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佐藤幹夫著 「ルポ 高齢者医療」

  岩波新書(2009年2月)

診療病床再編問題にみる高齢者医療制度改革

2005年12月22日朝日新聞は「介護療養病床、2012年度全廃」をトップ見出しに、「介護保険適用対象の介護療養病床13万床を全廃し、医療保険対象の医療療養病床25万床も居住系施設への転換を促して15万床へ削減する」という報道であった。私がこの記事に驚愕したのは、丁度そのとき93歳の母親の介護をしていたころで、認知症が進行していたので京都の「東山サナトリウム」に入所申請をしていた時期であったからだ。1年以上前から申し込んでいたのだが、なかなか入所の許可が得られず、地域の「回生病院」付属ケアーセンターのケアーマネージャーと打ち合わせて、介護度区分変更(介護度3から4へのアップ)がようやく認定委員会の裁可待ちの状態であった。その後1ヶ月もしないうちに介護度4の区分変更となり、東山サナトリウムへ介護保険を持ってゆくと即入所が決まったのである。施設に入所するにはいまや要介護度4以上でないと受け付けられないようで、それを知っておればもっとことはスムースに進んだはずだのにと思った。母親は最初介護療養病床に入ったのであるが、いよいよ認知症が進んでくると錯乱行動も起きるようになり、認知症医療療養病床へ移った。その時保険適用は介護保険から健康保険に変わったが、別に何が変わったということもなく事務手続きをやった。家庭裁判所にゆき「母親の保護者認定」(子供が親の保護者というのもおかしいが)をしてもらった。母親の意思は私が代行するという形式であろう。このときの経験から高齢者の介護の医療もやることは同じで、適用保険の手続きだけの問題かと変な意味で納得した。結局この介護療養病床から医療療養病床の移動とは現場では日常的なことで、「東山サナトリウム」には老人健康施設もあり、この3つの施設は同一敷地内、あるいは同一建築物内の階別の違いしかないのかという感じを強く持った。認知症高齢者は初期の段階から進むに連れて、老健、介護、医療へと移るようである。幸い私の母親は施設に入所できたが(2006年6月に脳梗塞の悪化で母親は亡くなった)、2012年に全廃という厚労省の方針は青天の霹靂であった。そして介護療養病床は医師を盛り込んだ法案が、2006年4月「医療制度改革関連法案」として衆議院で可決され、6月には参議院でも可決成立した。すると今お世話になっている高齢者はどこへ行けばいいのだろうか。とても家庭に戻れるわけはない。国としては介護や診療報酬を付けなければ、民間の病院はやめざるを得ない。強行すれば11万人の介護・医療病棟難民が出ることは必至である。それ以来私はこの問題には関心を持ってみてきた。

第二の高齢者医療問題としては、リハビリ入院期間の制限問題がある。「リハビリ難民」問題については、 多田富雄著 「寡黙なる巨人」 集英社に詳しいので要約する。多田富雄氏の「寡黙なる巨人」集英社において問題となった「リハビリ難民」を取り上げる。2006年より小泉改革は、無情にも障害者のリハビリを最長でも180日に制限すると云う「診療報酬改定」を行った。制限に日数を超えた患者は、介護保険のデイケアーサービス受けろと云うのである。しかし介護保険では医療としてのリハビリは受けられない。医師も療法士もいないのにリハビリとはいえない。こうして「リハビリ難民」という層が生まれた。著者は医師と協同で「考える会」を作り、改定反対の署名活動を始めた。40日間で44万人の署名を集め、厚生労働省に渡したが、役所は握りつぶそうとした。みかねた中医協の土田武史氏は診療報酬の見直しを命じた。しぶしぶ厚生労働省は条件付で、限られた疾患の上限日数の緩和や、当分の間介護保険で対応できない維持期のリハビリを認める通達を出した。これは、しかし1歩前進と見せかけた官僚の嫌がらせ策に過ぎなかった。上限日数を緩和したのは心臓血管疾患など限られた疾患のみで、大多数を占める脳血管疾患などは含めないと云うものだ。さらに診療報酬の逓減制を持ち込んだ。上限日数を超えると診療報酬が安くなると云うものだ。医者に上限日数を超えたリハビリを拒否しろということを暗に迫るものだ。また「リハビリ実施計画書」を提出させ3カ月おきに状況報告させると云う面倒な事を強いるものだ。長期にわたるリハビリを何とかして介護保険に追いやる政策である。さもなくても赤字の、地方自治体管轄の介護保険に丸投げして、医療保険の責任を国が逃れようとするものだ。リハビリを必要とする患者(老人)はすでに身体介護などに介護保険の点数を使い果たしていることも頭に入れないと、リハビリを受けられるポイントがなくなっているのでリハビリをあきらめざるを得ないのである。社会の中の最弱者である障害者になると、日本の民主主義の欠陥が良く分かると云う。障害者のようなマイノリティの生きる権利は考えないのである。

