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大津秀一著 「余命半年ー満ち足りた人生の終り方」 

  ソフト・バンク新書 (2009年2月)

「泣いても笑っても 同じ空」 ターミナルケアー(緩和医療)で安らかな人生の最後を

これはおふざけ本でも新宗教でもない。著者大津秀一氏は岐阜大学医学部卒業後、笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクターコースを終了し、京都のバプティスト病院ホスピスに3年半勤務し、2008年より渋谷松原アーバンクリニックで入院・往診を問わず終末期医療に携わっている新進気鋭の若い医師である。人間の避けられない死に寄り添う医師である。日本は世界一の長寿社会を謳歌しているが、年間110万人が死亡し、約1/3がガンで死亡し、死因第2位の心疾患とあわせて約半分がガンと心疾患で死亡している。生きているものは老いて死ぬという必然の運命のなかで、老化とガン化は同意味である。老いる前から老いることを、病気になる前から病気のことを、死に前から死ぬ事を考え、悲観的になるのではなくだからこそしっかり生きようと思ったらその人にはそれ相応の最期が約束されるのだ。ガン宣告において「余命半年」とはガンステージの終末期である。「そのときあなたはどうしますか。余命半年が丸々使えると思いますか」というのが著者の問いかけである。

1) 緩和医療とは何か

がん患者の苦痛症状は厳然としてある。人によりけりで程度はさまざまであるが、@痛み A全身倦怠感 B食欲不振 C便秘 D不眠 E呼吸困難 F吐き気・嘔吐 G歩行困難 H混乱・せん妄 I胸水・腹水・浮腫である。そのうち殆どのがん患者はA全身倦怠感 B食欲不振を訴える。@痛みは3/4ほどである。余命1ヶ月ほどからこれらの症状が急速に増加し、死の1週間前には移動、排便、食事、水分摂取、会話、応答が困難になる。だからそのまま経緯すれば余命半年はそのまま使えない状態になるのである。「安らかな」状態は苦痛に取って代わる。それを緩和する医療がホスピスの緩和ケアである。著者はより苦痛の少ない状態を維持するために必要な事を挙げる。
@病気の正しい理解
Aがん告知と終末期に対するコミュニケーション、家族とのコミュニケーション
B緩和治療を受けること
C望まない延命治療を拒否すること
では緩和医療とは何なのか簡単にいうと、
@主にガン患者の心身の苦痛を取り除く医療。だから命を延ばす治療ではない。ガンを撲滅する治療ではない。
A命は縮めないが、苦痛を取り除く。安楽死ではない。 B治療は薬を使用し、痛みをとる麻薬を使用するが命を縮じめたり「おかしく」する治療ではない。
C怪しい治療ではなく、科学的根拠のある治療である。
世界保健機構WHOの緩和ケアの定義は、「緩和ケアとは、治癒を目指した治療が有効ではなくなった患者に対する積極的な全人的ケアである。痛みやその他の症状のコントロール,精神的、社会的、そして霊的問題の解決が最も重要な課題である。緩和ケアの目標は患者とその家族にとって出来る限り可能な最高のQOL(生活の質)を実現する事である。末期だけでなく、もっと早い時期の患者に対しても治療と同時に適用すべき点がある」という。これまで制癌剤などで治療をして治癒の見込みがなくなった患者に対して、突然治療を放棄してホスピスへ行きなさいという型が多かったが、これからの終末期治療のあり方は原因治療と緩和治療は同時並行的に施され、ガンの進行に合わせて緩和治療の比率が高くなる自然な移行が望まれる。緩和ケアが始まったのは1967年イギリスにおいてである。日本では1990年「緩和ケア病院入院料」が新設され、2009年1月で193施設、3770病床となったが、ガンで毎年亡くなる34万人に較べるとまだ入院できるのは100人に一人である。

緩和医療の3種の神器である医療用麻薬、ステロイド、鎮痛補助剤について効用・処方などを下の表にまとめる。

苦痛緩和のための薬剤処方
薬剤分類薬品成分。商品名薬の効用処方の要点など副作用
医療用麻薬モルヒネなど
オピオイド
貼付モルヒネ
ヂュロテップバッチ
我慢できない終末期の痛みをとる経口投与
時間を決めて規則的服用
三段階の除通段階
(非麻薬性鎮痛剤→弱オピオイド→強オピオイド)
患者の程度に合わせた個別的投与(5mg-1000mg)
副作用などきめ細かな対処を
便秘
嘔吐
ステロイドリンデロン
デカドロン
抗炎症作用
食欲不振・全身倦怠感
嘔吐
脳圧亢進・脊髄神経圧迫
骨転移通
腫瘍熱・腸閉塞
リンパ管症・腹膜炎
不眠の点から午後6時以降は投与しない
2ヶ月以内の投与では副作用はない
感染症・消化器出血
高血糖
口腔ガンジダ・皮下内出血
満月様顔・精神症
不眠
鎮痛補助剤鈍い痛みに抗鬱剤
鋭い痛みには抗痙攣剤
お腹のちくちくした痛みに抗不整脈剤
モルヒネの効かない痛み
神経の痛み
骨の痛み
腸の痛み
効用には個人差が大きい
試行錯誤的に決める
鎮静薬フェノバール
特効薬リタリンは使用禁止
全身倦怠感死の2日前から、眠らせて苦痛をとるもう話せなくなる


