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原科幸彦著 「環境アセスメントとは何か」
 岩波新書(2010年3月)

持続可能な社会を作るために必須のツール

環境アセスメント(環境影響評価 EIA)は最近よく聞く言葉である。米軍普天間基地の代替施設問題、八ッ場ダム、諫早湾干拓、東京圏央道など事業による環境への影響が懸念され紛争にまで発展した。環境アセスメントによりその問題点がさらに際立って、本当にこのような事業が必要なのかというそもそも論(ノーアクション)が問われたのだ。数十年前の決定を事業ありきで馬車馬的に遂行する日本的官僚機構の悪しき弊害も浮き彫りにされた。2011年3月11日の福島第1原発の爆発事故の環境影響は凄まじく「原発安全神話」は完璧に吹っ飛んだ。この事故の本当の原因は、長年の電力事業が環境アセスメントの対象外に置かれたことで、客観的な環境影響評価がなされなかったためである。「環境アセスメントとは、人間行為が環境に及ぼす影響を予測し、それを出来るだけ緩和するための社会的な手段である」とされる。人間行為とは代表的には各種開発行為である。事業の実施に先立ち、それが環境に与える影響を緩和するために環境影響を予測・評価して、環境保全策を選択する。このような配慮を行なうのは事業者(国、民間)であり、その取り組みを推進するために住民参加などを含めた社会的プロセスが必要である。つまり環境アセスメントは公害規制のような規制手段ではなく、事業者の自主的な環境配慮を促す手段(経済的誘導策とあわせて)である。このための法律が1997年公布の「環境影響評価法(アセス法)」である。世界的な取り組みは国際環境影響学会(IAIA)が中心的に指導している。環境影響評価は持続可能な社会を作るために必須のツールといわれるので、目標である持続可能な社会とは何かについては、これまで多くのことが議論されてきたので佐和隆光著 「グリーン資本主義」(岩波新書)を紹介する。

ところが日本では官製環境アセスメントは極めて評判が悪い。これを「手続きを経ればいい、お墨付きをもらう」ということが、アセスメントに対する国民の失望の根源であろう。事業者は事業ありきという結論が決まっていたり、別案では巨額の経費を伴うので避けたいという場合、事業を行う上での都合の悪いデータを隠したり都合のいいデータを捏造したりする、形だけの「アワセメント」になっては不誠実な対応になる。「アセスメントは開発の免罪符」と言われても仕方がない。アセスメント自体に長い時間と巨額の費用がかかるので、事業者はアセスメントを余計な負担としか感じない。1972年以来の日本のアセスメント制度化の歴史は,官庁や産業界がアセスメント対象を限定し,少しでも手続きを簡略化しようと努めてきた歴史であった。日本では対象事業は極めて限定されかつ大規模事業に対してのみ環境アセスメントが行なわれる仕組みとなった。そのため日本のアセスメント実施件数は外国に較べて桁違いに少なく、年平均60件程度に留まっている。米国では6-8万件である。米国で1969年に「国家環境政策法(NEPA)」が発足してから約30年後の1997年に日本でもアセス法が制定された。OECD加盟国29カ国中の最後の国という汚名を被ったことになる。このことはアセス法見直しのための2009年「環境影響評価制度総合研究会」(環境省)の9名の委員に、産業界と学者と行政関係者が占め、市民やNGO代表がいなかったことからも日本のアセス法の本質が窺える。実は私は環境アセスメントというと白い目で見たくなる人間の1人である。産業界や省庁が新橋界隈のシンクタンクを使って自分に都合のいい評価結果に仕立て上げる虚構と考えていた。本書を読んで「有るべき姿論」に戻って考える機会が得られたことに感謝する。私は環境影響評価法自体は、企業のISO環境認証システムの中で、企業CSRや環境適合製品評価システムなどですでに学んできた手法である。手法そのものには違和感はないが、環境影響評価の困難性(特に生態系影響)も十分に理解できる。

