佐和隆光氏の著わした環境問題関係の岩波新書はよく読んできた。佐和隆光教授のプロフィールを見ておこう。1942年奈良県高野山の生まれで、1965年東大経済学部卒業、専攻は統計学、環境経済学である。京都大学経済研究所助教授を経て、現在は立命館大学政策科学科教授で、京都大学経済研究所特任教授である。佐和教授の問題意識は20世紀型の文明(大量生産、大量消費、経済至上主義)に代わる21世紀型文明の構想と、地球温暖化防止対策の経済影響の評価にある。環境問題が人の経済活動の結果であるため、その解決には純粋に科学技術の変革のみでは不充分で同時に経済構造の変革が求められる。佐和教授は中央環境審議会において、「環境税」、「排出権取引について」の意見具申をされたが、COP3京都会議の政府案作成過程ではほとんど一顧だにされなかったという。本書のレビューに入る前に佐和隆光教授が著わした環境経済学関係の岩波新書二冊の書評ノートを下に示す。また環境経済学では環境税(炭素税)が必ず話題になる。日本では経済界の反対で環境税は実施されていないが、石 弘光著 「環境税とは何か」岩波新書(1999年) が参考となるので参照していただきたい。
1) 佐和隆光著 「地球温暖化を防ぐ」−20世紀型経済システムの転換− 岩波新書 (1997年11月)
本書は国連気候変動枠組み条約COP3京都会議(1997年12月)を照準とした政策提案書である。炭酸ガス排出量の増加は20世紀の技術革新による人類の生産活動(国内総生産GDPで表される)の増加の結果である。炭酸ガス排出量の各国の比率は米国22%、中国13%、ロシア7%、日本5%などである。また我国の排出部門比率はエネルギー部門6.8%、産業部門40%、輸送部門21%、業務ビル9%、家庭13%などである。1995年度における1990年度に対する炭酸ガス排出量の増加率はエネルギー部門7%、産業部門0%、輸送部門16%、業務ビル15%、家庭16%などとなっている。 1992年リオデジャネイロ地球サミットにおいて気候変動枠組み条約が協議され2000年までに1990年の炭酸ガス排出量に戻すことが決められたが現状は増加の一途にある。エネルギー需給と技術的対応からは部門排出比率の高い産業部門、運送部門、民政部門の省エネルギー策と自主的取り組みに寄らざるを得ない。1996年「経団連環境アッピール」は環境倫理の高揚、環境負荷を下げる環境効率向上、自主的取り組み強化を謳ったがはたしてこれだけで十分なのだろうか。 佐和教授の提案の骨子は温暖化防止対策には規制的措置、経済的措置、自主的措置の3つの内、経済的措置(炭素税、排出権取引と協同実施)を主軸にして規制的措置で補う対策が望ましい姿であるとされる。経済的措置の具体的提案は本書に詳しい。しかしながら経済的措置は経済のブレーキになるとして産業界の反対が強く政策に織り込まれていない。いまだ環境庁で検討されているのみである。
2) 佐和隆光著 「市場主義の終焉」−日本経済をどうするか− 岩波新書(2000年10月)1980年代サッチャー、レーガン、中曽根に代表される自由主義者は規制を排してマテリアル主義(経済至上主義)を推し進めた。その結果東西冷戦の終結、バブル全盛時代となった。バブル崩壊後1990年代には日本をはじめ世界経済は恐慌には至らなかったが不況が長期化し、米国のみがポスト工業化社会(情報化技術開発、ソフト産業)に成功して一人勝ちとなった。日本型システムの停滞は土建政策の破綻に示されるようにポスト工業化の遅れによるものである。しかし欧州では所得格差拡大、能力主義の不公正、福祉システムの破壊であるアメリカ化を拒否し反市場主義と政府の適性管理を求める第3の道を模索中である。 日本のGDPは世界一になったとは言え、日本人の生活ははたして豊かになったであろうか。フランスの社会学者ジャン・ボードリヤールは日本の現実につぎのような疑問符をつけた。「日本と言う国が豊かなのは日本人が貧しいからではないか。個人が豊かでなければ国も豊かではないとする欧米的なモデルとは違うようだ。それは社会システムの前近代性、民主的基盤の脆弱、市民の発言能力不足によるのではなかろうか。」 日本経済再生の道は、市場主義改革の遂行(グローバル資本)による効率性を確保しつつ、それに伴う副作用の緩和をめざす「第3の道」改革による、公共性を重んじる公正な社会の実現を同時に目指さなければならない。経済は確かに不均衡に利を求める面は否定できない(貿易に顕著に示される)。しかし全世界が工業化したら生産過剰は必至で、どこに売れば良いのだろうか。
