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大島秀利著 「アスベストー広がる被害」
 岩波新書(2011年7月)

中皮腫の40年のタイムラグが、アスベスト対策を甘く見た原因

アスベストは火に強く、対磨耗性があり、腐食しないなど優れた工業材料や建築用資材として多用された。1950年だおから60年代にかけて既に発がん性指摘されていたが、規制は行なわれなかった。その結果アスベスト中皮腫による国内の死者1999年には年500人だったのが、2009年には1156人に増加した。残念ながらアスベストが大量に使用されていた年代から40年以上経たないと発病しないため、これからも中皮腫による死者は増加するであろうと見込まれる。中皮腫だけがアスベストの害ではなく、統計上は現れにくいアスベストによるがん死がある。煙草が原因とされてきた肺がんは、中皮腫患者が1人出ると肺がん患者も1人出るといわれ、中皮腫と肺がんを併せると年間3000人はアスベストによるがんで死亡していることになる。交通事故による死亡者が2010年で5000人を切っているので、このままでいくとアスベストによるがん死はこれを超すかもしれない。2005年6月兵庫県尼崎ニあったクボタの旧水道管製造工場周辺アスベスト公害が発覚した。工場内の労働者が健康を害されると労働災害であるが、工場外の人が影響を受けると公害という。「クボタショック」といわれて社会問題化し、この工場付近で中皮腫で死亡した人は200人を超えた。この問題が表面化したことで、アスベストに対する法制度の整備が進み、2011年度までの法改正によって、アスベストの輸入・製造・販売・使用などが全面的に禁止された。こうしてアスベスト製品関連産業には歯止めがかかったが、今後の問題はアスベスト製品が分解・解体されたときに出る粉塵による 「アスベスト被害第2波」が懸念される。というのは輸入されたアスベストの8-9割は建材として使用され、建築物の耐用年数から解体のピークは2020年ごろと見られる。東日本・新潟地震による建築物倒壊も非常に大きなリスクである。筆者の大島秀利氏は毎日新聞記者で、約10年前からアスベスト問題を取材し記事にしてきた。クボタショックと法制度の整備でアスベスト問題は終ったのではないという危機意識が本書を書かせたようである。なお大島秀利氏はアスベスト取材報道により2006年科学ジャ-ナリスト賞を、2008年新聞協会賞を受賞した。

アスベストのリスクはなくなったわけではない。1995年の阪神淡路大震災で24万棟の建物が倒壊した。この時点ではアスベストの使用は禁止されておらず、コンクリートビルの1-2割でアスベストが吹き付けられていたと推定されている。倒壊だけでなく重機による建築物の解体作業によって復興を目指した工事により発がん性の粉塵が舞い上がったと見られる。2008,9 年この阪神淡路大震災で建物の解体作業に従事していた2人が中皮腫になり、労働基準局は因果関係を認め労災認定をした。いわば震災による2次災害であるので、市民団体「アスベスト根絶ネットワーク」は「防塵マスク備蓄プロジェクト」を2008年に立ち上げた。災害時には優先順位からとかく見落とされがちな、建設労働者、被災市民・生徒、ボランティアの健康を守るため、市町村の自治体が防塵マスクを災害対策グッズとして備蓄しておこうというのである。東日本大震災では南三陸町や大船渡市などに1000個単位で配布したという。いまなお国の防災対策基本計画にはアスベスト対策が位置づけられていない。アスベスト問題は中皮腫だけでなない。未救済の肺がん患者がたくさんいる。「肺がんは煙草が原因」といわれると、自分でもアスベストとの関係は記憶の彼方にある場合が多いので気付くことが少ない。「石綿対策全国連絡会議」が政府のデーターを点検すると、中皮腫死亡者の2009年度までの救済率は57%であったが、肺がん死亡者の救済率は20%(アスベスト肺がんは中皮腫と同程度とみて)であった。医療関係者も肺がんを見つけた場合、アスベスト曝露の可能性をチェックすべきであろう。医者は「石綿肺」の診断、「胸膜プラーク」、「石綿小体」(厚労省は石綿小体5000個以上という基準を規定を設けているが、これは間違い)などがアスベスト肺がんの証拠となりやすいので見落とさないことと、一番有力な証拠はアスベスト作業に従事していた職歴(原則10年)である。ドイツでは職種と従事年数を重視して労災認定を行なっている。著者はこれまでの活動をもとに、行政への提言「アスベスト対策の課題」を提案した。
@アスベスト調査者に公的な資格制度を
A違法な除去作業を監視する検査機能強化を
B業界の受注過当競争で安値による手抜き工事を防ぐ
C市民監視の強化を
D時効の撤廃と救済法の改正
E調査機関の創設と情報公開

