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中野雅至著 「公務員大崩落」

  朝日新書(2009年10月)

公務員制度改革を前に、激変する霞ヶ関と地方公務員 「官僚達の冬」が始まっている

2009年8月末、民主党は「官僚主導から政治主導へ」をスローガンにして衆議院選挙に圧勝した。そして民主党は9月中頃政権誕生後に矢継ぎ早に官僚の権限を縛る措置を打ち出して国民の喝采を受けている。「事務次官会議廃止」、「官僚の記者会見禁止」(後日大臣の許可を得ればよしと一部緩和)、「国家戦略局と行政刷新会議」の設置、「内閣と民主党の一元化」、「麻生内閣の大型補正予算の執行停止で3兆円確保」、「議員を大量に省庁に送り込む」など官僚機構への切り込みは鋭い。著者中野雅至氏の関心は国家・地方公務員の大没落が始まっているということに尽きる。それがいいか悪いかは、判断する人のパブリックに対する距離関係で決まってくる。官と共存関係にある身近な人は、官僚のモラルを削ぐことに反対し官僚にがんばって日本を良くしてくれと思うであろう。官から遠い存在である一庶民は支給金を貰うとき以外は官がどうなろうと知ったことではないと思っているだろう。政治家は「官僚パッシング」で話題をさらい、官僚を叩けば庶民の生活がよくなるという幻想を煽ることで票を得てきた。確かに民が格差社会で生活や賃金にあえいでいる時、公務員は身分保証で首になる事はなく民より高額な給料を貰い続けてきたいわゆる「公務員天国」にいたことは事実である。といって公務員の生活を破綻させることだけが目的ではないはずで、民も官もみんな貧乏になればハッピーなのだろうか。それでは支配者の思う壺にはまる。つまり貧乏人同士を戦わせる分断支配の罠に落ちるだけである。日本の病根はもっと深いところにあって、官僚機構を変えることは入り口にしか過ぎない。毎年の国家予算の10倍以上の借金を抱えて財政破綻した国をどうにかしないと、民も官もハッピーになる方法はないということが、善意に解釈して著者の本意ではないだろうか。

「官僚パッシング」は突き詰めると公務員制度改革につながってゆくものと理解される。財政赤字の中で国家公務員・地方公務員だけでなく、非営利法人の職員にも改革の波は押し寄せるでしょう。そして職員の二極化がはじまる。横並び待遇と課長までの年功序列昇進性は崩れ、公務員は民間なみに競争原理に洗われることは必至である。国家公務員とは国家公務員第T種試験合格者つまり「キャリア官僚」と、国家公務員第U種試験合格者の「ノンキャリア官僚」をさす。課長以上を「高級官僚」と呼ぶ。地方公務員には事務職から警察官・消防署員・医師看護婦など多種のサービスに従事する職員のことである。最近は地方公務員の1/3は派遣の非正規職員が占めている。非営利法人とは特殊法人、認可法人、独立行政法人、公益法人(財団・社団)・地方第3セクター(外郭団体)のことである。第3セクターの補助金を貰っている機関には公務員が天下ったり、出向していたりしていて、準公務員扱いである。公務員の数は894万人で、就労人口が6000−7000万人の約一割強を公務員が占めている。巨大な労働市場規模である。その公務員を取り巻く環境に最近著しい格差が生じている。東京都を頂点とした優良自治体はほんの一握りで、あとの殆どの自治体は財政破綻状態に近い。自治体間の格差だけでなく、今後職員間の格差も進行するだろうと考えられる。「官僚パッシング」と「財政危機」の二つの圧力が公務員改革を促している。2006年から小泉政権を引き継いだ自公政権の安倍・福田内閣は公務員制度改革を推し進めた。阿部内閣の公務員制度改革は@能力・実績主義の導入、A天下り批判の答えて「官民人材交流センター」による一元化である。福田内閣よる公務員制度改革は@内閣人事局により人事の一元化、A公務員試験区分を総合職、一般職、専門職とする、B官民の人材交流、C能力・実績に応じた処遇である。今後は幹部公務員の人事が省単位ではなく内閣主導で一元化されることだ。そして自民党と民主党の二大政党制が確立すれば、役人の本質「権力には擦り寄る」によって分断を受けることであろう。民主党の政権交代によって「昨日の敵が今日の藩主」となった官僚の慌てかたは、今後は政権交代ごとに見られる現象となる。

