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北朝鮮研究学会編 「北朝鮮は、いま」

  岩波新書(2007年12月)

韓国の政策研究者が「金正日体制の北朝鮮」をどう見ているか

この不愉快な隣人「北朝鮮」をどう見るか、日本での見方は「北朝鮮滅亡論」が多数を占めているようだ。韓国では隣人ではなく「別居中の夫婦関係」みたいなところもあって、見方は複雑である。キム・デジュン大統領やノ・ムヒョン大統領の時代は夫婦のよりを戻そう的な感じがあった。いまのイ・ミョンバク大統領ではまた違ったスタンスである。隣人として無視も出来ないので私はこの読書ノートコーナーで北朝鮮関係の書物を紹介してきた。
重村智計著 「朝鮮半島核外交ー北朝鮮の戦術と経済力」 講談社現代新書(2006年12月)
半田滋著 「自衛隊vs.北朝鮮」 新潮新書(2003年8月)
金賛汀著 「朝鮮総連」 新潮新書(2004年5月)
原田武夫著 「北朝鮮外交の真実」 筑摩書房(2005年4月) 
相馬勝著 「北朝鮮最終殲滅計画」 講談社+α新書(2006年2月)
島田洋一著 「アメリカ・北朝鮮抗争史」  文春新書(2005年2月)
軍事的・安全保障的な見方で捉えた本が殆どである。はなはだしきは 「北朝鮮最終殲滅計画」というアメリカの第2次朝鮮戦争のシナリオを紹介する本もあった。たしかに北朝鮮という国家はソ連のでっち上げ国家で、1991年の冷戦終結まではソ連の援助で生きてきた。1990年代にソ連の援助がなくなると飢餓国家になり生死の境をさまよった。キム・イルソンの時代はまだ国家の態をなしていたが、21世紀息子キム・ジョンイルの時代にはまさに軍事独裁国家(先軍体制)に変身し、緊張を作り出しては中国に養ってもらっている。扶養親がソ連から中国へ変わっただけの放蕩息子である。そこで本書の内容に入る前に、キム・ジョンイル体制後の北朝鮮の略年表を示して理解の助けにしたい

北朝鮮略年表
1994年9月 キム・イルソン(金日成)主席(首領)死去
1995年-1998年  「苦難の行軍」と称する飢餓海峡をさまよった
1999年 キム・ジョンイル(金正日)のもと先軍政治体制となる
2000年6月 韓国キム・デジュン(金大中)大統領訪朝 南北共同宣言  民族統一を目標とする韓国の北への援助始まる
2001年10月 「強盛大国建設社会主義経済政策」発表
2002年7月 「経済管理改善措置」(7・1措置) 2002年9月 小泉首相訪朝 拉致問題被害者一部救助と引き換えに日朝関係正常化へ試行錯誤はじまる  同年10月アメリカウラン濃縮疑惑発表
2004年12月 経済特区「開城工業団地」で韓国企業が操業開始
2005年2月 核兵器製造宣言   同年9月六者会合で共同声明
2006年7月 ミサイル発射実験 同年9月核実験実施発表  同年11月ブッシュ大統領 北の核兵器放棄と引き換えにテロ支援国家解除・石油援助を約束
2007年2月 ベルリン協議を経て六者会合で北の核兵器放棄に向けた包括的合意に達する(2・13合意) BDA資金ロンダリング問題でもめたが、7月ヒル次官が訪朝し、北が核施設停止とIAEA受け入れ発表 同年9月六者会議で核計画の申告と核関連三施設の無力化を行う合意となった 同年10月韓国のノ・ムヒョン大統領訪朝し、南北首脳会議
2008年2月 韓国大統領にリ・ミョンバク(李明博)氏就任 同年11月 アメリカ政府 北朝鮮のテロ支援国家指定解除を発表  12月六者会合で検証の方法を巡って合意に達せず 以後六者会合中断
2009年4月 北朝鮮テポドン2号改良型(大陸弾道弾)発射実験 

