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リッカルド・カッショーリ/アントニオ・ガスパリ著  草皆伸子訳
 「環境活動家のウソ」

 洋泉社新書(2008年8月)

環境保護運動家の欺瞞を、優生学(人種問題)と「持続可能開発」(資源問題)の文脈で暴く

まず環境問題の文脈でこの本を見てゆこう。1960年から1970年代の水・大気の公害問題は産業公害防止技術と下水道設置の進展で解決の方向へ向った。その過程で低燃費・低公害車の開発、用水リサイクル技術、エネルギー産業・家庭電気製品の省エネルギー技術が開発され、日本は世界の範となった。しかるにソ連邦と東欧が解体し、冷戦が終了した事は世界平和に取って望ましい進展かと思われた1990年代から、地球環境問題というグローバルな話が始まった。そのはじまりは1972年のローマクラブの「成長の限界」までさかのぼる。資源は有限だと云う前提で、経済成長一辺倒の考えは限界に来たという。「持続可能な発展」と云う言葉もここから由来した。自然の一方的略奪は地球の破壊につながるので、成長をコントロールしようということである。環境問題とは最初からエネルギーと資源問題であると云うことを思いしることになった。そこまでは正しいとして、経済成長をコントロールすると云う考えは、後進国にとって許せない暴言であることはたしかである。先進国のみが資源を使って後進国へは廻さないと云うエゴ(エコではなく)むき出しの戦略である。地球温暖化防止「京都議定書」もこれは「石油の軍縮会議」である事は明白である。この辺のことは武田邦彦著 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか 1、2」 洋泉舎に精しい。

そこで本書が極めてユニークな論点で書かれていることをまず指摘しておこう。それは二人の著者リッカルド・カッショーリ/アントニオ・ガスパリがバチカン教皇庁レジーナ・アポストロルム大学教授でジャーナリストであることだ。かつ国連の環境・人口問題にくわしい人たちである。本書の意義はキリスト教の異教徒裁判のような側面がある事は否めない。なぜなら本書が非難するダーウイニズム(社会的進化論)、優生学、フェミニズムにキリスト教を冒涜する匂いをかぎつけているようだ。人種差別と優生学はナチスにおいてユダヤ人虐殺になり、その非人間性は激しく非難され、第2次大戦後は「優秀民族」とか「優生学」とか云う言葉は排斥された。ところがアーリア系民族の優秀さを信奉する人々は欧米において根強く残っている。その人たちが国連に働きかけ後進国の「人口抑制」、「産児制限」に取り組んでいる。優生学を信奉する人は財閥からの援助を得て、地球環境運動と結合したのだ。地球環境運動の「持続可能な発展」は、経済のみならず人口の抑制をも視野に入れている。そこで編み出した戦略とは、地球は今にも壊れるような「扇動的災害論」で世界中の人々の感情を震え上がらせ、成長の抑制(先進国の特定国は適用を免れます)のためなら、人口抑制(後進国の人口である)もやむをえないと思い込ませるためである。そのためキリスト教の博愛主義は邪魔になるので、環境活動家は自然崇拝の新しい宗教を考えようとしていると、バチカンは危惧を感じたのだ。

上の様に最初から、本書の表裏を考えて見ましたが、さてあなたはどう考えますか。捕鯨問題やサミット会場ではテロと化したグリーンピース運動の欧米人の環境保護運動に共感を示す方もいるでしょうが、胡散臭さを感じ取る人もいるでしょう。環境活動家の不可解な行動の裏にはいくつかの文脈があることでしょう。本書は優生学と云う文脈で読み解いてゆくものです。優秀な民族であるアーリア系なかんずくアングロサクソン人のみが、地球という「ノアの箱船」に乗る権利がある。アジア・アフリカ(日本人もそうです)は狭い地球から追い出してしまう、「民族自滅のプログラム」を経済発展・人口問題に埋め込もうと云う戦略である。南無阿弥陀仏、なんと恐ろしいプログラムでしょう。人間性のひとかけらもない、悪魔の戦略です。さて本書を検証してゆこう。