私にとって地球温暖化防止のための環境経済学的政策手法の勉強は実に10年ぶりである。地球温暖化問題の科学的な妥当性については諸説紛々で、専門家ではない私には真偽を見極めることは難しい。世界中が新たなセンタラルドグマを求めて、気候変動に関する政府間パネルICPCのいう温暖化モデルを全面的に使用するか、いやあれは先進国の石油戦略にすぎないという説もある。後者はいわゆる「環境異論」派であるが、日本で代表的な著書では、武田邦彦著 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか 2」 洋泉舎とか、地球科学者による反論丸山茂徳著 「科学者の9割は地球温暖化炭酸ガス犯人説はウソだと知っている」 宝島社新書が有名であるので、是非一読をお勧めする。本書は経済学者による著書であるため、地球温暖化ありきで論を進め、むしろグローバル経済危機を乗越えるためにグリーン資本主義(オバマ大統領のグリーン・ニューディールを歓迎し、それを経済再生の要にする)を主張するのである。先進国をいくら財政的に刺戟しても内需は起きないことは明白なので、後進国へ資本を融通して後進国の内需を巻き起し、先進国はその材料や部品を輸出するという経済の新しい流を提唱するものだ。ただ問題は先進国内の環境技術製品開発と後進国の内需拡大が論理的に整合性がないため、いまいち説得性に欠ける。多少乱暴な論点であるが、先進国の炭酸ガス排出削減目標(キャップ)を実現できないほど高く設定し(鳩山イニシャティヴもそれに相当)、クリーン開発メカニズムCDMによって、後進国の地球温暖化防止へ金が流れるようにすることで、限界削減費用の安い炭酸ガス排出削減効果が得られ、世界的に見て合理的である。グローバル経済危機解決策と同じように先進国から後進国への投資を増やすことが先進国の生きる道となるという論拠である。確かにこの論理は10年前にはなかった斬新なものだ。この論理の筋書きを詳細に辿ってみよう。
20世紀は石油の世紀といわれるように、世紀を燃料源として経済が発展した。20世紀が終ろうとする時、1997年12月161カ国の代表が京都国際会議場に集い、炭酸ガスを初めとする温暖化ガスの排出削減を先進国に義務付けた会議(COP3)であった。市場主義経済が全盛の折に、「義務付け」という規制を課す事は大きな反発を招き、市場原理主義の国アメリカと、開発途上国中国の二大温暖化ガス排出国は協定から離脱した。しかし炭酸ガスの排出量が「市場の力」で削減できるとは誰も期待できない。経済的措置(炭素税、排出枠取引、などの政策バッテリー)を政府が講じて、省エネルギー技術開発の誘導政策を取り、自由主義経済の下で地球温暖化を緩和する適切な対策の世紀の始まりを宣言する京都会議の意義は歴史的であった。市場原理主義者が引き起こした中東「対テロ」戦争と世界金融危機による大不況が20世紀始めに世界を襲った。その市場主義の終焉を告げたのが、2009年1月オバマ米国新大統領の誕生である。彼は「グリーンニューディール」政策を掲げ、気候変動の緩和策の推進を経済成長の原動力にしようとする画期的政策が打ち出した。
20世紀は自動車と石油が世界経済を牽引した。DGPの60%近くを占める個人消費支出は何らかの耐久消費財の普及によって増加する。1958年から1973年にかけての高度経済成長初期にはテレビ、冷蔵庫、洗濯機の家庭電化製品が普及し経済成長率は年10%の水準を示した。石油ショックを挟んで1974年から1990年のバブル崩壊まではカラーテレビ、クーラー、車が普及し経済成長率は年4.2%を維持した。平成不況以降の日本経済は、自動車普及率は90%で飽和し、重厚長大から軽薄短小商品に見られるように携帯電話、パソコン、DVDなどの小粒商品ばかりで、とても自動車のような経済牽引力はなく、経済成長率も年1%というレベルとなった。