090826

上野千鶴子、辻本清美著 「世代間連帯」

  岩波新書(2009年7月)

ポスト「お一人様の老後」世代も生き延びられるための社会設計ー世代間で繋がろう

本書は辻本清美氏が「はじめに」に書いたように「ポストおひとりさまの老後」が生き延びる事ができる社会のトータルデザインである。団塊世代の「おひとりさま」はバブル期の貯蓄と年金制度を食い逃げして生き延びることが出来るが、「ポストおひとりさま」の世代(アラフォー世代)はどうして食いつなげばいいのだろうかという問題設定である。結論は、現政府と官僚がねらう世代間の対立をあおる分断支配にはまってはいけない、アメリカのような壮絶な格差社会、階層分断化社会にならないうちに、まだまにあう、手遅れにならないうちに、世代間がつながっていこうということである。私は上野千鶴子氏の本では、このコーナーにおいて、中西正司・上野千鶴子著 「当事者主権」 岩波新書(2003年10月)、上野千鶴子著 「おひとりさまの老後」法研(2007年7月)、辻井喬 上野千鶴子対談 「ポスト消費社会のゆくえ」 文藝新書(2008年5月)を紹介した。本書はいうまでもなく、上野千鶴子著 「おひとりさまの老後」の姉妹編である。「おひとりさまの老後」が強いジェンダー論(男女同権)で書かれているが、本書は社民党の政治家辻本清美氏との座談会形式であることから、ジェンダー論は影を潜め、社会設計という政策論が全面に出ている。そして1年間にわたる対談であるので、話題と論題が徹底的に整理されており、主として辻本清美氏の話題提供が用意周到になされている。資料集めと基調報告を辻本氏が担当し、それに上野女史が切り込み、論点を整理するという主客関係が確立されている。上野氏が辻井喬氏とやった対談が「ぼけとつっこみ」(もちろん上野氏がつっこみ役)であるなら、本書は辻本氏か決してぼけ役ではない。辻本氏は上野氏と対等かもしくは論点のリード役を演じている。関西女二人の凄まじい丁々発止を御覧じろというところだ。辻本氏のご努力は大変だったであろう、本書では上野氏は決してけんか腰ではない、これはかなりの部分で両者の見解が一致するのである。上野氏は安心して基調報告を聞いているという感じである。

上野千鶴子女史のプロフィールを紹介する。上野千鶴子氏は、日本の社会学者で東京大学教授。 専攻は、マルクス主義フェミニズムに基づくジェンダー理論、女性学、家族社会学の他、記号論、文化人類学、セクシュアリティなど。富山県上市町出身で京都大学文学部社会学科卒。代表著作は「おひとりさまの老後(法研、2007年)」、 『近代家族の成立と終焉』、『家父長制と資本制』など。 1980年にマルクス主義フェミニズムを知り、これの紹介者・研究者となる。『家父長制と資本制 ― マルクス主義フェミニズムの地平』(1990)が代表作。1970年代に起きたウーマンリブ運動の再評価を世に働きかけた。専門領域である社会学のみならず文化人類学・記号論・表象文化論などの方法を駆使しながら、現代の消費社会を論じるフェミニストとして知られるようになる。特に1987年から88年にかけて世論を賑わせたアグネス論争にアグネス・チャン側を擁護する側で参入し、名を馳せた。上野千鶴子は、様々な分野で発言して多くの論争に関わり、その挑発的かつ歯切れの良い言動はたびたび批判を受けてきた。「吉本隆明や柄谷行人ら、名だたる男性知識人を片端から言い負かした女性論客」というイメージは今も消えない。又彼女の下ネタで意表をつくやり方には、男性読者は気をつけたほうがいい。「男は敵だった」とほんとうに考えておいでの恐ろしく喧嘩好きの「おばたりあん」ですぞ。「くわばらくわばら 危きには近寄らず」 というところである。