著者原科幸彦氏のプロフィールを紹介する。1946年生まれ、1975年東京工業大学理工学部博士課程終了、国立公害研究所(現:国立環境研究所)主任研究員を経て東京工業大学助教授、現在は東京工業大学大学院教授である。専門分野は環境計画、住民参加、環境アセスメント、合意形成論だそうだ。主な著書には.『環境計画・政策研究の展開』岩波書店、2007年、『市民参加と合意形成』学芸出版社、2005年、『改訂版・環境アセスメント』放送大学教育振興会、2000年、『環境アセスメント基本用語事典』オーム社、2000年、『戦略的環境アセスメント(監訳)』ぎょうせい、1998年などがある。2010年に環境科学学会賞、2011年4月文部科学省「科学技術賞(理解増進部門) 持続可能な社会への環境アセスメント制度と方法」を受賞した。そして2011年度に東京工業大学大学院教授を定年退官することになっている。

1) 日本の環境アセスメント

1972年環境アセスメントの閣議了解から1997年の環境アセスメント法の成立までの25年間の歩みを概観する。1960年代は各地で公害問題は噴出し、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、4日市喘息の4大公害事件を生んだ。公害反対運動の高まりによって大規模工場建設や工業団地開発の事前調査が求められるようになった。全国総合開発計画において産業公害総合事前調査が実施されるようなったが、これは省庁がおこなう調査で情報公開や住民参加という視点がなく、環境アセスメントの基本要件を満たしていなかった。当時の日本では公害・環境施策の多くが住民運動があって初めておこなわれる後追い政策であったといえる。1963年に始まる三島・沼津石油コンビナート計画は4日市コンビナートの実態を見て反対運動が高まった。通産省は遅ればせながら事前調査を行なった(黒川調査団)が、短期間でおざなりなゴーサインを出すだけの調査で、かえって住民の一層の反対運動が盛り上がった。住民は独自の調査団を組織し黒川調査団とは正反対の調査結果を発表し、結局このコンビナート計画は1964年に中止となった。そして4大公害訴訟は1970年以降次々と原告・被害者が勝訴した。4日市訴訟では津地裁は「立地上の過失」があるとした。これは環境影響評価の必要性を明確にするものと理解された。環境アセスメント制度を進める外的な契機となったのは、1970年に施行された米国の「国家環境政策法(NEPA)」によるアセスメント制度である。1970年はアースディがもたれ世界的な環境保護運動の盛り上がりが日本にも波及し、公害国会が開かれ公害関連14法案が成立し1971年には環境庁が発足した。

1972年のストックホルムにおける国連人間環境会議にあわせて、「各種公共事業に係る環境保全対策について」の閣議了解を行い、ストックホルム会議において大石長官は「環境アセスメントの手法を取り入れる事を宣言した。発足したばかりの環境庁がアセスメントの制度化に取り組んだが、大規模事業を所管する省庁(通産、建設,運輸など)は個別にアセスメントを行なうとして、統一的な法制度化には強く反対した。所轄官庁の権限と権益を守るため審議会などを公開せず、情報公開と住民参加はないがしろにされた。また環境庁の関与は弱く、準備書がアセスメント調査が終ってから発表されるなど問題点が多かった。先進的な地方自治体でアセスメント条例が作られたが要綱どまりの自治が多かった。環境庁は1974年に中公審にアセスメント運用指針をまとめさせアセス法案化に意欲を示した。ところがオイルショックによって経団連を初め産業界の反対が強く、1976年の第1回法案提出は流産した。(事務次官会議は全員一致を原則としていたから) 1981年に都市計画と電力事業などを対象外とする骨抜き法案が6回目の正直でまとまった。それでも1983年には審議未了で廃案となった。1984年閣議決定で大規模事業(電力事業は除く)を対象にアセスメントを行なう事を決定したが、法規制力がなくかつ環境庁官の意見は要請がなければ出せなかった。その結果1999年までの閣議アセスメントの448件のうち環境庁長官のコメントは僅か23件にしか求められていなかった。各省庁の思い通りにアセスメントが行なわれた。これでは全く評価にチェックが入っていないのと同然であった。

このアセスメント制度の日本的状況に転換をもたらしたのは、1992年のリオサミット「環境と開発に関する国連会議」である。この会議のあと1993年「環境基本法」が成立した。環境基本法第20条で「環境影響評価の推進」を規定した。1994年から環境庁は「環境影響評価制度」の検討を開始し、1997年には法制化に向けた答申がなされ、電力事業を外さずに法案は閣議決定された。1999年からアセス法は全面施行された。この法は、評価の範囲や代替案の概要を示す「方法書」と、調査結果を示す「準備書」、最終的な評価である「評価書」の三段階の手続きからなる。この各々の段階で文章公告と意見書がなされる仕組みである。法の流れは、まず個個の事業をアセスメント対象にするかどうかのスクリーニングの段階がある。環境影響評価法の対象事業は、道路・河川・鉄道・飛行場・発電所・廃棄物最終処分場・埋め立て地・土地区画整理・新住宅市街地開発・工業団地造成・新都市基盤整備・流通団地造成・宅地造成の13事業と港湾計画であり、かつ規模によって第1種と第2種を設けた。第2種事業は著しい影響がないと判断されれば次の詳細アセスメントには進まない。

