岩波講座「地球環境学」1「現代科学技術と地球環境学」
         第4章「環境のリスク」中西準子・・第5章「地球環境問題と生命」鈴木継美
       岩波書店(1998年5月初版)

   

1)「環境のリスク」 中西準子   

環境リスクという概念が登場するのは米国で1960年代、日本で1980年代後半、環境白書に現れるのが1993年である。環境リスクとは環境にとって不都合な事柄の生起確率である。この不都合な事柄をエンドポイントという。従来の安全か危険かという2分法ではリスクのトレードオフ(交換関係)を処理できない。そこで生まれたのがリスク管理法である。環境リスクは地球環境問題を総合的に評価できるから、ベネフィット-リスク比(BRR)の小さな解・施策を選ぶ道を開き、また未来問題でもある地球環境問題も同一次元でリスク評価が可能となるかも知れない。
     たとえば地球温暖化と原子力発電問題では温暖化ガス排出という点では原子力発電が有利であることは言うまでもないが、核廃棄物問題と事故危険性とのバランスで考えなければならない。代替自然エネルギーは高コスト、広大な設置面積を必要とするため、環境破壊も同時に配慮する必要がある。
評価しようとするリスク論の範囲としては、@経済的な損失、A人健康影響、B生態系への影響、C原料・エネルギー・資源の消費、Dベネフィットの現在と未来の10項目の要素である。@、C、Dはコストへ換算可能である。将来には全ての要素の一元評価が可能にすることであるが、、現時点では異質なA,Bをどう組み込むかが難しい。そこでBRRを単位リスク削減のためのベネフィットの損失または費用・コストと定義してリスク削減施策の比較を行う。
大気中のベンゼンによる発ガンリスクの対策としてベンゼン濃度50%削減のBRRを8億円/人として日本が取り得る施策の限界として提言された点に注目したい。極めて僅かなリスク削減のために膨大な費用を費やし自然破壊も厭わないような愚は避けなければならない。社会全体が合理的なリスク方法論を身につけることが成熟社会の主要な要件である。

2)「環境問題と生命」 鈴木継美

中西準子氏の「環境リスク論」は現実の問題解決法の開発に従事する現場の著作とすれば、鈴木継美氏の「環境と生命」は文明評論である。その点総覧的にレビューされているが氏の持論が感じられない。いわば鋏と糊で作った評論である。引用文献だけは多く挙げている点を評価しよう。
環境問題はその国・社会のシステムによって多様な様式をとるので、世界各国の環境問題の質的な差に注目する必要があるというのが結論であろうか。人口増加はその社会の食糧・経済力、医療技術・システムによって決定される問題であるが一定の限界が迫っているという認識は当然である。
人間活動の環境への影響を裕福度(一人あたりの物質消費量)、活動度、国民総生産GDPなどの指標で整理することは世界銀行の統計を待たずよく知られた議論である。地球温暖化、オゾン層破壊と健康被害についてはIPCCのまとめを紹介している。内分泌かく乱化学物質問題については環境省の提灯持ちにすぎない。
氏の持論らしき点といえば、ヒト・文化・自然からなるシステムにおいてヒトの健康生存を守るならば文化が変らなければならないとする点である。現時点で文化的変容は緒についたばかりであるとして、様々な技術・組織・手法の開発を待たなければならないというのはあまりに漠然としている。


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