1:優生学・環境イデオロギーの欺瞞

21世紀になって「人間は地球の癌である」と云うことを公言するアニマリズム「地球解放運動」の指導者がいる。そして障害を持った胎児の安楽死を叫ぶ。VHEMT[ 自発的人類滅亡運動」と云う過激論者が生まれている。20世紀は「優生学」と云う忌まわしい運動が始まった。裏から言えば少数のエリートのエゴである。彼ら少数の金持ちエリートらは頭がいいから、似非科学者の神話を世界中に膨大な金を使って大量に流して、愚かな市民を「今にも地球に大災害が襲う」かのような扇動的災害論で恐怖に落としいれ、「人類が生き延びるためには、ある程度犠牲が必要だ」と人々に信じさせることで、残った人がよりよい生活を謳歌するためである。

19世紀末に優生学という言葉を発明したのはチャールス・ダーウインの従兄弟で弟子のフランシス・ゴールトンであった。ゴールトンはダーウインの自然淘汰説という動物発展学説を極端な思想へ作り変えた。この淘汰を誘導すべきではないかと考えたのである。「バカとバカを掛け合わせて、アホウを大量生産する」のではなく、優秀な人類を作ることが目的であった。優生学は優秀と云う定義も遺伝的根拠もないままに、イデオロギーとして人種差別へ向った。これを「積極的優生学」という。1927年「優生学協会」をつくり、1989年には「ゴールトン研究所」に名前を変えた。これに対してダーウインの息子でレオナルド・ダーウインは弱者が子供を生む事を禁止する「消極的優生学」を唱えた。貧民街で看護師として働いた女性解放運動家マーガレット・サンガーはアメリカバースコントロール連盟と国連家族計画IPPFを設立し、貧困者の原因は劣勢遺伝にあると確信し、非健康者には子供を生ませない運動をおこなった。スウェーデンでは1935年人種選択法が生まれ、強制断種がおこなわれ、米国では1924年移民制限法が施行された。ナチスは優生学的実験を行いユダヤ人虐殺を大々的に実施した。第2次世界大戦終了まで世界は人種ヒステリー状態であった。これだけ人(非戦闘員)を殺した時代は無かった。戦後には優生学とナチズムとのつながりを隠すため、彼らは沈黙した。そこで「優生学秘匿作戦」が「優秀な頭脳」で考えられた。「人々にあなたは遺伝的に劣っていると云うのは止めよう。本人には気が付かないように自発的淘汰システムを構築しよう」と云うものだった。

「本人は気が付かないように自発的淘汰システム」とは「選択の自由」という耳に心地よい言葉をあみだした。「子供の数を少なくしたら、良い生活ができますよ。どうするかはあなたの選択の自由です」。こういう考えは戦後の日本の生活を一貫して流れている。そしてその効果として2006年より日本は人口減少社会に突入した。1952年サンガー女史を会長として国連家族計画IPPFが発足し、経口避妊薬と避妊器具開発、宣伝活動をおこなっている。IPPFや人口会議には旧優生学協会の役員がそのまま黙って設立者になっている。資金提供者にはロックフェラー、フォード、メロン、デュポン、スタンダード石油、シェル財閥が優生学協会の時と同じく入っている。優生学協会の人と金がそっくり国連家族計画IPPFに衣替えしたに過ぎないことが分る。「人口爆弾」と云う言葉を考案したヒュー・ムーアは1970年の「第1回アースディ(地球の日)」でバースコントロールと環境運動の仲介をする立役者である。