1) アスベスト公害の発見

アスベストは、天然の鉱物から出来た綿のような繊維で、石綿とも呼ばれた。繊維は直径0.02-0.3μmと極めて細く肉眼では見えない。溶岩が結晶化する際に直径方向へ規則正しく成長した為である。今でいうとナノテク製造技術である。アスベストには次のような優れた特性がある。高抗張力、耐火性、絶縁性、耐薬品性、密着性、耐摩耗性、紡織性の点で、工業材料(水道パイプ、パッキング、塗料)、摩擦剤(ブレーキ、クラッチ)、保温材(ボイラー、プラント配管)、建築材(スレート、吹き付け保温・吸音)など3000種の製品に使用された。何よりも最大の特徴は安価であったことだ。輸入されたアスベストは約1000万トンあるが、最大の用途は石綿含有建築材で8,9割を占めた。スレート板材、壁材の加工板材や結露防止・耐火被覆材には吹き付けアスベストが用いられた。日本での使用は日清戦争時の軍艦・造船業であった。日本最大のアスベスト会社(ニチアス)が設立されたのもこの頃であった。戦後は建材を中心とした用途となり、カナダ、南アフリカ、ブラジル、ジンバブエ、ソ連からの輸入量も増大し1974年のピーク時には年間35万トンに達した。アスベストの毒性が認識されるにつれ次第に輸入量は減少傾向となったが、2004年の使用禁止決定まで輸入は続いた。アスベスト材料としては3つの種類に分類される。白石綿(クリソライト、世界の使用量の大半を占める)、青石綿(クロシドライト、毒性が一番強い)、茶石綿(アモサイト、硬くて耐熱性がよい)である。アスベストを原因とする病気はアスベスト鉱山や加工場で知られ始め、「石綿肺」という塵肺であった。肺の炎症から繊維化による「肺繊維症」が知られていた。わが国で「石綿肺」が報告されたのは1927年で、レントゲン検査で発見され「健康上有害である」とされた。1930年ILOは「国際珪肺会議」で石綿肺の危険性を警告した。1937年内務省保険院は大阪泉南地域のアスベスト工場労働者650人を調査し、40歳以上の労働者の100%は石綿肺である事を明らかにし、「防塵設備など対策を講じること」を指摘した。石綿肺はがんではないが深刻な進行性の死に至る病と位置づけた。石綿肺の患者達は肺がんを併発しやすいことが分ってきた。1964年「国際対がん連合」UICCは「アスベストはがんを発症する証拠がある」とし、「肺がん」と「中皮腫」を挙げた。肺がんはおおむね20-40年の潜伏期を経て発症し、石綿肺より長く、中皮腫より短いとされた。1997年ヘルシンキでアスベスト専門家会議がもたれ、ヘルシンキ基準として「中皮腫の原因はアスベストで、中皮腫であることが確定すればアスベスト被害者とみなされる」ということになった。WHOの国際がん研究機関IARCは2009年、アスベストが喉頭がんや卵巣がんも発症させる事を認定した。

