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中川淳一郎著 「ウエブはバカと暇人のもの」ーネット敗北宣言

  光文社新書(2009年04月)

ウエブ異論!バカと暇人が占領する空間 ネットはテレビの小判鮫 

この本の題名からして、いやに挑戦的な言辞を吐いている様で、極論をたまに聞くのも勉強になるだろうと思って、自身の反省を込めてこの本を読んでみた。著者は「はじめに」でウエブ異論を書くと宣言している。何でも、ものには2面があって、一方がweb2.0を謳歌する梅田望夫氏の「ウエブ進化論」(ちくま新書)や佐々木俊尚氏の「グーグル」(文春新書)とすれば、他方は河野武氏の「そんなんじゃクチコミしないよ」(技術評論社)、西村博之氏の「2ちゃんねるはなぜ潰れないか」(芙蓉社新書)がある。表と裏、陽と陰の関係であるが、要は前者が「コンサルタント・ITジャーナリスト・研究者」の立場を代表し、後者は「ウエブ運営当事者」の立場や意見である。前者は技術万能論、技術決定論を説いて、ウエブのばら色の夢を語りそこへの参加を促す立場である。ところがウエブを運営する側の人はPV(ページビュー数)をあげることを至上命題とされており、「クリックされてなんぼ」の世界に生きる人々である。そこにはさまざまなトラブルが待ちかまえており、人を傷つけないよう、日常は荒しや連投コメントを削除するという掃除夫のような仕事に従事しているので、彼らは自嘲して自らを「IT小作農」(雑草刈に追われる)と呼んでいる。そしてクリックして貰うには「B級ネタ」を用意するなどの苦労は必須であると云う。梅田望夫氏の「ウエブ進化論」では「ウエブ(ネット)世界の三大潮流 」として、インターネット、コストダウン革命、オープンソースが次の十年間の三題潮流となって革命を引き起こすだろうという。ネット世界の革命とは1)世界的見地からの構想、2)ネット上の分身がビジネスをする経済圏、3)ロングテール(微少収入×無限大需要)の価値の集積のことだそうだ。そしてこれらの革命が、IBM、マイクロソフト、メデイアなどのリアル企業(こちら側)を直撃して侵食しつつある事実である。膨大な投資に見合う情報と価値の独占企業が崩壊するという筋書きである。そしてそれを担うのがネット企業(あちら側、グーグル、アマゾンなど)の革命的システムであるというのだ。 ところが、著者中川淳一郎氏はネットの使い方、発信情報について、前者の立場を「頭のいい人」、後者の立場を「普通の人とバカ」に分けて考えるのである。

著者はニュースサイトの編集者という「運営当事者」で、河野氏や西村氏のややあきらめ顔の発言に親近感を覚えるのだそうだ。本書の末尾から著者のプロフィールを紹介する。中川氏は慶応(商学部)を卒業後、企業広告代理店「博報堂」に入社しCC局(企業コミュニケーション)で企業のPR業務を請負い、若くして退社し、雑誌ライターを経て「テレビブロス」(東京ニュース通信社が発行している隔週刊テレビ雑誌である。同社の主力テレビ雑誌『週刊TVガイド』に対するサブ的な位置づけとして、1987年7月1日に創刊された。他のテレビ雑誌とは一線を画した編集姿勢は根強い支持を得ている。編集の自由度も高く、音楽欄(日本国外のロック・テクノ・ヒップホップなどが中心、アジアのアングラ音楽なども)や映画欄(ミニシアター系やマイナーな海外作品が主)ではコアなアーティスト・作品をフィーチャーし、本来のテレビ記事では番組に対する遠慮のない毒性の強い批評でも知られる)の編集者となる。企業PRやライターを勤め、2006年よりインターネット上のニュースサイトの編集者になる。編集業務の他ネット情報発信のコンサルタント業務、プランニング業務も請け負っている。ということで、エスタブリッシュメントから見ると氏の仕事は胡散臭い文屋稼業に分類されそうである。中川氏の言葉を借りて、本書の結論を申上げる。「かなり入り込まれている人はやばい。もう少し外にでて人に会ったほうがいい。なぜならネットはもう進化しないし、ネットはあなたの人生を変えないから」ということである。本書は飛ばし読みで結構、内容は粗いので1-2時間で読める。2ちゃんねるの掲示板を覗いた人にはわかると思うが、やたら気持ち悪い異様な醜悪な世界である。したがって本書も気持ち悪いところがあるのでそこはパスすればいい。ネット世界では、丸でドストエフスキーの小説の世界のような人間の醜悪さを見せ付けられるので、倫理的に耐える力を持った人でないと入らないほうがいい。そんなコメント書き込みにへきへきした著者のいうことは一応納得できる。そこで本書を目次にそって辿って行きたい。@ヘビーユーザーの正体、Aネットユーザーとの付き合い方、B既存メディアの現状、C企業とネットの関り方、D終論の順に見て行こう。