韓国と北朝鮮は第2次大戦後の冷戦構造というパラダイムに支配されていた。北朝鮮はソ連の衛星国家として、韓国はアメリカの軍事基地としての役割が強調され、戦後は北も南も民主主義は育たなかったし、経済発展は無かった。しかし韓国は軍事独裁者政権の時代が終わり、経済発展のインフラ整備も終って1990年代にはアジアの「四小龍」といわれるようになった。政治体制もキム・デジュン大統領が就任してからリ・ミョンバク大統領まで民主的に選ばれておりようやく民主政治形態が確立した。ところが北朝鮮は冷戦終結によってソ連の援助がなくなると、国家がやってゆけなくなって配給が無くなり国民は飢餓線上に放置された。1990年代に餓死した人は数百万人といわれ、数十万人の難民が中国へ脱出した。そこで打って出た外交戦術が軍事独裁の瀬戸際外交で、中国や世界から援助を得る戦術である。とはいえ時代の趨勢を繁栄し、又中国に学んで2006年に「3ヵ年経済計画」に着手して「市場社会主義」に進みつつあるといわれるが、その成果は見えないし、相変わらず「政治軍事過剰社会」である。米国は2001年ブッシュ大統領就任以来、イラン・イラク・北朝鮮・リビアを「悪の枢軸」と呼んで敵視政策をとった。その結果が2006年9月の北朝鮮の核実験である。同年11月ブッシュ大統領は北の核兵器放棄と引き換えにテロ支援国家解除・石油援助を約束し、2007年2月六者会合の枠組みが北の核兵器放棄に向けた包括的合意に達した(2・13合意)。韓国は2000年6月のキム・デジュンの南北共同宣言の蜜月路線を重視したが、、その成果は白山観光と開城工業団地と食糧・エネルギー援助という貢物外交でしかなく、北の路線を太陽のような暖かい手で溶かすことは全くできていない。点滴で北政権の延命を図っているだけではないかという指摘もある。貿易は完全に一方向に過ぎず(しかも援助の側面が大)、人民交流も70:1の比率である。北の扉は閉じられたままである。なんか「磯の鮑の片想い」のような韓国側の想いである。

本書は2006年はじめ、韓国の北朝鮮研究学会と韓国のインターネット新聞「プレシアン」の共同企画で、「2006年、北朝鮮はどこへ」という連載が行われ、北朝鮮社会全般で起っている変化のありようを集中点検してみようということになった。政治・外交、経済、社会・文化の3分野で26人の著者による検証寄稿がなされた。当時の韓国の大統領はノ・ムヒョン氏でインターネットでの人気抜群の民主的首相で、対北外交路線は1998年キム・デジュン大統領の「太陽政策」を引き継いで、2003年より「包容政策」を取っていた時代である。本企画が終了して2006年夏より北朝鮮のミサイル・核実験が始まった。したがって本書の内容は北朝鮮の変化を善意に解釈して温かく見守ろうという姿勢に満ちている。これを「未来志向的認識」といい、韓国としての一つの選択肢であった。2006年夏以降の情勢激変を反映していないのが,残念である。そういう意味では認識が甘かったというか、時代遅れの感が否めない。2008年2月に就任したリ・ミョンバク韓国大統領での対北外交政策見直しが進んでいる中、北朝鮮は再び危険な瀬戸際外交を進めようとしている。2009年4月の桜の季節に日本の花見気分をぶち壊すかのようにミサイル実験を強行した。北は核再開も暗示するような発言もしており、再び暗雲がたちこめ六者会合の再開と仕切りなおしが要求されている情勢である。とはいうものの本書はやはり韓国の研究者(学問というよりは政策研究者というべき政治色の強い内容)が書いたものだけに、政治、経済、文化の3分野にわたって総合的な検証を加えている点が注目される。

1、政治・外交

北朝鮮の体制の特徴は首領唯一支配体制である。先軍体制になっていまや朝鮮労働党の立場も薄くなった。党中央委員会も1993年以来開かれていない。キム・ジョンイルの官僚政策は、忠誠心が強い者の中から実力のある者を選んで、体制や政権に反抗しない限り一生地位と生活を保障するものである。したがって、現在の北朝鮮にはいかなる政治勢力も存在しない。キム・ジョンイルと仲間達というグループしか生存を許されていないのだ。北朝鮮が体制を維持できるかどうかは、キム・ジョンイルの組織掌握力一つにかかっている。支配力は粛清というムチと地位と食糧というアメに頼っている。キム・イルソンが主唱した「主体思想」は骨董品となって、1990年代の危機的状況から生まれたのがキム・ジョンイルの「先軍思想」(思想というほどのものではないが)である。1995年ごろからいわれるようになった先軍政治とは「軍事先行の原則により、革命と建設から生じるすべての問題を解決し、軍隊を革命の柱として社会主義事業を推し進める政治である」と。ようするに、軍隊方式の「命令の貫徹精神」高揚運動であり、絶対忠誠と犠牲を要求する支配者に都合のいいデマゴーグである。党もいらない、政治化された軍隊のみが体制を守るという親衛隊方式である。この方式の欠点は、カリスマの映像が墜ちた時と死んだ時であるが、後継者を血の論理に頼っていてはソ連や中国も驚く「皇帝制」である。いまさら馬鹿馬鹿しくて論議にもならない。

北朝鮮の核開発については年譜に示した6カ国会合の動きに明らかである。現時点では、北朝鮮の核計画の検証と廃棄問題で意見がまとまらず、6カ国会合は2009年4月段階では中断状態である。1994年のクリントン合意(KEDO)を反故にして核開発に向かったのと同様に、2007年の2.13合意をチャラにする可能性はないとはいえない。北朝鮮とはそういう国だということも頭に入れておかないといけない。北朝鮮外交は米中を相手にする綱渡り外交、準癒着外交(ソ連から今は中国へ)が特徴である。米中の覇権争いの利用が北朝鮮の生きる術になっている。そのために核とミサイルというゲリラ戦法で究極打開を図ってきた。