詳細アセスメントをみてゆこう。方法書において検討範囲の絞込み(スコーピング)の段階がある。代替案の範囲と検討項目を決める。調査・予測・評価方法も決めてゆく。事業者がまず方法書を作成し公表する。公衆の意見を集め第1回目の協議が行われなければならない。方法書段階が終了するとアセスメント調査が行なわれる。これに基づき事業者は評価書の原案である準備書をを作成する。準備書に対して第2回目の公衆協議をおこなう。説明会の開催が義務付けられているが、多くの地方自治条例では公聴会の開催が規定されている。修正を経て評価書が作成される。これにたいして環境大臣と許認可権者の意見が出される。環境アセス法の対象は巨大事業だけであるので、規模の小さな事業に対しては地方自治体のアセスメント制度が設けられる。2011年度げんざいで47都道府県すべてがアセスメント制度(条例)を持っている。基本的には国の法に準じるが、地方自治体独自の横出し(対象範囲)、上乗せ(基準)が認められている。例えば意見書に答える事業者の「見解書」の公表、情報交流のための「公聴会」設置、専門的見地から「審査会」の設置、議事録の書き方の工夫などである。巨大事業であればアセスメント手続きの時間は1-2年、費用は推算で数億円というのが相場である。10年間の実施件数割り合いは道路が38%、発電所が26%である。法は実施後10年で見直すことになっており、2010年に改正案が答申されたが、まだまだ不十分といわざるを得ない。

2) 環境アセスメントの本質

日本の環境影響評価制度のどこが問題点なのであろうか。環境アセスメントの目的は、事業開始のための手続きではなく、社会の持続可能性を高めることにある。日本の環境アセスメントでは、方法書、準備書、評価書の3つの文書が公表され、方法書、準備書の公表時には公衆の意見が求められるパブリックコメントの手続きが設けられる。環境アセスメントは規制的手段ではなく情報的手段である。アセスメントは自主的な環境配慮の仕組みである。これは事業者の説明責任を果たすことに他ならない。企業なら環境配慮に関して合理的で公正な判断をしたという事を社会に示すCSRという社会に対する組織の責任である。アセスメントにおいては意志決定過程の透明化が本質である。判断形成過程を公開するだけでなく、利害関係者(ステークホルダー)の意向を反映するものでなくてはならない。事業者が自ら行なう評価ならアセスメントという言葉は不要である。社会的に第3者が認めるためには情報公開と住民参加が必須の要件となる。合理的な判断のためには「科学性」が、公正な判断のためには「民主性」が求められる。環境の質は安全性、健康性、利便性、快適性、地域性で評価することが出来るが、安全性、健康性は専門家の判断である程度合理性をもちうるが、利便性、快適性、地域性という面は評価主体によって異なる。したがって影響を受ける関連主体の価値判断を反映させるものでなくてはならない。そのプロセスに公衆の参加がないものはアセスメントとはいえない。

意志決定者の判断を支援するために、システム分析という合理的(科学的)な手法が用いられる。その手順の概略は@問題の定式化、A現状分析、B代替案の作成、C予測、D個別評価、E総合評価(解釈)であり、6段階は必要に応じてフィードバックをかけることがシステム分析の特徴である。より簡単なシステムはPDCR(計画・実行・検証・評価)という手法の応用である。代替案の検討は社会に対してオープンでなければ社会的責任を果たしたことにはならない。そして公衆・利害関係者が参加する民主性の確保の前提として、情報公開が必須の条件である。ここで歪んだ情報を発すると紛糾の原因となって、コミュニケーションが取れなくなりアセスメントが長期化する。そして情報公開に対するパブリックコメントに形だけの応答から意味のある応答にしてゆかなければならない。情報公開の課題として経営戦略上の秘密情報だとか土地の買占めが起きるなどという理由で情報公開を渋るということがある。情報を公開しないから一部の情報を持っている人間による土地の買占めが起きるのであり、早期に情報開示をして事業者の説明責任を果たすことが先決である。環境アセスメントは社会に対して開かれた形でシステム分析を行なうものであるから、事業者と公衆の間のコミュニケーションが大事である。事業者が情報を提供し公衆がそれに意見を出して事業者がそれに答えるというループの繰り返しである。環境アセスメントでは文書がコミュニケーションの主体となり、事業者が方法書・準備書を公開し(インターネット上も含めて)公衆が縦覧する。文書形式でのコミュニケーションは大量の詳細情報を扱う場合に利点があるが、一方通行という欠点がある。そこで双方向的コミュニケーションのために説明会と公聴会などを併用することが多い。公聴会は国のアセス法には規定されていないが、自治体の制度では8割が公聴会を規定している。