1)ネットのヘビーユーザーは、やっぱり暇人

普段は人に怒ることもなく注意することもない人が、ネット上になると人格が替わったように変な正義感を発揮して人徹底的に叩く。この「怒りの代理人」は自分は正義だと思い込んでいるが、これは明らかに逸脱した「いじめ行為」である。大勢のコメント者は乗りで「擬似怒りプレー」に参加する。これは事故等で電車が止まった際に駅員にひたすら罵倒する乗客と同じかもっとお手軽にやっているのだ。また年金不明問題の時には保険事務所の係員を罵倒しまくる人がいたが、これも実務をやっている人の責任でもなく、順番を待っている多くの人にとっては大きな迷惑行為であった。「あら探し」、「失言マニア」や「嫉妬観」、テレビなどを見て直ぐに見当違いのコメントを書く「脊髄反射型」が多い。ニュースサイトのネットで叩かれやすい10項目をあげると、
@上からものを言う、主張が見えるものは反発されやすい。
Aがんばっている人を茶化したり、特定の個人を冷やかしたりすると叩かれる。書いた人も悪いのだが。
B既存マスコミが過熱報道していることに便乗すると、可哀そう、そっとしておいてと反論が来る。
C反日的発言には売国奴というレッテル貼りが殺到する。
D書き手の顔が見えると個人攻撃されやすい。
E教えてと誰かの手間をかけるような真似をすると、自分でやれと意見される。
F社会的常識に沿わない異を唱えると、村八分的攻撃を受ける。
G強い調子の言葉を使うと、決まって過剰反応の非難がくる。
H好き嫌いな領域で批判酷評すると、必ず反論が帰ってくる。
I部外者が地方・特定団体の悪口を言ってはだめ。
ネットのコメンテーターは揚げ足取りが大好きで、怒りっぽく、自分と関係ないことには品行方正(正義感が強く)で、クレーマー根性旺盛、思考停止の骨髄反射ばかりで、異論には拒否反応をするなどという特徴を持ち、最大の特徴は「暇人」であることだ。今のブログやSNSの内容は99%がどうでもよい一般人の日常である。超有名人はブログはやらないし、メリットも時間もない。現実のリアル世界で活躍している人にとって、ブログは何の情報源にもならない。暇人の時間つぶしに付き合っている時間はないのだ。小説家が他人の小説を殆ど読まないのと同じである。音楽家が他人の音楽を聴かないのと同じである。そんな時間があったら自分のスキルを磨けということだろう。