アスベストに関する法令は次の4つの領域に分けられる。

アスベストに関する主要な法令
領域法令内容
アスベスト製造・使用規制法労働安全衛生法 アスベスト製品の製造・使用・輸入の原則禁止 (2004年改正)
健康被害補償・救済法労働者災害補償保険法
石綿健康被害救済法
労災認定して補償する
労災以外の住民や自営業者を救済(2006年制定、2008年改正)
労働者の健康を守る法塵肺法
特別化学物質障害予防規則
石綿障害予防規則
アスベスト粉塵予防措置・健康管理(1961年制定)
有害化学物質の排気装置・健康記録保存などを規定(1971年制定)
建築物解体業労働者保護(2005年制定)
環境保全のための法大気汚染防止法
廃棄物処理法
建築基準法
粉塵飛散を規制、周辺住民健康被害防止(1999年改正)
アスベスト含有廃棄物の処理法
アスベスト含有建材の使用禁止、増改築のアスベスト除去(2006年改正)

それまでは工場内で労災という形で知られてはいたが、日本でアスベストという言葉が広く知られたのは、2005年6月尼崎にあるクボタ旧神崎工場のアスベスト禍が公害という形で発覚したからである。会社関係者は塵肺法(1961年)、特化則(1971年)で労働者対策は講じていたが、まさか周辺住民がアスベスト中皮腫にかかろうとは予期していなかった。それで「クボタショック」といわれるのである。工場内の塵埃を排気装置で工場外へ無処理で撒き散らせば、濃度は低いものの影響は出ることは考えられる。2000年ブラジルで「第1回アスベスト会議」が開かれ「一般住民がアスベストを吸い込んで中皮腫を発症するなど深刻な被害が出ている」と警告した。しかし実際に死者が出ない限り動かないのが日本の行政機構の本質であるので無視され続け、1992年にアスベスト規制法が国会に提出されたが一度も審議されることなく廃案となった。欧州諸国では1980年から1990年代にかけてアスベスト使用の原則禁止を打ち出していた。2004年尼崎の旧クボタ工場付近の住民数名が中皮腫と判明し治療を受けてiいることが判り、尼崎市議会議員で元クボタ労働組合委員が2005年3月、クボタ本社でアスベスト被害の話し合いを持ちたいと切り出した。4月12日クボタ本社で、市議立会いにもと、 「尼崎労働者安全衛生センター」事務局長とクボタの安全・環境関係部長3名との会合が行なわれた。市議らはクボタの環境測定データとアスベスト使用量と労災認定データを求めたが、クボタ側は用意していなかったので、市議らは情報公開を迫った。クボタは1986年アスベストによる従業員の中皮腫発症を確認していた。しかし工場外への拡大は想定していなかった。クボタの2005年経営方針ではCSR(企業の社会的責任)を重点方針としていたので、社長は情報公開に積極的であった。4月21日尼崎市議会応接室で、市議とクボタ側の3人が再度顔を合わせた。そしてクボタは前回に要求されたデーターを手渡した。そして4月26日公民館で患者3名がクボタの3名に対面した。この対面後クボタは動き出した。社内ではいろいろ議論があったようだが、5月10日クボタは条件をつけないで3名への見舞金200万円を提示した。著者がクボタの担当者に取材して結果、次のような説明があったので、6月29日これらの経過と情報を毎日新聞夕刊に掲載したという。 
@ 旧神崎工場では1954年から95年までに石綿水道管を製造し、累計24万トンのアスベストを使用した。小田原工場や滋賀工場でも2001年までアスベストを使用していた。
A クボタ全体のアスベスト労災で死亡した従業員は75名で、出入り業者を含めると死者は79名(中皮腫が43名、肺がんが16名)であった。

