090106

 「水戦争の世紀」
モード・バーロウ、トニー・クラーク著  鈴木主税訳
 集英社新書(2003年11月)

水資源は共有財産であって商品ではない。グローバル水企業に売り渡してはならない。

なんやら、恐ろしい題名である。西欧人はこんな話題が好きなのかなと軽く考えていると、今回の金融恐慌とおなじように又手ひどい策略に引っかかる。とにかく西欧人は悪賢い奴らが多くて、生き馬の血を抜く連中ばかりだから、彼らのやり口には気をつけなければいけない。というような新年早々いやな気持ちにさせる本である。地球温暖化問題と同じように、どの企業勢力が企んでいるグローバル環境問題かということを慎重に考えておかないと、彼らの深慮遠謀に手もなく引っかかってしまうのが日本人の哀れな単細胞人種のなせるところである。水道政策については、日本では伝統的に地方自治体の専行事業と決まっていた。下水道事業は最近まで国の建設省事業(いまは地方自治体に移管されている)、水源地確保も国の事業であった。幸いなるかな、本書がいうような外国コングロマリット水企業が水道権を買いまくるという事態は経験していない。しかし小泉政権が郵政事業を民営化し、その預貯金や保険金や年金を海外の金融資本に解放したように(2008年秋の金融危機でどれほどの評価損を蒙ったか発表が恐ろしい。数十兆円の国民の虎の子が消え去ったのだから)、いつ何時に第2、第3の小泉政権が現れて、水道事業を民営化するかもしれない。かって「おいしい水」審議会で悠長なおしゃべりをしていた時代が夢のような時代にならないように、いまから「民営化」是か非かの議論をしっかりしておく必要がある。

「官から民へ」という錦の御旗はいつも「官の非効率・民の効率的資源配置」という。そしてやってくるのは民営後の「値上げ」であり、質の低下である。本来同一品質をめぐって複数企業が競争するから、民営の効率性が現れるのである。電気・都市ガス・電信電話そして水道・下水事業は民営化しても競争はありえない。パイプラインの線は1本であるからだ。従って事業法による強力な規制を要する業種である。値上げも簡単にはできないなど国会承認事項が多く、電気・都市ガス・電信電話事業が問題なくやってこれたのは事業法のお陰である。そしてもうひとつ日本が水争いに巻き込まれた経験がなかったのは、日本は島国であって、国境が海であると云うことが第1の理由、温潤な気候で雨がよく降り水資源に恵まれている事が第2の理由である。水に関しては日本に水利権の熾烈な争いや干ばつによる国土の乾燥化がなかったことは恵まれた歴史的地理的条件である。だから本書に書かれていることは、他人事にしか聞こえないというのもやむをえない。

人口大爆発にともなって逼り来るグローバルな淡水危機は地球の存続に関る重要問題である。しかしグローバル資本の魔の手は石油から水まで支配しようとしている事実は認識しなければならない。自国の水事業も自国の資本がなくて出来ない後進国に金融支援と引き換えに水利権の売りしを要求するという手口で迫ってきた。水がなければ人は生活できないので、井戸を掘ってやると言われて、井戸の管理権を外国資本に売り渡す後進国政府(中南米やアフリカ諸国)のだらしなさと無智を笑うわけには行かない。その国際的手口や機構を知らないと国まで乗っ取られるのである。1989年東欧と1991年ソ連邦の崩壊は、資本主義の一極支配を生み、全世界・全人類にとって、あたかも自由主義経済以外に選択肢はないとする経済モデル「ワシントンコンセンサス」が生まれた。このコンセンサスはコモンズ(共有財産)の商品化である。小さい政府どころか各国政府を無視して、あやゆる社会事業や天然資源を國際資本の自由市場に供するものである。国は資本の前に丸裸にされた。水の私有化と商品化が提唱された。水といえど人の基本的権利ではなく、市場で決済させようというものだ。資本は人の権利さえ奪いつくす。最初は融資ではじまり、いうことを聞かなければ政変または爆撃で政府は転覆させられ、銃口のまえで条約に調印する傀儡政権が作られる。これが金融資本の第三国に対するいつものやり口である。