2)現場で学んだネットユーザーとの付き合い方

雑誌は特定の好みを持った人を相手にした有料(図書館、立ち見は別)の媒体であり、テレビはNHKを別にすれば原則無料で一方向の不特定多数を対象とする媒体である。従って大衆受けしそうな内容に偏る。えらそうに権威を押し付けるNHKの番組内容とは自ずと異なる世界である。民放テレビを見続けるとやたらタレント通になって頭がバカになること請け合いである。ブログの世界も無料の媒体であるが双方向である特徴を持つが,これがトラブルのもとである。こうしてサイト管理者とユーザーとの抗争の構図が展開される。一応名誉毀損や脅迫じみた書き込みを執拗にしたものは摘発される。著者が運営したテレビブロスでも取材内容は正しいにもかかわらず「削除してくれ」という要求に合わせざるを得ない場合もある。2ちゃんねる管理者の西村氏は「無敵の人」という概念を説いた。「もともと無職で社会的信用がゼロ、逮捕摘発をリスクと思わない人」のことである。平気で犯罪予告をしてくる連中である。運営側の人間は人を傷つけずPVの高いサイトを作る方法や、より多くのブログに引用してもらえる記事を書く方法を考えている。炎上、あらしを計画的にやっているのは少数だと推測するので、コメント欄に制約を設けて彼らを排除する工夫も大切である。評論家鳥越俊太郎氏が編集長をやった「日本版オーマイニュース」は結果的に惨敗して閉店した。あまりに文書能力のない発言者(市民記者登録者)の意見は必然的に程度の低い新聞の繰り返しに過ぎなかったのだ。ネットで受けるネタは次の条件を満たすものだ。
@話題にしたい内容があるもの、つっこみどころを用意する。
A身近であるもの、B級観があるもの。
B非常に意見が鋭いもの。
Cテレビで一度紹介されているもの、テレビで人気があるもの、ヤフートピックスが選ぶネタ
Dモラルを問うもの
E芸能人スポーツ関係のもの
Fエロ関係
G美人
H時事性の高いもの

3)ネットで流行るのは、結局テレビネタ

今の日本では最強のメディアは地上波テレビ(衛星BSやハイビジョン、有線放送ではない)である。多くのニュースサイト(たとえばライブドアーニュース)やヤフーブログ検索でPV数の上位に来る記事は、テレビ番組やテレビ出演者の関連したものである。王道は[テレビで見た→ネットで検索→書き込み]という流れである。情報源はテレビの「朝バッ」からはじまりテレビのワイドショーである。特に主婦はこれを見て買い物に走るのである。つまり「テレビ最強説」に乗って、ネットはコバンザメのように追随するのである。ネットに巣食う人は新聞・雑誌・本などの「コピー&ペースト」できない面倒な媒体は見ない読まない。そこで「金がない暇人」から「金が有り仕事が忙しい人」に利用する媒体を順序つけると、地上波テレビ→インターネット→漫画→一般新聞→雑誌→経済紙ということになるようだ。プロの物書きはブログで炎上の可能性のある事は書かない、むしろ雑誌で所信を述べればいい。最近の健康ブームの火付け役はいつもテレビのワイドショーである。過熱のあまりデーター偽造事件まで引き起こした。ネットでブームがおきても瞬時で消え去りニッチに過ぎない現象だ。テレビの知名度が凄い。政治家になるテレビタレントが多いのは昔からの現象である。そのまんま東、丸山弁護士、橋下弁護士、森田健作など数えだしたら切りがない。破廉恥知事に横山ノックがいた。そしてテレビが一つのことで盛り上がっているときこそ、ネットではPV稼ぎの絶好のチャンスである。ネットサービス運営者は決してテレビを敵視することではなく、ネタを積極的にネットに取り入れようとしているである。フジテレビとライブドアーの抗争は結局片思いで終った。テレビはネットを相手にしていない、ネットがテレビに擦り寄っただけの事であった。テレビを初めとする日本人の娯楽に対する嗜好は全く変化ない。テレビで活躍している人に思い入れをして、ネットに書き込んで思いを果たせればいいようだ。検索連動型広告つまりワンクリック広告収入という「アフィリエイト」のチャンスもここに眼をつければいいのではないか。