これらの病床再編(削減)問題はどうして持ち上がったのかということについて、朝日新聞は2009年2月20日に「ベット難民ー厚労省の罪」という解説記事を書いた。この記事は「医療も介護も同じ、なぜベットを減らす」という副題で厚労省の縦割り行政の弊害を書いたものです。患者の声や家族の問題はべつにしてまず制度的な変更がなぜ行われたのかということだけを問題にする。すると問題の根源は小泉政権の新保守主義「小さな政府」の予算削減(聖域なき削減)政策にあった。厚労省の縦割り行政の問題が悲劇を大きくした。2005年12月小泉首相は厚労省に3%以上の予算削減を命令した。各局で予算削減競争が始まり、保険局では医療療養床を25万床から2012年までに15万床に削して医療費を4兆円削減する計画を立てた。そのため「医療区分1」の診療報酬を下げ病院では赤字になるようにして、病床を減らさざるを得ないように誘導する政策を掲げた。また労健局では13万床あった介護療養床を2011年末までに全部廃止するという政策であった。二つ合わせると全体の6割の23万床の廃止になる。医療課と総務課は医療診療病床の大幅削減と介護療養床への移管を考えていたようだが、これはいきすぎとばかりに両局の計画の調整に入ったが、両局が譲らずついに計画の整合を見ず医療と介護の両方の削減を同時に認めるという事態になった。これが日本の医療と介護のベット難民が発生する根本的理由である。しかし現状を無視した「画期的」な机上削減策は早くも破綻し、2008年夏医療療養床削減を大幅に緩和して1万床とするという噂もでた。また介護療養床の転換も殆ど進んでいないのである。こうした政策の破綻と醜態はどうしておきたかというと、官僚の現状を全く見ていないことや削減政策の先取り意識と厚労省幹部の調整能力のなさである。事務次官といえど局の調整が出来ないとなれば、この日本の医療行政は誤った方向へ猪突猛進で進む事になる。それを崖っぷちで押し留めたのが、患者や家族の声ではなかろうか。

