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島田雅彦著 「徒然草inUSA」

  新潮社新書(2009年7月)

自滅するアメリカ 堕落する日本

この本はなかなか変な本である。著者がいうように「私は経済学者でも政治学者でもなく、歴史を多少かじった文学者に過ぎないが、アメリカ帝国の落日を内部から見つめる機会を得たので、ここに徒然なるままに私が考えたことを綴った」とあるが、たかが1年ほど米国に留学したに過ぎないのに、通りすがりの人間が「内部から見つめる機会」とはオーバーな物言いである。これも文学的表現と解釈してやり過ごそう。要約すればオバマ大統領の誕生によりアメリカ帝国主義がどう変容するのか、野次馬的興味で暇に任せてぶつぶつ言っているのである。この作者(小説家)には「徒然王子」という散文があるが、とくに「徒然草」との関係はない。あえて徒然草との共通点を探れば、自分の専門をでて興味の対象が多岐にわたることであろうか。本書は分りやすい内容で多方面にわたる。その分突っ込みが浅く、系統的に論じて実証する論文風でない事が惜しい。文学者らしく感性的に政治経済歴史を述べているのである。このような島田雅彦氏とはどんな人物か、彼のプロフィールから入ろう。
1961年、東京に生まれる。父親は共産党機関紙「赤旗」の記者。神奈川県立川崎高等学校を経て、1984年に東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。冷戦の中で、アメリカに反発しソ連に強く引かれたためロシア語を専攻したという。近畿大学文芸学部助教授を経て、法政大学国際文化学部教授。
大学在学中の1983年、『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー、芥川賞候補となる。1984年、『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞受賞。デビューから1987年まで6度芥川賞候補に挙げられたが、全て落選、最多落選記録の持ち主である。1888年から1年間ニューヨークで暮らした。1991年にソビエト、チベット、ケニア、ジャマイカと、世界各地を放浪。1992年、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞を受賞。台本を島田氏が担当、三枝成彰が作曲を行った《Jr.バタフライ》は2004年にオペラ化されており、他の音楽作品としては、オペラ《忠臣蔵》やカンタータ《天涯。》、合唱曲《また、あした》がある。2006年、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞を受賞、2008年、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。多才な小説家である。デビュー時より「サヨク」を自称し、その後「ヒコクミン」を名乗るなどして体制を皮肉る立場を取っていた。その容貌からしばしば「文壇の貴公子」と呼ばれており、脇役としてたびたび映画に出演した。参考のため島田雅彦氏の公式ホームページ「彼岸百貨店」はこちらです。

著者は1988年6月から1989年6月まで1年間ニューヨークに滞在した。そして20年後2008年7月から2009年3月にかけた9ヶ月間再度ニューヨークを訪れた。初回の訪問時はレーガン大統領の小さな政府という新自由主義が流行の時期で、社会主義国が崩壊の危機に瀕していた。今回の訪問時はアメリカ大統領選の最中でオバマ大統領の選出を見た。著者はこの時にみた大統領選を契機としてアメリカ発世界金融危機後のアメリカの行く末を案じたのが本書という随筆である。そして歴史的に17世紀の西欧合理主義にはじまったアングロサクソン民族の興隆と没落というスパンで世界史の流れまでに思いを寄せるのである。本書は著者がいうように政治学でも経済学でもない、どちらかと言えば文明論、更に言えば日本的「盛者必衰の理」という文学論に持ってゆこうとする書であろう。そういう意味であまり肩に力を入れてはいけない、流れるように読まなければならない。だから「徒然草」なのである。悪くい言えばつかみどころが無い論議というべきであろうか。