中野雅至氏のプロフィールを紹介しよう。1946年奈良県生まれ、同志社大学文学部英文化卒業後、労働省に入所し職業安定所、ミシガン大学留学、新潟県庁課長、厚労省課長補佐など経て、兵庫県立大学院に公募して厚労省を辞めた。安倍内閣では「官民人材交流センター」の制度設計に深く関る。現在、兵庫県立大学大学院 応用情報科学研究科助教授。主な著書に「公務員クビ論」(朝日新書)、「天下りの研究」(明石書店)など多数ある。書き方は面白いほどセンセーショナルで、ジャーナリスティックである。恐らく筆者が就職活動で朝日新聞を受けて失敗した経歴から、職業意識がメディア的なためであろうか。やめ官僚(脱藩官僚)の習性には3通りあって、官僚組織を好意的に擁護支援するタイプ(橋渡し役、自民党の政治家転進組、現在の仕事が官関係の仕事と連動して)か、官僚組織を叩くふりをしてどこかで官僚組織と通じているタイプ(民主党のもと官僚が多い)か、突然反権力意識にめざめ妥協なしに官僚組織を攻撃するタイプ(よほど官僚時代にいじめられ疎外されたのであろう)に分かれる。著者はこの本で見る限り第1のタイプであろう。民主党の政策に対しては批判的(自民党に対してはもっと批判的)で、官僚の将来に対しては自虐的に書く(真にそう思っているかどうかは分らない)事を特徴としており、現官僚機構の優秀さを主張する点では官主導制擁護論者である。自虐的に書けば同情が集まると思っているのだろうか。庶民の息子が官僚になった著者は官僚制に異常な誇りとモチヴェーションをもっており、極論すれば戦前の強かった「天皇の官僚」にもどりたいというノスタルジーが露骨に見え隠れしている。安倍元首相の「アンシャンレジーム」とおなじ思想である。支配者の子孫がそう思うのは当然であるとしても、一代限りの成り上がり元官僚がそう思うのはやはり滑稽だ。従って本書は著者の官僚擁護論に対して、私が反論を加えるという形で進める。多少主張が交錯して分りにくいところもあるが、主語に注意して呼んでいただければ趣旨は通ると思っている。

二大政党制と民主党政権での官僚の退潮

民主党が政権与党になって公務員改革に臨む姿勢は官僚にとって一段と厳しいものがある。当面は天下り禁止、行政刷新会議のワーキングフォース「無駄使いの洗い出し」を中心にキャリア官僚をターゲットとした見えやすい政策に終始するであろう。民主党には「政策通」が揃っており統治機構をサプライサイドから「生活者重視」へ転換することと位置づけている。攻撃対象は高級官僚と官僚OB、利権に不祥事と悪名高い国土交通省、厚生労働省、農水省である。財務省OB斉藤氏を日本郵政の社長に任命するなど別に官僚全部を攻撃するわけではない。なぜなら民主党閣僚や議員には脱藩官僚が多いからである。民主党の内閣制度はイギリスの統治機構を色濃く模範としている。族議員が官僚に接近することを禁止し、内閣と政党を一元化して内閣を通じて官僚機構を動かすことである。各省大臣に省の幹部の人事権を持たせて、総理や官邸が主導権を発揮すると考えている。恐らく民主党の政策転換に対して官僚組織が挙げて反対することはありえない。それが官僚の本質であるからだ。もちろん一部の高級官僚がサボタージュや自民党に内通して情報を流すことや陰謀に参加することはあるだろう。見抜かれれば排除されることを覚悟しなければならない。そこまで腹の黒い奴は官僚には残念ながらいない。イギリスの統治機構を日本人が実行するという民主党の実験が上手く行くかどうかは誰もわからない。これまでの官僚の政策形成過程は、さまざまな意見、利害の調整こそが命であり、その過程で役所と官僚にさまざまな情報が集まり、それがパワーの源泉であると著者は官僚機構を自画自賛するが、その政策がサプライサイドに立っているから、国民の利害調整になっていなかったことを著者はご理解していないようだ。著者の図式は官僚は現場を知っているが政治家は無能だという政治家蔑視論に終始している。また官僚は主体的に考える組織であると著者はいう。しかし政府が存在しなければという条件をお忘れではないか。官僚=政府であって、政党内閣は無能の集団とまで考えているようだ。官僚機構の民主党への逆襲は、政策決定プロセスを全て政治家に丸投げする(指示待ち、サボタージュ)することらしい。これでは中央官僚不要論で、官僚は全員クビに等しい。そこまでは官僚は民主党の内閣主導論に抵抗、あるいは反逆する勇気はあるのだろうか。ならば高級官僚は全員くびにして、若手官僚を抜擢して官僚機構を再構成すればよい。終戦後の官僚機構のように。民主党の政権交代はそれほどの革命性が存在すると思う。

