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佐々木毅著 「政治の精神」

  岩波新書(2009年6月)

政治を支える精神を、政治家、国民、政党の軸から読み解く

著者佐々木 毅氏のプロフィールを紹介する。佐々木氏は日本の政治学者で現学習院大学教授、前東京大学総長。専攻は政治学、西洋政治思想史である。マキャベリの政治思想の包括的研究からスタートし、ジャン・ボダン、プラトンなどを手がけた。80年代に入り、現代アメリカの政治思潮の分析に手を広げると同時に、現代日本の政治について執筆をはじめ、現在に至るまで論壇で盛んに活躍している。主な著書には岩波書店より、「マキャベリの政治思想」、「主権、抵抗、寛容ージャン・ボダンの国家哲学」、岩波新書に「近代政治思想の誕生」、東大出版会より「政治学講座」、「プラトンと政治」、講談社学術文庫に「プラトンの呪縛」がある。学習院大学法学部に、佐々木毅氏の自己紹介が記載されている。現在の関心事について、「21世紀においてどのような政治や社会についての構想が現れてくるか、どのような新たな趨勢が見られるようになるか、ということです。この点で政治思想のみならず、政治学も大きな転機にさしかかっています。この二十年余り、私も現代の問題に関心を懐き、執筆活動し、本を出版してきました。戦争(武力行使)、ナショナリズム、原理主義などに見られるように、どぎつい潮流が政治の舞台で膨張しつつある現実は否定できません。これらはこれから生きていくわれわれに丈夫な頭が求められることを示唆しています。今後とも思想に軸足を置きながら、現代政治の課題をフォロウしたいと思っています。」と述べている。

本コーナーで山口二郎著 「政権交代論」 岩波新書を紹介したが、この本が現在的課題で具体的に記述されており、著者の政治立場「社会民主主義左派」と支持政党「民主党」と極めて明確に表現されていたが、この本 佐々木毅著 「政治の精神」 岩波新書は内容は高踏的・哲学的で、思想史として歴史的に記述されており、現在的課題は考察の範囲外であった。佐々木氏は「政治を支える精神的基盤・素地と政治的統合というテーマに焦点をあてて政治を論じたものである。ここの政策等について論ずることは最初から断念している」と述べている。とはいえ、本書の執筆の契機は、阿部・福田政権の突然の投げ出しと麻生政権の混迷ぶりに金融崩壊の危機感がかぶさって、日本の全体制の危機と政治のスタミナ切れであった。本書は第1章が丸山真男氏の「軍国支配者の精神構造」という論文の提起にはじまり、政治の精神「政治的統合」を原点に戻って問いただす事から始まり。第2章では政治家の精神、第3章では政治に関与する国民側の精神、第4章では政党政治の精神を取り上げている。福沢諭吉は「日本には政府ありて国民なし」と片手落ちの政治形態を論評した。基本的な問題は自民党が作り上げてきたボトムアップ型で政権与党と政府二元論システムがどこまで通用するかということである。経済成長を背景とする分配型政治はすでに90年代より行き詰まっており、小泉政権でその伝統は破壊された。古いシステムは破壊されたが、そこで「首相・内閣中心の政治的統合を踏まえた政策の構造的な革新のシステム、つまり大統領制」をめざすという。著者は「首相公選論」等に関わり、政府の諮問会議など活躍した経歴を持つ、どちらかといえば与党よりの権力再構築とその理論的指導者を目指しているように見えるが、この格調高い文章からは容易に旗印は伺わせない。(この本を読んで、自分の理解力がないのだろうか、著者が言いいたいことがストレートに分らないのである。) 師と仰ぐ丸山真男氏はかって左翼のリーダーであったが、佐々木氏は権力側のリーダーである。議院内閣制の非効率性、矛盾(不可能性)をつく論点は鋭いが、結局は国民を善導し(国民を操作の対象としかみていない)、権力を統治する責任ある政府をめざしており、反面議会を重要視しない論調にみえる。三権分立という考えも古い理想論だというのだろうか。権力の魔性という言葉に酔って、アホな人間の本性からしてマキャヴェリの政治論に向かわざるを得ないというのだろうか。よく吟味しててゆこう。