ついで辻本清美氏のプロフィールを紹介する。社民党衆議院議員として公式サイトはここですので参考にしてください。また清美ブログサイトも紹介します。辻元 清美 氏(1960年4月28日 生まれ )は、政治家(社民党所属衆議院議員) 奈良県吉野郡大淀町生まれ、大阪府育ち。名古屋大学教育学部附属高等学校、早稲田大学教育学部卒。国際交流団体ピースボート設立者。介護ヘルパー2級。NPOのコーディネート、男女共同参画社会へ向けての執筆、講演などで活動。1996年10月20日 結党直後の社民党の党首・土井たか子の、いわゆる「一本釣り」により第41回衆議院議員総選挙に立候補し、近畿ブロック比例代表から初当選。同じく初当選の保坂展人・中川智子と共に「土井チルドレン」と呼ばれた。2000年 世界経済フォーラム・ダボス会議の「明日の世界のリーダー100人」に選ばれる。第42回衆議院議員総選挙において、大阪10区から当選。選挙後7月より党政策審議会長。議員在職中にNPO法、情報公開法などに取り組み成立させる。 2002年3月 「週刊新潮」により、秘書給与流用疑惑が報道され、衆院議員辞職。 2005年9月11日 第44回衆議院議員総選挙において社民党近畿ブロック比例代表から当選。 著書に「へこたれへん」 角川書店、「NPO早分かりQ&A] 岩波ブックレットと本書がある。

本書の内容は、労働と住まい、家族とこども、医療と福祉、税と経済といった如何にも社会学のキーワードが並んでいる。言わんことは比較的明解であるので、目次に従い4章に分けて紹介したい。各キーワードはそれ一つで一書が必要なほど重要問題であるが、本書は社会設計であるので政策論として簡単にまとめてゆこう。

1) 仕事、住まい

人が人らしく食べて生きてゆける賃金とはどのくらいあったらいいのだろうか。それを上野氏は年収200-300万円(月収20万円くらい)をマルクスらしく「労働力再生産コスト」という。ワーキングプア問題とは、使用者が労働力の再生産コストを割ることを前提にした給与しか払ってないことが大問題である。労働の現場で派遣社員など非正規労働者は身分差別を受けており、正規社員と同じ労働をしているにもかかわらず、「同一労働同一賃金」が支払われていない。非正規労働の形は妊産婦子育ての場合にはかならずしも悪い形態ではないが、この雇用形態が賃金差別の口実に使われたことが問題なのである。労働形態を選ぶ事ができることは労働者にとってもいいことのはずなのが、現実の労働事情の場合は差別された低賃金労働者の大量生産のために利用されている。使用者側主導で非正規労働形態が運用されている。通訳やモデル、デザイナーのような特殊技能職種では高い給料を貰って非正規で働くことは何の問題も発生しなかった。それを改正派遣法ではすべての職種に拡大し(ネガティブリスト式)、かつ身分差別され低賃金で雇用調整に利用するという企業側の論理のみで行われたことに最大の日本的労働形態の問題がある。日本では均等待遇について全く議論されずに,企業の利潤だけが追求され、社会保障もつけず低賃金で働かせいつでも首に出来る非正規労働者に置き換えられた。いまや全労働者の3割が非正規労働者である(男性10%、女性40%)。小泉政権の時いらい労働問題が伝統的に使用者・労働者・政府の三者の合意で行われるのではなく、「経済財政諮問会議」という場で使用者側(企業側)の声しか反映されなくなったことにより、労働規制緩和と労働者の流動化が進められ、同時に法人税や高額所得者の税率を下げたことである。その結果2007年には労働分配率は89%(98年)から82%に低下し、経常利益は逆に30%から53%に増加した。一挙に企業と労働の分配の天秤が経営者側に傾いたのである。2001年から2005年で株主配当は3.8倍に、企業の役員報酬は1.9倍に上がり、しかし労働者の給料は7%下がった。これは日本の法人資本主義がアメリカ並みに株主資本主義へ傾斜したといわれる。日本の終身雇用給料体系は生活給(家族給)システムで、一人の男の働きで家族を養うものであった、ここの労使ともに女性の問題が切り捨てられた。1985年国民健康保険の第3号被保険者制度が施行され被扶養家族の基準が年収130万円に設定された。女性特に主婦の就労を圧迫し低賃金化を誘導した。主婦パート化と低賃金がセットで労使が認めた責任が、いまになって労働組合の絶望的な組織率の低下(10%以下)となっている。労働組合の女性への裏切り行為が自分の首を絞めたのだ。1985年は男女雇用機会均等法と労働者派遣法が成立した象徴的な年であった。サッチャー、レーガン、中曽根の新自由主義政策の世界的な流れの中で理解されるべきである。2008年秋の世界金融恐慌で派遣切りが進行し大量の失業者が発生して、いまや「日雇い派遣」、「登録型派遣」の見直しが課題になってきた。若者が不況のバッファー(緩衝材)にさせられた。これは日本の組織原則が年齢原理で出来ているため、査定に年齢が強く働くためである。ここでも世代間の軋轢という地雷が埋め込まれている。2007年雇用対策法ができ「募集・採用時年齢制限」が禁止になった。とはいえ現実にまだ生きているので、就職面接で年齢で刎ねられる人は多い。イタリアのように55歳でパートへ移行し、削減された労働時間に『若者を雇うという「世代間連帯協定」という制度は面白い。なお欧州と日本の労働システムを比較した濱口桂一郎著 「新しい労働社会ー雇用システムの再構築へ」 岩波新書がある。形だけ比較しても、システムが違うと比較にならないことを示す意味でも興味のある本だ。