4)企業はネットに期待し過ぎるな

テレビのCMの成功例は数えても切りがないほど(「24時間闘えますか」、「私はこれで会社を辞めました」、「亭主元気で留守がいい」、「それなりに」・・・)あるが、ネットプロモーションの成功例は社会的現象を伴ったテレビCNに較べるといかにも小粒である。テレビのCM は著名なコピーライターを輩出したが、広告代理店やPR会社の頭はweb1.0の時代のままである。ここにネットで成功するための結論を五つ述べる。
@ネットとユーザーに対する性善説・幻想・過度な期待を捨てるべきである。
Aネガティブな書き込みをスルーする耐性が必要。
Bネットはクリックされてナンボである。企業にはB級ネタを発信するくらいの開き直りが必要。
Cネットでブランド形成はやりずらいことを理解する。
Dネットでブレイクできる商品は、あくまで物がいいものである。小手先のプロモーションではなんとも出来ない。王道を行け。
ブロガーを招いてイベントを開き、商品が口コミで広がることを期待する企業戦略は上手く行かない。かれらはただで飲み食いできるから集まるのであって、彼らの書く記事に名ライター並みを期待するのはムリである。従来の企業の宣伝広告活動においては「露出を確保することが大事」という考え方がある。ネットではクリックされなければ意味がないのである。貼り付けておいただけではだめで、ネットでウケル9つの条件(@話題にしたい内容があるもの、つっこみどころを用意する。A身近であるもの、B級観があるもの。B非常に意見が鋭いもの。Cテレビで一度紹介されているもの、テレビで人気があるもの。Dモラルを問うものE芸能人スポーツ関係のものFエロ関係G美人関係H時事性の高いもの)を満たしていなければ誰もクリックしてくれない。ある意味でネットはバカみたいなものらしい。人々の欲求が正直にでてくる、暇つぶしに見る場所なのである。居酒屋や放課後の雑談みたいな気分でクリックするのである。ただおしゃれで、音とフラッシュ使いまくりでまごまごしてしまうサイトを作ってご満悦では、誰もクリックする気になれない。「サラリーマン川柳」や「足くさ川柳」のような気楽なクスッとできる雰囲気がウケル世界なのである。またウエブは更新すれば検索され、PV数が増えるものなので、広告コピーのように社内稟議を通すようなまどろっこしい手続きの世界ではない。ブランドイメージを押し付けてはいけない、見たい気持ちを起こさせることが先ず第1である。

5)ネットはあなたの人生を何も変えない

ウエブについて過剰な期待を多くの人が持っている。「情報革命」、「ロングテール」、「CCG]、「バイラルマーケティング」、などなどのキーワードだけが踊らされている。こうすれば技術決定論的に上手く行くと思うのは幻想だ。そして「宣伝費をネット広報に廻せ」といって何の効果もでないのが普通である。「マーケティング手法はAIDMAからAISASへ」というのは、認知→興味→欲求→記憶→購入を認知→興味→検索→購入→共有という行動パターンに変えることらしい。特に1990年代後半よりマス広告にインターネットを加味することが求められてきた。ところがみんなネットのことを理解していない。こういう広告の「通説」ははたして功を奏したのだろうか。真の情報革命の担い手は電話である。ネットは情報革命の主役ではない。電話の情報革命の第二段階に過ぎない。ネットは情報を集め伝えるには確かに便利であり早くなったが、電話ほど画期的なことはない。ネットに過度な幻想を持つことは辞めよう。企業は「ネットはあくまで告知スペースであり、ユーザの嗜好にあわせたB級なネタで誘う」場である。頭のよい人々がオープンソースでプログラムを作ったり新たなサービスを生む場所は限られており、圧倒的多数のユーザーは暇つぶしで集まっている。そこで文豪が生まれた話は聞いたことがない。ウイキペディアであやふやな書き込みが行われるが、真実の発見に至ったことはない。集合知ではなく集合愚の世界である。これが結論だと著者はいう。ネットでうまい話は危ない。地道にリアル世界で努力している人が結局勝つのである。ネットの幻想で気が狂った人は多い。殺人、自殺、詐欺、やばい仕事、売春など危険が一杯。健常人は仕事や情報収集にネットを利用するに留めよう。金をもうけるとか友人を作るとかそれ以上の世界は幻想である。


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