第1章 政治を考える視点

まず本章では、師丸山真男氏の「軍国支配者の精神形態」(1949年)という論文をとりあげ、全体主義国家のリーダーの失敗の本質を浮き彫りにしようとした。「精神」という言葉が好きなことは師譲りである。政治史を個人の弱さという心理状態に迫る論点で解き明かす丸山真男氏の書き方は独特である。軍国日本のリーダーの「既成事実への屈服」、「権限への逃避」、「官僚主義から来る戦争無責任論」の特色を際立たせ、政治権力の真空地帯としての天皇制、政治権力の断片化、分裂に注目した。戦争を終って、誰もが戦争に反対したというリーダーの徹底した無責任性にはアメリカ占領軍も唖然としたそうだ。「自己欺瞞者」、「意志薄弱児」が戦争という政治権力を遂行したという国民的悲惨さだけが残った。マックス・ウエーバーは「君主制は官僚の専門知識に対して最も無力である」という。丸山は「君主制の政治的統合において、官僚の責任なき支配から逃れるには、君主が偉大なカリスマ性人格を持つか、議会が徹底的に関与することである」という。明治時代の薩長藩閥政府の官僚が元勲を中心に政治資質の優れた人々の集団であったことが、明治時代を偉大な時代とした。ところが政治家と官僚の質が低下し、指導者の矮小化が政治の実行を下へ下へ追いやり、責任者が疎外され上へ行くほど現場知らずの無能者集団と化したのであった。丸山はこれを「戦略なき日本」、「司令塔なき日本」とよび、いまもなお「日本の原罪」として運命づけられた。これは政治家だけでなく、官僚機構も企業の職制も、主任クラスが企画して上は判子を押すだけという管理組織の脆弱性(下克上)は今も健在である。上へ行くほど仕事をしないのである。上へ行くほど無責任なのである。上の究極が天皇制であった。天皇制は真空地帯といわれた。日本の社会は上へ昇るほど空気は稀薄になる。そこで丸山は戦後の民主化に期待を込めて「本当に民主主義な権力は公然と制度的にしたから選出されているというプライドを持ちうる限りにおいて、かえって強力な政治的指導性を発揮する」といって、政治的統合を民主制に求めた。議員にはたして政治的統合の自覚があったのかという問題ははなはだ怪しい。日本の民主側には根深い政治不信があり、政治的統合を議院内閣制にもとめる事ができたのであろうか。戦後民主制の政治家たちに、「自分が責任を持って治める」という自覚と責任に薄い弱い指導者が続出したために、誰かがやってくれるだろうという官主導体制依存型民主制になってしまったようだ。政治家の統治能力、問題処理能力を厳しく問い詰めないまま、官僚に丸投げしてきた悪しき伝統がなせる技である。政治的統合は政治の最も重要な運営・管理もんだいであり、これを放置してはならなかったはずだ。誰がやってうまく行き、失敗したという結果と責任に対して政治家は最初から逃避して、官僚機構が試行錯誤的にやってきたのが日本の政治であった。

プラトンによると政治は「ポリス全体に配慮する包括的知識」というが、政治という活動はある集団(国家)の目的なり利益に向けて自己決定し、実行する活動である。ところが主体間で意見の相違があるために、その優先順位と調整を行うのが政治的統合である。東洋には「無為にして治まる」(論語)というが、統合がなされていない時にはありえない理想である。古代ギリシャではプラトンが「哲人王」といって真理と権力の一致を目指したが、これは意見が一つに収束されることが前提であった。それが真理であった。そこには政治的対立はない。それは一つは全体主義のシステムであり、一つは意見を押さえ込む権威主義システムである。政治的統合とは意見の相違を基にして成り立つ概念である。政治的統合をおこなうには一定のルールに基づく権力の制度化がなければ、その度に血を見ることになる。そして権力には強制の要素が付き物である。政治的統合にはまず異論反論を認めて最後には一つの意見にする過程が必要でこれを政治的手続きという。つぎに政策的内容を争わなくてはいけない。そして最後には政治家の存在が必要である。人間存在の最大特徴は選ぶ主体的を自由を持っていることである。政治では「実現している事」、「実現できる事(計画・予想)」、「実現すべき事(理想)」をいつも変化する状況と関係の中で選択することである。