企業は開発途上国の需要をめざして海外移転をおこない、国内市場(内需)は寂れる一方で雇用も派遣の低賃金にたよる格差社会の出現となった。2006年にはじまった米国の住宅バブル崩壊によるサブプライムローン金融危機は、2008年秋より全世界に及び、先進国各国は金利引き下げと内需喚起を試みたが、その効果は無きに等しかった。耐久消費財がほぼ普及し尽くした先進諸国では公共投資の乗数効果(誘引効果)は、いまや乾いた雑巾を絞るようなもので今や微々たる物に過ぎなかった。今回の世界同時不況の特効薬は中国など開発途上国の内需喚起が成功したことであった。中国の家電製品や自動車に対する潜在的需要が誘い水で顕在化した。そしてそれは先進国への部品発注、輸入増加という現象となった。この経験はケインズ主義的財政金融政策を1国内のものではなく、グローバル・ケインズ主義政策が有効な対策である事を示している。なぜなら先進国ではケインズ政策は需要がないためもはや無効と化したが、他方発展途上国や新興国においては、まだまだ耐久消費財は普及しておらず潜在需要がある。不況対策の特効薬として先進国からの投資が途上国の内需を喚起し、それが先進国の輸出増加を誘うという「ブーメラン効果」が期待される。
これからの資本主義経済を牽引するのは、発展途上国における耐久消費財の着実な普及を促進するグローバルケインズ主義政策と、先進国におけるグリーンニュディール政策の組み合わせ(バッテリー)である。グローバルケインズ主義政策のインセンティブとして働くのが、京都議定書のクリーン開発メカニズムである。先進国に対しては厳しい排出削減義務を課し、国内対策だけでは達成困難なほど高い削減目標を与えると、発展途上国への投資(CDM)や、発展途上国が何らかの義務を負うなら共同実施(JI)により、発展途上国・新興国の技術開発投資を援助するのである。これはある意味でODAと同じである。そして先進国の投資は自国で削減するよりははるかに安くできるという意味で単位ガス排出抑制限界費用の低減となる。経済界はこの利点と仕組みに早く目覚める必要がある。いまだに「気候変動対策や環境税は経済成長を鈍化させ、国民生活への負担を増す」などという頑迷なことを言ってないで、グリーン資本主義を理解すべきである。そういう意味で新政権の鳩山首相が高い25%の削減目標を掲げた「鳩山イニシャティブ」の意義が明確に理解できるのである。
1) 京都議定書 環境の世紀の幕開け1997年12月1日−11日京都宝ヶ池国際会議場で気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)が開催された。日本代表は環境庁、通産省、外務省の3つの省庁の官僚のみからなる代表団で、政府の考えは何も示されていなかったため推進派の環境庁と慎重派の通産省の意見がまとまらずちぐはぐな提案を繰り返しては欧米から相手にされなかった。舞台裏では京都議定書の落しどころが議論され、京都議定書の内容について最後まで日本はツンボ桟敷におかれていた。ここでも日本の外交が世界から相手にされていないことがわかった。付属書T国の年間平均排出量を1990年の5%削減することに関しては、日本の目標6%削減達成について、森林シンク分3.7%に加えて自己削減努力を2.5%と踏んでいた。ここでも米国のアル・ゴア副大統領の行動は、自国は議会決定によりこの条約をボイコットすることを決めていたにもかかわらず、京都会議に参加している点が謎である。京都議定書では先進国間の削減目標の差異性ばかりが話題になるが、本当の京都会議の意義は京都メカニズム(排出枠取引、共同実施JI,クリーン開発メカニズムCDM)であった。