環境アセスメントの本質は持続可能な社会の構築にあるが、その具体的事例として1994-1998年に行なわれた愛知県「藤前干潟のアセスメント」事例を紹介する。これはアセス法以前のことであるが、結果的にはアセス法のプロセスがとられた。この問題はごみ埋立地と野鳥干潟保全の対立であった。名古屋市のごみ最終処分(埋立)地に藤前干潟が選定され、1994年からアセスメント手続きが開始された。1996年1月名古屋市の制度にのっとり現況調査計画書が公表され調査が行なわれ、1996年7月に準備書が公表された。これに対して住民より意見書が提出され、1997年2月名古屋市は見解書を公表した。そして3回公聴会がもたれ、1998年3月まで審査会が25回開催された。審査会の結論は「自然環境への影響が明らかである」ということで準備書の修正が行われた。にもかかわらずごみ埋め立て計画はやむをえないということで市議会は埋め立て申請を議決した。1998年4月IAIA(国際影響評価学会)は代替案の人口干潟を否定し、環境庁長官も人口干潟を否定し、運輸大臣は埋立地の許可を出さなかった。結局1999年1月名古屋市は藤前干潟の埋め立てを断念した。名古屋市はこれを受けて「ごみ非常事態宣言」を出して2年後には23%のごみの減量化に成功した。2002年に藤前干潟はラムサール条約の登録湿地となって野鳥保護に貢献した。

3) あるべき仕組み

環境アセスメントは事業者の自主的な判断を支援して社会への説明責任を果たす事を助ける。したがってプロセスの透明化には公衆の参加と情報公開が不可欠となる。公衆は意見を述べるが意思決定はあくまで事業者にある。そこで公衆に対する事業者の「意味ある応答」が重要である。それはすなわち公衆と事業者をつなぐコミュニケーションである。日本の環境アセスメントでは1999年までは閣議アセスメントで行なわれ公衆の意見は準備書に対する1回きりの参加であった。環境アセスメント法では方法書と準備書の2回に公衆参加があるが、アメリカのNEPAではスクリーニング、スコーピング(準備書)、準備書、評価書に4回の公衆参加が出来る仕組みとなっている。環境アセスメント法では、まず対象業種が13業種に限られていること、そして事業規模が巨大事業に限られていることが問題である。アメリカのNEPAではまず簡便な環境調査EAが実施され、年間数万件のスクリーニングで詳細アセスメントに進むのは年間200件程度である。つまり99%以上は簡便アセスメントで終っているのである。国際協力機構(新JICA)や国際協力銀行(JBIC)、日本貿易保険(NEXI)、日本貿易振興機構(JETRO)では、事業のすべてがアセスメント対象となっている。それが世界標準の方法である。すべてを詳細アセスメントに回すのではなく、簡便アセスメントにはアセスメント遁れを防止する効果と広く行なうことで環境配慮の累積効果が生じるのである。