高齢者の医療問題とはがん治療のように治すことが最大目的の治療よりはむしろ生活を維持するための介護という面が強い。高齢者の生活を支えるという問題は、医療だの介護だのという別の問題ではなく車の両輪の関係にある。ではなぜ高齢者の問題が発生するのか。それは家族的支援や社会的支援が必要だからである。そういう意味では「障害者」も「高齢者」も社会福祉問題である。介護を社会化した「介護保険」が2000年に誕生して10年目を迎えた。然るに医療費の抑制政策が医師の不足を招き、「医療崩壊」や「医療難民」という言葉が新聞テレビに出ない日はない。2008年政府はやっと医師不足を認め、舛添厚労相は「安心と希望の医療確保ビジョン」に取り掛かった。このような危機的事態を招いたのは、いわゆる「小泉改革」の社会福祉削減政策であり、それに対応した厚労省の医療制度改革であった。高齢者医療の不幸な歴史を振り返ってみる。1972年「老人福祉法の改正」によって、老人医療費の肩代わり(国4/6、都道府県1/6、市町村1/6)となって、老人医療費は急増した。1983年「老人保健法」が施行され、一定の障害の認定を受けたものを対象とした。そして1984年「特例許可老人病棟」制度ができ、医師、看護婦を大幅に減らした老人病院を許可するというものである。これにより人手不足を常態化させ劣悪な医療を正当化させることになった。病院側も儲け第1主義になって、過剰な医療、身体拘束が横行したという。これが20年ほど前の高齢者医療の絶望的な現状であった。「身体拘束」、「悪徳病院」、「社会的入院」など悪循環が重なった。「高齢者医療」は、いわゆる治すことを目的とした一般医療とは異なっている。高齢者は持病の2つや3つは抱えている。それを全部治す必要があるのだろうかという問いかけで、「老人の専門医療を考える会」が1983年に発足した。本書のルポの対象となった天本氏、吉岡氏、児玉氏らが呼びかけた。「安心と希望の医療確保ビジョン」がスタートした2008年4月に「後期高齢者医療制度」が導入された。後期高齢者というネーミングの悪さもあって、高齢者健康保険を切り離して保険料を本人の年金から徴収という財源確保主義が目だって高齢者の反発を招き、これに反対していた民主党が政権をとってからは早速見直しの対象となった。高齢者医療はなぜ政府から目の仇のように抑制されるのだろうか。高齢者問題とは医療問題だけではなく、社会問題として高齢者を巡る住宅支援、地域支援の問題である。要するに家族、社会の崩壊によって支援力・介護力が急速に失われてきているのである。ここを抜きにしては問題は解決しないのである。当たり前の事であるが、高齢者の数が単に増えたことだけが問題なのではなく、人口構成比率が大きく変わったことを念頭に入れなければならない。長寿社会は結構なことであるが、同時に少子化と人口減少社会の到来がセットになっている。さらに地方では「人、物、」の空洞化が進み、人口10万以下の地方都市の「限界集落化」が怒涛のように進んでいることである。もっと大きくは日本社会から産業や資本が空洞化している現象(グロバリゼーション)の反映である。地方自治体病院は軒並み(90%以上)赤字で、民間払い下げや整理統合が進められている。これも市町村合併問題と根っこは同じである。高齢者医療→医療制度→福祉予算削減政策→人口減少社会と少子高齢化→家族・社会の崩壊→空洞化→グロバリゼーションなどの問題はつながっているのである。

高齢者医療問題のルポに入る前に、「療養病床再編問題」の見通しをよくするために、「再編の廃止」を訴える運動のリーダーである京都の財団法人仁風会嵯峨野病院理事長の清水紘氏を中心とした動きを紹介する。仁風会が運営する嵯峨野病院は180床、京都南西病院は135床の介護療養型病院である。清水氏は京都療養病床協会会長として「再編の廃止」運動の先頭に立っている。療養病床再編問題は2008年から2009年にかけて吹き荒れた「後期高齢者医療制度」反対運動の影に隠れて目立たなくなってしまったが、厚労省は撤回したわけでも、法律を改正したわけでもない。2008年5月の新聞が報じるように、厚労省はその後様々な基準緩和をリークして妥協点を図っているようである。「療養病床削減手詰まりー都道府県計画、厚労省の目標より7万床超過」(日経新聞)、「療養病床削減を断念ー都道府県25万床維持必要」(毎日新聞) 医療費の適正化と財源確保政策の打開策として厚労省が打ち出したのが、「後期高齢者医療制度」と「療養病床再編」であった。厚労省は介護療養病床を全廃することで「医療難民・介護難民」が発生することはないといっているが、現在提起されている「転換型老健」だけでは「医療区分1」の患者と「医療区分2」の患者の3割である11万人のベット難民を収容することは到底不可能である。そもそもこの再編政策の決定過程の不透明さや根拠となるデータのすり替え論理は多くの識者から糾弾されている。京都の医師の7割以上が「24時間態勢の意志・介護職員による管理や監視が必要」であるとしている。厚労省の根拠は「医師による指示の見直し」を「医師の医療提供頻度」とすり替えている。医師の指示内容の変更はなくとも医療行為は必要なのである。厚労省は「医療区分1」については社会的入院であると決め付けているが、医療区分を決めた中医協は「医療区分と入院の必要性は全く関係ない」エヴィデンスの異なる事項であると指摘している。医療区分1とは脳卒中後の意識障害、寝たきり、疼痛のない末期がん患者、認知症でインスリンを自己管理できない患者などのことで、これらをどうして入院不用などというのだろうか。まして介護度と医療区分は全く関連していない。介護療養病床全廃は医療区分からは絶対導けない領域の問題である。行き場を失う医療・介護難民は、介護療養病床から53000人、医療療養病床から55000人以上で合計11万人が行き場を失う計算となる。仮に在宅療養が出来たとしても病院の医療水準は望むべくもない。まさに「姥捨て」である。またたとえ転換型老健に移ったとしても、介護報酬が20%近く減額されるので、施設職員を減らすか、サービスを減らすか、とにかく劣悪な介護へ追いやられる。清水氏は「現時点では施設介護にまさる介護はない。介護療養型医療施設はそのために作られたのですから」という。厚労省は療養病床を廃止・削減することで3000億円の医療費削減となるというが、その代替を全くしない場合(切り捨てのみ)の試算であって、県レベルでは300億円程度の削減だろうと試算している。2008年8月6日の日経新聞は「療養病床存続22万床に、厚労省方針削減7万床緩和」、毎日新聞は「療養病床6割減断念、厚労省正式表明」というように、病床の削減計画は厚労省の思惑と違って難渋している。同じ問題が根源にある介護保険の問題は沖藤典子著 「介護保険は老いを守るか」(岩波新書)を参考にされたい。