オバマ新大統領のアメリカで

法案の拒否権さえ持ち、戦争指揮の全権を握る、絶大な権力を持つアメリカ大統領選挙はいわば「革命」である。皇帝の権力をしのぐ独裁者は4年ごとに選挙という革命を受ける。これは独裁者の腐敗と悪政を防ぐ保険である。ここが一度権力を握ったら憲法を変えてまで独裁者の位置を死守する他の国の大統領と違うところである。日本には大統領選に匹敵する出来事は無い。自民党であれば首相が変わっても時代が変わるとは誰もが思ってはいない。長年権力の空白が続き、有権者の無気力が政治家の責任回避を許してきた。まさに民主主義の空洞化が著しい昨今である。米国ではコンセプトの無い大統領など無用の長物である。大統領の首の挿げ替えによって引き起こされる変化は革命に相当する。だから政策の修正が可能になる。アメリカの経済政策における影響力の低下、唯一覇権国家からの転落は、かってのイギリス帝国の没落の轍を踏むであろうか。反知性主義のキリスト教原理主義者ブッシュJrの石油・軍需産業複合体の利益のむき出しの戦争政策は世界を大規模に破壊し、そして反米勢力を大いに成長させ結束させるという皮肉な結果となった。金融資本の無制限な欲望にすべての制限を取り払った政策は今回の金融世界危機を招来した。これ以上は悪くなる事は考えられないくらいにまでアメリカを凋落させた。初の黒人大統領としてオバマ大統領はに寄せる期待は大きいが、ヒラリー、ゲーツを取り込むなど基本的に八方美人的現実主義路線でスタートした。この戦争と金融大恐慌のもたらした危機を脱するには、独占資本を国有化し、その富を社会に還元する社会主義でしか生き残れない。資本主義が破綻する時いつもマルクスの理論は正しい。2008年9月の投資会社リーマンブラザーズの破綻に発する金融危機は、投資という金融工学は本来支配階級の一握りの人間らが仕組んだババ抜きゲームであることを曝露した。ソロスという投資の神様が市場をこう動かすという方針に酔ったまでだ。アメリカは1980年代の日本の実業(製造業)の追い上げで、すっかり実業に興味をなくし濡れ手に粟の虚業(梃子原理を利かせた実業の数十倍という市場創出)に染まってしまった。ドルの購買力でキャッシュフローをつくり、製造業をすべて輸入で賄ってきた。アメリカ全50州のうち47州が財政赤字で破産宣告されている。貧者を食い物にするサブプライムローン破綻でヒスパニックをはじめ格差社会の底辺は暴動にまで発展し、ハリケーンがこれを加速した。オバマは国家的な救済事業を立ち上げないと、貧困層の希望と雇用は報われない。インフラ整備の失業対策大規模公共事業(ニューディール政策)が必要である。

株式市場はもともと破綻するように出来ている。株式市場は偽札の流通と同じである。精巧な偽ドル紙幣(スーパーノート)が世界中に出回っている。中国や北朝鮮はじつは武器ビジネスで偽札をつかまされたに過ぎない。偽札の印刷にはCIAが一役絡んでいるらしい。紙からインクまで本物を使っている。虚実入り乱れた経済というべきところまでアメリカは堕落しているのである。経済の破綻は政治の破綻であり、資本主義は周期的に破綻という破壊を行い、リセットするように出来ている。破壊ビジネス=一国覇権主義=共和党という路線から、国家修正資本主義=国際協調主義=民主党という路線の振り子で動いている。資本主義は貧しい人々を食いつくし、戦争と恐慌をもたらし、人々を死に導く。アメリカの大金持ちが慈善事業を行うのは良心のかけらに苛まれるからである。

アメリカは反省するか?

ベトナム戦争が終了し、ニクソンショックというドルの低下が起き、アメリカは「内省」という「対抗文化」カウンターカルチャーの時代に入ったというのが著者の認識である。したがって、ブッシュJrの世界戦争が挫折し世界経済が大混乱している今こそ、アメリカに「内省の文化よ起これ」というのが著者の時代から来るノスタルジー的願望であるらしい。著者は原点回帰を志向するために、日本の茶室を模す「極小彼岸(ニルヴァーナ・ミニ)」というイべントを立ち上げた。韓国の評論家が昔「日本文化は縮みの文化」といったように、著者は小さなものに回帰する文化運動を想起したらしい。オバマ大統領になってもカウンターカルチャーらしい運動は起きていない。貧民解放、マイノリティ解放運動の夢としてのオバマはまだ機能していない。今後アメリカが中東から手を引き虐殺を続けるイスラエルが世界から見放される日も無いとはいえない。その時にはアラブ、イランのような反米勢力が中東を支配する。アメリカの階級制度の縛りは、日本人では想像できない。貧富の格差は途轍もなく大きい。学費は極めて高く金融業界は殆ど世襲制のようだ。貧者は学費援助に誘われて軍隊の供給源である。オバマは民主党左派のバックアップを受け、「グリーンエコノミー」を主導している。