欧米の環境保護運動(環境倫理・哲学)のルーツも深いところで優生学に根ざしている。エコロジーと云う「科学」の創始者エルンスト・ヘッケルは「エコロジーとは自然界の経済に関する知識、すなわちダーウインが生存競争と呼んでいたあの複雑な相互関係についての研究」だという。ヘッケルは人為的淘汰の成功した例としてスパルタを挙げるなど、明らかな人種差別者であった。また「一元論」ではアニマリズムの理論的説明をおこなっている。優生学運動と自然保護運動は歩調を揃えて成長してきた。「人種改良」と「資源の有限性」と云う点に両者の共通の基盤があった。1960年代まではそれほど両者の結合は顕著ではなかった。ヒュー・ムーアが国連機関を取り込んで国連家族計画をおこなわしめるため、子供の福祉のためのユニセフを「子供を生まない運動」とフェミニズム運動の拠点にした。1970年の「第1回アースディ(地球の日)」において、アメリカの主要環境保護団体は人口危機委員会やIPPFなどと協調して、人口抑制計画推進を各国議会に訴えた。これ以降産児制限活動家と環境活動家は言語を同じくするのである。産児制限活動家の代表はワーナー・フォノスで、環境活動家の代表はワールドウオッチ研究所のレスター・ブラウンである。グリーンピースやWWFのような団体が活躍できる金と人の関係がよく理解できる。

「持続可能な開発」と云う言葉は、ノルウェーの社民党の元首相ハルレム・ブルントラントが1983年WCED「環境と開発に関する委員会」の会長に就任し、1987年に出版したブルントラント委員会報告書で使った。この概念は「新マルサス主義」の理論である。つまり人口増加が開発の遅れと環境破壊の元凶であると明言した。これでは先ず人口を減らせと云う結論だ。ここで優生学とのつながりが図らずとも曝露されたのである。これ以降「持続可能な開発」の概念で国際会議が数多く開催され、「地球憲章」と云うグローバル倫理にまで成長した。優生学は世界を征服したのだ。1992年リオ会議(地球環境)、1993年ウイーン会議(人権)、1994年カイロ会議(人口と開発)、1995年コペンハーゲン会議(社会開発)、1995年北京会議(女性問題)、1996年イスタンブール会議(居住環境)、1996年ローマ会議(食糧問題)そして2000年「地球憲章」の制定である。1997年COP3京都議定書を2001年3月アメリカのブッシュ大統領が批准を拒否したことで、一枚岩のような欧米のイデオロギーに亀裂が発生した。これは石油使用に足かせを嫌うアメリカ保守層の反発で、先進国と後進国間の資源戦争に内紛が生じたのである。

2:環境問題の常識に反論する

2.1 人口過剰

人口と資源問題の論考は1798年マルサスの「人口論」に始まる。食糧生産は等差級数的、人口は幾何級数(ネズミ算)的に増加するので、人口増加が食料生産を上回るという理論であった。マルサスの禍々しい豫想が空騒ぎであったことは歴史が証明している。ところが1960年代から新マルサス主義者のスタンフォード大学教授ポール・エーリックは「人口爆弾」と云う本で、1970年から1980年には数億人の人々は餓死するだろうと恐ろしい予測をした。ところが国連経済社会局編集の「人口、環境と開発」は、1900年から2000年の百年で人口は4倍に増加したが、世界のGDPは20-40倍になり、大幅に生活水準は向上したと報告した。なんでこうも環境論者の悲劇的予測と実態が乖離しているのだろうか。環境論者は住む都会の人口密度は確かに高いが、都市は陸地の1%に過ぎない。恐らく都市に住む人は人口密度の息苦しさに心理的圧迫を受けるのだろう。そして見識のある人なら周知であろうが、人口増加の本当の原因は、出生数の増加ではなく医学の進歩による死亡率の低下にある。死亡率の低下とは、新生児死亡率、妊婦死亡率、幼児・児童死亡率の3要素の低下をさす。世界平均で女性一人の出生率は2.7人、第3世界でも3.7人である。第3世界の貧困の原因は人口過剰にあるのではなく、開発の遅れ、先進国の略奪と妨害による。

環境学者などがいつも出してくる用語に「キャリングキャパシティ」(環境容量)という言葉がある。一定の環境範囲において棲息できる生物の数をいう。生態学でいう狭い領域での学問である。動物でさえ棲息領域は狭ければ移住する。人類だってモンゴリアンはアジアから南アメリカの先端まで移動した。こんな概念は人類には当て嵌まらない。なぜなら人類には知恵と工夫があって、資源を開発する能力があるからだ。環境論者はいつも動物学の理論を人類に適用してものをいう。科学的な裏づけのないイデオロギーを取り繕うために。地球温暖化防止枠組み機構とは、資源は有限だ(石油のこと)から、使用を制約しようと云う取り決めだ。アメリカ・中国のように無制限に使いたい国は最初から参加していない。ありもしない大惨事を阻止するために費やされる膨大な金と資源こそが、地球の未来にたいする真の脅威ではないだろうか。「未来に対する恐怖」と「自分以外の人間嫌悪」と云うテロとエゴが人類の敵である。