20世紀とは経済発展・成長の世紀だった。その理由は技術革新が相継いだことであり、先進国では家庭電化製品、乗用車の普及が限界まで進み、飛行機の運搬コストダウンで世界の流通とビジネス圏が短縮され、20世紀の最後にはデジタル製品も普及した。先進国の経済発展とあわせて、東南アジア、南アメリカ、中国・インドなどBRICS圏の工業化が著しく進展した。20世紀の工業化の波はアフリカとアラブを除いて工業国圏の生産力が世界の有効需要を上回った。東アジアでは中国の輸出力は周辺東アジア諸国の生産を圧迫し、利に目ざといヘッジファンドが一斉に東アジアから資金を移動してために1998年の東アジア通貨危機が発生したのである。日本も中国も輸出先は圧倒的にアメリカの過剰消費に依存しているが、違うところは中国には膨大な潜在的内需があり、日本はすでに内需を喚起することは出来ないことだ。20世紀は電力と石油の世紀であった。日本の電力構成は1950年代の水力中心・石炭火力従から1970年代には石油火力中心に移った。原油価格がバレル3ドルという安さだったからだ。それが2000年には原子力34%、天然ガス26%、石炭18%、石油11%、水力10%と変わった。こうして20世紀の石油の時代は終焉を迎えつつある。石油の可能採掘年数は約40年とされるので、石油枯渇は逼っている。石油価格がバレル200ドルとなれば、石油はエネルギー源ではなく、飛行機と化学工業製品にしか使えなくなるだろう。世界覇権国家アメリカにとって国内石油は戦争の貴重な資源として温存されている。石油会社は総合エネルギー会社としての再生にかけなければならない。21世紀は石油レスで生きてゆく世界の構築が課題である。21世紀の人類のキーワードは環境制約である。21世紀の日本は技術革新と近代化移転を経済のバネにすることである。20世紀の自動車産業ほど産業連環的波及効果の大きな産業はない。21世紀のデジタル技術産業は自動車に較べてあまりに波及効果は小さい。1990年代以降の経済成長率が1%に甘んじなければならなかった最大の理由である。
2007年は色々な意味で環境の節目となった。1992年のリオデジャネイロ国連環境開発会議UNCEDが「持続可能な開発」を掲げて15年目であり、京都議定書から10年目であり、アメリカのゴア元副大統領が「不都合な真実」を著わしてノーベル平和賞を受賞した年であった。そしてICPPが「第4次評価報告書」を公表し、過去100年で0.7℃気温が上昇したと発表した。2007年安倍首相は「2050年までに世界全体の50%を削減する必要がある」と発表した。アメリカの京都議定書離脱の時の論拠は、気候大変化が現れるのは炭酸ガス濃度が550ppmを越えた時期からであり、現時点での拙速な対策は高くつくということであった。アメリカの理屈が正しいか、それとも効果が現れるには時間がかかるので対策は早い方がいいというのか、政治(優先順位)の問題なのだろうか。投機マネーの参入によって、2007年からNY原油先物価格が上昇し始め、バレル40ドルが70ドルに達し、2088年6月には130ドル台という市場空前の高値をつけた。国際金融危機の影響を受けて原油価格は40ドルに急落した。投機マネーによる価格高騰は穀物価格にも及び、同じく金融危機で急落した。2010年1月現在でNY石油先物取引価格は再び上昇に転じ70ドルをつけている。投機筋の動きで石油先物取引価格は大きく変動するが、石油価格がじわじわと上昇することはファンダメンタルなことと考えなければならない。
現在ポスト京都議定書が国際的に議論されている。2006年時点での世界炭酸ガス排出量は273億トンであるが、国別に見るとアメリカと中国が約21%づつを占め、ロシアが5.7%、インドは4.6%、日本は4.5%、ドイツ3%である。京都議定書不参加国のアメリカと中国で40%以上の炭酸ガスを排出している。これでは京都議定書批准国が全て約束を守ったとしてもその効果は微々たるものにすぎず、実効性はないといっても言いすぎではない。発展途上国は1人あたりの炭酸ガス排出量は先進国に較べてまだ少ない点をとらえ、気温上昇の責任は挙げて先進国にあり、途上国は排出削減の制約は受けないと、ポスト京都議定書のあらたな枠組み協議にはボイコットの姿勢を崩さない。2008年の洞爺湖サミットでは「2050年までに世界全体の排出量を半減する」ということはG8国だけで共有されたものの、全締結国でははなから拒否されたままであった。見るべき点は産業分野別のセクター目標を立てようとするアプローチが提唱されたことである。日本について言えば、排出量の内訳は(2007年度)産業部門が36%、運輸部門が13%、業務部門が18%、家庭部門が21%、電力部門が6%などである。そして2007年度の総排出量は90年比で9%増加しており、2008年から2012年のかけて6%削減(合計14%削減)は全く不可能といわざるを得ない。森林シンク3.8%を引いても11%の削減はCDMで賄うには非常に困難である。原子力発電を欧州では見込まない約束だとしているので、日本の京都議定書約束目標達成はいよいよもって困難な状況にある。
