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宮本太郎著 「生活保障ー排除しない社会へ」

  岩波新書(2009年11月)

行き詰まった「社会保障」に代わる、雇用と結び付ける「生活保障」へのトライ

この国の生活を成り立たせている仕組みが、根本的なところで音を立てて崩れ始めている。多くの人々が自分の将来の生活に強い不安を抱き、貧困と格差の拡大と、犯罪と自殺の増大に怯えている。今世紀に入って小泉元首相は「自民党をぶっ潰す」といって構造改革を始めたが、グローバル化の勢いで日本国の仕組みまでぶっ潰した。すでに1990年代からこの国の古きよき政官財の「鉄のトライアングル」体制は軋みをあげていたが、グローバル化の新自由主義の前に、日本的経営の生涯雇用が衰退し、財政赤字で公共事業もままならなくなった。そして2000年代に構造改革路線はすでに痛んでいた制度を徹底的に破壊しただけで、新しい仕組みは生まれなかった。2009年9月に「政権交代」が起きたが、新たなビジョンを持って向かうのであろうか。国民の期待は大きいだけに、舵取りも難しいだろう。欧州では1990年代に旧来型の福祉国家が行き詰まり、アングロサクソン国家の新自由主義が破綻したために、「第三の道」が唱えられている。本書は「生活保障」という鍵概念を切り口として、改革ビジョンを論じるものである。「生活保障」とは何か。それは雇用と社会保障を結びつけるものである。終戦後憲法第25条「国民は文化的生活を受ける権利がある」を受けて、1950年の社会保障審議会が示した勧告は、「すべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことが出来るようにすることを生活保障と言い換え、その柱に社会保障をすえると同時に、生活保障は社会保障と雇用が連携し、経済の発展と結びついて実現されるもの」とした。生活保障は「生活保護」では淋しすぎるのである。社会設計の根本に関る概念である。雇用と連動しない社会保障は、単に落伍者救済にすぎない。低賃金の非正規労働者が急増して保険料も払えないようでは、社会保障の中心である社会保険は崩壊する。求められるビジョンは社会保障を雇用と強く連携させて、人々を社会に包み込むことを目指すものである。秋葉原事件のような非正規労働者の疎外を救うものは定額給付ではなく、排除しない社会の構築ではないだろうか。財の再配分だけでなく、働く人が「生きる場」を見つけられ、与えることが出来る社会であろう。働いたらこういうなるという権利と義務のバランス、「社会契約」の中味が大事であろう。汗を流さなくても暴利を貪り、働いても棄てられる社会は持続可能ではない。

著者宮本太郎氏のプロフィールを紹介する。1958年生まれ、共産党元委員長宮本顕治氏と大森寿恵子との間に長男として生まれた(母親は小説家の宮本百合子ではない)。1988年中央大学法学大学院を卒業、立命館大学政策科学部教授を経て北海道大学大学院法学研究科教授。専攻は比較政治、福祉政策論。とくに福祉政策および福祉国家の比較分析が研究テーマ。比較分析の主軸としてスウェーデンに注目してきた。最近は、欧州におけるソーシャル・ インクルージョン政策の多様な展開に関心をもっている。著書には『福祉国家という戦略――スウェーデンモデルの政治経済学』(法律文化社, 1999年) 、『福祉政治――日本の生活保障とデモクラシー』(有斐閣, 2008年) などがある。本書で著者も言い訳しているが、著者は個々の政策・行政論には精通しているわけではないが、比較分析で論じるので政策バッテリーレベルの議論であるという。私はこの本に関連する本として、
濱口桂一郎著 「新しい労働社会ー雇用システムの再構築へ」 岩波新書
中野麻美著 「労働ダンピングー雇用の多様化の果てに」 岩波新書
橘木俊詔 「格差社会」 岩波新書
等を読んだ。あわせて参照してください。特に濱口桂一郎氏の著書は本書の2本柱である雇用と社会保障の、片方の雇用問題を扱うものである。元労働省官僚である濱口氏の書いたもので、日本の雇用制度の現状を知る上で大変参考になる。本書の入り口である現在の労働市場については中野麻美氏、橘木俊詔氏の著書が小泉元首相がもたらした新自由主義構造改革の破壊の有様をドキュメンタリー風に描いている。