著者は昔の戦前の「天皇制官僚」がいかに強かったかを示すために、宮中席次を持ち出してくる。事務次官は公爵クラス、局長は伯爵クラス、軍隊なら少将だといい、課長は議員と同じで軍隊なら大佐クラスだという。そして恩給もたくさん付いて待遇もよかったとくる。文官分限令で身分保障は手厚かったと回顧している(無論著者はその時代に生きていたわけではないが)。官僚は自民党と相互依存の関係を作り上げ人事の独立性やそれを基盤にした天下りなどの特権を享受してきた。それが崩れだしたのがねじれ国会での日銀総裁ポスト問題であった。国会承認人事は35機関、232人である。民主党ら参議院多数派は財務省の天下り人事に悉く反対し、紛糾し結局は日銀生え抜き人事となった。官僚や役所は二大政党制への準備と心構えをすべきであるのに、官僚はゴマ擦り程度で真剣な対応は何一つしていないようだ。官僚は議員や大臣へのレクチャ−攻撃(ご進講)で丸め込めると思っているとすればそれは制度の理解が甘いといわざるを得ない。政策通の議員や元官僚が反対側に廻ったら官僚の手に余るし、大臣が官僚の言いなりになったら新聞メディアの攻撃の的となるので大臣は意識的に官僚に冷たく当たるであろう。政党の官僚への統制は内閣人事局を中心にして幹部任命権を行使することである。将来は局長以上の幹部職は欧米のように政治的任命にすることも政治的課題になってくるだろう。二大政党制や政権交代は政治的なメリットが非常に高いのであるが、官僚は「中立性」、「公平性」を楯にして抵抗してくるだろうが国民は新しい政治体制を支持しているのでどうしても官僚は受け身にならざるを得ない。へたをすれば排除される危険性がある。これまで自民党一党優勢体制では官僚は「人事の独立性があって身分保障されているにもかかわらず、政治家の真似事もできた」という面白いところがあった。イギリスでは官僚は人事の独立性はあるが政治家の言いなり、アメリカでは人事の独立性もない哀れな存在で優秀な奴は官僚にはならないといわれてきた。欧米に政治思想は民主主義にあるので、民意が代わればそれに従うのが公務員である事が徹底している。ところが戦前の天皇制官僚制度は超越的存在である天皇に仕えるため、民意に従う必要はないことがいまだに尾を引いている。戦前は内閣さえ「超越内閣」といって政党から独立していた。議院内閣制ではなく、天皇の任命による内閣であった。官僚は「天皇の僕」から戦後は国民の僕になったとはいえ、政党内閣から超越することを美徳と考えるきらいがあった。これを著者は自立性というが、これでは自立の主体は何か、誰のための政府か分らない。極端な話が「共産党政権」になっても、官僚機構は共産党のいうことを聞かないことがあるのだろうか。日本は民主主義国ではなかったのか。官僚はいまだに立憲君主国と考えているとすれば、時代の何たるかを教えてやらなければならない。官僚殺し文句である「行政の中立性」や「政権によっては政策が停滞する」というサボタージュの脅迫に対しては、内閣は人事権によってコントロールする以外にない。