では高齢者医療の未来像は描けるのだろうか。医療崩壊は国と厚労省が押し進めてきた「医療制度改革」(改悪?)によってもたらされた。この「改革」を社会変革の必然の結果と見るか、改革の進め方に根本的欠陥があるのか、改革そのものが誤りなのか、見る人の価値観で大きく異なる。医療・介護現場で働く人が社会変容の影響をまともに受け、混乱と困惑、葛藤、苦悩の渦中にある。そして高齢者自身が真っ先にそのツケを払わされるのである。後期高齢者医療保険制度に「サービスに応益負担」という考えがある。小泉改革以降は概ねこの方向で社会保障制度が作られた。負担量が同じでは持たざる人、裕福でない人の負担は重くのしかかる。これが応益負担の原則である。前世紀までの日本社会は共同体的な価値観をもってつくり上げられていたが、21世紀になってアメリカのブッシュU大統領を真似て、日本の小泉首相らはアメリカ型の競争原理や自己責任といった「個」を単位とする価値観によって社会を作り変えようとした(その結果は2008年の金融大恐慌となって破綻した)。その結果非常に大事なものが失われた。それは日本社会の良質な中間層である。小田実氏は政治的な論点で「中流の復興」(NHK生活人新書)を著わしたが、日本の中間層の価値意識とは、熾烈な個人原理や競争原理とはむしろ対極の、家族主義的な共同体原理である。むき出しの競争原理は社会の軋轢を生み信頼関係を失う、こうした価値観が失われたのである。そして中間層がほぼ壊滅した結果、格差社会とか新貧困層を膨大に生み出したのである。中間層の再構築はもはや不可能であろうが、「国に言われる通りにやればやるほど食えなくなった」と米作り農家からよく聞くが、同じことが医療や介護福祉の現場においても言える。「医療制度改革」で医者の数が減り医療崩壊となり、診療費削減政策で病院の殆どが赤字経営に転落した。医療費の適正化と財源の確保は当然必要であるが、しかし厚労省官僚の進める「医療改革」に対してはどうしても理があるとは思えない。日本の医療がかけがえのない共有の財産であることはいうまでもないが、しかし厚労省官僚はそれをズタズタに切り裂いてゆく。百年の計があってやっているのではなく、現存する制度のいいところも悪いところも破壊する「改革という名の破壊の魔力に酔いしれている」だけではないだろうか。高齢者医療の将来はこの官僚に任せておくと、確実に破壊される。社会は制度で成り立っている。それを運営し牛耳るのが官僚である以上、かれらの暴走による制度破壊を止めることはかなり難しい。しかし官僚の天敵は政治家である。政治家とある程度協力して、現場の人が職業上の良心に忠実に、これらの破壊行為を食止めなければならない。