2.2 持続可能な開発

「 持続可能な開発」と云う概念は、日本ではリサイクル・リユース・リダクションの3Rをすれば、今までの大量消費をそのまま持続できると云う文脈で理解されている。ところがローマクラブの「開発の限界」では「人口爆発」、「食糧不足」、「資源枯渇」、「エネルギー危機」と云う4つの危機により人類の開発の限界が百年以内に訪れるという「ノストラダムスの大予言」である。これには生物学で云う生物の増殖曲線(大腸菌の増殖曲線をモノーの式という)をそのまま人類に当てはめたものだ。短期的には食糧供給一定での生物増殖曲線で、対数増殖期で生物資源を収穫しようというと云う理論である。1987年のWCED「環境と開発に関する委員会」(ブルントラント委員会)報告書は、人口増加が開発の遅れと環境破壊の元凶であると明言した。したがって人口を減らせと云うことである。このメッセージはおもに出生率の高い開発途上国に向けられた。バチカン教皇庁はこの見解に警戒心を示した。「持続可能な開発とは新植民地主義である」と断罪した。地球の病根である後進国の人種を断絶させ、白人優位の世界を築こうとする人種差別のエゴ以外の何物でもない。断じて許されるものではないとバチカンは判断した。「 持続可能な開発」と云う概念は、貧困国の人口抑制と、先進国の経済成長を制限する二つの柱からなる。曖昧で心地よい言葉「 持続可能な開発」とは、優生主義者のイデオロギーである。

2.3 予防原則

1992年リオ宣言第15条には「深刻な、あるいは不可逆な被害が起きる可能性があるとき、かりに多額の費用がかかったとしても、科学的確実性がないことが環境悪化を防ぐための対策を先延ばしする理由にされてはならない」という。風評でも予防原則は発動される。噂を立てたほうが勝ちとまるで週刊誌並みの科学行政である。「予防原則」とは未来に対する恐怖である。戦前の共産主義者にたいする「予防拘禁」のようだ。噂で逮捕拘束できるので権力者には証拠を掴む必要がなく、かつ人権問題も介しないですむ。1998年1月「ウイングスプレッド宣言」も恐れだけで「予防原則」を発動できるとしているが、1994年欧州委員会は「マースリフト条約」で「予防原則」を採用したが、その後の委員会で「潜在的な危険な影響が確認され、科学的評価でも十分な確実性があるなら」と云う条件を厳しくした。噂による幻のリスクを拒否する態度はコストの高い生活になる。何事もリスク(損)-ベネフィット(利益)を勘案して決めなければならない。

「予防原則」が引き起こした悲劇には、水道水の塩素消毒の発ガン性が想定された時、WHOは「警戒する懸念はない。消毒を止めた場合のリスクを比較しろ」というレポ-トを1991年に出したのもかかわらず、ペルー政府は塩素消毒を中止し、5年間に100万人がコレラに罹り1万人が死亡した。もうひとつは電磁波の問題である。高圧線の下や、携帯電話の電波で健康被害が心配されると云うものだ。イタリアでは予防原則から電波の出力を低くしたため、緊急時の連絡が取れなくなって19人が亡くなった。レイチェル・カールソンの「沈黙の春」の与えた衝撃は大きかった。2001年「ストックホルム条約」でDDTの使用禁止に踏み切った国、特にアフリカ、東南アジアで大量のマラリアで死ぬ被害が発生した。鳥と人間の健康を守るため数百万人の後進国の人間が死ぬ運命を余儀なくされた。噂が引き起こすヒステリー状の恐怖心が人間の命を奪って平気な顔をしている。これは犯罪である。そしていつもその被害をうけるのは後進国の貧民である。