内閣人事一元化と天下り廃止で国家公務員はどうなるか

国家官僚の魅力には権限、権威、天下り、地位の高さ、留学制度など色々あるが一番重要なのは「同期並びで一定レベル(課長)のポストまで出世できる」ことが、彼らの安心感と組織への忠誠心やモティベーションの高さにつながっている。安倍内閣の国家公務員法の改正によって、人事は能力・実績主義で行うことが明記された。現在の役所は「評判人事」という曖昧な慣例でやっている。上の覚えめでたき人が出世するわけで、障害者団体指定の郵便詐欺で明らかになったように、法律に反することも上司の命令であれば唯々諾々とやらざるを得ないということである。課長と課長補佐の間に、企画官、調査官、室長という曖昧なポストに長期間プールされることも起きている。官僚の「精神及び行動の障害」者は1.28%と他業種に較べて高い率である。ストレスが溜まっているようだ。福田内閣は公務員制度改革基本法を作り、各省の課長クラス以上の人事を内閣で一元化管理すると決定した。その組織的中心は「内閣人事局」である。(実情は内閣人事局はいまだに設置されていない)幹部クラスは任用・人事評価・給与までの人事一般にわたって内閣が主導的に行うとされているが、実情は内閣人事局はいまだに設置されていない。三代お坊ちゃま内閣の実行力のなさからくる法律の不実行である。法律は各大臣が任用人事を行うに当たっては、官房長官が作成した候補者リストから、総理大臣と内閣官房長官と協議して決めるということになっている。官房長官が作る候補者リストは内閣人事局で「適格性審査」基準を設けて名簿作りをすることになるであろうが、省別のリストではなく省間をまたがる人事も理論的にはありうる。また多くの名簿を見せられても大臣が判断に苦しむ時には数名に絞り込むショートリストを作製することもあるかもしれない。とにかく民主党政権はこの内閣人事局をどう設置するか、代案で置き換えるかまだ見えてきていない。

天下りとは「コネ、金、権限を使った不当な押し付け的人事」のことをいい、官僚の再就職の事をさす。天下りは国家公務員と一部の地方公務員に特有の現象である。これを管理しているのが各省の総務課である。天下りの大きな原因は、早期退職勧奨であるといわれる。省内ポストが限られているため、平均的に57歳で肩たたきとなり、受け入れれば自省の外郭団体やコネの聞く業界に再就職の斡旋をおこなう。数回の「わたり」によって数億円の老後収入を得、次官経験者は死ぬまで面倒を見るという慣例があるとか聞く。天下りの対象者であるか弔慰状の公務員は毎年1200人が辞めてゆく。斡旋を受けて天下るのは61%となっている。天下り先は今や建設業界を除いては、規制緩和で公の恩恵がなくなったため、民間企業に再就職することはまれで、最も多いのは非営利法人である。具体的には特殊法人、認可法人、独立行政法人、公益法人で全体の50%になる。天下り先の非営利法人には補助金などが流れ込むシステムが作られている。各省が非営利法人に給付している税金は年間13兆円である(事業費をふくむ、2006年度予算80兆円)。国家公務員の人件費が約5兆円である事に較べても膨大な額である。要するに政府が行う仕事のかなりの部分をそのまま非営利事業団体が代行しているのである。そこに管轄省のOBが貼り付いている構図である。各省の事務次官経験者の天下りとわたり先は一定の轍を踏んで行われる。局長クラス退職者の年金水準と最終年収の割合は622万円、33%であり、課長クラス退職者では451万円、32%であり、国内一流民間企業に較べて決して低い水準ではない。こんなにたくさんの年金を貰っているサラリーマン退職者はいない。国土交通省の天下り役員の見返りは数十億円の公共工事の受注であるといわれている。特殊法人の場合予算から人事まで全て省が握っており、役員の任命権も省にある。昔は特殊法人の役員登用率は60−70%であったが、最近は30%程度まで低下した。そしてそこには政官業の癒着構造がある。これほど弊害の多い天下りを規制する動きは昔からあったが、いつも抜け道だらけで実効がなかった。戦後公務員は民間企業には2年間就職してはならないことになっていた。しかし非営利法人は対象とならず、人事院が認めれば民間企業に就職できた。そこで安倍内閣は「官民人材交流センター」という国営高級ハローワーク体制を考案した。政府が再就職先を斡旋するというのである。そして対象を非営利法人まで広げた。今回政権をとった民主党は「天下りの根絶」を掲げているので、国営高級ハローワーク体制よりももっと厳しい天下り規制が採られるものと見られる。今後官僚の老後にばら色の人生を描けなくなったとすると、官僚が取る方策は若手で官僚を辞め、第2、第3の人生を切り開くか、抜け穴を考えることであろう。抜け穴としては「まわし」である。闇の斡旋機関(各省の人事担当者が自省の勢力範囲のポストを指示する)がポストの声掛けをするのである。官僚は表立って法で決められた規制を破ることはしないが、直ぐに抜け穴を考える。これには国家公務員倫理委員会(再就職監視委員会)という監視機能を強めることが必要である。

