ハイドン  「十字架上の七つの言葉」

弦楽四重奏版と管弦楽版聴き比べ


ハイドンは1785年スペインのカディス聖堂より「十字架上の七つの言葉」による器楽曲を依頼された。キリストが十字架に架けられて殺害されるまでに七つの言葉を吐いたとされる(史実かどうか野暮なことは聞かない)。はじめの2句は神の使徒であるキリストの自信があらわれているが、3句めから肉親の情や父なる神への疑惑と激しい葛藤になり、次にあきらめと運命を受け入れ最後に静かに神にまかせるという、まさに人が死を見つめ受け入れるまでのプロセスが描かれている。キリストは人間であったという証である。

  1. 父よ、彼らをお許しください。彼らは何をしているか判らないのです。
  2. よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に天国にいる。
  3. 母よ、ごらんなさい。これがあなたの子です。
  4. わが神、わが神どうして私をお見捨てになるのです。
  5. 私はのどが渇いた。
  6. すべてが終わった。
  7. 父よ、私の命を御手にゆだねます。

司教が説教壇で一つの言葉を述べて説教を行いそれが終了すると司教は教壇を降りて祭壇の前で平伏し、その間に音楽が約10分教会を支配する。キリストの十字架上での七つの言葉の説教と荘厳な音楽がセットで繰り返えされるシナリオである。実の手の込んだ宗教的空間の演出企画である。まず1786年に管弦楽曲版が書き上げられた。つぎに他の演奏版も作曲された。曲は序曲と七つの言葉(1.ラールゴ 2.グレーブ 3.グレーブ 4.ラールゴ 5.アダージョ 6.レント 7.ラールゴ)と<地震>の描写で終わる。曲は終始荘重と悲愴で色づけされている。まさに標題音楽である。

  1. 管弦楽曲版      1786年
  2. 弦楽四重奏曲版   1787年
  3. ピアノ曲版       1787年
  4. 合唱曲版        1796年

弦楽四重奏曲版は「ロシア弦楽四重奏曲」から6年たっており、熟練した弦楽手法によって書き進められた。弦楽四重奏と管弦楽曲版の優劣はつけ難い。今回紹介するCDはギドンクレメール四重奏団(この四重奏団が継続して存在するかどうか別。私はこの曲のみしか知らない。)で、第一ヴァイオリンを弾くギドンクレメールは言わずとしれたソ連出身の鬼才(ピアノのグレングールドにならぶ天才演奏家)である。日本のチェリスト岩崎洸と1980年に四重奏団を組むことになり、第二ヴァイオリンにカトリン・ラブス、ヴィオラにシェラール・コセを迎えた。ギドンクレメールは繊細かつ鋭敏な感覚を持ち、じつに鋭い解釈と演奏を特徴とする。このCDにおいてもギドンクレメールの感覚と他の奏者の息がぴったりと合い苦悩し疾走するキリストが生き生きと表現されている。 もう一枚のCDはリッカード・ムーティ指揮ウイーンフィルハーモニィーの管弦楽曲版である。柔らかく美しい曲になっている。さてどちらのCDがより雰囲気が「十字架上の七つの言葉」らしいかといえば、まちがいなくギドンクレメールの弦楽四重奏曲に軍杯があがる。とくに地震の迫力は、ギドンクレメールの鋭さに圧倒される。管弦楽曲はぼやけてしまっている。音のスケールや多彩さとか音量とかいうものは、音楽の価値を決めるものではなく、ひたすら曲に対する姿勢にあるというのが結論ではなかろうか。ギドンクレメールの弦楽四重奏曲はけだし名演奏の一枚である。



ハイドン 「十字架上の7つの言葉」のCDより
ハイドン 「十字架上の七つの言葉」弦楽四重奏版 クレメール四重奏団(1981 DDD) フィリップス ハイドン 「十字架上の七つの言葉」管弦楽曲版 リッカード・ムーティ指揮ウイーンフィルハーモニィー(1982 ADD) EMI
ハイドン 「十字架上の七つの言葉」弦楽四重奏版 クレメール四重奏団 ハイドン 「十字架上の七つの言葉」管弦楽曲版 リッカード・ムーティ指揮ウイーンフィルハーモニィー
 


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