養老孟司著 「いちばん大事なことー養老教授の環境論」

    

秀英社新書(2003年11月)

   

最近、養老孟司氏の本がバカ売れ出そうだ。「バカの壁」というよく読まないと書名に馬鹿にされそうな本に始まり、出す本は実にベストセラーを重ねていまや超人気作家になった。本書の書名はまともな命名でそのまま受けとっても腹の立つことは無い。なぜに人気があるのかというと、人としての分かりやすい言葉使いにあると私は思う。その養老先生が満を持して(?)環境論を書いた。だれも先生を環境学者とは思わない。明らかに素人である。 養老孟司氏は東大医学部解剖学教授を務められた解剖学者である。解剖学なんて医学部の地下室で死体を切り刻む暗い商売であろうと素人目には映る。解剖学者と聞いただけで、ああこの人は変人だと思って間違いない。病理解剖学、法医学などもやはり暗い商売だ。医学生なら間違いなく陽のあたる外科などへ行くだろう。

さて養老孟司氏が解剖学者であったことは本書のバックボーンにはなっても、直接本書の主題には関係ない。本書で養老孟司氏が書いているように、小さいときから昆虫少年だったそうで、それが一生のスタンスになったそうである。いわば和製ファーブル少年である。本書の環境論はむしろこの和製ファーブル少年の目が書かせたといってよい。大所高所から環境論を論じるのではなく、昆虫の目の高さから人間社会の環境破壊を告発し、人も昆虫と同じ自然の一員としての観点から環境問題をみてゆけばよい解決策もあろうかという提案である。そういう意味でこの本はマイマイカブリが養老教授に委託して書かせた環境論と見ていただきたい。本書を各章別に論点を整理し、養老教授の提案に耳を傾けてみよう。

第1章 人も自然、人体も自然

環境問題への対処を「自然環境」対「人間社会」という図式で捉えるのは、環境問題を引き起こした現代社会(欧米型2元論)の延長に過ぎない。文明が自然破壊の基であることは自明だとしても、文明を生み出したのは人間の脳機能(よりよい快適な生活環境である都市化を追い求める)である。脳という意識が言葉を生み出し都市を作りいわゆる近代文明を生み出した。高度な人間の意識がなせる技である。「ああすればこうなる」という思考法で経済政治活動を生み、効率的な活動に最高の価値を置いた。とこらが環境問題を個人に戻せば心と身体の対立等問題に還元される。環境問題を追及してゆくと原理的には自分の心身の問題に戻る。ところが自然は「ああすればこうなる」式の反応は示すほど単純ではなく、予測がしばしば不可能なほど複雑である。わからないことが多くてわからないままつきあってゆかざるを得ない相手である。分かったような顔をして、自然に回復不可能な傷を負わせるのが一番恐ろしい。

第2章 暮らしの中の環境問題

環境問題は資源・エネルギーをめぐる血なまぐさい争奪戦、いわゆる政治問題であることは賢明な諸氏にはとっくにお分かりだおもうので繰り返さない。温室効果ガスによる地球温暖化防止枠組み機構(COP)をめぐる米・欧・日の動向や、米国のベトナム戦争枯葉作戦と捕鯨禁止条約や、禁煙運動と排ガス大気汚染問題や、農薬・遺伝子組み換え植物と食の安全問題などはみな利権の絡んだ政治問題化している。素直に見てはそれこそバカをみる。現代文明は便利な生活を得る代わりに新たなリスクを背負い込まされたようだ。社会システムのなかで環境問題を見てゆく訓練をして、利便とリスクの両面を考えないと一方的な自然破壊(身体破壊=健康障害)をしかねない。

第3章 歴史に見る環境問題

地球上の自然は大きなシステムと見なすべきであろう。日本人は昔から適度に自然に手をいれて豊かな里山を作ってきた。環境への負荷を減らすに生活レベルを戦前に戻す人はいない。しかし今の生活に「手入れ」という感覚をもちこめば少しでも環境にやさしい暮らしになるだろう。自然と付き合ってゆくためにいまこそ日本的知恵を取り戻すことが求められる。自然に絶対手を加えないという「環境原理主義」は克服しなければならない。

第4章 多様性とシステム

自然というシステムはよく分からないことだらけである。「ああすればこうなる」式思考法ではかえって環境を破壊する。自然や生態系というシステムは人では作れない。もちろん現代科学をもってしても、細胞一つ作れない。まして人間や生物や生態系は作れないし。コントロールに関する知識も皆無である。だから生態系に手を加えてはいけない。どのような影響が出るか誰一人推測はしても予測はできないからだ。システムのカオス理論によると初期条件が微妙に異なってもまったく違う結論が生まれるという。初期条件の詳細な知識は皆無であり、何がシステムにどれほど関与しているのかも分かってはいない。

第5章 環境と教育

環境は教壇で教えられることではない。それは人間の生き方の問題であるからだ。教壇で教えると「ああすればこうなる」式思考法を教えて、かえって環境への悪影響が出る。自然との付き合いは相手との「やりとり」が基本でである。ペットとの付き合い、子供との付き合いなどにその典型を見ることができる。あせってはいけない、相手をねじ伏せてはいけない。根気、辛抱、努力で付き合ってゆこう。

第6章 これからの生き方

現代科学は要素分解主義(因果関係)で発展してきた。システムを分解して説明することはできても、システムを動かすことは苦手である。環境問題は細胞・生物・生態系のシステムの問題であり、ひいては人間の生き方の問題である。環境問題への個人的対処はまず自然と付き合う時間を持つことに始まる。自然の目線でものを考えてゆく時間を持てば自然の理解につながる。「スローライフで田舎生活をしよう」


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