1) 社会の分断

日本社会に幾筋かの亀裂が走り、互いに関連しながら社会的断層が形成されている。まず大きな亀裂は、相対的に安定した正規労働者とパート、アルバイト、派遣など不安定な非正規労働者の間の亀裂である。派遣労働者の50%以上が年収200万円以下である(2007年総務省)。正規労働者内でも格差が広がっており、年収300万円以下が31%におよんでいる。企業間の亀裂は、「グローバル経済圏企業」の成長率が年率9.5%であるのに対して、「ドメスティック経済圏企業」の中小企業の成長率はマイナス0.2%であった。2008年秋からの経済危機で「グローバル経済圏企業」の影響も深刻で、そのしわ寄せは主に派遣社員など非正規層が受けている。ジェンダー間の格差もいぜん改善されず、正規労働者の年収200万円以下の層は男性で6.9%であるが、女性では27%も存在する。非正規労働者の賃金を低く抑える要因として、外国人労働者エスニシティの存在がある。社会的断層の拡がりに伴い、日本の相対的貧困率はアメリカについで15%と高い。相対的貧困世帯で働く人の数は共働きが35%と先進国では異常に高い。それでも貧困層を抜けられないのである。この延長には母子家庭の子供の貧困率が日本で異常に高いという現実がある。これは貧困にジェンダー問題が重なって、母子家庭の生き難さとなっているのだ。「社会保障」は亀裂を解消するどころかむしろそれを固定化し拡大している。保険金を負担することが出来ないため、社会保障制度(国民年金、国民健康保険)を利用することが出来ずに排除されている。多くの非正規労働者が社会保険に入っていない現実が広がっている。特に失業者の失業保険を受給していないものは77%に及んでいる。公共サービスについても交付税の削減によって地方と都市の自治体の格差が広がり、保育園などの公共サービスの水準が低下している。支援すべき人々にとって活用できないものなって、結果的に一部の人を排除している。

人々は福祉社会を求めつつも、行政に対しては強い不信があり、連帯の方向へ容易に舵を切れない。むしろ行政への不信に乗って、官僚叩きを自己目的化する政治的言説も流行している。社会保障を求めながら小さい政府を支持するという矛盾した言動は、人々の根強い政治・行政不信と強く関連している。アンケートによると日本人は家族・新聞テレビ・科学技術・医者・裁判に他する信頼度は高いが、宗教・政治家・官僚に対する信頼は極めて低いという結果が出た。市民の相互信頼の強さは「社会関係資本」と呼ばれ社会コストが低減される。原子力施設地元対策費と称する地方へのバラマキ援助費が数十億円という高額なことは、いかに原子力施設の安全性神話がなくなっているかということである。人々がリスクと考えればなだめるために税金がばら撒かれるのが社会コストである。日本で企業や業界を超えた信頼関係が稀薄なのは、従来の集団の内部でしか有用しない「拘束型社会資本」であったからで、NPOなどの自発的活動は企業、地域を超えてつながるものは「架橋型社会資本」である。行政不信から離脱するには政策のデザイン、生活保障の制度設計こそが鍵であろう。労働市場の構造と社会制度が生み出す断層が人々を引き剥がしている。社会の層の間の利害関係を調整するのではなく、相互対立を煽り憎しみを増幅させて出来る緊張感を政治的に利用する動きがさらに社会の傷口を広げた。非正規社員層と正規社員層、政治家と官僚、男性と女性、日本人と外国人、民間と公務員など言い出せば切りがないし、対立を煽った政治的言説やメデァの犯した罪も大きい。いじめにも近い「官僚パッシング」や「建設業界つぶし」、「負け犬攻撃」、「生活保護世帯非難」など悲しくなるような足の引っ張り合い(芥川龍之介の「蜘蛛の糸」)が、手を取ってみんなで向上しようとする機運になるのは何時の日か。これを丸山真男は「引き下げデモクラシー」と呼んだ。レベルの低いところで納得すれば喜ぶのは奥の院の支配層ではないか。