1) 療養病床再編はなぜ問題なのかー静岡県浜松市医療法人和恵会湖東病院

2006年6月に成立した「医療制度改革関連法案」の狙いは、@患者を施設から居住へ誘導する、A保険給付の削減、B医師・看護婦の配置転換にあったと言われる。しかし新聞で公表されてから半年で法案が国会を通過するというこの急ぎ方は尋常ではない。よほど議員全員が居眠りしていたのだろう。この病床再編問題には問題点が大きい。@病床から追われた患者の受け皿がないことで、居住へ送り返すことは不可能である。A保険給付の2割減という状況で医療と介護現場の質の低下が必至である。B高齢者人口の急増という現実からしてこれは高齢者切り捨て政策である。そして厚労省と医療側の攻防が続く中で、国から削減計画を求められた都道府県ではとても削減は出来ないという悲鳴に近い声が新聞記事に出た。といって厚労省が全面的に政策をあきらめたわけではない。医療区分と入院治療の必要性は直接の関連はないし、介護度との整合性もないことは先に述べた。そして設定された診療報酬は低い。医療と介護・生活のケアーの分けがたい患者を多く有する介護型療養施設にあっては、そもそも区分することは不可能である。診療費用削減目標から逆算するために強引に設けた区分であって、現実から乖離することは明白であった。数学でいう「帰納法」と「演繹法」の違いで、現状の数値から帰納するのではなく、国家目標に合わせて演繹して現状の制度を改編するという態度である。日本医師会は「医療区分1の患者さんの21%は医学的管理・処置が必要である。医療区分1を医療病床の約50%に設定したことは、先に1000億円の削減ありきとして計算された経済的誘導策による区分である」と反論した。

医療法人和恵会の猿原理事長によると、湖東病院は1981年68床を持つ老人病院としてスタートし、その後増設を続け2003年には全部を介護療養型施設として309床のベットを持つに至ったという。猿原氏は「老人の専門医療を考える会」のメンバーになっており、出来高制の一般診療と違って定額制の医療を行う介護療養型医療をここまでやってきたのだ。それが高齢者にとって最適な医療であったと氏は考えている。厚労省が介護療養病床の受け皿だという老人保健施設(従来型老健)は病院の基準ではない。老健は入院患者100人に対して医師が1人でいい施設(介護療養型は3名)であって、断じて病院ではない。病院でないところに病人を置いたら犯罪行為であると氏はいう。介護療養型医療施設では年間死亡率が29%台であり、宿直医もいない時間帯で死亡した老人を看取ったわけでなければ死亡診断書も書けない。(私の義母の場合老健病院でなくなった時間が午前5時であったのだが、医師がいないので出勤してきた午前8時に医師が看取ったという形にして、死亡時刻を午前8時15分としたという笑うに笑えない事実があった。)亡くなりつつある人への医師の看取りがなければ尊厳あるQOLは保障できないのだという。そうでないと重症の患者さんはもう受け入れできないのだ。下の表に介護療養型病床・従来型老健施設・転換型老健施設の設置基準比較を示す。

介護療養型病床・従来型老健施設・転換型老健施設の設置基準比較(人数は対100床)
-医師数看護師数介護職員適用保険病室の広さ
介護療養型病床3名以上20名以上20名介護保険6.3m2以上
従来型老健施設1名別基準別基準介護保険8m2以上
転換型老健施設1名+α17名25名介護保険8m2以上

