100714

井田徹治著 「生物多様性とは何か」
 岩波新書(2010年6月)

地球上の生物の多様性を失うことは人類の生存の危機

2010年3月カタールのドーハで開かれたワシントン条約締結国会議において、クロマグロの取引禁止の可否が大きな議題となり、日本代表は防戦に成功したとはいえ、同じことが今後も議論されないことはないだろう。なぜなら世界の海からマグロが激減していることは事実なのだから、日本は持続的漁業の可能性を実地で示さなければ、クロマグロのみならず、南マグロも含めてマグロが絶滅種に指定され、漁獲が禁止されることは時間の問題である。これまでの倫理では人間が生存することが最優先であって、利益の対象となる生物が減るのは許され、また開発によって付随的に生物数が減少することは2の次に考えてよいという了解であったと思う。さて今ではこのような人間中心主義に基づく破壊的な考えは許されない。人類の持続可能的発展の考えが主流となってきた。グローバル地球環境問題において、地球温暖化防止と生物多様性は極めて似通った問題を含む。根っこが同じであるからだ。地球人口の無制限な爆発と近代化に必要な地球資源の無制限な開発が、地球自体の生存を危くするような状況であると認識されるようになったからだ。しかし開発途上国からすると、そのように考えること自体が先進国の資源独占とエゴと映り、各国の対策の足並みが一向に揃わない。本書は地球環境問題のなかで生物多様性問題だけを取り上げているが、ことが食資源にからむだけに途上国の反発と先進国のエゴが著しく対立して、地球温暖化対策以上に状況は深刻である。
著者のプロフィールを紹介する。著者の井田徹治氏は共同通信社の科学記者で、環境と開発の問題を長く取材し、気候変動枠組み条約締結国会議やワシントン条約締結国会議など海外での取材活動に基づいたレポートを多く書いている。主な著書には、「大気から警告ー迫り来る温暖化の脅威」(創芸出版)、「データで検証ー地球の資源ウソ・ホント」(講談社ブルーバックス)、「サバがトロより高くなる日」(講談社現代新書)、「カーボンリスクーCO2で地球のビジネスルールが変わる」(北星堂書店)、「ウナギ地球環境を語る魚」(岩波新書)などがある。

生物多様性の一角が壊れると、どのような変異が現れるか、そしてその生物種が果たしてきた役割りの重要性は失って始めてわかるという類の話が多い。例えばインドのケオラデオ国立公園のベンガルハゲワシに異変が起こり、2003年に公園内でベンガルハゲワシの絶滅が確認された。ハゲワシは牛などの家畜の死体を食べていたが、動物用の医薬品ジクロフェナクによってハゲワシが内臓障害を起こして死ぬことがわかった。自然の清掃人であるハゲワシの数が減ると、野犬や鼠の数が増え、インドでは狂犬病が大量発生したそうだ。ただこの手の話は「風が吹いたら桶屋が儲かる」式の曖昧な因果関係の糸で構成されているので、真実かどうかはわからないことを一応頭の片隅においておく必要はある。最近都会の雀の数がめっきり減ったという話をNHKのテレビで放映していた。中国で1955年ごろ「四害追放運動」(雀、ネズミ、ハエ、蚊)があった。農作物に被害を与える雀は稲刈り時の嫌われ者であった。日本の童話「舌切り雀」もその一環の話であるが、1年間で11億羽以上も殺した結果、農産物の虫害に悩まされ全国的な大減収となったそうである。研究者の話では1羽のシジュウガラは1年間に12万匹の虫を食べるという。虫害を防ぐために農薬を散布する費用はハンパではない。「天使の分け前」を雀に与えるくらいの心のゆとりがないと、このような「1銭を儲けて、100銭を失う」事になりかねない。(どうですよくできた話でしょう) 2006年ごろカルフォニアのアーモンド農業がミツバチの大量死「蜂群崩壊症候群CCD」によって大打撃を被ったというニュースが有名になった。アメリカでは果実の受粉期にはミツバチの貸し出しというサービスがあるそうだ。アメリカではミツバチに依存する農作物の総生産額は160億ドル、ミツバチ以外の受粉生物による農業の恩恵は400−700億ドルといわれている。受粉による農作物の生産を通じて人類は年間20兆円の利益を上げている。中南米ではランの種から発酵させて作るバニラを生産するために、ハリナシミツバチの存在が欠かせない。ところが欧州やマダガスカルではこのハチがいないため、すべて手作業で受粉させているそうだ。もし受粉生物は何らかの理由で死滅すると、その生物に受粉を頼っている植物も絶滅し、やがてその植物を食物とする動物も死に絶えるという局部的な生態系の「絶滅のドミノ倒し」が起きるのだ。人為的なミツバチによる受粉よりも、自然界の複数の天然ミツバチ群に受粉を任せた方が有効であると云う研究もある。なぜなら特定のミツバチ群が減少しても他のミツバチ群ががんばってくれるからだ。それには農薬を使わない有機農法を行なうことが基本である。それとハチ群の生態圏が違うと、花粉の遺伝的多様性が高まり、病虫害にも強くなるという1石2鳥という付録までつくそうだ。2002年スミソニアン熱帯研究所ではコーヒー畑で実験をして収量が50%増加した事を発表した。人間が栽培している農作物1500種のうち、約30−70%が動物の受粉に頼っているが、その受粉生物(昆虫が多い)が農薬など化学物質によって世界各国で減少していることが問題なのだ。