集団として「実現できる事」を選ぶという政治的統合の基本的な構造はもともと意見の多様性を支える主体の複数性と不可分である。政治的統合を短絡的に意見の一致や一元化に求めようとする伝統があるが、意見の多様性や主体の複数性は政治的統合がどれほど「開かれた」形で行われ、その参加の仕組みがどうなるのかということと分かち難く結びついている。ルソーは「社会契約論」では「一般意思」という一元化を試みた。アメリカでは独立宣言において開かれた形で処理されるべきものとされた。政治的自由と派閥の存在は一体の関係にあり、派閥のコントロールが課題とされ「多数者の専制」を避けるため、代議民主制を基本として三権分立を導いた。立法、司法、行政という権力の制度化が基本である。異議を申し立てをして参加する人々が政治の主体になるには、選択という権利がなければ単に投票マシーンと拍手に化するのである。こうして主体の複数性が政治的統合には決定的に重要なのである。

政治的統合のメカニズムは歴史の中で変更と改革を受けて当然である。結社の自由の原則に基づいて団体や政党の活動が保障されなければならない。政党は権力獲得を追及することを目的にした集団である。したがって政党には独裁政権を目指すイデオロギー政党が存在することも必然であった。独裁政党は非競争的システムに陥りやすい。全体主義や共産主義政党で見てきた通りである。これにたいして競争的システムでは政治的自由が認められ、政党間競争が存在する。一党優位制(日本)、二党制(イギリス、アメリカ)、多党制(ドイツ、イタリアなど)とさまざまな程度の競争がある。この程度は選挙制度と深く関係している。小選挙区制は優位な党が決まりやすく、比例代表制は政権の帰趨が容易には決着しない。また議院制度も重要で、上院身分制の残存するイギリスから、選挙制度が同じで機能が区別しがたい日本の衆議院と参議院の二院制による議院内閣制度と、アメリカのように大統領制と議院が抑制的に作用しあう形式がある。政党は経済問題で利害が対立しやすいし、人種宗教でも意見の複数化の契機となる。国際関係の緊張や戦争で政治的統合はいとも簡単に破れるのである。

政治の自由は権力に依存している。制度を守り改革する権力の発動がなければ政治は安定しない。政治権力は法を含めた制度の管理権を掌握しているので、政党は権力に命綱を握られているといえる。ルールを変えられたら一切の努力が無に帰すこともある。全能の権力は革命から生まれることはマキャヴェリの「君主論」でもあきらかであった。「権力は獲得することは難しいが、維持することは容易である」という。自分でルールを作れるからだ。そこで力による強制という「権力の魔性」の誘惑が存在する、テロと処罰が権力の最後のよりどころである。権力は制度だけでなく現実さえも変える力を持っている。「何でも実現できる」と考える誘惑が政治権力には付きまとう。政治権力はその及ぼす量的質的影響の大きさからしてその責任もまた極めて大きい。「権力を維持しようとすれば更に大きな権力を求める」とホッブスは洞察している。

