加藤尚武著「環境倫理学のすすめ」

丸善ライブラリー(1991年)

京都大学文学部教授 加藤尚武氏 プロフィール

哲学科教授で専門は生命倫理学,環境倫理学である。現在の教授の環境観を簡単に纏めるとすれば以下となる。「地球を破壊してきた技術と地球を守る技術とは同じ技術である。近代科学は総じて手段の体系を提供する。科学には目的を設定する能力はない。目的の設定は行為としては社会的契約である。しかしその社会的契約の前提となる目的は自然主義的に決定される。その目的設定の根拠は人間存在の同一性である。人間が平等に生きられるために地球を救い、維持可能な地球を守る必要が生まれる。」

環境倫理学の三つの命題

1960年代から米国で開発されてきた環境倫理学は次の三つの命題を掲げている。これには米国の経済と自然観、欧州の哲学・社会経済思想を色濃く受け継いでいる。


1)自然の生存権:
人間以外の種・生態系・景観にも生存の権利を拡大する。人間中心主義から人間非中心主義への脱皮
2)世代間倫理:
未来の世代の生存可能性に対して責任をもつ。
3)地球全体主義:
地球は閉じた系(宇宙船地球号)地球的課題は個人の自由主義に優先する。

社会経済思想と環境倫理

マルサスが人口の増大の運命を提起した時、マルクス・エンゲルスの社会主義理論は永遠に自然を加工して発展させうるとする楽観主義をだした。ミルはその経済学原理において早くも「地球が自由な個体を不可能とするほど満員になるまえに人口と産業規模の縮小をして発展を停止させる。」という見解を示した。20世紀はまさに経済、人口規模のビックバンとなり、誰の目にもミルの心配が的中した。
環境問題の本質は資源エネルギー問題と人口・食料問題である。経済成長を犠牲にしないで環境保護を達成することは出来るはずはない。出来ないと分かっていて当面はできるみたいな幻想を振りまいて時間稼ぎをしている。当面は第3世界への分配制限でなんとかやりくりできるつもりでいる。現在世界で公認されている社会目標が経済成長以外にないことに世界の危機が迫っている。そのため経済成長そのものの目的を問い直す必要がある。(右肩上がりの経済成長神話からの脱却) このあたりの加藤教授の辛口評論はみごと本質に迫っているようである。

権利の拡大

環境倫理学の一つの柱である人間中心主義から人間以外の生物、自然物、環境まで権利を拡張させる思想で人間非中心主義と言われる。権利拡大は米国社会の歴史そのものであった。貴族からアメリカ入植者、奴隷、婦人、原住民、労働者、黒人、自然へと権利は拡大した。ここまではだれにも異論はないだろう。しかし権利が自然へ移行する際、野生生物の権利主体の根拠として知的能力が挙げられるが、胎児、死んだ人間の意思、植物人間には権利がないのだろうか、法理論としては矛盾だらけである。
この自然主義に対して、やはり常識的には人間が認識の主体であるかぎり、世界、地球、自然の認識は人間にしかできない。人間が自然と主観と客観の関係にあるとする近代的二元論(デカルト的二元論)を守る事なしには地球の生態系を守る事は不可能である。功利的人間主義の範疇から出られない宿命。
「コギトエルゴスム(われ考えるが故に我あり)、ひとが自然を考えるから自然が存在するのであって、破壊するのも保存するのも人間の能力にかかっている。」というのが結論か?



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