地方公務員の生活はどうなるか 

地方分権と気炎を吐いていた地方公務員は最近全く元気がない。それは小泉内閣の実施した三位一体改革によって大幅に補助金が減額され、財源移譲は行われずに借金ばかりが増えてきて、殆どの自治体は財政破綻状態となったからである。そもそも地方自治体は自立する気概も保障もなく、政府補助金で生きてきたにすぎない。親元の仕送りを減らされた学生が急に生活が苦しくなったようなものである。公共事業(道路建設)だけが頼みの予算も借金ばかりが目立ってきた。地方自治体は財政再建の重圧と、高齢化で増え続ける住民サービスで削ることが出来るのは職員の給料だけである。2007年「自治体在性健全化法」で、@実質赤字比率、A連結実質赤字比率、B実質公債費比率、C将来負担比率を公表しなければならない。そして財政破綻一歩手前である「早期健全化基準」と、すでに破綻状態である「財政再生基準」を設け、都道府県の実質赤字比率は連結で前者が8.7%、後者が15%とし、実質公債費比率は前者で25%、後者で35%とした。2008年総務省発表の結果は「早期健全化基準」に達したのは、夕張市、守口市、和歌山市など多数の自治体がある。公立病院が地方の財政を圧迫している事は事実だとしても、財政破綻の原因は道路建設の借金である。原因と結果を見誤ってはいけない。それで社会サービスを削減するとそれはデフレスパイラルと同じことになる。財政健全化で真っ先に実行されるのは首長の給料退職金のカットで、次いで幹部で最後には職員全員の一律カットということになる。地方公務員の給料は条例や地方公務員法で定められる。そのとき「均衡原則」と呼ばれる原則があり、「職員の給与は生計費並びに、国・地方公務員・民間企業の従事者の給与を考慮して決められる」とされている。しかしそれは公務員の給与が低かった時期のことで、今日のように民間企業労働者(派遣を含め)のき給与が下がっても、公務員の給与を下げる方向へ働かないか、動きは鈍い。いわば既得権化している。公務員にはストライキ権が認められない代わりに、人事委員会が勧告を出して給与を引き上げてきた。「国公基準」という基準は、地方公務員の給与を国家公務員の給与を考慮して連動させた。地方自治体の首長の鶴の一声で職員の給与を一律10%引き下げたとしても、彼らの生活は身分保障で少しもゆるぎないものである。職種間の給与と、個人間の給与の差が殆どないという保障は公務員の絶対的特典である。民間企業では信じられないような公務員社会主義天国となっている。財政難で地方自治体が持つ大学は不要不急のサービスに過ぎないので売り払うか撤退することも起きる。しかし病院再建のために医師を確保することから、医療職の給与を上げざるを得ない。その犠牲になるのが職員の給与体系ではないだろうか。

これからは民間企業のように、地方公務員の待遇は出世する人と降格する人に二分化してゆく。今政治状況が大きな転換期に来ている。都道府県や市町村長には住民の支持を背景に、巨大な権限が待たされていることを自覚する首長が増えている。従って思い切った人事権が発動されるだろう。職員の人事評価が極めて曖昧であったので、客観的評価を導入する動きがあり、これまでのように自動的に出世するタイプはなくなるであろう。世間では全く理解しかねるような人情的人事や役職は廃止されるであろう。そうなったとしても世間は誰も公務員を支持したり同情を寄せることはなくなる。あきれた公務員天国を描いた書として若林亜紀著 「公務員の異常な世界」を紹介した。近年地方自治にも若い人が参入するようになり、30代の知事や市長は多くなった。かれらは改革意欲に燃えており、旧態依然としたシステムを変えようとしている。それは選挙民の支持を得ており、議会を解散させるほどの支持率である。また知名度を利用したタレント知事が増えている。ポピュリズムに乗っているといって馬鹿にしてはいけない。本当に人気取りの知事やあきれた知事は選挙で落選させるほどに市民の政治的熟練度も上がってきた。橋本大阪府知事はタレント知名度で知事になったが、その政治的学習能力は確かなもので、苦悩する知事像を市民は抱いている。東国原宮崎県知事のようなえげつないタレント性は自問党総裁候補要求問題で市民から総すかんを食った。お笑いタレントなのか政治家の素養を持っているかどうかは市民が見ぬく力をもってきている。