欧州と日本の社会政策の大きな違いは住宅政策にあるという。欧州では住宅価格は年収の3倍以下に抑えようとするが、日本では概ね5倍が適正価格とされてきた。2006年小泉内閣の時に「住生活基本法」ができ、バブル崩壊の経験にもかかわらず、市場メカニズムに任せビジネスチャンスを拡大した。欧州では住宅は賃貸型が多いが、日本は従来持ち家政策型であった。今後フローマーケットの方向へ、例えば高齢者専用賃貸住宅、居住権付き住宅、組合住宅へ向かうというのが二人の論である。住宅論は二人には専門でないようで、どうも論が散漫で突込みがない。

2) 家族、子供、教育

団塊の世代は男も女も「全員結婚社会」で、結婚していないと社会的信用が少ないといわれた時代であった。ところが2005年には30代前半の女性の未婚率は30%で、男性は40%を超えている。そして離婚率も100人に対して1人から2.5人に増加した。生活費の圧迫から子供の数が減り、さらに晩婚化しており子供を生むと高年齢出産のリスクが高いので一人っ子で抑えておく場合や、おひとりさまが増えて小子化は避けようもない流れとなった。2006年より日本は人口減少社会へ突入した。河野稠果著 「人口学への招待」 中公新書によると、合計特殊出生率(15歳から49歳の女性の年齢別出生率を合計したもの)は1957年度は2.07人であったが、1974年に2.05人を切り、2005年は史上最低の1.26人となった(欧州全体の平均合計特殊出生率は1.40である)。どうして子供を生まなくなったのか、その理由には次のような説が出ている。
1)合理的選択ー新古典派経済学的アプローチ
子供を持つコストベネフィット原理から経済合理性の枠内で説明する仮説である。新家政学派とも言われる。途上国から先進国の転換過程をよく説明するようだ。子供を生むことで働く機会を失う「機会費用」、「時間の経済学」で議論される。この考えは先進国の少子化対策の根拠となっている。子供の養育コストの引き下げ・補助、女性の育児と就業の両立援助などである。しかし「機会費用」などを定量化することが困難である。心理的、社会的圧力は定量化できないのである。
2)総体的所得仮説
夫婦の世代が子供時代に置かれた経済状況と将来の生活の見通しとの比較が、家族計画を決定すると云う論である。相対的なコーホート規模(世代)での経済生活の落差が子供を生むことへの不安、安心を決めると云う。出生力決定要因モデルがいろいろ構築されたが、過去を説明しても将来の予測にならないことがわかった。
3)リスク回避論
現状では将来が不透明で良く分からないために、そのようなリスクは負いたくないので産み控える。リスク回避の行動が晩婚化・非婚化、晩産化につながると云う。政策としては「母親に優しい社会」を整備することになる。
4)価値観の変化と低出生率規範の伝播・拡散論