2008年秋からの金融危機は新自由主義の説得力を根底から崩した。あの麻生元首相さえ「私はむき出しの自由主義は正しくないと思う」と言わしめ、小泉元首相の構造価格路線の修正を言い出したが、時すでに遅しで人心は自公政権から離脱していた。経済危機に対する自民党政権は「利益誘導型財政出動」(サプライヤー政策)をうちだし17兆円の補正予算を打ち出した。それに対して民主党新政権は「家計直接給付型財政出動」(生活者政策)で7兆円の補正予算を打ち出した。麻薬的政策でさらに財政危機が増大し、しかも雇用が回復できないなら、人々の信頼を無くしてしまう。雇用と社会保障をより一体化して人々を労働市場に吸収してゆくことが必要である。そして低賃金労働ではなく、「見返りのある」労働になるように新市場開発に向かわなければならない。戦後の左翼やリベラル派は「福祉を最大に、権力を最少に」という理論で、必ずしも福祉国家のビジョンを持っていなかった。福祉国家は権利と義務の「社会契約」なのである。

2) 日本型生活保障の解体

日本型生活保障の特徴とは、
@GDPあたりの社会保障への支出は少ないほうであった。2005年では18.6%と、西欧諸国の水準である25%には及ばなかった。
A社会保障にかわる雇用の実質的保障によって格差は相対的に抑えられていた。
B高齢者の社会保障が中心であって、年金、遺族、高齢者医療に集中していた。逆に現役世代への支援たとえば積極的労働市場政策支出はGDP比0.3%とOECD平均の約半分に過ぎなかった。
C家計補完型で低賃金の非正規労働(主婦のパートなど)が多かったため、日本の非正規労働市場の低賃金構造が基底にあった。
D企業や業界毎に仕切られた生活保障が出来上がった。そこへ官庁や政治などの庇護や援助が入った。
20世紀型の福祉国家の仕組みは男性稼ぎ主の雇用と安定した家族に依存する側面が強かった。稼ぎ手の男性の病気、失業、定年など、女性の出産、子育てなどのリスクに対応するのが20世紀型福祉国家であった。これは日本が追いつき型の近代化のため、社会保障より経済成長に直結する雇用保障に力点があったためである。

21世紀になって有期雇用、派遣労働、日雇い、パート労働など臨時雇用労働者の比率が増大し、OECD平均で13.9%になった。アメリカでは製造業労働者の比率が12.8%まで低下し、産業構造が金融・サービス業へ転換した。これは途上国を除いて先進各国に共通する傾向である。制度が想定したライフスタイルと実際に生きる人生とのギャップを「社会的リスク」という。ライフスタイルの多様化は人々の改革への方向性について合意したり連帯することもまた難しくなった。1995年経団連は「新時代の日本的経営」レポートを発表し、幹部正社員むけの「長期蓄積型グループ」、専門的職種である「高度専門能力蓄積グループ」、単純労働に派遣社員を運用する「雇用柔軟グループ」に分類した。1999年に労働者派遣法を改正し原則自由化され、2004年には製造業への派遣も認められた。土建国家も根底から揺らいだ。公共工事は毎年縮小され、GDPに対する公的資本形成の割合は1996年には6%であったのが2006年には3.2%とフランス並に落ち込んだ。最初から非正規労働者は2002年には31%以上になり、ワーキングプアー世帯の所得が生活保護世帯の所得より下回るという事態となった。

2008年6月の秋葉原事件は、「生きる場」から完全に閉め出された若者の絶望的な凶行であった。「私は生まれつき負け犬です。それを受け入れるしかないのです」という告白は人の存在のぎりぎりの発言である。人の生活を支えるものが所得の保障のみならず、相互承認と向上の場の存在が必要であることを明らかにしている。「近代人の疎外」とは聞き古した言葉であるが、個人が歯車に化した悲哀より、秋葉原事件は歯車にさえ組み込まれなかった男の悲運が浮き彫りにされた。「人のまなざし」不在地獄のことである。アメリカの政治学者フレーザーは福祉国家の役割は「再配分」と「承認」であるという。承認つまり「社会的包摂」はEUの社会政策ではもっとも基軸的な概念である。新自由主義者が自分だけの幸福を追求し、他者を負け犬と呼んで略奪の対象にする自由な世界とは砂漠の思想である。欧州の福祉国家は、人々の利害関係や感情に沿って漸進的な改良を積み重ねてきたから安定した社会を築くことができたのである。人々が社会に参加しつながりを持っていく上での障壁を除去するためには、教育、技能訓練、保育サービス、高齢者就労支援などの施策が不可欠である。