第2章 政治をする精神

政治家の定義も難しいが、「直接間接に政治的統合に関る主体」で、平たく言えば「政治家は権力のより大きな分配に預かろうとして、権力を追い求める人々」ということになろうか。政治家は権力の維持獲得を目指して継続的な競争関係に身をおく事を選択した存在である。不特定多数の人々と普段に接触することを厭わず、広範な人々に身を曝すことを覚悟しなければならない。個人的には政治家としての維持管理には神経と金を使うが、権力維持のコストを軽減するためにも政党などという集団が必要で、個々の政治家では到底実現できない大きな影響力を行使することが出来る。自民党一党優位時代には集団内の派閥という権力競争の方が、他政党との競争より激しいのである。権力とはそれほどに魅力があり個人的快楽を与えてくれる魔物なのである。ホッブスは「死んで止むところの、権力への絶え間ない欲望」が人間の傾向であるという。

アリストテレス政治家像を「大きいものに値する人間でなければならず、よき卓越した人間であり、魂の大いなること」を前提とした。政治家は大きな名誉を目指して命を惜しまない者でなければならない。今の政治家に聞かせてやりたい言葉である。プラトンの「哲人王」は「狭量な精神は致命的な欠陥とみなされ、気宇壮大な精神、全時間と全存在を思う精神」という。けちな政治家が多い今日、浮気旅行に議員フリーパスを使う小さい人間を政治家と思う世間とはえらい落差である。立憲政治家像として、「英国憲法論」のバジョットは「平凡さと非凡さとの絶妙なバランス」と表現している。時代が変わると期待される政治家像も変わってくるのだ。マルクスは「ブルジョワの共通の事務を司る委員会」という言い方をしている。しだいに政治家の格調が下がってくる。20世紀においてはアメリカで少数のエリートと大衆という構図が登場した。エリートは大衆を騙し軽蔑し、大衆を統治の対象と見る。ドイツではマックス・ウエーバーが「カリスマ的支配」といった。大量に登場した大衆が政治に関与するようなって、全体主義や戦争という時代を背景に生まれた大衆政治論であった。政党は政治家の集団管理を行う上で果たすべき役割がある。政治家教育といってもいい。その能力を失った政党は政権担当能力を失ったのも同然である。これが三代続いてアホな首相を出した自民党政権の末路である。

アダムスミスは「道徳感情論」において、貧乏より豊かな生活を望む人間本性に基づいて経済活動、社会活動の源泉を導いたが、自分の中にいる第三者の目すなわち同感を求める感情が社会関係の根幹にあると云う理論によって社会秩序の原理、いわゆる権威の原理の源泉を説明した。アダムスミスの「道徳感情論」の要約は堂目卓生著 「アダム・スミス」中公新書を参照してください。ウエーバーは「権力感情」はそれ自身が高揚感を政治家に与えるといった。権力感情は個人的な自己陶酔の対象となり、権力のために権力を愛するという自己矛盾をもたらす。その例が追従者、虚栄心を生むのである。アクトン卿は「権力は絶対的に堕落する」と断言する。権力の腐敗・堕落を防ぐには本人が賢明である以外にはない。政治と倫理の問題は権力感情と密接に関連している。ウエーバーは心情倫理と責任倫理の絶妙なバランスが政治家を律するものという。心情倫理を押し付けられてはたまったものではない。ドイツのカント主義者の「国家理性論」とニーチェの「倫理的ニヒリズム」のせめぎあいは、倫理の偽善性や自己欺瞞性を繰り返し批判してきた。

ウエーバーは政治家には情熱、責任感、判断力が必要だという。判断力つまり思慮には距離感覚が必要である。アリストテレスは思慮は政治術そのものであるといった。大枠のそして歴史的な大きなダイナミズムに対する感性は政治家の不可欠の資質である。何を、何時、どのようにして実現するかが判断力のテーマとなる。福沢諭吉は「世上に益をなすと否とは、その用法如何にあるのみ」という。軽重緩急の文脈に従った優先順位の決定ということに帰結される。政治家には説得の弁論術が欠かせない。「言語明瞭、意味不明」ということでは納得されないだろう。自身が判断をせずに有識者会議・諮問会議に報告書を書かせる現在の政治的資源の使い方では政治家に判断力はつかない。

