飯島伸子 著「環境社会学のすすめ」

丸善ライブラリ(1995年)


東京都立大学文学部 飯島伸子教授のプロフィール

教授は1992年に設立された環境社会学会会長でもある。封建時代から現在までの公害や労働災害の歴史を纏めた業績は高く評価されている。教授によると環境社会学とは「人間をとりまく自然的・物理的・化学的環境と人間集団や人間社会の諸々の相互関係に関する研究を行う学問領域」と定義される。企業からみれば企業活動が社会に与える諸側面を把握することに他ならない。

環境問題における企業組織と個人の役割

日本の公害問題で企業の対応に明暗を分けた4つの事例がある。明治時代の国家権力を背景に古河財閥が谷中村を抹殺した足尾銅山鉱毒事件、有機水銀の因果関係の認定に十年以上を要したチッソによる熊本水俣病、企業の懸命な自主努力により公害を克服しそれが企業発展につながった住友の別子銅山亜硫酸ガス煙害問題、日立製作所の発展に繋がった日立鉱山の亜硫酸ガス煙害問題がある。前2者は極めて不幸な歴史として永遠に記録される。特にチッソ水俣病は政府、大学の科学者,企業の技術者の見識が大いに問題の解決を遅らせたといわれている。後2者の公害問題処理をめぐる企業側の取るべき対応は、経営者の英断により理想的な展開を遂げたと賞賛された。これは企業の鏡としたい。  本書より引用。
「発生源企業として,発生させた環境問題に責任ある対応をしようと努力したことが、問題の著しい軽減に貢献するとともに、会社の発展をもたらすという理想的な経緯がこの事例にあります。会社の方針が企業の社会的責任を追及するものであり、技術陣がこれに答えるべく最大限に働いたことで、学問や技術はその本来の役割を発揮して社会に望ましい貢献をすることができました。企業に雇用されている技術者は会社の方針にそって行動する他はないわけですから、発生企業がその社会的責任をどれほど企業方針として認識するかということが最重要です」



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