3) スウェーデン型生活保障

日本の生活保障が解体する中で、欧州の福祉国家もさまざまな転換を逼られた。著者がスウェーデンの経験を取り上げるのは、スウェーデンが「福祉の優等生」であるからではなく、社会保障と雇用の関係を示唆するからであるという。西欧の福祉国家の比較論としてエスピン・アンデルセンの福祉国家類型論がある。福祉国家を推進した政治勢力の理念によって質的に異なった福祉国家が形成されたのは当然である。類型的に3つの型に分類して各種の社会的支出を比較した。レジームとは社会保障や福祉、雇用に関るさまざまな政策と制度の組み合わせの体制のことをさす。

欧州の生活保障の類型
レジーム社会保障の形雇用保障の形生活保障の形
アングルサクソン諸国
(アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージランド、カナダ)
自由主義レジーム(個人主義・市場原理主義)社会的支出が比較的少ない、公共サービス・現金給付も小さい
所得制限による一部の困窮者対策(選別主義)
ジミ係数や相対的貧困率でみても格差社会、貧困社会である
雇用保護法制は弱く、積極的労働市場対策への支出も少ない社会保障支出、雇用保障政策は不十分である
GDP成長率は一般に高いが財政状態は安定していない
小さな政府、小さな福祉国家 増税に対する反発が大きい
北欧諸国
(スウェーデン、ノルウエー、デンマーク、フィンランド)
社会民主主義レジーム(労働運動の強い主導)社会的支出は大きく、現金給付と公共サービスは高い
公共サービスは医療に限らず現役世代が重視される
年金の割合は低い 現役世代向け支出が大きい
雇用保護法制指標は高い
1990年代失業率は高かったが、積極的労働市場政策と流動性の高い労働市場で抑制された
デンマークは「フレクシキュリティ」で失業率は低い
社会保障支出は高く、雇用保障も充実している
現役世代を対象としたサービス・現金給付・教育が拡大した
財政状態は安定し、相対的に高いGDP成長率を実現した
大陸欧州諸国
(ドイツ、フランス、オーストリア、オランダ、ベルギー、イタリア)
保守主義レジーム(キリスト教民主主義・家族主義) 社会的支出は高いが 現金給付が中心で年金の割合が高い雇用保障制度指標は高い 解雇できない構造である しかし失業率も一貫して高い年金など社会保障支出は高いが雇用保障への政策は不十分で失業率が高い
日本
社会的支出はアメリカより低い 現金給付では年金の比重が高い
公共サービスへの支出が低く、医療特に高齢者医療比率が高い
雇用保護法が未確立で企業まかせ 積極的労働政策への支出は小さかった社会保障への支出が小さく、雇用は企業と行政ぐるみで安定していた
現役世代で雇用が家族主義に守られていた 定年後は社会保障が中心

スウェーデンの福祉国家が成功モデルであるとは一概に言えないし、保守中道政権成立により、経済危機後のスウェーデンの政策も変化しつつある。スウェーデンの人口は1千万人足らずで大国でないことから、公共事業による土建国家を最初から目指していない。輸出型高付加価値産業構造への移行を目指したのである。「高福祉高負担」社会スウェーデンの生活保障は社民党の「就労原則」に導かれてきた。「皆が働くべき」という強い規範に支えられ、政府は人々が失業、疾病、キャリアー不足を乗越えて就労する条件を提供するという考えである。スウェーデンは日本のような長時間労働国ではない。基本的な戦略は、ハイロードアプローチ(高付加価値分野)への産業構造のシフトと同時に、人々に労働市場の外で知識・技能を高める機会の提供であった。中間層にとって高負担であるから公平性の確保が求められる。積極的労働市場政策を中心としたスウェーデン型雇用保障への道は、労働組合総連合のレーン・メイドナーモデルと呼ばれた。労働組合運動のひとつの方向転換であり,ひとつの職場にしがみつくのではなく、将来性のある職場への移行をスムーズにする考えである。そのためには職業訓練や職業紹介に責任を持つ政府機関と、同一労働同一賃金制度の導入が必要だった。この制度によって競争力のない企業の淘汰を行うことが出来る。日本のように賃金が企業業績に依存するのではなく、その賃金で業績をあげることが出来ない企業には退場願うということである。こうした積極的労働政策で、1950年代から1980年にはGDPで3倍となり、年間20万人に人が移動した。民族大移動いうか産業大移動である。しかし同一労働同一賃金の評価は困難を極め、結局賃金幅の縮小が進行した。日本の雇用モデルを、同じ企業・職場で長く雇用を維持することから「殻の保障」というと、スウェーデンの移動をしやすくする雇用モデルは「翼の保障」と言える。デンマークの雇用モデルである「フレクシキュリティ」もまた労働力の流動化を基礎とした仕組みである。柔軟な労働市場、長期にわたる失業給付、そして積極的労働市場政策の組み合わせが「黄金の三角形」といわれる。スウェーデンでは労働力を生産性の高い業種へ導くが、オランダでは中小企業が多いため、次にどういう職業に就くかは労働市場に任せるという点が異なる。労働生産性の伸びはスウェーデンの方が高いが、失業率はデンマークの方が低い。

