都留重人 編「現在資本主義と公害」

岩波書店(1968年)

 

今から約30年前、日本は高度経済成長のつけである公害に見舞われていた。公害防止基本法が成立し、企業は全力を上げ対策に邁進した結果、水質汚濁・大気汚染防止にはかなりの成果をあげた。また石油ショックによる省エネルギ技術開発、マスキー法による自動車低燃費技術・排ガス処理技術、公害防止機器産業など多くの副産物を得た。現在は公害問題から地球環境問題に衣を変えているが、当時の公害問題の理論的背景をなした本書の歴史的価値を総括することにより将来に備える趣旨で取り上げた。今日、企業も変化し公害の様相も一変したが本書の主張のかなりの部分は依然として成立する。


1)第1章 「現代資本主義と公害」 (総論)

公害の契機となったのは、経済主体の私的企業的自主自責の原則(敷地内のことには全責任を負うが敷地外のことには一切金を出さない)と利潤極大化の動機が主な要因である。すなわち道路、工業地域開発などの外部経済は利用し、大気公害、水質汚濁など社会的費用などの外部不経済は行政へ押し付けることであった。日本の高度成長は国家依存の高蓄積体制、民主主義の未成熟と企業主義、経済の2重構造、地域開発による資源の巨大な集中(費用の最小化)を特徴としたため、大都市・重化学工業地帯の生活環境悪化をもたらした。

2) 第2章 「日本の公害」

水俣病、四日市石油公害、富山化学事故、新河岸川による隅田川汚濁を例に上げて、日本の企業が公害を引き起こす理由として、
@公害防止設備投資を怠った(生産間接投資の5%)。
A地域開発が都市計画や土地利用計画を考慮しない工場立地計画優先型であったことを指摘した。

3)第3章 「公害による損失」

公害による損失には健康福祉そのものの損失、健康福祉の損失であるが回復が可能で復元費用が推定できるもの、健康福祉手段の損失で経済的価値で算出可能なものが考えられる。公害による損失は発生側の影響強度、被害側の受け易さによって決定される。公害による損失を金額で評価することは現代経済学では処理できない。特に人命、景観、快適性は計量不可である。

4)第4章 「責任と費用負担」

責任には道義的責任(企業にもとめるのは無理)と法律的責任がある。公害防止基本法には責任主体がない。(「責務」とは責任ではない。)責任をとるのが国、地方自治体としても費用を負担するのは結局税金負担者(国民、企業)である。負担問題には極めて厄介な転嫁の現象が付きまとう。(福祉目的の消費税率増加がいかに欺瞞であったことか)

5)第5章 「対策とその問題」

公害対策を推進させる力は国民の人命尊重である。しかるに日本の公害行政の特徴は
@民間企業追随主義
A対症療法主義
B官僚主義
であった。公害対策財政には被害者救済が薄く、加害者救済ばかりに厚く、企業の地域開発助成に金が使われ公害促進財政となっている。

6)第6章 「国民の意識と運動」 (新しい方向)

国民の公害意識の成長が陳情から運動へ変化した。(住民運動、直接行動) 企業を動かすには管轄行政当局を動かし、官僚の公害行政を変化させるには選挙の票が欲しい政治家を動かす事が早道で、そのため市民運動が有効であると認識された。市民意思の組織化が緒口である。

メディア、NGO、情報公開が今後の環境運動の方向を決定するに違いない。



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