第二の人口転換論では、個人の権利の獲得と自己実現が最も重要な価値として強調される。もはや親は子供の犠牲になる必要はないと云う価値観が共通の社会構造間で伝達し広まることが急速な少子化につながったと云う論を、英国・米国・オーストラリアのアングロサクソン族の共通認識から説明した論である。しかし価値観の伝達が主要な要因とはいえない。
5)ジェンダー間不公平論
伝統的な家族制度と男女間分業制が残っている国ほど出生率が低いと云う論である。女性が自由と権利を主張すれば、女性は結婚を忌避し、結婚しても子供を生まない傾向になると云う。自由な女性像が確立している北西ヨーロッパではそれ以外の欧州各国と比べて合計特殊出産率が高いと云う調査結果に基づいた論である。しかしこの見解への対応政策は一切が効果はなかった。自由とか権利意識はどうもいい加減で判定に苦しむからだ。
ジェンダー論者の上野氏はこの観点から、夫婦別姓選択性、婚外子(同棲)、離婚を論じてはいるが、それが少子化対策になるわけでもない。いや生めよ増やせよがいいのではない、富国強兵国家の悪夢が甦るだけである。経済的圧迫と生活の不安が少子化の原因であることは明らかだ。人口爆発の中国やインドは近未来にどうするのだろうか。

今までの日本の政策は「貧困」はないとの前提であったが、就職氷河期から派遣切りが進んで日本にもワーキングプアーという格差(差別)貧困問題が存在する事が判明した。前からも母子家庭、生活保護世帯の問題は深刻であった。貧困は政治災害である。なかでも子供の貧困は防がなければならない。今の児童手当にように、1子月額5千円、2子目で5千円、3子目から1万円では焼け石に水である。「育児給付」や「児童給付」は1子8万円がなければ食べていけないよいう。フランスで出生率が下げ止まったのは、子供を生んだら得をするというインセンティヴがあるからだ。戦後日本は「教育の社会化」、「医療の社会化」、「介護の社会化」を実現してきたが、次は「子育ての社会化」の実現が社会の優先課題だと辻本氏は力説する。おざなりな少子化担当大臣の無力さを見るにつけても、抜本的な社会保障制度改正が必要になる。

教育界が徹底した管理主義になっているため、個性のある子供の教育は出来ない。特に高等教育は欧米に較べるともはや負け組みである。「人材多様性」とは異論をいう子供のことである。異論を許さない教師の下で育つわけがない。そして教育には金がかかる。1人の子供を大学まで卒業させるのに、大体1千万ほどかかる。全て名門私立であれば2千万円である。そして貧困を固定するのは教育の格差である。大学生の数は親の収入に比例している。親の年収入は1千万円以上が必要であるといわれている。そこで辻本氏は義務教育と高校までを含んで完全無料化を、児童給付と義務教育の無料化をセットにする政策を訴える。「君が代斉唱・日の丸掲揚」強要で教員を圧迫し、職員会議は決定機関ではないといって発言を無視したり、戦前の思想を押し付けている文部省の政策では、自由な発想を持つ子供が育つはずがない。