雇用と密接に関係したのが社会保障であった。就労のための公共サービスは至れり尽くせりである。職業訓練と並んで「コンブクス」という自治体が供給する生涯教育には、学習援助金、下宿付加給付、教育休暇などが用意されている。日本では一度非正規労働者に落ちると、ふたたび這い上がるのは困難で「生きる場」の喪失に結びつきかねない。スウェーデンでは雇用保障と社会保障の結びつきで、働く場への参入が容易で、またそこからの離脱も容易である。現金給付では両親保険、失業保険、健康保険の所得保障など従前の所得に比例する所得比例型のプログラムとなっている。所得保障は働いていない人の最低所得保障ではなく、働いている人の現行所得保障として設計されている。スウェーデンの社民党政権は中間層の支持を求めて、その就労意欲を高めため、消費税は30%と高率である。所得税は公平・逆進的を特徴とする。スウェーデン社会は孤独で自殺率が高いと云うデマが一時流されたが、自殺率は10万人当たり日本は30人、スウェーデンは20人である。そして事実婚の制度化「サンボ」によって、育児休暇と所得保障も充実して、390日は8割保障である。スウェーデンは決して孤独な社会ではなく家族重視の社会である。積極的労働市場政策を軸とした雇用政策には大きなジレンマがあった。生産性の高い企業は省力化が進み、次第に労働力を吸収しなくなる「雇用なき成長」というジレンマである。失業率が高止まりする。労働市場への再参加を前提に設計されているプログラムに依拠して生活する人々が増大している。労働市場の外部にいる20−64歳の人口比率が20%を超えるまでになった。就労できない人の増大は社会保障の「ただ乗り」する人の増大に繋がる。2006年社民党から政権が保守党に変わった。保守党ラインフェルト首相は保守中道路線として「新しい労働党」を目指すと言っている。新政権は民社党の「就労原則」を「ワークファーストプリンシプル」と読み替えて、まず就労を逼る原則と理解した。そして非効率的な政策の見直しとして、1年間の休職保障である「フリーイヤー」を廃止し「ニュースタートジョブス」という制度を導入した。失業保険や疾病保険の改革が行われた。居心地のいい就職浪人に就労への圧力を掛けるのである。これによって失業率は7%から6%に低下したが、世界金融危機の影響でまた失業率は上昇し、社会保障を増額するというジレンマになっている。

4) 新しい生活保障とアクティベーション

新しい生活保障のあり方を探るため次の4つの条件が求められている。
@男性稼ぎ主だけの失業、労災、年金などの社会保険だけではなく、多様なライフサイクルをカバーする柔軟性が必要だ。
A就労を軸とした社会参加により「生きる場」を確保する。
B低賃金構造を再生産可能な「見返りのある労働」にするため、最低賃金制の強化と均等待遇の徹底行うと同時に、公的な所得保障という補完型所得保障も求められる。
C分りやすく透明性のある制度設計が必要で、社会的合意可能性があることが求められる。
生活保障の再構築を巡って二つの相対する議論がある。ひとつは連携が上手く行かなくなった雇用と社会保障を完全切り離して、所得保障だけを独立に行う現金給付型の「ベーシックインカム」という発想である。分りやすい制度であるが、就労を軸とした社会参加の仕掛けはない。もうひとつはスウェーデンやイギリス労働党のかかげた「第3の道」である。社会保障の目的として就労や社会参加を前面に掲げ、公共サービスと現金給付も共に行う「アクティベーション」という考えである。ただ乗りが危惧される「ベーシックインカム」に対して「アクティベーション」は合意性の高い生活保障である。