政治・経済は「不可予言性」であり、政治活動の結果は責任問題で示す事しかできない。しかし約束は同意された目的によって結ばれ、それによって一緒になっている人間集団を束ねる。結果が失敗であったとしても、政治家はそれで直ちに抹殺されるかというと、それではやってゆけないので一定の手順でやり直しや出直しは許される。問題は当該集団の運命の最終的責任者という自覚に乏しく、自らの権力をどう用いたらいいのか分っていない政治家たちが多いことである。政治家の質的管理に対する政党の役割は極めて大きい。責任を感じない首相を生んだ政権政党は失格であり早晩退場願わなければならない。

第3章 政治に関与する精神

丸山真男氏は「政治的判断」(1958年)において、「政治的思考とは徹頭徹尾結果責任である事を認識し、市民教育の重要なファクターである」という。先ず現実を「可能性の束」とみて、「理想はそうだとして、現実は・・・」と固定した二元論に陥らない事であると云う。現実の認識とはつまり「方向性の認識」と不可分である。再軍備の問題や安全保障理事会の拒否権問題について「現実の壁」を「一般命題」と決めつけない態度が重要であろう。政治はお上がやってくれるものだという考えは、「政治とはベストの選択だ」という誤解を生みやすい。福沢諭吉がいうような「悪さ加減の選択」(最悪のものは避けよう、できるだけましな政策をえらぶ)という考え方が必要で、過剰な期待は極端な落胆を生みやすいのだ。丸山氏の視点は厳正中立を標榜する新聞報道、保守と革新という一般命題の誤解を説き、「あえて反対党に投票することで政権与党の政治的緊張意識を高める」とか、「戦後の政治制度のよいところを守る革新勢力の保守感覚」も必要であると云う。それくらいでないと保守勢力の「改革」に太刀打ちできないことになるという。丸山氏亡き後、世界金融経済の崩壊と、雇用崩壊にどう対処するかが我々の課題である。

19世紀は政治への参加についてばら色の未来が論議された。しかし20世紀前半はそれに対して懐疑的な見方と全体主義が広まったのである。すべての権力の源泉が人民にあると云う「人民主権」は間違いはないとしても、人民自らが統治することははたしてできるのだろうかという懐疑論が、大衆社会の出現と世界大戦と革命の勃発を前に提議された。アメリカのジャーナリスト、ウオルター・リップマンは「幻の公衆」(1923年)を提出した。公衆による自己統治という原則は極めて大きな負担を市民に課するもので、到底できる相談ではないという。世論は虚構であり、ステレオタイプである、つまり作られたものであって、自然に沸き起こったものではない。リーダーシップを発揮する政治的指導者とは内容的に多義性を帯びる象徴を用いて、相分裂するグループをとりあえず同調させられることだ。つまり権威ある人が使用する象徴を通じて見しらぬ世間との関係が成立することになる。合意や世論は作り出されるもので一種の「操作」である。こうして権威ある指導者による大衆の操作という構図が民主主義を突き破って顔を出した。少数の人間が政治的決定の担い手になって、広範な人々の関心を実現するという。リップマンは「政治専門家(官僚も政策者集団に入る)と公衆は分裂し、多数者が自治を行うことは永遠にない。そこには指導者の支配があるのだ。」と結論した。そしてヒットラーが宣伝によって大衆を操作し戦争という政治闘争に誘導したのであった。