非営利法人職員の運命

官僚の最後の聖域といわれる非営利団体職員にもメスが入りつつある。政府の行政改革で本省ばかり改革しても、膨大な業務分署である非営利団体をそのままのしておいては改革にならないことは共通の認識になった。また予算においても政府予算「通常予算」は80兆円であっても、財政投融資「特別予算」が数百兆円であるのでここを攻めなければならない。その特別予算を扱っているのが非営利団体である。これらは会計で言えば連結決算しなければならないという見方で行政刷新改革が可能である。本省を攻めても官僚は非営利団体で上手い汁を吸うことが出来る。金の動きを封じなければならない。地方自治体では外殻団体は第3セクターと呼ばれる。非営利団体と公務員を合わせてパブリックセクター(公的部門)と呼ぶ。非営利団体職員の給与は大企業以上に良く、身分保障は公務員なみであるといわれている。それは税金がふんだんに流れ込む仕組みを持っているからだ。2007年度の非営利団体職員の給与水準は事務技術職で815万円(国家公務員の130%)である。研究職で1150万円(140%)である。国家公務員より高い給与を貰うので、官僚から「隠れた優良職業」と羨まれている。国家地方の財政破綻で行政刷新会議が事業の洗い出しを行うとパブリックセクター(公的部門)全体が追い込まれることになる。官僚システムの無駄と高コスト体質の源泉である非営利団体事業の洗い出し、これが最後の聖域といわれる由縁である。農水産業協同組合貯金保険機構、原子力安全基盤機構、日本貿易保険、日銀、日本政策金融公庫などの高額給与はあまりにも有名である。小泉内閣の財政投融資改革は数の上で見るとかなりの成果があったように見える。「特殊法人等改革基本法」に基づいて、163法人のうち現状維持は6法人だけ(NHKなど)、148法人は廃止・統合、43法人は民営化、39法人は独立行政法人化、45法人は共済組合化として,2009年段階で特殊法人の数は31に過ぎない。しかし統合しても職員の数は減らず、事業費も削減されていない。つまり事業はそのまま継続される「看板の掛け替え」に過ぎなかったことが明らかだ。このことは富田俊基著 「財投改革の虚と実」を参照していただければわかる。実の改革とは事業の見直しであったのに、官僚は数合わせで誤魔化したのである。どこまでもおいしいところは保存したかったのだろう、恐ろしい悪知恵である。骨抜きの天才である。騙される政治家の粘りの無さも原因している。

地方自治体の非営利法人である第3セクターが破綻してして居る事がよくニュースになる。それは財政健全化法ができて、もは地方自治体が第3セクターを隠れ借金として先送りできなくなったことによるものである。大阪府の関西空港開発事業は大阪府を財政破綻事業体として再生の対象になりかねない事態である。第3セクターとは地方自治体が出資している株式会社などと公益法人、地方三公社(地方住宅供給公社、地方道路公社、土地開発公社)と地方独立行政法人の4つである。2008年で8899法人があり、地域都市開発、農林水産、観光レジャー、教育文化、商工などの業務を行う。地方自治体が25%以上出資している7621法人のうち、負債額が資産を上回っているのが367法人あり、負債額は3020億円で、地方公社は57法人で1265億円である。地方自治体が保証している債務残高は全体で約8兆円であり、公益法人が4300億円、地方三公社が6兆5000億円である。地方自治体が負債を抱える第3セクターからどう撤退するのか、投資分の回収は不可能として、しがらみからさらに投資するということもあるので問題が多い。


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