生物多様性が人間にとって大切なのは、生物が人間に提供してくれる自然の恵みつまり「生態系サービス」があるからに他ならない。しかもこの恵みは失って初めて分るもので、なかなか表には出てこない。言葉を変えていうと、生物資源としての「供給サービス」、生態系のバランスとしての「調節サービス」、植物の光合成(炭酸ガス吸収、酸素放出)などの「基盤サービス」、レクレーションや憩いのために「文化的サービス」があるという。この「生態系サービス」という考え方はいかにも二元論者の欧州人の考え方であり、自然を利用する立場からの発言である。失って分る「生態系サービス」のありがたみをお金に換算するといくらになるかという経済学がアメリカなどで研究されている。1997年コンスタンザ博士の計算によると、海洋、森林、湿地、河川湖沼、農地に分けて計算した結果、地球上の生態系の総サービス額は1年間で33兆ドル(3000兆円)であるという。これはGDPの2.8倍である。計算の精度なんて問題にしても意味はない(誰が儲けるわけでもないので)が、いいたいことはこのような生態系サービスの経済的価値が評価されていないから、各地で生態系の破壊が進んでいる原因となっていることである。エネルギーや物質の動きを「フロー」とすれば、生態系や生物多様性、地球環境はいわば「資本」に相当し、これを「自然資本」と呼ぶ。世界自然保護基金(WWF)とオランダユトレヒト大学がアマゾンの熱帯林の生態系サービスを試算した。日本の環境省も「サンゴ礁保全行動計画」で試算するとサンゴ礁の価値は年間2500億円だという。ドイツ政府とEUが「生態系と生物多様性の経済学」で試算した、再生費用と得られる利益の比較ではサンゴ礁の再生は5年で元が取れるとしている。これらの試算の妥当性はともかく、政府や企業の意思決定者に影響を与えるようになってきている。短期的な利益では破壊して得るほうが手っ取り早いが、長期的な利益を重視すれば、将来世代の利益の保護にもなるということを政策決定者に理解させることである。