2.4 地球温暖化

丸山茂徳著 「科学者の9割は地球温暖化炭酸ガス犯人説はウソだと知っている」 宝島社新書でも紹介したが、地球の数十億年の歴史を見ると地球は寒冷化と温暖化を繰り返してきた。温暖化のときに地球の生物は大発展を遂げ、文明も発生した。寒冷化の時こそ、生物種の絶滅を5回も経験している。20世紀の一時期時の温暖化だけを捉えて、人間活動のせいであると決め付けるのは尊大な態度である。2008年5月25日−29日に開催された「地球惑星科学連合学会」の「地球温暖化の真相シンポジウム」において、「過去50年の地球温暖化が人為起源なのか、自然起源なのか、さらにIPCCの云う一方的温暖化なのか、寒冷化なのか」というアンケートをとった時のことである。日本の科学者でICPPの予測に同意するのは1割に過ぎなかった。寒冷化すると予測する科学者は2割いた。地球の気温に影響を与えるさまざまな要素を、影響度の大きいと予測される順に並べると、@太陽の活動(入射強度、太陽風と宇宙線と雲)A地久磁場(核の対流)B火山活動(マントルの対流)Cミランコビッチの周期(公転軌道の揺らぎ)D温室効果ガス(炭酸ガス、水蒸気)の5つである。

普通のひとはICPP(気候変動政府間パネル)の計算結果と予測に脅されているが、「ICPPのスーパーコンピューターの過信で、あんなものは予測にも何にも役に立っていないと思う。数値実験よりも、古気候の解析の方が、遙かに精度がいい。 大気の運動とか海流とかは、ほんの小さな熱容量で運動が大きく変わってしまうんです。パラメーターの数も何百もある。それらが相互作用している。それをきちんと計算して動きを予測するなんてことは不可能ですよ。いまようやく大気結合モデルとかやってるけど、あんな幼稚なものでは予測はできません。」と丸山氏はいう。パラメータをいじくれば、欲しい結果はいくらでも操作できるのである。ICPPの主体は本当に科学者なのか。実は彼らは政府代表の技術官僚である。日本で言えば環境研究所の人々である。政府の云うことには抗しえない。彼らの云うことが100%正しいとしても、京都議定書の温暖化防止効果は微々たる物で、地球の温度は0.0006℃下がる程度の事に莫大な金と資源を費やして、将来の正しいエネルギー資源開発を遅らせるばかりである。京都議定書の欺瞞については武田邦彦著 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか 2」 洋泉舎を紹介したので参考にしてください。

2.5 森林破壊

アメリカ元副大統領ゴアー氏やWWF はこのまま行けば、百年以内に熱帯林は消滅するという。環境論者は未来予測の単位を百年で見る場合が多い。あまり近未来では結果が直ぐ出るのでまずいので、関係者が死に絶えた百年後なら責任を問われる事はないと踏んでいるからだろう。とにかく自然保護論者は「森林破壊の主因は人間と人間も間違った開発行為である」という。ところが、陸地の1/3は森林に覆われており、人工衛星での写真撮影でも森林は着実に増加していることが証明されている。ドイツ、イタリアでの植林計画によって森林の拡大は確認されている。ワールドウオッチ研究所のレスター・ブラウンが熱帯の森林が毎年100万Haが伐採されていると報告しているが、そんなことはない。伐採量を上回る植林がなされている。森林を伐採することは、森林の生命力を維持する為に必要なことである。日本の国土は65%が森林であり、世界一の森林国となった。砂地さえ手入れしないと森林になるのである。緑の恐怖とは逆のことでもある。さらに近年耕作放棄地が里山化し雑木林に復活して森林面積を増やしている。