2000年3月第2回「世界水フォーラム」がオランダのハーグで開催され(2003年には第3回世界水フォーラムが日本の滋賀・京都・大阪で行われた)、水資源開発を民間の手でというきれいごとではじまり、同時並行で行われた閣僚級国際会議の140ヶ国余の各国政府代表は反対の声も上げなかった。その結果多国籍水企業は第3世界の公営水道事業(いずれも赤字)を買いあさってきた。まるで倒産企業のM&Aのように。北米自由貿易協定NAFTAや米州自由貿易協定FTAA、世界貿易機関WTOなどの貿易協定を結んで、自国の上下水道の事業権を金に変えてしまう第3世界の政府が後を絶たない。これらの貿易協定は水といえども貿易上の制約を一切認めようとしないからである。日本も農業政策で随分後退した経験がある。日本農業は米・近郊野菜を除いて殆ど壊滅したといえる。中国産の農作物があまりにお粗末なので一部生産されているものもあるが、生産者が激減したので立ち直れない。ここで私達は立ち止まって考えなければならない。川や地下水(日本の地下水は殆どくみ上げ禁止状態)の水利権が多国籍企業に買われてしまったのでは、農業も工業も生活も意のままに支配され、政府はオフリミットなら誰が国民生活を守るのか。資本の前に無防備な丸裸の私たちはどうしたらいいのだろうか。ひとごとではなくこの問題を考えてみよう。

著者のモード・バーロウ氏はカナダの政治活動家で、NGO「カナダ人評議会」の議長である。グローバル経済の民主的コントロールをめざす世界的ネットワーク「グローバリゼーション国際フォーラム」の理事である。トニー・クラーク氏もこのネットワークで活躍しているらしい。この本を読むと、環境問題という観点よりは、経済問題でもない反グローバリズムという政治運動が趣旨のようだ。グローバル資本が世界の水に利潤を求めだしている事への警鐘である。経済活動が水を対象にしていけないことかどうかは、私には結論が出ない。農業や工業が水を利用して商品・サービスを生み出している以上、水は経済財であらざるを得ない。原価計算しているからだ。しかし命を繋ぐ飲料水はどうか。水道水質の悪化で都市部ではボトルでミネラルウォーターを買っている人は多い。エネルギーの必需品である石油が先物取引でヘッジファンドの投機対象となり暴騰し世界中が苦しんだのはつい最近のことである。飲料水が投機対象になっていないのは今は幸いだ。たしかに資本は既に政治家や政府を超えている。グローバル資本が政治を意のままに操って、世界を単一市場(単一経済システム)にすることで、利潤を最大化する時代が21世紀に始まった新しい経済体制かもしれない。9.11からイラク戦争、証券化による金融取引、石油や穀物先物取引などにグローバル資本のやり方が如実に現れている。ソ連邦崩壊の一つの結論が世界金融資本の単一支配完了ということである。しかし2008年秋には、その支配がもともと略奪性が本質にあって持続性がなく一気に崩壊した。ブッシュUのようにあまりに小児的な利潤剥奪のため脆くも短時間で馬脚を出てしまったが、オバマが打ち出すもうひとつの選択肢とはどのような世界なのか。今後の経済・政治の動きから目が離せない。この本は2002年に発行され、訳本が出たのが2003年であるから、多少古い内容となっている。世界大不況の今日ではどのような状況なのか勉強しなければならない。

第1部:淡水資源の危機

水は誰が使っているのだろうか。渇水期の夏、ダムでは取水制限が加えられたりしているのに、河川の水はとうとうと流れている。おかしいなと思って調べたら、なんと農業用水の権利が65%から70%、工業産業用が20%から25%もあり、家庭と地域社会が使用する水は10%以下である。農水省と経産省と国土交通省が取り決めているのである。日本では水に恵まれているので深刻ではないが、隣の中国では猛烈な国土の砂漠化が進行しており、森林伐採と人口増加、経済発展で水の一滴まで利用されつくして、黄河は1972年以降海まで届かない日(断流日数)が毎年増えており、1997年では226日となった。地球の乾燥化という気候変動は地球の長い歴史では何度か起きており、その度に文明は甚大な影響を受けた。気候変動の原因はよくは分からない。太陽の活動、マントル流の変動、地殻移動、自転軸の変動、磁場、宇宙線の来襲、海流の変動、そして今はやりの「地球温暖化」など諸説紛々で、数書読んでも分らない。

