佐和隆光著 「地球温暖化を防ぐ」、「市場主義の終焉」 岩波新書

   
佐和隆光京大経済研究所長プロフィール 

佐和教授の問題意識は20世紀型の文明(大量生産、大量消費、経済至上主義)に代わる21世紀型文明の構想と、地球温暖化防止対策の経済影響の評価にある。環境問題が人の経済活動の結果であるため、その解決には純粋に科学技術の変革のみでは不充分で同時に経済構造の変革が求められる。 今月の書評では佐和教授の同じ視点による「地球温暖化を防ぐ」と「市場主義の終焉」の2冊を取り上げた。佐和教授は中央環境審議会において、「環境税」、「排出権取引について」の意見具申をされたがCOP3京都会議の政府案作成過程ではほとんど一顧だにされず、行政の説明責任、透明化、公正化の欠如に臍をかむ思いであったと残念がられている。

1) 「地球温暖化を防ぐ」−20世紀型経済システムの転換−  岩波新書 (1997年11月初版) 

本書は国連気候変動枠組み条約COP3京都会議(1997年12月)を照準とした政策提案書である。炭酸ガス排出量の増加は20世紀の技術革新による人類の生産活動(国内総生産GDPで表される)の増加の結果である。炭酸ガス排出量の各国の比率は米国22%、中国13%、ロシア7%、日本5%などである。また我国の排出部門比率はエネルギー部門6.8%、産業部門40%、輸送部門21%、業務ビル9%、家庭13%などである。1995年度における1990年度に対する炭酸ガス排出量の増加率はエネルギー部門7%、産業部門0%、輸送部門16%、業務ビル15%、家庭16%などとなっている。
  1992年リオデジャネイロ地球サミットにおいて気候変動枠組み条約が協議され2000年までに1990年の炭酸ガス排出量に戻すことが決められたが現状は増加の一途にある。エネルギー需給と技術的対応からは部門排出比率の高い産業部門、運送部門、民政部門の省エネルギー策と自主的取り組みに寄らざるを得ない。1996年「経団連環境アッピール」は環境倫理の高揚、環境負荷を下げる環境効率向上、自主的取り組み強化を謳ったがはたしてこれだけで十分なのだろうか。
  佐和教授の提案の骨子は温暖化防止対策には規制的措置、経済的措置、自主的措置の3つの内、経済的措置(炭素税、排出権取引と協同実施)を主軸にして規制的措置で補う対策が望ましい姿であるとされる。経済的措置の具体的提案は本書に詳しい。しかしながら経済的措置は経済のブレーキになるとして産業界の反対が強く政策に織り込まれていない。いまだ環境庁で検討されているのみである。

2) 「市場主義の終焉」−日本経済をどうするか−岩波新書(2000年10月初版)

1980年代サッチャー、レーガン、中曽根に代表される自由主義者は規制を排してマテリアル主義(経済至上主義)を推し進めた。その結果東西冷戦の終結、バブル全盛時代となった。バブル崩壊後1990年代には日本をはじめ世界経済は恐慌には至らなかったが不況が長期化し、米国のみがポスト工業化社会(情報化技術開発、ソフト産業)に成功して一人勝ちとなった。日本型システムの停滞は土建政策の破綻に示されるようにポスト工業化の遅れによるものである。しかし欧州では所得格差拡大、能力主義の不公正、福祉システムの破壊であるアメリカ化を拒否し反市場主義と政府の適性管理を求める第3の道を模索中である。
  日本のGDPは世界一になったとは言え、日本人の生活ははたして豊かになったであろうか。フランスの社会学者ジャン・ボードリヤールは日本の現実につぎのような疑問符をつけた。「日本と言う国が豊かなのは日本人が貧しいからではないか。個人が豊かでなければ国も豊かではないとする欧米的なモデルとは違うようだ。それは社会システムの前近代性、民主的基盤の脆弱、市民の発言能力不足によるのではなかろうか。」
  日本経済再生の道は、市場主義改革の遂行(グローバル資本)による効率性を確保しつつ、それに伴う副作用の緩和をめざす「第3の道」改革による、公共性を重んじる公正な社会の実現を同時に目指さなければならない。経済は確かに不均衡に利を求める面は否定できない(貿易に顕著に示される)。しかし全世界が工業化したら生産過剰は必至で、どこに売れば良いのだろうか。これは杞憂か、浄土到来か。


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