3) 医療、介護、年金

医療、介護、年金はそれぞれが大変なテーマであるので、ここでは世代間連帯という観点で見て行くことにする。医療崩壊が問題となって久しいが、この10年で医師の数が減少したのは、外科と産婦人科医である。殆ど増えていないのが小児科と内科医で、増加しているのがリハビリ科、形成外科、精神科、麻酔科医であった。要するに命に関る医療現場では医師の数が減り、命には直接関係しない医療に医師が流れている。そして病院勤務医が減り、開業医が増えている。その原因は現場の重圧と医療訴訟問題からである。医師の健康を無視した長時間労働を強いる現場と、結果としての死亡を事故として訴訟へ持ち込む弁護士が多くなったため医師の逃亡が起きているのである。更に悪い事には小泉構造改革が厚生省に医療費削減を義務付けたため、新医師数の不足と医療経営が赤字になったことである。2008年厚生省はようやく医師不足を認め医学部定員を増やした。しかし医師の労働時間改善は未だ法制化されていない。医療費削減のため日本のGDPに占める医療費の割合はOECD先進国のなかでも21位を低レベルである。医師不足については永田 宏著 「医師不足が招く医療崩壊」 集英社新書を、健康保険制度や医療費については真野俊樹著 「入門 医療経済学」 中公新書を、医師教育については福島孝徳著 「神の手の提言ー日本医療改革」  角川oneテーマ21新書を参考して欲しい。世代間連帯から許せないのは「後期高齢者医療保険制度」である。小泉郵政選挙のドサクサにまぎれて殆ど議論もされずに衆議院を通過し、2008年より施行された。制度施行によって1300万人が国民健康保険から後期高齢者医療制度に移行した。扶養家族で世帯主の健康保険に入っていた高齢者が突然高額の保険料を請求され大騒ぎが発生したのである。政府は大半の人の保険料は安くなると云う宣伝をしたが所得の低い人ほど負担料が増えることが判明した。ねじれ国会の参議院で「後期高齢者医療制度廃止法案」が可決された。政府は「後期高齢者医療制度」の見直しを約束したそうだ。年齢に関係なく一括であった健康保険制度から高齢者が分離され、厚生省の意図が医療費の抑制にあったことは明白である。医療費削減の先兵が厚生省ではもはや日本の医療も崩壊する。高齢者が声を上げれば、負担の公平を図るためと政府とメディアが世代間対立を煽る方向にキャンペーンを誘導する。年金問題とおなじで世代間の公平が世代間の対立に利用され、世代間分断支配の構図に誘導しようとする。「次世代にツケを払わせるな」というキャンぺーンが、経済対策と称して赤字国債という膨大なツケを次世代に送る政府が行っていること自体がとんでもない欺瞞である。日本が世界に誇れる国民皆健康保険制度は、アメリカでは保険業界の食い物にされ、もはやアメリカではオバマやヒラリーが保険制度を導入しようとしても、業界の猛烈なロビー活動で2009年秋の法の成立は難しいような情勢になってきた。まして介護保険はアメリカでは夢のまた夢である。

