鬼頭秀一著「自然保護を問い直すー環境倫理とネットワーク 」


ちくま新書(1996年)

青森公立大学教授  鬼頭秀一氏 プロフィール

科学史・化学基礎論を専攻し、科学技術と社会の関係論を軸に新しい環境学を模索している。環境問題(特に自然保護)を地域の生活とリンク(諸側面とのつながり、ネットワーク)することで展望を開くことを目的にして実践的環境学の構築を目指しておられる。世界遺産に登録された白神山地ブナ原生林の保護問題解決の枠組みを提案した実績が評価される。

問題提起

人間中心主義、生命中心主義、生態系中心主義の相克をいかに解決するか。鬼頭先生は自然保護の枠組みとして伝統的地域社会と自然との共生に活路を見出す方向で解法を模索される。

環境倫理思想の系譜

日本では1970年代に公害問題(環境汚染)は石油ショック(資源・エネルギー問題)を経て、1980年代には地球環境問題(地球全体主義)を迎えた。また生物多様性の問題(生命中心主義)、世界遺産登録(自然保護)をめぐって環境問題が極めて多様化したため、環境技術論を超えた環境総合理論を確立するため日本でもようやく環境哲学、環境倫理が議論されるようになった。しかし環境倫理学は1970年代より主として米国で開発されたため、米国の進歩観、自然観や欧州の哲学社会経済思想の流れを色濃く受け継いでいる。以下に環境倫理思想の系譜を簡単にたどる。
1)人間中心主義はユダヤ・キリスト教世界観に由来する。自然は人間が支配するものとされた。この限界を克服するため人間非中心主義として環境主義(動物開放、自然物の法的当事者概念)、ロマン主義(都市生活者による自然保護運動)が展開された。
2)「宇宙船地球号」やローマクラブの「成長の限界」を契機に地球全体主義が提起された。有限の資源を守り子孫に受け継ぐため個人の権利を制限することから環境ファッシズムとも非難される。しかし根は共同体倫理(村の倫理)に近い。
3)ロマン主義の伝統をとり全生命平等を唱え全体主義的でありながら多元的価値を抱擁する倫理である視点が深いという点でディープエコロジーと呼ばれる。人間の精神的側面を重視し実践的哲学運動の形態を取ることからガンジー主義とも呼ばれる。「沈黙の春」を著わしたレイチェルカールソンらが含まれる。
4)社会運動との繋がりを重視した環境社会思想として、男性優位の人間中心主義から脱却し女性的視点から母なる自然を保護しようとするエコフェミニズム、生活している土地、社会との密接な関連のなかで環境を重視する生命地域主義がある。本書の視点は後者の生命地域主義である。



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