオス状態である。適応地形NKモデルを応用すると、カオスと安定状態の中間あたりで、共進化の最適ピークが得られるかもしれない。ある種はN個の遺伝子型を持ち、そのなかでK個の遺伝子型が入力となる。他の種のC個の遺伝子型と相関するとして、それぞれの種がいくつの種と相互作用するかという第3番目のパラメータSを導入する。C=1ならば状態は直ぐに平衡に達しESSが実現する。パラメータSが8以上では状態は振動するカオス状態である。種間の結合Cが大きいと、一つの種が動くことでそのパートナーの適応地形が烈しく変動する。種の結合Cが小さいければ秩序状態へ入るだろう。K.Cが一定なら、種がいくつの種と結びついているかを示すパラメータSが小さい時は秩序的であり、Sが大きい時はカオス的になる。シュミレーション結果では最大適応度は秩序とカオスのまさしく中間地点K=10で得られた。適当な遺伝子的自由度(Kが適当に小さく)と相互拘束関係が緩やかな時(Sが適当な値)に生態は最大の適応地形を得るということは、部分社会組織においても様々な比喩(アナロジー)を生むが、ここでは本質的議論ではないので割愛する。


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