1) レッドリストー絶滅に瀕する生物種

最近絶滅した生物種として、2006年末中国の淡水イルカ「揚子江川イルカ」が注目された。世界の絶滅危惧種に関する最も包括的な評価として、国際自然保護連盟(IUCN)指定がある。IUCNは1948年に発足した機関で、現在は84カ国から874の政府およびNGO会員からなり、日本政府は1995年からメンバーになった。IUCNは数年間隔で「レッドリスト」と呼ばれる絶滅危惧種のリストを発表している。レッドリストのカテゴリーには絶滅種EX、野生絶滅EW、絶滅危惧種(TA類CR、TB類EN、U類VU)、準絶滅危惧NT、軽度懸念LCからなる。定義は細かく分かれるが、代表的な種類を示す。最新のIUCNデータでは2008年10月に評価された動植物種は44838種(確認されている種180万種)、絶滅種と野生絶滅種は合わせて869種、絶滅危惧種TA類CRは3246種、絶滅危惧種TB類ENとU類VUの合計は13700種となっている。日本では環境省生物多様性センターのレッドリストによると、2007年に評価した36700種のうち、絶滅危惧種TA類CRは動物が101種、植物が523種であった。ヤンバルクイナやイリオモテヤマネコはランクが上がってTA類CR(10年間または3世代の長いほうの期間で個体数の減少が90%以上ならCR、70%を肥えたならENという国際的な基準)となった。ところが日本のレッドリストには魚類や海域の生物は含まれていない。縦割り行政の典型で環境省はタッチできないそうで、海のことは水産庁の管轄だそうだ。その水産庁は漁業資源のことは秘密にしておきたいのか、調べていないのかデータ−を公表しない。地球上の生命の歴史で5.5億年前の「カンブリアの大爆発」といわれる生物種の爆発的進化以来、約5回の「大絶滅期」を経験し、その度に95%ほどの生物種が絶滅したという。この数値の信憑性は全くないと思うが一応そういわれているそうだ。現在の人間の文明による他の生物種の絶滅がいかほどのものかは比較のしようもない。生態系の未来について国連の「ミレニアム生態系アセスメントMA」は、森林、農地、草地、淡水、沿岸域の5つの生態系に着目して、これらの生態系が経済成長や人類のために改変され、人類はこの利益で潤った反面、多くの生態系サービスの劣化と一部の人々の貧困化という代償をはらったと評価した。食料生産は向上したが、他の生態系サービスの60%以上が劣化し、非持続的に利用された。同じような指摘は世界自然保護基金WWFの2008年報告書に見られ、「生きている地球指標LPI」が1970年に較べて30%近く減少したという。また人間が地球の環境に与える打撃を「エコロジカルフットプリントEFP」と表現し、EFPは2030年ごろには地球の許容量の2倍に達するだろうと警告する。環境庁は2010年に「生物多様性総合評価」をまとめた。6つの生態系を評価して「我国の生物多様性の損失はすべての生態系に及んでおり、全体的にみれば損失は今も続いている」という結論である。ただ日本には「里山」文化があり、適切な人間の手が入った生態系では豊かな多様性が保たれていると、環境省は農村賛歌というか失われた農村風景ノスタルジーに立脚した変な思い入れがある。「侵略的外来種」を防禦するという国粋主義がちらほら見えるのが気になる環境省の考え方である。海外との往来が激しい今日、インフルンザを空港で食止める以上に困難なことではないだろうか。