2) 高齢化するベットタウンでー多摩市医療法人天翁会あいセーフティネット

1980年多摩の住宅街唐木戸に80床の個人病院天本病院が生まれた。多摩の「高齢者医療・福祉のモデル地区」とされている。「老人の専門医療を考える会」の創設メンバーである天本氏は、最初から介護療養型医療施設を目指していたかといえば決してそうではない。1971年に市制となってから、多摩市は14万人ほどの一大ベットタウンとなった。そして商業施設などがなく純粋のベットタウンである多摩市は、2008年には高齢化率18%の老いた町になった。精神科医である天本氏は在宅重視の地域コミュニティケアーを目指したのである。精神科医療と老人医療は共通点が多いという。長期戦である事、家族の問題が大きく医療のみでは解決がつかないこと。介護との連携が多い、チームケアーを必要とすることである。そうして高齢者に多い認知症は精神病棟にs入院させるか隔離するかではなく、地域で見て行く時代に理解が進んだことであろう。天本氏の構想は多摩ニュータウン全体をひとつの病棟として捉え、コミュニティケアを具体化しようとした。地域連携システムとしてセーフティネットの構築は、病院が外来診療、訪問診療、訪問看護ステーション、ケアマネージャーの母体となり、介護老人保健施設やディサービスセンター、在宅介護支援センターと連携することである。すると病院の機能特化ができ、外来と検査とリハビリ、亜急性期治療、回復期リハビリ、長期療養の重度ケアー、認知症患者の精神病棟というように機能を特化した。老人が終末をどこで迎えるかというと、日本では80%以上が病院である。それにたいして西欧では病院と施設が半々くらいになっている。西欧の施設とは医療以外のナーシングホームやケア付き住宅のことである。つまり生活支援、医療、介護が一体となったサービスハウスである。在宅医療というと「見捨てられた医療」というイメージが強かったが、高齢者の生活の質を維持する在宅医療の中心は「訪問診療」となる。訪問診療は患者の同意を得て計画的・定期的に行われる診療である。緊急時の「往診」とは違う。1992年の第2次医療改正において診療所・病院以外の医療提供の場として「居宅」が加わった。2000年の介護保険制度のスタートによって、在宅医療に対するニーズと期待が高まってきたのである。

3) リハビリから居宅支援までー京都市医療法人行陵会大原記念病院グループ

いつの時代も変革の時代である。常に視点を医療外に求めて新しいスキル(技法)を磨く京都大原病院代表の児玉氏には閉塞感がない。今後の医療政策が財源の抑制と療養型病床の再編という方向に向かうことを予期した行動をとる医療者のひとりである。このグループは現在3つの中核機能から成り立っている。京都大原病院を母体とする医療法人行陵会、特別養護老人ホームやケアハウスを経営する社会福祉法人行風会、在宅介護事業を推進する(株)企業体である。22の事業所からなる総合的医療事業体である。大原は京都市左京区にあるが、市の中心地からバスで1時間ほど離れた山間の地にある。京都市には大学病院が2つ、赤十字病院、旧専売病院、市立病院などの公的医療機関が多く存在しある芋では医療供給過剰地域である。そこで大原という林業中心の辺鄙な土地では、一般病院としてはやって行けない。児玉氏は「老人の専門医療を考える会」のメンバーとなって、リハビリ中心の医療と訪問看護の総合的サービス機関という方向へ向かった。2000年の介護保険制度導入時には介護療養病床とはせずに医療保険のみの回復期リハビリ病棟に再編したという。回復期リハビリ病棟は京都では始めてであった。氏の観点は「高齢者にふさわしい緩和ケアーや終末期の医療が必要なのではないか。安心と満足の提供とは安心して死を迎える暮らしの提供なのだ」ということである。2006年回復期リハビリ入院を180日に限るという診療報酬改定以降、2008年の診療報酬改定では在宅復帰率60%のハードルが明示された。早期の自宅復帰を目指す回復期リハビリ病院としては、在宅におけるリハビリの継続と充実は両輪となった。2001年三菱商事との合同出資で介護サービス事業へ乗り出した。医療費は30兆円を超す市場であるが、その周辺には介護、住宅、食事など100兆円を超すサービス事業の可能性もある。ここへ進出しようというわけだ。居住系施設(老健、特老、ケアハウス、有料老人ホーム、グループホームなど)の拡充は医療と介護を兼ね備えた「終の棲家」の提供である。時代の流れと共に、病棟は居住施設へと変化し、医療保険から介護保険へ重心をうつすだろうと見るのである。