2) 病気中の心得

ガンの治療は最近進歩が著しいが、それでも終末期のガンに対して有効な治療が期待できない場合には、他の病院に任せざるを得ない場合がある。その場合に患者さんが次の病院が見つからずに路頭に迷うこともあるがこれを「ガン難民」というらしい。医学ですべての病気が治せるわけではないが、日本の死者の殆どは病院で亡くなっているである。自分の病気が根治不能の場合、最終的にどこに行くのかをしっかり前もって考えておかなければならない。一般病院か、自宅か、ホスピスかということになるが、緩和ケアを望むなら行き届いた緩和ケア−病院に入院するのが望ましい。がん治療先端病院では抗がん剤治療の進歩に伴いぎりぎりまで根治治療の臨む人は増えている。命のある限りガンと闘うという玉砕型生き方もあるが、あるところで「みきわめ」をして家族と話し合う時間の余裕を持つホスピス・緩和ケア−病院へゆくという考えも浸透し始めている。現状では一般病院の緩和治療のレベルは大きく異なるので最期の病院の選択は極めて重要である。最期を自宅で生活して往診してくれる医師に緩和ケアーを期待する場合には、終末期治療のスキルを持つ開業医は決して多くはないことも事実である。自宅で死ぬ事が理想だと世間では思っているが、介護する家族への負担や悪化した時の対応の不安、急変時に入院する病院探しも大変である。在宅医療は医者・患者・家族の三位一体の関係が重要である。今「セカンドオピニオン」という言葉が流行しているが、同じ大学病院系列や、同じ地域での医者を変えて意見を聞いても答えは同じである。医者同士が顔見知りで、紹介状や連絡を入れられると、第二の医者は滅多な事はいえないので、同じような答えになる。いっそ県を変えるとかしなければセカンドオピニオンにならない。医者の余命告知も最近の抗がん剤治療の進歩で随分改善されているの知らない医者もいるのだ。大腸がんの抗がん剤治療の平均生存期間は1年半以上である。余命半年という告知は信用しない方がいい。これで随分準備期間とやれる事が違ってくる。すい臓がんや肺がんなどの進行は早いが、甲状腺がんや前立腺ガンの進行は遅い。老年の前立腺ガンはそのままにしておいても老年で死ぬかガンで死ぬか同じレベルである(これを天寿ガンという)。ちゃんとしたホスピスは終末期を過すためには最高の入院施設であるが、待ち患者が多いためなかなか入れない。厚生省は生産的でない(治らない病気)無駄な事には金を使わない国是であるので、ホスピスは需要が高いのに増えないが現状なのだ。最期に名医を判定するコツは、患者の話をよく聞く医者とか、毎日1回は病床に顔を出す医者であるそうだ。

3) 終末期の心得

藁にもすがる終末期のがん患者を食い物にする、怪しげな民間療法、代替医療、標準的でない抗がん剤治療がある。そしてこれらは極めて高額の治療費を取る割には、治療効果がなく緩和ケアもお粗末で苦痛になまされる場合が多いらしい。患者がわにも「点滴信仰」があるようだ。治療のために抗がん剤を点滴で入れる場合ではなく、全身衰弱の改善のために栄養補給や水分補給の点滴をするのは毎日500ml以下としなければ、手足のむくみとなってしまう。そしてそれも効果はない。求められるのは本当のことを無用の不安を与えることなくどう伝えるかという医療スタッフとの心の対話にある。臨死期のがん患者は緩和ケアで穏かな時期もあるが、いつ急変する(顛末を迎える)か分らないのである。この穏かに時にこそ、一緒にいる事や家族との会話が必要とされる。「何もできなくてもいい、一緒にいればいい」ということが家族にとって肝要なことである。緩和治療の効果は死の1、2週間前までは良好に維持されるが、残りが数週間になった時、痛みより全身倦怠感が発生する。ステロイドがよく効くのだが、1、2週間前にはその効果も低下する。その時には輸液を適時減らしてむくみを取ることが命を延ばす事につながる。勿論歩けなくなり、嚥下作用も困難になり喉を詰まらせやすい。この時期ではもはや現状では緩和治療はあまり有効ではなくなる。残りの日が数日に迫った時、患者には「せん妄」(混乱)という、幻覚や挙動不審が起きる。ちゃんとした会話はできない。こうなると意識を下げるつまり「鎮静剤」投与になる。鎮静によってこん睡状態になるのだが、聴覚は残っているので優しく話しかけることが必要であるという。家族は患者の意識がはっきりとしていて会話が出来るのは1週間前までと覚悟しておく事である。

4) 死の心得

哺乳類のなかで人間だけは寿命の限界が飛びぬけて長くなった。統計的には人間は75歳が寿命であるが、医学の進歩で今や80歳を越えている。人という動物がなぜ生きるかというと、動物的には生をもらった目的は「生殖により子孫を残すため」である。鮭や蝉のような昆虫などは生殖をすれば直ぐに死ぬ。それで生きる目的を全うしたからだ。細胞学では生殖細胞と栄養細胞があって、子作りの後は栄養細胞だけが長生きしている事になる。それでも遺伝子に仕組まれた寿命切符を切ってゆくことで最期は死ぬのである。親から生命を貰って子供という生命を残すことが、人の人生だ。日本人には「東洋的無」とインド仏教的輪廻が結びついた「死んだら無になる」という思想が定着している。宗教心はあったほうが死に対する恐怖心は少ないといわれる。「千の風になって」のように、死んだら元素に分解されて風に漂うという素敵な発想も生まれた。そしてその元素が又何かに凝縮して生命になると考えたらもっと素敵な輪廻になるのではないか。もうこうなると個人の空想に過ぎないのであるが、ニヒルよりはロマンチックなほうがいい。最期まで楽しく生きようよ!私の心がすべてを救う。


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