2) グローバル経済危機と政権交代2008年9月から始まったアメリカの金融危機については、水野和夫著 「金融大崩壊」を、サブプライムローン問題については春山昇華著 「サブプライム問題とは何か」、春山昇華著 「サブプライム後に何が起きているのか」を参考していただきい。まさにアメリカのサブプライムローン問題は日本のバブルと同じ性質の住宅バブルであった。住宅価格は上がり続けるという神話の上に立つ金融手法であった。ローン貸付金が証券化され、トリプルAの格付けを得て、欧州の貸付信託など世界中に紛れ込ませた(リスクの分散)ことが、世界金融危機を招いたのである。その過程で様々な金融工学的手法を発明したところがいかにもアメリカ人の頭のいいところかもしれないが、世界中がそれで迷惑を被った。金融危機は証券や銀行や信用保証会社の倒産だけにとどまらず、信用不安から需要が縮小し自動車産業のGMとクライスラーの倒産に及んだ。アメリカの自動車需要の縮小はアメリカに進出している日本の自動車産業の赤字転落となった。それは日本全体の実物経済の落ち込みとなり、実質経済成長率は2008年度の四半期ごとで、マイナス2.8%、5.1%、12.8%となり、2009年1−3月ではマイナス12.4%となり、4−6月にはプラス2.3%に転じたが、欧米に較べても日本の低落ぶりは深刻であった。
2009年1月オバマ氏がアメリカ大統領に就任した。オバマ大統領の目指すところはブッシュ前大統領の路線を180度転換することである。経済不況を打破するため当面の財政発動を続けるだけでなく、「グリーンニュディール」政策を打ち出した。オバマ政権の目指すところは、砂田一郎著 「オバマは何を変えるか」(岩波新書2009年10月)に詳しいので参照してください。2009年9月日本でも自公政権を大差で破って、初めて民主党政権が誕生した。その政権の目指すところは、管直人著 「大臣」増補版(岩波新書 2010年1月)に詳しいので参照してください。その政権交代劇に伴う気候変動問題に関するところだけをレビューしたい。
2009年6月麻生首相は温室効果ガス排出削減移管する中期目標(2020年)の総理見解を発表した。それによると基準年度を2005年として、基準年度に対して15%削減するというものであった。安倍首相の長期目標に較べてもなんと非常識な目標の骨抜きで、この方針をボンで行われていたCOP作業部会で発表すると、世界中の関係者から失笑を買い、NGOからブッシュの再来と称せられて「特別化石賞」を贈られる始末であった。自民党政権では経済界の意向通リに、90年に較べてすでに排出量が7.7%増加していた2005年度を恣意的に選び、15%削減ということは実質90年度に較べて差し引き7%の削減に過ぎず、これでは京都議定書の6%削減目標を再度中期目標と言い換えているに過ぎなかった。政界業界の常識は世界の非常識であった。環境税などの経済措置がいかに国民に負担を増すかという脅かしを、尤もらしく計量経済学のシュミレーションで装っているが、計算のブラックボックスのデフォルト値をいじくったり、都合のいいパラメータの恣意的変更によって、結果をみながら恐らく何回も計算をやりなして捏造してきたシュミレーションであろう。新橋あたりのシンクタンクを使えば、いとも簡単に依頼主のご意向に合う結果をはじき出してくれるのである。
2009年9月鳩山内閣は「2020年の温室効果ガスの排出量を90年度比25%削減する」という中期目標「鳩山イニシャティブ」を発表した。では鳩山イニシャティブは荒唐無稽なほど高い目標なのだろうか。2020年までに日本の人口と高齢化は進み、人口は2%減少し、高齢化率は30%になる。こうして自然減の削減は5%であると計算される。それにエコ製品の普及促進政策が進められている。電気自動車EVとハイブリッド車による自動車の低燃費化は著しく向上するであろう。自然エネルギー(再生可能エネルギー)利用により、電力買取制度による太陽光発電システムの普及は進むであろうが、今の時点ではとてもペイするものではないので、環境税の導入が不可避となるだろう。