同日夕方新聞が出回った午後6時にクボタは記者会見を開いた。こうして6月29日から30日にかけて「クボタショック」、「アスベストショック」といわれる社会への警報が鳴らされた。2ヵ月後の8月24日には、「患者と家族の会」、「尼崎労働者安全衛生センター」はクボタに対し、新たに21名(内18名は既に死亡)の見舞金を支払うよう要求した事を発表した。2011年3月時点でのクボタが救済金の支払いを認めた患者数は212名を超え、クボタ社内の従業員の患者数は176名となった。クボタの謝罪と補償問題について裁判の方向も考えられたが、2005年12月25日クボタ社長と幹部5名は周辺住民の中皮腫患者70名と面談し、「周辺住民に迷惑をかけた可能性は否定できない」とし「事業者の道義的責任を感じ、お詫びと弔意を表します」といった。そして「問題を裁判の場に持ち込んで長引かせることはできない。見舞金制度に変わりさらに踏み込んだ対策をします」といった。クボタでは社員の中皮腫死亡者には労災補償に加え一人2500万ー3200万円の上乗せを行い、社外の患者に対しても、ひとり2500万ー4300万円を救済金という名目で支払う補償を発表し、患者側と合意した。この時点で患者数は88名(死亡者71名)で支払い金合計は32億円であった。不服申し立てを検討する「救済金運営協議会」を患者と会社から構成した。これが契機となりニチアス、エーアンドエーマテリアル、東洋、旧日本エタニットパイプにもアスベスト被害者救済が始まった。環境省は2007年-09年度に3648人の健康リスク調査を行い、アスベストによる胸膜プラークが診断された人は905人にのぼった。

2) 政府アスベスト対策の遅れ

この「クボタショック」により社会の眼がアスベストと中皮腫に注がれると、突破口が開かれたように、様々な職場や生活環境の被害実態が明らかにされた。しかし厚生労働省は自身の統計データーを見るだけで、中皮腫死亡者の実態に気がつかなければならない。下表の厚労省の人口動態統計で見る中皮腫と肺がん死亡者の数と同じ厚労省の労災認定者の数を比較すれば、2004年までは労災認定された人は10%以下で殆どの人が救済されていなかったことが分る。この間厚労省はアスベスト被害を工場内に閉じ込め、労災認定を極力押さえ込むため、アスベスト情報を隠していたことが歴然である。2005年の「クボタショック」がいかに人の目を覚ましたかが、労災認定者数の激増ぶりでも分る。

中皮腫による死亡者と労災認定
中皮腫による死亡者アスベスト労災認定者:肺がんアスベスト労災認定者:中皮腫中皮腫労災認定率%
199964717254
200177221344
2003878388510
200591121350255
2007106850250047
2009115648053646
ついに厚労省は2005年7月末と8月末にアスベストによる労災認の情報を公開した。アスベスト労災認定したことがある383箇所の事業所名とアスベスト使用量・時期と事業所ごとの中皮腫と肺がんの内訳などである。定労災認定の時効の規定では、死亡後5年以内に請求しないと認定の要件を失うことになっていた。被害者達が原因に気付くのには、なによりも重要なのが情報である。情報を知らさずに、気がついた時期には時効で切り捨てるのはいかにも官僚仕事であろう。官僚仕事は個人申請主義で貫かれている。個人が知らなければ何事もなかったことになる。無慈悲な仕打ちを平気でやるのが「知らしむべからず、寄らしむべからず」の天皇制官僚である。政府は2005年8月末にアスベスト問題関係閣僚会議をおこない「石綿健康被害救済法」を立案し、2006年2月に成立3月に施行された。環境省はアスベスト工場周辺の住民・労働者の家族を対象とした。死亡者には弔慰金、医療費・葬祭料を支払う。厚労省は労災時効が過ぎた人の救済をおこなう「時効救済」である。救済法は政府の不作為などの責任を認めた補償ではなく、「救済」に止まっていることが被害者の不満を増した。そして2006年度分のアスベスト事業所名の情報公開がなされなかった。厚労省の言い訳は、事業所名の公開は、企業の調査への協力が難しくなるからというものだが、明らかに企業側の圧力を受けた形跡があり、このような恣意的な情報隠蔽は許されないという抗議のまえに、2008年3月舛添厚労相は情報公開に踏み切りった。それによると2004年のアスベスト労災認定事業所の数は383であったが、2005年と2006年の新たな合計労災認定事業所数は2167箇所の事業所名を公開した。しかしここには2005年度公開の大手事業所は非公開となっており、新聞各社の抗議によって、6月12日厚労省は追加発表を行い、合計2327事業所のアスベスト被害実態が公表された。認定者の多い事業所はクボタ旧神崎事業所、三菱重工業長崎造船所などであった。公表されたデーターの固有名部分は黒のべた塗りであったが、暗号解読によって個別取材で確証を得ることができ、その成果である全事業所のデーターは2007年12月3日つけの新聞5ページにわたって掲載された。石綿救済法の施行後、さらに新たな問題が発生した。時効規定はあくまで救済範囲の拡大であって、時効そのものの撤廃はしなかった。それは中皮腫患者が生存中に手続きをしないと給付が受けられないという「救われない時効」の扱いが争点となった。法は2006年に施行されたが、5年経過した2001年以降の死亡者が申請しないと永久に救われないことになる。新聞を読んでいても気がつかないで時効になる人はやはり救われない。そこで2008年6月11日「改正石綿救済法」が成立した。改正法では大将の疾患であることが認定されれば、医療費・療養手当てを含めて原則約300万円が始終されるようになった。また改正法では「情報公開」という条文が創設され、国に情報公開の徹底を義務つけた。