現在の世界の状況は、破綻した独占企業を救う国家独占資本主義にようなものである。ロシアもエリツィン時の経済破綻をナショナリズムで切り抜けようとしている。プーチンはイギリスに買われた企業や日本の融資を買い戻し国内から追い出して、資源大国を目指して「強いロシア」の復興を目指している。今一度大きな政府を取り戻さなければならない状況である。政府は常に経済に介入している。しかしいつも福祉は資本の論理と相性が悪い。これは富の再分配で敵対するからだ。ブッシュJrが軍を進めたアフガニスタンは結局ソ連と同じ運命になるだろう。アフガンやイラクの占領に疲弊し、撤退を始めることになるだろう。その前に経済危機がおとずれ、この危機が引き金になって、合衆国が崩壊する可能性も無いわけではない。オバマはイラク撤退を口にしているが、アフガンには増兵をいう矛盾を抱えている。攻撃される前に攻撃するというブッシュJrの狂気はアメリカ先住民との抗争の歴史をイメージさせる。加害者である自分達がいつか報復されるのではないかという恐怖が強迫観念になっている。

移民たちの貧困

アメリカは健康でないと暮らせない国である。病気になったら破産する。もともと貯金をしない国民で民間健康保険は高くて入らない人が多いためである。貧しい人に肥満が多いのは安くてカロリーの高い「ジャンクフード」に頼りすぎた性である。借金をして買った家を担保にカードローンガくめるという誘い文句でサブプライムローン問題が起こった。これを貧困ビジネスという。その犠牲者は黒人とヒスパニックの移民である。このアメリカの貧困層をつまびらかにした堤未果 著 「貧困大国アメリカ」(岩波新書)という本がある。あり地獄のようなアメリカ貧困層の生活は救われようが無い格差社会である。所詮自由競争による市場経済と福祉の充実は絶対矛盾である。振り子のバランスのような利益配分関係であるからだ。資本家に倫理を求めるのは、政治家に品性を期待するようなものであるとはよく言った。思えばイラク戦争も地球温暖化取り組みも石油をめぐる争いの中にあった。

同世代のアメリカ(1960−1990)

この章は著者の自伝的回想である。1961年というからに第1次安保闘争後にうまれ、少年期はベトナム戦争、アポロ計画の月面着地、70年安保闘争と全共闘の時代であった。中学時代から反米文化活動に興味を持ち、高校時代はノンポリでバカにされた経験から、後に「優しいサヨクのための喜遊曲」という作品が生まれた。大学入学時は冷戦時代の申し子のように反米のために東京外大ロシア語学科に入学した。高校時代から、60年代と70年代のホープ村上龍、団塊の世代でアメリカをセンス良く着こなした村上春樹の二人の文学者に深く付き合った。植民地的潮流への反発が著者の原点であると云う。しかしアメリカ・カウンターカルチャーも十分に好きだそうだ。ここで突拍子も無く日本文学論が飛び出す。アメリカが巨額の双子の赤字(財政と貿易)で苦しんでいた90年代末はまだ、世界と日本文学は連動していた。しかし現在の日本文学は世界のいかなる出来事とも連動しない。日本文学は政治的な葛藤が一切無い閉ざされた空間であるという。そして著者は自身の青春時代であった70年代のアメリカニクソン政権の再評価を行いたいらしい。ニクソン政権は「ベトナム戦争を終らせ、アポロ計画を成功させ、中国との国交回復を電撃的に行い、1944年以来のブレストン・ウッズ体制を終了させてドル・金の交換を停止しし、ドルの切り下げを行って相場変動性に移行した。ウォーターゲートスキャンダルが無かったなら150%の評価高になったであろう」という。実にたくましい変化の時代であった。これだけのことを行った大統領は彼以降いないのではないか。次のカーター大統領は産軍複合体に阻まれて何も出来なかった無力な大統領であった。レーガン大統領は大きくアメリカの運命を自由主義に切り替えて、次の父ブッシュ大統領とあわせて12年間の共和党政権は東欧・ソ連の崩壊、湾岸戦争でアメリカの単独覇権主義・戦争拡大路線が確立した時代である。そし民主党クリントン大統領は軍部の力を抑えきれず野放し状態にしてITバブルに狂奔した。止めは今世紀のブッシュJrによる原理主義戦争政策による「嫌われるアメリカ」に邁進した。著者はニクソン時代に抱いていたアメリカへの好印象がレーガン時代に全て消え去ったと嘆く。冷戦終了後は欧州はEU圏を拡大して、東欧・トルコを飲み込んだ。