介護保険制度が導入されたのが2000年度で、先ずは走りながら制度を考えようということで今や世界に冠たる介護保険が始まった。最初は普及するかどうかが心配されたが、2年度目の利用率が7割、3年度目で8割を越した。利用者に権利意識が生まれて瞬く間に普及した。それを支えたのが1998年に出来たNPO法である。「女のただ働きを、食える労働に換える社会実験」であったが、介護系NPOにぴったりの助け合いとやりがいの事業化となった。高齢者と障害者の介護は将来は一体化する必要があるが、介護保険法と障害者自立支援法のギャップが大きいので、障害者に負担を求めるような応益負担原則は許されない。障害者にとっては負担能力がないので貧困問題は付きまとう。介護保険にも貧困者への手当てがないのが問題である。介護はサービスだけではない、給付という側面もあるのだ。2009年度の改定によって、介護度が軽く判定される傾向がでて、介護費用の抑制を厚労省が誘導していた可能性がある。要介護を要支援にかえることが目的の改正であった。それとコムスンの介護報酬不正請求事件があって、官僚主義の通例で文書主義に陥っている。そして介護スタッフの給料が安いため、若い人が結婚も出来ない状況である。企業系の事業所が高い保険点数の身体介護に重点を置いているのに対して、NPO系事業所は家事援助を引き受けているのも問題である。介護保険6事業の中で、利益率がいいのがデイサービス事業で、利益率が悪いのがホームヘルプ事業である。大きな施設の介護はどうしても流れ作業になり勝ちで、入浴時はまるで戦争だそうだ。もう少し小規模でコミュニケーションが取れる介護システムの方向へ向かわないと血の流れないシステムになりそうだ。リハビリ難民という言葉を生んだ免疫学者多田富雄氏の「寡黙なる巨人」 集英社 もベット難民と同じ厚労省のベット数削減政策の犠牲である。2006年より小泉改革は、無情にも障害者のリハビリを最長でも180日に制限すると云う「診療報酬改定」を行った。制限に日数を超えた患者は、介護保険のデイケアーサービス受けろと云うのである。しかし介護保険では医療としてのリハビリは受けられない。医師も療法士もいないのにリハビリとはいえない。こうして「リハビリ難民」という層が生まれた。

ここ数年年金への不信感が大きくなっているという。世代間の助け合いを進めるはずのこの制度が、まさに世代間の格差、分断を象徴している。この原因を作っているのが政府厚労省である。政府は2008年度の国民年金保険の納付率を61.1%と発表しているが、分母隠しで払えない人をあらかじめ除外しているのである。「実質納付率」は若い年代で50%以下で、全体として49%であった。厚労省がいう現役世代の50%給付確保は納付率80%を前提としている。ここで数字にどうもウソがありそうだ。政府・メディアは年金破綻を言い立てているが、社会保障の専門家(権丈善一氏)はこれは第1号被保険者(自営業と学生)だけの話で、国民健康保険加入者全体では分母問題を最大限に考慮しても80-90%は堅いという。これでは政府のいうことは全く信用できないことになる。国民年金問題対策の基本は、第1に納付期間25年を廃止し、払った期間と額に応じた年金受給とすること、そして1000万人にる第3号被保険者(被扶養者)もすべて第1号被保険者とすることである。そして最大の政府の失敗は元金に手をつけたことである。そして元金を増やそうとあせって株にも運用をしたことである。これでますます元金が少なくなったことだ。この辺で年金官僚に喝を入れないといけない。現状での問題は、年金は生活保護よりも少ないこと、非正規労働者の加入率が下がっていること、受給が現役世代収入の40%を割り込んでいる事、最後に世代間格差が広がり現在は本人が納めた年金保険の6.5倍を受け取れるのに対して、1980年以降に生まれた人は2.3倍しか受け取れないことである。そこで負担と分配をどうするかが課題となる。社会保険の国民負担率は日本は個人主義のアメリカと並んで低いほうで2009年度で39%、アメリカは34.7%、欧州各国の負担率は高くドイツ52%、フランス62%、スウェーデン66%である。この負担率を上げるには消費税よりも、1990年代に減税した法人税率を元に戻すことであると上野氏は云う。せめて最低所得保障を8万円という生活保護レベルに上げることが喫緊の課題である。