3) 拡がるアスベスト禍

アスベストによる健康被害で労災認定された人は、1947年の労災保険法施行以来2005年3月末までに739人に過ぎなかったが、2011年2月末には通算で1万4000人に達した。国内有数のアスベスト産業地帯であった大阪泉南地区の患者達は、国が長年にわたってアスベスト規制を怠ったため深刻な被害にあったとして、2006年5月大阪地裁に国家賠償訴訟を起こした。泉南地区はアスベスト紡績工場が日露戦争後に建ち始めが、毛布用の特殊紡績業へ展開したため、在日朝鮮人らがアスベスト紡績機械を譲り受け石綿糸、石綿布、石綿布団を製作し、各種産業へ材料を提供した。岸和田労働基準監督署の資料には、1955年から1998年度まで、アスベスト紡績業で労災認定されたのは通算198人、死者は150人とされた。死因は石綿肺、呼吸不全が半数以上、肺がん・中皮腫は13%とされている。2010年5月大阪地裁は判決で、国がアスベストの危険性を知ったのは遅くとも中皮腫と肺がんについて1972年だったとして、国の責任を認め4億3500万円を賠償するように命じた。1971年の特定化学物質等障害予防規則「特化則」が危険性の認定をしたためである。それ以降実質的な予防策をとらなかった国の不作為の責任を認めた。大阪地裁は「特化則」の実効性を検証し、結果の報告と改善措置が義務付けられておらず「ザル法」だったと断罪した。そして1989年に工場敷地境界線のアスベスト濃度を規制した「改正大気汚染防止法」から、国には付近住民にたいする公害予防の責任が生じるとした。行政は人が死んでから動き始めるといわれるが、アスベスト被害に関しては何千人も死んでもなお動かなかった責任は重い。

アスベストに係るさまざまな産業の被害状況を見てゆく。労災認定された人の中で、「建設業」(スレートなどの建材)が43%を占めて断然トップであった。ついで造船業(保温材・吹き付けアスベスト)が14%、窯業・土石製品製造業(配管・耐火物)は8.5%、輸送機械製造業(鉄道車両など)は5.2%、機械器具製造業が4%、化学工業(プラント)が3.4%、その他が22%である。2008年建設労働者388名は国及び建材メーカーを相手取って集団訴訟を起こした。造船業関係では、住友重機械工業を相手にした1988年の「横須賀石綿塵肺訴訟」が有名で、1999年アスベスト疾患訴訟では国及び米軍を相手に提訴し勝利または和解となった。さらに造船下請け企業の作業員にも救済を広げる訴訟が2008年に起こされ2011年3月に和解が成立した。鉄道関連業では旧国鉄職員2人が2007年横浜地裁に提訴し、2008年12月和解が成立した。再生機構とJRは責任を認め1人1700万円を支払った。2011年6月時点での旧国鉄職員のアスベスト被害認定者は中皮腫が151人、肺がんが110人など計330人に達している。「輸送用機械器具製造業」では2010年3月末でのアスベスト健康被害者は労災認定されただけで400人となる。化学工業での被害も目立ち始めた。2010年3月末時点での労災認定者は化学工業で264人、繊維工業で115人であった。中皮腫の潜伏期間は40年であるため、定年退職してから発病する人にたいして、企業は高齢を理由に補償金を打ち切っていた離、年齢制限・差別をもうけたりしていたため、退職者は訴訟を起こした。ニチアスと日本通運訴訟では大阪地裁は2011年3月2620万円の支払いを命じた。ニチアスでは退職者が企業と団体交渉するために、2006年「退職者労働組合」を結成したが、会社は団体交渉を拒否した。兵庫県労働委員会は2007年7月団体交渉権を否定したが、大阪地裁へ提訴し、2008年団体交渉権を認める判決が出、2009年2月大阪高裁での控訴審でも団体交渉権を認めた。

