ネット上で私が最近注目している評論サイトが2つある。松岡正剛の「千夜千冊」という書評で3年ほどかかって最近千冊の書評が完了したそうである。もうひとつのサイトは「スタンダード反社会学講座ー反抗期の大人たちへー」である。今回取り上げるのはクラシックコーナーであるので当然前者の評論である。興味のある方はサイトをクリックして飛んでください。なお千夜千冊は反響著しいのに期待してある出版社が早速出版予定だそうだ。正岡正剛には有名な著作「知の編集工学」(朝日文庫2001年3月)があって、私も興味を持って熟読した。多少難解なところ(志の高いところ)があるが、要は人の知的作業は編集にあり、創造とはこれまで知の集積を編集(組み替え)して新たな価値を付加することではないか。これには当然ながら納得させられる。平たく言えば技術的には「カットアンドペースト」で人をはっとさせる技である。科学技術においても独創というのもやはり編集工学かなと思われる。「巨人ニュートンの肩から世界を望む」というのもそのことである。千夜千冊第980夜(04年5月21日)のグレングールド著「グレングールド著作集」(1・2)(1984年)・みすず書房・野水瑞穂訳(1990年)において、その正岡正剛が音楽に関する書評を書いたということで注目した。


さて正岡正剛の書評の読後感であるが、結論から言うと正岡の編集工学に期待した人にはお気の毒な、突っ込み不足は否めない。とくに身辺的奇行の羅列に終始して、深い哲学的評論を期待する向きには物足りない。グレングールドの奇行談を書いた本は掃いて捨てるほどあり、そのカットアンドペーストでは知らない人には新鮮かもしれないが、熟知している人にはそれがどうしたとうんざり気味である。ただその中でもグレングールド自身の言葉には難解ではあるが考えてみようという気が起きる。
*「空虚を配分する。決して高まらないで、意識を低迷させて分散させる。どんなスコアーにも、もうひとつのスコアーがありうるとと確信する」
*「ピアノが道具や武器であるうちは、ピアノはスコアーの裡にある」

そして正岡正剛の「グレングールドがやった」とする結論は次の3点だそうだ。

  1. 様式は一挙に混淆する。
  2. 技術は内容を越えるときがある。
  3. 構造は自由の邪魔をする

革命児変人奇人のグレングールドにしては当たり前かもしれない。しかしグレングールドを英雄扱いはしていけない。グレングールドの音楽活動が全部正当化されるわけではないからだ。グレングールドのスタジオ録音には駄作が多いからである。むしろ彼が嫌がった演奏会生録音のほうに傑作が多いからである。自由気ままにやったスタジオ録音には鼻歌の雑音やいい加減な演奏部分が指摘される(無論傑作は多いが)。正岡正剛の書評の後半にある夏目漱石の「草枕」愛読の件は音楽と関係がないので省略する。


参考までに私が持っているSONYのグレングールド全集CDリスト[PDF版]を示します。
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