「ベーシックインカム」とは、すべての国民に定額の給付を行う考えで、究極的には年金や公的扶助、児童手当までこの「ベーシックインカム」に吸収され撤廃されることになる。最初は拒否反応が多かったが最近民主党でも勉強会が行われているようだ。乱暴な制度にも見えるが、ワーキングプアー層の解消(貧困問題の解消)に役立つことも期待されているようだ。条件をつけないで定期的に給付する無条件型「ベーシックインカム」には生活できる水準を目指す「フルベーシックインカム」と補完型の「パーシャルベーシックインカム」に類別される。ある学者の提案で「ステークホルダーズグランド」という一括型「ベーシックインカム」は、成人になったら無条件に1000万円程度の基金を給付し、若者はそれを資金にして教育や事業をはじめろという制度らしい。イギリス労働党政権は「児童信託基金」は誕生時に政府が数万円振込み、親戚家族が資金を入れ無税で蓄えておき、18歳になったら使えるという制度である。政府資金は呼び水で計画的学資貯金みたいなものだ。ベーシックキャピタルといえる。条件型の「ベーシックインカム」には、所得制限、期間限定、ボランティアなど社会参加を条件とする給付など色々考えられている。これら「ベーシックインカム」の考えは「左派リバタリアン」と呼ばれる社会的平等を掲げ政府の介入に強い警戒心を持つ人々によって提唱されたが、最近、新自由主義経済学者によっても唱えられている。この「ベーシックインカム」の困難はまず財源問題で実現可能性がないと否定する人もいる。そしてただ乗り(フリーライダー)をたくさん出してしまう。筆者は無条件「ベーシックインカム」は持続困難な政策であると考えている。

雇用と社会保障の新しい連携を「アクティベーション」というが、このモデルでは雇用を支えるために次の4つの機能が必要である。@人々の就労や社会参加を促進する「参加支援」の政策領域、A就労の見返りを大きくする政策領域、B雇用の創出と維持のための政策領域、C労働時間の短縮や労働市場からの一時離脱が可能な政策領域である。相互関係を見ると、@とCは人に焦点をあてた政策であり、AとBは雇用の場に関する政策である。北欧やイギリスでは@とAの政策領域、つまり参加支援と見返りのある労働市場作りで重視されてきた。近年スウェーデン型生活保障や第3の道路線の行き詰まり状況からBとCの政策領域が浮上している。
@ 参加支援
「翼の保障」という労働の流動化に伴う生活を保障する政策バッテリーである。第一に働らく者の高等教育が地方で行われ、家族へのケアの負担を取り除く政策、職業訓練や職業紹介など積極的労働市場政策など仕組みが整備されることが必要である。
A 働く見返りの強化
労働市場が働く人の生活を維持するにたる見返りをもたらさないと、生活保障はそもそも成り立たない。「働けど我暮らし楽にならず、じっと手を見る」では困るのだ。したがって最低賃金制度の見直しと均等待遇の実現は基本的な政策でなければならない。日本の基本賃金は低い。男性稼ぎ主の安定した雇用が揺らいでいる今、パート・非正規労働の賃金が見返りが強化されないと、全員が貧乏生活になってしまう。「ベーシックインカム」の「給付付き税額控除」などの支援や高い賃金を得るためにキャリアパス形成支援が求められる。
B 持続的雇用の創出
地域に雇用を作り出してゆく政策である。道路などの公共事業は日本のお家芸であったが、オバマ大統領の「グリーン・ニューディール」が提唱された。スウェーデン型の先端部門に労働力を移動させる政策もグローバル企業の「雇用なき成長」では行き詰まった。労働力を吸収する新しい事業の創出とは、いう言うは易く、実現は困難である。
C 雇用労働の時間短縮と一時休職制度
有償労働時間は世界的に短縮の傾向であるが、日本では無償労働が正規社員に強いられている。経済不況は緊急避難的には「ワークシェアリング」を生み出したが、賃金低下は避けられない。主婦などが出産育児で職を離れる生活保障がない安心して働けない。