多くの第3世界の国では、援助によるポンプ灌漑で飛躍的に人口が増えた。緑の革命ともてはやされたのだが、地下水脈の枯渇、地下水汚染の進行、地盤低下が行く手を阻み、中近東では膨大な帯水層を灌漑しているが自然補充率を大きく上回っているのでいずれ枯渇するだろう。水がなくなれば人間だけでなく、生物種の絶滅が急速に進行する。世界最大の水タンクといわれる北米五大湖の化学物質汚染は著しく、大阪のどぶ川以下である。水位の低下も著しい。ラムサール条約でうたわれた湿地帯の保護はスポンジ機能がなくなるほど劣化している。アマゾンの森林破壊、アラル海の水位低下も深刻である。水源資源の損失に輪をかけているのが、各国政府における人種問題、地域問題による水配分の不公平である。南アフリカの人種間の不公平は有名である。中国では黄河に見切りをつけた政府の長江の三峡ダム建設による移住難民問題である。人権のない国民はいつもどこでも哀れである。農民同士の水紛争が政治問題までなっている。

世界の人口の40%は多国間で共有する河川水系に属している。インド、バングラディシュ、インドネシア、シリア、イラク、チェコ、ハンガリー、メキシコなど挙げだしたら切りがないが国際紛争になった例も多い。水不足にいつも悩まされているところでは、水はビジネスになると考え利益を目的とする水取引が始まった。カルフォニアで1992年農家が水利権を売る法案が通過した。これによって買いだめをして「渇水銀行」に貯金をし、渇水期に売り逃げして儲けた人もいるが多くの農民は井戸が枯れた。1997年コロラド河の水市場を開放計画を発表した。水が投機の対象になるとは、石油の先物投機と同じで末がおそろしい。水不足が常態化している第3世界諸国では、水道事業の民営化を条件として世銀やIMFは債務返済の繰延べを約束しているが、これにも恐ろしい罠が待ち受けているのである。

第2部:グローバル水企業の策略

この本の趣旨は第2部に集約されている。2000年3月のハーグの「第2回世界水フォーラム」が高らかに「水はニーズである」と宣言したことは先に述べた。このフォーラムには140カ国以上の閣僚級代表が参加する国連の公式の世界大会のような印象を与えたが、じつはこの会議を招集したのは「グローバル水環境パートナーシップ」という企業・銀行であった。かれらがスポンサーで金を出していた。議論の焦点も世界市場で水を売る際の利益に関することであった。議論を持ち出し仕切った主役は世界水企業数社のブレーンであった。こうしてコモンズ共有財産から水を引き剥がす事に成功した。人類の生存権の否定にも繋がりかねない。水が商品であれば、市場において価格が決定され、適正?な資源の配分が行われる(支払い能力によって水を得られない人も出てくる)。

資本主義においてよく言われること言葉は「外部化」であり、「共有地の悲劇」である。いま経済システムの及ばないところを「外部」といい、そこを資本は徹底的に利用し尽す「共有地の悲劇または草刈場」と化す。自然はまさに共有地であって、天然資源などいつしかただで刈り取られていった。勿論誰に金を払っていいのか不明であったからだ。山ノ神がいれば話は簡単なのだが。残るは水と空気しか残っていない。宇宙空間では空気も水も商品だろうが、地球では水は偏在している。差異こそが利益の根源とは岩井克人氏(「資本主義を語る」)の言葉である。右から左へ持ってゆくだけで金になるということは利敏い人なら直ぐにわかる。ただ大量に持って行くのが大変なのである。江戸時代には水売り商人もいた。インドでは水は神聖を持つといわれる。穢れを洗い流すのだ。水に限らず自然や生命さえも商品化するのが、グローバル企業の際立った特徴である。まさに荒人神である。最期の聖地であったフロンティアも次々に侵されグローバル資本主義は拡大した。いまや種子はもちろんヒトの遺伝子情報の利用も商品である。