2) ホットスポットー生態圏保護の試み

スタンフォード大学のマイヤーズ博士と「コンサベーション・インターナショナルCI」らは、「人類が優先的に生物多様性保全の努力を傾けるべき場所」として、世界に34箇所の「ホットスポット」の概念を打ち上げた。定義は「自生する植物種の0.5%以上か、1500種以上が固有種であり、かつもとの植生の少なくとも70%が失われた場所」である。2000年に科学誌「ネイチャー」に25箇所が発表され、2005年に9箇所を追加指定し34箇所のホットスポットが公表されている。34箇所のうち23箇所は紛争地域であり貧困地域も多い。政治的経済的不安定の上に立たされるまさしく「ホットスポット」である。その中からマダガスカル、ニューカレドニア、ブラジルのセラード、インドシナ半島、日本列島の5箇所の問題点を考えてゆこうとする。ただこれは概念であり、まだ国連のプロジェクトになっていないし国際的承認を受けた条約でもない。危機に立たされた生態系を見るということである。
1) マダガスカル
ホットスポット中のホットスポットといわれ、あまりありがたくない名誉を頂いたのはインド洋に浮かぶマダガスカル島である。1億6000年前に巨大大陸「ゴンドワナ」が分裂し始め、8000万年前に分離して出来た島である。太い幹の「バオパブ」という木が象徴的な固有種である。コビとキツネザルやヘラヤモリなどほかでは見られない多様な固有種が多いという。もとあった植生の90%がすでに失われ、水田開発、焼畑農業、過剰な放牧、ニッケル開発によるパイプライン建設などが生態系破壊の主因である。このニッケル採掘プロジェクトには日本の住友商事が参加しており、環境破壊に見合うだけの森林再生に努力するという「生物多様性オフセット相殺」には批判の声が高いという。IUCNが2010年に「世界で最も危機的な状況にある25種の霊長類」のリストにマダガスカルの5種の霊長類が含まれている。キツネザルがレストランで食用に消費される現地では危機感はひとり外国学者のものに過ぎないのだろうか。アシダシべ国立公園のインドリを見に訪れるエコツアーは重要な住民の収入源である。このような方向へ住民の視点を変えることは出来ないのだろうか。政情不安なマダガスカルの取り組みはひとつの試金石である。
2) ニューカレドニア
オーストラリアの東にあるフランス領ニューカレドニアはサンゴ礁バリアリーフが存在する。森村桂は「天国に一番近い島」と呼んだ。孤島であるがゆえに固有種の割合は低木林で90%、全島中約3270種のうち74%が固有種である。鳥類の105種のうち23種が固有種である。カグーという灰青色の美しい羽を持つ鳥が有名だ。世界最大のニッケル鉱床が露天掘りできるため、掘り尽くされた鉱山跡の荒廃が著しい。ゴロ地区の採掘には、日本企業は2004年から住友金属鉱山と三井物産が出資し、廃液用パイプラインはサンゴ礁に注ぐ。反対運動派との協定が締結され2009年より操業した。23万人の住民の将来に、日本企業が密接に関係している典型的な例である。
3) ブラジルのセラード
ブラジルというとアマゾンの熱帯林が地球温暖化問題で注目されてきたが、ブラジル中央部に広がる高地の平原セラードの生物多様性が問題となっている。全く手附かずの状態で多様性が守られ、自生する1万種の植物のうち4400種が固有の種である。ところが1970年ごろから始まったブラジル政府の土地改良事業に、日本政府は600億円のODA援助を行い、セラードはブラジルの穀物生産の35%、大豆については60%近くを生産している。そしてそれはブラジルの輸出に貢献し日本の食糧安定の大きな柱となっている。セラードの草原地帯の開発はアマゾン熱帯林の2倍近いスピードで破壊されているということである。ブラジル政府の規制では、セラードの開発に際しては森林の25%は残すことになっているが、規定が遵守される例は少ないという。
4) インドシナ半島
チベット、中国雲南省からメコン川流域のタイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマー、ラオスなどが昔「インド・ビルマ」と呼ばれたホットスポットである。この地域の植物種13500種のうち、半数近くの種が固有種である。特に野生のランは固有のものが多い。動物種ではトンキンシシバナザル、サオラなどは最近まで人に知られていなかったという。日本、中国の需要を見込んで大規模なエビ養殖池が森林地を開発し、トラの生息地がなくなり個体数が激減した。マレーのトラは絶滅に瀕しており現在は350頭に過ぎない。カンボジアのトンレサップ湖は淡水魚の宝庫であった。トンレサップ湖とメコン川は約1200種の淡水魚類が棲息し、世界一の内淡水漁業場である。メコン川上流に3つのダムが建設され、生態系に与える影響が心配される。
5) 日本列島
日本に住んでいてなかなか気がつかないが、日本に自生する植物種約5600種のうち約3分の1が固有種である。哺乳類は94種が生息しているが、ほぼ半数が固有種である。両生類の多様性は高く、全50種のうち90%近くが固有種である。井伏鱒二の短編小説「山椒魚」で描かれた頭の大きいオオサンショウウオの個体数は約1万匹といわれている。