5) 排除しない社会のかたち

雇用と社会保障の新しい連携を「アクティベーション」社会というが、働く人々が排除されない参加支援型社会を目指している。「アクティベーション」社会の4つの政策バッテリーの中で人々との生活に直接関るのは@の参加支援の政策領域である。この望ましい社会を少し詳しく見てゆこう。参加支援社会は別名「交差点型」社会と呼ばれる。男性稼ぎ主のライフサイクルのリスクを見ると、まず教育・キャリアーで就職が決まり、熟練してゆくに連れて賃金向上や安定雇用が約束され、無事勤め上げると定年退職となるが、その間にさまざまなリスクがある。教育・キャリアーが不足していると解雇されたり、企業が傾くと整理・解雇されて失業のリスクが付きまとう。また疾病や労災で一時休職に追い込まれたり、女子の場合は出産・育児で一定期間職場を離れたりする。人生の一時期、家族特に子供の保育問題、学費なども大きな負担となる。そこでこのリスクに対処し安心して働くことが出来るためにさまざまな支援が必要である。次に4つの支援、これを助け船ならぬ支援の架橋、または支援の交差点と呼んでいる。
@ 教育と雇用
若者が自らの資質に適合する仕事を見つけ、学び、キャリアーを形成してゆく支援であry。北欧では18歳で一度職業について20歳以降に再度教育を受ける人が増えてきている。職業をよく知らないで最適の職業選びは難しい。一度職業を経験してから自分の適性を考え直すというのは一理ある。しかし日本のように高等教育のじこふたんが67%であっては、再度大学へ行くのは容易ではない。だから給付型の奨学金や下宿援助、大学の社会人受け入れ体制、企業の中途採用などの架け橋が必要である。
A 家族と雇用
子育て支援は現金給付に片寄っているので、女性が労働市場とつながるためには保育サービスが決定的に重要である。小泉内閣で保育所の民間委託が進んで、経済基盤の弱い自治体の保育料が高くなった。ドイツでは「昼間保育拡充法」、「児童支援法」で1歳以上の児童保育所の数が75万箇所にすることがきめられた。金銭給付では「養育手当」、「両親手当」を支給している。育児期間中の所得保障はスウェーデンで現行所得の80%、ノルウェーで100%である。
B 積極的労働市場政策
日本の文部省学校教育では職業訓練は無視されている。雇用保障は企業頼みで、政府の積極的労働市場への支出は抑制されていた。「仕事館」のような箱物には数百億円を気前よく出す政府は反対に「雇用・能力開発機構」を廃止した。ドイツでは職業訓練中の所得保障には、失業保険期間が過ぎても「失業扶助」や「失業者起訴補償」などを行っている。日本でも緊急経済対策の一環として麻生内閣は「訓練・生活支援給付(10−12万円)を3年の時限法として実施した。ところが民主党は天下り規制からこの機関への予算を半減した。行政の信頼回復と公的職業訓練の整備をどう進めるかあらためて問われている。
C 休職・退職への対応
  スウェーデンでは年金制度を61歳からとし、67歳までは年齢を理由に解雇されない「雇用補償法」を制定した。55歳から64歳までの高齢者雇用率はスウェーデンは70%、日本は63%である。しかし日本では年金と給与の合計が月28万円を超すと年金が減額される仕組みであるため、就労意欲を妨げている(主婦のパート労働が年120万円を超えると、扶養家族控除から外されるのと同じ)。疾病手当は現行所得の80%が最長1年間支払われる。

