佐久間充 著「山が消えた」
 岩波新書(2002年6月初版)

   

千葉県内房総の市原市、木更津市、君津市から養老渓谷にかけての地帯は砂利採取場として有名である。著者は1984年に「ああダンプ街道」(岩波新書)で千葉県中西部の砂利採取の状況を報告したが、約20年後には砂利山が消え建設残土埋立場に変身していたという。千葉県中西部の山砂層は70〜50万年前に形成されたが、この40年間に約12億dの山砂利が採取され1300を超える東京のビル建設・東京湾の埋立に利用された。高度経済成長の時代からバブル経済の時代まで一貫して首都圏の近代化に貢献した。建設資材は日本の天然資源使用量の約55%を占め数少い自給資源の一つである。現在では建材の採取と廃棄物の投棄は表裏一体の関係にあることが多い。本書では山砂利採取による環境影響と残土・産廃戦争、その後のダンプ街道沿道の人々の暮らし、ダンプ運転手の生活、今後への提案が述べられている。
「土建業者栄えて山河消え、里はゴミ山とゴルフ場だらけ」と言う過去の状況はバブル後確かに変化しつつある。建設業界は負債で倒産し株価は額面割れ、土建公共事業による景気回復は望むべくもないほどに産業構造がシフトした。千葉県中西部の砂利山をどう再生するか、その解決の一つが山に緑を回復することかもしれない。

1)千葉県の残土・産廃戦争    

市原市武士に約200万m3の残土が投棄され、600×350mの地に高さ45mの山が出現した。これを「平成新山」と言うそうである。新山の近くには清掃工場と「産廃銀座」が建設されており砂利の「お返し」が「ゴミの山」だったとは皮肉である。又市原市石塚には廃車処分場(車のお墓)となっており、養老渓谷の景観を著しく害している。この他市原市上高根、市原市川在、富津市田倉、君津市糸川にも残土・産廃埋立場があり、今や千葉県は関東のゴミ捨て場に化し不法投棄も後を絶たない。しかし廃棄物処理場を殆ど認可してきた厚生省と開発第一の沼田県政から堂本県政に移行したことで県の調整能力が期待される。

  2)今後砂利採取場をどうするのか   

千葉県中西部の山砂利の埋蔵量は約75億m3であるが、採取可能量はその数分の一になる。掘り易いところはあらかた掘り尽くしているので今後は採取コストの上昇が問題になり採取業者の転廃業が進んでいる。採取跡地をどうするかについては京都府城陽市、大阪府阪南市、兵庫県淡路島の例が役に立つと思われる。京都城陽市では「城陽市砂利採取地整備公団」を設立し建設残土処理を行い、採取跡地には各種スポーツ施設、緑化が進行中である。関西国際空港に砂利を供給した阪南市では跡地をニュータウンに、淡路島では花博開催、県立淡路公園が建設された。貝原俊夫兵庫県知事は「一つの役割を終えた遊休地に森を作ってはどうだろうか。利用されなくなった農地山林等は元の姿つまり自然豊かな環境に戻すことである。」と提案した。   循環型社会形成関連法案においても建設資材のリサイクルが求められている。寿命がきたビルコンクリート廃材が今後大量に発生する。高度経済成長期の建築物の廃棄時期は2010年ごろだという。埋立以外に廃材用途を開拓しないと埋立場のキャパシティの限界が迫っている。祭りの後はゴミだらけというのは町内の祭りだけにして欲しい。


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