2.6 種の消滅

2000年IUCN(国際自然保護連合)が「絶滅危惧種のレッドリスト」を出したが、1万8000種とか、25万種とかが危機に瀕していると喧騒されている。これらの数値に根拠はあるのだろうか。とんでもないあてずっぽうの数値である。生態学や生物学では生物の種の総量は全くわかっていない。地球には1400万種の生物がいると推定されるが、確認されているのは175万種しかない。分らないといったほうが正直である。生物種の絶滅の危機は5回あった。その原因は丸山茂徳・磯崎行雄 著 「生命と地球の歴史」岩波新書に精しく書いてある。超新星・惑星の衝突、火山活動と氷河期の繰り返しなどらしいが、いずれにせよ数億年前の人類はまだ存在しない時のことである。今後科学技術の進歩によりさらに新種は発見され続けるだろう。WWFが地球温暖化により北極の氷が解けてホッキョクグマの棲息地がなくなると云う映像を宣伝しているが、本当にホッキョクグマは減少しているのか。とんでもないカナダ北部のホッキョクグマは66%増加して1万6000頭もいる。イヌイットの人口が5万5000人である。何も正確な数値や動物の生態が分っていないから、とんでもないウソがまかり通るのである。凡そ議論にならない分野である。ただし魚類の漁獲量が激減していることは事実であるので、日本を始め魚食文化国の漁獲量になんらかの制限を加えないといけないだろう。これがまことの「持続可能な開発」である。余談だが、日本の環境省が制定した「危険外来種撲滅法」は世界の笑い者になっている。

2.7 遺伝子組み換え食品

遺伝子組み換え植物の第1世代の目的は寄生虫から植物を守り、痩せた土地でも成長できるようにすることであった。2002年には胃腸炎ワクチンを含むトマトの開発が話題を呼んだ。ところが多くの環境保護団体、消費者団体が遺伝子組み換え食品に反対する理由は@食品の安全性への潜在リスク、A他の植物への遺伝子汚染、B特許による多国籍企業の食の独占などである。@の安全性については議論する必要がないくらいである。人は魚や植物体は遺伝子ごと消化している。安全性はネズミ実験で確認済みである。Aについては育種や人工交配で造った新種はなぜ問題にしないのか。又種が違えば交配しないので他の種への心配は無意味である。Bについては経済問題で環境保護団体が議論してどうなる事項ではない。バチカンは遺伝子組み換え作物の生産性は貧困国の発展い寄与すると歓迎している。2003年UNCTAD国連貿易開発会議は新しいバイオテクノロジーは人類の選択肢として重要であると報告した。ところが日本・ヨーロッパは遺伝子組み換え食品に対して門を閉ざしたままである。日本では昔から石油蛋白質、放射線照射殺菌処理にたいしても消費者団体のアルルギーが強く、禁止されたままである。一方日本海側には原子力発電所銀座でにぎわうほどなのに、このアンバランスはどうしたものか。

2.8 大気汚染

石炭燃焼によるロンドンスモッグは1952年約4000人の死者を出した。石炭から燃料の切り替えが進んで、粒子状物質PM、二酸化硫黄、オゾン、鉛、酸化窒素、一酸化炭素の六つの大気汚染物質濃度は劇的に減少した。経済成長につれて汚染が進行したが、その産業技術の延長で公害防止技術が開発され、公害問題は解決された。大気汚染物質は喘息や呼吸器疾病の症状を悪化させるが、大気汚染物質と死亡原因との因果関係はかならずしも立証されていない。シックハウス症候群、化学物質過敏症やアトピーなどはむしろ清潔な環境によって免疫機能の低下との相関が問題とされている。大気汚染は減少したが、かなり微妙なところで議論されるようになっている。

3:世界の環境活動家のウソ

本書の纏めとして、環境論者や自然保護運動家の目指す思想はどのようなものかを検証する。経済成長は全て汚染の原因とする環境保護活動家の思想は、本当の科学や技術を敵視すると云う現象を生み出した。ありとあらゆるものに対する「不安と恐怖」はもう神経症的病気である。そのために人間活動以前の自然物に対する崇拝、スピリッチアル霊的信仰へとのめりこんでいる。人間中心主義が環境を軽視していると云う理由で環境活動家はキリスト教を目の仇にしている。「人間は地球の癌である」と云うことを公言するアニマリズム「地球解放運動」の思想と「ガイヤ理論」、自発的人類絶滅運動VHEMTの思想は人間嫌悪から人間否定の恐ろしいペシミズムである。したがってエコロジー的イデオロギーは汎神論、多神教、自然崇拝アニミズムをまねた「ニューエイジ」新興宗教である。霊的神秘主義もこのイデオロギーに潜り込んでいる。国連環境計画UNEPが地球規模の新しい倫理を模索している。「地球憲章」でゴルバチョフ氏は「新しい十戒」を目指すといった。文学的表現だとしてもキリスト教を超える新しい倫理と云う概念にバチカンは神経を尖らすのである。