リップマンの議論とよく似ているが、経済学者シュンベータ−は「古典的民主主義批判」において「競争と選択モデル」を提議した。民主主義とは政治的決定の一つの装置であり、「公衆の意志を代弁する代表者を選出して、それにより公益を実現するもの」と提議した。つまり政治代議員制のことである。しかもシュンベーターは一義的に規定されるような「公益」なるものは存在しないという。公衆は日常性の世界から離れた国家・国際問題について現実感をもてないし責任感もない。そうなると特定の意志をもつ連中の乗ずる隙をあたえ、「作り出された意思」(一般意思)という虚構に操られるのである。そこで民主主義を定義しなおすと「政治的決定に到達するために、個々人の投票を獲得するための競争的闘争を勝った集団に決定力を賦与する制度」となる。優劣を決するためには排他的な「多数決原理」が必要である。政党とは「政治的権力を得るための競争的闘争で協力する集団」といえる。民主制とはある意味で「政治家による支配」である。権力は本質的に民主的権利を抑制するのはこのせいである。シュンベータ−はイギリス的政党政治を頭に置いた議論であった。人民による統治を「政治家による統治」に置き換え、人民の参加を「政党の選択」に限定したことである。逆にはそれ以上の人民の介入を許さないのである。民主主義の定義とはかくも曖昧なもので、自由主義民主制もあれば、非自由民主制(集中民主制など全体主義、社会主義民主制)というように何でもありの定義になってしまう。アメリカでは政党の力が弱かったので、政治的多元主義という「大統領制と議会」の関係となった。日本では自民党による政治体制は、有権者からの白紙委任を前提とした、利益集団インナー・サークルと政策決定集団インサイダーが合一した利益政治の化け物になっている。大衆はアウトサイダーになってしまったが、ハーシュマンは「失望と参画の現象学」において公益利益に参加する意義を説いて、NPO,NGOなど大衆の参画の意義を見直した。

トルヴィルは「アメリカのデモクラシー」において、「境遇の平等化」がもたらした弊害と大衆社会を指摘した。自由は特定の社会状態を定義できるものではないが、平等は間違いなく民主的な社会と不可分の関係にある。自由がもたらす社会的混乱は明確に意識されるが、平等がもたらす災いは意外と気がつかないものだ。平等化は自らの判断のみを唯一の基準と考えるが、自らの興味とは財産と富と安逸な生活に尽きる。そこで「個人主義」という「利己主義」に埋没する。民主化は人間関係を普遍化・抽象化すると同時に希薄化させる。そして人は民主と平等の行き着く先で「孤独」に苛まれるのである。平等が徹底されるにつれて一人の個人は小さくなり、社会は大きくみえる。政治的に言えば、個人は弱体化し中央権力が肥大化するということになる。中央権力も「平等」を望み奨励するが、それは平等が画一的な支配を容易にするからである。ここに新しい専制の可能性が生まれる。小さな個人にたいして巨大な後見人(政府)が聳え、個人の意識をより小さな空間に閉じ込め、しだいに個人の行動の意欲さえ奪い取ってしまう。そこでトルヴィルはアメリカの民主制は個人主義を克服する手立てとして、公共事業への参加によって個人の世界から出てくる機会を与えたという。日本においても経済拡大期には日本全体が「日本株式会社」といわれ、「総中流化」の配分を受けて「柔らかい個人主義」のなかにあった。政治は「安心・安全・安定」をスローガンとして、「お任せ民主主義」で政府は後見人の役割に徹した。それは専制というにはあまりに中央がはっきりしない形態であったが。1990年代からはこの大きくなりすぎた政府に対して改革に取り組むようになった。小泉政権でこの日本的システムは破壊されつくした。そして自民党的手法も立ち行かなくなって、いまや政権交代の時期に来ている。

第4章 政党政治の精神 

阿部・福田政権の相次ぐ崩壊によって、国民は日本の政治(自民党政治)のエネルギーの弱体化とその明らかな変質を感じ取った。これは二世・三世の政治家の個人的資質の問題よりも自民党という政党の教育や支えかたに大きな問題があった。人気者に依存する姿勢が顕著で、継続的な権力闘争という教育がなかったためである。麻生政権も弱体で「なぜ首相にふさわしい人材がいないのか」と、党内で麻生おろしが吹く今日この頃である。自民党は高度経済成長と冷戦というエネルギーを注入されて1990年まで隆盛を誇ったが、反共を叫んでも意味がなく、自らの金の出所であった道路や公共事業が削減されて支持を失った。小泉政権がこれに止めを刺したというべきであろう。自民党を空洞化、無気力、無力感が蝕んだ。まさに55体制(アンシャンレジーム)の崩壊であった。