簡便アセスメントでは検討範囲を絞りこむスコーピングが極めて重要である。事業者が社会に提供する情報の範囲を決めるのである。方法書は出来るだけ簡潔に書かれなければならないし、社会に対して開かれた形でなければならない。そして比較検討すべき代替案を絞り込むのである。考え方の異なる代表的な数例に絞りこめば調査は効率的となる。事業者が考える事業案、環境配慮を行なった代替案、何もしないノーアクション案(コントロールとして)を検討する。全時間のライフサイクルアセスメント(LCA)の手法も大切である。方法書の前に事前調査は禁止される。これはルール違反である。アメリカなどではアセスメントの核心は代替案の分析であるとされる。代替案とは代替地案とイコールではない。代替案の評価は相対評価だけでなく、評価基準を設けた絶対評価も必要である。評価には定量的評価と定性的評価(景観など)があり、複数の代替案の順位付けをおこなう。日本でアセス法施行前に先進的な環境アセスメントが行なわれた事例を紹介する。2005年日本国際博覧会(愛知万博)は1997年よりアセスメントが開始された。1998年に方法書(実施計画書)が公表され、「海上の森」景観保護を巡って会場の代替案が検討された。1999年の評価書、2001年の修正評価書と変更案が出されて青少年公園地区を中心とする最終案で決着した。事業計画に関する情報公開(代替案を含む)がまず必要である。1999年に情報公開法が制定されたが、意志決定過程など例外規定が設けられている。しかしアセスメントにおいては意志決定過程である事業計画の情報は必須である。代替案を含めてどう検討してきたかを開示することが、アカウンタビリティ(説明責任)ではにあだろうか。

4) 戦略的環境アセスメントと今後

事業アセスメントだけでなく、人間活動を管理し持続可能な社会の実現には、事業の上位にある総合計画や政策の意思決定にもアセスメントが及ぶ必要がある。事業アセスメントの限界として、
@事業段階では環境影響緩和措置を取れる範囲が制約されている。
A上位計画によって決定されているので事業の中止は極めて困難である。
B同時または順次に行なわれる複数の事業の累積的環境影響に対処できない。
が挙げられる。大規模公共事業(八ツ場ダム、吉野川可動堰、道路計画など)や、東京都の再開発事業など(公共事業については五十嵐敬喜・小川明雄著「公共事業をどうするか」岩波新書を参照)を個別の事業で評価しても結論は決まっている。官僚は計画ありきで走っているので事業の中止を求めても応じないし、裁判に持ち込む以外に手はない。そこで成長管理の考え方から,政策及び計画段階にアセスメントをおこなう戦略的アセスメントSEAが提案されている。IAIAはSEAを次のように定義する、「SEAは提案された政策・計画により生じる環境面への影響を評価する体系的なプロセスである。その目的は意思決定のできるだけ早い適切な段階で、経済的・社会的な配慮と同等に環境の配慮が行なわれ、その結果的刹那対処がとられる事を確実にする」 SEAの要件は、
@政策計画段階での実施
Aノーアクション代替案も検討
B社会・経済面の影響と環境面の影響の比較検討
Cプロセスの公開性・透明性
が求められる。アメリカのNEPAは計画EIAを行えるし仕組みがあるが、過去25年間殆どが事業アセスが中心であったとされる。オランダは1995年「環境テスト」を実施し,新たな法案を作成するとき必要に応じて環境への影響を検討する義務を課している。欧州連合EUでも2004年SEA指令を出し、より早期の計画段階で環境アセスメントを実施するものである。日本の環境基本法第19条では「国の施策の確定などにあたっての配慮」を規定した。SEAへの必要性は認識されていた。先進的な自治体ではSEA要綱が制定された(埼玉県)。環境省では1998年から「戦略的環境アセスメント研究会」を発足させ、2007年度に研究報告をまとめた。これは事業アセスメントに近い計画段階のものである。それも発電所だけがガイドラインの適用対象から外された。いかにも日本的なSEAとなってしまったが、2010年環境アセス法改正案ではあらたに計画段階配慮書のて付きを設けアセス法対象の13業種すべてに適用されることになった。計画段階のSEAの代表例として英仏海峡トンネル連絡鉄道ユーロスターと横浜青葉地区道路つくりなどがある。

アセスメントの制度がが整備され、社会的な基本的な仕組みとなれば、社会も変わってゆくはずである。まず簡便アセスメントを広く実施することにより次のような効果が生まれる。
@全国で年数万件の簡易アセスメントがおこなわれれば、地域の環境情報が蓄積され向上してゆく。
Aアセスメント技術がさらに磨かれる。シュミレーション技術も費用のかからない方法デが開発されるだろう。環境データが蓄積され、環境技術の革新が進むだろう。
B環境認証産業と併せ、アセスメント産業の発展が進む。
C環境教育と環境学習により市民の意識の向上が絶大である。
そして環境影響評価法第1条「規模が大きく環境影響の程度の著しい事業」を改定しなければならない。


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