故アーサ・キング牧師の始めた米国の人権団体COREは、2004年1月「エコ帝国主義ー発展途上国の貧しい人々に対するグリーン運動による世界戦争」会議が開催した。マラリア撲滅のためのDDT使用再開、ダムや水力発電所建設援助を訴えた。環境運動が発展途上国の人々に与える苦しみと痛みをこれ以上い見過ごすことはできないと云う趣旨である。グリーンピース設立メンバーで脱退したパトリック・ムーア氏は会議で「環境運動は目的もモラルも人間性も失った」と弾劾した。バチカンのヨハンパウロ二世教皇は「とりわけ発展途上国の貧しい人々の生命を守り、健康を促進する事が、それぞれの国、そして世界の環境運動の根底となる価値基準であり理念でなければならない」という。

グローバル環境団体の正体
各団体のホームページは団体名から行けます。たまには参考までにカレントな主張を見ておく事も勉強になります。
グリーンピース
グリーンピースは環境保護団体のような顔をしているが、実は政治的権力と金と追求する多国籍企業なのである。15年間会長を務めたパトリック・ムーア氏は「環境運動家の実態は政治活動家です。階級闘争や反グローバリゼーション活動をしている」という。グリーンピースの最大の武器は膨大な金を使った、高度な宣伝能力にある。アムステルダムに本部を置くが、設立されたのはカルフォニアである。世界数十箇所に事務所を持つ一大帝国で200億円ほどの予算を持つ。寄付金が課税無しの金集め団体と、課税される活動団体にわけ、寄付金が活動団体に流れ込む仕組みになっている。経理内容は不透明で資金の流れは数名の幹部にしか分らない。カナダ政府はグリーンピースの活動に疑問を抱き、環境保護の慈善団体の適用をはずしたので、カナダでの活動は困難になっている。グリーンピースの攻撃力は各国政府との取引を可能にしている。日本の右翼・ごろつき赤雑誌と同じような取引をするそうだ。
WWF
世界野生動物基金から世界自然保護基金に名称を変更し総合的環境保護団体になった。WWFのハクスリー卿は優生学協会の会長でもあった。WWHの最大の環境問題とは人口問題であった。会長だったオランダ王室ベルンハルト王子は人口問題の緊急性を説き、ローマクラブ会長のアウレリオ・ペッチェイは世界WWFの顧問とイタリアの会長を務めた。ローマクラブとWWFの主張がつながるのはあたりまえということだ。WWFは「人間を宇宙の中心に位置すると考える人間中心主義と闘うために、環境主義者の勢力が必要なのだ」といっている。 WWFの名誉会長の英国エジンバラ公フィリップは「環境の深刻な脅威は人口問題だ。私はウイルスになって人類を殺したい」と云う過激な発言をしている。WWFの理事会のメンバー達は実業家や銀行家、多国籍企業の役員である。ユニオンカーバイド、エクソンケミカル等化学会社の役員が多い。
ワールドウオッチ研究所
1974年設立のワールドウオッチ研究所は「地球には全人類が欧米並みの生活をするだけの資源はなく、今後五十年間でエネルギーと原料の消費を90%まで削減しなければ、環境の大破局が来るだろう」という。レスター・ブラウンは「最もおしゃべりな悲観論者」として名高いが、その予測は悉く外れている。あまり短期の予測をするので、直ぐに馬脚が出るのだ。もうすこし利口に100年後の話をすればいいのに。レスター・ブラウンの外れた予測の話は数限りないのでここには引用しない。ワールドウオッチ研究所の云う対策とは「消費を減らし、経済を縮小し、物価を上げ、環境税を導入し、厳格な人口抑制計画を実施する事」である。


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