著者は人類の生存を脅かす9つの危機を挙げる。聞きなれたリスクであるが列記すると
@テロと国際紛争
現在のイスラム国のテロについて面白い見解を示す。グローバル市場経済から取り残された非産油アラブ諸国とアフリカ諸国で、追い詰められた原理主義者がテロを起こすというのだが、経済研究者の見解はどこか的外れなので軽く聞き流しておこう。
A気候変動による被害の頻発
気候変動の被害については毎日テレビで話されているが、どこまでが真実予想されることなのか、セントラルドグマとして枕言葉のように話されるだけなのかよく分らない。実生活に実感の持てる被害は少なくとも日本にはないのではないか。気温が2℃上がって、作物が増収となるのか、干ばつで飢饉が起きるのか、地球上で2℃ぐらいの気温差はどこにもある。北緯10度くらいの差ではないか。恐怖を煽るシナリオだけが強調されているように私には思える。
B原油価格の高騰
いずれ石油価格の上昇は、燃料転換と交通システムの変換をもたらすだろう。今のうちに技術革新が必要である事は人類の課題である。
C再生可能エネルギーの活用(不安定エネルギーの制御)
再生可能エネルギーの使用が、エネルギー供給システムの不安定をもたらすことである。太陽光発電の余剰電力の買取が、電気料金の大幅値上げとなり、送配電網の不安定さを増すのである。そして電力会社の地域独占特権が破られるため、電力会社は電力使用者への負担を求め、また限界費用の高い原子力発電への意欲をなくするのである。
D穀物価格の急騰
投機マネーの乱入により、穀物相場が動いていることは昔からあったことだが、今回はバイオエタノールへの期待が高まって、穀物価格の急騰を招いた。40%程度の日本の食糧自給を見直すべき時かもしれない。
E公衆衛生の危機
鳥インフルエンザ、ブタインフルエンザ(H1N1)のパンデミック恐怖が先行し、空港検疫騒動を招いた。国民へ正確な情報公開が求められる。
F国際金融危機
金融市場への規制強化は金融商品のローリスク・ローリターンに限定することになりかねない。海外の投資家が日本から逃げてゆく現状をどうすればいいのだろうか。
G世界同時不況
世界の人口の5分の1を占める中国市場の旺盛な需要、個人消費支出と民間設備投資、住宅投資、公共投資以外には先進国の生きる道はない。
H雇用問題
日本の完全失業率の定義は「過去1週間にハローワークで就職活動をしている人」であるため、米国では「過去4週間」の完全失業率よりも低く出る傾向にある。日本の完全失業率5%、アメリカ10%という数値はそのまま受け取れない。日本の失業者はもっと多いかもしれない。
「成長の限界」がいわれてから久しいが、日本の経済界は「地球温暖化防止のための環境税は経済成長を鈍化させる」といって頑迷に反対する。まだまだ日本は発展途上国であると思っているのだろうか。すでに内需(国内市場)では新たに投入する製品もない。成長の中味を見直す時期に来ている。今、経済成長のパラダイムシフトが求められている。枯渇性資源を浪費する経済成長から、循環型の経済成長(サステイナブル持続可能な)へ移行することが求められる。地球環境の保全を第一義とする「新しい経済システム」こそが、投資機会を拡げてくれるのである。ICPPは地球温暖化による被害を救うための「適応基金」を、先進国から途上国へのCDM投資分の2%を積み立てることを先進国に求めた。米国オバマ大統領は再生可能エネルギーの利用技術の革新と気候変動への取り組みを確約した。これによって今後10年間に約500万人のグリーンカラーワーカーズを創出するという。日本の自動車保有率は1991年に80%に達したが、2008年まで80%台にとどまっている。実質経済成長率も1991年から20年間ずっと1%であった。日本は20世紀末より停滞の時代に入ったのである。デジタル関連製品の経済成長効果は少なく、エコ環境関連の財・サービスぐらいしか耐久消費財は考えられない。