3) レッドプログラムー保護から再生へ

生物多様性はが直面する危機は、ただ手をこまねいて政府に対策を要望するだけでは一向に改善しない。世界各国での生物多様性の損失に歯止めをかける取り組みを紹介する。些細な一歩だが大きな一歩となる事を願って、巨大な破壊力に抗することは、結論的にはなかなか難しい。ユカタン半島の根本にあるベリーズは最近独立したばかりのカリブ海の国である。ベリーズの沖にあるサンゴ礁はオーストラリアのグレートバリアリーフに次ぐ規模を持つ。1996年「ベリーフのサンゴ礁保護区」として「世界自然遺産」に登録された。ここはホットスポット「カリブ海諸島」の主要な部分である。絶滅が心配される「ジンベイザメ」は、2001年にワシントン条約により国際的取引が規制された。この地域の漁業は乱獲から漁獲量は激減した。地元の環境保護団体「自然の友 FON」は2003年2月、世界で始めてジンベイザメの海洋保護区を作った。保護区の監視作業を続け、ダイビングとガイドの「観光業」が地域の主要産業になったという。皮肉なことであるが今度は観光業の行き過ぎで、サンゴ礁が2009年に「危機的な世界遺産リスト」に挙げられた。2005年生物多様性条約締結国会議は、各国の排他的経済水域EEZの10%を海洋保護区にするべきだと数値目標を掲げたが、現在の海洋保護区の割合は0.9%に過ぎず、10%の目標が達成できそうなのは2050年ごろである。

ブラジルの大西洋岸の森「マタ・アトランティカ」は昔は豊かな森であったが、現在10万平方キロ足らず、元の8%までに減少した。この地域に自生する植物は約2万種、うち8000種は固有の種である。1989年カカオ栽培はカビにいる病気「ウイッチブルーム」によって壊滅した。そして町の失業率は50%になり、貧困と伐採によって森が不法に乱開発された。森林を木材供給のために伐採するのではなく、森林のなかで農業を行なう「アグロフォレストリー」(農業複合経営)で、カカオ、コーヒー、ゴム、ナッツ、コルク、バニラ、などを栽培するのである。モノプランテーションでは壊滅のリスクが高いので、リスク回避のために、大規模農業から縄文時代農業の多品種少量生産へ向かう方向である。これが成功するかどうかは分らない。人口48万人の南米の小国スリナムでは、中央スリナム自然保護区が世界自然遺産に登録された。金・ボーキサイト・石油資源に恵まれていたせいか、スリナムには多くの森が手づかずに残っていた。国土の90%が森林であり、豊かな生態系と森林資源を根幹とした新たな経済成長を目指し始めた。2009年大統領は「グリーン成長戦略」を発表した。それは国連などが進めている森林保全と地球温暖化防止のための「REDD]プログラムである。発展途上国での森林破壊と劣化の防止のプログラムをいう。京都議定書の「クリーン開発」は新たな炭酸ガス吸収源を増やした分だけ排出枠として認めるものであるが、REDDプログラムでは森林保全によって排出しないですんだ分についても排出枠として認めるように働きかけるもので「グリーン開発」という。これが国連気候変動枠組み条約で認められるかどうかは不明であるが、森林破壊が原因で消失する炭酸ガス吸収源の量をどう評価するか難しい問題であるが、排出削減の技術的問題をクリアーすることも重要だが、森林の吸収源がドンドン失われている現在、森林を維持するための対策の方が重要ではないかという提案は敬聴に価する。