4) 税金、経済、社会連帯

社会保障といえば財源問題である。結局は国民(個人と企業その他)が負担するしかない。1991年にバブルが崩壊してから日本は減税の一本やりで来た。租税収入は91年度98兆円であったのが、2003年度には78兆円に下がった。企業には優しい政府でした。法人税の基本税率は37.5%から30%に下げ、所得税の最高税率は50%から37%に下がり、相続税累進税率最高70%をやめ3億円以上で一律50%にし、資産所得優遇策、贈与税軽減、証券優遇税制など減税に告ぐ減税で日本はアメリカに並ぶ国民負担率の低い国になった。十二分に小さな政府になったのである。社会保障の財源には第1に91年度のレベルの累進課税を戻すこと、法人税率を戻す事である。2006年度の税制改定で住民税の累進税率を廃止して一律10%にあげた。60%の人が税率が5%であったので負担は増えた。約束の所得税減税は取りやめになったので、住民税率増はそのまま負担増になった。こういう嘘を平気でやるのが財務官僚である。こういう減税策を主張したのは財界である。「がんばった人が報われる社会」とは企業や金持ちだけががんばった人らしい。そして企業は正規を低賃金の派遣に切り替え、社会保険の対象外にすることで労働コストを大幅に下げ、間接雇用にすることで給料の支払いは人件費ではなく「仕入れ費」となって税額控除対象になったのである。1991年度の法人税18兆円、所得税26兆円から、2007年法人税を15兆円、所得税を16兆円に節税したのである。公共事業は道路中心に膨大な借金をつくりながら関係業界と自民党道路族に流れ込むシステムは健在であった。天下り官僚と談合、随意契約による高コスト体質という悪しき慣習がすっかリ日本を借金漬にした。このツケをすべて次世代へ流してゆくのである。経済問題についてはこのお二人様は得意でないので全く検討に対する内容はないのでオミットする。

最後に社会連帯という最終キーワードについてまとめて本書を終える。男女共同参画政策は新自由主義改革の目玉であった。雇用機会均等法の施行後、一貫して女性の非正規雇用率は高まり、就職差別も男女間賃金格差も縮小していない。ようするに新自由主義改革は既得権を持った正規社員の労働組合層に楔を打ち込み分断と解体をいていくだけでなく、既得権を持たない女性や未組織非正規労働者層にも楔を打ち込む効果があった。弱い者は更に弱い者を差別する方向へ持ってゆくのである。これらのシナリオを書いたのは小泉という稀代の煽動家とその取り巻き学者と官僚であり、大衆を上手く欺いて煽動する巧妙な手にいつも騙されるのは無辜の庶民であった。これを貧困ビジネスという。ねずみ講と対して違わない金融プロセスに個人や機関の金を吸い上げるビジネスとも本質は同じである。ところが大衆は政府官僚の悪巧みに少しずつ気が付いてきた。2007年度の参議院選挙と2009年夏の衆議院選挙において人権、男女同権、格差問題、派遣問題、企業の社会的責任などの観点から政策の見直しを要求している。アメリカでは市場と政府の失敗を補完する者として最初からNPOの役割が織り込まれている。アメリカはNPO大国と呼ばれるが、それは福祉小国の裏返しに過ぎない。連帯する市民社会は完全に崩壊している。エスタブリッシュメントとマイノリティ間の摩擦は連帯と世代間をズタズタに分断しているのでもはや修復不可能である。日本はまだ間に合う。社会保険制度がまがりなりにも存在しているので社会連帯が可能である。政府系NGOといったわけの分らない下請け機関も存在し、日本のNPOも自治体の下請け機関になりかねない。NPOで働く人が食えないワーキングプアー層である。新自由主義とグローバリゼーションの動きは人間を差別し分断してゆき、自己責任の美名のもとに社会的共同体を解体する。介護保険ではNPOも食える存在にならなくてはいけないしその可能性も大きい。色々な試みが試され、世界でも面白い事業体が生まれつつある。将に創意と工夫と熱意が実りつつあるのではないか。昔健康保険制度が出来上がりつつあった時代のように日本独自の制度を作ってゆこうではないか。「みんな質素に、でも人間らしく生きてゆく制度設計に作りかえるきっかけになれば」と辻本氏はいう。若い人が政治や社会システムにフ不信感と悲観的になれば、それこそ格差や貧困という問題は深まるだけ。個人が政治にどう向き合うかが試されている。政治に対して絶望すると一番特をするの支配者である。そうだみんなでつながろう。


随筆・雑感・書評に戻る  ホームに戻る
inserted by FC2 system