多くの国の自治体政府が管轄する水道事業の公共事業が営利目的の外資系企業に乗っ取られている。水道事業の民営化は日本ではまだ聞かないが、将来のため手口は知っておかないといけない。水道事業の民営化には三つのモデルがある。第1は自治体が上下水道処理システムを企業にそっくり売却する。第2はフランスの官民パートナーシップPPPにおいて、自治体が水道企業に事業権を売却・リースする。企業は水道料金を徴収しシステムの整備運営費を引いて利益とする。第3は企業は管理費をもらうだけで料金の徴収はできない、管理請負業のようなものである。自治体は漏水などインフラ整備費用に困り、財政問題の解決策として水道事業の民営化を急いでいるようだ。企業にはさまざまな特典が与えられている。税金控除期間、経営補助金、融資保証、そして利潤保証まである。そしていまやグローバル資本の力は一国の政府を圧倒しているのである。国際競争力の前には環境規制などなきに等しい扱いを受け、規制は「不公正な貿易障壁」だとして脅かされるのである。

1993年アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの水道はぼろぼろで、そこに目をつけた世界最大手の二社、スエズとビベンディの率いるコンソーシアムは、30年間の上下水道事業の民営化契約を行った。水道料金は企業側の総合コスト指数が7%を越せば値上げをしてもいいことになっており、度々の値上げが行われ、企業側は総収入の20%以上の利益を確保したといわれる。民間企業の水道事業は世界人口のまだ5%以下であるが、関係者は「青い黄金」と市場の将来性に期待をかけている。現在この事業を支配する世界10社の企業群は大きく3つに分類される。第1グループは 巨大コングロマリット2社で、フランスのビベンディ・ユニバーサル社とスエズ社である。この2社の歴史は古く世界水市場の70%以上を支配している。第2グループは中堅どころの4社で、ブイグ・サウル(フランス)、RWE(ドイツ)、ベクテル(アメリカ)、エンロン(アメリカ)である。第3グループは小規模の水専業企業4社で、イギリスの3社、セバーン・トレント、イギリス水道、ケルダとアメリカのアメリカン・ウォーターワークスである。第1、第2グループの企業は電気・ガス・石油、建設、上下水道、水処理、海水淡水化事業を持つマルチユーティルティープロバイダーといわれる企業群である。本書には各社の歴史が書いてあるが、煩雑なのと興味がないので省略する。開発途上国でこれらの水企業がやってきた事業には数々の大失敗がある。経費削減のための従業員大量解雇と水道料金の値上げ、安全衛生基準違反、環境法違反事件、契約をめぐる政府高官への贈収賄事件といういつものお決まりのやり方で利潤の最大化を追求してきた。2010年までに世界水輸出機構WWET(水のOPEC)が結成されるのでないかという期待は、国際間の水輸送システムの技術課題(パイプライン、スーパータンカー、大運河、ウォーターバッグ計画、ペットミネラルウォーター、純粋精製計画など)や淡水資源地の選定(バイカル湖、タンガニーカ湖、スペリオル湖など28淡水湖)などの進行を背景にしているが、まだ実現したとは聞かない。