4) 顔の見える地域包括医療ー秋田県横手市市立大森病院

今地域の危機は深刻である。「限界集落化」は山間の過疎地ばかりではなく、地方都市の空洞化に及んでいる。市町村合併は有利な補助金がもらえるからではなく、国の地方への補助金を削減するための手法であって、確実にトータルで地方都市の空洞化が進行している。高速道路と夢の架け橋は地方から若者を大都市へ吸い寄せ、地方都市はやせ衰え高齢化率が一気に高まった。このルポの舞台である秋田県横手市(人口10万人)の旧大森町(人口8000人)も高齢化と過疎の進む典型的な農村地帯である。小野剛氏を病院長とする市立大森病院は「地域包括医療」のもと、医療、福祉、保険が一体となった取り組みを行っている。「健康の丘おおもり」と名づけた地域には市立大森病院(150床)、特老保健施設(100名)、特別養護老人ホーム「白寿園」(120名)、居宅支援センター「もりの家」(30名)、高齢者保健福祉センター、社会福祉協議会もある。更に隣接する「南部シルバーエリア」にも同様な施設がある。旧大森町は農村地帯であるが専業農家は2割くらいである。高齢化率は33%以上であり全国平均の18%に較べると異常に高い。その中で大森病院は黒字経営である。横手市には地域中核病院として平鹿総合病院と市立横手病院があるがともに黒字経営を維持している。自治体病院の90%が赤字で閉鎖される病院が多い中で、地方自治体の首長が医療に対するセンスを持つことは、地域医療の死活問題に直結する。どうして横手市の病院が黒字なのかを探るのがこのルポの目的である。農村部における高齢者医療は、病院の診察室での治療や入院患者の治療だけで解決する問題ではない。日本海側の豪雪地帯では雪かきや寒冷による体調異変から高齢者を守るため、冬季だけ高齢者を施設に避難させる「越冬隊」という計らいは豪雪地帯の保健・医療・福祉の連携、地域包括医療という特殊性を浮かび上がらせる。市立大森病院(150床)の平均利用率は96%ほどである。「南部シルバーエリア」は秋田県福祉事業団が運営する入居施設を提供する居宅サービスである。内容は軽費老人ホーム(ケアハウス)50名、養護老人ホーム50名、老人専用マンション23名である。「健康の丘おおもり」のメインは高齢者居宅支援センター「森の家」である。15室いつも満員である。そして地域特有の酒と生活習慣病予防のための健康管理センターネットワークがあり、血圧計と心電図測定器が家庭に560台設置され、情報がセンターに直結されている。

5) 認知症を地域医療連携で支えるー北海道砂川市立病院

医療再生の要因として地域医療連携の重要性が言われているが、それが砂川市立病院ではうまくいっている。この地域は中空知地区という旧炭鉱地帯であった。高齢化率は25%を超えている。砂川市立病院は18診療科、512床を持ち周産母子医療センターなどの指定を受けた地域の中核病院である。この病院は黒字経営である。地域連携が大きな力となっているという。首長と住民が支えるという意識が地域医療にとてもいい影響を与えている。砂川市立病院には精神科病棟が103床あり認知症患者の受け入れと「もの忘れ専門外来」が中心の活動である。入院は3ヶ月以内という制限があるので、介護施設や療養型の病院へどうつなげるかが「地域医療連携室」の仕事である。地域の医師会と協定を結び、12の診療所が参加してネットワークを形成した。認知症の高齢者を地域のケアスタッフとの連携で介護するため「地域で認知症を支える会」が出来た。認知症の専門医が地域の診療所の医師たちを動かすのだが、全国で認知症専門医はまだ500名ほどである。認知症に対するかかりつけ医師の意識もあげなければならない。認知症の検査を行うのは心理療法士、次に神経学的所見を精神内科医が見てカンファレンスで診断を下す。砂川病院と連携する「リンゴの里」という認知症患者のディケアーサービス施設がある。


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