広井良典著「定常型社会―新しい豊かさの構想―」岩波新書(2001年)

   

広井良典氏の定常型社会の提案は閉塞状態の日本社会の打開策になるだろうか。富の生産と分配は車の両輪である。経済と環境と社会保障が次世代のキーワードになろう。

本書は社会と環境政策論である。閉塞感が現在の日本社会をあらゆる局面で覆っている。戦後の、あるいは明治期以来の日本が一貫して追及してきた経済成長という目標が、需要そのものが成熟ないしは飽和状態にあるためもはや目標として機能しなくなった。また人口は2007年を境として減少に転じると予測され、資源や自然環境の有限性が自覚され経済規模の定常性が要請されるようになった。本書の最大のテーマは富の拡大である経済成長から富の分配である社会保障に重点をうつす定常社会の実現であり、環境と調和する持続可能な福祉国家/福祉社会を目指すことである。つまり21世紀には人口や資源消費も均衡化するようなある定常点に向かいつつあるし、またそうしなければ持続可能ではないのである。

1.社会保障(富の分配)

日本の社会保障の特徴は第1に給付費がなお相対に低い水準にあり、第2に年金の比重が際立って高く逆に失業関連給付と子供関連給付が極めて低いことであり、第3に社会保障に税が部分的に投入され税と保険の渾然一体性である。第1の社会保障の給付水準の低さを会社と家族というインフォーマルな社会保障が裏で支えてきた。その2つのインフォーマルコミュニティが現在崩壊しつつあることで社会保障制度の改革が急務となっている。これからの社会保障の核心は高齢者と子供について税を中心とした基本部分の保障を充実し、現役世代については社会保険を中心とした社会保障体系が妥当である。また配偶者女性についても扶養家族から離脱し現役世代と同様社会保険支払い者になる。また社会保障は経済を圧迫するといわれるが社会保障財源のうち税部分については消費税、相続税、環境税が有力な候補になる。高い福祉の実現のためには高負担も必要である。老人と子供に厚く税で賄い、女性も独立した働き手として負担することが必要であろう。そして社会の停滞を招く富の集中を避けるためには相続税を強化し、生まれる時は皆が同じスタートラインに立てる風通しのよい透明な社会を構築することでる。

2.社会保障と環境政策

社会保障の目的は個人の平等(自由の実現)を実現することである。すなわち各人は人生の出発点にあたり、また様々なライフサイクルの段階で同じスタートラインに立ちえているかという問題である。障害者福祉がその典型であることはいうまでもない。新保守主義の時代(サッチャー、レーガン、中曽根)経済成長の重荷になるとして自助努力の美名にもとに社会保障の切り捨てが進行した。社会保障は右上がりの経済成長時代にはパイの増大に隠れて問題とはならなかったが、はたして社会の重荷なのだろうか。社会保障と環境政策の統合は環境税を社会保障の財源とすることにより、企業の労働生産重視から資源効率重視経営(すなわち持続可能型成長)への転換を促すことができる。地球規模での資源消費が定常化しなければ地球が存続しえないことはようやく認識されてきたが、さらに地球規模での社会保障/福祉国家という観点の導入が図られなければならない。

3.新しい「豊かさ」の形―持続可能な福祉国家/福祉社会―

アダムスミスの古典派市場経済では私利は肯定されむしろそれこそが豊かさあるいは社会的善であるとされた(共同体からの自立)。資源の総量は拡大し得るという認識であるが、経済活動の自然的制約も予測されていた。産業革命後の新古典派経済は自然から人間は自立し得るとして無限の経済成長神話と環境資源収奪に邁進した。商品は必要からではなく需要から生まれ、物の価値ではなく主観的効用に重きが置かれた(自然からの自立)。
生産過剰−不況―経済危機に面した時、ケインズ経済学は政府による景気対策,積極財政政策により不況を乗り切り、持続的成長の時代に突入した。大量消費時代に入ってまさに経済は共同体からも自然からも物からも自立し、消費は物から情報の消費へ移行した。さらに金融市場では人の予測をよむことに価値が移り、金への投資が金を生む時代になった。このように様々な制約から自由になった経済社会システムに何回かの狂乱バブル不況から大きな転機がおとずれた。1つは外的な限界と言われる資源や環境の有限性の制約である。2つは内的な限界と言われる成長価値絶対視がゆきずまり新たな価値・目標が必要となったことである。3つは分配をめぐる問題の先鋭化である。富の偏在に経済学は目をつむるが、社会的に公正(個人の自由)は民主主義の基本である。
目標とする定常型社会には次の3つの意味がある。1つは物質・エネルギー消費が一定となる社会、2つは経済成長を基本的価値・目標としない社会、3つは変化しないものにも価値があることを認める社会である。こうした議論を避けて景気対策の名のもとに成長に解決を委ねる政策を取り続けていてはツケを将来世代に回して行き破局に至るだけである。すでに斜陽になった土建産業に湯水のように税金を注ぎ真水と称して不要な公共事業を強行する政官民共同体(日本丸)の沈没は目に見えている。それより真に新しい分野の開拓で産業を興す投資に向けないと日本の将来は見えてこない。

  
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