これら世界的な水企業は国際貿易条約と世界金融機関とのグローバルな結びつきを深めている。グローバル資本の智慧者の常套手段、特に開発途上国の資金不足に付け込んで商売を有利に展開する搦め手口は明らかにしておくべきである。1998年世界銀行はボリビア政府に、コンチャバ市が公営水道を民営化した経費を企業ではなく消費者に負担させないと再融資は出来ないと脅しをかけた。民間企業の独占権と、新しい価格設定を行うこと(値上げ)、経費を米ドル建てに、世銀の借入金を貧困者への水道料金補助金に廻さないよう、実に微にいり細にいり指示している。融資銀行が企業に取締役を派遣しているようなものである。ここでも政府権限は大きく後退し、世銀は国家主権への干渉を平気で行っている。1980年以来、世界銀行とIMFは再融資と債務返済の条件として、第三国世界に「構造調整プログラム」SAPsを押し付けている背景がある。近年は公営水道と衛生設備の民営化が世銀とIMF融資の条件になっているのだ。水企業に有利な世銀の政策決定を導くために、企業の業界組織による政治操作・ロビー活動の仕組みを見て行こう。1992年に開かれた二つの会議がすべての始まりであった。ダブリンで開かれた「水と環境に関する国際会議」、リオデジャネイロで開かれた地球サミット「環境と開発に関する国際会議」は次の3つの機関を生んだ。「世界水パートナーシップ」、「世界水会議」、「21世紀に向けた世界水委員会」がそれである。表向きは中立的な政府・学者の会議のように見えるが、本質は水資源の開発を可能とする仕組みを考え得る会議である。世界「会議」は「懐疑」的に見て行かなければいけない。必ず智慧者に企みが隠れているはずだ、一番的確な見分け方は資金のスポンサーを聞き出すことである。2つは業界エージェントと思しき人間を調査することである。役人・学者の仮面をかぶっているかもしれない。そのために経歴を洗う必要がある。グローバルな水企業の代表者エージェントは、戦略的な見地から上記3機関の上層部に席を占めているのだ。さらに手口が巧妙化しているのがNGOである。後ろで誰が支配しているか、金を出しているかで政府系NGOや企業系NGOも存在するのだ。「発展途上国の貧困世帯の水や衛生状態の改善を目指して支援する」という表看をそのまま信じてはいけない。世界貿易機構WTOとの交渉を有利に進めるための有力なロビー団体、「アメリカ・サービス産業連盟」、「欧州公共サービスフォーラム」が設立された。2大企業スエズとビベンディが主要メンバーである。開発途上国を支援するという名目で、世界銀行とIMFだけでなく地域開発銀行(アジア開発銀行など)のネットワークも重要な役割を果たしている。世銀の傘下に、「国際復興開発銀行」IBRD、「国際金融公庫」IFCなどを通じてアフリカ諸国の水道民営化誘致が行われた。世銀の傘下に「欧州復興開発銀行」EBRD、「アジア開発銀行」ADBもある。IMFは水道民営化を条件に「貧困軽減と成長促進」計画の下に、アフリカの12カ国に融資した。

開発途上国支援と称する援助には日本もODAの最大供給国であった。開発途上国支援とは結局のところ名を変えた「新植民地主義政策」であり、援助国を経済的に従属させるものであり、将来にわたって利益を吸い上げる呼び水である。必然的に融資という飴には法の縛りというムチがついていた。世界貿易機関WTOも多国籍企業が市場開発をする上で重要な役割を果たし、財やサービスの輸出および民営化を推進してきた。WTO加盟国には関税および非関税貿易障壁を一つ残らず排除するよいう権限を持っている。関税貿易一般協定GATTがそれにあたる。GATTでは水は貿易財とされる。GATT11条は輸出規制を禁止し、輸出入の量的制限撤廃を原則とする。環境への影響という正当な理由による水の輸出入禁止はGATTでは条約違反として提訴される。例外はないわけではないが、GATT20条では紛争処理小委員会の脅迫のほうが大きいという主客転倒の状況で実質例外措置はないようだ。サービスに関しては「サービスの貿易に関する一般協定」GATSがあり、水事業はこのサービス協定の制約を受け、政府が歯止めをかけにくくしている。これほど政府の立法・規制権を脅かす国際協定はほかにはない。まさに資本は国家を超えた言われるのはこのことである。GATS2000 では、公共サービスの規制や措置の必要性を政府が証明する責任を負うのである。是を「必要性テスト」といい、申し立て国は無理難題を吹っかけてくるので、「透明性ある」説明をすることはかなり難しい。紛争処理委員会に申したてられると、経済制裁の可能性も出てくる。地域ブロックの自由貿易体制「北米自由貿易協定」NAFTAでは、「投資家対国家訴訟」もあり、提訴された国の国内法や司法制度も無視して、投資家が政府を直接提訴できるという前例のない権利を多国籍企業に与えた。企業に「最恵国待遇」、「内国民待遇」を与えたのである。NAFTAでは水輸出業社が勝訴した例も出ており、カナダ政府は敗れ、カルフォニアの企業がカナダ政府の政策を左右できるようになったといわれた。いまや政治力は政府から企業に移り、企業は収益性を求めて自由に進退をできるが、政府はそれを阻止できない状況である。WTOのルールには、貿易の自由化を妨げる「環境法」のような「非関税障壁」を国が使えなくする内容が含まる。WTO協定に環境サービスの自由貿易が組み込まれると、水を保護する国内の環境基準は存続できない。