ところがエコ製品の世帯普及率は目下いずれも1%以下に過ぎない。太陽光発電の出力は住宅の屋根に取り付ける場合3−3.5KW程度である。標準的家庭で使用する電力量の6分の1である。設置費用は225万ぐらいで、補助金は21万円(kW7あたり7万円)であるため、当然投資額に対する電力節約で見ると償却は不可能である。一戸建て住宅での設置率は1.7%である。余剰電力の買取リ制度(もしあまればの話)は日本では、電力料金の2倍で設置後10年間であるので強力なインセンティブにはならない。一般電力料金にその買取額を上乗せするというのは、設置していない人からすると許せない制度であろう。定置型燃料電池の価格は346万円で光熱費節約額は年間五万円程度で採算の取れる次元の話ではない。120万円ほどの補助金がでるが。電気自動車EVアミーブ(三菱自動車)の価格は438万円、補助金が139万円つくとしても、非力な車にして高級車なみの価格では普及しない。未だ普及を云々できる技術段階でない製品に膨大な補助金をつけるというのはこれをインセンティブ誘導というのだろうか。このように期待されるエコ製品は今のところ取るに足らない段階であるが、将来への投資にはなるだろう。ただ石油ショック以来自然エネルギーの技術開発は40年ほど続いてきたが、自然エネルギーの利用率は全エネルギー消費量の数%に過ぎず、はたして前途を期待できるものなのか心配である。
市場に委ねておいて炭酸ガス排出削減が達成できるとは思えない。規制措置と経済措置の組み合わせで達成することが有効であろう。化石燃料に課す環境税は1990年代に北欧3国、北西ヨーロッパ5国で実施された。1999年にはドイツ、イタリアで、2001年に英国で、2008年にスイスで導入された。環境税を赤字財政に使うだけなら、確かに国民負担が増えるだけである。環境税は長期的に消費行動を省資源的なものに誘導することである。それが新たな投資を生むことで経済に資することが期待されるのでる。日本のエネルギー税制は暫定税率分が道路建設に特定化されていることが問題なのである。それを一般財政化して、環境税に代替することが求められている。日本のガソリン税はアメリカに比べれば高いかもしれないが、欧州に較べると断然安いのだ。税制上の課題としてどこで課税するかで、上流または下流方式が議論されている。企業の分野別炭酸ガス排出削減自主努力に排出枠取引や環境税は援護射撃をしてくれるのである。
経済のグローバリゼーションはそろそろ曲がり角に入った。このままグローバリゼーションが続くと大変な「悪夢のシナリオ」が待ち構えているである。2030年に原油価格がバレル200ドルを突破するなら、どのような事態が起きるのだろうか。乗用車は電気自動車に置き換わり、トラックやバスも電気か天然ガス、バイオ燃料で動くだろう。飛行機だけは高価格のジェット燃料を使い続ける。安定な代替燃料がないからだ。ビジネスや観光旅行は極力制限され、世界は遠くなる。輸送価格は大幅値上がりとなり、輸出入は大きなハンディをつけられる。域内貿易しか考えられない。人と物にたいする移動コストの大幅アップによって、グローバリゼーションはストップする。情報だけは世界を駆け巡るが、人と物は移動できないのである。すると日本の食糧は自分で作らざるを得ないため、食糧自給率は上がらざるを得ないという付録がつく。トウモロコシからバイオ燃料というような、食糧が不足しているにもかかわらず、食糧以外に利用することは到底出来なくなり、セルロース系バイオエタノールの実用化が必須となる。
アメリカの過剰消費に頼っていた世界の産業は今回の世界大不況で中国の内需に活路を見出した。先進国から途上国へ投資して、途上国の内需喚起に期待するというグローバルケインズ主義が主流になりつつある。ポストODAである。その先進国から途上国への資金の流れは、ポスト京都議定書の有効な資金メカニズムを生み出すであろう。そのためには先進国には高い炭素削減源目標を課す。そうすれば共同実施かクリーン開発CDMに向かわざるを得ない。そうすると資金は途上国に流れ、途上国の需要を喚起する。そこへ先進国は技術や商品を輸出するのである。これをブーメラン効果かという。先進国は何でもかんでも作るのではなく、欧州のように域内分業を志し、日本のような工業国は得意な省エネ機器やハイテク機器に軸足を置いてポスト工業化を図るのである。シンガポールのような医療立国もあっていい。特色ある国つくりが求められる。