日米関係の再構築

日本の戦後はサンフランシスコ講和条約をもって始まる。それを日米安保条約が支えていた。対米従属は日本の国是となった。アメリカの占領政策・対外政策は悉く相手国の離反となったが、例外的に日本だけが成功例であった。明治時代はアジアにおける英国の憲兵といわれ、大戦後はアメリカの優等生といわれていい気になっていたようだ。日米安保条約と55体制という自民党単独長期政権とはぴったり表裏をなす。アメリカ発金融危機でアメリカの凋落が噂される今日、自民党が2009年8月の衆議院選挙で政権交代するのではないかということとも表裏一体である。日本支配層はどこまでアメリカと運命を共にするのだろうか。中国が日本を抜いてアメリカ国債保有国第1位となっても、アメリカと一緒に沈没しようとは思っていない。「日の昇る中国、斜陽の日本」とは聖徳太子の捨て台詞「日出る国の天子、日没する国の天子に書をだす」とは正反対の言葉となった。今の自民党に対米従属を改め日本の再独立を考えられる人が居るだろうか。まさに思考停止状態のまま昇天するようなものだ。日本の政策決定をしている人々、あるいは経済政策を実行している人々はアメリカから人脈を介して極秘情報を手に入れている親米派である。吉田茂いらいの戦後政治家で自主独立意識のあるひとは、田中角栄と小沢一郎だけではないかと著者はいうが、根拠はわからない。二世、三世議員の巣窟である自民党は今後も伝統的に対米従属路線を踏襲するしか能はない。

先進資本主義国の生き残り作戦は世界中に富裕層を作り出して市場を拡大することである。当面はBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)の内需を見込んだ輸出に活路を探すであろう。1980年代はメイドインジャパンでアメリカに売り込んだ。中国の食品加工産業は日本の技術で席巻できるはずだ。アメリカは製造業を廃業しているので、兵器を作り贋金を作って戦争し続けるしかない状態である。日本の商品製造と管理技術は世界での最高峰にある。省エネ、エコ、リサイクル、ハイブリッド、スローライフ、オタク文化(漫画、ゲーム、アート)などが日本の売りではないか。日本は政治的な影響力を全く持たない代わりに、文化的な影響力を隠然と世界に及ぼしうる実力がある。それは60年以上の平和によって蓄えられたのである。日本の庶民は政治に望みを持たないというか、あきらめたのである。これを政治的に覚醒させるのは反米が最適である。右翼的反共は生理的に嫌われている。といっても反共はもはや政治的意味を失っているが。世界の資本の動きに新しい「国家ファンド」という、中国、ロシア、産油国の資金の流れがある。最大の資本家はやはり国家である。国家滅亡の契機は戦争・飢餓・疫病であると言われる。飢餓とは経済破綻である。市場原理主義は強欲資本主義で、奪いつくすハゲタカ資本である。これを絶対視して最大の自由と無責任を与えたのでは、国民は食い殺されて止む。資本の前には国家もない。マルクスが預言した通りである。アメリカは「国敗れて山河在り」というように、各州に暴動が発生し連邦が破れるかもしれない。これを内戦と言ってもいい。日本は優しい社会主義国家といわれ、強欲資本原理主義は敵視される道徳を持っている。ホリエモンや村上ファンドは社会的に葬られた。平家物語の「祇園精舎の鐘の声、盛者必衰のことわりをあらわす」というように、驕れる者は滅びる運命である。あんがい日本人がこの強欲資本主義と福祉の折り合い点を発見するかもしれない。日本はもともと大陸からの敗残者を受け入れる世界の果ての孤島国家であった。弱者が肩を寄せ合って生きてきた優しい国なのである。遺伝的に多様性が維持されている。殺しつくすと言う大陸性の伝統は無い。「村社会の遵法精神が豊かな倫理観の高い国でもある」と著者は言い始めるが、これはもう言い過ぎで、歴史の残滓にすぎず、著者も民族主義者に変身したのだろうか。


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