2、経済

経済状況は大変興味のあるところだが、まともな経済統計を発表していないので、1990年代の飢餓状態から、今日どれほど経済的に立ち直ったのかは憶測にしか過ぎない。そもそも援助で生きてきた鎖国同様の国に産業・経済が存在するのかどうかも危ぶまれる。主要産業の成長率は1997・1998年ではすべての分野でマイナスであったが、1999年には外国からの大量援助によって大幅なプラスになった。これはあくまで輸血効果であって、翌2000年以降2004年までのデータでは水平線すれすれで推移している。2002年以降は国定価格改革をこなったため「ハイパーインフレ」を起こした。国定価格と市場価格では1桁から2桁の違いがある。労働者の1ヶ月の給料で変えるのは豚肉1Kgというインフレ状態である。したがって闇市場が相当な規模で広がっているといえる。キム・イルソンの時代には生活物資の無料配給という建前がソ連の援助で存在していたが、ソ連法の崩壊により1990年代にはこの配給制が廃止された。キム・ジョンイルはまさに国民を飢餓海峡に放り出したのである。北朝鮮が西側資本を受け入れた時期もあったが、債務不履行で潰れた。頼りは在日朝鮮総連系の資本の収奪であったが限界があった。1990年代に羅津貿易地帯を設置し、2002年以降は韓国企業を誘致した開城・金剛山・新義州地域の経済特区が設けられた。いまではこの4つの地区の経済特区が動いている。問題は地域が辺境に位置する点であり、北朝鮮が全国展開を嫌っているため何のための経済特区かよく分らないのが実情だ。

1999年以来毎年平城国際展覧会が開催されているので北朝鮮は貿易に興味を持っているようだ。2000年度より貿易高は上昇し始めたが、2004年で貿易総額は2800億円に過ぎないし圧倒的に輸入超過である。北朝鮮に外貨準備金は無いのでこの差額はやはり援助というもらい物であろう。代金を物物交換で払い、不足分は援助で貰うという決済であろうか。貿易相手国の第1位は中国で総額1500億円ほど、第二位は韓国で総額1000億円ほどである。2国で貿易額の殆どを占めている。北朝鮮の輸出品は農水産物が主で鉱産物、中国からの輸入品は電子製品など工業製品である。北朝鮮の国内市場は、農産物市場と社会主義物資交流市場があるといわれるが、現在の時点で市場経済への大規模経済改革が起きている証拠は無い。国定価格を改革しない限り闇市場にすぎない。北朝鮮の消費財不足は相変わらず解消されていない。その消費財の80%は中国製である。その貿易をになっているのが瀋陽の温州商人という地方企業である。韓国にとって中国が北朝鮮に進出する事に心配する人がいる。中国が北朝鮮を安全保障の緩衝地帯とする意図があるのではないかと疑うのである。そして中国は北朝鮮の石油や鉱物資源の採掘権を買いあさっている様子も伺える。ロシアと同じく資源大国を狙った中国が、北朝鮮やチベットの開発に熱心である。ただしこの中国の狙いも政情不安な北朝鮮政権の一言でチャラにされる危険性も高い。北朝鮮は中国からエネルギーと食肉、電気・機械製品を買い、魚介類や鉄鋼・石灰を輸出している構図である。北朝鮮には魚介類以外に売るべき商品が殆どないし競争力も無いのである。経済改革や開放による経済発展を期するならば、農業法・商業法・会計法・財政法・投資銀行法などの法整備がなされていなければならない。形式的な法整備は少しは進んでいるようだが、価格自由化を実施していないとか生産手段の所有を認めないとか経済特区を全て外国の援助でやっているなど、外資を利用した経済発展の方向はまだ定まっていない。建国以来の長年の援助体質で、経済事情を知らない事の弊害は抜きがたいところがある。

3、社会・文化

文学・映画の状況は、日本の大政翼賛会報国会みたいなところである。首領決死擁護精神が鼓舞され、「肉弾三勇士」が讃えられるような文学界である。何も取り上げていうことは無い。都市化されているのはショーウインドウの平壤市だけである。政府による都市インフラ整備は遅れており、住宅事情はお粗末である。住宅が国有では個人のマイホームという夢はまだ遠い。金日成時代には「無償治療制度」が謳われていたが、キム・ジョンイルの飢餓時代に崩壊しいまでは北朝鮮には保険医療制度はない。医療器具・薬は外国援助で成り立っている。WHOによると乳児死亡率は23人(1000人あたり)、5歳未満の乳幼児死亡率は48人(1000にんあたり)であった。保健衛生状況も極めて悪化しているといえる。資本主義思想の流入に対する文化関係刑法罰則は充実している。敵対放送受信禁止や携帯電話は国境付近では使用できない。そしてテレビは官営テレビしかないのは当然である。1日5時間の放送で、体制誇示宣伝に比重を置いている。とはいうもののドラマが20%を占めている。経済映画で成功例のマニュアルが宣伝されるなど少しづつ実利主義が導入されているようだ。女性に対する家父長制の支配状況はかない頑固に存在し、女性解放はまだ政治的修辞にすぎない。


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