政党は政治家が集団で政権を目指し、集団でそれを運営しようという独特の仕組みである。福沢諭吉は「文明論の概略」において「衆議の習慣」が日本にはないことを指摘し、その習慣は西欧社会では自治に基盤を置くもので、それがなかった日本に簡単に根付くものではないといった。正統派多種多様な有為な人材を集めル事に最大の強みがある。政党は政治家同志の競争と相互監視をへて人材を鍛錬し支えあう仕組みと作ることが出来る。政治家による政治家の統治を踏まえたものでなくてはならない。「人材がいない」と嘆くのは政党経営の失敗ではないかと著者は指摘する。マックス・ウエーバーは第1次世界大戦後のドイツのワイマール体制において、無力な議会制とどうしようもない政党を批判して、指導者民主制を夢見た。極端な指導者制はヒトラーの独裁を招いたが、政党経営は政党間競争の厳しさにあった。比例代表制は無力な議会を生みやすい。小選挙区制度では一人が一票でも多ければ勝ち、他の票は無効となる。そして現実には政党の顔よりも政治家個人の顔で争う。そこに厳しさが生まれ政治家が育つのだと著者は言いたいようだ。

自民党の奇人小泉首相は自民党のみならず、政党政治一般への不信感から出発した。「政治主導」の担い手であった政党は力をなくして、不透明な反動勢力と見たようだ。「首相公選論」(アメリカの大統領制、地方自治体首長公選制)がでたのもこのような認識からであった。小泉氏の政治的資源は党内よりも世論支持率にあった。政治主導を「政治家主導」に置き換えると、政党主導よりはわかりやすいとみたようだ。政治家主導を更に「首相主導」と読み替えると更にわかりやすい。郵政民営化法案では首相と与党が対立するという構図も出て、一気に世論に訴えて選挙をおこなうという手に自民党は驚きうろたえた。その小泉後遺症が阿部・福田・麻生首相のトラウマになっているのだ。

自民党は利益配分政治(インナーとインサイダーの結合)の「包括政党」というぬくもりのなかで、党内に膨大な政策作り集団を持つ政党であった。政調会のもと百におよぶ部会や委員会をもち、これらに属する議員が官僚たちと財界と結んで「鉄のトライアングル」を構築してきた。官僚は政治家同志の意見の対立さえ調整するという政治主導より官僚主導という状況を作ってきた。党と政府は法案事前審査制という関係で、党が承認しない法案(そして事務次官会議が承認しない法案)「は閣議に上げないという習慣をつくった。議院内閣制ではなく、政治家と官僚の協同統治であった。大臣と内閣の無力化、政治が行政機構に飲み込まれる政策のタテ割り処理は、政治統合力の弱体化に繋がった。もはや政策の仕組みは国民から見えない裏で処理されてきたのである。政策が国民の納得を得られないのが当然であった。1990年代の金融ビックバンによる危機では日本型護送船団方式は通用しえなくない、大蔵省は解体された。そして新自由主義の市場原理は政官財の癒着的構造を破壊したのである。ここにはでな小泉式パフォーマンスやポピュリズムが政治の舞台で横行した。

北川三重県知事が唱導した「マニフェスト」運動が政党政治改革の一つのツールになりつつある。地方自治は首長と議会という二元代表制をとっているが、国政は議院内閣制でという一元代表性なのでマニフェストは大きな影響を持つ。マニフェストは「政権公約」で国民との契約文書(個人の選挙公約よりも次元が高い)である。政権公約である以上、不測の事態でも、「一寸先は闇」の政治の世界でも拘束力が高いのである。選挙に勝った政党は政権内閣を構成し、マニフェストを閣議で承認して、その実施と政策革新を目指して官僚はその実施部隊となる。


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