1)中西準子著 「環境リスク論」岩波書店(1995年)

     

横浜国立大学環境科学研究センタ― 中西教授プロフィール

教授は古くより「水」の専門家であって水処理関係者には著名であった。上水道の水質の塩素消毒に由来する発ガンリスク論者として、近年では雑誌「暮らしの手帖」の合併浄化槽性能比較実験記事によって当社にも影響があったことが記憶に新しい。今月の書評は中西準子教授の2つの著書「環境リスク論」、「水の環境戦略」を紹介したい。これらの本はほぼ同時期に著わされ、同じ思想で貫かれている2つの章と考えられる。独立して扱えば繰り返しになる恐れがあるため纏めて考察したい。

リスク論とは何か

本書は環境問題の具体例として、半分量ほどを水銀問題(水俣病)と大気環境基準(ベンゼン等)に費やしているが、本質は新しい環境論の基礎をなすリスク論の原則を説くところにある。従来の公害問題の捉え方では広域未来型環境問題には対処しえないという認識が出発点になっている。その由来は米国の発ガン物質リスク評価への批判に基づくようである。非発ガン物質では従来の安全基準が適用されるが、無閾値モデルである発ガン物質リスク評価では10-6という確率を許容しうるレベルとする。これに対し中西教授は動物実験結果からリスク評価する際の不確かさをリスク論の本質とみて、化学物質の許容リスクレベルを科学的国民的合意により決定する社会の構築を目指して取り組んでおられる。
 リスク論はもちろん客観的にみてまだ曖昧な状態であることは論を待たない。行政は安全を繰り返し、環境保護団体は危険と不信の砦にこもっている。教授が提案される共通のエンドポイントとしての損失余命や種の絶滅係数は計算実例に説得性がなく、性質の異なるリスクの評価は滑稽でさえある。またリスク・ベネフィット論はまだ価値計算ができない場合が多いため定量性はない。
 しかしひとつのリスク回避のため膨大なエネルギーを使用したり、別のリスクに暫定的に置き換える愚をさけて合理的な判断を行なうためにはリスク・ベネフィット原則は不可欠である。以下に中西教授の言葉を示す。
「リスクの許容レベルは環境管理に振り向けられるその国の財力できまる。」
「我が国の環境行政はすでに被害の出てしまった水銀には無限の費用をかけ、その他の被害には目を向けなかった。だからこそ我が国では10や20とかの化学物質しか規制されていない。」
「リスク評価は不確かである。このいい加減さを知らずしてリスク論を振り回してはいけない。」

       

2)中西準子著 「水の環境戦略」 岩波新書(1994年)

     

本書は環境論の具体例として水資源と水質汚濁問題、水道水質基準、リスク管理をとりあげ、総合的な水環境政策を論じている。本書の基調をなすリスク管理思想は前書と同じである。
 公害問題とオイルショック以来、日本の工業界は水質汚濁源の劇的削減、工業用水の使用量削減と回収、エネルギ効率向上、低公害自動車開発に成功し世界の範となった。いずれの要因も企業のインセンティブを刺激し、また競争力を向上させようとする企業努力の結果である。しかるに農業用水の利権確保のため渇水期でも水を垂れ流してダムを空にし、また生活排水対策の下水道施設率は後進国並にとどまるなど行政面が時代の構造変化に対応できていない。
上水道水質については、感染症予防の塩素注入のため発ガン性物質トリハロメタンを発生させるなど別のリスクを生み出した。これをリスクのトレードオフという。発ガン性物質のリスクは本来10-5を根拠にして水質基準を定めるところ10倍ほどあまく設定されている。これを1日許容摂取量(ADI)として安全のお墨付きを与えていることは2重に危険である。発ガン性物質には安全レベルは存在しないことを明らかにして、別の水源の導入や塩素滅菌に代わるオゾン法の開発(現在コスト高)や、発ガンリスクの受け入れが必要である。


  
 
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