野生絶滅種を人工繁殖・飼育して野性に戻す試みが少しづつ成功している。タイブーケット島のテナガザル野生復帰施設の取り組み、日本でのコウノトリ、トキ、インド洋の島でのモーリシャスチョウゲンボウ、ニュージランドチャタム諸島のヒタキ、アラビア半島のアラビアオリックスなどの成功例は保護から再生への希望を持たせる取り組みである。日本の海岸の生態系破壊は海亀の産卵場所を奪っている。2007年波除のコンクリートブロックを除去し、人工生垣による砂浜再生プロジェクトが始まり、海亀の産卵が観察されたという。日本の河川や海岸のコンクリート土木工事は自然を失い、生物種の破滅を招いた。もう少し知恵を働かすべき時が来たようだ。「コンクリリートから人へ」は民主党のスローガンだが、「コンクリートから自然へ」は生物多様性のスローガンである。

4) 生物多様性条約とグリーン開発メカニズム

1986年ワシントンで「生物多様性に関する国際フォーラム」が開催された。このフォーラムの報告書は世界に大きな反響を呼び、1987年国連環境計画(UNEP)が生物多様性保全のための国際条約作りを開始した。1984年にはすでに国際自然保護連合(IUCN)が条約原案を作り、「資源を保有する国に生物多様性の主権を認め、得られた利益から基金を作って、生物多様性保全を進めるという仕組み」を考えていた。ところが各国間の交渉では、生物多様性保全に関する技術移転をもとめる発展途上国と、バイオテクノロジー大国は知的所有権の保護を求めて激しく対立した。1992年4月でも合意に至らない条文の箇所は350箇所もあったという。それでも条約は生物多様性保全と持続的利用が重要課題である事を明確にし、遺伝資源の各国の主権を認める一方、その保全と持続的利用の政策を進める事を義務付けるという画期的な内容となった。最大の焦点はバイオテクノロジーの扱いで、「バイオテクノロジーの取り扱いと利益の配分」という条文で途上国は賛成に廻ったが、米国は最後まで反対の姿勢であった。1993年大統領に就任した民主党のクリントンは態度を改め条約に署名したが、議会の批准はついに得られていない。日本・欧州・発展途上国の批准で生物多様性条約は1993年12月に発効した。2010年現在条約の加盟国は193カ国になり、未批准国はアメリカとバチカンのみとなった。生物資源から薬効成分と新薬開発及び利益の配分に関する議論はなかなか進まなかったが、2002年には強制力のない「ボンガイドライン」が提案され、議定書としてまとめられた。利益を原産国と利用者で議論して決める原則は、各国内の遺伝資源に対する公平なアクセスを保証するという方向で理解が得られつつある。

国連環境計画(UNEP)金融イニシャティブは「社会的に責任ある投資PRI」の原則を採用する金融機関が増えてきているという。2010年世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)は生物多様性のリスク管理に関する法国書を提出した。生物資源に関する直接的なリスク以外にも、アクセス条件としての規制や法的リスク、消費者動向など市場のリスク、評判や資金調達のリスクが産業やビジネスで理解されて来ているという。2008年国際自然保護連盟(IUCN)とシェル石油は共同で「生物多様性ビジネスの構築」という報告書を出した。もはや地球温暖化防止も生物多様性もビジネスの対象となりつつあるのだ。ひとつは製品の「認証ビジネス」である。「森林管理組合(FSC)」や「海洋管理協会(MSC)」認定の適合認証ラベルを製品に貼って販売促進を図るというものだ。「温室効果ガス排出オフセット」や「エコツーリズム」、「レクレーションビジネス」などの市場規模は2010年には952億ドルといわれている。また地球温暖化防止ビジネスの「カーボンオフセット」の生物多様性版が「生物多様性オフセット」と「クレジットバンク」である。これらを総称して「グリーン開発メカニズム(GDM)」という仕組みである。ODAで生物資源の利益誘導を図るのが日本のやり方であったが、日本の生物多様性ビジネス参加は遅れてしまった。誠に抜け目のないビジネスで、多少疑問を感じる。


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