公的な支援1本だけでは参加型社会は上手く機能しない。民間事業体の参加も必須である。NPO,協同組合など公益性の強い民間の事業体を「社会的企業」と呼んでいる。今日の若年層の失業問題には、長期的に雇用から切り離されると他人とのコミュニケーションを上手く取れない人が出てくるという問題がある。欧州では就労困難な人の問題解決のために「媒介的労働市場組織」なる社会的企業がある。職業訓練中のドロップアウトなどを防ぎ、就労後の定着率の向上を図っている。日本でも2005年に厚労省の「若者自立塾」ができ社会的リハビリを行っている。協同組合系でも「ワーカーズコレクティブ」、「ワーカーズコープ}などが活動している。社会的企業の役割は、困難を抱えた人々を見捨てないで労働市場に結び付けてゆくことで、これを「労働統合型社会企業」という。排除しない社会を成立させるこうした機能は,基礎自治体、都道府県、国までの異なったレベルの政府組織が民間の事業体と協力しながら進めることになる。これを「ガバナビリティ」(主体性)とか「イニシャティブ」という。地方分権化によって地方自治体の経済的基盤の格差によって参加支援の水準が影響されるなら、支援が必要な自治体ほど水準が低くなるというジレンマを抱えている。そういう場合には「財政調整制度」を設けなければならない。所得保障が国政府の仕事なら、雇用創出は都道府県へ、公共サービスは基礎自治体の仕事になり、そこへ政府と企業と社会企業・NPOとコミュニティが絡んでゆくのである。そして良かれと思う支援を与える(給付)するという考えではなく、当事者の要求と事情に基づいてサービスの内容をきめてゆく「利用者民主主義」(当事者主権)という考えでなければ、必要な支援にはならない。

排除しない社会においては能動的に社会と関ろうとする人は、見返りのある仕事に就く支援を得ることが出来る(叩けよ、さらば開かれん)。そして税負担など参加社会を支えるのである。生活保障を巡るこうしたルールはある種の「社会契約」ということが出来る。日本には根強い行政不信がある。経産省はいうに及ばず厚労省も官僚はサプライヤーのほうを向いて仕事をしてきたからである。彼らは国民のほうを向いていなかった。利害調整の矛盾は小手先で誤魔化してきた。官僚叩きが起きて当然であろう。日本の生活保護法では受給条件として、徹底して財産の引き剥がしをもとめ、ますます自立は難しくなる。少しでも収入があるとすぐに支給を打ち切るのである。イギリスでは福祉から就労へという流れが日本では福祉が就労への壁となる。2005年にできた「生活ほど自立支援プログラム」では生活保護受給者140万人のうち、実際の就労できたは3000人程度であった。年金も一種の社会契約である。年金不安と医療制度と介護制度不信が重なって、年金のタンス貯金は30兆円、普通預金は120兆円といわれている。日本では年金は今は保険方式が基礎となっているが、スウェーデンでは賦課方式である。拠出は給与の18.5%で固定され、保険料は労使で折半する所得比例型年金制度である。日本でも自民党も民主党もスウェーデンの確定拠出型の改革案であるが,民主党は年金の一本化を主張している。しかし年金を払えない人々が増えてきているなかで、年金改革は生活保障と一体化しないと結局上手く行かないのではないだろうか。年金改革・保育所増設・医療対策をあわせて8兆円−9兆円が必要といわれ、2015年度までに消費税で5,6%の財源が必要となる。消費税については、小此木潔著 「消費税をどうするか」 岩波新書を参照してください。2009年度の日本の祖税負担率は23%で、スウェーデンの49%、イギリスの38%、アメリカの26%にも及ばない。これは行政不信による「税は取られるもの」という意識が根強く、税は「ステーキホルダー」(いつか自分にも廻ってくる講の掛け金)という観点が皆無であったからだ。「貧困はなぜ生じるのか」というアンケートで、欧州では「社会的不公正」から生じるという回答が60%程度であるが、日本や韓国・アメリカでは「怠惰のせい」だと回答する人が上回っている。新自由主義の考えにすっかり染まっているようだ。今の日本では公務員、正規社員、福祉制度がエスケープゴート視され、全員が低いレベルで平等という「引き下げ民主主義」(足の引っ張り合い)で満足するのは間違っている。著者は着実な改革とは、日本の歴史と現状から出発するもので、すべからく漸進的なものであるという。欧州では「福祉から就労へ」という流れで進んできたが、日本では「福祉よりも雇用が一番」で進んできた。雇用が守られている間は日本的労働市場も世界に冠たるものであったが、その前提が崩れつつある今、進むべき道はさてスウェーデン型生活保障で行くべきなのであろうか。


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