4) 生活の中のアスベスト被害

アスベスト製品の製造過程での労働者の被害は、2004年のアスベスト輸入、製造、使用の禁止により、少なくとも2040年ごろには新たなアスベスト健康被害は出ないだろう。しかし日常生活に入り込んだアスベスト製品により知らないうちに被害にあう「第二波被害」が広がろうとしている。職場・学校・或いは近隣で使われているアスベストの危険性を認識しなければならない。テナント店舗の倉庫の壁の「吹き付けアスベスト」で中皮腫となった人が2004年に亡くなった。「吹き付けアスベスト」は主に耐火、吸音材としてアスベストとセメントを混合して使用されていた。1975年にアスベスト5%含有の吹きつけは禁止されたが、5%以下の「吹き付けロックウール」は1995年ごろまでは工事に使用されていた。2006年家族は大屋の近鉄を相手に訴訟を起こした。近鉄は2007年までにアスベスト除去の対策を終えたが、2009年8月に大阪地裁の判決が出て、近鉄に5000万円の賠償を命じた。規模の小さい建物におけるアスベスト使用の実態は現在もなお把握されていない。国土交通省は2005年以来床面積1000平方メートル以上の建築物のアスベスト使用の調査を依頼した。その結果2007年3月までに、にアスベストが露出している建物が1万6000棟あることが分った。職場では鉄筋構造の耐火用として吹き付けアスベストが使用されていた。機械室、空調室、ボイラー室、電気室、給湯室などのユーテリティー施設の空間である。一般の家庭では2004年までの製造分で石綿スレート材「コロニアル」などに使用されていた。外壁には「サイディング材」という建材が使われていた。一般消費者が使用するアスベスト製品は774製品もある事が経産省に届けられた。いずれも分断したり粉砕しなければ支障はない。

最大の問題は、建材等に使われ日々の生活に溶け込んでいるアスベストが飛散しそれらを吸引する危険性が高まるのは、建物の解体・改築時やアスベストの除去工事の際である。飛散防止のために規制する法令には、@石綿障害予防則、A大気汚染防止法、B廃棄物処理法、C建築基準法である。石綿障害予防則ではアスベスト除去作業計画を労働基準監督署に届け、作業者の健康を守るため「石綿作業主任者」の選任と管理を義務つけている。大気汚染防止法ではアスベスト吹き付け材を「特定建築材料」と定め、付近住民の健康を守るため除去工事は都道府県知事に届けなければならない。飛散防止策の手順が示されている。廃棄物処理法ではアスベスト廃棄物は「特別管理産業廃棄物」となり規制される。安定型処分場に分散しないよう埋め立てる。建築基準法では増改築の際原則アスベストの除去を義務づけている。除去しな医場合でも「封じ込め」、「囲い込み」措置の基準を定めている。行政当局に工事が適正に行なわれているかどうかの監視が必要である。ところが工事の最初にちょっと顔を出す程度では、あとの手抜きは一切分らない。行政は人がいないとか、信頼が前提とかいって、作業を完全には把握していないのが通例である。そこでNPOなどの専門家によるパトロール監視機構が必要になってくる。文部省は1987年度より教育委員会に学校を調査するよう指示した。2006年から2008年度の3年間にアスベスト関連がんと認定された教職員関係者は139人にのぼった。さらに大学や保育園なども心配である。


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