第3部:水資源(共有財産)を守るため

水の権利の強奪に対して、世界の人々は各地で抵抗を始めた。インド政府が世界銀行から融資を得て計画したナルマダ渓谷のダム建設に対して、地元民は「ナルマダを救う会」NBAを作って抵抗し、融資した世銀にたいして第三者による環境調査のやり直しを求めた。出てきた「モース報告書」は環境影響の恐れを指摘し、インド政府と世銀を非難した。世銀は融資撤回をして逃げたが、インド政府の強引なダム建設の動きもNBAが阻止した。そのほかにも住民の反撃としては、ボリビアのコチャバンバの水道民営化反対闘争、2000年水道民営事業のお膝元フランスグルノーブルでは市民が民営化を阻止した。南アフリカ・ヨハネスブルグの黒人街では官民パートナーシップによる移管を阻止した。世銀とIMFが条件とした水道民営化をガーナ全国の反対運動で阻止し、代替案を検討している。ウルグアイ、カナダバンクーバ、アメリカイリノイ州、コロンビア州でも民営化を阻止した。アメリカウイスコン州で地下水をペリエグループがミネラルウォーターとして取水する計画に対して、ミシガン市民連合が抗議運動を展開した。化学物質や養豚排水や農業肥料から水源を守る戦いも世界中で展開されている。水源地の環境を守る戦いも盛んだ。日本では水神山系のぶな原生林をスーパー林道から守る戦いが有名である。脱ダムの戦いも長野県だけでなく、世界中で展開されている。発展途上国では原住民の生活圏の確保という差し迫った問題であり、政府の暴虐に対して悲惨な命がけの闘争である。フィリッピン、グアテマラ、タイ、ハンガリーなどで脱ダム闘争が戦われた。

先進国の社会はこれまで、無制限な成長モデルや大量消費経済のもとで進んできた。世銀やIMFを味方につけた多国籍水企業は淡水が商売になると見込んで利潤追求に走り始めた。多国籍水企業は利益が最優先するとばかりに、環境規制緩和や水質保全基準撤廃を求めてロビー活動を行い、政府にまで影響力を及ぼそうとしている。そこでこれらの動きに対してどういう論拠で反対するというのだろうか。著者らは反グローバリゼーション政治活動家であるから、政治的なスローガン(御題目)が並らぶことになる。
水に関する五つの倫理的な論拠を整理する。
1、水はコモンズ(共有財産)である。生命維持に無条件に重要である。
2、水はスチュワードシップ(資源管理)しなければならない。自然との共役関係。
3、水へのアクセスは平等である。格差なく分配されなければならない。
4、水は普遍性がある。お金で価値付けをしてはならない。
5、水は平和である。全人類が団結して取り組むべき課題である。

水資源を回復させる対話の出発点として、10原則を紹介する。
1、水は地球と全生物種のものである。
2、水はできるだけ元の場所から動かさない。
3、つねに水の保全を呼びかける。
4、汚染された水の再生を図る。
5、自然の集水域こそ、水を最もよく守ってくれる。
6、水は政府のあらゆるレベルで保護すべき公共神託財である。
7、クリーンな水へのアクセスは基本的人権である。
8、地域社会と住民こそ、水の最良の保護者である。
9、市民と政府は対等のパート−ナーとして水の保護にあたらなければならない。
10、経済のグローバリズム政策によって水の持続的発展は望めない。
今流行の安全保障という概念で整理すると、水の安全保障のための10か条
1、水のライフライン憲法を普及させる。
2、地域の水共同管理評議会を設立する。
3、水資源国家保護法を制定する。
4、水の商取引を禁止する。
5、脱ダム運動を支持する。
6、IMFと世銀に対抗する。
7、巨大水企業と対決する。
8、グローバルな公平性を呼びかける。
9、水コモンズ決議案を推進する。
10、世界水条約を支持する。
このようなお題目を並べてもどれだけ効果があるのかは知らないが、第3世界の権利擁護運動には役に立つのだろうか。このような運動をすることがどのような勢力の役に立っているのだろうか。反対勢力に利用されているだけではないだろうか。グローバリズムの世界資本の動きは常に注目しなければならないが、反グローバリズムの政治運動の真の狙い(第3の選択肢が不明なだけ)はどこにあるのかも、同時に慎重に考察してゆかなければ、片手落ちになりかねない。


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